世界線をかける少女

66号線

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青いバラと正義のヒーロー

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「いよいよだな」
「ああ」
「これで俺たちが世界を支配できる。拡散する種、名付けて"ローゼズ作戦"だ!」
 ビッグ・ベンや東京タワーなどを映したモニターがずらっと並ぶ前で、二人の男は勝利を確信して笑った。

 
 ベッドに腰掛け、丸めた「不合格通知」を再び広げてチコは涙ぐんだ。何度見ても、本命の私立聖女子中学校に落ちたという結果は変わらない。三年間、週五日、夕方六時から終電まで続くスパルタ塾に通い、努力を重ねて来たのに。
「チコ、入るよ」
 自室のドアが開いて、隣の家に住む幼なじみが入ってきた。
「まだ泣いてるのかよ」
 チコは慌てて涙を拭った。幼なじみは空いてるスペースに腰掛ける。
「いい加減、元気出せよ。あれだけ頑張って勉強したんだから残念だったろうけど。俺は嬉しいよ。春から同じ中学に通えるんだからさ」
 憧れの黒と白のブレザーに赤いタータンチェックのスカートの制服が着られないなんて。チコの頭は着損ねた制服のことばかりで、幼なじみの慰めが耳に入ってこない。
「と、とにかく、元気出せよ。これ、俺からの入学祝いだ」
 彼が差し出したのは、可愛い猫がプリントされた二つ折りの鏡だった。
「じゃあな、また中学でもよろしくな」
 幼なじみはそう言って出ていった。チコは鏡で泣きはらした自分のまぶたをまじまじと見つめると「ぶっさ」と吐き捨て、もらったばかりのプレゼントをスカートのポケットに入れた。すると、目の前の空間が突然ぐにゃりと曲がった。

 気がついたら桜の咲く私立聖女子中学校の校門前にチコは立っていて、可愛いと評判の制服を着ていた。
「嘘でしょ。私、もしかしてここの生徒なの? やったぁ」
 チコは跳び上がった。きっと不合格通知は何かの間違いで、自分はきちんと憧れの第一志望校に合格していたのだ。夢にまで見た新しい生活が始まる。期待でウキウキしながら校門をくぐり、チコは一年A組と書かれた教室のドアを開けた。
 しかし、夢心地の彼女をいっぺんに醒めさせる出来事が待っていた。ドアの上から大量の冷水が落ちてきて、無情にもチコをさめざめと濡らした。足元にバケツが転がった。
「何あれ最低~」
 クラスじゅうの女生徒が大爆笑した。
「だっさ。成績トップで入学したからって、調子に乗ってんじゃないわよ」
「本当よね。良い気味」
「ちゃんと片付けなよ~」
 リーダー格の女子と、周りの取り巻きが頭から爪先までずぶ濡れのチコを見ながらクスクス笑う。
 いたたまれない気持ちになって、チコは教室から飛び出した。遊びたいのも我慢して勉強した結果、自分を待ち受けていたのが、嫉妬による陰湿ないじめ。理想と現実の落差に、チコはすっかり虚しくなった。体操着に着替えようとロッカーを開けると、またしても空間がぐにゃりと歪んで中に吸い込まれてしまった。

 今度は薄暗いところへ飛ばされたようだった。放り出された時に思い切り尻もちをついてしまったチコは「うっ」とうめいた。数え切れないくらいのモニターがびっしりと埋め尽くし、二人の男が並んで立っていた。
「なんだ、こいつは」
 派手な蛍光ピンク色のアディダスのジャージ姿で、ゴーグルみたいなサングラスをかけた男が驚いた様子でチコを見た。
「落ち着け、イワン。さっきシステムをいじくり回した時に時空の誤作動で飛ばされてきたんだろう。構うな。それより時間がない」
 背が高く前髪で片目の隠れた男がグラサン男をクールに制止し、作業に集中するように求めた。グラサン男ことイワンは背の高い男へ向き直ると
「ああ、そうだな、ジョシュ」とニヤッと笑って頷いてみせた。
「俺たちの計画は誰にも邪魔されやしないさ、そうだろ」
「ああ、俺たちの"ローゼズ作戦"は誰にも止められやしない。あっはっは」
「残念。あたしに止められないものなんてないのよね」
 声がする方へ全員が振り向くと、迷彩柄のタイトパンツ姿で、高校生くらいの女の子が立っていた。
「誰だお前は」
「また新キャラが出た」
 ジョシュがため息をついた。
「あたしは正義のヒーローよ」
 女の子は右手で腰まである髪をサラッとなびかせた。
「そこまでよ。覚悟しなさい」
 決め台詞の後、彼女は気合いの声とともに飛びかかった。
「面白い。俺が相手だ。ジョシュ、続きを頼むぞ」
 蛍光ピンクジャージのイワンがグラサンを外して遠くへ投げると、指をバキバキと鳴らして正義のヒーローからの攻撃を待ち受ける。ヘビに睨まれたカエルみたいに一連のやり取りをただ見ていたチコはようやく我に帰った。よく分からないけど、男二人は見るからに怪しそうだし、きっと彼らのせいで自分は「入学するはずのない私立聖女子中学校でいじめに遭う」世界線に飛んでしまったのだろう。そして、彼らが決行しようとしている作戦とやらを止めないといけないと本能的に悟った。止めなければ、世界の歴史が劇的に変わってしまうと思ったのだ。
 おそらく、たくさんのモニターに映るのはそれぞれ異なる世界線だ。その下にあるのがそれらを管理するシステムだろう。イワンは正義のヒーローとのバトル真っ最中だが、相方のジョシュは来るべき時に備えて手を動かし続けている。彼は大きな丸い円錐状の部品がついた機械をリュックから取り出すと、システムに嵌め込もうとした。あれで何かをするつもりだろう。あの機械を壊さないといけない。
 いても立ってもいられなくなったチコはジョシュに体当たりした。ジョシュは長い脚で踏ん張って衝撃に耐え、逆に彼女を上から押さえつけてしまった。チコの窮地に正義のヒーローが怯んだ隙を、イワンは見逃さなかった。彼の鋭い目が怪しく光ると、相手の腹部に一発お見舞いしてやった。「悪いね。俺は空手の有段者なのだ」とイワンはいやらしい笑みを浮かべた。


「いよいよだな」
「ああ」
「これで俺たちが世界を支配できる。拡散する種、名付けて"ローゼズ作戦"だ!」
 イワンとジョシュは早くも勝利宣言をした。チコと正義のヒーローはロープでぐるぐる巻きにされ、くくり付けられた柱から冷めた視線を送った。
「ごめんなさい。余計なことをして、あなたの足を引っ張ってしまった」
 チコはしゅんとして正義のヒーローに謝まった。
「大丈夫。まだ終わってないわ」
 正義のヒーローはぱちんとウインクしてみせた。後ろ手に縛られた手が、お尻のポケットに隠し持っていた小型ナイフを取り出す。
「じっとしてて」
 彼女はチコに目配せした。
 男どもは気づく様子もなく、頼まれてもいないのにここに至るまでの道のりをとうとうと語り始めた。
「俺たちのバンド・ブルーローゼズはまさに黄金期だった。解散さえしなければ、今頃は世界一のバンドになっていたはずだ」
 堪えきれずイワンは目に涙を浮かべた。ジョシュが青い種を片手に続ける。
「このバラの種をそれぞれの世界線に撒けば、バンドのサクセスストーリーを組み込んだ青いバラが咲き、過去を書き換える。俺たちは、俺たちの音楽で今度こそ世界を征服できる」
「もう二度と解散しなくて済む!」
「俺たちこそが、世界のトップ・オブ・ザ・トップだ!」
「再び返り咲いてやる、バラだけにな」
 イワンとジョシュは揃って高笑いをした。
「盛り上がってるところ悪いけど、ショーはお開きよ」
 間髪入れずに正義のヒーローが飛び蹴りをかました。不意打ちに慌てたジョシュはエレキギターを改造したレーザー銃で迎撃する。軽々とかわし続けるが、このままでは奴らを止められない。チコはスカートのポケットを探ると、幼なじみにもらった鏡の感触があった。
「伏せて!」
 正義のヒーローが身を低めると、レーザー光線がチコ目掛けて一直線に駆け抜ける。それを鏡で受け止めると光は真っ直ぐに跳ね返り、イワンとジョシュがもろに食らってエレキギターごと吹っ飛んだ。彼らは自分たちが作り上げた機械にぶち当たってそれを壊してしまった。
「反射の法則よ。習わなかった?」
 チコと正義のヒーローはハイタッチした。強い光を浴びたせいか、バラの種が一気に芽吹いてイワンとジョシュをトゲのあるツタでぐるぐる巻きにした。
「うわーやめろ、痛い」
 咲き誇る青いバラの隙間から彼らの悲鳴が聞こえるのだった。


「なぁ、ジョシュ。こんなことしなくても、もっとお互いに歩み寄って話し合っていれば、やり直せたんじゃないかな」
「ああ、そうだな。まだ間に合うさ。時間はたっぷりあるんだし……ムショの中でな」
 護送車の中で、イワンとジョシュはようやく大切なものに気がついた。正義のヒーローとチコはそれを見送った。しばらく沈黙が流れた後、チコの目から大粒の涙がこぼれた。
「なんか、信じて頑張ってきた先の未来が、期待していたものと違ったみたいで。なんだかもう、どうしていいか分からなくなっちゃって」
 正義のヒーローはチコの小さな肩をそっと抱いた。
「チコ、あなたはとても勇敢だったわ。あたしと、世界を救った。もっと自分に自信を持ちなさい。それに、たとえ期待していた未来じゃなかったとしても、幸せはいつもあなたの心が決めるのよ」
 彼女の言葉に涙の雨はますます激しく頬をつたうが、やがて落ち着きを取り戻していった。
「さ、元の世界線に帰りましょう。送ってあげる、この時間操作マシーンでね」
 二人はゆっくりと過去へ向かって歩き始めた。



 表参道ヒルズの前で、正義のヒーローである彼女は可愛い猫がプリントされた二つ折りの鏡をポケットから取り出して眺めた。
「あの時、割れちゃったのよね」
「チコ、ごめん。追試で遅くなった。高校の数学がこんなに難しいなんて、うわぁああ」
 よほど急いでいたのか、足をつんのめって思いっきりダイブしてきた自分の幼なじみをお姫様抱っこで受け止めた。
「ありがとう。世界はもう、救った?」
「ええ。あんたがくれた鏡でね」
 不思議そうな表情を浮かべる幼なじみに、チコは「ふふふ」と笑った。
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