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第一章 未知を抱く者
イリージャの店
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イリージャの店は、ポセイディアの街中でも一際庶民たちで賑わう横丁の一角にあった。広大な緑の庭が自慢の軽食屋で、店内には果物を煮詰めた甘い匂いが漂っている、ちょっと小洒落た店だ。ラヴァーンにとっては馴染みの店でもある。
シーヴァと別れた後、ラヴァーンはしばし運河を見つめていたのだが、ふいに何か思いつくと来た道を引き返し、この店までやって来たのだった。
ラヴァーンはイリージャの店の前に立つと、窓から中の様子を伺った。顔なじみの女主人はいるだろうか、と思いながら店内に足を踏み入れると、いつもと同じように店の中は大勢の客で賑わっていた。
( 相変わらずの人気だな )
この店の繁盛ぶりに感心しつつ空いてるカウンター席に座ると、ラヴァーンは店内を見回しイリージャの姿を探した。
「 ラヴァーンじゃないの! 」
ふいに甲高い声が調理場のほうから響いてくると、若い娘が嬉しそうに顔を覗かせた。彼女はあっという間にラヴァーンの前にやって来た。
「 もう一か月もお店に来てくれないんだから。ひどいわ 」
「 ・・シエナ。イリージャは? 」
「 ちょっと! 久しぶりに会ったのに、あなたったらつれない人ね。私の事は何も聞いてくれないの? 」
シエナはラヴァーンより三つ年上の陽気な娘だった。お喋りで馴れ馴れしいところがラヴァーンはどうも苦手だった。
「 ごめん、シエナ・・イリージャを呼んでくれ。セティと話したいんだ 」
「 もう・・仕方ないわね。ちょっと待ってて 」
名残り惜しそうにラヴァーンの方を振り返りつつシエナが奥に消えると、内心ラヴァーンはホッとした。代わりに快活なリズムでこっちに歩いてくる女性を見つけると、ラヴァーンの顔はほころんだ。長い髪を後ろで一つに束ねた朗らかな女性は、この店の女主人イリージャだった。
「 セティなら倉庫にいるよ。"アトラスの翼"を借りに来たのかい? 」
「 いつも貸してくれるやつがいいんだ・・ 」
そう言ってラヴァーンが懐からお金を取り出そうとしていると、
「 お金ならいいよ。卒業祝いにサービスしとくから。あんた今日卒業式だったんだろ? 」
「 知ってたのか? 」
驚くラヴァーンにイリージャは、
「 商売やってると、色んなところから情報が集まってくるもんさ。それに今年の卒業式は大霊祭の前の満月だって、誰かさんとこの雇い人たちが話してたしね 」
イリージャの店はイシュタル家で働らく者たちの間でも人気があることは知っていたが、これからは家では言葉を慎もうとラヴァーンは思った。うかつにしゃべると何でもイリージャの耳に入ってしまいそうな気がしたからだ。
「 私だってあんたのことお祝いしたいんだよ、ラヴァーン。イシュタル家にはいつもごひいきにしてもらってるしね 」
「 ・・それは、どうも ・・」
ラヴァーンは照れたように小さく呟いた。
「 喉渇いただろう? これを飲んでいきな 」
イリージャはラヴァーンの前に大きめのグラスを一つ差し出した。その中にポットから甘酸っぱい香りのお茶を注ぐと、新鮮なラッカの葉をお茶の上に一枚乗せた。
「 シロップはどれにする? 」
カウンターには色とりどりの瓶が並んでおり、中には様々な果物のシロップが入っている。ラヴァーンがオレンジ色の果実の入ったシロップを指差すと、イリージャはスプーン一杯分のシロップをお茶の中にクルクルと回し入れた。ラッカ茶の出来上がりだ。
ラヴァーンは甘酸っぱい豊かな香りを楽しむと、一気にお茶を飲み干した。ラッカ茶独特の爽快感と冷涼感が、夏の熱気で火照った身体に染み込んでいく。するとスーっと汗が引いていくような感じがして、ラヴァーンは生き返った心地がした。
「 翼の事は旦那に聞いてみてちょうだい。どれでも気に入ったやつに乗ってきな。あとそれから・・あら、ちょうど良いタイミングだね 」
イリージャが調理場の方を振り向いたその時、奥からシエナが葉っぱの包みを二つ持って来た。中から漏れ出る香ばしい匂いに空腹を刺激されて、ラヴァーンは思わずお腹に手を当てた。
イリージャはニッコリと微笑むと、
「 お昼ご飯まだなんだろう?一つは旦那に持っていってちょうだい。もう一つはあんたの分だよ 」
シエナは満面の笑みを浮かべながら、ラヴァーンに包みを手渡した。
「 ・・どうも 」
恥ずかしそうに答える不器用な少年を、イリージャは微笑ましく見つめていた。
ラヴァーンは席を立ってテラスを抜けると、緑の庭を横切って倉庫へと向かった。去って行くラヴァーンの後ろ姿を見つめながらシエナは、
「 あ~あ、もうちょっと話したかったのに 」
と口を尖らせた。そんなシエナを横目で見ながらイリージャは、
「 あんたはもうちょっとよく相手の顔を見ることだねぇ。それからその口 」
イリージャは人差し指を口の前に立ててみせた。
「 何よそれ 」
「 お喋りが過ぎるってことさ 」
「 母さんったら、ひど~い! 」
「 ボヤいてる暇があったら、ちゃんと働きな。あんたの仕事はまだたっぷりと残ってるんだからね 」
「 ・・は~い 」
シエナが重い足取りでしぶしぶ調理場に引き上げるのを笑顔で見届けてから、イリージャは快活とした足取りで客席に向かった。
イリージャの店のもう一つの顔は、乗り物貸しだった。広い庭に面して倉庫が建っていて、そこには一人用のものから二、三人用のものまで、数種類の飛行用機体が並んでいた。大きさも形も様々な種類があるが、中でも人気は"円盤"と呼ばれる丸型の乗り物と、"アトラスの翼"と呼ばれる鳥の翼のような形をした乗り物だった。どちらも"精霊の石"が機体に埋め込まれており、機体を操る制御装置になっていた。
アトランティス大陸には、"精霊の石"を利用した大規模なエネルギーシステムが構築されていたので、このような乗り物は簡単に宙に浮くことが出来たのだ。飛行船や"アトラスの翼"を飛ばすにはそれなりの操縦技術が必要になるが、"円盤"くらいになると誰でも簡単に乗ることが出来た。
ラヴァーンが倉庫に着いた時も、ちょうど一人の老婦人が"円盤"を借りに来たところだった。
「 妹の家まで行きたいのよ。東の三輪橋の近くにあるの 」
「 そいつはここからだと結構な距離だね 」
三十代くらいの男が倉庫に並んだ機体をざっと見回しながら、
「 こっちの"円盤"なんかどうだい? あんまりスピードも出ないし、揺れも少ない。ちょいと遠出するには十分だと思うが 」
「 いいわねぇ。それでいいわ。貸してちょうだい 」
「 まいどあり! 」
男は倉庫から手すりの付いた円盤型の乗り物を出してくると、一通り機体を確認してから老婦人に渡した。老婦人は一人用の" 円盤 "に乗ると、" 精霊の石 "がついた装置の上に右手をかざした。"円盤"は宙に浮かぶと、ゆっくりとした速度のまま庭を出て街の通りへと消えて行った。
老婦人を見送ったあと、振り向いた男は倉庫の前に立つラヴァーンに気づき、右手で合図した。
「 よっ!イシュタル家の坊ちゃん 」
「 セティ! 」
ラヴァーンも同じ仕草でこの倉庫の主人に応えた。
「 "アトラスの翼"に乗りに来たのか? 」
「 いつも借りてる小型で速いやつがいい。狩りに出たいんだ 」
セティは目元に小さく笑みを浮かべると、
「 それならとっておきのがあるぜ。見てみろアイツを 」
セティは倉庫の一番角に置かれた"アトラスの翼"を指差した。白い輝きが、まだ新品であることを物語っていた。ラヴァーンは走り寄り、白光りする滑らかな機体に手を触れた。
「 すげぇ・・ 」
「 三日前に仕入れてきたんだ。オリハルコン製さ。速くて小回りもきく、獲物を追いたてるにはちょうどいい。試してみるか? 」
「 いいのか? 」
ラヴァーンは目を輝かせた。
「 あぁ、もちろん! で、今日は何を狙ってるんだ? キツネか? それともウサギか山羊か? 」
「 護国鳥さ 」
セティはヒューっと口笛を吹いた。
「 イシュタル家の守護鳥だな。アイツはどう猛な猛禽だぜ 。ちょっと危険じゃないか? 」
「 俺はイシュタル家の男だから 」
イシュタルという武家の名家の名にかけて、ラヴァーンは勇気を示さないわけにはいかなかった。危険な狩りだということはわかっていたが、ラヴァーンにはどうしてもこの狩りを成功させたい理由があったのだ。
新しい"アトラスの翼"の上に乗ると、足を掛け、ハンドルを握りながら、前方に埋め込まれた"精霊の石"に意識を集中した。"アトラスの翼"とラヴァーンのペンダント、両方の"精霊の石"が同時に光を放った時、突然ラヴァーンの身体は機体ごと高く宙に舞い上がった。
「 うわぁぁぁー!」
「 ラヴァーン! 力を抜け! 」
いつもと同じように力の方向を意識したはずなのに、ラヴァーンを乗せた機体はいつもの三倍くらい高く舞い上がってしまった。しかしラヴァーンにはその理由がすぐに分かった。
「 コイツか・・ 」
さっき大人のものと同じ大きさに変わったばかりの"精霊の石"が、ラヴァーンの胸の上で煌めいている。想像していたよりも大きな力を持っていることにラヴァーンは驚いた。やはり今までの石とは比べ物にならないほど、内在する力は強いらしい。
ラヴァーンは思い切って力を抜くと、ペンダントの方に意識を合わせた。すぐに機体は安定したので、その場を何度も旋回しながら空高く昇ってみることにした。昇るほどに地上の景色はどんどん小さくなっていった。
「 すげぇ・・ 」
こんなに空高く昇ったのは初めてだった。
ラヴァーンは遥か上空から、ポセイディアの南に広がるモリガン山地の峰を見渡した。荒涼とした緑の岩山が幾重にも連なり、広大な山岳地帯が南の果てまでも続いているように見えた。これからラヴァーンが向おうとしている場所だ。
真下を見下ろすと街中に小さな緑の庭が見え、セティが自分を見上げているのが見えた。ラヴァーンが手を振ると、セティも地上で手を振るのが見えた。
「 セティ! 今のどうだった? 」
ゆっくりと地上に降りながら、ラヴァーンは興奮した口調で言った。
「 なかなか良かったぜ。相変わらず筋がいい。大したもんだ、お前さんの石を操る腕は 」
ラヴァーンは胸のペンダントを握りしめた。
「 新しい石のおかげかもな・・ 」
「 いい石をもらったな 」
ラヴァーンは小さく微笑むと、うなずいた。
「 それはそうと腹減ったな。飯でも食うか、ラヴァーン 」
二人はその場に腰を下ろすと、シエナからもらった葉っぱの包みを広げた。中から焼きたての木の実パンと魚の揚げたものが出てくると、ラヴァーンは匂いに誘われて思わず一口かじりついた。溢れ出る魚の脂身がたまらなく美味しかった。
庭の芝生の上は座っているとふかふかとしてとても気持ち良く、晴れ渡った青空の下での食事はラヴァーンを幸せな気持ちにしてくれた。
セティはラヴァーンにラッカ茶の入ったカップを手渡しながら、
「 そういえば、ラヴァーン。うちのカミさんから聞いてないか?」
「 何を? 」
「 午前中、カミさんの店にお前さんくらいの歳頃の男の子が来て、イシュタル家のことを聞いてったんだと 」
「 俺の家のことを? 」
セティはラッカ茶を口に含んだ。
「 しかもその男の子ってのが、俺たち太陽の部族とは違う部族の少年だったらしい 」
「 へぇ、どこの部族? 」
「 綺麗な青緑色の瞳をした色白な美少年だったらしいぜ。カミさんが言うには、星の部族じゃないかって 」
「 ふぅん・・ 」
星の部族と聞いた途端、ラヴァーンは顔を曇らせた。セティもラヴァーンの反応にすぐ気づいたようだった。
「 あまり聞きたくなかったか、星の部族の話は? 」
思いやるような瞳で見つめるセティに、
「 別に・・何とも思ってねぇし 」
ラヴァーンはぶっきらぼうに答えてパンにかじりついた。
「 そうか・・」
それ以上、セティは何も聞かなかった。ラヴァーンが抱える複雑な生い立ちのことはセティも知っていたからだ。
「 俺さ、卒業の記念に叔父上と叔母上に何か贈りたいと思ってんだ。ここまで育ててもらったお礼に、何か出来ればって・・ 」
「 それで護国鳥か・・ 」
「 護国鳥は小さい頃から叔父上と何度も狩ってきた。イシュタル家にとってはすごく大事な鳥だ 」
ラッカ茶でパンを流し込むと、ラヴァーンは立ち上がった。
「 弓矢は持ったのか? 」
「 コイツがある 」
ラヴァーンは腰に刺した短剣をセティに見せた。
「 そんなもんであの猛禽が狩れるのか?」
「 イシュタル家には古くから伝わる狩り方があるんだ。大丈夫、後で俺の狩った獲物を見せてやるよ!」
ラヴァーンは"アトラスの翼"に乗り、ハンドルを握った。
「 お前がそう言うなら、俺は信じるしかないな。幸運を祈ってるよ。決して無理はするな 」
真剣な眼差しに込められたセティの思いに、ラヴァーンは一瞬、胸が熱くなった。
「 わかってる 」
「 精霊の祝福あれ! 」
「 セティにも、精霊の祝福を! 」
ラヴァーンは空高く舞い上がると、ものすごい速さで南に向かって飛んで行った。
残されたセティは、青空の彼方に消えて行く純白の"アトラスの翼"をいつまでも見送っていた。
シーヴァと別れた後、ラヴァーンはしばし運河を見つめていたのだが、ふいに何か思いつくと来た道を引き返し、この店までやって来たのだった。
ラヴァーンはイリージャの店の前に立つと、窓から中の様子を伺った。顔なじみの女主人はいるだろうか、と思いながら店内に足を踏み入れると、いつもと同じように店の中は大勢の客で賑わっていた。
( 相変わらずの人気だな )
この店の繁盛ぶりに感心しつつ空いてるカウンター席に座ると、ラヴァーンは店内を見回しイリージャの姿を探した。
「 ラヴァーンじゃないの! 」
ふいに甲高い声が調理場のほうから響いてくると、若い娘が嬉しそうに顔を覗かせた。彼女はあっという間にラヴァーンの前にやって来た。
「 もう一か月もお店に来てくれないんだから。ひどいわ 」
「 ・・シエナ。イリージャは? 」
「 ちょっと! 久しぶりに会ったのに、あなたったらつれない人ね。私の事は何も聞いてくれないの? 」
シエナはラヴァーンより三つ年上の陽気な娘だった。お喋りで馴れ馴れしいところがラヴァーンはどうも苦手だった。
「 ごめん、シエナ・・イリージャを呼んでくれ。セティと話したいんだ 」
「 もう・・仕方ないわね。ちょっと待ってて 」
名残り惜しそうにラヴァーンの方を振り返りつつシエナが奥に消えると、内心ラヴァーンはホッとした。代わりに快活なリズムでこっちに歩いてくる女性を見つけると、ラヴァーンの顔はほころんだ。長い髪を後ろで一つに束ねた朗らかな女性は、この店の女主人イリージャだった。
「 セティなら倉庫にいるよ。"アトラスの翼"を借りに来たのかい? 」
「 いつも貸してくれるやつがいいんだ・・ 」
そう言ってラヴァーンが懐からお金を取り出そうとしていると、
「 お金ならいいよ。卒業祝いにサービスしとくから。あんた今日卒業式だったんだろ? 」
「 知ってたのか? 」
驚くラヴァーンにイリージャは、
「 商売やってると、色んなところから情報が集まってくるもんさ。それに今年の卒業式は大霊祭の前の満月だって、誰かさんとこの雇い人たちが話してたしね 」
イリージャの店はイシュタル家で働らく者たちの間でも人気があることは知っていたが、これからは家では言葉を慎もうとラヴァーンは思った。うかつにしゃべると何でもイリージャの耳に入ってしまいそうな気がしたからだ。
「 私だってあんたのことお祝いしたいんだよ、ラヴァーン。イシュタル家にはいつもごひいきにしてもらってるしね 」
「 ・・それは、どうも ・・」
ラヴァーンは照れたように小さく呟いた。
「 喉渇いただろう? これを飲んでいきな 」
イリージャはラヴァーンの前に大きめのグラスを一つ差し出した。その中にポットから甘酸っぱい香りのお茶を注ぐと、新鮮なラッカの葉をお茶の上に一枚乗せた。
「 シロップはどれにする? 」
カウンターには色とりどりの瓶が並んでおり、中には様々な果物のシロップが入っている。ラヴァーンがオレンジ色の果実の入ったシロップを指差すと、イリージャはスプーン一杯分のシロップをお茶の中にクルクルと回し入れた。ラッカ茶の出来上がりだ。
ラヴァーンは甘酸っぱい豊かな香りを楽しむと、一気にお茶を飲み干した。ラッカ茶独特の爽快感と冷涼感が、夏の熱気で火照った身体に染み込んでいく。するとスーっと汗が引いていくような感じがして、ラヴァーンは生き返った心地がした。
「 翼の事は旦那に聞いてみてちょうだい。どれでも気に入ったやつに乗ってきな。あとそれから・・あら、ちょうど良いタイミングだね 」
イリージャが調理場の方を振り向いたその時、奥からシエナが葉っぱの包みを二つ持って来た。中から漏れ出る香ばしい匂いに空腹を刺激されて、ラヴァーンは思わずお腹に手を当てた。
イリージャはニッコリと微笑むと、
「 お昼ご飯まだなんだろう?一つは旦那に持っていってちょうだい。もう一つはあんたの分だよ 」
シエナは満面の笑みを浮かべながら、ラヴァーンに包みを手渡した。
「 ・・どうも 」
恥ずかしそうに答える不器用な少年を、イリージャは微笑ましく見つめていた。
ラヴァーンは席を立ってテラスを抜けると、緑の庭を横切って倉庫へと向かった。去って行くラヴァーンの後ろ姿を見つめながらシエナは、
「 あ~あ、もうちょっと話したかったのに 」
と口を尖らせた。そんなシエナを横目で見ながらイリージャは、
「 あんたはもうちょっとよく相手の顔を見ることだねぇ。それからその口 」
イリージャは人差し指を口の前に立ててみせた。
「 何よそれ 」
「 お喋りが過ぎるってことさ 」
「 母さんったら、ひど~い! 」
「 ボヤいてる暇があったら、ちゃんと働きな。あんたの仕事はまだたっぷりと残ってるんだからね 」
「 ・・は~い 」
シエナが重い足取りでしぶしぶ調理場に引き上げるのを笑顔で見届けてから、イリージャは快活とした足取りで客席に向かった。
イリージャの店のもう一つの顔は、乗り物貸しだった。広い庭に面して倉庫が建っていて、そこには一人用のものから二、三人用のものまで、数種類の飛行用機体が並んでいた。大きさも形も様々な種類があるが、中でも人気は"円盤"と呼ばれる丸型の乗り物と、"アトラスの翼"と呼ばれる鳥の翼のような形をした乗り物だった。どちらも"精霊の石"が機体に埋め込まれており、機体を操る制御装置になっていた。
アトランティス大陸には、"精霊の石"を利用した大規模なエネルギーシステムが構築されていたので、このような乗り物は簡単に宙に浮くことが出来たのだ。飛行船や"アトラスの翼"を飛ばすにはそれなりの操縦技術が必要になるが、"円盤"くらいになると誰でも簡単に乗ることが出来た。
ラヴァーンが倉庫に着いた時も、ちょうど一人の老婦人が"円盤"を借りに来たところだった。
「 妹の家まで行きたいのよ。東の三輪橋の近くにあるの 」
「 そいつはここからだと結構な距離だね 」
三十代くらいの男が倉庫に並んだ機体をざっと見回しながら、
「 こっちの"円盤"なんかどうだい? あんまりスピードも出ないし、揺れも少ない。ちょいと遠出するには十分だと思うが 」
「 いいわねぇ。それでいいわ。貸してちょうだい 」
「 まいどあり! 」
男は倉庫から手すりの付いた円盤型の乗り物を出してくると、一通り機体を確認してから老婦人に渡した。老婦人は一人用の" 円盤 "に乗ると、" 精霊の石 "がついた装置の上に右手をかざした。"円盤"は宙に浮かぶと、ゆっくりとした速度のまま庭を出て街の通りへと消えて行った。
老婦人を見送ったあと、振り向いた男は倉庫の前に立つラヴァーンに気づき、右手で合図した。
「 よっ!イシュタル家の坊ちゃん 」
「 セティ! 」
ラヴァーンも同じ仕草でこの倉庫の主人に応えた。
「 "アトラスの翼"に乗りに来たのか? 」
「 いつも借りてる小型で速いやつがいい。狩りに出たいんだ 」
セティは目元に小さく笑みを浮かべると、
「 それならとっておきのがあるぜ。見てみろアイツを 」
セティは倉庫の一番角に置かれた"アトラスの翼"を指差した。白い輝きが、まだ新品であることを物語っていた。ラヴァーンは走り寄り、白光りする滑らかな機体に手を触れた。
「 すげぇ・・ 」
「 三日前に仕入れてきたんだ。オリハルコン製さ。速くて小回りもきく、獲物を追いたてるにはちょうどいい。試してみるか? 」
「 いいのか? 」
ラヴァーンは目を輝かせた。
「 あぁ、もちろん! で、今日は何を狙ってるんだ? キツネか? それともウサギか山羊か? 」
「 護国鳥さ 」
セティはヒューっと口笛を吹いた。
「 イシュタル家の守護鳥だな。アイツはどう猛な猛禽だぜ 。ちょっと危険じゃないか? 」
「 俺はイシュタル家の男だから 」
イシュタルという武家の名家の名にかけて、ラヴァーンは勇気を示さないわけにはいかなかった。危険な狩りだということはわかっていたが、ラヴァーンにはどうしてもこの狩りを成功させたい理由があったのだ。
新しい"アトラスの翼"の上に乗ると、足を掛け、ハンドルを握りながら、前方に埋め込まれた"精霊の石"に意識を集中した。"アトラスの翼"とラヴァーンのペンダント、両方の"精霊の石"が同時に光を放った時、突然ラヴァーンの身体は機体ごと高く宙に舞い上がった。
「 うわぁぁぁー!」
「 ラヴァーン! 力を抜け! 」
いつもと同じように力の方向を意識したはずなのに、ラヴァーンを乗せた機体はいつもの三倍くらい高く舞い上がってしまった。しかしラヴァーンにはその理由がすぐに分かった。
「 コイツか・・ 」
さっき大人のものと同じ大きさに変わったばかりの"精霊の石"が、ラヴァーンの胸の上で煌めいている。想像していたよりも大きな力を持っていることにラヴァーンは驚いた。やはり今までの石とは比べ物にならないほど、内在する力は強いらしい。
ラヴァーンは思い切って力を抜くと、ペンダントの方に意識を合わせた。すぐに機体は安定したので、その場を何度も旋回しながら空高く昇ってみることにした。昇るほどに地上の景色はどんどん小さくなっていった。
「 すげぇ・・ 」
こんなに空高く昇ったのは初めてだった。
ラヴァーンは遥か上空から、ポセイディアの南に広がるモリガン山地の峰を見渡した。荒涼とした緑の岩山が幾重にも連なり、広大な山岳地帯が南の果てまでも続いているように見えた。これからラヴァーンが向おうとしている場所だ。
真下を見下ろすと街中に小さな緑の庭が見え、セティが自分を見上げているのが見えた。ラヴァーンが手を振ると、セティも地上で手を振るのが見えた。
「 セティ! 今のどうだった? 」
ゆっくりと地上に降りながら、ラヴァーンは興奮した口調で言った。
「 なかなか良かったぜ。相変わらず筋がいい。大したもんだ、お前さんの石を操る腕は 」
ラヴァーンは胸のペンダントを握りしめた。
「 新しい石のおかげかもな・・ 」
「 いい石をもらったな 」
ラヴァーンは小さく微笑むと、うなずいた。
「 それはそうと腹減ったな。飯でも食うか、ラヴァーン 」
二人はその場に腰を下ろすと、シエナからもらった葉っぱの包みを広げた。中から焼きたての木の実パンと魚の揚げたものが出てくると、ラヴァーンは匂いに誘われて思わず一口かじりついた。溢れ出る魚の脂身がたまらなく美味しかった。
庭の芝生の上は座っているとふかふかとしてとても気持ち良く、晴れ渡った青空の下での食事はラヴァーンを幸せな気持ちにしてくれた。
セティはラヴァーンにラッカ茶の入ったカップを手渡しながら、
「 そういえば、ラヴァーン。うちのカミさんから聞いてないか?」
「 何を? 」
「 午前中、カミさんの店にお前さんくらいの歳頃の男の子が来て、イシュタル家のことを聞いてったんだと 」
「 俺の家のことを? 」
セティはラッカ茶を口に含んだ。
「 しかもその男の子ってのが、俺たち太陽の部族とは違う部族の少年だったらしい 」
「 へぇ、どこの部族? 」
「 綺麗な青緑色の瞳をした色白な美少年だったらしいぜ。カミさんが言うには、星の部族じゃないかって 」
「 ふぅん・・ 」
星の部族と聞いた途端、ラヴァーンは顔を曇らせた。セティもラヴァーンの反応にすぐ気づいたようだった。
「 あまり聞きたくなかったか、星の部族の話は? 」
思いやるような瞳で見つめるセティに、
「 別に・・何とも思ってねぇし 」
ラヴァーンはぶっきらぼうに答えてパンにかじりついた。
「 そうか・・」
それ以上、セティは何も聞かなかった。ラヴァーンが抱える複雑な生い立ちのことはセティも知っていたからだ。
「 俺さ、卒業の記念に叔父上と叔母上に何か贈りたいと思ってんだ。ここまで育ててもらったお礼に、何か出来ればって・・ 」
「 それで護国鳥か・・ 」
「 護国鳥は小さい頃から叔父上と何度も狩ってきた。イシュタル家にとってはすごく大事な鳥だ 」
ラッカ茶でパンを流し込むと、ラヴァーンは立ち上がった。
「 弓矢は持ったのか? 」
「 コイツがある 」
ラヴァーンは腰に刺した短剣をセティに見せた。
「 そんなもんであの猛禽が狩れるのか?」
「 イシュタル家には古くから伝わる狩り方があるんだ。大丈夫、後で俺の狩った獲物を見せてやるよ!」
ラヴァーンは"アトラスの翼"に乗り、ハンドルを握った。
「 お前がそう言うなら、俺は信じるしかないな。幸運を祈ってるよ。決して無理はするな 」
真剣な眼差しに込められたセティの思いに、ラヴァーンは一瞬、胸が熱くなった。
「 わかってる 」
「 精霊の祝福あれ! 」
「 セティにも、精霊の祝福を! 」
ラヴァーンは空高く舞い上がると、ものすごい速さで南に向かって飛んで行った。
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