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第一章 ナルス
香卦良との対面
しおりを挟むーー「一人で行け。触れられる程に近づくな」
父様は、なぜあえて念押ししたのだろう。もしかして、怪物か何かなのだろうか。父に言われたとおり、二条家の古い書斎の奥の本棚に来ると、本当に毛色の違う本があった。
「これね」
奥に差し込むと、本当に謎の空間に続く穴が現れた。少し躊躇しつつも、意を決して穴をくぐる。
穴の先には実験室のような、手術室のような機械や器具の置いてある空間があった。薬品の独特な匂いの立ち込める空間は、奥に扉があり、どうやら奥へ続いているようだった。
「……ここは、何なのかしら……薬乃の治療室とも違うわね」
一番薬品を取り扱う身近な人といえば薬乃だが、彼女の治療を受ける際に通される治療室は、こんなに器具や機械はおいていない。
「とりあえず……ここにはいなさそうだし、奥に行ってみるしかなさそうね」
奥の扉を開けると、そこは「無」だった。
思わず目を瞠る。一気に汗が背中を伝う。
なにもない。空間がちぎられているようだ。
真剣に頭の中で考えを巡らせる。
「誰だ」
「……!」
どこからともなく聞こえてきた声に、肩がはねた。罠かと構えてから、下手に動いて戦闘になる方がまずいと考えを改める。
「……長である壮透の娘、朱己です。……香卦良様ですか」
なにもない眼の前の無に向かって話しかける。
しばらくすると、足元に薄氷のように歩いたら割れそうな通路が出現した。
「通れ」
名乗らない声の主は、本当に香卦良という者なのか疑いながらも、言われたとおり割れそうな通路に足をかけた。
その瞬間思ったとおり通路は割れ、足を置いた通路だったものの欠片が無の空間へ消えていった。
咄嗟に足元が崩れる瞬間に風属性の力で体を浮かせ事なきを得たが、全く手荒な歓迎だ。行かないことには会えないということに変わりはないため、体を浮かせたまま通路の上を歩いていく。
あるところまで歩くと、急に視界が開け、牢屋のような殺風景の部屋になっていた。
眼の前には、簡素な部屋。
一人の若い男。腕など、見えるところだけでもかなりの痣や注射痕のようなものがあり、痛ましい印象を受ける。薄浅葱色の髪を、朱色の組紐で結い上げた男は、ゆっくりとこちらを見て微笑んだ。
「ようこそ、朱己。よくたどり着いた」
「……手厚い歓迎、痛み入ります。香卦良様ですね?」
皮肉も込めてそう返すと、眼の前の男はくつくつと笑った。
「すまないね、子孫の力量は定期的に確認したい質なんだ。いかにも、私が香卦良だ」
「子孫……?」
「私が、何者か気になるようだね」
思わず顔がこわばる。
心を読まれている。純粋にそう思った。
少しだけ汗ばんだ手は、緊張故なのか、それとも畏怖なのか。無意識にじっと見つめると、香卦良は静かに手招きした。
「教えてあげよう。こちらへ来なさい。お前の目的も知っている……ごほっごほっ」
「大丈夫ですか?!」
目の前で突然血を吐く香卦良に、反射的に近づいて体を支える。
「これを」
近くにあった水を手渡すと、水ではなく手を掴まれ、その場に押し倒された。
「なっ……」
「吐血はいつものことだから心配はいらない。お前の目的は、私の子種だろう。……案ずるな、すぐ終わる」
馬乗りになる香卦良は、口の端から血を流しながら顔を近づけてきた。咄嗟に思い切り顔を叩き飛ばすと、香卦良は勢いよく転がって、その場でまたむせた。
「いきなりなんですか!」
「げほっげほっ……叩かれるなんて、久々だ。目的は子種じゃないのか?」
「違います!」
違うと言われたことが余程意外だったのか、香卦良はしばらく口を押さえながら、目をぱちくりさせていた。しばらくそのまま頭の整理をしたようで、こちらに改まって向き直ってきた。
「……そうか、それは失礼した。二条家の女人が私のもとに来るのは、いつも子種のためだったから……てっきりそうなのかと思ったんだ。近づいてきたしな」
「子種……をもらいに、ですか?」
「ああ。お前は壮透から本当に何も聞いてないんだな。そもそも、子種目的じゃない女人は、触れられる程近くには来ない」
そう言われてはっとする。
触れられる程に近づくな。
「あっ……」
「なんだ、言われていたのか?」
もっと言い方があっただろう、と父に初めての悪態を心のなかでつくが、今となってはもう遅い。
「私は目の前で吐血した人を放っておけなかっただけです。……貴方が何者か、教えていただけませんか?」
香卦良は床からこちらを少しだけ見た後、立ち上がったかと思えば古びた椅子に腰掛け、私にも向かいの椅子に腰掛けるように言った。
「お前は優しい子だね。私は、ナルス建国の長、冠と祭の弟だ。姉らの死後、継いだ長の実験台にさせられたことによって、永遠に死ねないセンナを手に入れた。もう数千年は生きている」
「なっ……初代の……弟……」
言葉を失う。
センナは破壊されるか病気等で消滅しない限りは消えないが、肉体は違う。
センナの能力が顕出した者であれば、数百年~千年もすれば肉体は滅び、センナは新たな肉体が得られるまで、隠密室の格納庫に格納される。
センナの能力が顕出していない人間はそれよりも短く、百年も経たずに肉体が朽ち果てる。
「時の長の人体実験により、不老不死のセンナと肉体を手に入れさせられた。そして、歴代の長は、センナの研究を、ずっと私のセンナで行っている」
「センナの……研究……」
これは、私の研究の紙束だ。
眼の前の香卦良の体にある、無数の痣や注射痕。袖から出た腕を見ただけでもかなりの数だ。恐らく服を脱いだらもっとあるだろう。
「ん、服の中が気になるなら見せるか?」
「冗談はやめてください」
得体のしれないおぞましいことが、自分の知らないところで、こんなにも行われていたという、恐怖と嫌悪。思わずこみ上げる吐き気を、手で口を押さえながら必死に耐える。
香卦良は静かに、水をこちらに差出した。
「どんな研究をしているか知りたいか? ことの発端は、不老不死になりたかった長が、躍起になって研究を始めたことだな。我々は、元来不老不死ではない……センナは朽ちずとも、肉体は朽ちる。ところで、朱己……何故肉体が朽ちるか、知っているか?」
「……輪廻による、センナの浄化のため、ではないのですか?」
香卦良は目をそらさずに言った。
「センナが罪で汚れようと、別に肉体に影響はない。心が保てなくなったとき、センナは体を崩壊させるようになっている」
初めて聞く事柄を、必死に頭に叩き込むが、すでに自分の許容範囲を超え始めている。頭が痛い。頭を手で支えるが、何も変化など起きるはずもない。
「生き続けることへの恐怖や絶望、生への執着がなくなったとき、センナが体を破壊する。そしてセンナは輪廻のために、格納庫に組み込まれる。輪廻によるセンナの浄化は、副産物だ。ただ、それがわかったのは、私や、他の罪人のセンナを使った実験の結果だ」
副産物。
目的だと思っていたものが、副産物だったとは。
そして、実験に使われていたのは香卦良だけではないらしい。
それさえも、腹の奥底で渦巻く嫌悪を増幅させるには十分だ。
「実験に使われた者たちは、みな等しくセンナが崩壊していったり、肉体が朽ちてセンナが回収されていった。だが、私は突然変異か何かで死ねない体になってしまったことで、その輪廻に組み込んで貰えなくなった。心が疲れても、センナが肉体を手放さない」
それが現実なら、途方もない、絶望にまみれた世界なのではないかと思ってしまう。
香卦良の生きる現実を思うと目の前が真っ暗になる。
「……朱己、お前は優しい。センナが揺れている。これ以上は今日は話さない。恐らく体に支障をきたす。もしそれでも聞きたくなったら、またおいで」
大事なことをまだ聞いていないのに、確かに自分には、今これ以上のことを受け止める容量は残っていない。よろける体を必死に支えながら立ち上がり、香卦良に向き直る。
「すみません……また、来ます」
「ああ。待っているよ。愛しい子孫」
目の前の彼は、笑顔だった。
見た目は、私と同じくらいなのに。背負っているものが違いすぎる。
香卦良の部屋を後にして手術室のような部屋にたどり着くと、この空間に繋がっている穴が出現した。どうやら、この部屋に戻ってくると、自動であの書斎に戻れるらしい。
父のところへ行くべきなのだろうが、とてもそんな気にはなれなかった。
まだ、知らないことが沢山ある。このナルスには。それが、何よりも恐ろしい事実だった。
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