8 / 28
第1部 イギリス・ロンドン
第7話
しおりを挟む
今夜はハイドパークで大きな野外音楽フェスがある。俺の好きなバンドも出演するので興味はあったが、チケットは瞬く間に売り切れてしまった。運よくチケットを手に入れたであろう、ハイスクール帰りの少女たちがお揃いのタオルを手にして小走りで大通りを駆けて行く。
オフィスを出てから、一時間くらい俺はぼんやりと歩いていた。大慌てで走る女子高生と肩がぶつかる。衝撃と鈍痛で俺の思考がようやく現代に戻ってきた。少女たちは俺にぶつかったことなど気に留めることなく、中年まで一歩手前のくたびれた男を後に残して去っていった。ふいに頬に冷たい感触があった。雨だ。顔を上げると曇天の遠くに光の輪がかすかに見えた。何の予定も無い俺はそこに行ってみることにした。
自分の両親がこの世の存在ではなくなったと感じたあの日。
程なくしてふたりは別れた。
母は日本の両親に引き取られ帰国した。その後音信不通となり、現在は行方が分からない。どこにいて、何をしているのか。元気に暮らしているのか。それともまだ生きているのかもさっぱり解らない。
小学生の俺は父と二人で暮らした。俺が中学に上がる頃、父は古い友人の勧めで一度再婚したが、長く続かなかった。寡黙な男は時折見せる饒舌さも影を潜め、何も話さなくなり、代わりに以前より酒を飲む機会が増えた。思えば、彼は自分自身をずっと責めていたのだろう。
「俺は幸せになってはいけない人間なんだ」
空いた無数のウォッカの瓶と、こんな後ろ暗い口癖だけがアパートメントの床に転がった。
光の輪の正体はロンドンアイだった。単なる観覧車だが、その形状が人間の目に似ていることから「ロンドンアイ」と名付けられた。
世界的都市ロンドンに突如として生まれた巨大な瞳。
「こいつに嫌われると瞳から発射する熱ビームで黒こげにされちまう。だから良い子にしてるんだよ」
三歳の頃、親父にそう脅された記憶が蘇る。俺は券売機で切符を購入して係員に渡し、おもむろに観覧車内に滑り込んだ。
オフィスを出てから、一時間くらい俺はぼんやりと歩いていた。大慌てで走る女子高生と肩がぶつかる。衝撃と鈍痛で俺の思考がようやく現代に戻ってきた。少女たちは俺にぶつかったことなど気に留めることなく、中年まで一歩手前のくたびれた男を後に残して去っていった。ふいに頬に冷たい感触があった。雨だ。顔を上げると曇天の遠くに光の輪がかすかに見えた。何の予定も無い俺はそこに行ってみることにした。
自分の両親がこの世の存在ではなくなったと感じたあの日。
程なくしてふたりは別れた。
母は日本の両親に引き取られ帰国した。その後音信不通となり、現在は行方が分からない。どこにいて、何をしているのか。元気に暮らしているのか。それともまだ生きているのかもさっぱり解らない。
小学生の俺は父と二人で暮らした。俺が中学に上がる頃、父は古い友人の勧めで一度再婚したが、長く続かなかった。寡黙な男は時折見せる饒舌さも影を潜め、何も話さなくなり、代わりに以前より酒を飲む機会が増えた。思えば、彼は自分自身をずっと責めていたのだろう。
「俺は幸せになってはいけない人間なんだ」
空いた無数のウォッカの瓶と、こんな後ろ暗い口癖だけがアパートメントの床に転がった。
光の輪の正体はロンドンアイだった。単なる観覧車だが、その形状が人間の目に似ていることから「ロンドンアイ」と名付けられた。
世界的都市ロンドンに突如として生まれた巨大な瞳。
「こいつに嫌われると瞳から発射する熱ビームで黒こげにされちまう。だから良い子にしてるんだよ」
三歳の頃、親父にそう脅された記憶が蘇る。俺は券売機で切符を購入して係員に渡し、おもむろに観覧車内に滑り込んだ。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
【完結】その同僚、9,000万km遠方より来たる -真面目系女子は謎多き火星人と恋に落ちる-
未来屋 環
ライト文芸
――そう、その出逢いは私にとって、正に未知との遭遇でした。
或る会社の総務課で働く鈴木雪花(せつか)は、残業続きの毎日に嫌気が差していた。
そんな彼女に課長の浦河から告げられた提案は、何と火星人のマークを実習生として受け入れること!
勿論彼が火星人であるということは超機密事項。雪花はマークの指導員として仕事をこなそうとするが、日々色々なことが起こるもので……。
真面目で不器用な指導員雪花(地球人)と、優秀ながらも何かを抱えた実習生マーク(火星人)、そして二人を取り巻く人々が織りなすSF・お仕事・ラブストーリーです。
表紙イラスト制作:あき伽耶さん。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
日給二万円の週末魔法少女 ~夏木聖那と三人の少女~
海獺屋ぼの
ライト文芸
ある日、女子校に通う夏木聖那は『魔法少女募集』という奇妙な求人広告を見つけた。
そして彼女はその求人の日当二万円という金額に目がくらんで週末限定の『魔法少女』をすることを決意する。
そんな普通の女子高生が魔法少女のアルバイトを通して大人へと成長していく物語。
Husband's secret (夫の秘密)
設樂理沙
ライト文芸
果たして・・
秘密などあったのだろうか!
むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ
10秒~30秒?
何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。
❦ イラストはAI生成画像 自作
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ヘルツを彼女に合わせたら
高津すぐり
青春
大好きなラジオ番組「R-MIX」を聴こうとした高校生のフクチは、パーソナリティが突然、若い少女に代わった事に衝撃を受ける。謎の新人パーソナリティ・ハルカ、彼女の正体は一体?
ラジオが好きな省エネ男子高校生と、ラジオスターを目指す女子高校生の青春物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる