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秘密の接吻
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決闘の翌日、約束通り《燕の団》の拠点に顔を出した。
「よく来たな。座れよ」
《燕の団》の団長は椅子に座ったまま俺たちを迎えた。
そのわざとらしい横柄な態度を前にして、怒りより前に笑いが漏れた。
勧められるままに席に着くと、《妖精》は女みたいな顔で満足げに笑った。
この男が、俺の最強の駒を降したとは未だに信じられない…
「来なかったら俺から行くところだったんだけどな」
「ふん。俺も男だ。約束は守るさ」
「いいね。あんたのそういうところ割と好きだよ」
聞きようによっては嫌みに聞こえるが、その言葉は《妖精》なりの誉め言葉だったのだろう。
「昨日はろくに挨拶もしなかったろ?じゃぁ、改めて…
俺が《燕の団》の団長、《黒い妖精》のスペース・クラインだ」
「《赤鹿の団》の団長、ヴェンデル・フォン・バルヒェットだ」
「よろしくな、ヴェンデル」
ふんぞり返っていた男はそう言って俺に向かって手を伸ばした。
仕方なく、俺の方から腰を浮かせてその手を迎えに行った。握った《妖精》の手は、男らしい堅い印象を残した。もっと柔い手を想像していたが、その手のひらは武辺者のそれだった。
全く、この顔に騙された…
恨みごとの一つでも言いたい気分ではあるが、それは俺の矜持に反する女々しい行為だ。
「じゃあ、昨日の続きだ。決闘の結果に不服は無いよな?」
「まぁ、不服ならあるっちゃあるがな。しかし結果が全てだ。受け入れよう」
「へぇ、あっさり認めるんだ」
「当然だ。俺だってお前らが負けてごねたらうんざりする。女々しいってな。
俺が一番嫌いなのは言い訳がましい女々しい野郎だ。その先は説明せずとも良いだろう?」
「負けたってのにかっこいいじゃん。あんたの事益々気に入ったよ」
《妖精》は上機嫌で手を叩くと、部下に机の用意をさせた。既に記入された紙とそれにサインするためのインクとペンが机に乗る。書類の内容は確認するまでもないだろう…
「別に、あんたを信用してないってわけじゃないけどさ、一筆貰えってうるさい奴がいるんだ。いいだろ?」
押し出された書類を机から拾って目を通した。
《妖精》はニヤニヤしながら書類に目を通す俺を眺めている。次の反応を楽しみにしているような悪趣味な印象を覚えた。
どうせ碌でもない内容だろう。しかし、条件を付けるのは敗者でなく勝者の特権だ。気の進まないまま書類に目を通して目を疑った。
「…どういうつもりだ?」
「何だよ?俺だってあんたたちに敬意を払った結果だぜ?文句あんのか?」
「うちは傘下に入れるまでもないってことか?」
《燕の団》の出した条件は傘下に入ることではなく、《同盟》に近いものだった。
「怒るなよ、ヴェンデル。俺だってあんたたちを《傘下》にするでもよかったんだ。
でも《赤鹿の団》はうちより長い傭兵団だし、人数だって多いだろ?
いきなり管理しきれないし、格下だと思ってた《燕》にやられて傘下になったとなりゃ、見限って離れる奴らも出てくるだろ?
それじゃせっかく傘下にしたってのにあんたらの良さが失われちまう。
だから《兄弟分》で手を打とうじゃないか?ってことさ」
「なるほどな…俺も舐められたもんだ」
「そうかい?これでも俺はあんたを《先輩》として認めて敬意を払ってるんだぜ?」
ふざけた男は薄笑いを張り付けた顔でそう言って俺の返事を待った。
他にも条件はあったが、飲めないようなものでは無かった。俺としてもこのくらいで済むなら安いもんだ…
「お前ら、どう思う?」と、連れてきていたフーゴとゲオルグに書類を見せた。
「負けたにしても好条件じゃないっすか?」
「俺は団長の決定に従うだけだ」
「…決まりだな」
どうせ俺たちは敗者だ…
「俺のペンとインクを用意しろ」と部下に命じると、《妖精》は机の上に置かれたペンとインクを指した。
「あるじゃん。用意したんだからこれ使えよ」
「こんな安物じゃ俺の名前は綴れないんでな。俺だって一応騎士のはしくれだ」
用意された真新しいインクとペンに並んだダガーを見て、《妖精》も俺が何をするのか察したらしい。
「良いね」と笑った男の目がガキっぽく煌めいた。《妖精》は傍らに控えていたディルクに同じように新しいインクを用意するように指示した。
律儀な野郎だ…それともこの若者は騎士の真似事をできると楽しんでいるのだろうか?
俺の手元を見ながら真似をする子供みたいな姿に笑いが漏れた。
「お前は騎士じゃないだろ?」
「別に良いだろ?覚えておいて損はないさ?」と答えながら、《妖精》は躊躇いもせずに袖をまくった腕に刃を突き立てた。
滴る血をインクに落とす姿は潔い。この男に興味が湧いた。
「武勲を上げて騎士にでもなる気か?」
「いいや。俺がなりたいものはそんなもんじゃないさ。この国で《最強の人間》になるんだ。千年先にも名が残るような色褪せない《漢》になるのさ」
「ふん。随分と大きく出るもんだな」
「男なら、それぐらい威勢が良くても良いだろう?あんたも俺と同類だろ?」
「お前ほどじゃないさ」
そこまで大口をたたくには、俺は歳を取りすぎた…
だが、幼い考えだと笑い飛ばすほど歳は取っていない。
血を混ぜたインクで誓約書にお互いの名前を綴った。
「よろしくな、《兄弟》」
「随分歳の離れた《兄弟》ができたもんだ」と返した俺に、《妖精》は笑って「《兄貴》は俺だろ?」と吐かしやがった。
全く、偉そうな口ばかり聞く野郎だ…
「兄貴分なら酒ぐらい奢ってもらわなければな。口だけの《兄貴》には誰もついて行かねぇよ」
「なるほど、一理あるな。
じゃあ、今夜は弟分に馳走してやらなきゃな。
お前ら!二日酔いの準備はいいか?」
酒と聞いた連中が「応!」と応えて部屋の温度が上がった。酒と聞いたら飛びつくのが傭兵の性だ。
悪くねぇな…
見た目で損しているが、《妖精》は良い団長だ。《燕の団》も《赤鹿の団》の兄弟分として申し分ない。
「ご機嫌じゃないか、団長」
ゲオルグが俺の腹の中を指摘した。
「久しぶりにあんたのそういう顔見たぜ」という彼に頷いた。確かにこの感情は俺が忘れかけていた感情だ。
《赤鹿》をデカくすることに憑りつかれて、久しく忘れていた感情だ…
今思えば、俺も随分堅物になっていたな…
《妖精》の《馬鹿》に当てられて、若い頃の熱を取り戻していた。
団長になったからじゃない。俺が勝手に団長を気取って忘れようとしていただけだ…
馬鹿の熱を取り戻すのは、どうやらまだ手遅れではなかったらしい。
「ブルームバルトの酒を飲み干してやれ」という俺の無茶苦茶な命令に、俺に長く着いて来ていた男たちは「応!」と頼もしく応えた。
✩.*˚
「ライナが起きない?」
「えぇ。以前にもありましたが…また《祝福》の影響でしょうか?」
シュミットからの相談を受けてライナの部屋に向かった。
朝から姿を見てないなと気付いていたが、昨日のことが気不味くて、顔を出せずにいるのかと思っていた。
クレメルはどっか行っちまったことと関係してるのか?
ライナの部屋に入ってすぐに何がが違うと違和感を覚えた。
言葉で言い表す事は難しいが、明らかに他の部屋と空気が違うのだ…
新緑の風が吹いているような匂いが、狭い部屋に立ち込めている。その中には魔力の気配があった。
「…何だ、これ…」
訝しみながらライナのベッドに近付くと、緑の匂いが強くなった。
この匂いはライナから滲み出ているようだ。
「この匂い…」
「何ですか?匂い?」とシュミットは俺の言葉に首を傾げている。
シュミットにはこの匂いが分からないらしい。
こんなにはっきりしてるのに、嘘だろ?
シュミットの鼻が詰まってるんじゃなければ、恐らく《祝福》絡みの現象だ…
「クレメルの姿は見たか?」
「見ていません。ユリアの話では、ライナと昨日一緒に寝た時は普段通りだったそうです。朝起きた時にはこの状態で、とりあえず様子を見ていたのですが…」
「そうか…」
「また《祝福》でしょうか?」
「だろうな…あのチビどこ行ったんだ?」
前にクレメルがライナから離れた時も、ライナが倒れてしまった。正確には眠ってしまったのだが、あいつが離れるとライナは眠くなるペナルティでもあるのだろうか?
「とりあえず、しばらく気を付けて見てやってくれ」とシュミットにライナを任せた。
シュミットもライナの事を心配してくれてるようだ。使用人としてだけでなく、娘みたいに思ってくれてるのだろう。
「…また話しそびれてしまいました」というシュミットの呟きに、少し遅れて何の話か理解した。
「まだ、言ってなかったのか?」
「『ライナの気持ちも大切に』と仰ったのは旦那様ではないですか?
ケヴィンにもまだ話してませんよ。期待させては可哀想ですから…」
シュミットはそう言って、また残念そうにため息を吐いた。
ラウラの話じゃケヴィンはライナに気があるらしい。
女ってのはそういう勘に鋭い。母親ともなれば、息子の些細なサインでも気付いてしまうのだろう。
ケヴィンも随分難しい女に惚れたもんだ…
お目が高いのは親父に似たのかね?
そんなお節介な想像をして、腹の中で苦く笑った。
ライナを残して部屋を出た。
眠ってる女の子の部屋に、おっさんが二人もいるのは問題だ。
「時々ユリアに様子を見に行くように伝えます」
「そうしてくれ」とライナのことを任せて、子供たちの遊び部屋に足を向けた。
「あ!お父様ぁ!」
ドアを開けると、元気なお姫様が俺目掛けて突進していた。
「お庭!お庭に散歩行こう!」と、フィーは俺を外に誘った。
お行儀悪く跳ね回る姿はウサギみたいだ。
「外か?何する?」
「フィー、お馬さん乗りたい!餌もあげるよ!フィー、うんちも触れるよ!」と、フィーは最近覚えた遊びを並べた。
人形みたいに可愛いのに、お転婆なんだよなぁ…
女の子が《うんち》で遊んじゃダメだろ…
どうやらシュミットの双子が男の子のしょうもない遊びを教えたらしい。
馬糞に小枝を刺して遊ぶなんて、俺が子供の頃だってやらなかったぞ…
「あとねー、ルーちゃまのお稽古見に行くの!」と、フィーはお気に入りの幼なじみの名前を上げた。
「あぁ、今日は稽古に行ったのか…」
ルドは学校の他に剣を握る練習を始めていた。
スーは教え方が無茶苦茶だから、トゥルンバルトに預けている。
トゥルンバルトの話じゃ、筋は悪くないそうだ。親父も剣だけは強かったからな…
「じゃぁ、お馬でお散歩して、ルドに会いに行くか?」
俺の提案に、フィーは粒ぞろいの真珠のような白い歯を見せて笑った。
ミリーの世話をするメリッサに声を掛けて、フィーの小さな手を握った。
✩.*˚
お父さんたちが立ち去るのを待って、ライナの部屋の前に立った。
用意した小さな花束は、見咎められても言い訳ができるようにという狡い小道具だ…
男の子が女の子の部屋に勝手に入るのは、お屋敷のルール違反だ。
部屋が分かれた時にお父さんやお母さんとそういう約束をした。
妹の部屋だとしても、男の子の僕が女の子の部屋に入るのは禁止されているし、その逆も禁止されている。
ドアをノックしてみたが返事はない。
良心の葛藤の末に、僕は両親との約束を破った…
鍵の閉まっていないドアは小さく軋む音を立てて簡単に開いた。大切な部屋を守る一枚の隔たりは何の障害にもならなかった。
「…ライナ?」
後ろめたさから、彼女の名前を呼んだ。返事は相変わらずない。
ほとんど物のない部屋は、こざっぱりしていて片付いている。
まだ誰も住んでいないのか、もしくは出ていく前なのかと思えるほど、部屋には物がない。
手持ちの家具も、部屋の隅の古いタンスと、彼女の寝るためのベッドくらいだ。
いつでも帰れるようにだろうか?
僕にはそんなふうに感じられた…
そろりそろりとベッドに近付いて、眠ってる彼女の顔を覗き込んだ。
彼女の寝顔を見て、罪悪感と同時に別の感情が湧いた…
毎日顔を合わせていたけど、こんなに近くでじっとライナの顔を見ることは無かった。ユリアとは違う造りの顔は僕の視線を釘付けにした。
静かに閉じた瞼を縁取る長い睫毛は、彼女の髪の色に似ていたが少しだけ色が強い。すっと通った鼻筋は、ふっくらとした薄紅色の花びらのような柔らかい唇につながっていた。
頬にかかる金髪は柔らかく彼女の輪郭に重なり、枕の上で広がっている。
僕より細く白い首筋までが毛布の外に出ていたが、それより先は隠れていて見えない。
その先も見てみたいという悪い考えを振り払って、ベッドの傍らに膝を着いた。
持ってきた小さな花束を彼女の枕元に置いて、また彼女の顔を眺めた。
こんなに近くなのに、彼女は僕に気付かずに、穏やかな寝息を立てて眠っている。
今なら何をしても彼女は気付かないだろう…
枕に広がった髪を一束拾った。
女の子の髪の毛は男の子の髪より柔らかく、僕の指の間をサラリと撫でて、元のように枕に広がった。
この感情は何だろう?
悪い事をしている罪悪感より、彼女に触れたい気持ちが強くなる。
今更、部屋に入ったことを後悔した…
きっとライナが目を開けていたら、こんな事は考えなかっただろう。彼女が嫌がると分かっているから…
ライナの心が向いているのは別の人だと気付いている。
僕が彼女の気持ちに気付いたのは最近だけど、その気持ちは僕の気付かない間も大切に胸にしまっていたのだろう。
それが僕にすり替わることは無いのだろうか?
僕はこんなに君が好きなのに…
そっと手を伸ばして、指の甲で彼女の頬に触れた。柔らかい感触が指を押し返した。ライナはまだ目覚めない…
彼女が目覚めないと知っているから、自分でも驚くほど大胆になっていた。
指が滑らかな頬を滑って、花びらのような赤く目立つ唇に触れた。
そっと指を押し当てても、彼女は夢の中だ。
心臓が鳴り響く警鐘のように、煩く早鐘を打っている。
僕の中の悪魔に背中を押されて、眠り続ける彼女に顔を寄せた…
彼女の唇は空しくなるほどあっさりと僕を受け入れた。
そんな酷い事をしてから、ようやく冷静さを取り戻した。
自分のしたことが怖くなって、慌てて彼女の部屋を後にして、自分の部屋に逃げ込んだ。
どうしてあんな酷いことをしてしまったのだろう…彼女が知ったら、家族が知ったら…
僕は卑怯者だ…
今更になって押し寄せた罪悪感に打ちのめされて、ドアの前で崩れ落ちて泣いた。
✩.*˚
酒の席を抜け出して、ヴェンデルと外に繋いだ幌馬車に足を運んだ。
「よお、《人でなし》」と、馬車に乗っていた男に声を掛けた。
俺の声を聞いて、馬車に乗っていた大男は驚いて荷台を揺らした。逃げ場のない馬車の中で身を隠そうとする姿は滑稽だ。
「マシュー、《妖精》がお前と話がしたいんだと」
雇い主の声を聞いて、《人でなし》はゆっくりとこちらに視線をよこした。
「お、オデを、な、殴らない?」
どうやらすっかりビビってしまったようだ。そんなに《暴君の腕》が効いたのか?
「なんにもしないよ。ちょっと話に来ただけだ」と返事をすると、《人でなし》は幾分か俺への警戒を解いた。
「入っていいか?」と訊ねると、《人でなし》はびくびくしながらも頷いた。
「お前も飯食ったか?」と訊ねると、マシューはまた頭巾頭を縦に振った。持って行かせた差し入れはもう平らげた後だったようだ。
「足りたのか?まだ持ってくるか?」
「い、いい…」《人でなし》はヴェンデルを気にしながら俺の申し出を断った。
「追加してやってくれ。こいつは人前で頭巾を取りたくないだけだ」と、ヴェンデルが《人でなし》の代わりに答えた。
マシューは自分がどう見えるのか、ひどく気にしているようだ。
「マシュー。《妖精》はお前の正体を知りたがっている。教えてもいいな?」
「お…オデ…」
「俺もお前たちには俺の秘密を教えてやるよ。お互い、知っておいた方が何かあった時に良いと思うんだけど、どうだ?
もちろんお互い秘密は守るって約束だ」
俺の提案に頭巾に隠れた頭は項垂れた。悩んでいる様子のマシューにヴェンデルが頭巾を取るように促した。
「《赤鹿》と《燕》は兄弟分になった。
もし俺がお前を守り切れなくなったら、《妖精》がお前を守ってくれるって約束だ。逆に《妖精》に何かあったら俺たちが《燕の団》を支えるって約束を交わした。
男同士の約束だから安心しろ」
ヴェンデルの説得に、《人でなし》も渋々頷いて頭巾に手をかけた。晒された《人でなし》の素顔は確かに人間のものでは無かった。
「…へぇ…珍しい…お前、《鬼人族》か?」
八重歯と言うには無理のある牙の生えた口元、大きな曲がった鷲鼻、吊り上がった凶暴な目が頭巾の下から晒され、最後に彼の種族を連想させる額の角が晒された。正確には、角があった痕だが…
「…お、オデ…もう、お、オーガ名乗れない…お、オデの…ほ、誇り、折れた」
「こいつは俺がもう少し若い頃に引き取ったんだ。
元はアーケイイックから流れてきたらしい。子供の頃に角が折れて仲間から追い出されて、人間の住む場所に迷い込んじまった。
住処を転々としてたみたいだが、やばいのがいるってんで、捕まえてくれと依頼があった。捕まえて処分される予定だったが、報酬代わりにそのまま引き取った」
「へぇ、そう?あんた物好きだな?」
「並みの人間じゃ全く歯が立たない相手だ。味方にすれば百人力だ。
フーゴやゲオルグが足止めして、《バジリスク》が麻痺させてようやく捕まえた」
「あの三人は長いのか?」
「まぁな。ゲオルグは俺がガキの頃からの付き合いだ。フーゴはゲオルグが連れてきた。ダミアンもなんだかんだで、《赤鹿の団》じゃ、そこそこ古株だ」
昔を思い出しているのか、ヴェンデルは懐かしそうに「面白い時代だった」と独り言を言った。
彼の語る仲間の中には、《人でなし》も含まれているのだろう。
「で?うちの秘密はこいつくらいだ。お前さんの秘密を聞かせてもらおうか?」と、ヴェンデルは自分の披露した秘密の対価を求めた。
約束だ。耳にかかった髪を指で拾って、エルフの特徴を残した耳を彼にも見せた。
「俺もアーケイイックの出だよ。父親がエルフで母親が人間だ」
「マジか?」
「は、半分…エルフって、い、言った」
「そうだよ。エルフの縁者に黒髪はないらしいけど、俺は間違いなくハーフエルフだ」
「…たまげたな…
だとしたらお前さん希少種中の希少種だろ?何で人間のフリしてるんだ?」
ヴェンデルの指摘に「訳ありでね」と誤魔化した。
「とにかく、そういうことだ。あんたたちを信用して話したんだから、他に言うなよ?」
「まぁ、それはいいとして…やっぱり俺は騙されたのか?一杯食わされたな…」
「何言ってんだよ?勝手に突っかかってきたのはお前らだろ?
俺はこう見えて、ゲルトの爺さんより少し年下くらいさ。つまりあんたよりは確実に年上だ」
「そんなの詐欺だろ?…ったく…お前ら裏で俺が釣れたと笑ってたんだろ?」
「あぁ。大物が釣れた」と悪びれもせずに笑った。
笑われた男は、いっそ清々しい気分みたいだ。
それとも、もう何を言っても無駄と割り切っているのだろうか?
そうだとしたら、ヴェンデルは俺が思ってたより柔軟な性格のようだ。
俺にはそれがディルクたちの評価と少しズレがあるように感じられた。
俺が訊く事じゃないが、どうにも気になってしまった。
「秘密ついでに訊くけどさ、何で《剃刀ヴォルフ》を追い出したんだ?」
「ん?ディルクがそう言ったのか?」
「まぁ、そんなとこだけど…」
『関係ない』と言って答えるのを拒否するかと思ったが、ヴェンデルは俺が驚くほどあっさりと答えた。
「あの爺さんが引き際を知らんからだ。
困らない程度の金を渡して、勝手に仕事を見つけて田舎に追いやったのさ」
「あいつらはそんなこと言ってなかったけど?」
「俺もあいつらに言ってないからな。
俺も親父も、長く《赤鹿》を支えたヴォルフの奴がつまらない死に方するのは反対だった。
だけど、あの爺さん面倒くせぇんだ。あいつがなかなか首を縦に振らねぇから、俺が悪者になるしかねぇだろうが?
『いい加減、若いのに道を譲れ』って毎日のように催促して、隠居先の面倒まで見て、やっと折れたんだよ」
「なんだよ?あんたただの良い奴じゃんか?」
「そうとも。俺は団のために悪党になったんだ。
団長ってのは時には憎まれ役にもならなきゃならんのさ」
そう嘯く男は苦笑いを浮かべて、「損な役だ」と愚痴をこぼした。
「まぁ、そんなわけだ。あいつらには黙っとけ。今更俺が言い訳したと思われるのも癪だ」
「素直じゃないね」
「あいつらだって、いつまでも後追いするような赤ん坊じゃねぇんだ。現にお前の所でも十分やってるだろ?」
「返さねぇからな」
「ふん。なら、なおの事黙ってるんだな。あいつらが《父ちゃん》恋しさに帰っちまうかもしれねぇぞ」
意地の悪い言い方をしているが、言ってることは俺への忠告だ。
団長としての器は相手の方が上かも知れない。俺はまだヴェンデルほど悪者になることはできないだろう。それが今の俺の限界だ…
それが分かっているから、ゲルトはずるずると《燕》から離れられずにいるのだ…
彼と一緒に離れる奴がいるとしても、それはそれで割り切るべきなのだろう。
「あんた意外とすごいんだな」と、思ったことをそのまま口にした。
俺の言葉を受け取った男は、素直に「おうよ」と誇らしげに応えて笑っていた。
習うべき相手がまた一人増えた。
「よく来たな。座れよ」
《燕の団》の団長は椅子に座ったまま俺たちを迎えた。
そのわざとらしい横柄な態度を前にして、怒りより前に笑いが漏れた。
勧められるままに席に着くと、《妖精》は女みたいな顔で満足げに笑った。
この男が、俺の最強の駒を降したとは未だに信じられない…
「来なかったら俺から行くところだったんだけどな」
「ふん。俺も男だ。約束は守るさ」
「いいね。あんたのそういうところ割と好きだよ」
聞きようによっては嫌みに聞こえるが、その言葉は《妖精》なりの誉め言葉だったのだろう。
「昨日はろくに挨拶もしなかったろ?じゃぁ、改めて…
俺が《燕の団》の団長、《黒い妖精》のスペース・クラインだ」
「《赤鹿の団》の団長、ヴェンデル・フォン・バルヒェットだ」
「よろしくな、ヴェンデル」
ふんぞり返っていた男はそう言って俺に向かって手を伸ばした。
仕方なく、俺の方から腰を浮かせてその手を迎えに行った。握った《妖精》の手は、男らしい堅い印象を残した。もっと柔い手を想像していたが、その手のひらは武辺者のそれだった。
全く、この顔に騙された…
恨みごとの一つでも言いたい気分ではあるが、それは俺の矜持に反する女々しい行為だ。
「じゃあ、昨日の続きだ。決闘の結果に不服は無いよな?」
「まぁ、不服ならあるっちゃあるがな。しかし結果が全てだ。受け入れよう」
「へぇ、あっさり認めるんだ」
「当然だ。俺だってお前らが負けてごねたらうんざりする。女々しいってな。
俺が一番嫌いなのは言い訳がましい女々しい野郎だ。その先は説明せずとも良いだろう?」
「負けたってのにかっこいいじゃん。あんたの事益々気に入ったよ」
《妖精》は上機嫌で手を叩くと、部下に机の用意をさせた。既に記入された紙とそれにサインするためのインクとペンが机に乗る。書類の内容は確認するまでもないだろう…
「別に、あんたを信用してないってわけじゃないけどさ、一筆貰えってうるさい奴がいるんだ。いいだろ?」
押し出された書類を机から拾って目を通した。
《妖精》はニヤニヤしながら書類に目を通す俺を眺めている。次の反応を楽しみにしているような悪趣味な印象を覚えた。
どうせ碌でもない内容だろう。しかし、条件を付けるのは敗者でなく勝者の特権だ。気の進まないまま書類に目を通して目を疑った。
「…どういうつもりだ?」
「何だよ?俺だってあんたたちに敬意を払った結果だぜ?文句あんのか?」
「うちは傘下に入れるまでもないってことか?」
《燕の団》の出した条件は傘下に入ることではなく、《同盟》に近いものだった。
「怒るなよ、ヴェンデル。俺だってあんたたちを《傘下》にするでもよかったんだ。
でも《赤鹿の団》はうちより長い傭兵団だし、人数だって多いだろ?
いきなり管理しきれないし、格下だと思ってた《燕》にやられて傘下になったとなりゃ、見限って離れる奴らも出てくるだろ?
それじゃせっかく傘下にしたってのにあんたらの良さが失われちまう。
だから《兄弟分》で手を打とうじゃないか?ってことさ」
「なるほどな…俺も舐められたもんだ」
「そうかい?これでも俺はあんたを《先輩》として認めて敬意を払ってるんだぜ?」
ふざけた男は薄笑いを張り付けた顔でそう言って俺の返事を待った。
他にも条件はあったが、飲めないようなものでは無かった。俺としてもこのくらいで済むなら安いもんだ…
「お前ら、どう思う?」と、連れてきていたフーゴとゲオルグに書類を見せた。
「負けたにしても好条件じゃないっすか?」
「俺は団長の決定に従うだけだ」
「…決まりだな」
どうせ俺たちは敗者だ…
「俺のペンとインクを用意しろ」と部下に命じると、《妖精》は机の上に置かれたペンとインクを指した。
「あるじゃん。用意したんだからこれ使えよ」
「こんな安物じゃ俺の名前は綴れないんでな。俺だって一応騎士のはしくれだ」
用意された真新しいインクとペンに並んだダガーを見て、《妖精》も俺が何をするのか察したらしい。
「良いね」と笑った男の目がガキっぽく煌めいた。《妖精》は傍らに控えていたディルクに同じように新しいインクを用意するように指示した。
律儀な野郎だ…それともこの若者は騎士の真似事をできると楽しんでいるのだろうか?
俺の手元を見ながら真似をする子供みたいな姿に笑いが漏れた。
「お前は騎士じゃないだろ?」
「別に良いだろ?覚えておいて損はないさ?」と答えながら、《妖精》は躊躇いもせずに袖をまくった腕に刃を突き立てた。
滴る血をインクに落とす姿は潔い。この男に興味が湧いた。
「武勲を上げて騎士にでもなる気か?」
「いいや。俺がなりたいものはそんなもんじゃないさ。この国で《最強の人間》になるんだ。千年先にも名が残るような色褪せない《漢》になるのさ」
「ふん。随分と大きく出るもんだな」
「男なら、それぐらい威勢が良くても良いだろう?あんたも俺と同類だろ?」
「お前ほどじゃないさ」
そこまで大口をたたくには、俺は歳を取りすぎた…
だが、幼い考えだと笑い飛ばすほど歳は取っていない。
血を混ぜたインクで誓約書にお互いの名前を綴った。
「よろしくな、《兄弟》」
「随分歳の離れた《兄弟》ができたもんだ」と返した俺に、《妖精》は笑って「《兄貴》は俺だろ?」と吐かしやがった。
全く、偉そうな口ばかり聞く野郎だ…
「兄貴分なら酒ぐらい奢ってもらわなければな。口だけの《兄貴》には誰もついて行かねぇよ」
「なるほど、一理あるな。
じゃあ、今夜は弟分に馳走してやらなきゃな。
お前ら!二日酔いの準備はいいか?」
酒と聞いた連中が「応!」と応えて部屋の温度が上がった。酒と聞いたら飛びつくのが傭兵の性だ。
悪くねぇな…
見た目で損しているが、《妖精》は良い団長だ。《燕の団》も《赤鹿の団》の兄弟分として申し分ない。
「ご機嫌じゃないか、団長」
ゲオルグが俺の腹の中を指摘した。
「久しぶりにあんたのそういう顔見たぜ」という彼に頷いた。確かにこの感情は俺が忘れかけていた感情だ。
《赤鹿》をデカくすることに憑りつかれて、久しく忘れていた感情だ…
今思えば、俺も随分堅物になっていたな…
《妖精》の《馬鹿》に当てられて、若い頃の熱を取り戻していた。
団長になったからじゃない。俺が勝手に団長を気取って忘れようとしていただけだ…
馬鹿の熱を取り戻すのは、どうやらまだ手遅れではなかったらしい。
「ブルームバルトの酒を飲み干してやれ」という俺の無茶苦茶な命令に、俺に長く着いて来ていた男たちは「応!」と頼もしく応えた。
✩.*˚
「ライナが起きない?」
「えぇ。以前にもありましたが…また《祝福》の影響でしょうか?」
シュミットからの相談を受けてライナの部屋に向かった。
朝から姿を見てないなと気付いていたが、昨日のことが気不味くて、顔を出せずにいるのかと思っていた。
クレメルはどっか行っちまったことと関係してるのか?
ライナの部屋に入ってすぐに何がが違うと違和感を覚えた。
言葉で言い表す事は難しいが、明らかに他の部屋と空気が違うのだ…
新緑の風が吹いているような匂いが、狭い部屋に立ち込めている。その中には魔力の気配があった。
「…何だ、これ…」
訝しみながらライナのベッドに近付くと、緑の匂いが強くなった。
この匂いはライナから滲み出ているようだ。
「この匂い…」
「何ですか?匂い?」とシュミットは俺の言葉に首を傾げている。
シュミットにはこの匂いが分からないらしい。
こんなにはっきりしてるのに、嘘だろ?
シュミットの鼻が詰まってるんじゃなければ、恐らく《祝福》絡みの現象だ…
「クレメルの姿は見たか?」
「見ていません。ユリアの話では、ライナと昨日一緒に寝た時は普段通りだったそうです。朝起きた時にはこの状態で、とりあえず様子を見ていたのですが…」
「そうか…」
「また《祝福》でしょうか?」
「だろうな…あのチビどこ行ったんだ?」
前にクレメルがライナから離れた時も、ライナが倒れてしまった。正確には眠ってしまったのだが、あいつが離れるとライナは眠くなるペナルティでもあるのだろうか?
「とりあえず、しばらく気を付けて見てやってくれ」とシュミットにライナを任せた。
シュミットもライナの事を心配してくれてるようだ。使用人としてだけでなく、娘みたいに思ってくれてるのだろう。
「…また話しそびれてしまいました」というシュミットの呟きに、少し遅れて何の話か理解した。
「まだ、言ってなかったのか?」
「『ライナの気持ちも大切に』と仰ったのは旦那様ではないですか?
ケヴィンにもまだ話してませんよ。期待させては可哀想ですから…」
シュミットはそう言って、また残念そうにため息を吐いた。
ラウラの話じゃケヴィンはライナに気があるらしい。
女ってのはそういう勘に鋭い。母親ともなれば、息子の些細なサインでも気付いてしまうのだろう。
ケヴィンも随分難しい女に惚れたもんだ…
お目が高いのは親父に似たのかね?
そんなお節介な想像をして、腹の中で苦く笑った。
ライナを残して部屋を出た。
眠ってる女の子の部屋に、おっさんが二人もいるのは問題だ。
「時々ユリアに様子を見に行くように伝えます」
「そうしてくれ」とライナのことを任せて、子供たちの遊び部屋に足を向けた。
「あ!お父様ぁ!」
ドアを開けると、元気なお姫様が俺目掛けて突進していた。
「お庭!お庭に散歩行こう!」と、フィーは俺を外に誘った。
お行儀悪く跳ね回る姿はウサギみたいだ。
「外か?何する?」
「フィー、お馬さん乗りたい!餌もあげるよ!フィー、うんちも触れるよ!」と、フィーは最近覚えた遊びを並べた。
人形みたいに可愛いのに、お転婆なんだよなぁ…
女の子が《うんち》で遊んじゃダメだろ…
どうやらシュミットの双子が男の子のしょうもない遊びを教えたらしい。
馬糞に小枝を刺して遊ぶなんて、俺が子供の頃だってやらなかったぞ…
「あとねー、ルーちゃまのお稽古見に行くの!」と、フィーはお気に入りの幼なじみの名前を上げた。
「あぁ、今日は稽古に行ったのか…」
ルドは学校の他に剣を握る練習を始めていた。
スーは教え方が無茶苦茶だから、トゥルンバルトに預けている。
トゥルンバルトの話じゃ、筋は悪くないそうだ。親父も剣だけは強かったからな…
「じゃぁ、お馬でお散歩して、ルドに会いに行くか?」
俺の提案に、フィーは粒ぞろいの真珠のような白い歯を見せて笑った。
ミリーの世話をするメリッサに声を掛けて、フィーの小さな手を握った。
✩.*˚
お父さんたちが立ち去るのを待って、ライナの部屋の前に立った。
用意した小さな花束は、見咎められても言い訳ができるようにという狡い小道具だ…
男の子が女の子の部屋に勝手に入るのは、お屋敷のルール違反だ。
部屋が分かれた時にお父さんやお母さんとそういう約束をした。
妹の部屋だとしても、男の子の僕が女の子の部屋に入るのは禁止されているし、その逆も禁止されている。
ドアをノックしてみたが返事はない。
良心の葛藤の末に、僕は両親との約束を破った…
鍵の閉まっていないドアは小さく軋む音を立てて簡単に開いた。大切な部屋を守る一枚の隔たりは何の障害にもならなかった。
「…ライナ?」
後ろめたさから、彼女の名前を呼んだ。返事は相変わらずない。
ほとんど物のない部屋は、こざっぱりしていて片付いている。
まだ誰も住んでいないのか、もしくは出ていく前なのかと思えるほど、部屋には物がない。
手持ちの家具も、部屋の隅の古いタンスと、彼女の寝るためのベッドくらいだ。
いつでも帰れるようにだろうか?
僕にはそんなふうに感じられた…
そろりそろりとベッドに近付いて、眠ってる彼女の顔を覗き込んだ。
彼女の寝顔を見て、罪悪感と同時に別の感情が湧いた…
毎日顔を合わせていたけど、こんなに近くでじっとライナの顔を見ることは無かった。ユリアとは違う造りの顔は僕の視線を釘付けにした。
静かに閉じた瞼を縁取る長い睫毛は、彼女の髪の色に似ていたが少しだけ色が強い。すっと通った鼻筋は、ふっくらとした薄紅色の花びらのような柔らかい唇につながっていた。
頬にかかる金髪は柔らかく彼女の輪郭に重なり、枕の上で広がっている。
僕より細く白い首筋までが毛布の外に出ていたが、それより先は隠れていて見えない。
その先も見てみたいという悪い考えを振り払って、ベッドの傍らに膝を着いた。
持ってきた小さな花束を彼女の枕元に置いて、また彼女の顔を眺めた。
こんなに近くなのに、彼女は僕に気付かずに、穏やかな寝息を立てて眠っている。
今なら何をしても彼女は気付かないだろう…
枕に広がった髪を一束拾った。
女の子の髪の毛は男の子の髪より柔らかく、僕の指の間をサラリと撫でて、元のように枕に広がった。
この感情は何だろう?
悪い事をしている罪悪感より、彼女に触れたい気持ちが強くなる。
今更、部屋に入ったことを後悔した…
きっとライナが目を開けていたら、こんな事は考えなかっただろう。彼女が嫌がると分かっているから…
ライナの心が向いているのは別の人だと気付いている。
僕が彼女の気持ちに気付いたのは最近だけど、その気持ちは僕の気付かない間も大切に胸にしまっていたのだろう。
それが僕にすり替わることは無いのだろうか?
僕はこんなに君が好きなのに…
そっと手を伸ばして、指の甲で彼女の頬に触れた。柔らかい感触が指を押し返した。ライナはまだ目覚めない…
彼女が目覚めないと知っているから、自分でも驚くほど大胆になっていた。
指が滑らかな頬を滑って、花びらのような赤く目立つ唇に触れた。
そっと指を押し当てても、彼女は夢の中だ。
心臓が鳴り響く警鐘のように、煩く早鐘を打っている。
僕の中の悪魔に背中を押されて、眠り続ける彼女に顔を寄せた…
彼女の唇は空しくなるほどあっさりと僕を受け入れた。
そんな酷い事をしてから、ようやく冷静さを取り戻した。
自分のしたことが怖くなって、慌てて彼女の部屋を後にして、自分の部屋に逃げ込んだ。
どうしてあんな酷いことをしてしまったのだろう…彼女が知ったら、家族が知ったら…
僕は卑怯者だ…
今更になって押し寄せた罪悪感に打ちのめされて、ドアの前で崩れ落ちて泣いた。
✩.*˚
酒の席を抜け出して、ヴェンデルと外に繋いだ幌馬車に足を運んだ。
「よお、《人でなし》」と、馬車に乗っていた男に声を掛けた。
俺の声を聞いて、馬車に乗っていた大男は驚いて荷台を揺らした。逃げ場のない馬車の中で身を隠そうとする姿は滑稽だ。
「マシュー、《妖精》がお前と話がしたいんだと」
雇い主の声を聞いて、《人でなし》はゆっくりとこちらに視線をよこした。
「お、オデを、な、殴らない?」
どうやらすっかりビビってしまったようだ。そんなに《暴君の腕》が効いたのか?
「なんにもしないよ。ちょっと話に来ただけだ」と返事をすると、《人でなし》は幾分か俺への警戒を解いた。
「入っていいか?」と訊ねると、《人でなし》はびくびくしながらも頷いた。
「お前も飯食ったか?」と訊ねると、マシューはまた頭巾頭を縦に振った。持って行かせた差し入れはもう平らげた後だったようだ。
「足りたのか?まだ持ってくるか?」
「い、いい…」《人でなし》はヴェンデルを気にしながら俺の申し出を断った。
「追加してやってくれ。こいつは人前で頭巾を取りたくないだけだ」と、ヴェンデルが《人でなし》の代わりに答えた。
マシューは自分がどう見えるのか、ひどく気にしているようだ。
「マシュー。《妖精》はお前の正体を知りたがっている。教えてもいいな?」
「お…オデ…」
「俺もお前たちには俺の秘密を教えてやるよ。お互い、知っておいた方が何かあった時に良いと思うんだけど、どうだ?
もちろんお互い秘密は守るって約束だ」
俺の提案に頭巾に隠れた頭は項垂れた。悩んでいる様子のマシューにヴェンデルが頭巾を取るように促した。
「《赤鹿》と《燕》は兄弟分になった。
もし俺がお前を守り切れなくなったら、《妖精》がお前を守ってくれるって約束だ。逆に《妖精》に何かあったら俺たちが《燕の団》を支えるって約束を交わした。
男同士の約束だから安心しろ」
ヴェンデルの説得に、《人でなし》も渋々頷いて頭巾に手をかけた。晒された《人でなし》の素顔は確かに人間のものでは無かった。
「…へぇ…珍しい…お前、《鬼人族》か?」
八重歯と言うには無理のある牙の生えた口元、大きな曲がった鷲鼻、吊り上がった凶暴な目が頭巾の下から晒され、最後に彼の種族を連想させる額の角が晒された。正確には、角があった痕だが…
「…お、オデ…もう、お、オーガ名乗れない…お、オデの…ほ、誇り、折れた」
「こいつは俺がもう少し若い頃に引き取ったんだ。
元はアーケイイックから流れてきたらしい。子供の頃に角が折れて仲間から追い出されて、人間の住む場所に迷い込んじまった。
住処を転々としてたみたいだが、やばいのがいるってんで、捕まえてくれと依頼があった。捕まえて処分される予定だったが、報酬代わりにそのまま引き取った」
「へぇ、そう?あんた物好きだな?」
「並みの人間じゃ全く歯が立たない相手だ。味方にすれば百人力だ。
フーゴやゲオルグが足止めして、《バジリスク》が麻痺させてようやく捕まえた」
「あの三人は長いのか?」
「まぁな。ゲオルグは俺がガキの頃からの付き合いだ。フーゴはゲオルグが連れてきた。ダミアンもなんだかんだで、《赤鹿の団》じゃ、そこそこ古株だ」
昔を思い出しているのか、ヴェンデルは懐かしそうに「面白い時代だった」と独り言を言った。
彼の語る仲間の中には、《人でなし》も含まれているのだろう。
「で?うちの秘密はこいつくらいだ。お前さんの秘密を聞かせてもらおうか?」と、ヴェンデルは自分の披露した秘密の対価を求めた。
約束だ。耳にかかった髪を指で拾って、エルフの特徴を残した耳を彼にも見せた。
「俺もアーケイイックの出だよ。父親がエルフで母親が人間だ」
「マジか?」
「は、半分…エルフって、い、言った」
「そうだよ。エルフの縁者に黒髪はないらしいけど、俺は間違いなくハーフエルフだ」
「…たまげたな…
だとしたらお前さん希少種中の希少種だろ?何で人間のフリしてるんだ?」
ヴェンデルの指摘に「訳ありでね」と誤魔化した。
「とにかく、そういうことだ。あんたたちを信用して話したんだから、他に言うなよ?」
「まぁ、それはいいとして…やっぱり俺は騙されたのか?一杯食わされたな…」
「何言ってんだよ?勝手に突っかかってきたのはお前らだろ?
俺はこう見えて、ゲルトの爺さんより少し年下くらいさ。つまりあんたよりは確実に年上だ」
「そんなの詐欺だろ?…ったく…お前ら裏で俺が釣れたと笑ってたんだろ?」
「あぁ。大物が釣れた」と悪びれもせずに笑った。
笑われた男は、いっそ清々しい気分みたいだ。
それとも、もう何を言っても無駄と割り切っているのだろうか?
そうだとしたら、ヴェンデルは俺が思ってたより柔軟な性格のようだ。
俺にはそれがディルクたちの評価と少しズレがあるように感じられた。
俺が訊く事じゃないが、どうにも気になってしまった。
「秘密ついでに訊くけどさ、何で《剃刀ヴォルフ》を追い出したんだ?」
「ん?ディルクがそう言ったのか?」
「まぁ、そんなとこだけど…」
『関係ない』と言って答えるのを拒否するかと思ったが、ヴェンデルは俺が驚くほどあっさりと答えた。
「あの爺さんが引き際を知らんからだ。
困らない程度の金を渡して、勝手に仕事を見つけて田舎に追いやったのさ」
「あいつらはそんなこと言ってなかったけど?」
「俺もあいつらに言ってないからな。
俺も親父も、長く《赤鹿》を支えたヴォルフの奴がつまらない死に方するのは反対だった。
だけど、あの爺さん面倒くせぇんだ。あいつがなかなか首を縦に振らねぇから、俺が悪者になるしかねぇだろうが?
『いい加減、若いのに道を譲れ』って毎日のように催促して、隠居先の面倒まで見て、やっと折れたんだよ」
「なんだよ?あんたただの良い奴じゃんか?」
「そうとも。俺は団のために悪党になったんだ。
団長ってのは時には憎まれ役にもならなきゃならんのさ」
そう嘯く男は苦笑いを浮かべて、「損な役だ」と愚痴をこぼした。
「まぁ、そんなわけだ。あいつらには黙っとけ。今更俺が言い訳したと思われるのも癪だ」
「素直じゃないね」
「あいつらだって、いつまでも後追いするような赤ん坊じゃねぇんだ。現にお前の所でも十分やってるだろ?」
「返さねぇからな」
「ふん。なら、なおの事黙ってるんだな。あいつらが《父ちゃん》恋しさに帰っちまうかもしれねぇぞ」
意地の悪い言い方をしているが、言ってることは俺への忠告だ。
団長としての器は相手の方が上かも知れない。俺はまだヴェンデルほど悪者になることはできないだろう。それが今の俺の限界だ…
それが分かっているから、ゲルトはずるずると《燕》から離れられずにいるのだ…
彼と一緒に離れる奴がいるとしても、それはそれで割り切るべきなのだろう。
「あんた意外とすごいんだな」と、思ったことをそのまま口にした。
俺の言葉を受け取った男は、素直に「おうよ」と誇らしげに応えて笑っていた。
習うべき相手がまた一人増えた。
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