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求婚
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「お爺様!」
馬車の扉が開いた瞬間、待ちきれなかったお姫様は、繋いでいた俺の手を振り払って親父に駆け寄った。
孫娘の熱烈な歓迎に、親父の厳つい顔が一瞬で崩れて別人のようになる。そんな柄にもない姿を見せるのは、フィーが可愛くてたまらないからだ。
フィーの視線に合わせて屈んだ親父に、フィーは勢いよく飛びついた。
「お爺様!いらっしゃい!」
「おぉ!フィリーネ様、大きくなられましたな。お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう、お爺様!」
「益々お母上に似てまいりましたな。そのドレスもよくお似合いです」
大好きな祖父に褒められてフィーはご満悦だ。
「お爺様!だっこしてくださいな!」とおねだりをして、フィーは久しぶりに会う祖父に甘えていた。
孫娘を抱き上げた爺さんは、もう一人のお姫様を愛でに来た。
「エミリア様は爺を覚えておいでかな?」
親父はそう言って、俺の腕の中で大人しくしているエミリアの顔を覗き込んだ。エミリアは不思議そうな顔で見慣れない爺さんを凝視していた。
「忘れちまったってさ」
「また覚えてもらうさ」と答えて、親父は指の甲でエミリアの頬を撫でた。エミリアは小さな手を伸ばして自分に触れた手を追いかけた。
「おうおう、可愛いお姫様だ」
「お爺様、フィーとお散歩しましょう」と抱っこされていたフィーが親父を散歩に誘った。
親父は美女からの誘いが嬉しかったろうが、何しろ歳だ。
ドライファッハは遠いし、馬車での長旅で疲れている。無理させれば明日の誕生会も辛くなるだろう。
「フィー。爺さん疲れてるから、ちょっと休憩してからにしてくれよ」
「お爺様疲れてるの?」
「まあ、少しな」と答えると、フィーは大げさに「まあ!」と驚いて見せた。
「それはいけないわ。お爺様、お休みになってお茶を召し上がってくださいな」
「驚いた。これは立派なお嬢様だ」
「言う事がおませなんだよな。一体どこで覚えるんだか…」
「エマは人見知りが強くてな…
あまりお喋りしないし、大人しすぎて俺でも心配になる。フィリーネ様とは正反対な感じだな」
「そうなのか?意外だな」
「まぁ、ビッテンフェルトには同じ年ごろの子供がいないからな…
ジビラの子供もだいぶ歳が離れてしまってるしな」
「オスカーか…まだ会ってなかったな。またエマと一緒に連れてきてくれよ」
「予定が合えばな。お前のせいで靴屋も忙しくてな…予約がみっちり詰まってるんだ」
「そりゃ悪いことしたな」と苦笑いが洩れた。
《ロンメル男爵家の靴屋》で名前が通ってしまい、若い靴職人は忙しいようだ。
まぁ、悪い話では無いが、忙しすぎるのも問題だ。
テレーゼの靴と同じものを求める声も多かったらしい。
テレーゼの希望は《歩いても疲れにくい靴》だったが、このデザインが当たったらしい。
ご婦人方はテレーゼの靴を見て痩せ我慢するのをやめたらしい。多少踵が低くても、安定した足元は魅力的だったようだ。
天下のリューデル伯爵やアダリーシア嬢までフィデリオの靴を欲しがった。
絶世の美女と言われるだけあって、《白鳥姫》の宣伝効果は絶大だ。
懐かしい親戚の顔を思い出していると、親父に抱かれたフィーが痺れを切らして俺を叱った。
「お父様。お爺様は疲れてるのよ。お話はあとにしてちょうだい。
お爺様、もう降ろしてくださいな。疲れてるからお茶をごちそうしますね」
しっかり者のお嬢様は、偉そうに話を遮って立ち話を終わらせると、家の主人のようにお客様を屋敷に入るように促した。
全く、しっかりしてるな…
親父と苦笑いを交わして、お嬢様のお茶をご馳走になるために屋敷に足を向けた。
✩.*˚
「…アンネ?アンネ、聞いてる?」
奥様の呼び掛けでハッと我に返った。
「申し訳ありません…」と詫びる私に、奥様は心配そうな顔を見せた。
「どうしたの、アンネ?貴女らしくないわね?疲れてるのかしら?」
「いえ…なんでもありません。それより何か御用でしたか?」
「ええ。そろそろ帰るわ。用意をお願いね」
「かしこまりました」
「アダムはもう迎えに来たかしら?」という奥様の呟きに不覚にもドキッとした。
彼と顔を合わせるのが少し気まずい。
アダムは何事も無かったような態度で接してくれるが、私には何も無かったように振る舞うことは難しかった。
優しくされると変に彼を意識してしまう…
彼は何も変わってはいないのに…
奥様の帰り支度をしていると、ノックの音に続いてドアがゆっくり開いた。
学校の警備として派遣されていた《燕の団》の若い団員がドアの隙間から顔を覗かせた。
「ロンメル男爵夫人。お迎えがきたぜ」と男は粗野な口調で用事を告げた。
「分かりました。帰りましょう、アンネ」
「はい」
「お義理父様はもう到着されたかしら?フィーは大喜びでしょうね」
そう言って、奥様はお嬢様の様子を想像して嬉しそうに笑った。
学校のエントランスに向かうと、校舎の出入り口に横付けするように停められた馬車が目の前にあった。
馬車の傍らには馬の世話をしているアダムの姿があった。彼は奥様に気が付くと綺麗なお辞儀をして主人を迎えた。
「お待たせいたしました、奥様」
「お迎えありがとうございます、アダム。屋敷の準備は順調ですか?」
「はい。昼過ぎに大ビッテンフェルト卿もご到着なさいました。
アインホーン城からも知らせが届いております。リューデル公子夫妻、ヴェルヴァルト伯爵令嬢、アーベンロート伯爵夫人とお子様もご到着だそうです。
明日のパーティーの料理の食材も運搬済みですし、会場の用意も完璧です」
「みんなに任せっぱなしてごめんなさいね。大変だったでしょう?」
「とんでもございません。奥様は奥様にしかできないことをされているのです。むしろ大役をお任せいただき、我々は大変な栄誉を頂戴しております」
「ありがとう、アダム。貴方たちだから安心して任せられるわ」
「光栄です、奥様」と、アダムはにこやかに応じて、奥様に手を貸して馬車に乗る手伝いをした。奥様が座ったのを確認して、彼は私にも手を差し出した。
「アンネ様もお疲れさまでした。お荷物お預かりいたします」
彼はそう言って荷物を受け取ると、奥様の時と同じように手を貸して私を馬車に乗せた。
支えにして握った彼の手のひらは大きく堅い。自分より熱のある彼の手のひらが、彼の心のように温かかった。
意識しないようにと思えば思うほど彼を意識してしまう。
ドアを閉めるときの一言でさえ、勘違いしてしまいそうなくらい優しい。彼は誰にでもそうなのに…
「アンネ?」
黙り込んでうつむきがちになる私の耳に、奥様の心配そうな声が届いた。
「アンネ、大丈夫?お屋敷に戻ったら少しおやすみなさいな。貴女は良く働いてくれてるわ」
私が疲れていると思って心配してくれているのだろう。奥様の優しさにお礼を伝えて、自分の愚かさを責めた。
本当に意固地で不器用で駄目な女…
素直になる方法を見つけられずに、助けを求めるように窓の外に視線を向けた。流れる外の景色に映る自分と目が合って、嫌なものを見てしまった気分になって、行き場のない視線は臆病に逃げ出した。
✩.*˚
「旦那様、ちょっと…」
眉間に皺を寄せたシュミットが俺を呼びに来た。
話し中に声をかけてくるのは何か問題があったからだろう。
親父との与太話を中断して、フィーを残して席を立った。
「先ほどフィリーネ様宛に届いたのですが…」と言いながら、シュミットは俺を別室に案内した。
シュミットの表情から嫌なものを感じていたが、別室のドアを開けた瞬間に目の前に飛び込んできたものを見て目を疑った。
「なんじゃこりゃ?」
「私が言いたいですよ…どうしたものか…」
花束やらドレスやらお人形やら…
とりあえず、部屋いっぱいに女の子の好きそうなものが、これでもか、と所狭しと並んでいる。
どの贈り物にも一様に手紙が添えられて、それぞれに家紋の封蝋が押されている。そっち系に疎い俺でも見たことあるくらい有名な貴族の名前ばかりだ。
「これ…全部フィーのか?」
「一部旦那様や奥様宛のものもありますが、ほとんどフィリーネ様のお名前で届いております。
先ほど立て続けに届きまして…お嬢様の目に触れないようにと、この部屋に持ち込んだのですが…」
「正解だな…」
幼女宛とは思えない贈り物の山は、とても純粋な好意だけとは思えなかった。下心が無いとは言えないだろう。
贈り主はフィーの気を引こうと必死の様子だ。
自分宛の手紙の一つを取って封を開けると、案の定、内容はフィーへの縁組を勧める内容だった。
うちの子まだ5歳ですけど?!
一体、どこでフィーの誕生会を嗅ぎつけてきたんだよ?
このタイミングで、一斉にプレゼントを送り付けてきたのは、送り返す間を与えないためだろう。
何も無い時なら、適当に屁理屈をつけて流すが、めでたい誕生会のお祝いを無下にすることはできない。
「フィーは1人しかいないんだぞ…」
うんざりして頭を抱えていると、ノックの音がして、ワゴンを押したケヴィンが追加を持ってきた。
「お父さん、また来たけど…どうしよう?」
「だそうですよ、旦那様」
「フィーアの貴族は嫁不足なのか?
よりによって、元傭兵の男爵の家から貰わなくても良いだろ?」
「そうは仰いますが、フィリーネ様は《英雄》ロンメル男爵とヴェルフェル侯爵家の血を引く《白鳥姫》のご令嬢です。
それに、まだ決まった婚約者がいない以上、このくらいのアプローチは想定内です」
「お前…ユリアの時の動揺はどこ行ったよ…」
「私は普通の娘の父親なので」などとしれっとした顔で答えて、シュミットは贈り物をどうするか訊ねた。
「テレーゼと相談して、返事はパウル様に任せる。俺が下手に返事して拗れても面倒だろうが?」
「確かに。旦那様が冷静な返答ができるとは思えませんね」
「まったく…せっかくの誕生会だってのに…」
ぼやきながら手紙を戻した。せっかくの良い気分が台無しだ。
嫌なものを封印するように部屋のドアを荒っぽく閉めて、フィーと親父の待つ部屋に戻った。
フィーは何も知らずに、ご機嫌の様子で親父の膝に乗って小鳥のように囀っていた。
戻った俺の姿を見て、親父の膝を降りた天使は俺を迎えに来てくれた。
危なっかし気に足に纏わりつく子供の姿が愛らしい。
甘えるフィーを抱き上げて腕の中に小さな身体を収めた。
この子は俺の宝物だ。他人に譲るなんて考えられない。親ばかだと罵られてもその考えを変える気は無い。
フィーが選んだ男なら仕方ないと譲ってやるかもしれないが、それももっと先の話のはずだ…
「何だったんだ?」と親父に席を外した理由を訊かれたが、フィーの前で話すことじゃない。
「まぁ、後でな」と誤魔化して、フィーを抱いたまま席に戻った。
「お父様。お爺様がフィーにお誕生祝いのプレゼントをくれるんですって!」
「そうなのか?一体何だろうな?」
「楽しみ!」
「何だったら嬉しい?」と訊ねると、フィーは意外なものを欲しがった。
「フィーもルーちゃまたちとお稽古したいから剣が欲しいの!」
嘘だろ?なんちゅうもんを欲しがるんだ…
フィーのとんでもないおねだりに、親父の俺を見る目が吊り上がった。
「フィー、女の子は剣を欲しがったりしないもんだぞ…他、他に何かあるか?」
「じゃあ、お馬さん!お馬さん乗るから男の子の服も欲しい!」
お転婆ぁ…
親父の顔がますます険しくなる。
俺のせいか?!
この歳になって、後で親父から説教を食らいそうだ…
自身を落ち着かせるように咳払いをした親父は、優しげな声を繕ってフィーを諌めた。
「フィリーネ様は活発ですな。しかし、フィリーネ様は女の子でいらっしゃいます。お人形遊びなどはいかがでしょうか?」
「でも、フィーも強くなりたいもの」
フィーは親父の言葉に、不服そうに頬を膨らませた。フィーにはフィーの言い分があるようだ。
「フィーはロンメルのお家を守らなきゃいけないもの。妹も守ってあげなきゃいけないし、ブルームバルトを守らなきゃ」
「女性には女性の守り方があるのです。剣を握るのは男にお任せください。フィリーネ様が剣を握る必要はございません」
「どうして?どうして女の子は男の子みたいにしちゃダメなの?」
「女性には女性の役割があるのです。
多少例外はありますが、女性には次の命を育むという大切な役割があります。これは男にはできないお役目です。
フィリーネ様もいずれどなたか殿方とご結婚して、そのお役目を果たすときが参ります」
親父の言い分は至極真っ当な意見だが、今はそんな話聞きたくない。
「親父。こんな子供にまだそんな話したって分からないだろ?
フィーはまだ分かんないもんな?そんな話はもうちょっと大きくなってからでいいからな」
「ワルター、分かる分からんじゃない。淑女として必要な話だ。恥をかくのはお前だけじゃないんだぞ」
「お転婆は今しかできねぇんだ。今ぐらい好きにさせてやれよ」
「大きくなってからじゃ遅い。子供のうちにしか正せないことだってあるんだ。大人になって正す方が難しいんだぞ」
親父は珍しくフィーに厳しい態度を取って譲らなかった。その姿に俺も苛立ちを募らせた。
「…お爺様…怒ってるの?」
俺と親父の表情を見比べながらフィーが心配そうに訊ねた。子供に気を遣わせるなよ…
「爺さんだから頭堅いんだ。フィーは悪くないからな」
「ワルター」
「フィーはフィーのままで良いんだ。あんたが子供のことで偉そうに言う立場じゃないだろ?」
苛立ちが毒になって口を突いた。
言うべきじゃないことを言ったと親父の顔を見て後悔した…
「…確かにな…俺が口を出す立場じゃないな」
搾り出すように呟いた親父の顔には苦い表情が張り付いていた。子供については親父は親父で苦しんだ過去だ。それを知っているくせに…
「年寄りは説教臭くていかんな…」
「悪い…俺が…」自分の非を詫びようとしたが、親父は苦く笑ってそれを遮った。
「疲れてるみたいだ。少し休んで頭を冷やさせてくれ」
親父の言葉が皮肉っぽく聞こえた。頭を冷やすべきなのは俺の方だ…
それ以上何も言えずに、部屋に戻って行く親父の背をフィーを抱いたまま見送った。
✩.*˚
奥様たちを屋敷に送り届けて自分の仕事に戻ると、厩舎に旦那様がやって来た。
大き目のため息を吐いている姿は何かあった様子だ。アイリス親子の顔を見に来ただけではないだろう。
「何かありましたか?」と声を掛けると、旦那様は悩みを抱えた子供みたいに拗ねた顔で答えた。
「親父と少し気まずくなってさ…」
「おや?大ビッテンフェルト卿とですか?」
意外だ。私の目には、彼らは仲の良い親子に見えていた。
一体何があったのか知らないが、明日はお嬢様の誕生会なのに、仲たがいしたままではお互いにとって良くないだろう。
「アイリスは聞いてくれますよ」と遠回しに話をするように促すと、旦那様は苦笑いを浮かべて、肩を落としたまま独り言のような懺悔を始めた。
少し長い前置きで、旦那様の不遇な過去を知った。彼らは何の障害もない、ただの仲の良い親子ではなかったようだ。
アイリスへの話を盗み聞きして、状況はだいたい理解した。
大ビッテンフェルト卿の話は尤もで、お嬢様を思えばこその言葉だ。旦那様もそれは理解しているが、感情はどうにも抑えられなかったのだろう。
「フィーにも嫌な思いさせちまった…
息子としても親父としても失格だ…」
「だそうですよ、アイリス」
黙って話を聞いていたアイリスに感想を求めると、彼女は旦那様を慰めるように小さく嘶いて顔を寄せた。
「俺が間違ってるってか?」と、旦那様は自虐的に笑った。
勝手な解釈をされたアイリスは旦那様に不満げに鼻を鳴らした。彼女は人の言葉も心も理解できるから、その解釈は不服なのだろう。
「アイリスはそんなこと言いませんよ」
「じゃあ、なんて言ってんだよ?」
「多分、『仲直りしておいで』と言ってるんですよ」と、勝手な解釈を押し付けた。
その通訳は彼女にとって正解だったらしい。
彼女は不満げに鼻を鳴らすことも、頭を振って否定することもなかった。
澄んだ瞳は優し気な光を宿して主の返事を待っている。
「…だよなぁ」
「『早い方がいいよ』って言ってます。『ゆっくりしても悪い時間が増えるだけ』だそうですよ」
「耳が痛いな…それってお前の言葉じゃないのか?」
「アイリスは賢いですよ。
あぁ、なんです、アイリス?…そうですか?
『お嬢様を大切にするのは良いけど、甘やかしすぎちゃだめよ』って母親みたいなこと言ってますよ」
「言ってそうだな」と頷いた旦那様の苦笑いは少し明るくなっていた。もう大丈夫だろう。
アイリスとナハトを撫でて、礼を言い残すと旦那様は厩舎を後にした。
「母親という生き物には敵いませんね」
悩みを解決した偉大なる母親を称賛して、畑から彼女への報酬を見繕った。
アイリスの大好きな甘いニンジンを持って戻ると、厩舎の陰で何かが動いた。
今日は来客が多いな…
「アダム…少し…お話できますか?」と訊ねる彼女は何やら悩みを持っている様子だ。
話を聞くのは嫌いじゃない。
もう会いに来てくれないと思っていたが、彼女は話し相手を求めて私の所に来てくれたようだ。
笑顔で頷いて、彼女の訪問を歓迎した。
✩.*˚
「大御所様。ロンメル男爵閣下です」
来客に応対したウェリンガーが息子の訪問を伝えた。
そろそろ夕餉の時間か…
部屋を訪ねてきた息子は酷く辛気臭い顔をしていた。
「さっきは悪かったよ」
ワルターは俺に言葉が過ぎた事を詫びた。わざわざそれを言いに来たのか?
踏み込んだお節介な話をしたのは俺の方だ。俺にも非はある。
そもそも、俺がちゃんとしていれば、ワルターがここまで子供を溺愛してこじらせることもなかっただろう。
むしろ、正しい愛情を注がれなかったワルターが、自分の子供を愛することができていることを喜ぶべきだし、子供に自分を重ねないのは褒められるべきだ。
正しくなかった俺がワルターに教える事は何もないだろう…
「気にするな。本当の事だ」と息子の謝罪を受け入れた。
「お前の考えも間違いでは無いのだろうな。
フィリーネ様が元気に育っていることの方が重要だ。多少お転婆でも、健やかな事に比べれば些細な問題だろう。そのうちお転婆も落ち着くだろうしな。
年寄りになると説教臭くていかんな…」
「俺よりあんたの方が柔軟だよ。俺も少し苛ついてたんだ…」
「こんな時にか?シュミットに呼ばれたことと関係があるのか?」
「そうだよ…ちょっといいか?親父の意見を聞きたいんだ」
ワルターはそう言って俺を部屋から連れ出して、一階の物置のような部屋に案内した。
部屋に踏み込むと、薄暗い部屋には不似合いの瑞々しい花の香りに包まれた。
「下心のある奴らからのフィーへの誕生日プレゼントだ…」
「ほお…この部屋全部か?」
驚いたな…ワルターの不機嫌の理由はこれか…
部屋に押し込まれたプレゼントの山は、どれもこれも質の良いものに見えた。
これはワルターでなくとも心配になる…
プレゼントの送り主は、自らの献上品を誇示するように贈り物に手紙を張り付けていた。パーティーの招待状を入れるような派手な便箋と、目立つように押された封蝋が目を引いた。
男爵家からだけでなく、子爵家や伯爵家からのものもある。
普通の貴族の感覚なら、娘に良い縁談が来たと大喜びで一番価値のある家を選ぶだろう。
それができないのはワルターが不器用な俺の息子だからだ。
「お前は本当に俺の息子だな」と、つい思った事を口にしていた。
「何だよ?藪から棒に…」
「お前も自覚があるだろう?
で?お前はどうしたいんだ?ここから婿でも選ぶのか?」
「馬鹿言え!フィーは顔も知らない奴らだぞ!」
「それなら、ヴェルフェル侯爵閣下の名前を借りて返事をすることだ。
フィリーネ様は侯爵家の縁者だ。《英雄》の血も受け継いでいる。侯爵閣下の切り札にもなりうる存在だ。侯爵閣下もそう易々と縁談を決めたりしないだろう」
「でもよ…」
「この贈り物はそのまま受け取っておけ。送り返した方がこじれる。
断ったところで、女への贈り物を返せなんて言う女々しい者はいないだろう。その方が恥だ。
《皆様からの贈り物に感謝します》と伝えれば、向こうもある程度察するだろうよ」
「あんた、意外と策士だな…」とワルターは呆れていたが、そういう答えを求めていたのだろう?
「下手に気を遣うな。貰えるもんは貰っとけ」と、息子にアドバイスを与えた。
せこいようだが、貴族ってのは外面を気にする。
せっかく用意した贈り物まで送り返されれば、それこそ恥をかかされたと思うだろう。
格下の新参者の男爵が、娘への縁談を大した理由もなく拒否すれば恨まれかねない。
だが、縁談を決めない事がヴェルフェル侯爵からの指示というなら話は別だ。
フィリーネ様の評価も落ちないし、高嶺の花としてフィリーネ様の価値はさらに上がるだろう。
俺の知っている誰かさんは、遊びたくてのらりくらりと結婚を先延ばしにしながら、男たちから貰えるものは全部もらっていた。
尤も、その女は男たちに飽きられて、結局自らを安く売るしかなくなり、悔しい思いをする羽目になったがな…
「急いで決めて、後々苦労するよりはいいだろう。
幸いフィリーネ様はテレーゼ様に似て器量良しだ。嫁の貰い手が無くなるわけでもないだろうさ。
まあ、明日侯爵閣下に相談することだ」
楽観的な言葉で息子を慰めて、贈り物を隠した部屋を後にした。
ワルターはどこか不満そうな顔をしていたが、俺に苛立ちをぶつけることは無かった。
「そういえば、ゲルトの奴は元気か?」
気分を変えたくて親友の様子を訊ねた。しばらく逗留するからゲルトの所にも立ち寄るつもりだった。
「ゲルトなら訪ねていかなくても会えるよ。
誕生会が終わったら、うちに来ることになってる」
「何だ?あいつが顔出すのか?」
「顔出すって言うか、爺さん《燕の団》からお役御免になったからよ。うちで面倒見てやる事になったんだ」
「そんな話聞いてないぞ?」
「そりゃそうだろ?うちに来るって決まったのはつい先日だからな。
スーが追い出さなきゃいつまでも残っていたろうよ。あの爺さんを追い出すなんて、あいつも成長したよな」
ワルターはそう言って思い出すように小さく笑った。
そうか…あいつもあのガキに居場所を譲ったんだな…
長く負い続けた荷を降ろした友人は、今、何を思っているだろう?
終わったとほっとしているのか、追い出されたと怒っているのか、それは俺にも分からない。
尤も、あの意地っ張りの頑固爺はそんなことは知られたくないだろう。
俺がすべきことは、親友のこれまでの労を労って、少し高い酒をふるまう事くらいだ。
ゲルトには色々助けられた。あいつは不自由な俺の分まで背負ってくれた。
ワルターの事も、ガキ共の世話も、《雷神の拳》も、《燕の団》も…
あいつはそんなつもりはなかったかもしれないが、俺はあいつに感謝している。
「よくあいつが隠居を決めたもんだ」という俺の呟きを拾って、ワルターが苦く笑った。
「《燕》の連中相手に、『どんなに頭下げても戻らねぇからな』って捨て台詞吐いてたぜ。最後までゲルトらしいよな…
《燕の団》を引き払ったら、今度はしばらく出かけるって言ってたよ。ヘンリックの所にも行くって言ってたし、《最後の遠征》をしてくるってよ」
「…遠征か」あいつらしい言い方だ…
その行き先に、ドライファッハも含まれているのだろうか?
恐らく長い《遠征》になるだろう。あいつは意外と顔が広いし、世話したガキも多かったからな。
俺もドライファッハに戻ったら別荘を用意しておこう。
あいつがたどり着いたら、しばらく捕まえて、邪魔が入らない場所で腹を割って懐かしい話をするのもいいだろう。
通り過ぎてきた辛い時間さえ、笑い話になるぐらいの時間は経った。
俺たちはいつの間にかそれだけ歳を取ったのだ…
親友の《遠征》に思いを馳せて、「楽しみだ」と呟く自分がいた。
✩.*˚
「おねぇちゃん。次は何するの?」
頭の中でプシケーの声が響いた。
あの子はあたしの前に姿を見せなくなってしまったけど、確かにあたしの中にいる。
普段は何も言わないけど、時々気まぐれに声をかけてくるのだ。
もう慣れたけど、やっぱりなんか変な感じだ…
「ぼくの力使わないの?」と、プシケーはあたしに催促した。
「だって今使うところないじゃん」と独り言で返すと、プシケーは少し黙って、「ぼく、役立たず?」と訊ねる声が頭に響いた。
「そんなことないよ。あんたの力でアルノーの怪我治ったんだよ」
「でも…完璧じゃなかったもん…」
プシケーはアルノーの足に痺れが残っていたのを気に病んでいた。それでもアルノーは満足してくれたし、感謝してくれた。
むしろ、あれはプシケーの限界ではなく、あたしの限界だったんだろうと思う。
やっぱり慣れてないからダメなんだよね…
でも、怪我してる人なんてそんな沢山いるわけじゃないし、いてもらっても困る。
それに、アルノーだから良かったけど、知らない人とかだったらやっぱりちょっとヤダな…
そんな事を考えながら、残った仕事が無いかラウラ様に確認しに行こうとした。
「あ…」
階段の手摺りに手をかけた時、階下からケヴィンが上がって来た。ケヴィンはあたしを見て微笑むと用事を告げた。
「ライナ、仕事終わった?お母さんが夕食にしようって」
「あ、うん、ありがとう」
あたしはちゃんと返事出来てただろうか?
ケヴィンの顔を真っ直ぐ見れなくて、視線を足元に落としながら、彼の待つ階段の踊り場まで降りて隣に並んだ。
シュミット様とラウラ様の話を聞いてから、あたしはケヴィンを意識していた。
2人は、ケヴィンには話をしてないって言ってたけど、ケヴィンはあたしの事どう思ってるんだろう?
「ライナ」とケヴィンが突然名前を呼んだ。
上の空だったあたしはそれに驚いて、階段でバランスを崩した。
「きゃっ!」
足を踏み外して、階段から落ちそうになった所を伸びた腕が支えてくれた。
「大丈夫?」
「う、うん…ありがとう」
手摺りを持ってなかったから危なかった。ケヴィンが助けてくれなかったら怪我をしていたと思う。
「今日は忙しかったから疲れてるんだよ。足元気を付けて」と優しく注意して、ケヴィンはあたしから手を離すと先を歩いた。
ケヴィンはやっぱりお兄さんだな…
彼は世話焼きだし、優しい。みんなの事もよく見ている。シュミット様に習いながら仕事をお手伝いをして、お屋敷の事もよく把握している。
いつかケヴィンがシュミット様の跡を継ぐのだろう。
そんな彼との縁談は、断る理由が見つからないほどの破格の待遇だ。
旦那様もお爺ちゃんもそれを望んでいる。それが正解だって、馬鹿なあたしでも理解できる。
でも、好きな人として頭を過るのは違う人だ…
階段を下りて食堂に向かう廊下で、急にケヴィンが足を止めて振り返った。
「ライナさ…好きな人できた?」その言葉にドキッとした。
「え…何で?」
「ほら、前に約束したよね?好きな人できたら教えてくれるって…今好きな人いるの?」と、ケヴィンは古い話を蒸し返した。
確かにそんな約束したような気がするけど、本気にしてなかったし、まだケヴィンがその話を覚えていたのに驚いた。
「…いや、ちょっと…まだ分からないっていうか…」
「いないの?」あたしのあやふやな返答にケヴィンはさらに追及してきた。
「何で急にそんなこと言うの?」
正直に答えられずに質問を質問で返した。答えない狡いあたしに、ケヴィンはまっすぐに向き合うと真剣な顔で答えた。
「好きだから…僕がライナのこと好きだから知りたいんだ」
息を飲んで言葉を失ったあたしに、ケヴィンは歩み寄ってあたしの手を握った。反射的に手を引こうとしたけど、ケヴィンはしっかりと手を握って離さなかった。
「僕がライナの事が好きだから、ライナにも僕のこと好きになって欲しい。でも言わなきゃ、伝わらないよね…だから今言うよ」
寂しそうに笑ったケヴィンは、そのままあたしに愛を伝えた。
「本当に、君の事が好きなんだ。ずっと一緒にいたい。まだ僕は頼りにならないし、子供だけど、君のためになら努力する。僕の一生かけてライナを幸せにする。だから、僕の事を真剣に考えてほしい」
ケヴィンの真剣な告白に何も言えなくなる。
「好きな人がいるの」と正直に答えなかったことを今更後悔した…
馬車の扉が開いた瞬間、待ちきれなかったお姫様は、繋いでいた俺の手を振り払って親父に駆け寄った。
孫娘の熱烈な歓迎に、親父の厳つい顔が一瞬で崩れて別人のようになる。そんな柄にもない姿を見せるのは、フィーが可愛くてたまらないからだ。
フィーの視線に合わせて屈んだ親父に、フィーは勢いよく飛びついた。
「お爺様!いらっしゃい!」
「おぉ!フィリーネ様、大きくなられましたな。お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう、お爺様!」
「益々お母上に似てまいりましたな。そのドレスもよくお似合いです」
大好きな祖父に褒められてフィーはご満悦だ。
「お爺様!だっこしてくださいな!」とおねだりをして、フィーは久しぶりに会う祖父に甘えていた。
孫娘を抱き上げた爺さんは、もう一人のお姫様を愛でに来た。
「エミリア様は爺を覚えておいでかな?」
親父はそう言って、俺の腕の中で大人しくしているエミリアの顔を覗き込んだ。エミリアは不思議そうな顔で見慣れない爺さんを凝視していた。
「忘れちまったってさ」
「また覚えてもらうさ」と答えて、親父は指の甲でエミリアの頬を撫でた。エミリアは小さな手を伸ばして自分に触れた手を追いかけた。
「おうおう、可愛いお姫様だ」
「お爺様、フィーとお散歩しましょう」と抱っこされていたフィーが親父を散歩に誘った。
親父は美女からの誘いが嬉しかったろうが、何しろ歳だ。
ドライファッハは遠いし、馬車での長旅で疲れている。無理させれば明日の誕生会も辛くなるだろう。
「フィー。爺さん疲れてるから、ちょっと休憩してからにしてくれよ」
「お爺様疲れてるの?」
「まあ、少しな」と答えると、フィーは大げさに「まあ!」と驚いて見せた。
「それはいけないわ。お爺様、お休みになってお茶を召し上がってくださいな」
「驚いた。これは立派なお嬢様だ」
「言う事がおませなんだよな。一体どこで覚えるんだか…」
「エマは人見知りが強くてな…
あまりお喋りしないし、大人しすぎて俺でも心配になる。フィリーネ様とは正反対な感じだな」
「そうなのか?意外だな」
「まぁ、ビッテンフェルトには同じ年ごろの子供がいないからな…
ジビラの子供もだいぶ歳が離れてしまってるしな」
「オスカーか…まだ会ってなかったな。またエマと一緒に連れてきてくれよ」
「予定が合えばな。お前のせいで靴屋も忙しくてな…予約がみっちり詰まってるんだ」
「そりゃ悪いことしたな」と苦笑いが洩れた。
《ロンメル男爵家の靴屋》で名前が通ってしまい、若い靴職人は忙しいようだ。
まぁ、悪い話では無いが、忙しすぎるのも問題だ。
テレーゼの靴と同じものを求める声も多かったらしい。
テレーゼの希望は《歩いても疲れにくい靴》だったが、このデザインが当たったらしい。
ご婦人方はテレーゼの靴を見て痩せ我慢するのをやめたらしい。多少踵が低くても、安定した足元は魅力的だったようだ。
天下のリューデル伯爵やアダリーシア嬢までフィデリオの靴を欲しがった。
絶世の美女と言われるだけあって、《白鳥姫》の宣伝効果は絶大だ。
懐かしい親戚の顔を思い出していると、親父に抱かれたフィーが痺れを切らして俺を叱った。
「お父様。お爺様は疲れてるのよ。お話はあとにしてちょうだい。
お爺様、もう降ろしてくださいな。疲れてるからお茶をごちそうしますね」
しっかり者のお嬢様は、偉そうに話を遮って立ち話を終わらせると、家の主人のようにお客様を屋敷に入るように促した。
全く、しっかりしてるな…
親父と苦笑いを交わして、お嬢様のお茶をご馳走になるために屋敷に足を向けた。
✩.*˚
「…アンネ?アンネ、聞いてる?」
奥様の呼び掛けでハッと我に返った。
「申し訳ありません…」と詫びる私に、奥様は心配そうな顔を見せた。
「どうしたの、アンネ?貴女らしくないわね?疲れてるのかしら?」
「いえ…なんでもありません。それより何か御用でしたか?」
「ええ。そろそろ帰るわ。用意をお願いね」
「かしこまりました」
「アダムはもう迎えに来たかしら?」という奥様の呟きに不覚にもドキッとした。
彼と顔を合わせるのが少し気まずい。
アダムは何事も無かったような態度で接してくれるが、私には何も無かったように振る舞うことは難しかった。
優しくされると変に彼を意識してしまう…
彼は何も変わってはいないのに…
奥様の帰り支度をしていると、ノックの音に続いてドアがゆっくり開いた。
学校の警備として派遣されていた《燕の団》の若い団員がドアの隙間から顔を覗かせた。
「ロンメル男爵夫人。お迎えがきたぜ」と男は粗野な口調で用事を告げた。
「分かりました。帰りましょう、アンネ」
「はい」
「お義理父様はもう到着されたかしら?フィーは大喜びでしょうね」
そう言って、奥様はお嬢様の様子を想像して嬉しそうに笑った。
学校のエントランスに向かうと、校舎の出入り口に横付けするように停められた馬車が目の前にあった。
馬車の傍らには馬の世話をしているアダムの姿があった。彼は奥様に気が付くと綺麗なお辞儀をして主人を迎えた。
「お待たせいたしました、奥様」
「お迎えありがとうございます、アダム。屋敷の準備は順調ですか?」
「はい。昼過ぎに大ビッテンフェルト卿もご到着なさいました。
アインホーン城からも知らせが届いております。リューデル公子夫妻、ヴェルヴァルト伯爵令嬢、アーベンロート伯爵夫人とお子様もご到着だそうです。
明日のパーティーの料理の食材も運搬済みですし、会場の用意も完璧です」
「みんなに任せっぱなしてごめんなさいね。大変だったでしょう?」
「とんでもございません。奥様は奥様にしかできないことをされているのです。むしろ大役をお任せいただき、我々は大変な栄誉を頂戴しております」
「ありがとう、アダム。貴方たちだから安心して任せられるわ」
「光栄です、奥様」と、アダムはにこやかに応じて、奥様に手を貸して馬車に乗る手伝いをした。奥様が座ったのを確認して、彼は私にも手を差し出した。
「アンネ様もお疲れさまでした。お荷物お預かりいたします」
彼はそう言って荷物を受け取ると、奥様の時と同じように手を貸して私を馬車に乗せた。
支えにして握った彼の手のひらは大きく堅い。自分より熱のある彼の手のひらが、彼の心のように温かかった。
意識しないようにと思えば思うほど彼を意識してしまう。
ドアを閉めるときの一言でさえ、勘違いしてしまいそうなくらい優しい。彼は誰にでもそうなのに…
「アンネ?」
黙り込んでうつむきがちになる私の耳に、奥様の心配そうな声が届いた。
「アンネ、大丈夫?お屋敷に戻ったら少しおやすみなさいな。貴女は良く働いてくれてるわ」
私が疲れていると思って心配してくれているのだろう。奥様の優しさにお礼を伝えて、自分の愚かさを責めた。
本当に意固地で不器用で駄目な女…
素直になる方法を見つけられずに、助けを求めるように窓の外に視線を向けた。流れる外の景色に映る自分と目が合って、嫌なものを見てしまった気分になって、行き場のない視線は臆病に逃げ出した。
✩.*˚
「旦那様、ちょっと…」
眉間に皺を寄せたシュミットが俺を呼びに来た。
話し中に声をかけてくるのは何か問題があったからだろう。
親父との与太話を中断して、フィーを残して席を立った。
「先ほどフィリーネ様宛に届いたのですが…」と言いながら、シュミットは俺を別室に案内した。
シュミットの表情から嫌なものを感じていたが、別室のドアを開けた瞬間に目の前に飛び込んできたものを見て目を疑った。
「なんじゃこりゃ?」
「私が言いたいですよ…どうしたものか…」
花束やらドレスやらお人形やら…
とりあえず、部屋いっぱいに女の子の好きそうなものが、これでもか、と所狭しと並んでいる。
どの贈り物にも一様に手紙が添えられて、それぞれに家紋の封蝋が押されている。そっち系に疎い俺でも見たことあるくらい有名な貴族の名前ばかりだ。
「これ…全部フィーのか?」
「一部旦那様や奥様宛のものもありますが、ほとんどフィリーネ様のお名前で届いております。
先ほど立て続けに届きまして…お嬢様の目に触れないようにと、この部屋に持ち込んだのですが…」
「正解だな…」
幼女宛とは思えない贈り物の山は、とても純粋な好意だけとは思えなかった。下心が無いとは言えないだろう。
贈り主はフィーの気を引こうと必死の様子だ。
自分宛の手紙の一つを取って封を開けると、案の定、内容はフィーへの縁組を勧める内容だった。
うちの子まだ5歳ですけど?!
一体、どこでフィーの誕生会を嗅ぎつけてきたんだよ?
このタイミングで、一斉にプレゼントを送り付けてきたのは、送り返す間を与えないためだろう。
何も無い時なら、適当に屁理屈をつけて流すが、めでたい誕生会のお祝いを無下にすることはできない。
「フィーは1人しかいないんだぞ…」
うんざりして頭を抱えていると、ノックの音がして、ワゴンを押したケヴィンが追加を持ってきた。
「お父さん、また来たけど…どうしよう?」
「だそうですよ、旦那様」
「フィーアの貴族は嫁不足なのか?
よりによって、元傭兵の男爵の家から貰わなくても良いだろ?」
「そうは仰いますが、フィリーネ様は《英雄》ロンメル男爵とヴェルフェル侯爵家の血を引く《白鳥姫》のご令嬢です。
それに、まだ決まった婚約者がいない以上、このくらいのアプローチは想定内です」
「お前…ユリアの時の動揺はどこ行ったよ…」
「私は普通の娘の父親なので」などとしれっとした顔で答えて、シュミットは贈り物をどうするか訊ねた。
「テレーゼと相談して、返事はパウル様に任せる。俺が下手に返事して拗れても面倒だろうが?」
「確かに。旦那様が冷静な返答ができるとは思えませんね」
「まったく…せっかくの誕生会だってのに…」
ぼやきながら手紙を戻した。せっかくの良い気分が台無しだ。
嫌なものを封印するように部屋のドアを荒っぽく閉めて、フィーと親父の待つ部屋に戻った。
フィーは何も知らずに、ご機嫌の様子で親父の膝に乗って小鳥のように囀っていた。
戻った俺の姿を見て、親父の膝を降りた天使は俺を迎えに来てくれた。
危なっかし気に足に纏わりつく子供の姿が愛らしい。
甘えるフィーを抱き上げて腕の中に小さな身体を収めた。
この子は俺の宝物だ。他人に譲るなんて考えられない。親ばかだと罵られてもその考えを変える気は無い。
フィーが選んだ男なら仕方ないと譲ってやるかもしれないが、それももっと先の話のはずだ…
「何だったんだ?」と親父に席を外した理由を訊かれたが、フィーの前で話すことじゃない。
「まぁ、後でな」と誤魔化して、フィーを抱いたまま席に戻った。
「お父様。お爺様がフィーにお誕生祝いのプレゼントをくれるんですって!」
「そうなのか?一体何だろうな?」
「楽しみ!」
「何だったら嬉しい?」と訊ねると、フィーは意外なものを欲しがった。
「フィーもルーちゃまたちとお稽古したいから剣が欲しいの!」
嘘だろ?なんちゅうもんを欲しがるんだ…
フィーのとんでもないおねだりに、親父の俺を見る目が吊り上がった。
「フィー、女の子は剣を欲しがったりしないもんだぞ…他、他に何かあるか?」
「じゃあ、お馬さん!お馬さん乗るから男の子の服も欲しい!」
お転婆ぁ…
親父の顔がますます険しくなる。
俺のせいか?!
この歳になって、後で親父から説教を食らいそうだ…
自身を落ち着かせるように咳払いをした親父は、優しげな声を繕ってフィーを諌めた。
「フィリーネ様は活発ですな。しかし、フィリーネ様は女の子でいらっしゃいます。お人形遊びなどはいかがでしょうか?」
「でも、フィーも強くなりたいもの」
フィーは親父の言葉に、不服そうに頬を膨らませた。フィーにはフィーの言い分があるようだ。
「フィーはロンメルのお家を守らなきゃいけないもの。妹も守ってあげなきゃいけないし、ブルームバルトを守らなきゃ」
「女性には女性の守り方があるのです。剣を握るのは男にお任せください。フィリーネ様が剣を握る必要はございません」
「どうして?どうして女の子は男の子みたいにしちゃダメなの?」
「女性には女性の役割があるのです。
多少例外はありますが、女性には次の命を育むという大切な役割があります。これは男にはできないお役目です。
フィリーネ様もいずれどなたか殿方とご結婚して、そのお役目を果たすときが参ります」
親父の言い分は至極真っ当な意見だが、今はそんな話聞きたくない。
「親父。こんな子供にまだそんな話したって分からないだろ?
フィーはまだ分かんないもんな?そんな話はもうちょっと大きくなってからでいいからな」
「ワルター、分かる分からんじゃない。淑女として必要な話だ。恥をかくのはお前だけじゃないんだぞ」
「お転婆は今しかできねぇんだ。今ぐらい好きにさせてやれよ」
「大きくなってからじゃ遅い。子供のうちにしか正せないことだってあるんだ。大人になって正す方が難しいんだぞ」
親父は珍しくフィーに厳しい態度を取って譲らなかった。その姿に俺も苛立ちを募らせた。
「…お爺様…怒ってるの?」
俺と親父の表情を見比べながらフィーが心配そうに訊ねた。子供に気を遣わせるなよ…
「爺さんだから頭堅いんだ。フィーは悪くないからな」
「ワルター」
「フィーはフィーのままで良いんだ。あんたが子供のことで偉そうに言う立場じゃないだろ?」
苛立ちが毒になって口を突いた。
言うべきじゃないことを言ったと親父の顔を見て後悔した…
「…確かにな…俺が口を出す立場じゃないな」
搾り出すように呟いた親父の顔には苦い表情が張り付いていた。子供については親父は親父で苦しんだ過去だ。それを知っているくせに…
「年寄りは説教臭くていかんな…」
「悪い…俺が…」自分の非を詫びようとしたが、親父は苦く笑ってそれを遮った。
「疲れてるみたいだ。少し休んで頭を冷やさせてくれ」
親父の言葉が皮肉っぽく聞こえた。頭を冷やすべきなのは俺の方だ…
それ以上何も言えずに、部屋に戻って行く親父の背をフィーを抱いたまま見送った。
✩.*˚
奥様たちを屋敷に送り届けて自分の仕事に戻ると、厩舎に旦那様がやって来た。
大き目のため息を吐いている姿は何かあった様子だ。アイリス親子の顔を見に来ただけではないだろう。
「何かありましたか?」と声を掛けると、旦那様は悩みを抱えた子供みたいに拗ねた顔で答えた。
「親父と少し気まずくなってさ…」
「おや?大ビッテンフェルト卿とですか?」
意外だ。私の目には、彼らは仲の良い親子に見えていた。
一体何があったのか知らないが、明日はお嬢様の誕生会なのに、仲たがいしたままではお互いにとって良くないだろう。
「アイリスは聞いてくれますよ」と遠回しに話をするように促すと、旦那様は苦笑いを浮かべて、肩を落としたまま独り言のような懺悔を始めた。
少し長い前置きで、旦那様の不遇な過去を知った。彼らは何の障害もない、ただの仲の良い親子ではなかったようだ。
アイリスへの話を盗み聞きして、状況はだいたい理解した。
大ビッテンフェルト卿の話は尤もで、お嬢様を思えばこその言葉だ。旦那様もそれは理解しているが、感情はどうにも抑えられなかったのだろう。
「フィーにも嫌な思いさせちまった…
息子としても親父としても失格だ…」
「だそうですよ、アイリス」
黙って話を聞いていたアイリスに感想を求めると、彼女は旦那様を慰めるように小さく嘶いて顔を寄せた。
「俺が間違ってるってか?」と、旦那様は自虐的に笑った。
勝手な解釈をされたアイリスは旦那様に不満げに鼻を鳴らした。彼女は人の言葉も心も理解できるから、その解釈は不服なのだろう。
「アイリスはそんなこと言いませんよ」
「じゃあ、なんて言ってんだよ?」
「多分、『仲直りしておいで』と言ってるんですよ」と、勝手な解釈を押し付けた。
その通訳は彼女にとって正解だったらしい。
彼女は不満げに鼻を鳴らすことも、頭を振って否定することもなかった。
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「…だよなぁ」
「『早い方がいいよ』って言ってます。『ゆっくりしても悪い時間が増えるだけ』だそうですよ」
「耳が痛いな…それってお前の言葉じゃないのか?」
「アイリスは賢いですよ。
あぁ、なんです、アイリス?…そうですか?
『お嬢様を大切にするのは良いけど、甘やかしすぎちゃだめよ』って母親みたいなこと言ってますよ」
「言ってそうだな」と頷いた旦那様の苦笑いは少し明るくなっていた。もう大丈夫だろう。
アイリスとナハトを撫でて、礼を言い残すと旦那様は厩舎を後にした。
「母親という生き物には敵いませんね」
悩みを解決した偉大なる母親を称賛して、畑から彼女への報酬を見繕った。
アイリスの大好きな甘いニンジンを持って戻ると、厩舎の陰で何かが動いた。
今日は来客が多いな…
「アダム…少し…お話できますか?」と訊ねる彼女は何やら悩みを持っている様子だ。
話を聞くのは嫌いじゃない。
もう会いに来てくれないと思っていたが、彼女は話し相手を求めて私の所に来てくれたようだ。
笑顔で頷いて、彼女の訪問を歓迎した。
✩.*˚
「大御所様。ロンメル男爵閣下です」
来客に応対したウェリンガーが息子の訪問を伝えた。
そろそろ夕餉の時間か…
部屋を訪ねてきた息子は酷く辛気臭い顔をしていた。
「さっきは悪かったよ」
ワルターは俺に言葉が過ぎた事を詫びた。わざわざそれを言いに来たのか?
踏み込んだお節介な話をしたのは俺の方だ。俺にも非はある。
そもそも、俺がちゃんとしていれば、ワルターがここまで子供を溺愛してこじらせることもなかっただろう。
むしろ、正しい愛情を注がれなかったワルターが、自分の子供を愛することができていることを喜ぶべきだし、子供に自分を重ねないのは褒められるべきだ。
正しくなかった俺がワルターに教える事は何もないだろう…
「気にするな。本当の事だ」と息子の謝罪を受け入れた。
「お前の考えも間違いでは無いのだろうな。
フィリーネ様が元気に育っていることの方が重要だ。多少お転婆でも、健やかな事に比べれば些細な問題だろう。そのうちお転婆も落ち着くだろうしな。
年寄りになると説教臭くていかんな…」
「俺よりあんたの方が柔軟だよ。俺も少し苛ついてたんだ…」
「こんな時にか?シュミットに呼ばれたことと関係があるのか?」
「そうだよ…ちょっといいか?親父の意見を聞きたいんだ」
ワルターはそう言って俺を部屋から連れ出して、一階の物置のような部屋に案内した。
部屋に踏み込むと、薄暗い部屋には不似合いの瑞々しい花の香りに包まれた。
「下心のある奴らからのフィーへの誕生日プレゼントだ…」
「ほお…この部屋全部か?」
驚いたな…ワルターの不機嫌の理由はこれか…
部屋に押し込まれたプレゼントの山は、どれもこれも質の良いものに見えた。
これはワルターでなくとも心配になる…
プレゼントの送り主は、自らの献上品を誇示するように贈り物に手紙を張り付けていた。パーティーの招待状を入れるような派手な便箋と、目立つように押された封蝋が目を引いた。
男爵家からだけでなく、子爵家や伯爵家からのものもある。
普通の貴族の感覚なら、娘に良い縁談が来たと大喜びで一番価値のある家を選ぶだろう。
それができないのはワルターが不器用な俺の息子だからだ。
「お前は本当に俺の息子だな」と、つい思った事を口にしていた。
「何だよ?藪から棒に…」
「お前も自覚があるだろう?
で?お前はどうしたいんだ?ここから婿でも選ぶのか?」
「馬鹿言え!フィーは顔も知らない奴らだぞ!」
「それなら、ヴェルフェル侯爵閣下の名前を借りて返事をすることだ。
フィリーネ様は侯爵家の縁者だ。《英雄》の血も受け継いでいる。侯爵閣下の切り札にもなりうる存在だ。侯爵閣下もそう易々と縁談を決めたりしないだろう」
「でもよ…」
「この贈り物はそのまま受け取っておけ。送り返した方がこじれる。
断ったところで、女への贈り物を返せなんて言う女々しい者はいないだろう。その方が恥だ。
《皆様からの贈り物に感謝します》と伝えれば、向こうもある程度察するだろうよ」
「あんた、意外と策士だな…」とワルターは呆れていたが、そういう答えを求めていたのだろう?
「下手に気を遣うな。貰えるもんは貰っとけ」と、息子にアドバイスを与えた。
せこいようだが、貴族ってのは外面を気にする。
せっかく用意した贈り物まで送り返されれば、それこそ恥をかかされたと思うだろう。
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「急いで決めて、後々苦労するよりはいいだろう。
幸いフィリーネ様はテレーゼ様に似て器量良しだ。嫁の貰い手が無くなるわけでもないだろうさ。
まあ、明日侯爵閣下に相談することだ」
楽観的な言葉で息子を慰めて、贈り物を隠した部屋を後にした。
ワルターはどこか不満そうな顔をしていたが、俺に苛立ちをぶつけることは無かった。
「そういえば、ゲルトの奴は元気か?」
気分を変えたくて親友の様子を訊ねた。しばらく逗留するからゲルトの所にも立ち寄るつもりだった。
「ゲルトなら訪ねていかなくても会えるよ。
誕生会が終わったら、うちに来ることになってる」
「何だ?あいつが顔出すのか?」
「顔出すって言うか、爺さん《燕の団》からお役御免になったからよ。うちで面倒見てやる事になったんだ」
「そんな話聞いてないぞ?」
「そりゃそうだろ?うちに来るって決まったのはつい先日だからな。
スーが追い出さなきゃいつまでも残っていたろうよ。あの爺さんを追い出すなんて、あいつも成長したよな」
ワルターはそう言って思い出すように小さく笑った。
そうか…あいつもあのガキに居場所を譲ったんだな…
長く負い続けた荷を降ろした友人は、今、何を思っているだろう?
終わったとほっとしているのか、追い出されたと怒っているのか、それは俺にも分からない。
尤も、あの意地っ張りの頑固爺はそんなことは知られたくないだろう。
俺がすべきことは、親友のこれまでの労を労って、少し高い酒をふるまう事くらいだ。
ゲルトには色々助けられた。あいつは不自由な俺の分まで背負ってくれた。
ワルターの事も、ガキ共の世話も、《雷神の拳》も、《燕の団》も…
あいつはそんなつもりはなかったかもしれないが、俺はあいつに感謝している。
「よくあいつが隠居を決めたもんだ」という俺の呟きを拾って、ワルターが苦く笑った。
「《燕》の連中相手に、『どんなに頭下げても戻らねぇからな』って捨て台詞吐いてたぜ。最後までゲルトらしいよな…
《燕の団》を引き払ったら、今度はしばらく出かけるって言ってたよ。ヘンリックの所にも行くって言ってたし、《最後の遠征》をしてくるってよ」
「…遠征か」あいつらしい言い方だ…
その行き先に、ドライファッハも含まれているのだろうか?
恐らく長い《遠征》になるだろう。あいつは意外と顔が広いし、世話したガキも多かったからな。
俺もドライファッハに戻ったら別荘を用意しておこう。
あいつがたどり着いたら、しばらく捕まえて、邪魔が入らない場所で腹を割って懐かしい話をするのもいいだろう。
通り過ぎてきた辛い時間さえ、笑い話になるぐらいの時間は経った。
俺たちはいつの間にかそれだけ歳を取ったのだ…
親友の《遠征》に思いを馳せて、「楽しみだ」と呟く自分がいた。
✩.*˚
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もう慣れたけど、やっぱりなんか変な感じだ…
「ぼくの力使わないの?」と、プシケーはあたしに催促した。
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「でも…完璧じゃなかったもん…」
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「あ…」
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いつかケヴィンがシュミット様の跡を継ぐのだろう。
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旦那様もお爺ちゃんもそれを望んでいる。それが正解だって、馬鹿なあたしでも理解できる。
でも、好きな人として頭を過るのは違う人だ…
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「ライナさ…好きな人できた?」その言葉にドキッとした。
「え…何で?」
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確かにそんな約束したような気がするけど、本気にしてなかったし、まだケヴィンがその話を覚えていたのに驚いた。
「…いや、ちょっと…まだ分からないっていうか…」
「いないの?」あたしのあやふやな返答にケヴィンはさらに追及してきた。
「何で急にそんなこと言うの?」
正直に答えられずに質問を質問で返した。答えない狡いあたしに、ケヴィンはまっすぐに向き合うと真剣な顔で答えた。
「好きだから…僕がライナのこと好きだから知りたいんだ」
息を飲んで言葉を失ったあたしに、ケヴィンは歩み寄ってあたしの手を握った。反射的に手を引こうとしたけど、ケヴィンはしっかりと手を握って離さなかった。
「僕がライナの事が好きだから、ライナにも僕のこと好きになって欲しい。でも言わなきゃ、伝わらないよね…だから今言うよ」
寂しそうに笑ったケヴィンは、そのままあたしに愛を伝えた。
「本当に、君の事が好きなんだ。ずっと一緒にいたい。まだ僕は頼りにならないし、子供だけど、君のためになら努力する。僕の一生かけてライナを幸せにする。だから、僕の事を真剣に考えてほしい」
ケヴィンの真剣な告白に何も言えなくなる。
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