失われた歌

有馬 礼

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第4部 帝都地下神殿篇

24 守護者の眷属

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 窓の外がうっすらと明るくなり始めた頃、リコはバルクの隣にそっと滑りこんだ。すっかりジュイユと昔話に興じてしまった。今も変わらずジュイユはリコの教師であり良き理解者だった。

「……もうそんな時間?」

 リコが起こしにきたと勘違いしたバルクが、目を閉じたまま言う。

〈ううん、まだ明け方だよ。わたしもこれからまた寝るの〉

 リコだけの場所であるバルクの腕の中に潜りこむと、そのまま抱き寄せられる。

「そう……」

 バルクの眠りにシンクロするように眠りに沈んでいく。
 次に目を開いた時、既に陽は高くなっていて、当然だが隣にバルクの姿はなかった。

「おはようリコ!」

 そっと部屋を出るとすぐにルーに気づかれてしまった。ルーとジー、シェフの他に家には誰もおらず、皆それぞれの仕事をしているというのに昼過ぎまで眠っていた自分が恥ずかしい。

〈みんなは……?〉

 これまでの癖でつい「声」を使ってしまう。

「ヒューゴはお仕事だよ! バルクとセストもついさっき呼ばれて、ジュイユとヴィラントは勝手についてっちゃった!」

 ジーが答える。

〈バルクはなんて言ってヒューゴに呼ばれたの? 知ってる?〉

「んー、なんか、『打ち合わせ』とか言ってた」

「リコには後で伝えるから、寝かせておいてあげてって」

〈そう……〉

 へなへなと椅子に座る。

「ホラ、食える時に食っとけよ! 今夜あたり勝負だろ?」

 シェフがリコの好きな柑橘のジュースを出してくれる。

「昨日の戦闘の余波で、地下の魔物は全て力を失ったようです。混沌で混沌を打ち消した形になったようですね。闇の来訪者を封印するなら、ノイズがなくなった今しかないでしょう」

 水の精霊が現れる。

「今なら、我々も余すところなく力を使えます。あなたが呼べば、いつでも応える準備はできています」

 リコは黙って頷く。

「リコ」ジーが改まった調子で切り出す。「ルーと話しあったんだけど、僕らも、連れていってもらいたいんだ」

 思わぬ言葉にリコは硬直する。

「僕らだって戦える! だって僕らは、守護者の眷属ファミリアなんだ!」

 ルーも言い募る。

「ボッチがいなくなって、僕ら、ふたりで話しあったんだ。ボッチはみんなを守って消えていった。リコにもしものことがあったら、僕らは何もしなかったことに耐えられない。そんなに役に立てるわけじゃないけど、連れていってほしいんだ」

 ジーの言葉に答えあぐねてリコは唇を噛んだ。

「……やっぱりだめ。連れていけない。わたしは、自分の身は自分で守ることができる。バルクもいる。ヒューゴとセストも。あなたたちは、わたしにとって、ただの魔物じゃない。わたしには、友だちで、家族なんだもの……。あなたたちが傷つくのは、見たくない。ごめん」

「リコ……」

「わかったよ」

 1人と2体は固く抱き合った。
 そう、ボッチのことだって、守れなかった、とリコは回想する。ボッチは我が身と引き換えに、大好きなヴィラントを守った。かつて、イダがリコを守ってくれたように。ヴィラントはそんな素振りは見せないようにしているが、とても悲しんでいる。

「わたし、あなたたちを愛してるの。あなたたちみんなを。そして、1人ひとりを」

「僕らもだよ、リコ。夜みたいに優しく静かな僕らの守護者」

 ルーが歌うように言って、彼らは再び抱き合った。

「……っ」

 リコがハッと息をのんで顔を上げる。

「伏せて!」

 ファミリア2体を頑丈なテーブルの下に引きずり込むのと、床が突き上げるように揺れたのはほぼ同時だった。

「うお、なんだなんだ!?」

 キッチンの方からシェフの声が聞こえ、食器が割れる音がする。部屋は巨人に振り回されているように上下左右に揺れた。天井から照明器具が落ち、固定されていない家具が倒れる。窓ガラスが振動に耐えきれずに砕けた。
 水の精霊がシェフを引きずって食卓の下に押しこむ。
 唐突に始まった揺れは突然ぴたりと止んだ。

「闇の来訪者と黄金皇帝が戦ってる。行かなきゃ」

 リコは食卓の下から転がるように這い出た。

「気をつけて、リコ」

 ジーが言う。

「ええ、あなたたちも。この部屋はセストの結界術で他の魔物は入ってこられないけれど、気をつけて。もし魔物の襲撃があるようなら、できる限り人間を守ってあげてほしいの」

「わかってるよ、リコ」

 ルーがリコの手を握って言った。
 クローゼットからジャケットを取り出して着て、ブーツに履き替えたところでバルクが現れた。

「行こう」

 リコは頷いてバルクの手を取った。


***


 出口も入り口もない劇場の舞台で、黄金皇帝と闇の来訪者は向かい合っていた。

「私が守っているこの都で、随分と手荒な真似をしてくれたものだ」

 黄金皇帝の土の精霊は、静かだが怒りに燃えた目で闇の来訪者を見据える。
 闇の来訪者はナナカの姿を捨てて、本来の姿に戻っていた。前髪を作らず、中央で分けて流した金色の長い髪、紫色の瞳。ナナカを白い部屋で抱いていた、美しい男だった。

「そなたは、アールトが生涯唯一、その手で殺したいと思っていたほど憎んでいた者だ。マーク・ジェスト・レグルヴィスタス」

 精霊は腰に佩いていた剣を抜いた。

「黄金皇帝の唯一の存在だなんて、光栄だな」

 マークは形のいい唇に蠱惑的な笑みを浮かべる。

「レイフが守ったからこそ彼は天寿を全うできたと思っていたけど? あの場で私に殺された方が良かったのかな? よくわからない人だ」

 マークの声はあくまで涼やかで、穏やかだった。

「ふざけろ」

 次の瞬間、精霊がマークに斬りかかっている。マークは炎をかたどった剣で受けた。暗闇に火花が散る。

「人の世の理を無視して、いつまで居座るつもりだ? 帝都の混沌の原因はそなたか?」

 鍔迫り合いながら精霊が尋ねる。

「帝都の混沌の原因は、どちらかというとあなた方ではないのかな。光と闇が触れる時、混沌が生まれる。そして人の世の理を無視しているのは、あなたも同じだ。人の精霊は、これほど長い時を超えられない。光の精霊の加護があればこそ」

 マークは全く表情を変えず、柔らかな笑みさえ浮かべて精霊の剣を押し返した。
 精霊は飛びすさって距離をとる。
 マークはゆったりと剣を構えた。決して鞘に収まることのない、戦い続けることを宿命づけられたような、呪われた炎の剣。

「いずれにせよ、あなた方には消えてもらう。腐った魂たちが引き寄せる闇は、とうにこの国を覆い尽くしているはずだった。いずれにせよ混沌は生まれ、世界を覆いつつあったはずなのに。まさか、こんなところでもあの女が邪魔をしていたとはね。ついでにあなたも」

「レイフはこれを視たのか。だからこそ、自分の精霊をアールトに託したのだな。今はっきりとわかった」

 精霊もマークに相対し、剣を構え直す。その構えに隙はなく、また、同時に優雅だった。

「アールトの愛したこの国を、レイフの愛したこの世界を蹂躙しようとする者を、見逃すわけには行かない」

「あなた方はわかっていない。この世界のありようこそが、悲しみの原因だということに。これは、世界を愛で満たすために必要な過程にすぎないんだよ」

 そう語るマークの表情に全く悪意は感じられなかった。どちらかというと、慈愛や憐憫に近いものであると精霊は感じる。そのことが却っておそろしかった。先程マークが土の精霊を動かして引き起こした地震。おそらくこの地下神殿を破壊することを目的としていたと推測できるが、周辺の地下施設や地上では何が起こっているだろう。犠牲者が出ていてもおかしくない。突然生命を絶たれた者の多くはこの世界に思いを遺し、やがて腐った魂となって闇を彷徨うことになる。それも折り込んだ上であの地震を引き起こしたのか。

(レイフ、済まない。そなたの唯一の願いであったのにな……)

 精霊は昏く笑った。
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