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HANABIとバルーン
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最近、チコの態度がおかしい。
チコは隣の家に住む女子で、親同士が仲が良いのもあって俺とは生まれた時からの付き合いだ。いわゆる幼なじみって間柄だ。何をするのも一緒だった。これまで秘密はずっと共有してきたし、お互いに知らないことはない。そう思っていた。
「チコ、スパイダーマンの新作映画見に行かないか」
たまたま手に入れた無料鑑賞券二枚を手に、俺は勢いよくドアを開けた。チコは自分の部屋にいなかった。いつもならとっくに下校しているはずの時間なのに、このところずっと不在がちだ。
「ごめんなさいね。いつも誘ってくれてありがとう」
チコのお母さんが申し訳なさそうに言う。少なくとも直近で二週間は毎日謝られている。
学校でもこんな調子だ。俺は奴とはクラスが違うので、休み時間になると廊下で待機して動向を観察した。自分でも少しやり過ぎだと思うが、こんなに一緒に何もしない時間は初めてだったので、なんだかとても気になって仕方がなかった。
「チコ、昼飯もう食べたか?」
「チコ、放課後、駅前の鯛焼き屋で食わない?」
「おい~ 昨日のガキ使見たか? 最高だったよな」
柱の影から床の下から現れては気さくに話しかける俺。
「悪い、また後で」
上の空な返事を残して、通り過ぎるチコの後ろ姿を俺は見送るばかりだった。
次の日もチコが教室から出てくるのを待った。とにかく、じっとしていられなくて、不安だった。いつも通り、名前を呼ぼうとして、やめた。やめざるを得なかった。チコは同じクラスの男子と並んで歩いていた。二人のやりとりから、話題に花が咲いているのが手にとるように伝わってくる。ああ、よそよそしかった理由はこれだったのか。頭では驚くほど冷静に悟っていたが、全身からじんわりと嫌な汗が出るのを感じながら、踵を返した。
毎年、花火大会は一緒に行ってたけど、きっと十六回目の今年の花火はあいつと見るんだろうな。自宅のベッドに寝転び、天井を眺めながらぼんやりとそんなことを思った。俺はチコのいない夏祭りなんて考えられなかった。今までも、これからもずっと一緒に行くんだと漠然と思っていた。それが当たり前ではない現実が突然目の前に現れて、俺はただ、どうしていいか分からないでいた。もちろん、陰キャの俺にだってチコ以外にも友達はいるが、どういうわけかどいつもこいつもこぞりこぞって即席のカップルになっていて売約済みだった。LINEでそいつらに畜生と悪態をついた。
突然、頭に豆電球が灯った俺は、ベッドから飛び起きて机の引き出しを漁った。確か、まだあれが残っているはずだった。予感通りに奥の方に押しやられていたそいつを引っ張り出した。
毎年、うちの地元で七月に開催される花火大会は地方からも見物客が来る程度には賑わう。ずらっと並んだ屋台の間を黒山の人だかりが埋め尽くし、盛況ぶりを物語る。地元出身という某有名ロックバンドの、天体観測をテーマにした代表曲が必ず最後に流され、打ち上げられた花火が楽曲の世界観に彩りを添える。夏の夜空に次々と描かれる芸術作品を目当てに全国からファンが押し寄せ、人の海でごった返していた。
「すごい、こんなの初めて」
ポニーテールを揺らしながら彼女がはしゃいだ。浴衣にあしらわれた赤い金魚が、彼女が動くたびに波打つ。笑顔の絶えない愛嬌のある、良い子だ。年齢の割りにクールなチコとは大違い。俺のよく知らない男と手をつないで歩いているチコの姿が脳裏に浮かんだ。
「カップルは全員成敗してやるぅう!!!お前らは全員クソだ!!!!!!!!!!うおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
まさか、自分の心の声が無意識に口から漏れたのかと跳び上がった。しかし、悲鳴とともに客が一斉にこちらに押し寄せてきたので声の主はどうやら俺じゃないようだ。驚きと安心も束の間、いつか見たモーゼの映画みたいに人の海が左右へ開き、奥から小太りの男が砂埃を巻き上げさせて突進してきた。右手に、刃渡り十センチくらいのナイフを持っているではないか。真っ赤に充血させた両目を釣り上げ、小太りの男はこの世の男女カップルに対する恨み辛みをぶつぶつ撒き散らしながら俺の方へ向かってくる。身体が膠着して動けない。既にその距離は目と鼻の先まで縮まっていた。男のナイフが俺を目掛けて振り落とされるや否や、彼女が飛び込んた。
ぱあん!
俺を身を挺して庇ってくれた彼女は割れた。
「え? 今、確かに女がぁ、えっえっ、うわあああああああ」
ことの事態が飲み込めなかった小太り男は大いに気が動転したようで、パニックで手からナイフを取りこぼした。逃げ出そうと足を踏みこんだその下に、たまたま誰かが食って投げ捨てたバナナの皮があって滑って地面に頭を打ちつけた。そのまま男は泡を吹いた。取り押さえようとした俺は、かつて元彼女だった割れたバルーンの残骸に足を滑らせて男の厚ぼったい腹上にダイブした。我ながらなんとも拍子抜けな幕引きとなった。
大勢の来場客は、目の前で突発的に始まったわずか2分くらいのハプニングを面食らいながらも見守っていた。そのなかのある男が落ちていたナイフを拾い上げ、刃先を手のひらに押し当てた。するとぺこっと音を立ててナイフの刃が鞘の内部に収まった。どうやら小太り男の武器は屋台でよく売ってるおもちゃだったと判明した。
「何やってんの?」
猫のお面を頭につけ、たこ焼きを頬張るチコが野次馬の隙間からひょこっと顔を覗かせた。
ベンチに腰を下ろし、たこ焼きを俺の前に差し出しながら「あんたって本当にドタバタ劇が好きだね」とチコはゲラゲラ笑って俺の肩を叩いた。
「いくらモテないからって、まさか人型バルーン使ってまで見栄を張るなんてね。いつの時代の人間よ」
腹を抱えながらチコは笑った。
「うっせ、お前こそ、男をそこまでからかう女はモテないぞ。大体、よくつるんでたあいつはどこ行ったんだよ。俺との約束よりも優先してたくせに」
最後の方は消え入りそうな声になってしまった。
「まさかあんた妬いてるの?」
危うくたこ焼きが喉に詰まるかと思った。
「あの子はただのクラスメイト。偶然見かけた女の子に一目惚れして、たまたま一緒にいた私に相談に乗って欲しいって。恋のお相手は、あんたもよく知ってる子」
チコの笑い声がエスカレートしていく。
「黒いアディダスのジャージ着て原宿をぶらつく女なんか、この世に一人しかいなくない?」
右の口角が不自然に引き釣り上がって、俺の顔は奇妙な表情を作りだした。前回とは違った意味で変な汗が全身から出た。
「それで……お前はそいつのこと何とも思ってないの?」
沈黙が流れる。
「全然」
少しは脈があったんじゃないだろうか。
「俺は、お前の方が、可愛いと思うけどな。俺が言うのもなんだけど……」
大きく目を見開き、チコは俺の方を振り向く。久しぶりにまともに俺の顔を見てくれた。
「俺、お前はあいつと花火を見に行くんだと思ったよ。今まではいつも一緒だったから、もうどうしていいか分からなくて……チコとずっとこれからも、当たり前のように過ごせるんだと思ってた」
バンドの曲が流れて、フィナーレの始まりを告げる。
「最後の花火に今年もなったなぁ」
どこかで聞いたことのある歌をチコが口ずさんだ。
「こうして一緒に見てるじゃん」
チコがそっと俺の手を取った。嬉しくて、俺もきゅっと握り返した。ベンチの上で、最高のお祭りがようやく始まった。
これは、チコによる後日談。
片思いの相談をしていたクラスメイトの男子は祭りの日、想い人であるアディダス黒ジャージの女子を見つけた。喜び勇んで後ろから肩を叩いたら、目の前でぱあん! と割れて派手に腰を抜かしたらしい。
我が幼なじみのほのかな気持ちを翻弄したことに対する、ちょっとした仇討ちが成功したようだ。俺はざまあみろとほくそ笑んだ一方、心の中に彼への同情が波紋みたいに広がった。誰も見ていないところで俺は両手を合わせて謝る仕草をしたのだった。
チコは隣の家に住む女子で、親同士が仲が良いのもあって俺とは生まれた時からの付き合いだ。いわゆる幼なじみって間柄だ。何をするのも一緒だった。これまで秘密はずっと共有してきたし、お互いに知らないことはない。そう思っていた。
「チコ、スパイダーマンの新作映画見に行かないか」
たまたま手に入れた無料鑑賞券二枚を手に、俺は勢いよくドアを開けた。チコは自分の部屋にいなかった。いつもならとっくに下校しているはずの時間なのに、このところずっと不在がちだ。
「ごめんなさいね。いつも誘ってくれてありがとう」
チコのお母さんが申し訳なさそうに言う。少なくとも直近で二週間は毎日謝られている。
学校でもこんな調子だ。俺は奴とはクラスが違うので、休み時間になると廊下で待機して動向を観察した。自分でも少しやり過ぎだと思うが、こんなに一緒に何もしない時間は初めてだったので、なんだかとても気になって仕方がなかった。
「チコ、昼飯もう食べたか?」
「チコ、放課後、駅前の鯛焼き屋で食わない?」
「おい~ 昨日のガキ使見たか? 最高だったよな」
柱の影から床の下から現れては気さくに話しかける俺。
「悪い、また後で」
上の空な返事を残して、通り過ぎるチコの後ろ姿を俺は見送るばかりだった。
次の日もチコが教室から出てくるのを待った。とにかく、じっとしていられなくて、不安だった。いつも通り、名前を呼ぼうとして、やめた。やめざるを得なかった。チコは同じクラスの男子と並んで歩いていた。二人のやりとりから、話題に花が咲いているのが手にとるように伝わってくる。ああ、よそよそしかった理由はこれだったのか。頭では驚くほど冷静に悟っていたが、全身からじんわりと嫌な汗が出るのを感じながら、踵を返した。
毎年、花火大会は一緒に行ってたけど、きっと十六回目の今年の花火はあいつと見るんだろうな。自宅のベッドに寝転び、天井を眺めながらぼんやりとそんなことを思った。俺はチコのいない夏祭りなんて考えられなかった。今までも、これからもずっと一緒に行くんだと漠然と思っていた。それが当たり前ではない現実が突然目の前に現れて、俺はただ、どうしていいか分からないでいた。もちろん、陰キャの俺にだってチコ以外にも友達はいるが、どういうわけかどいつもこいつもこぞりこぞって即席のカップルになっていて売約済みだった。LINEでそいつらに畜生と悪態をついた。
突然、頭に豆電球が灯った俺は、ベッドから飛び起きて机の引き出しを漁った。確か、まだあれが残っているはずだった。予感通りに奥の方に押しやられていたそいつを引っ張り出した。
毎年、うちの地元で七月に開催される花火大会は地方からも見物客が来る程度には賑わう。ずらっと並んだ屋台の間を黒山の人だかりが埋め尽くし、盛況ぶりを物語る。地元出身という某有名ロックバンドの、天体観測をテーマにした代表曲が必ず最後に流され、打ち上げられた花火が楽曲の世界観に彩りを添える。夏の夜空に次々と描かれる芸術作品を目当てに全国からファンが押し寄せ、人の海でごった返していた。
「すごい、こんなの初めて」
ポニーテールを揺らしながら彼女がはしゃいだ。浴衣にあしらわれた赤い金魚が、彼女が動くたびに波打つ。笑顔の絶えない愛嬌のある、良い子だ。年齢の割りにクールなチコとは大違い。俺のよく知らない男と手をつないで歩いているチコの姿が脳裏に浮かんだ。
「カップルは全員成敗してやるぅう!!!お前らは全員クソだ!!!!!!!!!!うおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
まさか、自分の心の声が無意識に口から漏れたのかと跳び上がった。しかし、悲鳴とともに客が一斉にこちらに押し寄せてきたので声の主はどうやら俺じゃないようだ。驚きと安心も束の間、いつか見たモーゼの映画みたいに人の海が左右へ開き、奥から小太りの男が砂埃を巻き上げさせて突進してきた。右手に、刃渡り十センチくらいのナイフを持っているではないか。真っ赤に充血させた両目を釣り上げ、小太りの男はこの世の男女カップルに対する恨み辛みをぶつぶつ撒き散らしながら俺の方へ向かってくる。身体が膠着して動けない。既にその距離は目と鼻の先まで縮まっていた。男のナイフが俺を目掛けて振り落とされるや否や、彼女が飛び込んた。
ぱあん!
俺を身を挺して庇ってくれた彼女は割れた。
「え? 今、確かに女がぁ、えっえっ、うわあああああああ」
ことの事態が飲み込めなかった小太り男は大いに気が動転したようで、パニックで手からナイフを取りこぼした。逃げ出そうと足を踏みこんだその下に、たまたま誰かが食って投げ捨てたバナナの皮があって滑って地面に頭を打ちつけた。そのまま男は泡を吹いた。取り押さえようとした俺は、かつて元彼女だった割れたバルーンの残骸に足を滑らせて男の厚ぼったい腹上にダイブした。我ながらなんとも拍子抜けな幕引きとなった。
大勢の来場客は、目の前で突発的に始まったわずか2分くらいのハプニングを面食らいながらも見守っていた。そのなかのある男が落ちていたナイフを拾い上げ、刃先を手のひらに押し当てた。するとぺこっと音を立ててナイフの刃が鞘の内部に収まった。どうやら小太り男の武器は屋台でよく売ってるおもちゃだったと判明した。
「何やってんの?」
猫のお面を頭につけ、たこ焼きを頬張るチコが野次馬の隙間からひょこっと顔を覗かせた。
ベンチに腰を下ろし、たこ焼きを俺の前に差し出しながら「あんたって本当にドタバタ劇が好きだね」とチコはゲラゲラ笑って俺の肩を叩いた。
「いくらモテないからって、まさか人型バルーン使ってまで見栄を張るなんてね。いつの時代の人間よ」
腹を抱えながらチコは笑った。
「うっせ、お前こそ、男をそこまでからかう女はモテないぞ。大体、よくつるんでたあいつはどこ行ったんだよ。俺との約束よりも優先してたくせに」
最後の方は消え入りそうな声になってしまった。
「まさかあんた妬いてるの?」
危うくたこ焼きが喉に詰まるかと思った。
「あの子はただのクラスメイト。偶然見かけた女の子に一目惚れして、たまたま一緒にいた私に相談に乗って欲しいって。恋のお相手は、あんたもよく知ってる子」
チコの笑い声がエスカレートしていく。
「黒いアディダスのジャージ着て原宿をぶらつく女なんか、この世に一人しかいなくない?」
右の口角が不自然に引き釣り上がって、俺の顔は奇妙な表情を作りだした。前回とは違った意味で変な汗が全身から出た。
「それで……お前はそいつのこと何とも思ってないの?」
沈黙が流れる。
「全然」
少しは脈があったんじゃないだろうか。
「俺は、お前の方が、可愛いと思うけどな。俺が言うのもなんだけど……」
大きく目を見開き、チコは俺の方を振り向く。久しぶりにまともに俺の顔を見てくれた。
「俺、お前はあいつと花火を見に行くんだと思ったよ。今まではいつも一緒だったから、もうどうしていいか分からなくて……チコとずっとこれからも、当たり前のように過ごせるんだと思ってた」
バンドの曲が流れて、フィナーレの始まりを告げる。
「最後の花火に今年もなったなぁ」
どこかで聞いたことのある歌をチコが口ずさんだ。
「こうして一緒に見てるじゃん」
チコがそっと俺の手を取った。嬉しくて、俺もきゅっと握り返した。ベンチの上で、最高のお祭りがようやく始まった。
これは、チコによる後日談。
片思いの相談をしていたクラスメイトの男子は祭りの日、想い人であるアディダス黒ジャージの女子を見つけた。喜び勇んで後ろから肩を叩いたら、目の前でぱあん! と割れて派手に腰を抜かしたらしい。
我が幼なじみのほのかな気持ちを翻弄したことに対する、ちょっとした仇討ちが成功したようだ。俺はざまあみろとほくそ笑んだ一方、心の中に彼への同情が波紋みたいに広がった。誰も見ていないところで俺は両手を合わせて謝る仕草をしたのだった。
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