失われた歌

有馬 礼

文字の大きさ
上 下
88 / 99
第4部 帝都地下神殿篇

23 魂の持ち物

しおりを挟む
 リコはしゃくりあげ、目を真っ赤にして泣いていた。
バルクはベッドに腰掛けて壁に身体を預けると、膝の上にリコを座らせた。リコはバルクの背中に腕を回して、胸元に顔を押しつけてくる。バルクは黙って、泣いているリコの頬を撫でた。

「ごめん……バルクが、いてくれるのに……、こんなに、寂しがっちゃ、いけない、のに……」

 リコはしゃくりあげながら、どうにか言う。

「いや、いいんだ。僕は確かに血縁者と呼べる人はいないけど、それでも、血のつながった人との別れが特別だってことは知ってるよ。しかも、きみときみのママは一心同体だった。文字どおりね。悲しくて当然だよ」

 バルクは親指で、流れ続けるリコの涙を拭った。

〈わたしがいなければ、ママは腐った魂になんか、ならなかったのかな……。そもそも、今でも元気に生きていたのかな……〉

 うまく喋れないからか、リコはこれまでの「声」を使った。

「さあ、どうだろう。全ては推測だし、仮定にすぎない。……あったかもしれないことを考えすぎちゃいけない」

 バルクはリコを横たえると、腕枕をして抱き寄せた。

「もう少し眠った方がいい。僕がついてるから。安心して」

「……バルクは、どこにも行かないで。ずっと一緒にいて」

 リコが腕の中からバルクを見上げる。

「大丈夫。どこにも行かない。約束する」

 そう言って前髪にキスすると、リコは安心したように大きく息を吐いて、目を閉じた。


***


 すり鉢状に造られた円形の石造りの空間に、低く甘い調べが流れる。すり鉢の底にあたるステージには、ほんのりと光る四弦の楽器が置かれていて、弓がひとりでに動いて音楽を奏でていた。緩やかな傾斜には石段が刻まれていて座席のようになっているが、観客の姿はない。
 石の壁を抜けて、光の馬に騎乗した黄金の騎士が現れる。騎士は馬を降りると、音楽を奏でつづける楽器の隣に腰を下ろした。
 楽器と馬の光に照らされた座席に、ゆらりと影が現れて人の姿を取る。まだまだ働き盛りに見える、壮年の男性だった。男性はきょろきょろとあたりを見回す。はっきりと人の姿を取っているものの、男性は既にこの世のものではない。
 男性はしばらく所在なげにしていたが、諦めたように腰掛けると、目を閉じて心地よい音楽に聴き入った。彼はしばらくそうしていたが、ふと目を開いて立ち上げると、透明になって浮かびあがり、天井を抜けていった。

「いつの時代も、死者が思いを残しているのは同じだ。確かにいくさはなくなったが、世の中は複雑になり、人の心の闇は却って増している気すらする……」

 土の精霊は男性が消えていったあたりを見たまま、誰にともなく言う。光の馬が頭を下げて、鼻を精霊に寄せる。精霊は鼻面を撫でてやった。

「約束は、本当に果たされようとしているのだろうか。確かにあれは……。しかし、魂の属性が違う。私がここにこうしているせいなのか……。そなたはどう思う」

 光の馬に尋ねるが、当然馬は言葉を返さない。

「レイフ……どこにいる。姿を見せてくれ」


***


 リコが目を覚ましたのは真夜中だった。隣ではバルクが寝息を立てている。リコはそっとベッドを抜け出した。いつもであればすぐに気がついて目を覚ますバルクだが、今日は戦闘の疲労か、目を覚ます気配はなかった。
 皆を起こさないようにそっとシャワーを浴びる。

「よう、リコ。起きたのか?」

 水でも飲もうとキッチンに入るとシェフが現れた。

「腹減ってるだろ? ちょっとでもいいから食っとけ。腹が減ってると碌なことがねえぞ。守らなきゃならないもんも守れねえ」

「うん……」

 リコは言われるままに食卓についた。夕飯の温め直しだが、と言いながらシェフがシチューを出してくれる。食欲はそれほどなかったが、リコは冷めないうちにせっせと食べた。
 ジュイユがその向かいに座る。

「生まれ変わった気分はどうだ」

「……わからない。何かが、足りない感じ」

「しかし、力はむしろ強まっている。腐った魂を押さえつけるのにかなりの力を割いていたのだな」

「……」

 リコは両手のひらをじっと見つめた。

「……わからない」

 リコの隣に黒い靄が現れ、すぐに形を取る。真っ黒のウエディングドレス。しかしドレスから覗くのは肌ではなく黒い甲冑だった。顔以外は一部の隙もなく鎧で覆われている。兜はなく、代わりに黒いレースで作られたヴェールで顔を覆っている。透けて見えるその面差しは、リコと瓜二つだ。

「あたしがいるじゃない」

 闇の精霊はリコの肩に金属のグローブに覆われた手を乗せた。

「そうだね」

 リコは闇の精霊の手に自分の手を重ねた。

「ねえ、あの闇の来訪者と戦いに行こうよ。今度こそ封印食らわせてやろ?」

「まあ待て。世の中には準備というものが必要なことがある。生身の人間には休息も必要だ」

 ジュイユが呆れたように言う。

「でもジュイユも今すぐ行きたいでしょ?」

「まあな」

 ジュイユは口の端を歪めてニヤリと笑った。

「おやおや、相変わらずイカれておいでで」

 ヴィラントがジュイユの傍に現れる。

「イカれてるってなによ」

 闇の精霊がヴィラントに食ってかかる。

「おお、これは申し訳ございません。つい本当のことを」

「なんなのこの骨。失礼なんだけど。リコ、なんとか言ってよ」

 闇の精霊はリコの肩を揺さぶる。リコは手で額を覆った。

「あなた様は」ヴィラントが闇の精霊に言う。「随分精霊らしくなられましたね。この前お目にかかった時は精霊なのに魂を持っておいでで、なんという異形の存在かと思いましたが」

「うっさいな! あんたに言われたくない、この、牛アタマ!」

「はっ!? レイフ様から賜ったこの愛らしさ100点満点中1億点のこの頭蓋骨を貶めることは承服いたしかねますが!?」

「しーっ、みんなが起きちゃう」

 リコが唇に人差し指を当てる。

「ほら、あなた様のせいでリコ様に叱られたではございませんか」

「あんたのせいでしょ!」

「だから!」

 リコはすぐに声が大きくなる2体を叱りつける。

「ハハッ、お前さんが妙な気を起こすんじゃないかと心配していたが、どうやらその必要はなさそうだな」

 ジュイユは枯れ木のような手でリコの頭を撫でた。

「悲しみは消えない。しかし、いずれそれはお前さんの魂の一部になる。その悲しみも、お前さんの持ち物だ。大切にしろ。……お前さんの爺さんが言っていた。ひどく衰弱した臨月のアイナが村にふらりと戻ってきて、今までのことを尋ねる間もなくお産が始まったと。アイナはなんとかお前さんを出産したが、赤ん坊の首には臍の緒が巻きついていて、仮死状態だったそうだ。蘇生をしている間にアイナは大量出血を起こして亡くなり、抱かせてもやれなかった、と爺さんは酷く悔いていた。あの男も不器用な人間だ。そんなこともあって、お前さんにどう接すればいいのか、わからないのだろうよ」

「……おじいちゃんは、単にわたしのことを恨んでるんだと思ってた。だって、わたしがいなければ、きっとママはまだ元気で生きていたはずだから」

 リコが目を伏せると、長い睫毛が影を落とす。

「そうだとしてもお前さんに罪はない。これは、爺さんの持ち物だ。他人には代わりに持ってやることも消してやることもできんよ。そしてお前さんもまた、爺さんにされた仕打ちを許す必要もない」

「……どうして今、その話をしてくれたの?」

「さてな」ジュイユは緩く腕を組んだ。「言うべき時がきたと感じた。だから言った。ただそれだけだ」

「教えてくれてありがとう。ずっと知りたかった。『その時』何があったのか」

「お前さんは強くなった。このことを受け止め、自分のものにできるほどにな」

「みんなが、わたしを強くしてくれたの」

「……そうだな」

 ジュイユはこれまでの日々を思って目蓋を閉じた。夜の時間は静かに穏やかに進んだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

エルフ姫が壁穴でひどいことされる、ありがちなファンタジーエロっぽいやつ

かめのこたろう
ファンタジー
壁穴とか、壁尻とかそんなやつ

隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました

ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら…… という、とんでもないお話を書きました。 ぜひ読んでください。

隣の人妻としているいけないこと

ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。 そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。 しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。 彼女の夫がしかけたものと思われ…

お嬢様、お仕置の時間です。

moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。 両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。 私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。 私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。 両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。 新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。 私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。 海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。 しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。 海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。 しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。

連続寸止めで、イキたくて泣かされちゃう女の子のお話

まゆら
恋愛
投稿を閲覧いただき、ありがとうございます(*ˊᵕˋ*)   「一日中、イかされちゃうのと、イケないままと、どっちが良い?」 久しぶりの恋人とのお休みに、食事中も映画を見ている時も、ずっと気持ち良くされちゃう女の子のお話です。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

【R18】今夜、私は義父に抱かれる

umi
恋愛
封じられた初恋が、時を経て三人の男女の運命を狂わせる。メリバ好きさんにおくる、禁断のエロスファンタジー。 一章 初夜:幸せな若妻に迫る義父の魔手。夫が留守のある夜、とうとう義父が牙を剥き──。悲劇の始まりの、ある夜のお話。 二章 接吻:悪夢の一夜が明け、義父は嫁を手元に囲った。が、事の最中に戻ったかに思われた娘の幼少時代の記憶は、夜が明けるとまた元通りに封じられていた。若妻の心が夫に戻ってしまったことを知って絶望した義父は、再び力づくで娘を手に入れようと──。 【共通】 *中世欧州風ファンタジー。 *立派なお屋敷に使用人が何人もいるようなおうちです。旦那様、奥様、若旦那様、若奥様、みたいな。国、服装、髪や目の色などは、お好きな設定で読んでください。 *女性向け。女の子至上主義の切ないエロスを目指してます。 *一章、二章とも、途中で無理矢理→溺愛→に豹変します。二章はその後闇落ち展開。思ってたのとちがう(スン)…な場合はそっ閉じでスルーいただけると幸いです。 *ムーンライトノベルズ様にも旧バージョンで投稿しています。 ※同タイトルの過去作『今夜、私は義父に抱かれる』を改編しました。2021/12/25

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

処理中です...