燕の軌跡

猫絵師

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髪を結って直ぐに帰るつもりだったから、旦那に一声かけて帰ろうとした。

「悪かったな、隊長さん」

旦那はそう言って多めに礼金を包んでくれた。

貰いすぎかとも思ったが、断る理由もない。ありがたく頂戴した。

「しかし、お前勿体ねぇなぁ…それで十分食っていけるだろ?」

「こんなん小遣い稼ぎにしかならないっすよ」

「そんなことねぇだろ?立派な特技だ。少なくとも俺は評価してるよ」

ご機嫌そうに俺の肩を叩いて褒める男は嘘を言っているようには見えなかった。

「今日はちょっとこの後立て込んでるからよ。また今度うちのお姫さんの髪も結んでやってくれ。今日はありがとな」

旦那から解放されてすぐに帰る気でいた。長居してライナと顔を会わせるのは面倒だ。

人目を避けて帰ろうとしていると、廊下で前に髪を結ってやったお嬢ちゃんに出くわした。

「あ!カイだ!」俺に気付いて、お嬢ちゃんは期待したような目を煌めかせた。こいつも髪結いしろって言いそうだ…

「だれー?」「おとこー!」と、お嬢ちゃんの両脇で同じ顔をした双子が猿みたいに騒ぎ立てた。

「ライナに会った?」と懐っこくお嬢ちゃんが俺に確認した。俺がライナに会いに来たとでも思っているのだろうか?

「いや、もう仕事したから帰る」と、淡白に答えると、お嬢ちゃんは少しがっかりしたような顔をした。何でそんな顔するんだよ?

ちょろちょろと逃げ出そうとする弟たちの手をしっかりと握って、彼女は怖いもの知らずみたいにまっすぐに俺を見上げた。

「ライナに会っていかないの?」

「はぁ?だから仕事に来ただけで、あいつに会いに来たんじゃねぇよ」

「何で?ちょっと顔出すだけでいいよ。ライナ喜ぶよ。さっきまで一緒に厨房にいたから顔出して行ってね」

お節介なお嬢ちゃんはライナの居場所を教えると、双子の手を引いてどこかへ行った。

お嬢ちゃんには悪いが、逆に言えば厨房に立ち寄らなきゃ良いだけの話だ…

ため息を吐きながら来た道を戻って屋敷を出た。馬を繋いだ場所に戻ると、馬の足元には水の入った桶と餌の入った桶が用意されていた。

待たせている間に誰かが世話をしてくれたらしい。一番に思いついたのは、あの人懐っこいオークランド人だったが、周りに彼の姿は無かった。

また今度会ったら礼を言うつもりで、コインを一枚沈めた桶を分かりやすい場所に置いて、繋いでいた馬の手綱を手に取った。

馬の背に乗ろうと鞍に手を掛けた時に、石畳を叩く早足の靴音が聞こえて振り返った。息を切らしてそこに立っていたのは今は会いたくない顔だ。

「間に合った」と乱れた前髪を直して、照れたような顔でライナが笑っていた。彼女の後ろで無造作に高い位置で結んだサラサラした金髪が揺れた。

「旦那様が、『見送りしてやれ』って言ってくれたから…今日はアダムが休みだから門の鍵も閉めないといけないし」

「じゃぁ、これは?」と、桶を指さして訊ねると、ライナも知らなかったらしく首を傾げていた。

「ケヴィンかな?彼、気が利くよね」

ライナはそう言って、俺に並ぶと笑顔で見上げてきた。

『もう、髪は結わない』とか、『ここには来ない』なんて言ったくせに、どちらも彼女を振る口実でしかなく、俺は自分で言ったことを破っていた。

ダセェな…

そんな風に思いながら、馬に乗るのを諦めて、彼女と並んで門まで歩いた。

貴族の家ってのは無駄に広くて、門まではそれなりの距離がある。

どちらから話すでもなく、黙って歩きながら、少し低い位置にあるライナの横顔を盗み見た。

前に会った時よりまた少し顔つきが変わった気がする。雰囲気だろうか?前より少し大人っぽくなった…

でも、もう俺はこいつとは関係ないんだよな…

それを残念に思う自分がいる。ライナを見るたびに気持ちが揺らぐ…

「ねぇ、カイ…」不意にライナが口を開いた。

慌てて視線を外した。盗み見ていたことを指摘されるかと思ったが、ライナは俺の視線には気付いてなかったようだ。

「あたしさ…婚約の話来てるんだ…」

その言葉に返事をするのも忘れていた…

変な感情が胸の奥に宿った。悲しいとか、そんなんじゃない。波が引くような、乾いたような感情…

虚しいという言葉が一番しっくりするような気がする。

その後、何て言ったか覚えてない。

でも、意地と虚勢で、かろうじて『良かったじゃん』とか『おめでとう』とか言った気もする。

あいつは、本当はなんて言って欲しくて俺に話したんだろう?

酷く後味の悪い後悔を抱えたまま帰った。

この胸につかえるような感情を押し流すほど強い酒が欲しかった…

✩.*˚

「あの本…ですか?」

時間を作って訪ねてきてくれたアショフにレプシウス師の蔵書について訊ねた。

「うん。どうしても読みたいんだ。誰から借りた物か分かる?」

「あれはレプシウス師が現大神殿長であるホーエナウ公爵閣下から特別にお借りしたものです。まさか…勝手に手に取ったりはしていないですよね?」

「ちょっと気になって…なんか、まずかった?」

俺の返事にアショフの顔が引き攣った。大げさにも思えたが、その反応からその本がただの本じゃないと確信した。

「すみません…えっと…あの本棚はレプシウス師が結界を張っていたので失念していました。忙しくて説明を怠った私の責任でもあります…」

「そんなに大事なものなの?」

「あれは大神殿長であるホーエナウ公爵家の家長が記した聖典の写本だと伺っています。ホーエナウ公爵閣下の家宝とも呼べる大切な本なのです。

ホーエナウ公爵家は代々神殿を預かる大切なお役目があります。当然、その職務の為には聖典の内容を熟知していなければなりません。

あの本はその修行の一環として作成する聖典のライン語での写本で、その写本を完成させることがホーエナウ公爵であることの証明なのです」

「そうなの?でもそんな大切なもの、何でレプシウス師に貸してくれたの?」

「現ホーエナウ公爵閣下はレプシウス師の親友でしたから…

師も『かなり無理を言って貸してもらった』と仰っていました。レプシウス師の訃報はホーエナウ公爵閣下にもお送りしましたので、おそらく公爵閣下直々にその写本の回収にいらっしゃいます。

それまで完璧に保管しておかなければなりません。もうあの本の事は忘れて下さい。何かあったら取り返しがつきません」

アショフは珍しく強い口調で念押しをして、本棚を堅そうな布で梱包して封印を施した。

「そんなに貴重なものだと知らなくて、ごめん…」

「いえ、大切なものに関しては私が気を付けておくべきでした。君は知らなかったのですから、仕方ない事です。

それより、リリィとベスを慰めてくれてありがとうございます。君が付き添ってくれたから、私は他の事に集中できました」

「一緒に食事して、お茶飲んで、話をしてただけだよ」

「それでも、他の人には頼めない事です。正直な話、私もレプシウス師も二人のケアが一番心配でした…

彼女らは本当の意味でまだ人に心を開いてはいないので…」

アショフはそう言って残念そうに苦く笑った。

「彼女らの境遇は特殊ですから、それも仕方ないことです。

まぁ…少し落ち着いたら、二人とも色々話し合うつもりです。その時は、また君に頼ることになるかもしれません」

「いいよ。いくらでも頼ってよ」

「期待しています。

そういえば、ヴェルフェル公子から君宛に伝言を預かりました。

『夕方は難しくなったので、夕食の後に顔を出す』との事です」

「そっか、分かった」

内心、アレクに会えるのが少しだけ先延ばしになったのを残念に思ったが、彼が忙しいなら仕方ないと割り切った。

公子としての責任は俺の考える以上の重責なのだろう。

「何か必要なものはありますか?」と、アショフが気を遣ってくれたが、必要なものなら全部世話してもらっている。

「暇つぶしになりそうな本がほしいな」と答えるとアショフは小さく笑った。

「リリィに書庫の鍵を預けておきます。あそこの本なら好きなものを読んでいただいて構いませんよ」

今は彼がこの屋敷の責任者だ。彼に迷惑をかけるのは本意ではない。

アショフから許可をもらい、時間を潰す本を探すためにリリィたちを連れて部屋を出た。

✩.*˚

約束していたのに…私も楽しみにしていたのに…

友人との大切な時間を邪魔されて、苛立ちが棘を含んだ言葉になって口からあふれた。

「まだなんの手がかりも無いのか?早急に解決するようにと申し付けたはずだが?」

「申し訳ございません。ラーチシュタットの街道の警備を増やして対応しておりますが…」

「言い訳は不要だ。数日中に、レプシウス師の縁者が葬儀に参列するために来訪する。王都からの使者も来る。

それまでに街道の安全が確保されていなければ、『南部は無法地帯』などというそしりを受け、父上が大恥をかくことになるのだぞ!」

今朝、ラーチシュタットの開門と同時に、街道を通った商隊が賊に襲われたとの報告を受けた。積荷が奪われ、死傷者も出ている。襲撃した賊の行方はまだ分かっていない。

普段であればそれほど大きな問題にもならないが、タイミングが悪すぎた。これからレプシウス師の葬儀の用意もある。

飛竜の伝令を通して七大貴族からも弔意は届いていた。レプシウス師と親交の深いホーエナウ公爵閣下は公爵自ら葬儀に参列する意思を示しているそうだ。

そんな中での街道での賊の襲撃の報に叔父上もご立腹だ。その処理に追われて今に至る…

「まったく…」不愉快な感情をため息交じりに吐き出すと、傍らに控えていたクラウスが私の代わりに伝令に指示を与えて退去を命じた。

「お怒りは分かりますが、伝令を責めたところで変わりません。部下に理不尽な怒りをぶつけてはアレクシス様の品位を落とすことになります」

「分かっている…」

「もうすぐ跳ね橋の上がる時間です」

「やむを得ん。外の人員を増やして街道の警備を続けさせろ。襲われた商隊の生存者から証言は?」

「相変わらず、口を利ける状態なのは軽傷の子供だけで、大人たちからはまだのようです」

「まったく…最悪だ。レプシウス師が生きていれば…」

そんな栓の無い言葉を呟いて途中でやめた。《たら》《れば》は今は無駄だ…

「時間が無い。多少無理な動員をしてでも街道の安全を確保しなければ…」

「そうは言っても、ラーチシュタット内の警備もおろそかにはできません。騎士団だけでは手が足りません。空いている傭兵団も招集しましょうか?」

「そうだな、早急に手配を頼む。この際多少金がかかっても構わない。ヴェルフェル侯爵家の名誉にかかわる問題だ」

「かしこまりました。お任せ下さい」

クラウスの返事に頷いて、手配の件は彼に一任した。私はこの件を取りまとめて叔父上へ報告するという重要な仕事が残っている…

重くなる気分をため息に乗せて吐き出して、報告を綴るペンを握った。

最初に約束した時間はとうに過ぎていた。

また彼と擦違いになるのではないかという不安が胸を過る…

「スーが待ってますよ」

私の不安を察したようにクラウスがそう言った。

確かに…

ブルームバルトに帰るにはまだ早い。スーは待っていてくれるはずだ。

そう自分に言い聞かせて、自分の責任に向き直った。

✩.*˚

アレクシスが日向を歩く人間なら、私は常に日陰者だ…

奴がいる限り、私は日のある場所に出ることは叶わない。

「よくやった」

人気のない裏路地で待ち合わせていた共犯者を褒めて約束の礼金を渡した。

「また報せを寄越す。その時はわかってるな?」

「あんた、悪い奴だな。こんなことして大丈夫なのか?腹が違っても兄弟なんだろ?」

金を受け取った相手は、嫌味ったらしく私に説教をした。その口元には諌めるような言葉とは対照的に、下卑た笑みが張り付いている。

「…兄弟か…」そう思ったこともあったが、私たちの間には主従というどうしても越えられない壁がある。

生まれたのは私が先なのに、母親が違うというだけで、早世したヴォルフラム兄様から零れ落ちた栄誉は私の頭の上を素通りした。

私が娘であれば…もしくは、アレクシスより劣っているのなら納得することもできただろう。

しかし私は他家に嫁ぐ娘でもなく、ヴォルフラム兄様のように病弱でもなく、アレクシスより文武においても優秀だった。

母はヴォルフラム兄様の不幸を喜んで、私にもチャンスがあるのだと言い聞かせた。不幸に傷ついて弱っていた奥方様から侯爵家の女主人の座を奪えると本気で思っていたらしい。

しかし、侯爵の気持ちが私の母に傾くことは無かった。それどころか、逆に奥方様との絆が強くなり、母は侯爵から暇を与えられて実家に戻された。

私が引き続き侯爵家に残ることができたのは、父親としての恩情だろう。

息子としてではなく、臣下として侯爵家に臣従する事を誓い、私はここに残った。私に残された道は、死ぬまで異母弟の陰として生きる事だ…

これほど恵まれて、あと一歩届かず、この屈辱に甘んじて生き続ける事が正しいのだろうか?

あと一歩…あと一歩だ…

異母弟を殺したいとまでは思わない。母に対して孝行する気もない。全部自分の為だ…

ただ、私の方が息子として価値があり、優秀で侯爵にふさわしいと認められ、父に愛されたい…

それは他人から見れば幼いと思える感情だろう。しかし、人として当然の感情であることも事実だ…

幼い思考が狂気に近づいて、後一歩を押してしまった…

「まあ、俺はあんたらの仲たがいは関係ないんでね…せいぜい稼がせてもらうよ」

悪党との仲介屋は答えない私の返事を諦めて立ち去ろうとした。

「他言するなよ」と、立ち去ろうとする背中に釘を刺すと、男はニヤニヤしながら振り返って自分の胸元を指さした。

「商売ってのは信用が大事だ。悪党でもそれは変わらねぇのさ」

この男からすれば私も客の一人でしかないのだろう。金払いのいい客であるうちは私を裏切ることはなさそうだ。

暗い悪党の巣くう路地を後にして帰路についた。

「お帰りなさいませ、リュディガー様」

宿舎として与えられていた家に帰ると、遅い時間にもかかわらず妻は起きて待っていた。

「ただいま、ミリヤム。まだ起きていたのか?」

「心配で…伴も連れずにお出かけになりましたので…」

「すまない。大した用事ではないんだ。君も知っての通り、今日は少し問題があったから、その件で出ていただけだ」

彼女は私の言葉を信じたようだが、「それでも伴は御連れ下さい」とやんわりと私を叱った。

「リュディガー様に万が一があれば、ラーチシュタットにも侯爵家にとっても大きな損害です。私も心配しますし、この子にも良くありません」

彼女はそう言いながら、私に見せるように目立つようになった自分のお腹を撫でていた。

「そうだな。それなら気をつけよう」

彼女の言葉に頷いて、彼女に歩み寄って両腕を広げた。彼女ははにかんで応じてくれた。

抱きしめた妻の大きくなったお腹が当たって、少し動いた気がした。

「この子もお父様に会いたいようです」と、嬉しそうにはにかむ妻を愛おしく思った。

彼女らを、私の日陰者の人生につき合わせるつもりは無い。

日の当たる場所へ…

それが夫であり父親になる私の役目だ。

✩.*˚

「こんな時間になってすまない…」

深夜とも呼べるような時間だったけど、アレクは約束を守ってくれた。

俺を訪ねて来てくれた親友はひどく疲れた顔だった。

こんなになってまで訪ねて来てくれたのだから、彼の誠意は十分伝わってきた。

「謝らないでよ」と笑って、治癒の指輪を嵌めたアレクの頭に翳した。治癒魔法で彼の疲労を取り除くと、アレクの顔色が明るくなって、彼の青い瞳にも光が戻った。

「ありがとう、スー。楽になった。さすがレプシウス師の弟子だ」

「大げさだな。このくらいの魔法ならその辺の怪しい魔法使いでもできるよ。

それより、無理させたみたいで悪かったね。忙しかったんでしょ?」

「君は悪くない。私の要領が悪いから仕事が終わらなかっただけだ。それでも君との約束は守りたかった。随分待たせてしまったが…」

「アレクシス様は要領悪くありません。アレイスター子爵閣下が厳しいのです」と、今まで黙って話を聞いていたクラウスが口を挟んだ。

「今日は想定外の問題があっただけです。アレクシス様の仕事ぶりに問題はありませんでした。

先に提出した報告書だって、書き直すほど問題があるようには見受けられませんでした。あんなに厳しくおっしゃらなくてもよいのに…」

「いや…叔父上も父上から私に厳しくするように言われているのだから仕方ない」

「…なんか、大変そうだね」と声を掛けると、アレクは自信なさげに視線を落とした。身体は元気にできるが、心まではどうしようもない。

今のアレクに必要なのはきちんとした休息だろう。

「私が頼りないから、叔父上にも苦労を掛ける…まだまだヴェルフェル家の後継者として認めてもらえそうにないな…

私がこんなのだから、異母兄にも心配されてばかりだ…」

弱音を吐く彼は随分落ち込んでいるように見えた。時期侯爵というのは相当なプレッシャーだろう。俺みたいな、好きでやってる傭兵団の団長とは訳が違う。

心理的に弱っている友人をなだめて、部屋にあったソファを二人に勧めた。

「無駄にならなくてよかったよ」と、用意しておいた紅茶や菓子を出して二人をもてなすと喜んでもらえた。

初めて知ったけど、アレクはバターと砂糖たっぷりの焼き菓子が好物らしい。

「酒も煙草も苦手なんだ。子供みたいだろう?」と、彼は恥ずかしそうに言っていたけど、好きなものなんて人それぞれだろう。

「妻は嗜むんだが、私は下戸でね。すぐ眠くなってしまう。

リューデル伯爵からも《赤鷲》やら《金獅子》を頂戴したが、全部倉庫行だ」

「それは勿体ないね。前にパウル様から《赤鷲》を頂戴したけど、香りも良いし甘くておいしかったよ。ちょっと飲んでみたら?」

「そうか。それなら一緒に飲んでくれないか?私は味見でいいから、残りは君が飲んでくれ」

「やったね。楽しみだ」

アレクと酒の約束して、今まで会えなかった時間を埋めるように、とりとめのない話を続けた。

アレクの見た目は大人になっていたけど、中身はあまり変わっていなかった。

手紙には何とでも書けるけど、彼の顔を見て話して、気持ちがあの頃から変わっていないと確認出来て良かった…

会えない間に感じていた不安は嘘のように消えて、俺たちの間の止まっていた時間は動き始めた。

お互いの近況などを話しているうちに、自然と《燕の団》の話になった。

「父上から《燕の団》の話は聞いている。カナル中流では有名みたいだ」

「まぁね。うちは曲者ぞろいだよ。この間|《赤鹿》にも目をつけられたけど、返り討ちにした話する?」

「呆れた…《赤鹿の団》と喧嘩したのか?あっちの方が古いし大きい団じゃないか?」

「古いとか大きいとか関係ないよ。そんなこと言ってたら、フィーアだってオークランドと戦えないだろ?」

俺の返事にアレクは苦笑いを浮かべて、「確かに」と頷いた。

「まぁ、《赤鹿》とはその一件で和解したし、兄弟分にもなった。今後は仲良くするよ」

「君は相変わらず型破りだな。スーの話は退屈しないよ」

「アレクシス様。スーに少し訊ねたい事があるのですが、よろしいでしょうか?」

今まで静かに微笑んでアレクの隣に座っていたクラウスが発言を求めた。アレクが頷くと、許可を得てクラウスが口を開いた。

「《燕の団》は《赤鹿の団》以外にも他の傭兵団と交流はあるのでしょうか?もし口利きをお願いできるなら、ご紹介いただきたいのですが…」

「無くはないけど…《雷神の拳》とか、カナルで一緒だった《カササギの団》とか《灰狼の団》の隊長なら割と話せる人がいるよ。何で?」

「急ぎで傭兵団に都合をつけたいのです。

ご存じの通り、これからレプシウス師の葬儀のために王都やフィーアの各地から来賓がいらっしゃいます。そのため、ラーチシュタットは街道の安全を確保しなければなりません。

少し話したかもしれませんが、最近街道を脅かす賊が頻繁に商隊や旅行者を襲っているのです。

今はオークランドと大きな戦闘はありませんが、高名なレプシウス師の逝去の報がどのように作用するか分かりません。ですので、アレイスター子爵はカナルや他の城に配置している兵力を動かすことには反対なのです。

しかし、ラーチシュタットだけでは街道の安全確保は人員が足りません。

信頼出来る傭兵団に街道の警備を依頼するつもりだったのですが、もし可能であればご協力頂けませんか?」

「それなら《赤鹿の団》と《灰狼の団》に手紙出すよ。拠点は近かったはずだし、仕事になるなら応じてくれるはずだよ」

「助かります」

「ついでに俺にも仕事くれる?」と訊ねると、クラウスとアレクは少し驚いたような顔で俺を見返した。

「うちの団も今は大きい仕事が無いから割と暇でね。仕事貰えるとありがたいな」

「ははっ!なるほど。君に話を通してもらうのに、君を雇わない訳にはいかないな」

「じゃあ、雇ってよ。仕事はきっちりするからさ。

それに、俺もレプシウス師の葬儀に水が差されるようなことだけは許せないし、レプシウス師の関係者に何かあったら目覚めが悪いからさ」

「なるほど。確かにそうだな。そういう事らしいぞ、クラウス」

「かしこまりました。手配いたします」

二人は俺を雇う事を快諾してくれた。

その場で《赤鹿》と《灰狼》、《燕》への手紙を書いてクラウスに預けた。朝一に飛竜の伝令に預けてを飛ばすという。

仕事の話を終わらせると、アレクはその話は終わりとばかりに話題を変えた。

「そういえば、今度手紙で報せようと思っていたことがあるんだ」

「え?何?いい話?」と訊ねると、アレクは少し誇らしそうな顔を見せた。その顔から良い話を期待した。

「まだ公にしていないんだが、少し前に妻が懐妊したことが分かった。忙しくしていたし、彼女の体調が安定していないからまだ父上にも報告していない」

「本当に?!おめでとう!」

ここに来てから一番の嬉しいサプライズだ。つい興奮して大きな声を出してしまったが、アレクは照れたような嬉しそうな顔で頷いて、更に嬉しい提案もしてくれた。

「ありがとう、スー。もし時間が合うようなら彼女に私の友人として君を紹介したいんだ。彼女も君の話を聞いて是非会ってみたいと言ってくれていた。きっと喜んでくれるはずだ」

「ありがとう。約束だよ!」子供みたいにはしゃいでアレクと約束した。

そんな楽しい時間はあっという間に過ぎて、アレクとクラウスは少し休んでから朝日が昇る前に帰って行った。

二人を見送って、今日も自分にできることをするために、アショフの元に足を運んだ。

✩.*˚

「母ちゃん、腹減った!」

「なんか無いか?」

煩いガキ共が帰ってくるなり喚きたてた。

息子ってのは幾つになっても《母ちゃん》が飯を出してくれるもんだと勘違いしている。母ちゃんの世話になるのは15のガキまでだ。それ以上は自分の稼いだ金で飲み食いしてくれ…

「飯が食いたきゃ金だしな。いつまでも母ちゃんにたかるんじゃないよ!」

「だってよ、稼ぐにも仕事がねぇんだ」と長兄が言い訳をすると、次男と三男もそれに同調した。

「んだな。母ちゃん、《灰狼》は仕事ないんか?」

「あったらあたしが家にいるわけないだろ?仕事なら自分で探しな。日雇いだってあるだろ?あたしだって自分の生活があるんだ、いつまでもチビみたいに帰ったら無条件で飯が出ると思うなよ」

フライ返しを手に腕を組んで答えると、うるさいガキ共は勢いを失って、尻尾を丸めた犬みたいに大人しくなった。

今まで仕置きの時はフライ返しで尻を叩いてきたから、バカ息子たちはフライ返しを見ると反射的に尻を隠すのだ。

「母ちゃん。兄ちゃんたち可哀そうだよ」と、まだ小さい手が袖を引いた。

末っ子のティモはまだ7つだからあたしの稼ぎで暮らしている。年の離れた兄貴たちによく懐いていて、いつも兄貴たちを庇う役だ。

ティモは可愛い顔をしているし、まだ幼いから、あたしもつい甘やかしてしまう…

「…ったく…あんたたち、ティモに感謝しな。ツケといてやるよ」

そう言って、フライ返しでケツを叩く代わりに空の水桶を放った。バカ息子たちはそれで飯にありつけると思ったらしい。

全く、もうガキでもないくせに、顔を見合わせて笑う顔は変わんないねぇ…

水で戻した豆と大麦で嵩増ししたスープは意外と腹に溜まる。それにお情け程度の肉の切れ端を浮かべて簡単に味をつけた。

「文句言ったら叩き出すからね」と前置いて机にスープの皿を並べた。

「食えんなら文句ねぇ」「同じく」なんて失礼な事を言って、バカ息子たちは飯を腹の中に掻き込んでいた。

「食い終わったら食った皿洗って、明日の仕事でも探してきな」

満腹になったバカ息子たちが昼寝を始める前に、外に放り出そうとしていると、珍しい来客があった。

「何だ?ミリガン、今日は母親やってんのか?」

「他の仕事が無いもんでね。傭兵家業は閑古鳥さ」と答えると、相手は勝手にずかずかと家に上がり込んで、図々しく空の皿の並んだ食卓に着いた。

「おう、ティモ。こっち来いよ」

あたしの可愛いティモを自分の膝に呼んで、邪魔くさい男は末っ子を可愛がっていた。

「ヘンゼル、土産もなしに何しに来たんだよ?あんたの息子はあのデカい方だよ」

「ツレねぇなぁ…土産ならあるぜ、とっておきのがな」

元旦那で長男の父親はそう言って懐から手紙を取り出した。

ひったくるように受け取って中身を確認すると、手紙には久しぶりに目にする名前が綴られていた。

カナルで一緒に仕事した若い傭兵団長の名前だ。

「ラーチから仕事の依頼だ。ガキ共連れて行ってきな。このチビは俺が預かってやるよ」

無精髭に縁どられた口元はニヤニヤと笑みを浮かべている。どうやらこいつの懐もそれなりに潤うような内容みたいだ。

《仕事》と聞いて、だらけていたバカ息子たちも反応した。

「あんたたち!ラーチで急ぎの仕事だよ!さっさと集合かけな!」

奇声を上げながら駆け出して行ったバカ息子たちを見送って、ヘンゼルは苦く笑って肩を竦ませた。若者の勢いに着いて行けないようだ。

「相変わらずな」

「元気にやってんだから良いだろ?」

「まぁ、そうだな…ガキがいるから、腑抜けた俺でも、まだお前を繋いでおけてるしな。お前が残らなかったら、《灰狼》はとっくに廃業だ」

ヘンゼルはそう言って膝に乗っているティモの頭を撫でていた。

あたしもこの仕事が無けりゃ、独り身で五人もガキを育てられなかっただろう。稼ぎも良いしあたしの性にも合っていた。

「こいつの事ならちゃんと預かるから安心しな。

稼いで来いよ、《半裂きのミリガン》」

パートナーは言葉であたしの背を押した。

昔の男に末っ子を預けて、ラーチシュタット行きを承諾した。
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