上 下
14 / 28
第2部 日本・東京

第13話

しおりを挟む
 英会話教室には大きく分けて三つのコースがある。
ひとつは複数人でひとつの教材を使用し、文法から発音までレッスンするコース。最も典型的であり、殆どがこのパターンだ。
もうひとつはTOEICや実用英語技能検定試験、すなわち英検など目標の語学検定試験に合格するためのコース。これは各試験の直前期になると受講申し込みが殺到する。短期間でがっちり稼げるので講師としてはおいしい仕事となっている。
 そして最後は講師と受講生とのマンツーマンでの個人レッスンだ。俺は英会話講師としての日は浅いので、まずは個人レッスンでだんだんと仕事に慣れていく方針となった。
 個人レッスンの受講生にもパソコン教室同様、いろんなタイプがいた。
 日本の首都・東京の大ジャンクションである渋谷駅徒歩十分という好立地条件から、仕事帰りのビジネスマンがその多くを占めていたが、彼らは個性的な性格の持ち主であった。ドバイの支店へ転勤となった某広告代理店の営業マン・高橋さんもその一人である。海外赴任する前に英会話を習いたいと当教室の門を叩いた立派な志をお持ちの方なのだが、会話の内容がいつも奇抜だった。
「ミスター高橋、しばらくお会いしませんでしたが、ご機嫌いかがですか」
「先生、ご無沙汰しています。実はここしばらく風邪を引いていて大事を取ってお休みしていました」
 筋骨隆々でいかにも「健康がとりえ」を絵に描いたような高橋さんが体調を崩すなんてかなり意外だった。
「それは大変でしたね。夏風邪は治りにくいと聞きます。お仕事がお忙しいのですか?」
 普通にしていて高橋さんが病気になるはずがないと思ったのだ。
「いいえ、繁忙期でもありませんし、仕事量は至って通常通りです。ただ、クライアントが久々に少しばかり過激な要求をしてきましてね。でも僕たち営業の人間にとってクライアントの命令は絶対服従なので逆らえません。ということで、やってしまいました」
 俺はここまで聞いて話の要領を得られなかった。不思議そうな顔をしていると、高橋さんは続けた。
「先生、北海道の湖は夏でも結構水が冷たいんですよ」
「まさか」
 俺ははっとした。高橋さんはニッコリとして言った。
「ええ、そのまさかです。先日、出張で北海道に行ったのですが、先方が長いことご無沙汰してしまったお得意様なので、お詫びの印として宴席を設けました。ススキノでも指折りの高級店なのですが、それでもお気に召さなかったようで。どうすればご機嫌を直していただけますかとお尋ねしたら、こう言われたんです」
 こほんと咳払いをする真似をして高橋さんは言った。
「では高橋さん、日本最北にある湖をご存知ですか。そこに人が飛び込んだら、面白いと思いませんか、ってね」
「そんな無茶な」
もはや叫び声に近い大きな声が俺の口からこぼれた。
「でも、僕たちはクライアントがやれと言ったらやるんです」
 高橋さんの表情は変わらなかった。
「もちろん、僕たちは日本最北にある湖なんて知らなかった。でも、後日クライアントに連れて行ってもらって。もちろん僕たちは飛び込みました。やっぱり冷たかったですよ。今が冬じゃなくて良かったなぁ」
 遠い目をして過ぎた日を振り返り、水の冷たさを思い出したのか高橋さんは身ぶるいした。湖のなかでお笑い芸人さながらのリアクションを取る四十過ぎの男を想像した。くすっと笑えた。
 高橋さんの淡白な口調から察して、こういった事は日常茶飯事なのだろう。もし、重客であるクライアントに死ねと言われたら、広告代理店の営業マンは迷うことなく死ぬんじゃないだろうか。明確な根拠こそ無いが、俺はそう確信してしまった。
「オーマイガー」
 心から俺は彼らに同情した。日本経済を支えるビジネスマンの哀愁に敬意を表せずにはいられなかった。
「あはは、外国の人って本当にオーマイガーって言うんですね」
 くったくなく無邪気に笑う高橋さんが俺はちょっと怖かった。俺は右手を額の横にかざして敬礼してみせた。高橋さんも真似して敬礼した。しばらく二人ともそのままで動かなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

サイキック・ガール!

スズキアカネ
恋愛
『──あなたは、超能力者なんです』 そこは、不思議な能力を持つ人間が集う不思議な研究都市。ユニークな能力者に囲まれた、ハチャメチャな私の学園ライフがはじまる。 どんな場所に置かれようと、私はなにものにも縛られない! 車を再起不能にする程度の超能力を持つ少女・藤が織りなすサイキックラブコメディ! ※ 無断転載転用禁止 Do not repost.

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ちょっと訳ありご当地アイドルな私とさらに訳あり過ぎなアイドルヲタな俺の話

麻木香豆
恋愛
引きこもりなトクさんはとある日、地方アイドルを好きになる。 そしてそんなアイドルも少し訳ありだけど彼女の夢のために努力している! そんな二人が交互に繰り広げるラブコメ。 以前公開していた作品を改題しました

ヘルツを彼女に合わせたら

高津すぐり
青春
大好きなラジオ番組「R-MIX」を聴こうとした高校生のフクチは、パーソナリティが突然、若い少女に代わった事に衝撃を受ける。謎の新人パーソナリティ・ハルカ、彼女の正体は一体? ラジオが好きな省エネ男子高校生と、ラジオスターを目指す女子高校生の青春物語。

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...