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第一章 ナルス

裏切りの昔話

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 自分の手さえ見えない闇の中で、聞こえる声。

「……朱己」

 遠くから呼ばれている気がする。わからない、誰だろうか。聞きたいが、どうやら私は今声が出せないらしい。とても息苦しく、金縛りにあっているように全く身動きが出来無い。
    段々と声が近くなってきて、やっと声の主に気がつく。

「朱己。ーー殺してくれ」

 その一言に心臓が跳ねて、一気に意識が戻り飛び起きた。早くなった鼓動を落ち着けるように胸に手を当てて深呼吸するが、中々呼吸が整わない。
 気温は暑くもないのに、全身汗まみれで、まだ暗いのを見るからに、寝てから時間はそう経ってないようだ。
 ため息を吐きながら、額に手を当ててしばらく目を瞑っていると、扉をノックする音がした。こんな夜更けに、と思いながら扉の方を見て返事をする。

「誰だ?」
「朱公です。うなされているような声がしましたので……」

 寝間着の上に上着を羽織り、寝室の扉を開けると朱公が心配そうに佇んでいた。

「ありがとう、心配ない。夢見が悪かった」

 朱公は小さく笑ってそれであれば、と返事をして一礼し去っていこうとして、数歩歩いてから止まり、振り返った。少し考えてからこちらを見て口を開いた。

 「朱己様、無礼を承知で伺うのですが、どのような夢でしょう? 最近朱己様が魘されていることが多いので、心配しています」

 申し訳無さそうに聞いてくる彼女に対して、申し訳ない気持ちと焦りを感じる。何と答えたものか、彼女の問いに。少し俯いて考えてから、腹を決める。

「私が殺した側近の夢だ」

 朱公はわかっていたかのような、とはいえ、悪いことを聞いてしまったという思いなのか、頭を下げて直様謝ってきた。

「ご無礼を、申し訳ございません」
「謝る必要はない、朱公は悪くないよ。……そうだな、しばらく眠れそうにないから良ければ少し昔話に付き合ってくれるか?」

 朱公は頭を上げて、ゆっくり頷いた。

ーーー

 今から十数年前。

「朱己、もっと腰を落として剣を構えろ! 力の出力を一定にするんだ!」

 まだ齢五つ程の小さかった私に、父や夏能殿は毎日稽古をつけてくれた。剣は自分の能力で生成するため、一定に力を注いで具現化することができなければ、強度も切れ味もないものになり意味をなさない。力を注ぎ方が悪ければ大きくなりすぎ、一定でなければ形が保てないのだ。
 毎日気を失うまで、力の扱い方や剣術、肉弾戦の受け身の練習で、どうして自分はこんなに色んなことをやらなきゃいけないのか、と不思議でならなかった。理由はわかりきっていて、ただ一つ、長になるため。それが自分の存在意義として植え込まれ続けた。
 あの頃は、まだ中央に対能力者用の結界が張られてなかったから、尚更早く強くならなければと必死だった。
 だがある日、中央に侵入してきた、ナルス外の敵に私は捕まってしまったんだ。

「朱己!」

 父や夏能殿が、目を離した一瞬の隙だった。私の喉元に刀が突きつけられ、私の体の前には爆弾のようなものがあった。
 おそらく、父も夏能殿もその気になれば、すぐに助けられたはずだが、相手の出方を伺っていたように思う。当時の私は、彼らの沈黙を自力で脱出するということを期待されていると勘違いして、まだ制御しきれない力を発動させ敵の怒りを買ってしまったんだ。

「このガキ、殺すぞ!!」

 激昂した敵が私を殺そうとしたその時、敵側にいた彼が、敵の腕を切り落として私を助けてくれた。父や夏能殿は目を瞠って、敵が目の前でこちらに寝返る様を見つめていた。

「大丈夫です、朱己様」

 そう言って、私よりも齢十ほど上に見える彼は私を父のもとに届けて、彼の父と一緒に敵を木っ端微塵にしてくれた。
 彼の名は光蘭こうらん。彼の父は光尽こうじん。二人は私の父に、昔助けてもらった恩を返すべくナルスに攻め込む部隊にわざと入隊して、ナルスに赴いてきたらしい。
 光蘭と光尽殿は、父に恩を返すという目的を果たしたため、満足して出ていこうとしたんだが、私が引き止めてしまったんだ。

「こうちゃん!」

 私がいたく光蘭に懐いてしまったのをきっかけに、父や夏能殿の許しを得て彼を私の側近、光尽殿を父の側近にすることにした。
 最初は、勿論恋慕の情などなかったが、ずっと一緒に過ごすうちにかれこれ十年程過ぎて私の年齢的に婚約者を作るということになった。
 ナルス外の各国や中央から、色んな人がぜひにと挨拶に来る中、どうにも私は決められなかった。それが何故なのか自分でもわからずに頭を悩ませていた。最後に立候補しに来たのは、まさかの側近の彼で、その時私は本当に嬉しくて、私は彼が好きだったのかとやっと気づいたんだ。
 それからまもなく、私達は婚約して、いつになるかわからないが、長に就任するタイミングで婚姻の儀を執り行おうと決めた。
 そんな事を言っていた数年後、私の妊娠が発覚した。彼は、私の父に地面に顔がめり込むほどに深く頭を付けて謝っていた。父も最初は殺しそうな勢いだったが、暫くして許してくれたらしく、心待ちにしているようだった。
 幸せだと、心からそう思った。そしてずっと続くのだと思っていた。彼にとってもそうだと信じて疑わなかった。
 私の妊娠が発覚した後、どこかでそれを知った時雨しぐれ伯父上は、彼に対してこう持ち掛けたらしい。

「二条家の血と弟の命、どちらが大切か選べ」と。

 彼には、病気の弟がいる。特殊な病で、センナが少しずつ破壊されていく。今の所治すすべはない。ナルスは宇宙界のなかでもセンナの医療が進んでいるが、ナルスでもまだ解明されていない未知の病だ。彼の弟は、光尉の光琳こうりん。優れた能力を持つ代わりに、能力を使えば使う程死に近づいていく。弟の病気を解明するために、彼はナルスの文献を沢山読んでいた。

「お前、弟を救いたいのなら、私は良いものを持っているぞ。その代わり、朱己の腹の子を殺せ」

 私の腹の子を殺せば、代わりにその良いものを渡すと言ったらしい。勿論彼は出来ないと言った。
 彼は弟を助けたい一心で、伯父上から何とか情報を引き出そうとするも失敗し、伯父上から二条家の血筋を汚す塵だと罵られ、伯父上は「光蘭が朱己の暗殺を企んでいる」と触れ回った。
 しかし、その時は信じる者は少なく、彼のことは私が守ると言った。
 その後、私は伯父上から呼び出され、そこは中央でも人通りの多い場所だった。そして伯父上に操られた彼がいた。
 あとは想像に固くない、操られた彼は、彼の意に反して私を襲ってくるし、私は臨月でまともに動けない。何とか避けるので精一杯で、彼は必死に操られる体を何とか止めようと抵抗しながら、顔を歪ませて私に殺してくれと叫んだ。
 彼は、私を守るためには、自分が死ぬしかないと判断したんだ。
 人通りの多い通りで、誰がどう見ても、彼が私を殺そうとしているように見えたろうし、錯乱しているように見えただろう。そして見た者たちは、伯父上が触れ回った事が事実だと信じた。
 私はすぐに、伯父上の能力だと気づいたし、いつの間にか、どこかへ姿を消した伯父上を探して止めれば、とも思った。
 しかし、こうなって「殺してくれ」と叫んでいる彼を見た者たちからすれば、伯父上の能力を止めたところで、彼はもうここではやっていけないだろう。
 何より婚約者であり主である私に、刃を向けた彼の絶望は図り知れない。臣下が主に刃を向けた時点で反逆者であることに変わりはないし、重罪だ。
 中央の民を守るにも、彼の心を守るにも、その時私ができる選択は一つだった。
 そうして、私は彼を殺した。刀を振るう彼の懐に入って、右腕を彼の胸に突き刺して、センナを砕いた。彼は、最後に笑っていた。
 腹の中の子が、激しく胎動していたのに気がついていた。母親の鼓動で色んなものを把握すると言われているから、きっと怖い思いをさせたと思う。
 父から教わった長に引き継がれる魂解たまほどきを、初めて使った反動は想像以上に大きく、私はそこで気を失ってしまった。私が次に目覚めた時に反動によって腹の子のセンナも砕かれてしまったことを知った。

ーーー

「伯父上は、その後行方を眩ませてしまって、伯父上が言っていた「良いもの」が一体何なのかはわからない。部屋からも見つからなかった。本当にあるのかさえ、今となっては怪しい」

 情けなく笑い、私はため息をついた。朱公の方を見るわけでもなく、少し遠くの壁を見つめながら。

「それからは伯父上の動向を探っていた。少し前、突然現れたときに逃してしまってな。だから朱公たちを南の村に行かせた二条家の者が、伯父上なんじゃないかと思ったんだ。手がかりがあるかもしれないと」

 朱公は静かに頷きながら聞いて、時折静かに涙を流していた。

「朱己様、ありがとうございます……」

 そう言いながら、朱公は頬を拭き、深呼吸をしたあと、改まって私の方に向き直った。先程よりも強い眼差しで。

「必ず、生きて朱己様をお守り致します」

 私はその言葉に目を瞠った。いつか、久岳が言った言葉だった。
 ーー似た者夫婦だな。
 私は少しはにかむように、笑みをこぼした。

「頼む。もう誰も、失いたくない」

 朱公も力強く頷いた。
    
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