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あんな酷い事が自分の身に起きて、どうしたらいいのか、暗闇の中、何もわからなかった。
そして、一夜が明ければ、火の打ち所もない高位の方からの、夢のような縁組の話。
何か裏があるのでは、と疑ってみたのに、私自身を望み、ほしがってくれていると言う事実。
急な展開について行けない気持ちと素直に嬉しい気持ちが絡まる。

「・・・もう、裏切られるのは嫌です。信じてもいいのですか?・・・公爵様は、私で後悔しませんか?」

組んでいた腕を解き、今度は身体ごと私に向き直った。

「後悔などしない。ずーと君だけがほしかったのだから。」

「ずーと?2年前の夜会の時からですか?」

お母様からだが、2年前の社交界のデビューの時に公爵は私を見て、それからだと聞いた事を思い出す。

「・・・いや、もっとまえだ。」

「え?」

2年より前にどこかで会った事があるのだろうか?
デビュー前に社交場の夜会など出たことはない。
他家のお茶会にお母様と御呼ばれしたことはあるが、その時だって公爵を見かけたことも挨拶したこともない。
じゃあ、いったいいつ?
公爵の濃い茶色の瞳の中に私が写っているのが見える。

「・・・寒くなってきたな。中に入ろう。サインもしてくれ。明日には提出したい。」

その話は終わりだ、と言うみたいに私の肩を抱いて寒さから庇う様に屋敷に向かって歩き出す。

「明日?ですか?」

「ああ。・・・。さっきも言ったが、手続きには時間がかかる。通常は1ヶ月から2ヶ月はかかる。まあ、急がせるけど。・・・それから、夫婦になるのだから呼び方を変えてくれないか。今、この場からアンドレアだ。・・・君から爵位で呼ばれるのは寂しい気持ちになる。」

名前で呼ぶなんておこがましいし、気恥ずかしい・・・。
それに、こんな年上の凛々しい方が寂しいだなんて、笑えてくる。

「ふふっ。」

思わず声が漏れて私が笑った事がバレてしまったらしく、歩みを止め公爵がこちらを見たのはサロンへの扉の前。
じーとこちらを見る公爵に、どうしたのか不思議に思うが、だったら自分の提案も聞いて欲しい。

「私の事も・・・エルヴィナ嬢ではなくエルとお呼びください。家族や親しいものはエルと呼びますから・・・アンドレア様。」

そう言って照れながら微笑んだ。
表情を崩さない公爵が私にわかるほど目を見開いた。
馴れ馴れしかったのだろうか?
驚かせてしまったみたい。
でも、すぐにキリリとした凛々しい目元に戻り、代わって真剣なまなざしになった。

「・・・夜会で時折見せる笑顔を遠くで見るだけだった。・・・今はこんなに近くで、私の側で笑ってくれることに、言い切れない喜びを感じる。」

肩にあった公爵の手のほのかな熱が、腕へとすべり力を入れられた。
あのどこかの異国のような男性的な香りを更に強く感じれば、公爵の腕の中へと導かれたのだと気付く。

「こうして抱きしめてみたかった。・・・私の記憶の君は小さいときのままだ。一向に成長しない。君を見るたび、その思いは募ったがどうする事もできなかった。ただ、ただ君の幸せを守りたかったのに・・・かならず、私が守る。だから、もう、離れるな。」

いつ?と、ついさっき疑問に思った事の答えだろうと思われる言葉を紡いでいた唇が、私のそれに重なる。
外の気温のせいか冷たい唇がゆっくりと角度を変えるのがわかる。
唇を合わせだけの、すぐに離れるような幼い口づけしか知らない。
公爵のそれは、お互いの唇をなぞり合い、まるで形を確かめるようなゆっくりとした口づけ。
妖艶と言うのだろうか。
大人の妖しさに怯え、公爵の胸に付く自分の手に力を入れ離れようとした。
それを許さないように、私の頭の後ろに公爵の手が回る。
唇かはもちろん、触れ合う身体から与えられる熱。
そのせいか、次第に身体が熱を持ち、自由が利かなくなり身を委ねてくなるが、まだ怖さのほうが幾分勝っていた。

「・・・んー・・・うっ!」

怖さから胸が詰まるような感覚を覚え、呻く声と涙が一すじ頬を流れた。
公爵の手が背中をすべる。
唇を開放された。
そっと身体は抱きしめられ、深い安堵を感じる。
肩で息をする私の背中をあやすように撫でる。

「・・・怖がらせるつもりはない。ただ、私が君を欲しがっていることを、私の君に対する欲望を知っていてほしかった。・・・あの男と見ていた夢物語ではなく、私と一緒になるという現実を見て欲しい。・・・落ち着くまでこうしているから、ゆっくり呼吸を整えて。」

確かにジェラールとの未来は、綺麗な結婚のドレスを身に纏い、そして毎日楽しく暮らす自分しか思い描いていなかった。
どこかふわふわとして、家族に守られて、今までと変わりなく暮らすのだと思っていた。
公爵が言う欲望とは心なのか身体なのかよくわからない。
もしかして両方なのか。
先ほどの荒々しさとは違い、本当に優しく、温かな綿で包むように私を待っていてくれている公爵に、落ち着いてくれば守られたい、と心から思った。





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