燕の軌跡

猫絵師

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「この辺りで良いだろう」と、悪党たちは足を止めた。

どこに連れていかれるのか分からず、生きた心地がしなかった。

いつ気が変わって殺されるか分からない。

それでも、男たちはまだ私を生かしておくつもりみたいで、水や食べ物をよこした。

「狼の餌になりたくなかったら、逃げようなんて考えるなよ?」と、釘を刺されて、親分の待つテントに放り込まれた。

「ほら、こっち来いよ。酌しろ」

酒癖の悪い男はそう言って私を隣に呼んだ。

何されるか分かってるから心も身体もこの男を拒んでいた。

動けないでいると、男は私を睨んで低い怖い声で「聞こえねえのか?」と凄んだ。その声が聞こえたのか、テントの外でも人の動く気配があった。

「あの場所に置いて来てやっても良かったんだぞ。獣の糞になりたいか?」

「ご、ごめんなさい…」

この男なら本当にするだろう…

詫びながら這うように彼に近づくと、我儘な男は機嫌を直した。

「そうやって大人しくして俺の機嫌を取ってりゃいいんだ」

男はそう言って乱暴に私を手繰り寄せると、隣に座らせて酌を強要した。手は当たり前のように腰に伸びて、舐めるように尻を撫でまわしている。

あまりに惨めで、泣きそうになりながら差し出された杯に震える手で酒を注いだ。

「そんな怖がるなよ。お前の見た目は気に入ってるんだ。俺の前では愛嬌良くして、いう事を聞いている間は大事にしてやるよ」

上機嫌で酒を煽って、男は顔を寄せてきた。酒臭い口が唇に重なって吐きたくなる。

私は何でこんなところに居るんだろう?

そんな考えが頭に浮かんだ。

きっと、私は人生のどこかで、神様に見放されるような悪い事をしたのだ…

そうでなければ、こんなにひどい目に合う事なんて無かっただろうに…

自分が今まで歩んできた人生は平凡なもので、神様に捨てられるようなことをした覚えはない…たった一つの事を除いて…

それがバレて、私は元居た《エッダ》から、夫のいる《エッダ》に預けられたのだ。

従姉に嫉妬するなんて…あんな醜いことをしなければ…

今更そんな事を後悔した。本当に今更だ…

耳障りな愛を囁く声と身体をまさぐる手は、幸せになっていた私への天罰なのかもしれない…

酔いが回ってきた男は当たり前のように私を組み敷いて求めてきた。

服を脱がせる事さえしない。その理性のない行為は人間のものとは思えなかった。

興奮した獣のような荒い息が気持ち悪い…

もう考えるのも疲れた…

頬に一筋涙が伝って、心は死んだ。求められるままに、人形のようになった意思の無い身体を明け渡した。

男は上機嫌で行為をしていたが、ふと、腰を振るのをやめた。

「…何だ?」と呟いて顔を上げると、彼はテントの入口を睨んで組み敷いていた私を解放した。

テントの外が何か騒がしい。

突然跳ね上がったテントの入口から転がり込んできた男が「お頭!大変だ!」と喚いた。

「沢から変なのが上がってきた!川の主だ!

エンゲルスが抑えてるが、あいつはマズイ!」

「何だぁ?精霊か?」

面倒くさそうに応じて、悪党の親分は部下に荷物をまとめて移動するように伝えた。

「また後で可愛がってやるよ」と言い残して、彼は私を置き去りにしてテントを出て行った。

✩.*˚

ゴボッ…ゴボォッ、ゴボボ…

不気味な水音を立てながら、化け物は自らの意思で川から這い上がって来た。

水のように透けた身体は明らかに普通の生き物じゃない。蜥蜴の姿を模した精霊は、前足の辺りまで裂けた口で逃げ遅れた男の足に食らいつくと、水でできた身体の中に飲み込んだ。

蜥蜴の身体が大きく膨らみ、飲み込まれた男はしばらく苦しそうにもがいていたが、最後に震えて動かなくなった。

ゴボッ、ゴボボ…

暗い林に溺れるような水音を撒きながら、蜥蜴は次の獲物を求めるように身体の向きを変えた。

「水辺から離れろ!」

とっさに叫んでいた。

「マズイ!ここからすぐに離れるぞ!シェルツの奴に伝えろ!」

常に持ち歩いている短い杖を構えたが、せいぜい時間を稼ぐぐらいしかできないだろう。

精霊の中でも水や氷を使う精霊は獰猛で凶悪だ。奴らは死を司る《冬の王》の眷属で、機嫌を損なえば簡単に人を襲う。

俺自身、精霊と対峙したのは初めてで、物理的な攻撃魔法がどの程度通じるのか分からない。

「《風の刃ウィンドブラット》!」魔石に覚えさせている魔法を放ったが、蜥蜴の水でできた身体にはあまり効果が無かった。

切り裂かれた箇所は水か満ちるように簡単に再生した。

「…なるほど…」これは厄介だ…

中途半端な攻撃ではこの精霊には傷一つ付けられそうにない。やはり足止めか…

俺の腕では倒すのは無理と判断して、次の魔法を放った。

「《土の壁シュムッツワンド》!」

地面が盛り上がって蜥蜴の目の前に壁が立ちふさがった。土を盛り上げる防御魔法だが、意外な事にこれで蜥蜴は動きを鈍らせた。

目の前に現れた土の壁に、俺たちの姿を見失ったらしい。

どうやらおつむの方は残念な仕様のようだ…

急いで水辺から離れると、事情を知った悪党のまとめ役の男が俺を待っていた。

「よう、エンゲルス。川の主が出たって?」

実物を見てないからか、シュルツはご機嫌な様子で茶化した。

「違う、あれは精霊だ。一人やられた。すぐにここから離れた方が良い」

「魔法でどうにかできんのか?」

「生き物ならともかく、精霊は怒らせるといい事がない。俺の攻撃魔法も全く通じない。あいつらを傷つけられるのは特別な武器か、それ相応の《祝福》を持った連中だけだ」

「なるほどねェ…まぁ、頭のいい魔法使い様のお言葉だ…

こんな場所じゃ寝られねぇしな。お前ら、少し移動するぞ!」

状況か悪いと見るや、悪党の頭の判断は早かった。

川から離れるように指示を出すと、手際よく移動を開始した。

まだほとんど荷解きをしていない状態だったのが幸いした。

「しっかしなぁ、《魔導師》のなり損ないとはいえ、ちょっとばかし情けないんじゃねぇのか、エンゲルスよォ?」

一番初めにテントに入ってふんぞり返っていただけの男が俺を煽った。

「吐かせ。俺の専門は対人の精神操作魔法と肉体の強化魔法だ。物理的な攻撃や防御に関してはどうしても劣る」

だからこそ、あの魔石を手に入れたのだ。

強力な炎の魔石を…

あれが制御できるようになれば、俺を認めなかった連中に復讐することだってできるのに…

懐にしまいこんでいる魔石を服の上から触れた。

心なしか魔石は少し熱を持っているように感じられた。

あの蜥蜴の姿をした精霊は追いかけてくることは無かったが、とりあえずしばらく水辺には近づかない事がいいだろう。

松明の明かりを頼りに移動しながら、周りを警戒していた。

前を行く松明の明かりが風で揺らめいたと同時に、風を切る音と短い悲鳴が暗闇に響いた。

暗闇で足元が怪しかったから蹴躓いただけかと思ったが、倒れた奴の傍で悲鳴のような警告が状況を報せた。

「矢だ!狙われてる!」

その声と同時に松明を持っていた奴らが慌てて明かりを手放した。火の粉を撒きながら松明は地面に落ちて辺り一帯を本来あるべき闇が支配した。

恐怖に耐えきれなかった女が悲鳴を上げると、矢の攻撃が止まった。

「エンゲルス!」

暗闇に催促するようなシェルツの声に、支援魔法系統を覚えさせていた杖を出して構えた。

「《梟の眼オイレアウグン》!《獅子の強心レーヴェンハーツ》!」

暗視魔法と精神魔法で、なんとか恐慌に陥るのは阻止した。

それでもまだ万全とは言えない。

昼間のように暗闇を見通す目に映った光景は、既に絶望的な状況だった。

「いつの間に…」

数は少ないが囲まれている。俺たち以外の人間の気配が暗い林の中に潜んでいた。

「よぉ、悪党」

呼びかけるような声に視線を向けた。そこには白い弓を持った青年が立っていた。白い整った顔には嘲るような薄い笑みが張り付いていた。

「お前らやりすぎたな。お仕置きの時間だ」

青年はそう言って弓に矢を番えると、何かを呟いてそれを空に向かって放った。

矢は真っ白な輝きを纏って空に駆け上がった。闇を見通せる目が仇になって視界が奪われた。

「捕まえろ!一人も逃がすな!」

あの青年の声で下知が飛ぶ。それを待っていたかのように「応!」と叫ぶ声と周りで動く気配が重なった。

チカチカと白く滲む視界に白刃を携えた敵の姿が映った。

やけを起こした仲間が近づいてくる男たちに無茶苦茶に切りつけるが、逆に同士討ちのような状況になり、事態は最悪だ…

「お前ら何やってる!エンゲルス!何とかしろ!」

シュルツの怒号が聞こえてきたが、仲間は一人、また一人と倒されて捕まった。

こんなところで…

焦りと怒りで判断が狂う。すぐ目の前にまで迫った刃の鈍い光に、杖を持つ手が震えた。それでも反撃しなければ俺もやられる…

「《狂乱の霧》!」とっさに精神破壊系の魔法を使った。

目の前に迫っていた男たちが狂ったように悲鳴を上げて、手にしていた得物を放り出して向きを変えた。

気の違った男たちは先まで味方だったはずの仲間に掴みかかった。

「お!おい!」「アブねぇだろうが!」「お前ら何してんだ!」

怒号が飛び交い、敵味方の境界が乱れる。攻め手の足並みが乱れた。少しだけ余裕ができたかのように見えた。

いつの間にかすぐ傍にまで来ていた白い弓の青年に正気を失った男たちが迫った。

「へぇ、珍しい魔法使うんだな…お前ら寝てていいぞ。《ソムヌス》」

青年はそう言って右手を差し出すと、目の前にまで迫っていた男たちが一斉に倒れた。

何をしたのか分からなかったが、倒れた奴らはいびきをかいて動かなくなった。

今の…聞いた事のない魔法だ…

「後で説教だ」と笑いながら、青年は流れるような足運びで前に出た。

「どうした?俺にもそれ使ってみろよ?」

挑戦的な笑みを浮かべた青年はそう言って俺を挑発した。

「《狂乱の…》」魔法を開放する詠唱を唱えようとしたとき、胸の辺りに熱を覚えた。あの魔石だ…

出番を欲しがるように熱で訴える魔石に活路を見出したような気がした。

✩.*˚

「俺が不意打ちであいつらの気を引いて目ぇ潰すから、お前らは合図があるまで下向いてろ」

《犬》達に指示を出して弓を握った。

あの子らの母親はまだ無事だろうか?

松明を持って歩く男たちの姿は確認できたが、女性の姿がどこにあるのか分からない。もし居るなら逃げられないように真ん中あたりを歩いているはずだと踏んで、前の方を歩いている男に向かって矢を放った。

俺の手を離れた矢は、松明に照らされた運の悪い男の横顔に吸い込まれて消えた。手ごたえを覚えると同時に、襲撃に驚く声が俺の所にまで届いた。

統制の取れた騎士団でも、不意打ちの夜襲で瓦解することがある。寄せ集めの賊が冷静に対応できるものでは無い。

混乱する賊を更に追い込むために、同じ場所から立て続けに矢を放つと、男たちの怒号に混ざって女の悲鳴が聞こえてきた。

居る、と確信して、彼女を確認したくて前に出た。

意外なことに、賊の判断は早かった。目印になってしまう松明を投げ捨てたのは賢明だが、もう場所は割れている。

「よぉ、悪党」

林から姿を見せた俺に悪党どもの視線が集まった。明かりを喪ったはずなのに奴らは俺の姿が見えているみたいだ。

夜目が利くのか?まあ、その方が俺にとっては好都合だ。

「お前らやりすぎたな。お仕置きの時間だ」

そう賊に向かって宣告して新しい矢を弓に番えた。アレクに用意してもらった特別な矢だ。

「《閃光ビリンケン》」短い詠唱で魔法を乗せた矢を空に放った。

賊の視線は俺に集中していた。強烈な輝きを乗せた矢が空に駆け上がると同時に賊の眼を焼いた。

閃光弾は空に駆け上がると、小さな太陽のように空中に留まって辺りを照らした。

「捕まえろ!一人も逃がすな!」

合図を待っていた《犬》たちが隠れていた茂みから飛び出して、賊との距離を一気に詰めた。

賊も抵抗の意思を見せたが、さっきの閃光で眩んだ目では敵味方の判断が付かないようで、叫びながら無茶苦茶に刃を振るっていた。

そんなもんで《犬》がやられることは無いし、賊同士の同士討ちぐらいなら問題ないが、子供たちの母親に怪我があったら一大事だ。

さっさと片を着けたくて、俺も乱闘に加わろうとした。

優勢だと思っていたが、近づくと慌てる《犬》たちの怒号が耳に届いた。

「お前ら何してんだ!」と怒鳴りながら掴み合ってるのは《犬》たちだ。

仲間同士で間違えないように腕には揃いの黄色い布を巻いている。掴みかかる男たちは正気を失っているような顔をしていた。

杖を握っている男の姿が目に入って、《狂犬》と化した男たちの状況を理解した。あいつが何かして《犬》たちが正気を失ったらしい。

あの魔法がどんなものか分からないが、さすがにこの状況は問題だ。

俺がつかみ合っている犬たちに歩み寄ると、その場の視線が俺に集まった。狂てしまった《犬》の眼はどこか虚ろで完全に正気を失っている。

「へぇ、珍しい魔法使うんだな…お前ら寝てていいぞ。《ソムヌス》」

指輪に魔力を注いで眠りの香りを呼ぶと、取っ組み合ってる《犬》たちに撒いた。

効果は折り紙付きだ。男たちはバタバタと倒れていびきをかいて動かなくなった。ちょっと巻き込まれた奴もいたけど、その辺はご愛敬だ。

「後で説教だ」と笑いながら視線を上げると、杖を握っていた魔法使い風の男は、驚いた眼で俺を凝視していた。

「どうした?俺にもそれ使ってみろよ?」と魔法使いを挑発した。

「《狂乱の…》」と、《犬》たちを狂わせた魔法を唱えようとした男は、何を思ったか、手で胸の辺りを抑えて詠唱を途中で止めた。

魔石に魔法を刻んでいるなら、短い詠唱と魔力を注ぐだけでその魔法を発動することができる。何で詠唱を止めたのか分からなかったが、男の顔は不気味な自信が張り付いていた。

男の胸の辺りを抑える手の下から何かの気配を感じた。

彼の手にした杖より、そっちの方がヤバい気がする…

俺が足を止めて構えたのを見て、男は懐から何かを取り出して目の前に突き出した。

掲げられたのは革製の小さな巾着袋だ。嫌な気配もそこから出ていた。

「《火球》!!」

短く命令するような詠唱に反応して、巾着袋が赤く輝いた。

目の前に明々と燃える火の玉が顕現する。肌を刺すような熱風は本物だ。

陽炎かげろうを纏って揺らめく火の玉の中心には細く這い回る精霊の姿が見えた。これはさすがに《犬》には荷が重い。

「倒れてる奴らを回収して離れろ。こいつは俺が相手する」

浮足立った《犬》を下げて、魔法使いを引き受けた。

風の精霊たちが言ってたのは多分こいつの事だ…

炎の中で蜥蜴の姿をした精霊は暴れていた。この男の言う事を聞きたくないみたいだ。彼の魔法は不安定で、制御できてないように見えた。

当然だ。この男はこの魔石の本当の主人じゃない。

火の玉に向かって手を伸ばして、精霊に「《還れバック》」と命令した。

炎を纏った蜥蜴は俺の命令を受け取ると、身を捩って火の玉ごと姿を消した。

「なっ!何をした?!」

魔法を破られた男は酷く動揺していた。

「《還した》んだよ。そんなことも分からないのに、その魔石を持ってるなんて笑っちまうよ」

「これは俺の物だ!俺が買ったんだ!」と、男は子供のように所有権を主張していたが、その言葉は虚勢のように聞こえた。

取り乱す男を他所に、魔石の熱に負けた革袋が破れて底が抜け落ちた。隙間から逃げるように転がり出た小さな魔石は地面を跳ねて、俺の方に転がって来た。

「あぁ!」と声を上げて、男は慌てて赤く焼けた魔石を拾おうとして手を伸ばした。

馬鹿だな…

止める間もなく、生の肉が焼ける匂いと気持ち悪い絶叫が夜の空気を不気味に震わせた。

その狂気じみた姿にさすがの俺も引いた…

「あ!あぁぁ!何でだ!?何で?」

魔石を拾った男の右手は手首から先が焼け焦げて黒く変色していた。その黒い手首はボロボロと崩れて、地面に落ちて砕けた。

その砕けた黒い指だった物の隙間から覗く魔石には、父さんの刻んだ《ケナーツ》の文字が見えた。

「スー、こっちは終わったぞ」とディルクの声にふと我に返る。

周りを見回すと、組織的な抵抗は終わっていて、悪党たちは観念したように縄に囚われていた。魔法使いもすぐに《犬》たちに両脇を抱えられて捕まった。

「生きている奴は全員捕まえた。例の母親らしい女も保護した」と聞いて良かったと思ったが、俺を見下ろすディルクの表情は暗かった。

「ご苦労さん。損害は?」

「《犬》が二人やられた…後は軽傷だ」

「…そうか」と頷いて苦い現実を受け入れた。

無傷とはいかなかったが、結果として賊は全員捕まえたし、子供たちとの約束も守れた。今はそれでよしとすべきだろう…

膝を折って目の前に落ちている黒い消し炭に近づいた。

荒れた魔石はまだ熱を持っている。素手で触れるのはさすがに躊躇われた。

ダガーで周りの土を抉って、その土ごとハンカチに包んで回収した。

魔石の状態を確認するのは後だ。

赤ん坊を抱くように胸に寄せると、土に包まれた魔石の熱は、安心するような柔らかい温もりに変わっていた。

✩.*˚

『私知ってるの…従姉ねえさんお腹の子、あなたの子じゃないよ』

羨ましかった…そんな気持ちから、出た嘘だった…

他所から来た彼は、優しくて、明るく冗談の好きな人で、まだ若い私にとって憧れる存在だった。

忘れる事の出来ない私の初恋の人…

もう二度と会う事は無いと思ってたのに…

「…お前…もしかして…カチヤ?」

「…イザーク?」

松明に照らされた顔は確かに歳を取って変わっていたけど、変わらない彼の面影があった。

彼は私に気付くと誰かを探すように慌てて辺りを見回した。

「カチヤ!エルナは?!エルナはどうした?」と、彼は慌てた様子で従姉の姿を探していた。

彼が従姉の姿を探すから、まだ捕まっている女性が居るのだと周りも勘違いしたようだ。

「なんの騒ぎだ?」と周りに人が集まってくる。

「何だよ?まだ他に女が居んのか?」「姐さん、一緒に攫われた人いるのかい?」「団長。なんかややこしい事なってんぞ!」

男たちに呼ばれて、《団長》と呼ばれた背の高い男の人がやって来て、怖い声で「どういう事だ?」と説明を求めた。

「知らねぇよ、イザークが騒ぎ出したんだ。この姐さんあいつの知り合いみたいだぜ」

「イザークの?」

顔を顰める男の傍らから顔を出した青年が私の前に膝を折って顔を覗き込んだ。

場違いなくらい綺麗な顔をした青年は、懐っこい幼い笑みを浮かべて、「君がカチヤ?」と私の名前を確認した。

声が出なくて何度も頷くと、彼は微笑んで「もう大丈夫」と言ってくれた。

「ハンナとジョシュアの言ってた通りだ。二人とも君に似てる。お母さんの首にはほくろがあるって言ってたよ」

「…ハンナ…ジョシュ…」

そんなこと知ってるなんて、あの子たちしか思い浮かばない。

二人の名前を聞いて涙が溢れた。その名前を随分久しぶりに聞いた気がする…

青年は相変わらず柔らかい声で二人の無事を教えてくれた。

「二人ともラーチシュタットで保護してる。他の人は残念だったけど、君も生きててよかった。

攫われたのは君だけ?他にも誰かいる?」

言葉が出ずに首を横に振って応えた。それで十分伝わったらしい。

「イザーク!お前何一人で騒いでる?!戻って来い!」

直前まで優しかった声が鋭い声に変わる。彼はイザークを呼ぶと、呼ばれた男は何かを引きずりながら戻って来た。

その引き摺って来たボロボロの何かが悪党の頭だと気付いて悲鳴が洩れた。

「だってよ!カチヤが居るならエルナが居るはずなんだ!」と、イザークはまだいるはずの無い従姉を探していた。

「誰だよ、エルナって?」

呆れたように訊き返す相手に、イザークは何か言いかけて口を噤んだ。その様子から、彼はまだ従姉の事を引きずってるのだと思った…

「わ、私の従姉です…」

「従姉?その人は?」

「ここにはいないわ、今は別の《エッダ》で暮らしているから…」

青年の質問に答えると、イザークは拍子抜けしたような顔で掴んでいた男を手放した。それと同時に団長さんから拳骨を食らっていた。

「馬鹿が!騒ぎにしやがって!」

「いってぇな!殴るこたねぇだろ?!」

「この状況で混乱させるような事言ったお前が悪い」

頭を押さえながら文句を言うイザークに、苦笑いしながら青年が答えた。

「いいからそれ返してこい。彼女が落ち着かないだろ?」

縄で身動き取れないようになっている悪党を物扱いして、青年は私に向き直った。

彼らはラーチシュタットで雇われた傭兵団なのだという。連れていた団員は全員 《エッダ》の出身者で、私を丁寧に扱ってくれた。

彼らは数少ない馬を譲ってくれて、捕まえた悪党たちと私を連れてその場を後にした。

「カチヤ、怪我とかない?」

懐っこい印象の青年が私の隣に馬を並べた。

この青年とイザークの存在が私の恐怖を和らげてくれた。

イザークはチラチラと私を気にしていたが、自分から声をかけてくることはなかった。

さっき取り乱していたのが気まずいのか、それとも私の嘘を覚えているのか…

青年は私とイザークに気を使ったようで、しばらくすると団長さんのところに戻って行った。

しばらく黙って馬の背で揺られていると、不意に馬を引いていたイザークが話しかけてきた。

「…その…エルナは…」と、彼は元嫁について知りたがった。

その言葉に罪悪感が刺激されて、胸の奥で痛みを感じた。

「子供…エルナの子はちゃんと産まれたのか?」

「うん…女の子だった」と答えると、彼は「そっか」と呟いて寂しげに笑った。

その後に何を言うのかと思っていると、彼の口から続いたのは懺悔のような言葉だった。

「俺さ…クソ野郎だったわ…今もだけどさ」

「違う、私が…」悪かったのだ、と謝ろうとして涙が溢れた。

今更何を言ったらいいのか?

私はあの時、取り返しのつかないことをしてしまったのだ…

私が彼の幸せを奪ったのに…

「カチヤ、俺が悪ぃんだ。エルナを信じてやらなかった俺が…

だって、本当に俺の子供だったかもしれねぇじゃん?することだってしてたしよ…信じてやりゃ良かった…

でも、あの時は、そんなふうに考えられなくて、お前らに迷惑かけちまった…ごめんな」

それだけ言って、彼は少しだけさっぱりしたようだった。

彼はスッキリしたろうが、私の胸の奥のしこりはさらに主張を強めた。

「イザーク…私の話…聞いてくれる?」

私の呼び掛けに、涙で歪んだ姿の彼は振り返ったようだった。

本当のことを言わなきゃと思いながらも、怖くて真実は言えなかった…

「あの子、あなたの子だったの…間違いなくあなたの子…」

「そっか…」

その短い返事は複雑な感情を孕んでいて、悲しんでいるのか、喜んでいるのか、困惑しているのか分からなかった。

「ありがとな」と言った彼は何を思っていたのだろう?

それでもそれを確かめる勇気はなかった。

沈黙も辛くて、私から彼に話しかけた。

「イザーク。あなたあれからどうしてたの?」

「俺ちゃん?まぁ、適当に暮らしてたよ。

用心棒したり、幾つか傭兵団渡り歩いたりしてプラプラしてた…俺は《エッダ》だからさ」

「そうなんだ…」

「まぁ、大変な時もあったけどさ、割と今は楽しく暮らしてるよ。

いいところに落ち着いたしな」

彼のその言葉に少しだけ救われた気がした。

しばらく馬に揺られて、鬱蒼とした木々の隙間をぬけ、ようやく林の外に出られた。

街道沿いの彼らの宿営地に着くと、やっと人のような生活に戻れた。数日とはいえ、酷い生活を強いられていたから、当たり前の事でも感謝できた。

明日、子供たちの待つラーチシュタットに送ってくれるらしい。

彼らの親切に素直に感謝して、毛布に包まれて久しぶりに安心して眠れた。

私を脅かすものはもう何も無かった。
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