女神は真価を問う

あやさと六花

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2話

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 シャーロットとレオナルドの出会いは遡ること三年前、シャーロットが十四歳、レオナルドが十六歳の頃だった。

 その日、シャーロットは母と王都の公園に来ていた。当時の母は家にいることを嫌がり、シャーロットの予定が空いていれば彼女も伴って頻繁に外出していた。

 母もシャーロットも物欲があまりなく買い物を好まなかったから、外出先はもっぱら公園や植物園が多かった。

「お母様、湖を見に行っても良いでしょうか?」

 古くからの友人に遭遇し、話し込んでいる母にそっと尋ねれば、メアリーも一緒ならと許可をもらえた。メアリーは母方の親戚で、シャーロットの乳姉妹でもあり、母の信頼は篤い。

 陽光に煌めく湖面では水鳥たちが戯れていた。鳥を守り神とするラナ教の敬虔な信徒であり、動物好きでもあるシャーロットは頬を緩ませる。

 かわいらしい鳥たちを、もっと近くで見たいと思った。

 淑女教育を受け、男爵令嬢としての品を保つよう心がけていたシャーロットだったが、その時は浮かれていた。それに加えて母が不在だったため、生来のお転婆気質が顔を覗かせる。

 湖へ駆け出したのだ。

 裾の長いドレスを纏い、レースのついた日傘を持ち、ヒールの高い靴を履いた状態で。

「お嬢様、おやめください! 危ないですよ!」

 メアリーの危惧通り、シャーロットはドレスの裾を踏んで体のバランスを崩した。

 傾ぐ視界とメアリーの悲鳴で、シャーロットは己の状態を悟る。来るであろう衝撃と痛みを覚悟し、目を瞑った瞬間、浮遊感が彼女の体をさらった。

「え……」

 目を開けると、そこには見知らぬ少年の顔があった。年はシャーロットと近く、顔から幼さは抜けきれていないが、眼差しは落ち着いており大人びている。

 青い暗色の瞳が美しいとシャーロットが思っていると、少年は訝しげに眉を寄せた。

「どうした。怪我でもしたか?」
「あ……い、いいえ! 少し、驚いてしまって……」

 初対面の異性の顔をまじまじと見てしまっていたことに気づいたシャーロットは慌てて視線を下げる。そして、気がついた。

 自分が、彼に抱えられていることに。

「も、申し訳ございませんっ! ご迷惑をおかけしてしまいました!」
「気にしなくていい」

 頬に熱が集まり混乱するシャーロットとは対象的に、少年は淡々と足をくじいてないかを確認すると、シャーロットを地面に下ろした。

 醜態ばかり見せてしまったことが恥ずかしくてたまらず、少しでも挽回をしようとシャーロットは背筋を伸ばす。

「助けていただき、ありがとうございます。私、グレイス男爵家長子、シャーロットと申します」
「俺はポーレット子爵家次男、レオナルドだ」

 身なりから推測した通り、彼は貴族だった。ポーレット子爵家との繋がりはないが、社交界デビューしたら会うこともあるかもしれないとシャーロットが考えていると、ふいに影が差した。

「お嬢様、あれほど気をつけてくださいと申しましたのに! お怪我をなされたら、どうしようかと……!」

 転んだ拍子に手放してしまった日傘を拾ったメアリーがシャーロットに日傘を差し掛けていた。シャーロットは謝るが、メアリーの嘆きは止まず、困り果てていると救いの手が現れた。

「そう言ってやるな。彼女も十分反省している。そうだろう?」
「ええ。ごめんなさいね、気をつけるわ」

 メアリーは心底反省するシャーロットの言葉に安堵したが、すぐにはっとした表情を浮かべ、他家の貴族であるレオナルドに会話を遮ってしまった失態を詫びた。

 彼はメアリーの謝罪を受け取り、シャーロットを見やる。

「先程の騒動で驚いて逃げてしまったが、すぐに戻ってくるはずだ」

 なんの話かわからず目を瞬かせるシャーロットにレオナルドは笑みを浮かべる。

「鳥だ。あれが見たくて、駆け出したんだろう?」
「え……気づいていらして……?」
「ああ。淑やかな態度だったのに、鳥を見た途端、顔を輝かせていたからな。よほど好きなんだろうと思った」

 幼稚な姿を見られてしまっていたのだと一瞬いたたまれなさを感じたが、レオナルドの顔を見て、シャーロットの負の感情は霧散した。

 なぜなら、レオナルドの表情には家庭教師が浮かべていたような呆れなどはなく、微笑ましいものを愛でるような優しさがあったから。

 きっとその時、シャーロットはレオナルドに恋をしたのだろう。



 馬車から降りると、大聖堂の静謐な空気がシャーロットとメアリーを出迎えた。

 幼い頃から慣れ親しんだそれにシャーロットは居住まいを正すが、気持ちまでは切り替えることが出来ない。

「レオナルド様……」 

 あの出会いから二週間ほどが経つ。シャーロットとしてはもう少し話していたかったのだが、母がこちらへ向かってくるのが見えたため、すぐに別れることになったのだ。

 それを、後悔していた。

 あれから何度か湖へ足を運んでいるが、レオナルドと再会することはなかった。

 グレイス家とポーレット家には直接的な接点はなく、お茶会で他家を通じて繋がりを得ようとすれば、婚約を望んでいるのかとあらぬ噂をされて彼に迷惑をかけてしまうかもしれない。両親に頼むのも邪推されるだけだ。

 シャーロットはただ彼と純粋に話がしたかった。彼女の淑女らしくない一面を見ても嫌悪を示さなかった人は初めてで、嬉しかったのだ。

 もちろん、異性である彼との接触を望むのは、はしたないという自覚はある。社交界デビューまで待てばいいだけだと理解はしているのだが、シャーロットは早く彼に会いたかった。

 だが、穏便に、問題なくレオナルドに会う術がない。つい、ため息がこぼれてしまった。

「グレイス男爵令嬢、体調を崩されたのですか?」

 通りがかった馴染のシスターが心配そうに声をかける。
 笑顔を顔に貼り付け、なんでもないと取り繕えば、良かったとシスターは表情を和らげた。

「そういえば、先日、やっと壁画の修繕が終わったんです」
「新しいデザインにするって言ってたわね。ふふ、見るのが楽しみだわ」
「これもグレイス様が多額の寄付をしてくださったからです。ありがとうございます」
「……お役に立てたのなら、何よりよ」

 シャーロットの心に陰りをもたらす褒め言葉に、微笑みで応える。シスターは本心から言っているが、貴族の中には慈善活動に勤しむグレイス家を讃えるふりをして嘲笑する者も存在するのだ。

 所詮は成金風情の貴族の真似事。爵位を金で買った下劣な一族が自らを高貴な者だと思い込むのに必死だと。

 グレイス家は数代前に財を成し、爵位を得た家系だった。それから由緒正しい男爵家や子爵家の令嬢と婚姻を結び縁を繋いできたが、社交界での評価は変わらなかった。

 社交界デビュー前ではあるが、母と共に参加した数回のお茶会でシャーロットは成り上がりの家がどのような目で見られるのか、身を持って知っていた。

 貴族社会とは恐ろしいものだとシャーロットはつくづく思う。始まりが卑しければ永劫蔑まれる。尊い身分の人々にとっては当たり前のことに不満を覚えてしまうことこそが、シャーロットが貴族になりきれない証なのかもしれない。

 こんな家に婿に来てくれる者はいるのだろうか。シスターと別れ、憂鬱な気持ちを引きずりながら、シャーロットは礼拝の間に足を向ける。

「――どうか、良き道を示してください」

 女神像を見上げ、祈りを捧げていると気持ちが軽くなっていく。

「悩んでても仕方ないわね……。縁があれば、社交界デビュー前に会えるでしょう」

 前向きに考え、壁画を見て帰ろうとしたシャーロットの目に、見覚えのある姿が映った。

「ポーレット卿ではありませんか」
「君は……! ……久しぶりだな、グレイス男爵令嬢」

 貴族らしくにこやかに礼をするレオナルドが、一瞬シャーロットを見て気まずそうな表情を浮かべたのを彼女は見逃さなかった。
 彼が出てきた扉を見て、シャーロットは理由を察する。告解室から出てきたところを顔見知りに目撃されるのは誰だって嫌だろう。
 タイミング悪く声をかけてしまったことを申し訳なく思いながらも触れないほうがいいだろうと、シャーロットは何事もなかったかのように微笑んだ。 

「またお会いできて嬉しいです。先日はありがとうございました」
「……ああ。ここで君に会えるとは思わなかった。……ここにはよく来るのか?」
「ええ。どんなに忙しくても、週に一度は必ず来ているんです」

 叙爵した祖先が熱心なラナ教徒であったことから、グレイス家はラナ教を信奉している。シャーロットも物心付いた頃には毎週この大聖堂に足を運んでいたのだと話すと、レオナルドが納得したように頷いた。

「だから、あの時鳥に駆け寄ろうとしたんだな」
「そう、ですわ……」

 ラナ教徒は守り神である鳥を大切にしている。シャーロットが信徒として鳥に祈りを捧げようと思ったのも事実ではあるが、単に側で鳥を愛でたかったのだ。

 知られたら恥でしかない本音。隠しておくべきそれを飲み込みかけて、シャーロットはレオナルドを見た。

「どうした?」

 何か言いたげなシャーロットが話しやすいようにか、彼は口角をわずかにあげた。凛々しい顔立ちをしているのに眼差しはあの日と同じく穏やかで、シャーロットにはこの顔に嘲笑が浮かぶのが到底想像できなかった。

 だから、勇気を出せた。

「その……、それもありますけれど、もっとよく鳥を見たかったんですの。母と一緒だと、水辺に近づくのを禁じられて無理でしたから」

 レオナルドは目を瞬かせたかと思うと、顔をほころばせた。

「そうか」

 優しい声音だった。

 シャーロットの鼓動が大きく高鳴る。もっとその声を聞きたいと思った。もっとその笑顔を向けてほしいと思った。

 淑女であるシャーロットがはしたないと嗜める。貴族令嬢が婚約者でもない男性と親しくなりたいと願うなどありえない。貴族もどきと揶揄される自分と噂になっても迷惑になるだけだろうと。

 天真爛漫なシャーロットが背中を押す。未熟な自分に嫌悪を一切示さない彼とまだ一緒にいたい。大聖堂の中で話をするくらいならば許されるのではないかと。

 葛藤するシャーロットに、レオナルドは口を開いた。

「俺は用を終えたんだが、少し話さないか」
「えっ……」
「無理強いはしない。君が良ければの話だ」

 レオナルドも自分と同じ気持ちでいてくれた。その事実に感激したシャーロットは物言いたげなメアリーの視線に構わず、頷いた。

「ええ、是非ご一緒させてください。ちょうど外壁の壁画を張り替えたそうですので、そちらを見に行きませんか?」

 この日をきっかけに、レオナルドとは大聖堂で頻繁に遭遇するようになり、やがてふたりは思いを通わせるようになった。ポーレット子爵から婚約の打診があり、レオナルドとシャーロットは婚約者となったのだ。
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