朱色の雫

弦景 真朱(つるかげ しんしゅ)

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第一章 ナルス

追憶の枝(下)

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ーーー

「朱己、大丈夫か?」

 半ば呆然と立ち尽くしていたところ、目の前の側近から声をかけられた。

「こうちゃん……そんなに、嫌味っぽかったかな。これ」

 投げつけられた御守を見ながら、苦笑した。
 苦手な属性と戦うときには、きっと役立つと思ったのだが。五感支配があれば、こちらの五感を研ぎ澄ますことも、相手の五感を奪うこともできる。光属性があれば、自分の力は増幅できる。そして、闇属性があれば、相手の力を無効化できる。
 そういうことじゃない、ということなのだろう。
 扉を叩く音がして返事をすれば、杏奈と神奈が入ってくる。

「ふたりとも」
「失礼する、どうだ?」
「神奈の言うとおり、拒否られたわ」
「ほらね、朱己姉! 枝乃は怒るって言ったじゃん! 無難にお菓子とかにしときなって」

 彼女らが部屋へ来るやいなや、賑やかになる執務室。
 昨日杏奈に相談した際、神奈からは嫌味と思われるかもしれないからやめたほうがと言われていた。
 それでも、次は助けられないかもしれないからと、側近の安全を優先させたいと言ったのは私だ。

「さすが神奈ね。何もしないほうがいいのかもしれないわね」

 諦めたように笑うと、神奈は首を振った。

「朱己姉、それは違うよ。枝乃は、本当はちゃんとわかってるけど、意固地になってるだけだと思うな」
「意固地……」

 その言葉が、杏奈と被った。

光兄こうにいが居るところで言うのは申し訳ないけど、枝乃は光兄のことが好きだったでしょ。やっかみだと思うよ」

 そこにいる全員が目を瞠った。
 一番瞠ったのは、神奈に光兄と呼ばれている、私の側近の彼だが。

「……だから、鈍感て……」

 彼がつぶやく。
 首を傾げれば、彼が先日、枝乃から鈍感と言われたことを教えてくれた。
 神奈は呆れたようにため息を吐いた。

「見てればわかるよ! 枝乃は昔から光兄が好きだったよ」
「そうだったのか。全然気づかなかった……」
「朱己も光兄も鈍感すぎ」

 それなら納得できる。彼女が冷たくなった時期も婚約した頃だ。
 感嘆の息が漏れた。

「神奈はすごいわね、お見通しなのね」
「枝乃はわかりやすいから、見てればわかるよ。きっと、朱己姉に力でも越されて、光兄も取られて、悔しかったんじゃないのかな。それと、寂しいのもあるのかも。ずっと一緒にいたのに、もう自分なんて必要ないのかもって」
「そんな……」

 そうかもしれない。
 枝乃には辛い思いをさせてきたのかもしれない。
 ずっと一緒に育ってきた彼女。
 父以外の家族ともろくに会えず、ほぼ監禁状態で修行漬けの日々を送っていた幼少期の私にとって、唯一ずっと一緒に修行させてもらえた、同年代の友であり好敵手は彼女だけだ。互いに互いを意識しない日などなかったし、それはこれからもそうだと信じて疑わなかった。
 枝乃。不安にさせてごめん。
 ちゃんと彼女に伝えなければ。
 私には、彼女しのが必要だと。
 
「枝乃を探しに行こう、こうちゃん」

 そう言った瞬間だった。
 隠密室が部屋の扉の前に気配を現した。

「入れ。何事だ?」

 少し苛立ちを滲ませて問えば、隠密室は部屋に入ったと同時に少しびくいてから答えた。

「先程、中央と地方の狭間にて、枝乃様が何者かに襲われました。そのまま消息か掴めません!」
「枝乃が!?」

 隠密室はすぐに居場所を投影した。
 すかさず覗き込めば、そこには既に何も無かった。

「敵に囚われた可能性が高い。こうちゃん、行こう! 杏奈、一緒に来て頂戴。神奈は隠密室と行動を解析、もし行き場が特定できたらすぐに連絡して!」
「御意!」

 そうして、私達は枝乃が連れらされた場所へ向かった。
 そこは、中央の東。
 杏奈が前へ出ると、手を前にかざした。

「開眼」

 周りの空気が脈打つように揺れた。
 波紋のように広がるそれは、ある一点だけ何も起きなかった。

「ここだな」

 何も起きなかった場所へ杏奈が触れれば、音もなく謎の扉が開く。

「空間を繋いだ狭間は、完全に消えるまでに時間がかかる。余程の手練でない限りはな。朱己、ここの先が敵の拠点らしい。行こう」
「ありがとう、杏奈。行きましょう」

 こうちゃんと目を見合わせて頷き、扉の中へ入った。
 扉の向こうは、石畳の空間だった。
 
『気をつけろ、変な臭いがする』

 こうちゃんが先陣を切り、その後を私と杏奈が進んでいく。視認性がいいこの空間は、どこから狙われてもおかしくない。杏奈が五感支配の能力で、敵から見えないように私達の姿を消したが、空間自体が能力である場合には、あまり意味がないだろうと、全員がわかっていた。

『血の、臭いがする』

 杏奈の念が聞こえた瞬間、全方向から槍が突き出てきた。
 こうちゃんが腕を振り、木々で壁を作る。
 槍は無秩序に木々を打ちのめしていく。

「きりがないな」
「こうちゃん、強行突破しよう。いち、にの、さん!」

 掛け声に合わせてこうちゃんが木々を消し去る。
 同時に炎の龍を出せば、槍はことごとく飲み込まれ、流体の金属となった。
 後から後から降り注ぐ槍を炎龍に相手をさせ、一気に走り抜ける。

「この先突き当りを右だ!」

 杏奈の透視で道に迷うことなく突き進む。

 その先にある扉を開ければ、そこには四肢を固定され胸に球体を突き立てられた枝乃がいた。

「枝乃……!」

 すぐ駆け寄ろうとすれば、目の前の枝乃から怒鳴られた。

「バカ来んじゃないわよ! これがわからないの!?」

 そう言って枝乃が顎で胸の球体を指す。

「それは……まさか!」

 こうちゃんが顔を青くした。
 その球体には、時刻が刻印されていた。
 残り、四半刻もない。

「時限爆弾。私のセンナに繋がれてる。私のセンナがある一定の残量になったら、センナごと爆破される仕組みになってるみたいね」

 全身傷だらけの枝乃は、半ば諦めたように笑っていた。

「センナから引き剥がすしかない! こうちゃん、行かせて!」

 私の腕を掴んでいる彼に、離すように言っても、彼は顔を青くしたまま手を離さない。
 まだ、魂解たまほどきも玉結たまむすびも、訓練中で扱えるわけじゃない。でも、センナには触れられる。なんとかできるかもしれないと信じて疑わなかった私を、彼は一言で無効化した。

「朱己。無理だ」

 目の前の彼が、言った。
 目を見開く。
 彼は、枝乃から視線をそらすことなく言ったのだ。

「あれは、昔ビライトで見たことがある。センナに連結した時点で、誰にも剥がすことはおろか、止めることもできない」
「止めることができない……」
「そしてあれは、爆発するとその場にいるセンナに余すことなく食らいつき、食いついたセンナが爆発するまで、そのセンナに巣くうんだ」
「つまり、爆発するまであんたたちがここに居たら、あんたたちも漏れなくこうなるってことよ。わかったら早く帰りなさい! ゴホッゴホッ」

 枝乃が、血を吐く。
 彼女の体力は残り幾ばくもないのがわかる。
 だからといって、枝乃をこのまま見殺しにするとでもいうのか。
 ずっと一緒に大きくなってきたのだ。
 ずっとそばで、一緒に強くなってきたのだ。
 私の、姉のような存在を。

「枝乃! いや、いや! 助ける!」

 こうちゃんの腕を振り払って走ろうとすれば、杏奈に体を硬直させられた。

「杏奈! なんで……っ行かせて!」
「朱己、無理だ! 朱己もわかってるだろう! 見ればわかるだろう!」

 何がわかるというのだ。
 何が。
 枝乃を見れば、枝乃の諦めた顔と、彼女のセンナ。
 センナに絡みつき、浸潤するその爆弾。
 杏奈は全属性ではないが、透視で朧気ながら爆弾が伸びる先にあるセンナの存在を確認できたのだろう。
 目の前にいるのに。こんなに近くに。
 助けられないのか。大切な友を。

「早く朱己を連れて行って、光蘭! 死なせたら承知しないわよ、私達の主なんだから!」

 その言葉に、こうちゃんが顔を歪めた。

「早く!」

 枝乃の頬に、涙が伝う。
 こうちゃんが、私の腕を引いて扉へ走り出した。

「待って、待って! こうちゃん! 枝乃が!」
「朱己! わかってくれ……!」

 私の腕を引くこうちゃんの声が、震えていた。
 わかっている。これが、きっと正しいのだ。
 だけど、納得できないのだ。
 助けられないのか。彼女を本当に見殺しにするのか。
 本当にここで見殺しにしていいのか。

「枝乃。せめて、痛覚は消してやる」

 杏奈が枝乃に施すのが、絶望を加速させた。
 嫌だ。まるで、死ぬ準備じゃないか。

「ありがとう、杏奈。悪いわね。……朱己を頼んだわ」
「ああ、心配するな。必ず守る」

 私の頬を濡らすそれが、視界を歪めた。
 酷く足元がふらついて、思うように走れない。

「枝乃……!」

 扉の手前で無理矢理振り返り、枝乃を見た。

「朱己! あんたは必ず生きなさい! 何を犠牲にしても必ず! 早く行って!」
「朱己! 時間がない、行くぞ!」
「枝乃! ごめん! 守れなくて……ごめん! 嫌だ、枝乃……っ」

 そして半ばこうちゃんに抱えられるようにして部屋を後にし、槍が降る中空間の狭間へ飛び込んだ。
 飛び込んだ直後、けたたましい爆発音が聞こえた。

「枝乃……っ!」

 もう叫んでも、届かない。
 気がつけば、ナルスについていた。
 放心状態の私を、二人が運んでくれた。
 そのまま薬乃のところへなだれ込み、言葉にならないままぐしゃぐしゃの顔で謝った。
 薬乃はただ無言で抱きしめてくれていた。
 私の、側近にならなければ、こんな死に方をしなくて済んだのかもしれない。
 幸せな人生を歩めたのかもしれない。
 大切な人に看取られて、生を終えることができたかもしれない。
 思っても仕方がない。
 仕方がないけど、思わずにはいられなかった。
 大切な人だった。
 失いたくなかった。ただそばにいてほしかった。

「朱己、二人も、ありがとうね。枝乃の望みを叶えてくれて。あなた達は生きて頂戴」

 薬乃の胸で崩れ落ちるように泣いた。
 泣く資格など私にはないのに。

 ーー「必ず生きなさい!」

 枝乃のその言葉が、脳裏に焼き付いて離れない。
 きっと一生、忘れることなどできないのだ。
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