失われた歌

有馬 礼

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 運命の日の朝は、拍子抜けするほど爽やかに晴れて、昨日と区別がつかない平凡な日だった。
「じゃあ、行ってきます」
「リコを頼んだぞ」
 ジュイユが言う。
 バルクは頷いた。
 ふっと空が暗くなり、見上げるとドラゴンが舞い降りてきた。
〈ドラゴン、来てくれた〉
「リコの頼みじゃな。塔のことは任せろ」
〈ありがとう〉
 リコは塔の広場に集まっている魔物たちに向き直った。
〈みんな、待っていてね。愛してるわ。あなたたちみんなを。そして、一人ひとりを。必ず帰るから〉
(…肉体を失って、魂だけになっても)
 それは敢えて言葉にせず、自分の中に飲み込む。
「行こう」
 リコはうなずいて、バルクの手を取った。
 一瞬、目の焦点が合わなくなったように周りの景色がぼやける。焦点が合った時には景色が変わっていた。聖域の入り口だ。
 4体の精霊が姿を現した。
「えっ、ここ、こんなんだっけ?」
 風が言う。
「やあ、これは酷いですねぇ」
 水が腕を組む。
「これじゃあ聖域っつーか」
「…魔窟」
 火の言葉の後を土が継いだ。
(精霊たちの言うとおり、前に来た時は、こんな雰囲気じゃなかった…)
「中はまさに魔窟だろうね。全方位から魔物が襲ってくると思う。僕が道を切り開く。精霊たちはリコと、後ろから来る奴らを頼むよ」
「おう」火が拳同士を打ち合わせる。「行こーぜ!」

 聖域に足を踏み入れると、空気が一瞬で変わる。鳥肌が立つほどの冷気だ。それに、実際以上に暗く感じる。
 何かが視界の端で動いたのを感覚が捉える。バルクは反射的に「盾」を張った。
 ガガッ
 「盾」に氷の矢が刺さる。それを確認することもなく、バルクは攻撃が飛んできた方向に向かって手を横に薙いだ。
 ギャッ
 断末魔が上がって、火の玉に包まれた魔物が転がる。どんな姿の魔物か確認する間もなく次々に魔物が現れる。
「しょっぱなからこれ!?」
 風が飛びかかってきた骸骨戦士をバラバラに切り裂きながら言う。
「先が思いやられますねぇ」
 水はゾンビを氷漬けにしながら答えた。
 土は無言で、地面から次々生えてくる岩の腕を叩き潰している。
〈えっ…!?〉
 リコが足を取られて転ぶ。足首を人の手が掴んで、そのまま引きずって行こうとしている。ゾンビの一部か。
「てめーはいつまでここでうろついてんだ」
 火の精霊が焼き払う。
「悪りぃ、大丈夫か」
〈うん、転んだだけ〉
「たく、油断ならねーな」
 上から降ってきたコウモリのような魔物を燃やす。
 バルクは少し先でジャイアントと岩の巨人、ゴーレムを同時に相手にしていた。
 まともに当たれば一撃で肋骨を折られそうなジャイアントの蹴りを「盾」で受ける。ダメージはないが、そのまま後ろに吹っ飛ばされる。空中で狼になり、地面を蹴って反転するとジャイアントの脛に喰らいついた。咥えたまま振り回し、ゴーレムに叩きつける。ゴーレムの岩の体にひびが入るのを見て、ジャンプしながら人間に戻ると、ひび割れた部分にありったけの水を撃ちこみ、続いて火を。一気に沸騰させる。
 ビシッ
 大きな音がしてゴーレムは真っ二つに裂けた。
 振り向きざまに、ジャイアントを火の矢で射る。ジャイアントは炎に包まれ、崩れ落ちた。しかしその様子を最後まで見ているようなことはしない。
 ゾンビ戦士が剣を振り下ろしてくる。横に転がって避け、狼になって立ち上がると、剣を持った腕を喰いちぎる。腕を捨てると同時に人間に戻り、氷漬けにする。視界の端で猿のような魔物がリコに襲い掛かろうとしているのが見えた。「離脱」と同時に狼になる。闇そのもののような真っ黒な猿の首に噛みつくと、そのまま力任せに振り回して地面に叩きつける。人間に戻るが、大丈夫か尋ねる間もなく、現れたゾンビを風の「刃」で切り裂く。
「人間型が多いのは、ジェムハンターの成れの果てか!?」
「かもね」
 火の言葉に短く答えると、飛んできた火の玉を火の「盾」で弾き返した。
(だんだん魔物の力が上がってきてる…)
 一瞬集中が途切れ、反応が遅れた。サソリ型の魔物が現れる。咄嗟にリコの腕を引いて後ろに庇う。
 腹部に衝撃が走った。
 ごふっ、と胃から上がってきた熱い液体を吐き出す。血だ。腹部に刺のついた尾が刺さっている。
「バルク!」
 風が絶叫する。
 水がサソリを凍らせ、土が砕く。それでサソリの尾は体から抜けたが、代わりに血がどっと流れる。バルクは地面に膝をついた。
 リコはコートのポケットから素早く治癒法の結晶を取り出すと、地面に叩きつけた。
光の靄が立ち昇り、バルクの傷口に吸い込まれていく。
 痛みと疲労が瞬時に回復するのを感じるが、すぐには立ち上がれない。
 そこに、さっきと同型のサソリの魔物が三体襲ってくる。
 リコはバルクの前に立つと、両手の平をサソリたちに向けた。封印。
 三体のサソリは洞窟の天井まで届くクリスタルの柱に閉じ込められた。
 クリスタルの光を嫌って、魔物たちが退いていく。
〈バルク、大丈夫!? ごめん、わたしが…〉
 リコの言葉を遮る。
「大丈夫。一時的に血が足りなくなったから、目を回してただけ」
〈良かった〉
「魔物たちは封印の光を嫌うんですねぇ。分かってるんでしょうか」
 水がクリスタルの柱に触れながら言う。
「まあ、嫌だろうな」
「次は我が身だもんね」
 バルクも立ち上がって、精霊たちの輪に加わる。
「すごい。僧侶の法術みたいだ…」
 ジェムハンターなどという稼業に就いている僧侶はそう多くないため、バルクも見たことはなかったが、僧侶の使う術には、魔物を寄せ付けないものがあると聞いたことがある。
 周囲を見回して、バルクはふと気づいた。
(ここだ…)
 これまでの場所より、一段天井が高くなっている。内部からの力で押し上げられたと思われる。
 よく見ると、洞窟の壁や天井が焼け焦げている。ほとんど侵食されていない真新しい焼け跡は、あの時のものに違いなかった。仲間が生命を落とした場所だ。しかし、今は感傷に浸っている暇はない。
(必ず戻る)
 バルクは手首につけたコンテナ、ジェムハンターたちが使う、所持品を収納する機械を起動して、水の入ったボトルを取り出した。
「水飲んで」
 リコに渡す。
 リコは素直に受け取って、水をひと口、ふた口飲んだ。
 バルクも戻ってきたボトルから水を飲む。
「魔術や剣術で負けなくても、人間の身体機能の限界で生命を落とすっていうのは、意外に多いんだよ」
 ボトルをしまう。
「リコのおかげで小休止できたね」
「バルク、ここだろ?」
 火が気遣わしげに言う。
「そう。だけど、今は先に進もう。彼らはもう、待つことはそんなに苦じゃないはずだから」
 闇の奥から視線を感じる。
 なぜ彼らは、これほどに憎悪に満ちてこちらを見ているのだろう。魔物とはそういうものだと思っていたのでこれまでは特に気にしていなかったが、塔の魔物たちとの交流を経た後では、とても不思議だ。塔にいる魔物と同型の魔物もいる。しかし、振る舞いは全く異なる。
「リコは大丈夫?」
 急に尋ねられて、リコはハッとしてバルクを見上げた。
〈うん、大丈夫。怪我もしてないし、まだまだ元気だよ〉
「塔にいる彼らと同じ姿をした魔物と戦わなきゃいけないのは、辛くない?」
 リコは目を伏せた。
〈…今は、考えないようにしてる〉
 バルクはリコを片手で抱き寄せて、額にキスした。
「行こう」
 
 そこからしばらくは、魔物は現れなかった。封印の光を嫌っているのか、あるいは、リコの存在を警戒しているのだろうか。しかし、悪意に満ちた多くの視線が突き刺さるのを感じる。しかしそれが突然、さっと波が引くように消えた。
「来ますよ」
 水が言う。
「闇が…」
 風が呟く。
「二人は下がってな。俺たちが壁になる。バルク、リコを頼むぜ」
 火が一歩前に出た。
 闇が一段と濃くなった気がした。
 ちらり、と闇の奥にオレンジ色の火が灯る。
 火が洞窟の幅いっぱいに壁を展開するのと、凄まじい炎がぶつかるのはほぼ同時だった。熱風が吹き付ける。バルクはリコを自分の陰に庇うと同時に氷の壁を作って熱を相殺する。
 水が火の壁の内側に氷の壁を作る。
 炎の波が退き、火が壁を解除した瞬間、水は洞窟の奥に向かって氷の壁を走らせる。熱を持った洞窟の壁で氷が一部解け、水蒸気が上がる。風がバルクとリコの前に立ち、熱風から二人を守った。
「…戦いが長引くと、洞窟ごと崩壊しかねない」
 土は火と水で弱った洞窟の壁を支える。
「リコが封印を使う時間を作る。壁役は水だ。風は熱が二人の方に流れないように調整してくれ。土は洞窟そのものを頼む。俺が神獣を止める」
 火が早口で言う。
「バルク、念のために、水の壁を厚く張っておいてください。あなた方がこの熱をまともに受けると危険です」
「わかった」
 バルクはリコを引き寄せると、ドーム型に水の壁を展開した。
「来やがったぜ」
 闇を押しのけるように、オレンジ色の炎の塊が現れた。巨大なフレイマだ。以前に見た時よりも大きくなっている気がする。暗闇に慣れた目に炎が眩しい。精霊たちがいなければ、それだけで致命傷だった。
 火は地面を蹴った。
 フレイマが火を吐く。炎の壁を出現させる。炎のぶつかり合いで凄まじい熱が発生する。水が張っている壁から水蒸気が上がる。洞窟の岩壁を、空気を、熱が伝ってくる。洞窟全体が徐々に熱せられてくる。風が熱を逃し続けていてこれだ。何もしなければ、すぐに蒸し焼きになっていただろう。
(確かに、戦闘が長引けば命が危ない…)
 地面からの熱をブロックするため、壁を地面に潜り込んだ球体にする。空気の出入りを遮断するため、それほど長くはもたない。祈るしかない。リコは目を見開いたまま、微動だにせず精霊たちの戦いを見守っていた。
 フレイマは牙の生えた大きな口で火を飲み込もうとしている。火は、その口が閉じないよう、手で押し広げている。力は完全に拮抗している。フレイマと火の精霊は、赤から金を通り越して白く輝く。
「温度が上がりすぎる!」
 土が叫ぶ。
 火はフレイマに対抗しながら叫んだ。
「水! 一回俺ごとコイツ凍らせてくれ! 早く!」
「承知!」
 ビキッ
 水は壁をそのまま二体にぶつける形で包み込み、凍らせる。洞窟の壁から湯気が立ち昇る。膨張していた岩が一気に冷却され、天井が崩れそうになるところを土が支える。
〈火、どいて!〉
 リコが叫ぶ。
 氷が内部の熱で溶かされ、砕ける。僅かな隙間から火が飛び出した。

 封印!

 雷のような凄まじい音と光。一瞬視力が奪われる。
 しかしバルクは見た。クリスタルが完成しようとする刹那、僅かに残った隙間から闇が飛び出したのを。闇は二人の頭上を飛び越した。振り返り、その行き先を追う。
 巨大なフレイマは、完全にクリスタルの内部に閉じ込められた。
〈やった…!〉
 リコは達成感に満ちた表情でバルクを見上げたが、バルクは険しい表情であらぬ方向を見つめている。その視線を追って、リコも凍りつく。
 空中に、女が浮かんでいた。
 女、といっても、見た目だけで判断すれば、リコよりも歳下かもしれない。真っ黒なドレスを着て、空中に脚を組んで座った格好で浮かんでいる。真っ直ぐな、薄い茶色の髪、同じ色の瞳。かわいらしいが平凡な印象の顔立ちだ。ドレスの深いスリットからは、白い脚が艶かしく覗いている。
「苗床にしようと思って大切に育てていたのに、邪魔してくれたわね」
 少女の声に似合わず、話し方は歳を経た女の印象を受ける。何もかもがちぐはぐだった。
「精霊使いの守護者。母を宿した娘。会いたかったわ」
 女は唇を吊りあげた。蠱惑的な笑みだ。
 リコの口元が僅かに引きつる。
「そっちの髪の長いお兄さんには見覚えがあるわ。腹を捌いてやったと思ったけど…」女は上唇を舐める。「逃げ足が速い上にしぶといのね」
 バルクは声を発することもできない。
〈バルク、壁を解いて…〉
 リコは女に目を据えたまま言う。
 バルクは言われるままに「壁」を解除した。
 周囲はまだ熱を持っていたが、水と風の働きのおかげか、身の危険を感じるようなことはない。
〈闇の来訪者よ。立ち去りなさい〉
「嫌よ。私は今、とても腹を立てているの。とりあえず、邪魔した奴らを八つ裂きにしなきゃ、気が済まないわ」
 リコは短く息をついた。ベルトから短剣を外すと、バルクの方に向き直った。戦場ではありえない行動だ。バルクは素早く闇の来訪者に目を走らせる。動くつもりはないようだった。リコもそれがわかっているのか。
〈バルク、お願いがあるの。もし…、もし、制御を失って止められなくなったら、その時は…〉
 リコは一旦言葉を区切り、真っ直ぐにバルクの目を見た。
〈わたしを殺して〉
 バルクの手に短剣を握らせる。
「…」
 緊張で口の中がカラカラになり、声が出せない。
 リコは闇の来訪者の方に一歩踏み出すと、肩越しにバルクを振り返った。
〈バルクに会えて良かった。愛してるわ〉
 その表情はぞっとするほど美しかった。
(待ってくれ、リコ…)
 声にならない。
(僕がきみを抱いたのは、そんな透明な、真っ直ぐな目で、そんなことを言わせるためじゃない。きみと生きるためだ…)
 闇の来訪者の方に向き直ったリコの顔から、生気が消える。僅かに俯いて、半眼になった目は虚ろに地面のどこかを見ている。その首筋に、どす黒い痣のようなものが浮かび上がってきた。紐のようなものが、二重、三重に巻きついているように見える。足元に、黒い水たまりが広がっていく。
 その水たまりから、人の頭が出てくる。女だ。ウェーブのかかった茶色の髪。白いレースでアイマスクをしている。来ているのは婚礼衣装のような、純白のたっぷりしたドレスだが、あちこち擦り切れ、破れている。足は裸足で、左足首には足枷がつけられている。鎖はリコの足元まで伸びて、水たまりの中に消えている。
 アイマスクをしているために断定はできないが、それはどう見てもリコだった。
「返して」
 バルクはどきりとする。その声は、いつもやりとりしているリコの「声」が、実際に音になったものだと感じられた。
「ああ、リコ。精霊使いの守護者。母を宿した娘。自分の声を与える代わりに光を奪って、自分の魂に結合させるなんて。あなたのような人間はこれまでいなかったし、これからも現れないでしょうね」
(これが、闇の精霊…)
 いつの間にか、4体の精霊たちは姿を消していた。
「やめて、連れていかないで」
 闇の精霊は言う。
「そうよ、私が連れていったの。あなたの大切な娘を」
「かえして!!」
 絶叫し、来訪者につかみかかる。
 来訪者の素肌の肩に、爪を喰いこませる。黒い鱗のようなものが指先から広がっていく。
「チッ」
 来訪者は舌打ちすると、手を大きく横に振った。闇の精霊が飛びのく。いつのまにかその手に、炎をかたどった剣が握られている。闇の精霊の胸元がザックリ切れ、血が流れた。純白のドレスの胸元が血に染まる。
 来訪者は間合いを開ける。闇の精霊はその場に立ったまま右腕を上げる。その腕が3倍ほどに伸びて、来訪者の首を絞めあげる。
「グ…ッ」
 剣で闇の精霊の肘から先を切り落とす。
「ギャアッ」
 悲鳴を上げて闇の精霊は一瞬怯んだ。腕の切り口から鮮血が吹き出す。来訪者はまだ首を絞めてくる手を外し、投げ捨てる。地面に落ちた腕は、跳ねあがって闇の精霊の腕に戻った。
 来訪者が片手で剣を振り下ろすと、剣は鞭に形を変えて闇の精霊を打った。跳ね飛ばされて洞窟の壁に激突する。
 起き上がった闇の精霊は、左腕をだらりと下げていたが、すぐに元に戻る。胸の傷口も塞がっている。
 鞭の第二撃を、闇の精霊は左腕で受け止めると、巻きついた鞭を引いて来訪者を手繰り寄せる。顔面を右手で掴み、地面にめりこませる。
 ごりゅっ、と、明らかに骨が砕けた音がした。
 人間であれば、これで再起不能になっているところだが、来訪者はなおのしかかってくる闇の精霊の顎を蹴って、身体が離れた瞬間に素早く立ち上がる。
 手のひらを闇の精霊に向ける。紫色の稲妻が迸る。闇の精霊も、同じ力で対抗した。
 ビキッ
 天井の岩が不吉に鳴り、岩の塊が落ちてくる。バルクは「盾」を使ってリコを守る。リコは、この、吐き気のするような戦いも目に入っていないようだった。その目は何も見ていない。バルクは抜け殻のようなリコの身体をしっかり抱いた。
 両者は互角に押し合っていたが、来訪者が力を上に逃す。洞窟の天井に大きな穴が開く。来訪者は、その穴から外に逃れた。
 闇の精霊は来訪者を追おうとするが、穴から差してくる日光に怯んだ。眩しそうに目の上に手をかざす。
 腕の中のリコの目が、光を取り戻す。
〈戻りなさい。闇の精霊よ〉
 その言葉を聞いて、闇の精霊は膝から地面にくずおれた。アイマスク越しにリコを見上げる。
 足枷に繋がった鎖が巻き取られていく。闇の精霊は、特に抵抗することもなく、人形のように黒い水たまりに引きずられていく。いや、暗闇では黒く見えていたそれだが、日が差した中で見ると、真っ赤な血だまりだった。闇の精霊は、血だまりに引きずりこまれる瞬間、アイマスク越しにはっきりとバルクを見た。にたりと笑う。その唇は、歌を口ずさんでいた。リコが失った歌を。バルクは恐怖に総毛立つ。
 闇の精霊を飲み込んだ血だまりは、徐々に小さくなっていった。血だまりが小さくなるにつれ、浮き出ていたリコの首の痣も薄くなり、やがて跡形もなく消えた。
 リコはバルクを見上げて笑った。
〈バルク、また会えた〉
 バルクは何も言えず、ただリコを抱きしめた。強く抱きしめられて、爪先立ちになる。
〈バルク…?〉
「良かった、本当に…。きみを、失ってしまうかと思って…」
 バルクは声を絞り出す。
〈もう、大丈夫〉
 リコは両手でバルクの頬を包むと、自分の方に引き寄せた。唇を重ねる。
 バルクは自分の首に腕を回させると、リコの背に腕を回して抱きあげる。爪先が地面から離れる。
 二人はそうしてしばらくキスを続けた。
 ようやくリコを下ろしたが、バルクは名残惜しそうにリコの頬にキスする。
〈行こう。バルクの友だちを、探してあげよう〉
 リコはバルクの手を取って、指を絡めた。
「そうだね」
 魔物たちは洞窟内に差し込んできた光を嫌って、出てこなかった。
 二人は手を繋いで洞窟を歩いた。
 封印されたサソリのところまで戻ってくる。バルクは立ち止まった。
 周囲を改めて見ると、そこかしこに鎧や折れた剣などが落ちている。ここで何組のパーティーが力尽きたのだろう。
「バルク、これ、違うか?」
 いつの間にか火が姿を現していて、バルクを呼んだ。
 紙のように引き裂かれた鎧の胸当てには、見覚えがあった。
「デメル…」
 バルクは鎧に手を触れる。
 よく見ると、骨と思しき白いものが落ちているが、原型は留めていない。
 胸当ての近くに、デメルのコールリングが落ちている。バルクはそれを拾った。鎧とコールリングをコンテナに収蔵する。骨も、デメルのものと思われるものは出来るだけ集める。
「あと二人いる」
 デメルが前衛として先行していた。あとの二人はそれより後ろにいるはずだ。あの時の配置を思い出しながら探す。残りの二人もすぐに見つかった。
「グレイ、リアナ…」
 二人は恋人同士だった。どちらかがどちらかを庇ったのだろうか、重なり合うようにして倒れている。鎧の下には二人分の骨が混ざり合って散乱していた。
 割れた頭蓋骨にジェムが結合しようとしている。もう一方より一回り大きいこちらは、おそらくグレイだろう。このままにしておけば、いずれ魔物になる。
「魔物になったきみとは戦いたくないよ。すばしっこいし、タフだし」
 バルクは頭蓋骨からジェムを外した。乾いた音を立てて頭蓋骨が割れる。
 二人のコールリングと鎧も回収した。混ざり合ってしまった二人の遺骨を区別することはできなかったので、一緒に回収する。それでいい。
(こうしていても、まだ半分夢を見てるみたいだ。きみたちがもう、世界のどこにもいないなんて…)
 リコがバルクの隣に膝をついて、そっと背中に手を回す。自分でも気づかないうちに涙が流れていた。
「ありがとう、リコ…。ジュイユ師の言うとおりだ。いい奴はみんな死んでしまった」
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