朱色の雫

弦景 真朱(つるかげ しんしゅ)

文字の大きさ
上 下
64 / 239
第一章 ナルス

懺悔と告白

しおりを挟む

ーーー

 この書斎の目の前の狭い通路では、大振りな技は不向きだ。項品の手刀は闇属性。触れれば切り落とされ、再生に時間がかかる。
 彼の攻撃を避けつつ、姿勢を低くしながら地面を蹴る。
 項品の懐に入ることができれば早いのだが、守りが固い。
 ここで剣や炎龍で戦うよりも、項品のように肉弾戦か、遠隔の二択が有利だ。ただ、不安がある。右手の義手がない。闇属性の呪符もない。つまり力がダダ漏れである。無駄な浪費だけではなく、普段抑制された状態で力を扱っているため、かなり出力調整が難しい。
 早く終わらせなければ、体が保たない可能性もある。わかっているように弟は間合いを詰め斬りかかってくる。

「姉上! そんなに、この腐った国が大切ですか!」

 悲痛な叫びにも似た、弟の声。
 攻撃を受け止めながら弟を見つめる。

「この国がなければ、この国がこんな国でなければ! 力を持つ者が強者となり、力がない者が弱者となるだけの世界になれば! こんな血塗られた国のように、名前で縛られることもない! 自分次第の人生になるのに!」

 言いたいことは痛いほどわかる。
 名を貰えなかった人の人生。
 名を貰ってしまった私の人生。
 存在を疎まれる者たちの人生。
 能力に恵まれなかった者たちの人生。
 親から愛された者の人生。
 親から愛されたかった者の人生。
 生まれたからには、差別などあってはならない。
 わかっている。だからこそ、だからこそ。

「この国は私が変えて見せる! 必ず!」

 だから。だからもう少しだけ。
 斬撃を跳んで避けながら、下がれば背後は壁。

「避けてるだけでは勝てませんよ姉上!」

 項品が私に右手を突き刺そうとした瞬間。項品の背後、私の目の前の窓から、彼に向かって熱線が降り注ぐ。

「ぐっ……!」

 すぐに影になる壁へ避けたが、浴びた背面は酷く爛れていた。その熱線は姉にも降り注ぎ、顔を抑えて悲鳴を上げている。

「朱己様……!」

 朱公が近づいてきて、二人を前に構えた。

「あの姉様相手に、よく頑張ったわね」

 朱公は小さく頷いて笑った。

「項品、姉様。ここは引いてください。伯父上の命令であるなら、伯父上にお伝えを。この国は、渡しません」

 目の前で呻く彼らは、こちらを睨んでいた。傷が相当痛むだろうが、今なら致命傷にはならないはずだ。
 血の繋がった姉弟とはいえ、ここを通すわけには行かない。
 そして、私自身も早く右手の義手をつけなければそろそろ危ない。体が悲鳴を上げているのがわかる。

「こら、ふたりとも。何を休んでるんだい」

 聞こえた声は、今一番聞きたくない声だった。
 ぞわりと背中を悪寒が走る。
 目の前で呻く姉弟の奥に見えるのは、紛れもなく元婚約者の仇だった。

「時雨伯父上……!」

 時雨伯父上は、こちらを見るやいなや、不気味な笑顔でこちらに血塗れの扇子を投げてきた。
 見覚えのある扇子。
 葉季のもの。
 思わず視線を伯父上に合わせれば、伯父上は笑いながら弟たちの肩を叩いていた。

「葉季は手強かったよ。今頃、センナが朽ちている頃だとは思うがね」

 動悸がする。目眩もする。
 いや、これが伯父上の狙いだとしたら。
 心を揺さぶることは、センナを揺さぶることと同義。センナが揺れれば、容易く手折れる。
 しっかりしろ、私。

「白蓮たちも一瞬で消えた。さあ、朱己。私達と来なさい」

 手を差し出してくる伯父上は、不気味な笑顔のまま。頑なに拒否すれば、朱公も臨戦態勢に入った。

「残念だよ、朱己。共にいい国が創れると思ったんだがね」

 吹き荒れる突風は、容赦なく体を押さえつけ、切り刻んでいく。

「くっ……」

 左手を横に振れば、炎が風をかき消す。
 しかし、出力がうまく制御出来ずに炎が揺らげば、風がすぐに炎を巻き上げて火柱を立てた。

「なっ」
「朱己。炎は風と相性がいい。習わなかったか」

 私の炎を織り込んで、倍以上にして返してくる。
 咄嗟に朱公と避ければ、今までいたところは灰と化した。

「朱己。君のセンナを、いただくよ」

 体が力をうまく抑えられていない。右手の義手がないばかりに、伯父上にこんなところで負けてしまうのか。義手がないと、力を抑えることもできないのか。
 闇属性を全力で右手に集める。一か八か。
 何もしないで、センナを奪われるよりマシだ。

「無駄な足掻きだ、朱己」

 伯父上が地面を蹴った。
 一気に右腕の先、義手があるであろう場所に闇属性を集中させ、練り上げていく。

「くっ……うう……!」

 間に合え、私の右手。
 伯父上が目の前に見える。
 伯父上の左腕は、力を纏い輝いていた。
 私の胸に突き刺さるであろう伯父上の左腕。
 思わず目を閉じかければ。
 伯父上の腕は、目の前で朱公の胸を貫いた。
 舞い上がる血しぶきは、朱公の髪よりも紅かった。

「朱公!」
「朱己……様! お早く!」

 朱公の言葉にはっとして、右手の力を極限まで高めれば。闇属性を放出し続ける、腕の形をした何かが右手の先にできた。これで、自分の力を闇属性で相殺し続けることができる。
 ただし、いつまで保つかはわからない。体の限界が先にくる可能性もある。兎にも角にも、早く終わらせなくては。
 目の前の伯父上は、朱公を見て少しだけ驚いた顔をしていた。

「……貴様……」

 朱公は少しだけ笑ってみせた。

「時雨様。……私は、私の今の主は、朱己様です」

 まるで親しい仲かのように、されど敵同士として話す二人に、しばし瞠目した。

「朱己様、申し訳ございません。……一つだけ、隠していた事実が、ございます。私は、時雨様に試験的に作られた、人工的なセンナを持つ霊獣。元六芒の一人です。朱己様の元へ忍び込むことを命令され、あの村へ参りました」
「!」

 息が詰まる。
 ーーすみません、わかりません。
 あの南の果ての村での、あれらはすべて演技だったのか。そして、時雨伯父上からの一筆箋。あの時、彼女らのセンナを読まなかったのは自分だ。
 目の前の時雨伯父上は、心底嫌そうな顔をして朱公を睨んでいた。

「貴様のような出来損ないは、元であっても六芒を名乗ることはあってはならん。恥だ」
「出来損ないであろうと、事実です。あれから、朱己様へお仕えし、貴方のように駒としてではなく、一人の側近として扱ってくださる朱己様を、本当の主と慕うようになりました」

 朱公は突き刺さった伯父上の腕を引き抜き、切りかかった。伯父上は腕を犠牲に避けると、後ろへ数歩飛んだ。

「私の今の主は、朱己様ただお一人。私の名前に朱が入っているのも、朱己様のセンナを模擬して作った試作品だから、でしたね」

 朱公は玉で傷を治すが、中々塞がらない。
 朱公に刻まれた傷は覚えがある。以前夏能殿から受けた私の傷と同様に、闇属性が練り込まれた傷。すぐに駆け寄れば、朱公は笑顔で私を止めた。

「朱己様。私は、元々朱己様の敵。欺いていた側です。技も会得しているのに、わざと使えないふりをしておりました。治療など施される訳にはいきません」
「関係ない! 今私を主と言ってくれるのであれば、関係ない。朱公は光属性だ、この闇属性の影響は強い」

 傷口に右手を添えれば、闇属性を放出し続けている右手と、朱公の傷口の闇属性は融和を始め、きれいに抜き取られた。
 同時に傷も綺麗に治っていく。
 相当練り上げた私の右手と、同じ出力の闇属性があの一瞬で練り込まれたなんて、恐ろしい話だ。

「くっあははははははははははは」

 突然高笑いを始める伯父上を見れば、顔は笑いすぎたためか真っ赤に染まり、背後には闇が無限に広がっている。

「朱己様。時雨様は後付けのセンナが各属性一つずつあります!」

 聞き間違いだと思うほど恐ろしいことだ。
 各属性、一つずつ。
 化け物だ。目の前の男は、もはや人ではなくなっていた。

しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

家の猫がポーションとってきた。

熊ごろう
ファンタジー
テーブルに置かれた小さな瓶、それにソファーでくつろぐ飼い猫のクロ。それらを前にして俺は頭を抱えていた。 ある日どこからかクロが咥えて持ってきた瓶……その正体がポーションだったのだ。 瓶の処理はさておいて、俺は瓶の出所を探るため出掛けたクロの跡を追うが……ついた先は自宅の庭にある納屋だった。 やったね、自宅のお庭にダンジョン出来たよ!? どういうことなの。 始めはクロと一緒にダラダラとダンジョンに潜っていた俺だが、ある事を切っ掛けに本気でダンジョンの攻略を決意することに……。

収奪の探索者(エクスプローラー)~魔物から奪ったスキルは優秀でした~

エルリア
ファンタジー
HOTランキング1位ありがとうございます! 2000年代初頭。 突如として出現したダンジョンと魔物によって人類は未曾有の危機へと陥った。 しかし、新たに獲得したスキルによって人類はその危機を乗り越え、なんならダンジョンや魔物を新たな素材、エネルギー資源として使うようになる。 人類とダンジョンが共存して数十年。 元ブラック企業勤務の主人公が一発逆転を賭け夢のタワマン生活を目指して挑んだ探索者研修。 なんとか手に入れたものの最初は外れスキルだと思われていた収奪スキルが実はものすごく優秀だと気付いたその瞬間から、彼の華々しくも生々しい日常が始まった。 これは魔物のスキルを駆使して夢と欲望を満たしつつ、そのついでに前人未到のダンジョンを攻略するある男の物語である。

稀代の悪女として処刑されたはずの私は、なぜか幼女になって公爵様に溺愛されています

水谷繭
ファンタジー
グレースは皆に悪女と罵られながら処刑された。しかし、確かに死んだはずが目を覚ますと森の中だった。その上、なぜか元の姿とは似ても似つかない幼女の姿になっている。 森を彷徨っていたグレースは、公爵様に見つかりお屋敷に引き取られることに。初めは戸惑っていたグレースだが、都合がいいので、かわい子ぶって公爵家の力を利用することに決める。 公爵様にシャーリーと名付けられ、溺愛されながら過ごすグレース。そんなある日、前世で自分を陥れたシスターと出くわす。公爵様に好意を持っているそのシスターは、シャーリーを世話するという口実で公爵に近づこうとする。シスターの目的を察したグレースは、彼女に復讐することを思いつき……。 ◇画像はGirly Drop様からお借りしました ◆エール送ってくれた方ありがとうございます!

学園の聖女様はわたしを悪役令嬢にしたいようです

はくら(仮名)
ファンタジー
※本作は別ペンネームで『小説家になろう』にて掲載しています。 とある国のお話。 ※ 不定期更新。 本文は三人称文体です。 同作者の他作品との関連性はありません。 推敲せずに投稿しているので、おかしな箇所が多々あるかもしれません。 比較的短めに完結させる予定です。 ※

赤い瞳を持つ私は不吉と言われ、姉の代わりに冷酷無情な若当主へ嫁ぐことになりました

桜桃-サクランボ-
恋愛
赤い瞳を持ち生まれた桔梗家次女、桔梗美月。 母と姉に虐げられていた美月は、ひょんなことから冷酷無情と呼ばれ、恐怖の的となっている鬼神家の若当主、鬼神雅に嫁ぐこととなった。 無礼を働けば切り捨てられる。 そう思い、緊張の面持ちで鬼神家へ行く美月。 だが、待ち受けていたのは、思ってもいない溺愛される日々。 口数が少ない雅との、溺愛ストーリー!! ※カクヨム&エブリスタで公開中 ※ ※がタイトルにある話は挿絵あり  ※挿絵は、清見こうじさん

ゆとりある生活を異世界で

コロ
ファンタジー
とある世界の皇国 公爵家の長男坊は 少しばかりの異能を持っていて、それを不思議に思いながらも健やかに成長していた… それなりに頑張って生きていた俺は48歳 なかなか楽しい人生だと満喫していたら 交通事故でアッサリ逝ってもた…orz そんな俺を何気に興味を持って見ていた神様の一柱が 『楽しませてくれた礼をあげるよ』 とボーナスとして異世界でもう一つの人生を歩ませてくれる事に… それもチートまでくれて♪ ありがたやありがたや チート?強力なのがあります→使うとは言ってない   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 身体の状態(主に目)と相談しながら書くので遅筆になると思います 宜しくお付き合い下さい

処理中です...