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人でなしと妖精
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「…カイ…次…どうなってる?」
足元で横になっていたアルノーが、俺に状況を訊ねた。
大怪我だっていうのに、アルノーは自分の治療よりも勝負の行方を気にしていた。
負けた負い目があるのだろう。アルノーに続いて、イザークも引き分けに終わった。
苦しい展開だ…
「スーが出るみたいだ。向こうもなんかデカいの出てくるみたいだ」
「スーが?…ディルクは?」
「分からんけど、出てったのはスーだ。
さっき、あのハルバードの奴と話してたし、事情が変わったのかも…」
「マジかよ…スーのやつ、無茶苦茶しなきゃ良いけど…」
「あいつが無茶しないと思ってんのか?」
「…それもそうか」と、アルノーは小さく笑って、苦しそうに顔を歪めた。
「言わんこっちゃねぇ。早く医者に診てもらえ」
「バカ、もう意味ねぇよ…こんなの引っ付いてるだけで、もう俺の足じゃねぇ」
答える声は力が無く、既に自分の事を諦めているようだった。らしくないその姿がアルノーの受けたダメージの大きさを物語っていた。
「カイ…試合…どうなってんのか見えねぇからよ…教えてくれ」
「あぁ」と、親友の願いに頷いて、視線を喧騒の真ん中に戻した。
✩.*˚
てっきり、ディルクが出てくるものだと思っていた…
「あの小僧が、ウチの《人でなし》とやり合うってのか?」
「そう返事してましたがね…」と、伝言を持ち帰ったゲオルグは眉を顰めていた。伝言は預かってきたが、こいつも納得はしていないのだろう。
「『ハンデつける』って言って、魔法は使わないと宣言してましたぜ。その代わり、使う武器だけは自由にさせろって話です」
「マジぃ?《燕》の団長って魔法使いなんだろ?自分からそんな不利な宣言するってどんだけ自信家だよ?」
痛む顎をさすりながらフーゴの奴も気味悪がっていた。
「団長。《黒い妖精》より、他を警戒した方がいいかも知れん。
こんな事は考えたくないけどよ、この不利な状況で、あいつらがあんたの首を狙わないとは思えん。あのロンメルって貴族もあっち寄りなんだろ?
マシューの奴があんたから離れたところで、何か仕掛けてくるかもしれん」
「ふむ…」目を引く役割という事なら、一番目立つあの小僧が出てくる理由も納得できる気がする。
正々堂々と勝負する気はないってのか?
この喧嘩を楽しんでいただけに、期待外れな残念な気分だ。
「お、オデ…どうする?」
黙って話を聞いていたマシューが、珍しく口を挟んだ。
「オデ…旦那守る?」
「いや、お前は次の試合で相手をぶちのめしてくれりゃ良いんだ。できるよな?」
「マシュー。団長は俺たちが付いてるから、心配すんな。お前は暴れて来いよ」
「マズくなったら旦那は逃がすさ。それは俺たちの仕事だ。お前はお前の仕事しな」
ゲオルグらの返事を聞いて、マシューは「分かった」と頷いた。
「遠慮は要らん。暴れて来い」と命令して、《人でなし》を送り出した。
さて…
山のような背中を見送って、別の場所に視線を向けた。
あの爺も動く気配は無い。ディルクも腕を組んだまま、試合を見守っている。他に指示を出すような動きはなかった。
既に配置が終わってると見て良いだろう。
最初からそのつもりだったのか?
「《親衛兵》に、何かあったら動ける用意をさせておけ」
肝の据わった連中だと思っていたが、結局セコい算段をしていたのだろう…
ゲオルグらに指示を出して、次の喧嘩の始まる合図を待った。
✩.*˚
《暴君の腕》とタガーを一本を伴にして、喧嘩の舞台に上がった。
相手は《赤鹿の団》自慢の《人でなし》だ。
相手が目の前に立った時、その二つ名を理解した。
「へぇ…まるで熊だな…」
見上げた巨躯は人間離れしていた。
覆面に覆われた表情は確認することはできないが、隙間から覗く目は凶暴な光で俺を睨んでいる。獣と錯覚するような毛皮を纏った姿は、異質な空気を醸し出してた。
この異様な威圧感を前にしたら、普通の人間なら本能的に逃げ出すに違いない。
「お前が《人でなし》か?」と声を掛けると、野獣のような男はゆっくりと首を縦に振った。当たり前だが、言葉は通じるらしい。
「お…オデ、そ、そ、そう、呼ばれてる…」
覆面の下から吃りながら答える声が聞こえた。聞き取りづらいが聞き取れないほどではない。
デカい手がぬぅっと動いて、不作法に俺を指さした。
「お、オデ…お、お前と、た、戦う…」
「そうだよ、俺がお前の相手だ。《燕の団》の団長。《黒い妖精》のスーだ」
「おま…お前、た、倒したら、団長、よ、よろこぶ…」
「そうかもな」と答えると、《人でなし》は何度も頷いていた。デカい図体のわりに思考は幼いようだ。もしくは表現が下手なのだろうか?
「お、オデ、だ、団長に、ま、まかさ、れた…
た、戦う…こ、殺さない…か、勝つ…」
《人でなし》は、確認するようにぶつぶつと覆面の下で呟いて、俺に向けていた指を降ろした。
「おーい!もう合図していいのか?」と、俺たちの様子を伺っていたワルターの声が聞こえた。
「もう始めるけど、確認することあるか?」と一応|《人でなし》に訊ねると、相手は覆面の下で何かもごもごと声を発した。
「え?なに?」
「お、オデ…か、勝っても、ず、ズルするな…」
「あぁ。そんなことしないよ」
どうやら、俺たちが負けたら何か仕掛けるんじゃないかと心配しているようだ。こいつの考えなのか、向こうの団長の邪推なのかは分からないが、そう思われるのは心外だ。
「だ、団長と…約束…ま、守る?」
「守るさ。お前たちも約束守るんだろ?」
俺の返事に《人でなし》は満足そうにゆっくりと深く頷いて、引き摺るように持ち込んだ棍棒を両手で構えた。
太い棍棒には滑り止めのような動物の皮が巻かれていて、金属のスパイクが撃ち込まれていた。
『殺さない』って言ってたけど、その棍棒からは殺意しか感じないな…
これはかすっただけでも大怪我しそうだ。直撃なら確実に死ぬんじゃないか?
ワルターに準備ができたと手を振って合図した。
合図を受け取ったワルターは頷いて、《赤鹿の団》にも視線を向けた。双方用意ができたのを確認して、ワルターがよく響く声で野次馬に状況を説明した。
「待たせたな!前の試合が引き分けたってんで、《赤鹿》《燕》の双方から、この試合の結果で勝敗着けると話があった!
大将戦だ!どんな結果でも文句言うんじゃねぇぞ!」
ワルターの宣言に、観客から大きな歓声が上がった。
煽るような男たちの声が重なって、夜の空気は震えながら熱を帯びた。
辺りは異常な熱気に包まれ、日常から切り離された空気に俺の気持ちも昂った。
腕に着けた《暴君の腕》が、周りの熱気に呼応するようにジワリと魔力を吸うのを感じた。
《暴君の腕》は、俺以上にこの勝負を楽しみにしているようだ…
炙られるような熱気を含んだ空気に、「始めろ!」と言うワルターからの合図が発せられた。
「おおおォォ!!!」
開始の合図と同時に、覆面の下から響いた獣のような咆哮が夜気を震わせた。
その一声で、辺りに立ち込めていた熱気も喧騒も吹き飛んでしまったようだ。
熱気に取って代わった恐怖の静寂がその場を支配した…
その静けさは、《人でなし》の振るった棍棒が裂く空気の振るえまで鮮明に聞こえるほどだ。
《人でなし》の振るった棍棒は俺が立っていた場所に振り下ろされると、大きく地面を抉った。その強い衝撃で足元が不安定に揺れた。
とんでもない膂力だな…人間じゃないみたいだ…
地面を殴りつけた棍棒は、まるで重さを感じさせないような動きで翻ると、続けざまに空気を切り裂いた。
棍棒の軌道は大振りで、避けるの自体は然程苦労しないが、振り回す際に発生する風に煽られる。間一髪で避けても、この暴風のような攻撃は避けきれない。
太い棍棒を小枝のように振り回す姿だけでも、十分なプレッシャーだ。
並みの人間なら、草を刈り取るようにこの棍棒の餌食になったことだろう…
「…へぇ…こりゃちょっと面倒だな…」
魔法が使えたら一瞬で片が付いたろうが、その優位を手放したのは俺だ。
《縮地》で大きめに間合いを取ると、《縮地》の速さに付いてこれなかった《人でなし》は不思議そうに首を傾げた。
「お、お前、ず、ズルした?」
《縮地》が理解できずに、子供のように指摘する姿は、凶悪な攻撃を繰り出す彼とかけ離れて幼稚に見えた。
「《縮地》っていうんだ。魔法じゃないからズルじゃない」
苦笑いをしながら《人でなし》に答えた。
離れた位置で呼吸を整え、もう一度|《縮地》を踏んで今度は距離を詰めた。
一瞬で間合いを詰めて、《暴君の腕》を付けた腕を振るった。
「わ、わっ!」《縮地》に対応できなかった《人でなし》の驚く声が覆面の下から漏れた。
拳で相手の脇腹を殴って、すぐにまた離れた。
間一髪で、俺の立っていた地面は振り下ろされた棍棒に抉られた。
「…へぇ…」
感心する声を漏らしたのは、《人でなし》の反応に対してではない。
《暴君の腕》から、俺から魔力が吸われる感覚と、それと交換するように何かが流れ込むのを感じた。
身体が軽くなるのと同時に感じた高揚感。さらなる暴力を求める感覚…
確かに、ディルクらが警戒していた通り、これはやばいものみたいだ。
こいつは俺の魔力が尽きるまで暴力を求め続けるだろう。一発殴っただけでこれだ。呪物と呼ばれるのも納得だな…
「《暴君》。お前なかなかエグイよ…」
《暴君の腕》に声を掛けて拳を構えた。
《もっと、もっと》と強請る声が聞こえてきそうだ。
こいつは暴力に乾いている…
「いいよ、《暴君》。今だけはお前のおねだりに乗ってやるよ」
戦いの相棒に応えて拳を構えた。
呼吸を整えて、《縮地》で間合いを詰める。
俺が仕掛けたのを見て、《人でなし》も素早く反応した。
目の前で棍棒が、用意された罠のように高く掲げられた。
早さなら俺の方が分があると思っていたが、棍棒を振り上げた太い腕は、その見た目に反して素早かった。
間一髪で避けた棍棒は、風を纏いながら俺の服を掠めた。
凶器が地面に触れた瞬間、ズンっと腹に響くような衝撃が足元の地面を揺らした。
あっぶねぇな…
さすがの俺もヒヤリとした。
相手に叩き込んだ《暴君の腕》には、確実な手応えはなかった。
まだ、足りないか…
拳を叩き込まれた《人でなし》は、煩い蝿でも相手にするように、棍棒を振り回して俺を追い払った。
《人でなし》から離れて、棍棒が掠めた服を確認した。
「げー…穴空いた…」
手探りで確認すると、背中側、左肩の辺りの布が少し裂けていた。
棍棒の金具が引っかかったのだろうか?
これはこれでショックだ…
「最悪…」
気に入っていた他所行きの服だっただけにガッカリだ…着替えりゃ良かった…
辺りを見回していた《人でなし》が俺を見つけて、デカい身体を揺らしながらやって来て、頭巾の下から吃る声で訊ねた。
「お、お前…やっ、やっぱり、魔法…つ、使ってる?」
「だから違うってば。《縮地》っていう特別な歩き方だよ」と返すと、《人でなし》は覆面の下で首を傾げる動作をした。
「お、お前、エ、エルフか?」
想定外の質問に驚いて返事をし損ねた。
俺の返事を待たずに、《人でなし》が覆面の下から吃る声で話を続けた。
「お、お前、に、匂いする…エ、エルフ…よ、妖精の、匂い…で、でも、少し違う…」
「匂い?」
「お、オデ、鼻が利く…ち、近く、分かる…お、お前、人間じゃない…」
「…へぇ」
そんなこと今まで指摘された事なかった。
「いいことと聞いたよ。ありがとう」と答えて、耳を隠していた髪を指先で退かして見せた。
「俺はアーケイイックの出なんだ。エルフってのは半分当たってる。
お前は?」
人とエルフを嗅ぎ分けるなんて、人間にはできない芸当だろう。こいつも俺と同じと踏んだ。
返事を待ったが、《人でなし》は困ったように「うぅ…」と唸って背中を丸めた。
「オデ…だ、団長に、は、話すなって…い、言われてる」
「ふぅん…」
何やら都合があるのだろう。彼の出で立ちとも関係があるのだろうか?
ディルクらは《人でなし》の事を、『《祝福持ち》って触れ込みだが、誰もあいつの正体を知らねぇんだ』と言っていた。
なんだ。俺と同じ訳ありか…
「お前さ、《祝福》あるのか?」と単刀直入に訊ねると、《人でなし》は頭巾の頭を不思議そうに傾げた。
「オデ、これだけだ」と答えた《人でなし》は棍棒を掲げて見せた。
その彼からは、《祝福持ち》のような特別な気配は感じられなかった。
✩.*˚
『《マシュー》。お前は今日からマシューだ』
オデを檻から出してくれた人間は、オデに名前と食い物をくれた…
『俺の役に立つなら、お前を仲間にしてやる』
団長はそう約束してくれた。
群れを外れたオデには帰る場所がないから、頷くしか無かった。
でも、オデは、それが嬉しかったんだぁ…
『目立つから顔は隠した方がいいな…お前だって、見世物みたいになるのは嫌だろ?』
団長はオデを引き取って、オデを《人間》にして、仲間にしてくれた…
人間らしい服も用意してくれた。
馬小屋だけど寝床もくれた。
ひもじくないよう食い物もくれた。
傭兵になって、オデは、団長の役に立つって誓った。
オデは、団長の役にたたなきゃなんねぇんだ…
「マシュー!ぶっ殺せ!」「叩き潰せ!」
わぁわぁと、オデを煽る声が届く。
団長…団長もオデがそうしたら喜んでくれるんか?
目の前の男は女みたいな顔をしていた。人間の中でも細く頼りなさそうに見える。
その身体をぺちゃんこに潰すのは簡単そうに見えたが、虫のように素早く動き回る男を捕らえることができずにいた。
戦いながら、相手の匂いの中に懐かしい臭いを拾った。
…こいつ、人間じゃない…オデ、この匂い知ってる…
「お、お前、エ、エルフか?」
オデの質問に、相手の男は驚いた顔をしてオデを見返した。頭の良くないオデでもその反応が答えだって分かる。
「お、お前、に、匂いする…エ、エルフ…よ、妖精の、匂い…で、でも、少し違う…」
「匂い?」
「お、オデ、鼻が利く…ち、近く、分かる…お、お前、人間じゃない…」
「…へぇ」と感心したように呟いて、男はオデをまっすぐに見上げた。その目はオデに怯えるでもなく、蔑むでもない、団長と同じ光を含んでいた。
「いいこと聞いた。ありがとう」と答えた男は、指で髪を梳いてオデに耳を見せた。少し尖った、人とは違う形の耳が見えた。
「俺はアーケイイックの出なんだ。エルフってのは半分当たってる。
お前は?」
そんな返事が返ってくるとは思っていなかった。どうしたらいいか分からないが、団長からはオデの正体は《内緒》と言われていた。
「オデ…だ、団長に、は、話すなって…い、言われてる」
「ふぅん…」と呟いた男はそれ以上追及しなかった。興味ないのか、察してくれたのか…とにかく、オデは助かった。
オデの戦う相手はオデの正体を探るのは諦めて、質問を代えた。
「お前さ、《祝福》あるのか?」
何でそんなことを訊くのか分からなかったが、さっきの質問に答えなかった代わりに、この質問には答えた。
「オデ、これだけだ」と棍棒を胸の前に掲げて見せた。
「それは答えてくれるんだな。お前割といい奴だ」
《半分エルフ》と答えた男はそう言って笑った。その姿はオデを怖がっちゃいなかった。紫色に輝く瞳は、オデを《人間》みたいに見ていた…
『俺の役に立て』と言って仲間にしてくれた団長と同じ目だ…
手にした棍棒を降ろしたくなる気持ちが湧いた。
でも、それは許されないって知ってる…
オデが負けたら、団長の役には立てない…
「オデ、お、お前殺さない…こ、降参しろ」
一発でぺちゃんこになりそうな男に降参を呼びかけたが、相手は困ったように笑って、子供みたいに「やだよ」と答えた。
「俺も団の解散がかかってるから譲れないって。悪いな」
謝りながら、男は拳を構えた。華奢な小さな手だ。それでオデを降参させるのは無理に見えた。何もできずに潰されるのがオチだ…
仕方なく棍棒を掲げて、子供みたいな男に向かって振り下ろした。
相手はチビ助だ。直撃でなくともちょっとでも引っかけて怪我を負わせれば、びびって戦うのを止めるはずだ。
振り下ろした棍棒を躱した男は、後ろにではなく前に出た。
空振りした棍棒を振り上げるのは諦めて、素手で薙ぎ払うように腕を振るった。
叩き付けたはずの手のひらには何の手応えもない。触れられない相手は幽霊のように目の前から消え失せて、背中に痛みを感じて振り返った。
手のひらで殴る直前に、オデを飛び越えたのか、それとも脇をすり抜けたのか分からないが、相手はオデの背後に回り込んでいた。
殴られた背中は少し痛みを残していたが、動けなくなるようなものじゃない。
でもさっき殴られたのより、少しだけ拳が重くなっているように思えた。
「頑丈だな《人でなし》」
「ま、マシューだ…お、オデの名前。だ、団長に、も、もらったんだ」
「へぇ。名前で呼んだ方がいいのか?
俺は《黒い妖精》のスーだよ。二つ名は《黒腕》のゲルトにもらった」
人見知りしない子供みたいに、彼はオデに名前を教えた。
「マシュー。俺が勝ったら《燕》に来いよ。歓迎してやるからさ」
「い、いや、だ。オデは、だ、団長に、や、役に立つって、や、約束した…」
オデは相手の誘いを断ったのに、スーはオデの返事に嬉しそうな顔を見せた。
「へぇ。俺と一緒だ。
ますますお前欲しくなったよ」
オデと一緒?わけが分からない…
目の前の男は、上手く人間に溶け込んでいるように見える。
オデは、団長以外に仲間にしてくれる奴居ない…
「マシュー!」
突然人混みの方から団長の通る声が聞こえてきた。
「何やってる?!遠慮はいらん!本気で叩き潰せ!」
団長は、オデが手を抜いてると思ったみたいだ…
確かに、こんなチビで苦戦するなんて思いもしなかった…
早く片付けて、団長のところに戻らにゃ、悪い奴らが団長を襲うかもしれない。
いつもブツブツ言いながら、団長を守ってる《バジリスク》もまだ動けないだろう。
オデが傍に付いてないと…
棍棒を握る手に力を込めた。筋肉がミシミシと軋む音で、オデの心が奮い立った。深く息を吸って、オデの身体を戦士の身体へと作り替えた。
体中が熱くなる。血のめぐる感覚が力になって身体に満ちる。
「おおおぉ!!」雄叫びを上げて棍棒を振り上げた。
《戦士》になったオデの一族を止められる人間なんて無い。オデはその枠から外れてしまったが、その心も誇りも忘れてはいない。
棍棒の重さを忘れて振り回した。棒切れを振り回すような感覚で、手に馴染んだ棍棒を振るって目の前の男を襲った。
身軽な《黒い妖精》は、羽でもあるかのように軽やかにオデの棍棒を避けた。
当たらない相手に立て続けに棍棒を振るい続けた。
その間も、《妖精》はオデの隙を見て拳を打ち込んできた。
《妖精》の拳は不思議だ。殴る度に拳が重くなる。
その拳はついには、オデの《戦士》の身体にまでダメージを与えるほどになった。
打ち込まれた拳はオデの呻き声を引き出して、膝を折らせた。
何でだ?分からない?あんなに細い腕にオデが負けるはずないのに…
「どうした?もう降参するか?」
降参を呼びかける《妖精》も息が上がっている。相手も疲れているのは間違いない。あいつも疲れてる。オデはまだ負けてない…
吠えながら振り上げた棍棒は、透き通った身体を通過するように、地面にくい込んだ。
何度やってもこの男には触れられない…
当たれば…当たりさえすれば、オデの勝ちなのに…
「ち、ちくしょう…なんで?あ、当たらないんだ?」
焦りが口からついて出た。《妖精》は綺麗な顔で笑って答えた。
「お前は強いよ、マシュー。でも相手が悪かったな。俺はお前以上に負けられないんだ」
《妖精》を名乗る男は不敵に笑うと、オデの攻撃をかいくぐって拳を叩き込んだ。細い腕から繰り出される攻撃は、オデの筋肉を通り越して奥に到達した。
「うあ…ああぁ…」強烈な痛みが身体の芯にまで響いた。
痛い…痛い痛い…怖い…
オデより小さいこの男に…この《妖精》に恐怖を覚えた…
棍棒を持つ腕が上がらない…
よろめいて後ろに下がったオデを追うように《妖精》が前に出た。
紫の目に射抜かれて、本能的に後ろに下がってしまう。
駄目なのに…これじゃ、オデ、《役立たず》だ…
オデじゃ、こいつに勝てないと、認めてしまった…
✩.*˚
変な感覚に浸っていた。
疲れているのに、闘争心だけはみなぎっている。凶暴な衝動が《暴君の腕》から流れ込み、さらなる暴力を求めた。
気を抜いたら俺の身体ごと乗っ取られてしまいそうだ。
《人でなし》を殴った分だけ拳は俺の魔力を奪って力を溜め込んだ。
《縮地》を踏む足も軽い。拳と言い、足取りと言い、確かに身体能力は格段に上がっている。おかげで、マシューが繰り出す攻撃も簡単に躱すことができた。
使いどころは限られるが、確かにこれは《良い物》かもしれない。
拳を握って《人でなし》に叩き込むと、《人でなし》の口から今まで無かった悲鳴が上がった。
よろめきながら下がる相手の様子に手ごたえを感じた。ついにこの頑丈な巨漢を支配できるほどの力を手に入れた。
《もっと…もっと…》
凶暴な《腕》から伝わる感覚が俺を突き動かしていた。
拳を握って、間合いを詰めるために前に出た俺を見て、頭巾の隙間から覗く目に陰りが見えた。
その目は既に負けを認めているように見えた。
握った拳を相手の胴に叩き込んだ。
確かな暴力の手ごたえと、ミシミシと何かが軋むような音が聞こえた。
「うぅ…」
頭巾の下から苦しそうなうめき声が聞こえて、《人でなし》は地面に膝をついた。大きな身体が傾いでゆっくりと地面に倒れ込む。
握っていられなくなった棍棒は投げ出されて、持ち主と同じように地面に転がった。
この光景を前にして、あれほど煩かった観客の野次が消え、辺りは静寂に包まれた。
この光景が信じられないのだろう。今、この場で立っているのは、強そうに見えた巨漢ではなく、番狂わせの《妖精》だ。
これはこれで気持ちいい。
驚愕を含んだ静けさを噛みしめていると、静まり返った空気を追い払うような拍手が静寂に響いた。
「勝負ありだ!この勝負、《燕の団》の勝ちだ!文句はねぇよな?」
ワルターの宣言を皮切りに、わぁっと歓声とも悲鳴とも取れるような声が上がり、勝負の幕引きを告げた。
足元で横になっていたアルノーが、俺に状況を訊ねた。
大怪我だっていうのに、アルノーは自分の治療よりも勝負の行方を気にしていた。
負けた負い目があるのだろう。アルノーに続いて、イザークも引き分けに終わった。
苦しい展開だ…
「スーが出るみたいだ。向こうもなんかデカいの出てくるみたいだ」
「スーが?…ディルクは?」
「分からんけど、出てったのはスーだ。
さっき、あのハルバードの奴と話してたし、事情が変わったのかも…」
「マジかよ…スーのやつ、無茶苦茶しなきゃ良いけど…」
「あいつが無茶しないと思ってんのか?」
「…それもそうか」と、アルノーは小さく笑って、苦しそうに顔を歪めた。
「言わんこっちゃねぇ。早く医者に診てもらえ」
「バカ、もう意味ねぇよ…こんなの引っ付いてるだけで、もう俺の足じゃねぇ」
答える声は力が無く、既に自分の事を諦めているようだった。らしくないその姿がアルノーの受けたダメージの大きさを物語っていた。
「カイ…試合…どうなってんのか見えねぇからよ…教えてくれ」
「あぁ」と、親友の願いに頷いて、視線を喧騒の真ん中に戻した。
✩.*˚
てっきり、ディルクが出てくるものだと思っていた…
「あの小僧が、ウチの《人でなし》とやり合うってのか?」
「そう返事してましたがね…」と、伝言を持ち帰ったゲオルグは眉を顰めていた。伝言は預かってきたが、こいつも納得はしていないのだろう。
「『ハンデつける』って言って、魔法は使わないと宣言してましたぜ。その代わり、使う武器だけは自由にさせろって話です」
「マジぃ?《燕》の団長って魔法使いなんだろ?自分からそんな不利な宣言するってどんだけ自信家だよ?」
痛む顎をさすりながらフーゴの奴も気味悪がっていた。
「団長。《黒い妖精》より、他を警戒した方がいいかも知れん。
こんな事は考えたくないけどよ、この不利な状況で、あいつらがあんたの首を狙わないとは思えん。あのロンメルって貴族もあっち寄りなんだろ?
マシューの奴があんたから離れたところで、何か仕掛けてくるかもしれん」
「ふむ…」目を引く役割という事なら、一番目立つあの小僧が出てくる理由も納得できる気がする。
正々堂々と勝負する気はないってのか?
この喧嘩を楽しんでいただけに、期待外れな残念な気分だ。
「お、オデ…どうする?」
黙って話を聞いていたマシューが、珍しく口を挟んだ。
「オデ…旦那守る?」
「いや、お前は次の試合で相手をぶちのめしてくれりゃ良いんだ。できるよな?」
「マシュー。団長は俺たちが付いてるから、心配すんな。お前は暴れて来いよ」
「マズくなったら旦那は逃がすさ。それは俺たちの仕事だ。お前はお前の仕事しな」
ゲオルグらの返事を聞いて、マシューは「分かった」と頷いた。
「遠慮は要らん。暴れて来い」と命令して、《人でなし》を送り出した。
さて…
山のような背中を見送って、別の場所に視線を向けた。
あの爺も動く気配は無い。ディルクも腕を組んだまま、試合を見守っている。他に指示を出すような動きはなかった。
既に配置が終わってると見て良いだろう。
最初からそのつもりだったのか?
「《親衛兵》に、何かあったら動ける用意をさせておけ」
肝の据わった連中だと思っていたが、結局セコい算段をしていたのだろう…
ゲオルグらに指示を出して、次の喧嘩の始まる合図を待った。
✩.*˚
《暴君の腕》とタガーを一本を伴にして、喧嘩の舞台に上がった。
相手は《赤鹿の団》自慢の《人でなし》だ。
相手が目の前に立った時、その二つ名を理解した。
「へぇ…まるで熊だな…」
見上げた巨躯は人間離れしていた。
覆面に覆われた表情は確認することはできないが、隙間から覗く目は凶暴な光で俺を睨んでいる。獣と錯覚するような毛皮を纏った姿は、異質な空気を醸し出してた。
この異様な威圧感を前にしたら、普通の人間なら本能的に逃げ出すに違いない。
「お前が《人でなし》か?」と声を掛けると、野獣のような男はゆっくりと首を縦に振った。当たり前だが、言葉は通じるらしい。
「お…オデ、そ、そ、そう、呼ばれてる…」
覆面の下から吃りながら答える声が聞こえた。聞き取りづらいが聞き取れないほどではない。
デカい手がぬぅっと動いて、不作法に俺を指さした。
「お、オデ…お、お前と、た、戦う…」
「そうだよ、俺がお前の相手だ。《燕の団》の団長。《黒い妖精》のスーだ」
「おま…お前、た、倒したら、団長、よ、よろこぶ…」
「そうかもな」と答えると、《人でなし》は何度も頷いていた。デカい図体のわりに思考は幼いようだ。もしくは表現が下手なのだろうか?
「お、オデ、だ、団長に、ま、まかさ、れた…
た、戦う…こ、殺さない…か、勝つ…」
《人でなし》は、確認するようにぶつぶつと覆面の下で呟いて、俺に向けていた指を降ろした。
「おーい!もう合図していいのか?」と、俺たちの様子を伺っていたワルターの声が聞こえた。
「もう始めるけど、確認することあるか?」と一応|《人でなし》に訊ねると、相手は覆面の下で何かもごもごと声を発した。
「え?なに?」
「お、オデ…か、勝っても、ず、ズルするな…」
「あぁ。そんなことしないよ」
どうやら、俺たちが負けたら何か仕掛けるんじゃないかと心配しているようだ。こいつの考えなのか、向こうの団長の邪推なのかは分からないが、そう思われるのは心外だ。
「だ、団長と…約束…ま、守る?」
「守るさ。お前たちも約束守るんだろ?」
俺の返事に《人でなし》は満足そうにゆっくりと深く頷いて、引き摺るように持ち込んだ棍棒を両手で構えた。
太い棍棒には滑り止めのような動物の皮が巻かれていて、金属のスパイクが撃ち込まれていた。
『殺さない』って言ってたけど、その棍棒からは殺意しか感じないな…
これはかすっただけでも大怪我しそうだ。直撃なら確実に死ぬんじゃないか?
ワルターに準備ができたと手を振って合図した。
合図を受け取ったワルターは頷いて、《赤鹿の団》にも視線を向けた。双方用意ができたのを確認して、ワルターがよく響く声で野次馬に状況を説明した。
「待たせたな!前の試合が引き分けたってんで、《赤鹿》《燕》の双方から、この試合の結果で勝敗着けると話があった!
大将戦だ!どんな結果でも文句言うんじゃねぇぞ!」
ワルターの宣言に、観客から大きな歓声が上がった。
煽るような男たちの声が重なって、夜の空気は震えながら熱を帯びた。
辺りは異常な熱気に包まれ、日常から切り離された空気に俺の気持ちも昂った。
腕に着けた《暴君の腕》が、周りの熱気に呼応するようにジワリと魔力を吸うのを感じた。
《暴君の腕》は、俺以上にこの勝負を楽しみにしているようだ…
炙られるような熱気を含んだ空気に、「始めろ!」と言うワルターからの合図が発せられた。
「おおおォォ!!!」
開始の合図と同時に、覆面の下から響いた獣のような咆哮が夜気を震わせた。
その一声で、辺りに立ち込めていた熱気も喧騒も吹き飛んでしまったようだ。
熱気に取って代わった恐怖の静寂がその場を支配した…
その静けさは、《人でなし》の振るった棍棒が裂く空気の振るえまで鮮明に聞こえるほどだ。
《人でなし》の振るった棍棒は俺が立っていた場所に振り下ろされると、大きく地面を抉った。その強い衝撃で足元が不安定に揺れた。
とんでもない膂力だな…人間じゃないみたいだ…
地面を殴りつけた棍棒は、まるで重さを感じさせないような動きで翻ると、続けざまに空気を切り裂いた。
棍棒の軌道は大振りで、避けるの自体は然程苦労しないが、振り回す際に発生する風に煽られる。間一髪で避けても、この暴風のような攻撃は避けきれない。
太い棍棒を小枝のように振り回す姿だけでも、十分なプレッシャーだ。
並みの人間なら、草を刈り取るようにこの棍棒の餌食になったことだろう…
「…へぇ…こりゃちょっと面倒だな…」
魔法が使えたら一瞬で片が付いたろうが、その優位を手放したのは俺だ。
《縮地》で大きめに間合いを取ると、《縮地》の速さに付いてこれなかった《人でなし》は不思議そうに首を傾げた。
「お、お前、ず、ズルした?」
《縮地》が理解できずに、子供のように指摘する姿は、凶悪な攻撃を繰り出す彼とかけ離れて幼稚に見えた。
「《縮地》っていうんだ。魔法じゃないからズルじゃない」
苦笑いをしながら《人でなし》に答えた。
離れた位置で呼吸を整え、もう一度|《縮地》を踏んで今度は距離を詰めた。
一瞬で間合いを詰めて、《暴君の腕》を付けた腕を振るった。
「わ、わっ!」《縮地》に対応できなかった《人でなし》の驚く声が覆面の下から漏れた。
拳で相手の脇腹を殴って、すぐにまた離れた。
間一髪で、俺の立っていた地面は振り下ろされた棍棒に抉られた。
「…へぇ…」
感心する声を漏らしたのは、《人でなし》の反応に対してではない。
《暴君の腕》から、俺から魔力が吸われる感覚と、それと交換するように何かが流れ込むのを感じた。
身体が軽くなるのと同時に感じた高揚感。さらなる暴力を求める感覚…
確かに、ディルクらが警戒していた通り、これはやばいものみたいだ。
こいつは俺の魔力が尽きるまで暴力を求め続けるだろう。一発殴っただけでこれだ。呪物と呼ばれるのも納得だな…
「《暴君》。お前なかなかエグイよ…」
《暴君の腕》に声を掛けて拳を構えた。
《もっと、もっと》と強請る声が聞こえてきそうだ。
こいつは暴力に乾いている…
「いいよ、《暴君》。今だけはお前のおねだりに乗ってやるよ」
戦いの相棒に応えて拳を構えた。
呼吸を整えて、《縮地》で間合いを詰める。
俺が仕掛けたのを見て、《人でなし》も素早く反応した。
目の前で棍棒が、用意された罠のように高く掲げられた。
早さなら俺の方が分があると思っていたが、棍棒を振り上げた太い腕は、その見た目に反して素早かった。
間一髪で避けた棍棒は、風を纏いながら俺の服を掠めた。
凶器が地面に触れた瞬間、ズンっと腹に響くような衝撃が足元の地面を揺らした。
あっぶねぇな…
さすがの俺もヒヤリとした。
相手に叩き込んだ《暴君の腕》には、確実な手応えはなかった。
まだ、足りないか…
拳を叩き込まれた《人でなし》は、煩い蝿でも相手にするように、棍棒を振り回して俺を追い払った。
《人でなし》から離れて、棍棒が掠めた服を確認した。
「げー…穴空いた…」
手探りで確認すると、背中側、左肩の辺りの布が少し裂けていた。
棍棒の金具が引っかかったのだろうか?
これはこれでショックだ…
「最悪…」
気に入っていた他所行きの服だっただけにガッカリだ…着替えりゃ良かった…
辺りを見回していた《人でなし》が俺を見つけて、デカい身体を揺らしながらやって来て、頭巾の下から吃る声で訊ねた。
「お、お前…やっ、やっぱり、魔法…つ、使ってる?」
「だから違うってば。《縮地》っていう特別な歩き方だよ」と返すと、《人でなし》は覆面の下で首を傾げる動作をした。
「お、お前、エ、エルフか?」
想定外の質問に驚いて返事をし損ねた。
俺の返事を待たずに、《人でなし》が覆面の下から吃る声で話を続けた。
「お、お前、に、匂いする…エ、エルフ…よ、妖精の、匂い…で、でも、少し違う…」
「匂い?」
「お、オデ、鼻が利く…ち、近く、分かる…お、お前、人間じゃない…」
「…へぇ」
そんなこと今まで指摘された事なかった。
「いいことと聞いたよ。ありがとう」と答えて、耳を隠していた髪を指先で退かして見せた。
「俺はアーケイイックの出なんだ。エルフってのは半分当たってる。
お前は?」
人とエルフを嗅ぎ分けるなんて、人間にはできない芸当だろう。こいつも俺と同じと踏んだ。
返事を待ったが、《人でなし》は困ったように「うぅ…」と唸って背中を丸めた。
「オデ…だ、団長に、は、話すなって…い、言われてる」
「ふぅん…」
何やら都合があるのだろう。彼の出で立ちとも関係があるのだろうか?
ディルクらは《人でなし》の事を、『《祝福持ち》って触れ込みだが、誰もあいつの正体を知らねぇんだ』と言っていた。
なんだ。俺と同じ訳ありか…
「お前さ、《祝福》あるのか?」と単刀直入に訊ねると、《人でなし》は頭巾の頭を不思議そうに傾げた。
「オデ、これだけだ」と答えた《人でなし》は棍棒を掲げて見せた。
その彼からは、《祝福持ち》のような特別な気配は感じられなかった。
✩.*˚
『《マシュー》。お前は今日からマシューだ』
オデを檻から出してくれた人間は、オデに名前と食い物をくれた…
『俺の役に立つなら、お前を仲間にしてやる』
団長はそう約束してくれた。
群れを外れたオデには帰る場所がないから、頷くしか無かった。
でも、オデは、それが嬉しかったんだぁ…
『目立つから顔は隠した方がいいな…お前だって、見世物みたいになるのは嫌だろ?』
団長はオデを引き取って、オデを《人間》にして、仲間にしてくれた…
人間らしい服も用意してくれた。
馬小屋だけど寝床もくれた。
ひもじくないよう食い物もくれた。
傭兵になって、オデは、団長の役に立つって誓った。
オデは、団長の役にたたなきゃなんねぇんだ…
「マシュー!ぶっ殺せ!」「叩き潰せ!」
わぁわぁと、オデを煽る声が届く。
団長…団長もオデがそうしたら喜んでくれるんか?
目の前の男は女みたいな顔をしていた。人間の中でも細く頼りなさそうに見える。
その身体をぺちゃんこに潰すのは簡単そうに見えたが、虫のように素早く動き回る男を捕らえることができずにいた。
戦いながら、相手の匂いの中に懐かしい臭いを拾った。
…こいつ、人間じゃない…オデ、この匂い知ってる…
「お、お前、エ、エルフか?」
オデの質問に、相手の男は驚いた顔をしてオデを見返した。頭の良くないオデでもその反応が答えだって分かる。
「お、お前、に、匂いする…エ、エルフ…よ、妖精の、匂い…で、でも、少し違う…」
「匂い?」
「お、オデ、鼻が利く…ち、近く、分かる…お、お前、人間じゃない…」
「…へぇ」と感心したように呟いて、男はオデをまっすぐに見上げた。その目はオデに怯えるでもなく、蔑むでもない、団長と同じ光を含んでいた。
「いいこと聞いた。ありがとう」と答えた男は、指で髪を梳いてオデに耳を見せた。少し尖った、人とは違う形の耳が見えた。
「俺はアーケイイックの出なんだ。エルフってのは半分当たってる。
お前は?」
そんな返事が返ってくるとは思っていなかった。どうしたらいいか分からないが、団長からはオデの正体は《内緒》と言われていた。
「オデ…だ、団長に、は、話すなって…い、言われてる」
「ふぅん…」と呟いた男はそれ以上追及しなかった。興味ないのか、察してくれたのか…とにかく、オデは助かった。
オデの戦う相手はオデの正体を探るのは諦めて、質問を代えた。
「お前さ、《祝福》あるのか?」
何でそんなことを訊くのか分からなかったが、さっきの質問に答えなかった代わりに、この質問には答えた。
「オデ、これだけだ」と棍棒を胸の前に掲げて見せた。
「それは答えてくれるんだな。お前割といい奴だ」
《半分エルフ》と答えた男はそう言って笑った。その姿はオデを怖がっちゃいなかった。紫色に輝く瞳は、オデを《人間》みたいに見ていた…
『俺の役に立て』と言って仲間にしてくれた団長と同じ目だ…
手にした棍棒を降ろしたくなる気持ちが湧いた。
でも、それは許されないって知ってる…
オデが負けたら、団長の役には立てない…
「オデ、お、お前殺さない…こ、降参しろ」
一発でぺちゃんこになりそうな男に降参を呼びかけたが、相手は困ったように笑って、子供みたいに「やだよ」と答えた。
「俺も団の解散がかかってるから譲れないって。悪いな」
謝りながら、男は拳を構えた。華奢な小さな手だ。それでオデを降参させるのは無理に見えた。何もできずに潰されるのがオチだ…
仕方なく棍棒を掲げて、子供みたいな男に向かって振り下ろした。
相手はチビ助だ。直撃でなくともちょっとでも引っかけて怪我を負わせれば、びびって戦うのを止めるはずだ。
振り下ろした棍棒を躱した男は、後ろにではなく前に出た。
空振りした棍棒を振り上げるのは諦めて、素手で薙ぎ払うように腕を振るった。
叩き付けたはずの手のひらには何の手応えもない。触れられない相手は幽霊のように目の前から消え失せて、背中に痛みを感じて振り返った。
手のひらで殴る直前に、オデを飛び越えたのか、それとも脇をすり抜けたのか分からないが、相手はオデの背後に回り込んでいた。
殴られた背中は少し痛みを残していたが、動けなくなるようなものじゃない。
でもさっき殴られたのより、少しだけ拳が重くなっているように思えた。
「頑丈だな《人でなし》」
「ま、マシューだ…お、オデの名前。だ、団長に、も、もらったんだ」
「へぇ。名前で呼んだ方がいいのか?
俺は《黒い妖精》のスーだよ。二つ名は《黒腕》のゲルトにもらった」
人見知りしない子供みたいに、彼はオデに名前を教えた。
「マシュー。俺が勝ったら《燕》に来いよ。歓迎してやるからさ」
「い、いや、だ。オデは、だ、団長に、や、役に立つって、や、約束した…」
オデは相手の誘いを断ったのに、スーはオデの返事に嬉しそうな顔を見せた。
「へぇ。俺と一緒だ。
ますますお前欲しくなったよ」
オデと一緒?わけが分からない…
目の前の男は、上手く人間に溶け込んでいるように見える。
オデは、団長以外に仲間にしてくれる奴居ない…
「マシュー!」
突然人混みの方から団長の通る声が聞こえてきた。
「何やってる?!遠慮はいらん!本気で叩き潰せ!」
団長は、オデが手を抜いてると思ったみたいだ…
確かに、こんなチビで苦戦するなんて思いもしなかった…
早く片付けて、団長のところに戻らにゃ、悪い奴らが団長を襲うかもしれない。
いつもブツブツ言いながら、団長を守ってる《バジリスク》もまだ動けないだろう。
オデが傍に付いてないと…
棍棒を握る手に力を込めた。筋肉がミシミシと軋む音で、オデの心が奮い立った。深く息を吸って、オデの身体を戦士の身体へと作り替えた。
体中が熱くなる。血のめぐる感覚が力になって身体に満ちる。
「おおおぉ!!」雄叫びを上げて棍棒を振り上げた。
《戦士》になったオデの一族を止められる人間なんて無い。オデはその枠から外れてしまったが、その心も誇りも忘れてはいない。
棍棒の重さを忘れて振り回した。棒切れを振り回すような感覚で、手に馴染んだ棍棒を振るって目の前の男を襲った。
身軽な《黒い妖精》は、羽でもあるかのように軽やかにオデの棍棒を避けた。
当たらない相手に立て続けに棍棒を振るい続けた。
その間も、《妖精》はオデの隙を見て拳を打ち込んできた。
《妖精》の拳は不思議だ。殴る度に拳が重くなる。
その拳はついには、オデの《戦士》の身体にまでダメージを与えるほどになった。
打ち込まれた拳はオデの呻き声を引き出して、膝を折らせた。
何でだ?分からない?あんなに細い腕にオデが負けるはずないのに…
「どうした?もう降参するか?」
降参を呼びかける《妖精》も息が上がっている。相手も疲れているのは間違いない。あいつも疲れてる。オデはまだ負けてない…
吠えながら振り上げた棍棒は、透き通った身体を通過するように、地面にくい込んだ。
何度やってもこの男には触れられない…
当たれば…当たりさえすれば、オデの勝ちなのに…
「ち、ちくしょう…なんで?あ、当たらないんだ?」
焦りが口からついて出た。《妖精》は綺麗な顔で笑って答えた。
「お前は強いよ、マシュー。でも相手が悪かったな。俺はお前以上に負けられないんだ」
《妖精》を名乗る男は不敵に笑うと、オデの攻撃をかいくぐって拳を叩き込んだ。細い腕から繰り出される攻撃は、オデの筋肉を通り越して奥に到達した。
「うあ…ああぁ…」強烈な痛みが身体の芯にまで響いた。
痛い…痛い痛い…怖い…
オデより小さいこの男に…この《妖精》に恐怖を覚えた…
棍棒を持つ腕が上がらない…
よろめいて後ろに下がったオデを追うように《妖精》が前に出た。
紫の目に射抜かれて、本能的に後ろに下がってしまう。
駄目なのに…これじゃ、オデ、《役立たず》だ…
オデじゃ、こいつに勝てないと、認めてしまった…
✩.*˚
変な感覚に浸っていた。
疲れているのに、闘争心だけはみなぎっている。凶暴な衝動が《暴君の腕》から流れ込み、さらなる暴力を求めた。
気を抜いたら俺の身体ごと乗っ取られてしまいそうだ。
《人でなし》を殴った分だけ拳は俺の魔力を奪って力を溜め込んだ。
《縮地》を踏む足も軽い。拳と言い、足取りと言い、確かに身体能力は格段に上がっている。おかげで、マシューが繰り出す攻撃も簡単に躱すことができた。
使いどころは限られるが、確かにこれは《良い物》かもしれない。
拳を握って《人でなし》に叩き込むと、《人でなし》の口から今まで無かった悲鳴が上がった。
よろめきながら下がる相手の様子に手ごたえを感じた。ついにこの頑丈な巨漢を支配できるほどの力を手に入れた。
《もっと…もっと…》
凶暴な《腕》から伝わる感覚が俺を突き動かしていた。
拳を握って、間合いを詰めるために前に出た俺を見て、頭巾の隙間から覗く目に陰りが見えた。
その目は既に負けを認めているように見えた。
握った拳を相手の胴に叩き込んだ。
確かな暴力の手ごたえと、ミシミシと何かが軋むような音が聞こえた。
「うぅ…」
頭巾の下から苦しそうなうめき声が聞こえて、《人でなし》は地面に膝をついた。大きな身体が傾いでゆっくりと地面に倒れ込む。
握っていられなくなった棍棒は投げ出されて、持ち主と同じように地面に転がった。
この光景を前にして、あれほど煩かった観客の野次が消え、辺りは静寂に包まれた。
この光景が信じられないのだろう。今、この場で立っているのは、強そうに見えた巨漢ではなく、番狂わせの《妖精》だ。
これはこれで気持ちいい。
驚愕を含んだ静けさを噛みしめていると、静まり返った空気を追い払うような拍手が静寂に響いた。
「勝負ありだ!この勝負、《燕の団》の勝ちだ!文句はねぇよな?」
ワルターの宣言を皮切りに、わぁっと歓声とも悲鳴とも取れるような声が上がり、勝負の幕引きを告げた。
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