燕の軌跡

猫絵師

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邪魔者

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「お前、昨日の夜抜け駆けしてたんだってな」

《赤鹿の団》の宿泊先に顔を出すと、俺の顔を見るなり、ゲオルグは開口一番に俺の行動を指摘した。どこからか知らないが俺の行動は筒抜けらしい。

「聞こえが悪いな。情報収集だよ」

「だとしても、一人で外に出るのは感心しないぞ。お前さんは勝手に動き回れるような立場じゃないってのはいい加減自覚しろ」

「団長だから?」

「それもあるが、今回の依頼の仲介者はお前さんだ。お前さんに何かあったら話がこじれる。下手すりゃこの話自体が無かったことにされる可能性だってある。前金だってまだだしな…

そうなりゃ俺たちは骨折り損のくたびれもうけだ」

ゲオルグの心配は傭兵たちを預かる隊長として尤もな心配事だろう。傭兵は金で動く。その金を保証するのが団長や隊長の仕事だ。

《怒涛》の二つ名に着いてきている奴らも少なからずいるだろうが、それもこれも今まで彼が給金を保証してきたという実績があるからだ。

「なるほどね。確かに…

まぁ、早ければ今日にでもうちの奴らが到着するだろうからさ。打ち合わせと礼金の話はそれからでもいいだろ?」

「前金の話が先だ。繋いでおくなら最低でも大銀で150枚。一週間延長で250枚。これは譲らない」

「分かったよ、アレクに伝えておく」と返事をした俺に、ゲオルグが変なものでも見るような目を向けた。

「お前さん…まさかと思うが、公子様を呼び捨てにしてるのか?」

「だって友達だし」

俺の返事に、ゲオルグはあきれ顔で絶句していた。

まぁ、普通の人ならこの反応が当たり前なのかも知れない。パウル様やワルターが咎めないからなんとなく忘れていたけど、アレクは南部ではパウル様の次に偉い人物だ。

「お前さんと話してると肝が冷えるし頭が痛くなる…」

ゲオルグは恨みごとのように呟いて、煙草を出して咥えた。

そういえば、色々あって俺もずっと吸ってなかった。煙草を前にして飲みたくなった。

「俺にも一本くれよ」と強請ると、ゲオルグは「やめとけ」と俺をガキ扱いした。

「《紫の夜リラナハト》はお前さんのような若いのには理解できない味だ」

「何?高いやつ?」

「まぁな。大人の味だ」と自慢して、ゲオルグは紫煙を空中に撒いた。

紫煙は苦く刺激のある香りを辺りに溶け込ませて消えた。初めてのフレーバーはその名前を記憶させるに十分なものだった。

「そのガキっぽい考え方を改めたら一本ぐらい奢ってやるよ。落ち着きのない奴が吸ったらむせる味だ。ようには、どっしりと構えてる大人の味さ」

「ケチだな」

「そうか?やらないとは言ってないんだがな…

まぁ、お前さんがもう少し落ち着いたら馳走してやるよ」

「どうせならそれより良いやつ奢ってくれよ」

「お前なぁ…これより高いのって、団長愛飲の《カノッサ》にでも手を出すつもりか?」

「へぇ…その名前は初耳だ」

「当たり前だろ?《カノッサ》が幾らすると思ってんだ?ひと箱で小銀貨一枚だぞ。その辺の傭兵相手に売る奴がいるわけないだろ?」

「煙草ひと箱で小銀一?」

「世の中お前さんが思っているより広くて深いのさ」と、驚く俺を小馬鹿にして、ゲオルグは煙草の煙を口に含んだ。その一連の仕草が男らしくて、目が離せなくなる。

「まぁ、良い男になるんなら、こういうもんもあるってこった」

「なるほどね。じゃぁ、俺も《カノッサ》が吸えるぐらい偉くなるとするよ」

「まったく、デカい口ばかり叩くその性格がガキっぽいっていうんだ…」

呆れるように苦笑いをする男は、ため息のように紫煙を吐き出すと靴底で煙草の火を消した。

「とりあえず、金の話は伝えたからな。お前さんも団長なら、相手が友達だろうがシビアになれよ?」

「分かってるよ。俺だって《燕の団》の団長だ」

傭兵の信用は金でしか買えない。目の前の男も傭兵だ。

「《カノッサ》に見合う男になるさ」と、啖呵を切って、ゲオルグに背を向けた。

✩.*˚

ラーチシュタットに向かう道中、《燕の団》ではちょっとした賭け事で持ち切りだった。

内容は、『団長が既にやらかしてるかどうか?』だ。団員全員が《やらかしてる》に賭けるところを見ると、あの坊主かなりの問題児らしい…

「そんなん、賭けにならねぇだろ?」

「じゃあ、何をやらかしたか賭けようぜ」と、面白がって提案してるのはイザークの奴だ。休憩中に賭けはヒートアップしていた。

「俺はラーチの門番と一悶着したのに賭けるね」

「スーがそんなので済むわけ無いだろ?

ラーチの門番相手に雷ぐらい落としてるんじゃないか?」

「団長喧嘩っ早いしなぁ…」と、誰も否定しないどころか、あれやこれやと勝手な想像を膨らませている。

賭けは盛り上がって、俺の所にも当たり前のようにお鉢が回って来た。

「なぁ、フーゴ。お前も何か賭けろよ」

「いやー、俺は団長とはそこまで付き合い長くないからよ。誰かのに乗っからせてもらうわ」

賭けに勝つ気が無くてもこういうのは乗っておくのが正解だ。

酒も賭けも傭兵として大事なコミュニケーションで、団に馴染むならこういうのは付き合いとして参加するのが賢い選択というものだ。

面白がって碌でもない賭けをする傭兵たちの中で、その喧騒を倦厭けんえんするように不機嫌を顔に張り付けた男の存在は浮いていた。

「どうしたんだよ?賭けねぇのか、ディルク?」

「…どうせ当たらねぇよ」

「そうか?この中じゃ、お前はあの団長と長いんだろ?」

「付き合いは長くても、あいつは予測不可能だ。賭けるなら、俺は全員ハズレに賭けるさ」と、ディルクは言い切っていた。

彼はその予想に自信があるように見えた。

「へぇ…じゃぁ、俺はお前の《全員ハズレ》に賭けるかね」と、彼の予想に乗っかると、ディルクは不機嫌そうな顔を驚いたような顔に張り替えた。

「割とな、俺は運のある人間なんだぜ。尤も、俺は勝ち馬を選んで乗るタイプだけどな」

「貧乏くじ引いてうちの団に来たくせによく言う…」

「まぁ、そう言うなよ?俺は割と面白いくじに当たったと思ってるんだぜ?」

俺は《赤鹿の団》では割と偉くなっちまったからな…

偉くなっちまうとどっかつまらない人間になっちまうもんだ。上に立つ人間にはある程度常識が求められる。

あの団長のように破天荒に振舞うのは俺には無理な事だった。

それが危なっかしく見えたが、同時に若さが眩しく思えたのも事実だ。

《赤鹿の団》とは毛色が違うが、《燕の団》は悪くない。少なくとも退屈はしなさそうだ。

「なぁ、お前らも何か賭けろよ」

元締めのように賭け金を集めていたイザークがやって来て、俺たちを賭けに誘った。

どんな予想が出たのか知らないが、金は結構集まっていた。

ディルクの顔を盗み見ると、ため息を吐きながら財布から大きい方の銅貨を出してイザークに投げた。俺も同じものを出して投げた。

「毎度あり」と、ご機嫌そうにイザークは銅貨を手のひらでキャッチして集めた金に混ぜた。

「で?お前らの予想は?」

「俺はディルクに乗っかるわ」と答えると、イザークはディルクに探るような視線を向けた。

「《誰も当たらない》に賭ける」

「はぁ?!なんだよ!それ狡くない?!」

ディルクの返答にイザークが吠えた。確かに、随分曖昧な答えだ。

「もうちょっと具体的に無いのかよ?」と食って掛かるイザークに面倒くさそうな視線を向けて、ディルクは「うるせぇな」と悪態吐いていた。

「分かった、分かった…《問題は起こしてない》、これでいいだろ?」

ディルクは面倒くさかったのか、ものすごく投げやりな感じで簡単に賭けの予想を変えた。

俺の金も賭けてんだけど…

まぁ、その予測が当たってる方が助かるが…

「ハズレても文句言うなよ?」

イザークが金を持って立ち去ると、不機嫌を顔に張り付けた男は俺に釘を刺した。

「ハズレなら、それはそれで面白いもん見れるだろ?」と笑って、自分の馬を繋いだ場所に戻った。

✩.*˚

「アレクシス公子様ではありませんか?」

レプシウス邸の前で馬車を降りると、覚えのある声に呼ばれて振り返った。

悪い場所で異母兄と鉢合わせてしまった…

異母兄は警邏の途中なのだろう。数人の憲兵らを連れて、軍帽の下から冷ややかな視線を私に向けていた。

「お忙しいと伺っておりましたが、このようなところでお会いするとは…

まだ日中ですのに、なにゆえ公子様がレプシウス邸に?」

どこか棘を含んだような物言いは、私が仕事をサボっているかのような言い方だ。

私が不快感を感じるて口を開く前に、クラウスが前に出た。

「ローゼンハイム卿、ヴェルフェル公子様はご公務の途中です。そのような物言いは失礼でしょう?

公子様が憲兵隊長である卿に行き先を報告をする義務は無いと理解しておりますが、何か問題でも?」

「失礼。ご公務ですか…それはレプシウス邸でなければならない事でしょうか?」

「ええ、大切な打ち合わせです」と、クラウスはにこやかに異母兄を牽制した。

異母兄の視線は相変わらず冷ややかだ。

異母兄が私を良く思ってないのは知っている。父上からはリュディガー兄様とは《少し距離を置くように》と忠告を受けていた。

その原因の詳細は知らされていない。それでも、異母兄の母が父上から暇を与えられて実家に戻され、それと同じくして、父上は異母兄に息子として重要な役割を任せるのを止めたことが関係しているのは明らかだった。

異母兄も昔はこうではなかった…

身体の弱かったヴォルフラム兄様とは対照的に、力強く活発なリュディガー兄様は頼れる兄で、幼い頃は何かと私の世話を焼いてくれた。

ヴォルフラム兄様が寝込むようになってから、幼い私の代わりに異母兄がヴォルフラム兄様の代理を務めることもあった。

リュディガー兄様が異母兄でなく、実の兄であったなら、私はヴェルフェル侯爵を継ぐ立場にはなかっただろう。

何故こうなってしまったのだろう…

思い出の中での彼は良き兄であっただけに、今の異母兄との関係は残念でならなかった。

私がヴェルフェル公子として完璧になれば、異母兄との関係が元に戻るのかも知れないと思った時もあったが、父上が彼を遠ざけたことで、私たちの溝は埋めることができないものになってしまった。

「ラーチシュタットの中でもいつ問題が発生してもおかしくない状況です。外出の際はお気を付けください」

「何か、事件でも?」

怪訝そうに問い返したクラウスに、異母兄はため息と一緒に言葉を返した。

「いえ、事件はまだ起きておりません。しかし、昨日からゴロツキが城下に集まっているので我々も警戒しているのです。問題が起きてからでは遅いので…

傭兵などと名乗っていますが、奴らは結局ははみ出し者の集まりです。信用すれば足元をすくわれます。

公子様もお気をつけください」

「…ローゼンハイム卿、それは本心からのお言葉ですか?」異母兄の言葉に耳を疑った。

傭兵団との信頼関係を損ねかねないその言葉に怒りすら覚えた。

どういう経緯で傭兵団を集めたのか知らないわけではないだろうに…

「我々憲兵の仕事はラーチシュタットの治安を守ることです」

異母兄は淡々とした口調でそう言い切って私の感情を煽った。友人を侮辱されたような気がして不愉快だった。

手が足りなければ傭兵を雇うのは珍しい話では無い。城代である叔父上も認めているのに、異母兄にそれを悪し様に言われるいわれはない。

「ローゼンハイム卿。その傭兵たちは街道の警備を任せるために、ラーチシュタットが急遽雇い入れた傭兵団です。

問題の多い状況で敏感になっていることは責任感によるものと理解しますが、彼らを貶めるような発言は慎んでいただきたきたい」

「ふむ…なるほど…その様子ですと、あの噂も本当のようですね」

「噂?」何の話かと思っていると、異母兄はこれ見よがしにため息を吐いた。

「良くない友人をお持ちだとか…

公子様は時期侯爵になるお方です。友人はもう少し選ぶべきです。侯爵閣下に恥をかかせるような友人は感心しません」

異母兄の言葉に絶句した。

こんな酷いことを言う人だっただろうか?

言葉を失って黙り込んだ私を一瞥して、異母兄は軍帽を抑えて会釈すると憲兵たちを連れて立ち去った。

「大丈夫ですか、アレクシス様?」心配そうなクラウスの声に顔を上げた。眉を寄せた心配そうなクラウスの表情に少しだけ癒された。

「…リュディガー兄様は随分変わってしまった」

「アレクシス様のせいではありません。ローゼンハイム卿自身の問題です」と、クラウスは私の代わりに怒ってくれていたが、こうなってしまった原因がはっきりしているだけに、異母兄との関係が元の形に戻ることは無いのだと理解していた。

異母兄にとって、私は障害であり邪魔な存在なのだろう…

やり場のない重い感情を抱えて俯きそうになる私の背に、また聞き覚えのある声が掛かった。

「アレク、待ってたよ」

明るい声に振り返ると、そこには笑顔の親友がいた。異母兄との会話を聞かれたかと焦ったが、肩で息をしている親友は今来たばかりのようだった。

「忙しいのにありがとう。他の団の隊長たちは集めておいたよ」

「わざわざ迎えに来てくれたのか?」

「当たり前だろ?」

そう言って笑う宝石のような瞳は温かい。その視線のぬくもりに胸が熱くなる。

私たちの間にはもうかなりの時間が過ぎていたのに、彼の私を見る目は少しも変わっていない。親しい友人を見る目はあの頃と同じ輝きで私を見ていた。

「…ありがとう、スー」やっぱり彼は私にとって特別な友人だ…

何もかもが変わってしまっても、彼にはずっと変わって欲しくないと思った。

✩.*˚

失敗だな…

例のアレクシスの友人と接触して牽制するつもりでいたが、折り悪く公子一行と鉢合わせしてしまった。

「閣下、あんな事言って大丈夫ですか?公子様は黙っていても、周りが黙っているとは限りませんよ」

部下の心配するような進言は自分への保身だろう。巻き込まれるのを嫌うのは、私が異母弟より立場が弱いからだ。部下のその賢しさに苛立ちを覚えた。

「真実だろう?アレクシス公子様は自分の立場をもう少し自覚するべきだ。時期侯爵ともあろう人物がゴロツキを友人と紹介するなど、許されることではない」

「しかし、あまり言いすぎると城代が…」

「城代は常識のある方だ。あのような付き合いを是とされるような方ではない。それよりも、傭兵たちの動きに注視しておけ。問題を起こすようなら容赦するな」

しつこく進言しようとする部下を睨んで黙らせると、視界の隅の離れた場所に公子一行の姿を捉えた。

先ほどまでいなかった若い男がアレクシスと何やら会話をして親し気にハグを交わしていた。

遠目からでも分かる中性的な顔立ちの黒髪の青年は、アレクシスらと一緒に屋敷の中に消えた。

誰だ?レプシウス邸にあんな青年がいただろうか?それに、あんなに異母弟と親しそうに…

「あぁ、あれが噂の《燕の団》の若団長か…」と呟く声が聞こえた。

そうか、あれが…アレクシスの《友人》か…

胸の奥で、あのお節介な存在に憎しみが湧いた。

あの男を邪魔者として覚えて、感情が抑えられなくなる前にその場を後にした。

✩.*˚

ラーチシュタットの門限に間に合って、何とか跳ね橋を渡ることができた。

《燕の団》の到着は伝わっていたので、ラーチの守備隊は特に揉めることなく俺たちが通ることを許可した。こっちが拍子抜けするぐらいだ。

その時点で団員の半分ぐらいは嫌な予感がしていたようだ。

「何で大人しくしてんだよー!!」と、賭けに負けた奴らの叫びにスーは目を丸くしていた。

「はぁ?ディルク、こいつら何言ってんだよ?」と、スーは俺にこの状況の説明を求めた。

「お前が何かやらかしているって賭けてた奴らだ」

「いやー。ディルクのおかげで大儲けだ。良い馬乗ったねぇ」と、一人喜んでる男はちゃっかりイザークから金を回収していた。あいつ、図太いな…

「お前らは何に賭けてたんだよ?」

「そりゃ、団長がお行儀よくしてるのに賭けてたんだよ。他の奴らは何かしら問題起こしてるって疑ってたけど、俺はディルクに乗っかっただけさ」

「ふーん…なるほどねぇ…」

やらかしを期待されていた男は不機嫌そうに団員たちを一瞥した。それだけで静かになるのは、誰も雷を落とされたくないからだ。

「お前ら俺がやらかしてなくて残念だったな。まあ、負けた分はしっかり稼げよ」

「で?仕事って具体的になによ?」

「俺たちはラーチの街道の掃除だ。街道で悪さするクズをぶちのめす簡単なお仕事だよ」と、スーが仕事の内容を伝えると、団員たちは色めき立った。

《赤鹿の団》と《灰狼の団》と分担して、街道の警備をするとの事だ。

「来る途中にあった《フェザーン》って村と《ブルネン》って村までの街道が俺たちの担当だ」

「そこってなんかあんの?」

「いや。むしろ何も無い、山裾の街道だよ。でも、悪党が隠れるところは多そうだ」

「悪党の仕事にはちょうど良いポイントか…」

「ちょっとした原っぱと小川が流れてる場所だ。そこが俺たちの拠点になる」

「ふーん…それってなんかあんの?悪党が出なきゃマジで暇そうな仕事なんだけど…」

カイが不服そうな顔でスーに文句を言うが、スーは口元にニヤリと笑っていた。

「俺がそんなつまらない仕事引き受けると思ってんの?」

自信満々に嫌な台詞を吐く団長に、団員たちの目が期待で輝いた。行儀よく街道に並んでいるなんてこいつらには無理な話だ…

「お前らは俺が悪党見つけたら全力で噛みついて来い。ただし、できるだけ殺すなよ?あと、これは未確定だけど、もしかしたら攫われている人がいるかも知れないから、その人は必ず保護しろ」

「人質か?」

「いや。少し前に襲われた《エッダ》の商隊から、女性が一人行方不明になってる。母親らしい。

子供たちからの証言だけで、状況も分からないから優先順位としては低くなってるけど、俺は放っておけない」

「襲われたのは《エッダ》なのか?」

胸糞悪い話にイザークの表情が険しくなった。襲われたのが《エッダ》と聞いて俺も怒りを覚えた。

土地を持たない《エッダ》は商隊自体が家みたいなもんだ。俺の親もそうだった。全財産を持って歩いているようなもんだ。強盗からすればいい稼ぎともいえる。

それでも《エッダ》を襲う奴らが少ないのは、《エッダ》の自衛能力が高い事もあるが、他の《エッダ》からの報復を恐れての事だ。

《エッダ》は《エッダ》を襲う奴を許さない。その悪行を無視すれば次は我が身だ。だから悪党には徹底的に報復する。

俺もそうやって孤児になった一人だ。他人事と済ませるのは無理だった。

「子供らは?」

「一応無事だよ。親の日ごろの行いが良かったみたいだ。今はレプシウス師の治療院で預かってる。だから、問題は攫われた母親だ」

「胸糞悪いな。俄然やる気になったわ」「絶対逃がさねぇ」と《エッダ》出身の団員たちから怒りの声が上がる。その声にスーは満足そうに頷いた。

「依頼も果たすし、クソ野郎どもに報復する。ついでに人助けだ、悪くないだろ?」

欲張りな団長の呼びかけに、いかれた男たちの「応!」と応える声が遠吠えのように響いた。異を唱える奴は一人もいなかった。

✩.*˚

思っていたより早く接触してきた依頼人は焦っている様子だった。

俺はまじめに裏稼業をやってきた男だが、依頼人は俺が裏切るのではないのかと疑っているようだ…

案外みみっちいんだな…

まぁ、偉そうにしている人間なんて、自分の積み上げてきた足元をいつ崩されるかと怯えているもんだ…

「俺は依頼人には誠実な人間なんだ。疑われるのは心外だね…

信頼関係がないなら、あんたの依頼は受けれないよ」

そう皮肉った俺に、依頼主は暗い路地の中でも分かるぐらい怒気を孕んだ視線で睨み付けた。

俺だって悪党の端くれだ。そんな顔したところで、心証が悪くなるだけで現状が良くなるわけもない。ただでさえ危ない橋を渡らさせられているんだ。

今までの経験から、この件は早々に手を引いた方がよさそうな気がしていた。

「頼みたい事がある」と、沈黙を破るように話し始めた依頼主は新しい依頼を伝えた。

追い詰められたこの男の動向に興味があった。

「邪魔な奴を始末してくれ」

「それは少し値が張る依頼だな。誰を始末してほしいんだ?」

「《燕の団》の団長だ。今回の件から手を引くように仕向けて欲しい」

「へぇ…」なかなか有名人じゃないか…

依頼人がどの程度知っているか知らないが、裏の世界ではあの男はやばい奴として有名人だ。

確か、《英雄》ロンメル男爵と同じ傭兵団出身で、カナルでは小さい傭兵団ながらヴェルフェル侯爵の覚えも良く、前線で活躍していた。あのレプシウス卿に学んでいたという話もある。

その武勇伝は人とは思えない内容ばかりだ。眉唾ものだが、《祝福》は持たないくせに、魔導師級の魔法の使い手で、エルフのように精霊を使えるのだという。

彼の出自は誰も知らない。だからその眉唾ものの噂は妙に説得力があった。

多少盛っているにしても、その依頼が難しい内容であるのは間違いない。

「悪いが、その仕事を紹介できる相手は俺の知っている人間にはいないよ」

「嘘を言うな。金だろう?」

「お生憎様。本当に思い当たる相手がないのさ。この間のゴロツキじゃ手も足も出ないだろうよ」

まさか俺に依頼を断られると思っていなかったのだろう。これだから偉い人間は嫌いなんだ…悪事に慣れてないから引き際をまるでわかってない…

「この間のは情報を流すだけの簡単な仕事だったが、今回は違う。俺は悪党とつながりはあるが、それ以上を求められるのは無理だな…

そんなやばい依頼受けてくれるのは《毒蜘蛛》くらいだ」

「…なんだと?」

「あんたも名前ぐらい聞いた事あるだろう?暗殺者集団の《毒蜘蛛》だよ」

俺の出した名前に、依頼人は口を噤んだ。

正体不明の暗殺集団。彼らは《頭》と呼ばれる指導者がおり、《頭》からの指示で、実行役の《足》が動くのだ。

暗殺集団として名高い《毒蜘蛛》に、多くの貴族や有力者が悩まされていた。

問題は《頭》との接触が困難である事。そして、一度依頼したら最後、依頼主から依頼を引っ込めることはできない。

「まぁ、《毒蜘蛛》に手を出すのだけは止めときな。これはあんたを心配して言ってやってんだ。あいつらはどこに潜んでいるか分からないし、危なすぎる…おすすめはしないね」

手を出すにはリスクの高い相手だ。依頼人もそれは分かってるだろう。

しかし、思いつめたような顔にはやはり嫌なものを感じた。放っておいても、この危うい男は自滅しそうだ…

どんな時には引き際ってのは大事だ…

これ以上この男と関わるべきじゃない。悪党としての本能が俺にそう伝えていた…

✩.*˚

《燕の団》がラーチシュタットに到着して、その夜に他の団と顔合わせを済ませた。翌日には各々配置につく予定だ。

「いやー…まさかこんなに早くお前と顔を会わすとは…」

「俺だってこうなるなんて思っちゃいなかったぜ」

ため息を吐いてそうぼやく元同僚は今回の仕事が気に入らないようだ。

まぁ、常識人のこいつの言いたいことはだいたい分かる。俺も《赤鹿》に在籍していた時なら面倒だと思っただろう。

「で?旦那がお前に行かせたってことは結構肝入りだろ?旦那は何て?」

「ふん。『《燕の団》のケツを持ってやれ』だとよ…全く、団長も随分あのガキの肩を持つんだな」

「まぁ、ほっとけねぇんだろ?《燕》は《赤鹿》とは毛色が違うが、俺は割と楽しんでるよ。まぁ、強いて問題を上げるなら、学のない奴ばっかりだから俺が賢く見えるぐらいだよ」

入ってみて分かったが、《燕の団》にはあまり読み書きができる人間がいない。

傭兵なんてそんなもんだが、それにしても《燕の団》は事務方が居なさすぎる。

団長の信頼しているディルクだって読み書きはうろ覚えで、かろうじて読めるが書くのは自信なさそうだし、会計責任者と呼べる人間がいないのは大問題だ…

団長不在の間、新参者の俺に頼るくらいだ。結構深刻な問題だろう…

事務仕事のほとんどが団長や爺さんたちの負担だったらしく、時々外にも世話になっているらしい。

俺は読み書きは不自由してないし、簡単な金勘定ならできる。《燕の団》が欲しかったのは隊長格というより、事務仕事を押し付けれる人間だったんじゃないかと思えるほどだ。

「まぁ、《赤鹿》の頃より稼ぎは減ったが、退屈しねぇし、割と楽しくやってるよ」

「楽しむのはお前の自由だがな、締めるところはちゃんと締めとけよ?

特にあの団長からは目を離すな。あいつは危なっかしすぎる。ちゃんと止めろよ?」

「分かってんよ。俺はやるときゃやる人間だ。それにあの問題児も自分が問題児って分かってる。意外とちゃんと話せは分かる奴だ」

「ふん。まぁいい。

なんか不味い事があったら言えよ?そのためにくれてやったんだ。ちゃんと仕事はしろよ?」

そう言ってゲオルグは懐から何かを取り出して俺に差し出した。

「団長からだ」と言って渡されたのは小さな革の巾着だ。中には堅い感触がある。それが何かは訊くまでもないだろう…

「旦那ってこんなに羽振り良かったかい?」

「さあな…まぁ、あの手のかかるガキに入れ込んでるのは間違いねぇよ」

「違いねぇや」とゲオルグの言葉を笑って、お守代をありがたく頂戴した。

金を貰ったからにはそれだけの仕事をしなきゃならん。

離れたところから新しい雇い主の呼ぶ声がした。もう宿に帰るらしい。

「じゃあな」と、ゲオルグと挨拶して、今の自分の団に戻った。
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