燕の軌跡

猫絵師

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プライド

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「おう…帰ったか」

帰った俺の顔を見て、ゲルトはいつものソファの上に寝転がったまま呟いた。

「珍しい客が来たって聞いたけど、その様子じゃほったらかしなんじゃないか?」

「知るか。向こうが勝手に来て、勝手に居座っているだけだ」と、ぶっきらぼうに答えたゲルトはソファから熊のようにゆっくりと起き上がった。

「スー。親父さんに礼を言っとけよ。親父さんいなかったら面倒なことになってたんだぜ」

「あぁ。二人とも有り難う」と、カミルの言葉に素直に頷いた。

この二人がいなかったら面倒なことになっていたのは間違いない。最悪、死人が出る大問題になっていたかもしれないし、ワルターにも迷惑をかけていたかもしれない。

《赤鹿の団》の団長も、《雷神の拳》で名の売れていたゲルトの存在を無視できなかったのだろう。今回も彼に助けられた。

ゲルトはソファを離れると、鋭い片目で俺を睨んで、「分かってんだろうな?」と言葉少なく俺のやるべきことを確認した。

「分かってるよ」と応えた。

「俺が《燕の団》の団長だ」俺の返事に、ゲルトは黙って頷いた。

それ以上言葉は必要ないのだろう。後は俺がそれを証明するだけだ。

「偉そうにしやがって…デカい口利いたんだ、後はてめぇで何とかして見せろ」

ゲルトは突き放すような言葉で俺に発破をかけた。俺の初陣したあの川岸で見せた厳しさを思い出した。あの時は反抗したが、今ではそれが厳しいだけのものじゃないと理解できる。

彼の突き放すような言葉や厳しさは、《息子たち》が生き残れるようにと願ってのものだ。

「あぁ、俺の勝手にさせてもらうよ」

減らず口を叩いた俺を睨んで、ゲルトは「着いて来い」と背中を見せた。

前を歩くゲルトの背中は、あの河原でみた頃に比べれば随分痩せてしまったように思えた。いつまでもこの背中にぶら下がっているわけにはいかないだろう。

この背中ともそろそろお別れしなければならない。

応接室の前で足を止めたゲルトは扉から少しずれて俺に場所を譲った。

「…負けるなよ」

ゲルトの小さな激励は確かに俺に届いた。

彼はぶっきらぼうで、口が悪くて、乱暴で、天邪鬼な爺さんだ。

でも、本当の彼は、子供が大好きで、家族を大切にする、優しく愛情深い《父親》だ。

育ててもらった彼の肩を叩いて、巣立つために自分の手でドアを開けた。

扉を開けると、ガラの悪い連中の視線が一気に集中した。

「何だ?」と野太い声がして、応接用のソファに行儀悪く寝転んでいた男が身体を起こした。

短く切りそろえた赤毛の厳つい男が《赤鹿》の団長だろう。身なりはそれなりにいいし、周りにいる奴らとは印象がまるで違った。

「何だ小僧?お前団長の小姓か?」

「代理は要らねぇ、団長連れてこい。いつまで待たせる気だ?」

部屋にいた連中は待たされて苛立っているようだ。

俺の見た目から勝手に小姓と勘違いした男が、早速手を出そうとした。

胸ぐらを掴もうと、伸びた手は別の手に阻まれて止まった。

「うちの団長だ。汚ぇ手で触るな」

ディルクの低く威嚇する声と殺気を孕んだ視線に、部屋の空気が一気に張りつめた。《赤鹿》の団の視線は俺からディルクに移った。

「何だ?お前ディルクじゃねぇか?」

《赤鹿》の団長はすぐにディルクに気付いたようだ。彼が合図すると、《赤鹿》の連中は舌打ちしながら引き下がった。

邪魔な部下を退けて、《赤鹿》の団長は俺を無視してディルクに話しかけた。

「お前が《燕》に居るってのは噂で聞いてたがよ、別嬪さんのお守り役になってたのは意外だったぜ」

元雇い主の呼びかけに、ディルクは不機嫌そうに眉を寄せた。彼は話すことはないとばかりに無視して俺の後ろに下がった。

「まだへそ曲げてるのか?俺は傭兵としてお前には一目置いていたんだぜ?隊長にだってしてやるって言ったろ?」

《赤鹿》の団長はまだディルクに未練があるらしい。ディルクは《赤鹿》の団長を無視していたが、怒りを握り潰すように手のひらを強く握っていた。

「未練がましい男だな」

相手に聞こえるように呟くと、《赤鹿》の団長は俺に視線を向けた。余裕ぶっているが、その目には隠しきれない怒りの色がちらついていた。

「あんたの片思いなんてどうでもいいんだけど、ディルクは《燕》の団員だ。団長の俺の同意もなく口説くのはちょっと非常識ってもんじゃないか?」

「《傭兵ごっこ》ならガキ同士でやれよ、小僧。

お前の方こそ勘違いしてねぇか?てめぇみたいな無名なガキが団長を名乗るほど、この仕事は甘くねぇんだ」

「《無名》とは恐れ入るね。カナルじゃ割と名前は売れてきた方だ。

あんたの耳が遠いから、聞こえないだけじゃないか?それとも悪いのはこっちのほうか?」

そう言って頭に指をあてて挑発してやった。

向こうが喧嘩を売りに来たんだ。

強気に挑発する俺の態度に、《赤鹿》の団長は分かりやすく顔を赤くして怒気を立ち上らせた。

「…クソガキが…」

腹の底に響くような声に、《赤鹿》の連中の顔が引き攣った。

確かに傭兵団の団長を名乗ってるだけある。俺には無い迫力と威圧感はゲルトのそれに似ていた。その圧倒的な存在感は確かに群れのリーダーとして彼を浮き立たせていた。

圧倒的な存在感を前に、素直に彼の団長としての強さを認めた。

ただ、それは別の群れのリーダーとして認めただけの話だ。

俺の上に立つには彼では役不足だ…

「俺にとって《クソガキ》ってのは誉め言葉でね。

で?俺はあんたを何て呼んだらいい?名乗らないなら《クソジジイ》でどうかな?」

「調子に乗るなよ小僧。《黒腕》がてめぇをどういう風に躾けたのかは知らねぇが、その口の利き方じゃ長生きできねぇぞ」

《赤鹿》の団長は低い声で俺の無礼を指摘した。怒鳴りつけるほど理性を失ってはいないようだが、これはこれでなかなかな迫力だ。

団長の後ろに並んだ《赤鹿》の団員はそろって青い顔をしていた。

「まあ、威勢がいいのは悪い事じゃねぇ…

少なくとも、俺を前にしてションベン漏らさねぇ程度に腹が据わってるのは分かった。

だがな、喧嘩を売るなら相手を見てすることだぜ。今なら詫び入れたら許してやる」

「詫び?」

「あぁ。てめぇが俺様に『ごめんなさい』って頭下げて、うちの傘下に入るなら《燕の団》の名前は残してやる。

それが嫌なら《赤鹿》の団長として、《燕》に《フェーデ》を申し込むぜ」

「へぇ…それって、うちを本気で潰すってこと?」

「うちだってメンツ潰されてんだ。新参者に舐められて、流れた仕事の損害は安くないんでな…

それにうちの連中を引き抜いたのも良くなかったな。《赤鹿》に降るってんなら俺としても元通りになるんだ。文句はねぇよ。

ただ、断るってんなら《フェーデ》だ」

「ふぅん…外の待機組はそういうことか?」

「あぁ。お前の返事一つで《燕》の名前が消えるぜ。良く考えて返事しな」

《赤鹿》の団長は俺たちを脅して、少し機嫌を直したようだ。

格上に喧嘩を挑む馬鹿は限られる。

ただ、彼の誤算は、俺たちがその《馬鹿》に含まれるという事だった。

「ディルク」と傍らに控えていた彼を呼んだ。

「ワルターに伝言だ。

『《赤鹿の団》と《燕の団》で戦争だ』ってな。『手出し無用』って伝えとけ」

俺の出した結論に、《犬》たちから、わぁ!と声が上がった。

頭の悪い連中は俺の決定を歓迎していた。

部屋の隅で様子を伺っていたゲルトとカミルは静観を貫いていたが、その口元はわずかに吊り上がっていた。

これは《赤鹿の団》も予想できなかったようだ。

「お前ら…正気か?」と、《赤鹿》の団長も怒りを忘れて鼻白んでいた。でも言い出したのは《赤鹿》の方だ。

「何だよ?そっちから言ったじゃないか?

喧嘩も買えないくらいの腰抜けじゃ、この先傭兵団の団長なんか続けられないだろ?

俺たちが負けたら《燕》は解散して《赤鹿》に入ってやるよ。逆にあんたらが負けたら、俺たちに何してくれるんだ?」

「なるほどな。万が一にもないとはいえ、お前らにだけ条件を付けるのは面白くねぇな…俺も小さい男だと言われるのは御免だ。

お前らは何が欲しいんだ?」

「そうだな。《赤鹿》がうちの傘下に入るってのはどうだい?」

「はっははは!なるほど!そいつは五分の条件だ!」俺の条件をやけくそか何かと捉えたのか、《赤鹿》の団長は条件を大きな声で笑い飛ばした。

「良いぜ、小僧!乗ってやる!」と快諾して、《赤鹿》の団長は席を立った。

「お前ら聞いたか?《赤鹿》と《燕》の決闘だ!五分の条件でどっちかが消えるぜ!」

男たちの雄たけびが混ざって狭い部屋の温度が上がった。

頭を使うのは面倒だ。こういうのが俺たちらしくて良いだろう。

✩.*˚

「…あー…あのアホォ…」

シュミット様から受け取った手紙を広げて、旦那様が脱力したようにソファに崩れ落ちた。

何があったのか分からないが、その姿が珍しくて、窓を拭きながら旦那様の様子を盗み見た。

「おじいさまの眷属さんどうしたの?」とあたしの頭の上でクレメルが不思議がっていた。

クレメルは姿を消すことができないのか、あたしの傍でずっと姿をさらしていた。

時々子供たちに絡まれて嬉しそうに遊んでいるから、わざと姿をさらしているのかもしれない。

別に問題も起こさないし、あたしもこの子をどうしたらいいのか分からない。

悪い子じゃないから、居ても居なくても変わらない存在として、屋敷のみんなもこのへんてこなヒヨコを受け入れていた。

「さぁ?あたしには分からないよ」と答えて、窓を拭いていた濡れた布を置いて乾いた布と取り換えた。

窓の汚れと格闘していたが、無駄だったようだ。

「これ外の汚れかぁ…クレメル、外から掃除…できないよね…」

「ごめんね、ぼく役立たずで…」

言いかけて、やっぱり無理だろうと言葉を引っ込めると、クレメルは申し訳なさそうにあたしに謝った。

「えっと…いや、あんたもちゃんと時々役に立ってるから…」

「…どういうとき?」

「…えっと…あの…ちょっと分かんないけど…」

急には出てこないから適当な返事になってしまった。クレメルは鳥のくせに大きなため息を吐いて、「ほらね」とへそを曲げてしまった。

「どうせぼくなんてちょっと水出したり、小さい風を起こしたりするくらいしかできないんだ…」

「多分なんかできる事あるよ。あたしだって何もできなかったけど、少しずつできるようになったしさ。できること探してみたら?」

「うーん…でも、ぼくずっと《役立たず》って言われてたんだよ。自信ないよ…」

クレメルはこの姿であたしには想像できないほど長く生きている精霊らしい。

きっと彼も長く生きる中で色々あったのだろう。パッとしないあたしなんかを選ぶくらいだ。

自信の無い姿が、自分に重なった…

もっと女らしくて、可愛くて、育ちも良かったら、あたしも自信をもてたのかな?

なけなしの勇気を振り絞って伝えた《好き》を受け入れて貰えなかったのは、あたしに女としての魅力がないからだ…

そう言い聞かせて、仕方ないと自分を慰めながら枕を濡らした。

あたしに心配そうに寄り添ってくれるクレメルとは、落ちこぼれ同士の微妙な絆ができていた。

掃除道具を片付けながら、旦那様の方に意識を向けると、シュミット様と何やら話して何か用事を頼んでいた。

「はぁ…全く…あのバカタレ…」

大きめのため息を吐いて、旦那様は不貞腐れたように腕で目元を隠して、行儀悪くソファの腕置きに脚を乗せて横になった。

機嫌が悪いと言うより、なんか疲れてる感じだ。

「旦那様。何かお飲み物をご用意しましょうか?」

恐る恐る声をかけると、旦那様はチラリとあたしの方に視線を向けて、「水くれ」と答えた。

水差しとコップを用意して届けると、旦那様はあたしの簡単な仕事を褒めてくれた。

使用人として当たり前のことしかしてないのに、旦那様はいつも「ありがとう」と言ってくれる。

大したことしてないのに、自分が一人前に仕事したような錯覚を覚えてしまう。

ここはみんな優しいから、あたしみたいな子供でも大事にしてくれるんだよなぁ…

旦那様の傍で水差しを片付けるタイミングを待っていると、クレメルが人懐っこく旦那様に近付いた。

「おじいさまの眷属さん。何があったの?」と、クレメルは子供みたいに旦那様に声を掛けた。

旦那様は、ひじ掛けに登って上下に身体を揺らしているヒヨコを見て、愚痴を口にした。

「どうしたもこうしたもあるか…

《燕の団》が《赤鹿の団》と喧嘩だとよ。あいつら何やってんだ?」

「喧嘩って…大丈夫なの?」

「知らねぇよ。スーの奴が手を出すなって言ってきが、そうもいかんだろう?

まったく、他所でやれ、他所で…」

「他所ならいいの?心配じゃないの?」と、クレメルはあたしと同じ疑問を軽く口にした。本当に思ったことを全部言う子だ。

でも、旦那様はそんな子供みたいなクレメルが可愛いらしい。

「何を心配するんだよ?むしろ可哀想なのは、完全に油断してる《赤鹿の団》だ。

人数は少ないが、《燕の団》にはスーがいる。あいつが全力出せば、俺だって勝てるか怪しいところだ」

「《妖精の子》ってそんなに強いの?眷属さんにはおじいさまの《祝福》あるのに?」

「お前らスーのこと《妖精の子》って呼ぶよな?あいつお前ら精霊の中じゃ有名人か?

確かに俺の《冬の王》の《祝福》は強いけどよ、あれは周り巻き込むから危険すぎる。本気なんて出せねぇよ。

それにくらべて、あいつは割と万能だ。剣士にも射手にもなれるし、魔導師レベルの魔法が使える上に、精霊だってあいつの味方だ。

あいつを倒せるのは、多分人間辞めた奴だろうな…」

「それって、誰?」

「知らねぇよ。とにかく《燕の団》は人数少ないがヤバいやつしかいないのさ。

『喧嘩するなら街の外の離れたところでやれ』ってシュミットに伝言させたよ。街や街道に被害が出たら堪んねぇからな。

後で俺も見に行った方が良さそうだな…」

「偉い人って大変だねぇ」

「そうだぜ、偉くなんてなるもんじゃねぇや」

旦那様は苦笑いしながらクレメルとの会話を楽しんでいた。

旦那様は大丈夫だと思ってるみたいだが、あたしは心配だ。

みんな、大丈夫かな…

団長は強いかもしれないけど、お爺ちゃんとかカミルは?カイは…

不安で重くなった視線は絨毯に落ちた。俯いたあたしに、旦那様は優しい声で励ましてくれた。

「ライナ、心配するな。

《燕》は俺が見てきた傭兵団の中でも、群を抜いて強い団だ。あいつらは負けやしないさ。

心配なら一緒に連れてってやろうか?」

「え…でも…」

「構わねぇさ。俺が良いって言ったら、あいつらだって本気で嫌だとは言えねぇんだ。

お前がそれで安心するなら連れてってやるよ」

旦那様は軽い口調でそう言って、あたしの返事を待ってくれた。

クレメルが旦那様から離れて、跳ねるようにあたしの足元にやってきた。

「おねぇちゃん。行こう」

奇妙な色のヒヨコはあたしを見上げながら誘った。

「おねぇちゃん、心配でしょう?ぼく、おねぇちゃんの気持ちと繋がってるから分かるよ。

ぼく、喧嘩したことないし、役立たずかもしれないけど、何かできる事あるかもしれないから…ね?」

クレメルは少し強がって、ふわふわの羽毛を膨らませて身体を大きく見せていた。

「いざとなったらこっそり邪魔するよ」だなんて、いざその場になったらできないくせに、大口を叩く姿は一生懸命に見えた。

そんなクレメルに少しだけ勇気を貰った。

「旦那様…あたしがお願いしたら…お爺ちゃんたち考え直してくれるかな?」

「まぁ、難しいだろうな、あいつらそんなんで折れるような奴らじゃないし…

でも、まぁ、それも良いだろうよ。お前はお前が思ったこと伝えてやれよ。俺が怒鳴り散らすより、よっぽど響くはずだ」

そう言って、旦那様の大きな手が優しく頭を撫でた。ゴツゴツした手のひらに慰められて、床を見るのをやめた。

✩.*˚

「本当に戻って団員連れてこなくていいのか?」

《赤鹿》の団長は拠点に戻る気はないらしい。出直してくるかと思ったのに、数の優位に頼らないところを見ると、潔い印象を覚えた。

「《今日できることは今日する》ってのが俺の信条でな。

どうせ明日生きてるかどうかも分かんねぇんだ。なんでもかんでも後回しにするのは俺の性分じゃねぇ。

それに、今連れてるのは俺の選りすぐりの親衛隊トラバンドだ。負ける気はしねぇさ」

元よりそのつもりで来ていたらしい。

まぁ、商売敵を威圧しに来るくらいだから、それなりの手勢を連れてるのは想像に難くない。それに、少数精鋭の方が維持費は安く済む。兵隊を連れ歩くのも金が必要だ。

俺としては面倒が省けていいが、問題は何処で喧嘩するかだ。

街中にある拠点で乱闘騒ぎを起こそうものなら、それこそワルターに拳骨を食らう。案の定、決闘の許可を求める手紙を届けさせたら、血相を変えたハンスがやって来て説教された。

領主の代理人と言うこともあり、向こうもハンスには強く出なかった。《赤鹿》の団長は割とそういうのはしっかりしているらしい。

『街の外でやろう』という提案に、《赤鹿の団》も頷いた。

「今からだと夜になるな…」と呟いて、黄昏に染まり始めた空を見上げた。

「まぁ、いいんじゃない?向こうもそれでいいって言ってんだ。とっとと終わらせて、店が閉まる前に酒飲みに行こうぜ」と陽気な男はヘラヘラ笑っていた。

ぞろぞろと移動する傭兵たちは、嫌でも往来の視線を引いた。

「喧嘩だってよ」「傭兵団同士の喧嘩だ」「相手は《赤鹿の団》だってよ」と、面白がって喧嘩を観戦しようとついてくる奴らもいた。

「良いのか?街の連中ついてくるぞ」と、ディルクが俺に訊ねた。

「いいさ。観戦者のいる方がやりがいあるだろ?」

「巻き込まれねぇ保証はねぇだろ?一般人巻き込んだら旦那にキレられるぞ」

「大丈夫だよ。俺も本気は出さないし、向こうも勝つ気でいるなら、観戦者が欲しいはずだ。傭兵団の宣伝にもなるしな」

「《赤鹿》は名前が売れてるからな。結果出せば俺も二つ名もらえるか?」と、早速カイが喧嘩の報酬を強請った。

カイはまだ二つ名を名乗っていない。彼が隊長になるなら二つ名を名乗るいい頃合いだろう。

「勝ったらな。ゲルトにだっさい二つ名付けてもらえよ」

「なんでだよ?ちゃんとしたのくれよ」

「俺のより格好いいのだったらキレるからな」

「うっわぁ…理不尽…」カイは不満そうにぼやいた。親友のぼやきにアルノーも苦く笑った。

「まぁ、傭兵の二つ名は被らなきゃいいんだよ。ダサくても覚えられたらいいのさ。俺は変なの名乗るくらいなら無い方がいいけどな」

「お前、二つ名いらねぇのかよ?」

「まぁ、あったらあったでいいけどよ…

別に傭兵として名前を売るのに興味ねぇんだよ。割と今の生活に満足してるし、俺は《《燕の団》のアルノー》でいいや」

アルノーはそう言って少し照れくさそうに笑った。

「気に入らなかったら離れるけどよ、俺は《燕》も、この街も気に入ってんだ。今更、他所でも通じる二つ名なんていらねぇよ。

傭兵辞めたら、この街で飯屋でも開いて嫁さんと暮らすわ」

「いいじゃん。そうなったら二つ名の代わりに、店の名前は俺がつけてやるよ」

「やだね。店の名前くらい自分で決めるさ」と、アルノーは俺の親切を断った。

俺もセンスがないとでも思われているのだろうか?だとしたら心外だ…

そんな風に思っていると、アルノーは俺の考えを否定した。

「俺がつけたい名前があるんだよ。まぁ、当分先の話だからよ、楽しみにしといてくれよ」

もう決まってるのか…それなら仕方ないな、と彼の楽しみから手を引いた。

無駄話を続けているうちに、街道外れの空き地に到着した。

街から少し離れているし、多少暴れても誰にも迷惑かからないだろう。

「ここいらで良いか?」と《赤鹿の団》に声をかけると、向こうからも「応!」と返事が帰ってきた。

太陽は空に赤い名残を残して、月に居場所を引き継ごうとしていた。

「篝火を用意しろ」

場所の用意を指示して、《赤鹿の団》を呼んだ。

「さっさと決めてとっとと始めろ」と、ゲルトはいつものようにせっかちに急かした。彼はこの喧嘩に加わる気はないらしい。

ゲルトの傍に控えているカミルも動く気は無いようだ。

あくまで、俺と《犬》だけで喧嘩する前提なのだろう。

「何だ?《黒腕》無しでやるつもりか?」

「もうお爺さんだからさ。若者だけでやれってよ」と答えると、《赤鹿》の団長は勝利を確信したように手の内を晒した。

「そんなんでいいのか?こっちには《祝福持ち》が数人いる。俺としては《黒腕》無しってのはありがたいがな、お前ら本当に勝つ気でいるのか?」

「まぁ、うちは《祝福》を持ってる奴はいないけど、頭のおかしい《狂犬》ぞろいなんでね。それに俺は参加しても良いんだろ?」

「ほぉ…団長が自ら戦うってのか?随分積極的じゃねぇか?」

「人手不足でさ」と、残念な振りをして肩を竦めた。背中になんか責めるような視線を感じるが無視しとこう…

「で?上品な決闘なんて望んでないだろ?もちろん何でもありだよな?」

「おうともよ!傭兵の喧嘩だ。目つぶし、金的、なんでもありだ!もちろん《祝福》使っても文句なしだよなぁ?」

「そうこなくっちゃね。魔法もありだろ?」

「あぁ、構わねぇよ。せいぜい足掻いて見せな」

《赤鹿》の団長は鷹揚に頷いて提案を快諾した。

魔法使いは脅威だが、部下の《祝福持ち》が負けないという絶対の信頼があるのだろう。その驕りが俺にとっては好都合だ。

篝火を灯して、決闘の舞台が整う頃に、観客がざわざわと騒ぎ始めた。

人垣を押しのけて現れた馬の背にはワルターの姿があった。

「随分頭の悪いことしてるじゃねぇか…」と苦言を呈しながら、ワルターは一緒に乗っていた少女に手を貸して馬から降ろした。

女の子の姿にゲルトが目の色を変えた。

「ワルター!何で連れてきた?!」と、ゲルトが声を荒げてワルターに抗議した。

「お爺ちゃん。あたしがお願いしたの」

灰色の毛玉を抱いたライナが自分の口でゲルトに答えた。

「お爺ちゃんたち、喧嘩やめなよ。

そんな金にもならないことして誰か死んだりしたら馬鹿馬鹿しいじゃない?何でそんなことしてるの?」

相手がライナじゃなかったら、有無を言わさずに追い返しただろうが、ゲルトは本当にライナに甘い。

「…そんなこと言わせるために連れて来たのか?」ゲルトの怒りの矛先はワルターに向けられた。

「お前らが暴走してるからだろ?心配させて、またライナの《祝福》が暴走したら困るだろうが?話くらい聞いてやれ。

ライナ、ゲルトと話してていいぞ。俺はこの団長たちに話がある」

ワルターはライナをゲルトに預けて、俺と《赤鹿》の団長を睨み付けた。

ワルターより先に口を開いたのは《赤鹿》の団長だ。

「これはこれは。お久しぶりですな、《クルーガー》殿。しばらくお目にかからぬ内に、随分様変わりした様子ですな」

《赤鹿》の団長はわざとワルターを昔の姓で呼んだ。

まるで古い友人とでも言いたげだ。その計算高い行為が小賢しく感じられる。

「その名前は久しぶりに聞いたぜ。あんたとアインホーン城で挨拶したのは覚えてるぜ。あの頃はまだ隊長だったな…

俺は今は《ロンメル》って名乗ってんだ。忘れてもらっちゃ困るぜ」

「これは失礼しました。あのウィンザーを終わらせた《英雄》ロンメル男爵閣下と知己であるとは光栄ですな」

「何言ってんだ?

もしあんたの腹の中がその言葉通りなら、《燕》に圧力をかける前に俺の所に来るべきだったな。それなら俺は古い知り合いとしてあんたの言い分を聞いただろうよ。

だが、あんたは筋を通さなかった。俺が言いたいことは分かるよな?」

ワルターの指摘に《赤鹿》の団長は表情を硬くした。ワルターなら丸め込む自信があったのかもしれないが、生憎、彼が思うほどワルターは甘い相手ではなかった。

「《クルーガー》なら譲ってやったろうが、今の俺は《ロンメル》だ。

同じ人間だが、同じだと思ってもらっちゃ困るぜ?」

「おっしゃる通りです。ご無礼をいたしました」

《赤鹿》の団長はワルターの言葉に頭を下げて謝罪した。ワルターがここまではっきりと権威を振りかざすのは珍しい。

自分を飛ばして話が進んでいたことが気に入らなかったのだろうか?

ワルターは《赤鹿》の団長を黙らせて、今度は俺を睨み付けた。

「お前もだ、スー。団をどうするかはお前ひとりの問題じゃないだろうが?

負ける気は無いにしろ、この件は俺にも話を通すべきだったな。

これで何か問題が起きてみろ?俺のメンツは丸つぶれだ」

「悪かったよ…」

「ったく…本当に分かってんのか?」

ブツブツと文句を言いながら、ワルターは辺りを見回した。

野次馬も多いし、ここまで来たらどちらの団も引き下がれないのも分かっている。

ワルターは大きめのため息を吐いて、俺たちに視線を戻した。

「ここまで騒ぎになって、お前らも引っ込みつかねぇってことは分かる。

《フェーデ》って言うからには俺もうるさく口出せねぇしな…

決闘は許すが、死人は出すな。あと、全員でぶつかり合うのも無しだ。怪我人が多いのも困りもんなんでな。

俺の土地で喧嘩するならそれが条件だ。

両方とも5人ずつ出して、先に3勝した方が勝ちで良いよな?」

「ワルターがそう言うなら…」

随分しょぼくなってしまったが、この土地の領主はワルターだ。《赤鹿の団》も嫌と言えるわけがない。

《赤鹿》の団長もワルターが提示した条件を飲んだ。

ワルターの出した条件での決闘が決まった。

「あーあ…もっと派手にしようと思ってたのにさ」

「バカ野郎!そうだと思ったから俺が来たんだろうが!

郊外とはいえ、派手に暴れてみろ!それこそ変な噂になって、『ブルームバルトは無法地帯だ』って言われるだろうが!

テレーゼの学校に悪評が立ったらお前らのせいだからな!」

「何だ?心配して出張って来たんじゃないのか?」

「あぁ、心配したよ。《赤鹿の団》の方をな」とワルターは苦々しく答えた。

「あのぐらいの人数ならお前ひとりで足りるだろ?

つまらんことしてないでさっさと終わらせろ。俺は帰ってテレーゼたちと飯を食うんだ」

「はいはい。ご領主様の仰せのままに」

ワルター相手に軽口をたたいて、様子を伺っている《犬》たちの方に歩き出そうとした。

「負けんなよ」とワルターの声が背中に届いた。

何だよ?やっぱり少し心配してるじゃないか?

こっそりと小さく笑って、片手を上げてその言葉に応えた。
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