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第二章 朱南国
追憶ー遺された絆ー
しおりを挟む翌朝、壮透が訪ねてきた。壮透が自ら私のところに来るなんて、片手で数えるほどしかなかったから大層驚いて不意に声が震えた。
「ど、どうしたのよ」
部屋の扉を半分開けて、目の前にいる彼の顔を見上げた。
「法華のところに、行ってほしい」
思ってない言葉に、目を瞠った。
「なんでよ」
「頼む。今の法華には、薬乃が必要だ。俺じゃない」
何があったの、とは聞けなかった。
きっと、昨日見たあの光景が全てだとわかったから。少しだけ俯いて、考える素振りをしてから、また彼の顔へ視線を戻す。
「……あんたに頼まれたら、断れるわけないでしょ」
「恩に着る、薬乃」
安心したように小さく笑う壮透。
久々に、壮透の笑顔を見た気がする。いつの間にか笑顔が消えていた彼に、また笑顔が戻ったのだとしたら、それはとても喜ばしいことだ。
そしてそれは、まごうことなき彼女のおかげなのだ。
私は、壮透の脇を通って彼女の元へ向かった。
「法華。私よ、薬乃。いる?」
五条家の離れの扉を叩いて、中の音に耳を傾ける。
「薬乃……どうしたのですか?」
中から聞こえる彼女の声は、酷くか弱かった。憔悴しているような声に聞こえた。
「心配だから来たのよ。中に入ってもいい?」
「今、出ます」
しばらくすると、彼女が引き戸を開けて出てきた。目は腫れ、唇は乾いてひび割れていた。
「大丈夫? ……じゃ、ないわよね」
「すみません、みすぼらしい姿で……薬乃こそ、大丈夫ですか?」
自分だってボロボロなのに、私の心配をするところが彼女らしい。少しだけ呆れたように笑って返す。
「大丈夫。壮透が、心配してたわ」
「……少しだけ、お話いいですか?」
彼女は外にある椅子ーーと言っても、板を石の上に載せただけの簡易的な椅子だが、座って話し始めた。
私も隣に腰掛けて、彼女の話に耳を傾ける。
「弟たちが、酷く戸惑っていて。私と姉様の婚姻が、自分たちのせいで、強制的に決まったのだと、自分たちがいなければ、と」
「そんなことは……」
ない、と言い切れなかった。
昨日の話を聞いていたから。私が彼女たちの弟の立場なら、同じように自分の存在を呪っただろう。
「皆が幸せになる方法を、ずっと考えていました。私は、壮透との婚姻ができたら幸せだと思います。だけど、家族が心から祝福できる気持ちになれないなら、したくありません。私がして、姉様が開放されるならとも思いましたが、それは無いようです」
「法華……」
白蓮は譲らないということだろう。
昔から白蓮を知っている私からすれば、白蓮はよほど法葉を手に入れたくて仕方がない、どんな手を使っても手に入れたいということなのだろう。法葉たちからすれば、知ったことではないだろうが。
「法華は、どうしたいの? 壮透とどうなりたいの」
隣にいる彼女は、俯いたまま、つま先を眺めていた。服の裾を指先で握って、震えていた。
「……一緒に、いた……い、です」
絞り出すように彼女から出てきた言葉は、彼女の全てだった。
彼女の顔を見なくても、声だけでわかった。
「なら、いいじゃない。法華が幸せになるのが、家族にとって一番良いことなんじゃないの?」
その時、引き戸から出てきた影。
「姉上、本当ですか」
声の方を見れば、そこには私と同じ色の髪の毛をして薄汚れた、まだあどけなさが残る男の子が立っていた。
「陸真! 聞いて……いたのですか」
法華は初めて顔を上げた。
酷く驚いた顔をして、少しだけ絶望しているようにも見えた。
「姉上……そうならそうと、早く言ってくれれば! 俺たちに気遣う必要はないでしょう!」
「ごめんなさい……私だけが、幸せになるなんて」
陸真と呼ばれた男の子は、腰掛けている法華の前でしゃがむと、彼女の両腕を掴んだ。
「違う、俺たちは姉上たちが幸せになれないと思っていたから反対していたんだ。幸せになれるなら、反対する理由はないんだぜ」
法華は、大きな目から大粒の涙を流していた。
陸真は私の方を見て微笑む。
「あなたが薬乃さんですね。話には聞いていましたが、姉の本音を引き出すなんて、大したお方だ。ありがとうございます」
「いや、私はなにも……」
初めて目が合って気づいたが、さっきから胸が高鳴っている。初めて会ったのに、だ。気恥ずかしくなって目をそらした。年下とは思えない貫禄を持ち合わせた、法華の弟。
「父上が捕まってから消えていた姉の笑顔を、あなたが取り戻してくれたんだ。今も、姉の本音を聞かせてくれた。あなたは、姉にとって大切な人だ。姉にとって大切なら、俺にとっても大切な人だ」
「……あ、いや、ありがとう……」
そういう意味ではないのに。
さっきから、胸が高鳴る。
鼓動が激しく、こんな至近距離にいたらばれてしまいそうだ。俯いて、顔を隠した。
「ふふ、陸真はずっと薬乃と話してみたかったんですよね。いつも、窓から見ていたそうですよ」
いつの間にか泣き止んだ彼女は、いつもの笑顔でこちらを見ていた。
「え、そうなの?」
彼女に目を向ければ、笑顔で頷いている。
視線を彼にずらすと、眩い笑顔でこちらを見ていた。
「ずっと話してみたかったんです。偲様が、あんなに嬉しそうに話す人だから、どんな人だろうなって」
「偲様が……」
気がついたら、溢れ出して、頬を濡らしていた。
目の前の彼は、少し驚いたように目を見開いていた。
「すみません、俺何か嫌な思いを……」
法華の前から私の方へ体を向けて、見るからに焦っている。
その姿が少し可笑しくて、少しだけ笑ってしまった。
「いや、違うわ。偲様が……私のことを、嬉しそうに話してくださってたなんて……なのに、私、なにも……」
こんなに沢山のものを、遺してくれたのに。
なにも、なにもできなかった。
一人で背負って、逝ってしまった。
その事実が、私には酷く深くまで突き刺さって、自分で抜くことなどできそうもなかったのだ。むしろ、刺さったまま抜けなくていい。私の業なのかもしれないとさえ思う。
偲様に、一人で背負わせた、気づくことさえできなかった私の、業だ。
「……偲様が、仰ってました。幸せだと」
目の前の彼は、静かに言葉を紡いだ。
彼に視線だけ向けると、真っ直ぐこちらを見ていた。
「偲様がこうなったことは、俺たちにとっては耐え難い苦痛です。だけど、本来ならこの五条家の中で疎まれ、朽ちていくだけの命が、こうやって偲様が遺してくれたあなたとの絆までできた。それだけで、俺たちは幸せだ。俺たちが幸せでいることが、偲様への恩返しだと思ってる」
隣で法華も頷いていた。
別に告白されている訳でもないのに、頬が赤らむような気がして、今が黄昏時でよかったなどと思う。
「これからも、俺たちと一緒にいてください」
「ええ、こちらこそお願いするわ」
気がつけば涙は止まっていた。さっきから勘違いしそうになるほど、胸をときめかせてもらっている。
それにしても、初めて話したのに、随分と前から知り合った仲のように心が落ち着くのは、法華の弟だからだろうか。
「陸真、まるで愛の告白ですね」
「姉上、俺はそのつもりです」
「へっ?」
思わず気の抜けた声が出てしまってから口を押さえた。
いや、勘違い……勘違いじゃ、なかった。
「初めて窓から見たあの日から、ずっと話してみたかった。一目惚れです。姉上と同じですよ」
「……」
開いた口が塞がらない。
法華は、隣で口に手を当てながら目を輝かせている。
「答えはそのうちください、薬乃さん」
「……とりあえず、薬乃、でいいわ。さん付けはやめて」
恥ずかしくて直視できずにいると、目の端に微笑んでいる彼が映る。
いや、私は法華を慰めに来たはずなのに。
「薬乃、陸真のことはあまり知らないと思いますから、これからゆっくり会いに来てください」
法華が嬉しそうに微笑んでいるのを見て、小さく頷いた。
偲様が遺してくれた絆。
遺された私達は、手を取り合って、生きていかねばならないのだ。
ーー偲様。
しばらく立ち直れそうにはないが、前を向ける気がした。
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