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第一章 ナルス
懺悔と告白
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この書斎の目の前の狭い通路では、大振りな技は不向きだ。項品の手刀は闇属性。触れれば切り落とされ、再生に時間がかかる。
彼の攻撃を避けつつ、姿勢を低くしながら地面を蹴る。
項品の懐に入ることができれば早いのだが、守りが固い。
ここで剣や炎龍で戦うよりも、項品のように肉弾戦か、遠隔の二択が有利だ。ただ、不安がある。右手の義手がない。闇属性の呪符もない。つまり力がダダ漏れである。無駄な浪費だけではなく、普段抑制された状態で力を扱っているため、かなり出力調整が難しい。
早く終わらせなければ、体が保たない可能性もある。わかっているように弟は間合いを詰め斬りかかってくる。
「姉上! そんなに、この腐った国が大切ですか!」
悲痛な叫びにも似た、弟の声。
攻撃を受け止めながら弟を見つめる。
「この国がなければ、この国がこんな国でなければ! 力を持つ者が強者となり、力がない者が弱者となるだけの世界になれば! こんな血塗られた国のように、名前で縛られることもない! 自分次第の人生になるのに!」
言いたいことは痛いほどわかる。
名を貰えなかった人の人生。
名を貰ってしまった私の人生。
存在を疎まれる者たちの人生。
能力に恵まれなかった者たちの人生。
親から愛された者の人生。
親から愛されたかった者の人生。
生まれたからには、差別などあってはならない。
わかっている。だからこそ、だからこそ。
「この国は私が変えて見せる! 必ず!」
だから。だからもう少しだけ。
斬撃を跳んで避けながら、下がれば背後は壁。
「避けてるだけでは勝てませんよ姉上!」
項品が私に右手を突き刺そうとした瞬間。項品の背後、私の目の前の窓から、彼に向かって熱線が降り注ぐ。
「ぐっ……!」
すぐに影になる壁へ避けたが、浴びた背面は酷く爛れていた。その熱線は姉にも降り注ぎ、顔を抑えて悲鳴を上げている。
「朱己様……!」
朱公が近づいてきて、二人を前に構えた。
「あの姉様相手に、よく頑張ったわね」
朱公は小さく頷いて笑った。
「項品、姉様。ここは引いてください。伯父上の命令であるなら、伯父上にお伝えを。この国は、渡しません」
目の前で呻く彼らは、こちらを睨んでいた。傷が相当痛むだろうが、今なら致命傷にはならないはずだ。
血の繋がった姉弟とはいえ、ここを通すわけには行かない。
そして、私自身も早く右手の義手をつけなければそろそろ危ない。体が悲鳴を上げているのがわかる。
「こら、ふたりとも。何を休んでるんだい」
聞こえた声は、今一番聞きたくない声だった。
ぞわりと背中を悪寒が走る。
目の前で呻く姉弟の奥に見えるのは、紛れもなく元婚約者の仇だった。
「時雨伯父上……!」
時雨伯父上は、こちらを見るやいなや、不気味な笑顔でこちらに血塗れの扇子を投げてきた。
見覚えのある扇子。
葉季のもの。
思わず視線を伯父上に合わせれば、伯父上は笑いながら弟たちの肩を叩いていた。
「葉季は手強かったよ。今頃、センナが朽ちている頃だとは思うがね」
動悸がする。目眩もする。
いや、これが伯父上の狙いだとしたら。
心を揺さぶることは、センナを揺さぶることと同義。センナが揺れれば、容易く手折れる。
しっかりしろ、私。
「白蓮たちも一瞬で消えた。さあ、朱己。私達と来なさい」
手を差し出してくる伯父上は、不気味な笑顔のまま。頑なに拒否すれば、朱公も臨戦態勢に入った。
「残念だよ、朱己。共にいい国が創れると思ったんだがね」
吹き荒れる突風は、容赦なく体を押さえつけ、切り刻んでいく。
「くっ……」
左手を横に振れば、炎が風をかき消す。
しかし、出力がうまく制御出来ずに炎が揺らげば、風がすぐに炎を巻き上げて火柱を立てた。
「なっ」
「朱己。炎は風と相性がいい。習わなかったか」
私の炎を織り込んで、倍以上にして返してくる。
咄嗟に朱公と避ければ、今までいたところは灰と化した。
「朱己。君のセンナを、いただくよ」
体が力をうまく抑えられていない。右手の義手がないばかりに、伯父上にこんなところで負けてしまうのか。義手がないと、力を抑えることもできないのか。
闇属性を全力で右手に集める。一か八か。
何もしないで、センナを奪われるよりマシだ。
「無駄な足掻きだ、朱己」
伯父上が地面を蹴った。
一気に右腕の先、義手があるであろう場所に闇属性を集中させ、練り上げていく。
「くっ……うう……!」
間に合え、私の右手。
伯父上が目の前に見える。
伯父上の左腕は、力を纏い輝いていた。
私の胸に突き刺さるであろう伯父上の左腕。
思わず目を閉じかければ。
伯父上の腕は、目の前で朱公の胸を貫いた。
舞い上がる血しぶきは、朱公の髪よりも紅かった。
「朱公!」
「朱己……様! お早く!」
朱公の言葉にはっとして、右手の力を極限まで高めれば。闇属性を放出し続ける、腕の形をした何かが右手の先にできた。これで、自分の力を闇属性で相殺し続けることができる。
ただし、いつまで保つかはわからない。体の限界が先にくる可能性もある。兎にも角にも、早く終わらせなくては。
目の前の伯父上は、朱公を見て少しだけ驚いた顔をしていた。
「……貴様……」
朱公は少しだけ笑ってみせた。
「時雨様。……私は、私の今の主は、朱己様です」
まるで親しい仲かのように、されど敵同士として話す二人に、しばし瞠目した。
「朱己様、申し訳ございません。……一つだけ、隠していた事実が、ございます。私は、時雨様に試験的に作られた、人工的なセンナを持つ霊獣。元六芒の一人です。朱己様の元へ忍び込むことを命令され、あの村へ参りました」
「!」
息が詰まる。
ーーすみません、わかりません。
あの南の果ての村での、あれらはすべて演技だったのか。そして、時雨伯父上からの一筆箋。あの時、彼女らのセンナを読まなかったのは自分だ。
目の前の時雨伯父上は、心底嫌そうな顔をして朱公を睨んでいた。
「貴様のような出来損ないは、元であっても六芒を名乗ることはあってはならん。恥だ」
「出来損ないであろうと、事実です。あれから、朱己様へお仕えし、貴方のように駒としてではなく、一人の側近として扱ってくださる朱己様を、本当の主と慕うようになりました」
朱公は突き刺さった伯父上の腕を引き抜き、切りかかった。伯父上は腕を犠牲に避けると、後ろへ数歩飛んだ。
「私の今の主は、朱己様ただお一人。私の名前に朱が入っているのも、朱己様のセンナを模擬して作った試作品だから、でしたね」
朱公は玉で傷を治すが、中々塞がらない。
朱公に刻まれた傷は覚えがある。以前夏能殿から受けた私の傷と同様に、闇属性が練り込まれた傷。すぐに駆け寄れば、朱公は笑顔で私を止めた。
「朱己様。私は、元々朱己様の敵。欺いていた側です。技も会得しているのに、わざと使えないふりをしておりました。治療など施される訳にはいきません」
「関係ない! 今私を主と言ってくれるのであれば、関係ない。朱公は光属性だ、この闇属性の影響は強い」
傷口に右手を添えれば、闇属性を放出し続けている右手と、朱公の傷口の闇属性は融和を始め、きれいに抜き取られた。
同時に傷も綺麗に治っていく。
相当練り上げた私の右手と、同じ出力の闇属性があの一瞬で練り込まれたなんて、恐ろしい話だ。
「くっあははははははははははは」
突然高笑いを始める伯父上を見れば、顔は笑いすぎたためか真っ赤に染まり、背後には闇が無限に広がっている。
「朱己様。時雨様は後付けのセンナが各属性一つずつあります!」
聞き間違いだと思うほど恐ろしいことだ。
各属性、一つずつ。
化け物だ。目の前の男は、もはや人ではなくなっていた。
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