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第一章 ナルス

六芒の千鳥と宣戦布告(下)

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 思わず顔が歪む。
 母の姿こそないが、やすやすと殺される母ではない。なんたって、あの母だ。
 千鳥が勢いよく地面を蹴ってこちらへ跳んで来ようとしたように見えた。
 しかし、それは叶わなかった。
 千鳥の体中を貫いて捕えている弦。
 千鳥はその場を動くことさえできない。

「なっ……なにこれ……おばさんの仕業? 燃やした、のに?」

 千鳥は燃やしたはずの母の焦げ跡を見る。
 そこに母の姿はない。焦げた、何かだけだ。

「残念ながら、私は燃えていませんよ」
「おばさん、生きてたの」

 いつの間にか無傷で現れる母は笑顔で頷く。
 そして指を弾けば、千鳥は一瞬で血塗れになった。

「ぎゃあぁあ……っ!」

 これでも遠慮していると言わんばかりに、母は千鳥に近づいて微笑む。

「さっきから、おばさんおばさんと、不躾なのはいけませんよ。撤回してください」

 撤回するまで指を鳴らすつもりなのか、その度引き裂かれていく千鳥の体。

「うぇええぇえぇ! ごめんなさい許してぇえぇぇぇえっ」
「良いですよ」

 母はその謝罪の言葉を聞くやいなや、千鳥を捕らえていた弦をすべて消した。
 泣いて謝るのを見ていると、本当に子どものように見えてきた。実際の年齢は知らないが。敵にかける情けはないが、溢れるため息はどことなく視覚情報から得る仮初めの罪悪感のせいだろう。黙ったまま、母の次の動きを待った。
 千鳥は地面に崩れ落ちるように座ると、しばらく何かを小声でぶつぶつと言っていた。

「……さない、許さない、許さない……この僕のことをこんなに傷つけてぇえぇぇぇえ! このくそババア」

 同時に母のいる場所が円状に溶けた。
 否、母がいた場所だ。
 辺りを見渡せば、口の前で指を立ててこちらに笑顔を向ける母がいた。

「しーって……母上……」

 また自分の眉間に皺がよっている気がする。
 母は完全に遊んでいる。

「どこだよくそババア!」

 どんどん色んな所を溶岩のようなドロドロのもので溶かし、埋め尽くしていく千鳥。
 その顔は真っ赤で、それが血のせいなのか怒りでなのか、そういう仕様なのかはもはやわからない。

「口の聞き方を知らないようですね、千鳥くん」

 笑顔で千鳥の背後に立つ母は、笑顔とは裏腹なほど力の籠もった手で、千鳥の首根っこを押さえた。

「いけませんよ、ババアも。謝れば許します」

 笑顔のはずなのに恐怖を煽る。
 こちらまで背中が冷たくなるほどに。

「離せよくっっっっそババア!!」

 ああ、命知らずなやつだ。
 思わず顔に手を当てる。

「残念です」

 母から笑顔が消えた。
 同時に千鳥の首は飛び、頭は破裂した。恐らく飛び散ったのは脳みそとかそういうものだろう。
 よく見れば、飛び散ったのは脳みそだけではない。体も、完膚なきまでに粉々になっている。
 千鳥のセンナはまだ無事なのか、体は再生しようとしているようにも見える。しかし、ことごとく母が破壊し続けている。
 指の先に見えるか見えないかくらいの糸のようなものが微かに光り、弦を弾いているのがわかる。

 これが、音を操る音尉ねいの力。
 もはや木っ端微塵の千鳥は、声さえも出せない。
 母は真顔でその姿を眺めている。
 目が離せなくなり、視野が狭くなっていることに気づいたときには、見事に跡形もなくなっていた。
 母の元へと移動しようとした瞬間、奥の影から聞こえた声。

「随分と派手に見せしめにしたようだな? 法華」

 母が静かに物陰を見る。
 母の目には殺気しか宿っていなかった。

「……時雨、お久しぶりです」

 奥から現れたのは、まごうことなき時雨伯父上だった。思わず母の隣へ移動すれば、母はこちらを一瞥してすぐに伯父上へ向き直った。

「貴方が来ると思っていました。どこまでやれば出てくるか、と思っていましたが。意外と遅かったですね」

 伯父上はにたにたと笑っていた。
 この笑顔、まさか。

「もとより、助ける気はなかった、ということですか」

 どうやら母も同じことを考えていたらしい。
 既に千鳥は随分とセンナを消耗したようで、もう肉片がくっつき合わない。放っておけば、数刻もせずセンナが朽ちるだろう。

「弱いやつは、どうして弱いかわかるか? 法華。お前は頭がいいから、わかるだろう」

 伯父上は面白がっている。味方であるはずの、千鳥のこの姿を。そして、ゴミを見るかのような目で千鳥の肉片を見れば、転がっていた肉片を蹴り飛ばした。

「弱いやつは、自分に負けるんだよ」

 伯父上を無言で睨んでいる母の視線だけで、数人は殺せそうだ。普段の母からは全く見当もつかない、父よりも冷たく鋭い目。

「弱いやつは、そこまでだ。価値がない。代わりなどいくらでもいる」

 胸くそ悪い話を目の前でされれば、自然と眉間に皺がよるというものだ。

「百夜。お前もそう思うだろう。お前の弟のように、下賤な者は殺される。そして、朱己こそが最高峰だ。最高傑作のセンナ。あれを使って、国を一から作る」

 高笑いをする伯父上。
 伯父上の発言にかき乱され、荒れ狂う海のような心を隠すために手を握りしめる。
 母の手が俺の手に触れた。
 反射的に母を見れば、いつもの笑顔だった。

「百夜。貴方の血の繋がった弟たちは、下賤な者ではありません。光蘭も、光琳も。あの男の言葉に惑わされてはいけない」

 思わず目を見開く。母の言葉が、脳内に直接語りかけてくるかのような、不思議な感覚と謎の安心感。不思議と心が凪いでいく。
 母は伯父上を睨んで言った。

「朱己は渡しません。私達の娘。道具のように扱おうとする貴方になど、渡しません」

 伯父上の笑顔が消えた。
 そして伯父上が手を上げれば、伯父上の背後に突如現れる数多の兵士。

「ビライトに戦争を申し込むことになると、わかっているのか?」

 ビライト。自分が生まれた場所。
 そして、生まれたばかりの自分を殺そうとした国。
 それを助けてくれた、血の繋がらない父と母。
 血の繋がった父と母も、今はナルスにいる。

「ビライトと戦争をすることになっても、渡しません」

 母が言い切ると同時に、伯父上の背後の兵士たちは容赦なく銃を放つ。
 無限に降り注ぐ銃弾は、我々を襲う。
 思わず顔を伏せ目を瞑った。
 蜂の巣になるはずの体は、無事だった。
 目を開ければ、驚いた顔の母が隣りにいた。

「ったく、ここで登場する予定じゃなかったんだがよ」

 眼の前ですべての銃弾を無効化した、闇属性の男。

「おい、無事か」

 振り返るその琥珀色の髪の毛は、見覚えしかない。

「か……夏能、殿」

 思っていた以上に、呆けた声が出た。
 母も信じられないというような、しかしどこか安堵しているような顔をして、夏能殿を見つめていた。
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