朱色の雫

弦景 真朱(つるかげ しんしゅ)

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第二章 朱南国

睡蓮の如く(閑話)

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※「側近の働き」の閑話です。

 朱己の部屋を後にして、自分の部屋へ戻る道中。
 側近の彼が、静かに話しかけてきた。

「……葉季様。よろしかったのですか」
「何がだ」
「……いえ、余計な危惧であれば」
「戒……はあ、部屋に戻ってから話がある」

 鏡など見なくてもわかる。今のわしは、情けない顔をしていることだろう。そして、後ろを来る彼もまた、澄ました顔をしているに違いない。
 わしが考えておることなど、戒には筒抜けであることは、この数年の付き合いでとっくに理解していることだ。
 しばらく歩いてたどり着いた自室に入り、崩れるように椅子に腰掛けた。入り口のいつもの場所で立っている戒に向かって、自分の近くの椅子を指差し、座るように促せば、彼は静かに腰掛けた。

「……戒」
「はい」

 口に出すことを、少しだけ躊躇する。
 顔に手を被せて、肺にある空気をすべて吐き出すように、深いため息をついた。

「……図星だ」
「……と言いますと」

 わかっておるくせに、と悪態をつきたくなるが、ぐっと我慢して自分の本音をまた頭の中で反芻した。

「わしは、自分で思っておる以上に朱己が大切だ。失いたくない。眼の前で、失うようなことがあれば……わしは、到底耐えられなかろう」

 我ながら情けないと思う。
 まだ平穏無事な国になるまでには時間がかかる。
 争いはまだしばらく続くであろう。
 弱腰でいるわけにはいかない。
 必要な犠牲なら、国のためなら。そう何度も本音を跳ね除けてきたはずなのに。

「失わずに済むなら、どこかに閉じ込めて、誰の目にも触れさせず、誰にも声だって聞かせたくない。だが、それはできん」
「はい」

 誰よりわかっている。
 長とは、誰より前にいて、国同士の関わりを保ち、必要があれば戦線へ行く。もちろん最前線で戦うことはあまりないが、対能力戦であれば、朱己ほどの実力者ならば前線へ行くこともあろう。今までもそうだった。

「何より、閉じ込めるなど朱己が許してはくれん。あやつはそういうのは望まん」
「守られるより、守りたい側の方ですからね」
「ああ、そのとおりだ」

 思わず笑みが溢れる。
 呆れたように笑ってしまう。自嘲とでも言ったほうがいいかもしれない。
 大切すぎて、誰も近づけたくない。
 髪一本触れさせたくない。
 だが、朱己が望まぬことは一番したくない。
 わしのエゴでしかないのだから。

「……水をあげすぎると、大抵の花は枯れます」

 隣に腰掛ける戒が静かに紡ぐ言葉は、不思議と脳内にまっすぐ響いた。

「しかし、朱己様は気高い睡蓮のような方。葉季様の想いの濁流や荒れ狂う暴風を、理解しても尚、想いの波風に埋もれることはない方だと。私は思っています」

 少しだけ時が止まったように、戒を見つめた。
 相変わらず難しい言い回しをするのは、彼なりの優しさなのだろう。

「……ほほ、睡蓮、か。……そうだのう。気高く、純潔なところは朱己そっくりかもしれんの」

 頭の中で反芻しては、繰り返し笑ってしまった。

「お主、意外とロマンチックだのう」
「ろまんちっく、とは?」

 頭にはてなが浮かぶ側近を見て、また笑った。
 最近、ストラから輸入した本を読む機会が増えた。少し癪ではあるが、井の中の蛙であったことを自覚したとともに、新しい知見というのは、自分を豊かにしてくれることを改めて感じた。
 ストラからの書物の中には、カタカナが沢山あった。その中の一つに、ロマンチックな、いわゆる物語もあったのだ。
 あまり物語の類は読むことがなかったが、ストラの書物は面白く、つい時間があれば読んでしまう。

「お主も読むといい。ストラから輸入した書物だ」
「はあ……左様で。今まであまり、その類の書物は読んだことがありませんが……」

 天性のロマンチストなのだな、お主は、と言えば、少しだけ難しい顔をした。

「戒、ありがとう。前も、こうやってわしの背中を押してくれたのう」
「いえ、主が道に迷ったとき、できることは何でもしたいものですから」
「かたじけない。大分、すっきりした」

 戒のすごいところは、わしがどれだけ情けないことを言っても、気狂いじみたことを言っても、否定も肯定もしないことだ。
 それだけで、いつも救われる。

「朱己様へ、お伝えしなくても良いのですか?」
「そのうち言ってみるか? まあ、朱己もお主と同じで、否定も肯定もしなかろうがの」

 ああ、そうか。似ている。
 二人は、いつもわしを受け止めてくれるのだ。
 心の強さというか、肝が座っているというか。

「脆いところは、互いに支え合うことができればそれでいいかと。葉季様と朱己様は、それができる間柄、信頼関係があると、私は思っています」

 段々と恥ずかしくなってくる。
 恥ずかしげもなく言ってのける戒を、ある種尊敬しているのは確かだ。
 にひひと笑えば、眉をひそめるわしの側近。

「かたじけない」
「いえ」

 まだ日は傾いてきたばかり。

「さて、少しだけ稽古に付き合ってくれるか、戒!」
「私でよければ」

 百兄が立て直してくれた稽古場へ、二人で向かう。
 わしも、強くならねば。いつ何時、何が起きてもいいように。必ず、守り通せるように。

 
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