燕の軌跡

猫絵師

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謁見

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国王陛下に中庭に呼ばれ、ガラス張りの温室に足を踏み入れた。

冬の寒さから守られた温室の植物は、寒さを忘れて美しく咲いていた。

温室の真ん中に用意された机には、国王陛下と王太子殿下の姿があった。

「ワーグナー公爵よ…

その…ランチェスター公子の事で話があるのだが…」

陛下は相変わらず自信なさげに、私に話を切り出した。

一国の王として、もう少ししっかりして欲しいというのが本音だが、こうでなければ陛下らしくないと言うのもまた事実だ。

「お話とは?どういったお話でしょうか?」

「う、うむ…」

「陛下、少し落ち着いてください。

ワーグナー公爵。まずはお席にお着き下さい」

オドオドした様子の父に代わって、王太子が落ち着いた口調で私に席を勧めた。

現国王に刃を向けたツヴァイクレ伯爵は不敬罪として王太子の称号を剥奪された。

その代わりとして、時期フィーア国王としてレーヴァクーゼン伯爵が王太子殿下に据えられた。

王太子として輝かしい存在だったツヴァイクレ伯爵には見劣りするものの、レーヴァクーゼン伯爵は、黙々と自分の責任を果たす良い王太子として家臣に歓迎された。

「頂戴致します」と応じて話し合いの席に着いた。

手際よく場を整えた使用人らを下がらせて、要件を確認した。

「ランチェスター公子のお話でしたな?」

「う、うむ…その…ランチェスター公子の話は余の耳にも届いた…

その人物は誠にランチェスター公子なのか?何かの間違いではないのか?」

陛下は落ち着きなく、私に安心できる材料を求めた。

『間違いであった』と言う方が陛下には優しいだろう。それでも私はランチェスター公子が本物であると確信していた。

「残念ながら、ヴァインハイム男爵の《心理の鑑定》の眼鏡には《偽り》は見受けられなかったとのことです。

十中八九、本物と見て間違いないでしょう」

「それは…南部候が匿っていたのだろうか?」

「それはないでしょう。ヴェルフェル侯爵の立場でランチェスター公子を匿うメリットはありません」

本心から出た言葉だ。

いくら感情で同情しようが、侯爵が自身の感情を優先することは許されない。

それが分からないような愚か者であれば、とっくに切り捨てている。

「私も間接的にランチェスター公子に接触しましたが、なかなか面白い少年のようです。

賢く、よく弁えた子供です。

どのような経緯でフィーアに逃げ込んだのか、誰が世話をしていたのかは分かりませんが、ランチェスター公子自身は恐らく無害と言えましょう。

問題は、ランチェスター公子の亡命を受け入れたその後のオークランドの反応です」

「オークランドが軍勢を動かす大義名分になるとおっしゃいますか?」

話を聞いていた王太子が焦ったように声を上げた。

「その可能性は大いにあります。

ランチェスター公子は今のオークランドで唯一国王になれる血統の男児です。

あの厚顔無恥なオークランド王が最も恐れている存在です」

平静さを装って、客観的な視点での意見を述べた。

「ランチェスター公子は諸刃の剣です。扱いによっては我が国の益にも害にもなりえましょう。

ですので、亡命の件は慎重に扱わねばなりません。同情などという理由で簡単にお認めになりませんように。

よろしいですかな?」

「うむ…ワーグナー公爵の良いようにしてくれ」

気弱な国王の言葉に、王太子が声を上げた。

「陛下!またそのように公爵に丸投げするのはおやめ下さい!」

「いや…しかし…」

「陛下は一国の王なのです。

ワーグナー公爵。公爵がこの国のために心を砕いて、並々ならぬ献身を捧げて下さっている事は周知の事実です。私も尊敬しております。

しかし、臣下として陛下の意見にも耳を傾けるべきではないでしょうか?」

王太子は父を立てるために、私に意見を述べた。

今までであれば考えられない話だ。

父を成長させるのは、子供なのだな…

「もちろんです、殿下。

私はワーグナー公爵家に生まれたその日から、フィーアの忠実な臣下でございます」

この父子の成長に喜びを覚えながら、臣下として深々と頭を下げた。

老骨の肩の荷を降ろす日は、確実に近づいているように思えた。

✩.*˚

ヴァインハイム男爵の訪問から日を置いて、ヴェルフェル侯爵から会議の用意が整ったと伝えられた。

七大貴族たちからのランチェスター公子の査定が始まる。

新たに用意されたワーグナー公爵の贈り物を着て、侯爵と一緒にフィーアの王城に向かった。

「ランチェスター公子、緊張してるかね?」

城に向かう馬車の中で、ヴェルフェル侯爵が緊張していた僕に話しかけてくれた。

何と言えばいいのか分からずに、黙って微笑んで応じた。この感情は僕の中で折り合いをつけるしかない。

そんな僕をヴェルフェル侯爵は優しく励ましてくれた。

「私も君を援護する。ワーグナー公爵の掴みもよかった。きっと上手くいくよ」

「ありがとうございます、閣下。

閣下のお力添えには心から感謝しております」

「そんな他人のように話さなくていい。

私を父と思って頼ってくれ」

頼もしい言葉に甘えてしまいそうになる。

僕の我儘に付き合ってくれる侯爵のためにも、七大貴族たちを認めさせなければ…

ヨナタンと暮らすためにも、これは必要な試練だ。

一緒に来て欲しかったけど、ヨナタンはドライファッハに残った。

僕と本当のパートナーになるという話も、返事は保留になったままだ…

戻ったら返事を聞かせてくれるかな…

そんな事を考えているうちに、馬車は城門をくぐって止まった。

初めて足を踏み入れたフィーアの王城は、オークランドのものとは違う造りだった。

無骨で頑強というより、華奢で優雅な印象を受けた。丁寧に塗装された白い壁は輝いて見える。

「どうかね?」とヴェルフェル侯爵が僕の反応を見て感想を訊ねた。

「美しいお城ですね」

「ヴォルガ神を模して造られている。我が国の象徴の一つだ。

陽の光を浴びて白く輝く姿は神々しいくらいだよ」

侯爵は自慢げに城の説明をしてくれた。

侯爵は僕と少しの伴を連れて城に上がった。

「お待ちしておりました」と侯爵を出迎えたのは深みのある赤を含んだ金髪の偉丈夫だった。

甲冑を身に着けた姿は騎士のようだが、他の騎士たちのそれとは異なる雰囲気に彼がただの騎士でないと分かる。

「ヴェルフェル侯爵閣下。ご健勝のことと存じます。またお会いできて光栄です」

「やあ、ヴェルヴァルト伯爵。卿がランチェスター公子の案内を務めてくれるのかね?」

「左様にございます」と答えたヴェルヴァルト伯爵は、僕に視線を向けると、「ランチェスター公子様ですね?」と確認した。

「フィーア王国近衛騎士団団長を拝命しております、ヴェルヴァルト伯爵ハインリッヒと申します。

宰相のワーグナー公爵閣下より、ランチェスター公子様を国賓としておもてなしするようにと承っております」

ヴェルヴァルト伯爵は自己紹介と一緒に、自分を遣わした人物の名前を伝えた。

ワーグナー公爵はまだ僕を試しているようだ。

僕の振る舞いは、全てワーグナー公爵に筒抜けだろう。さらに気を引き締めて、ヴェルヴァルト伯爵に笑顔で謝意を伝えた。

「ありがとうございます、ヴェルヴァルト伯爵閣下。

取るに足らない若輩者に特別のご配慮を賜りましたこと、寛大なるワーグナー公爵閣下に深く感謝申し上げます」

「…なるほど。

ランチェスター公子様のお言葉は、私からも公爵閣下にお伝え致しましょう」

ヴェルヴァルト伯爵は型通りの返答を返すと、半歩足を引いて向きを変えた。

「それでは、ご案内致します。

ランチェスター公子様には控えの間をご用意しておりますので、玉座の間の用意が整うまでそちらでお待ちください。

ヴェルフェル侯爵閣下には別のお部屋をご用意しております」

ヴェルヴァルト伯爵は部下を呼んで、ヴェルフェル侯爵の案内を任せた。

「じゃあ、また後で」と言い残して、侯爵は案内の騎士と一緒にどこかに行ってしまった。

一人になって途端に不安になる。

一人でボロを出さずにいられるだろうか?

僕の心配を他所に、ヴェルヴァルト伯爵は「こちらです」と城内を案内した。

目の前の壁のような広い背中に着いて行くと、伯爵は青い扉の前で足を止めて、部屋のドアをノックした。

僕の控え室では無いのだろうか?誰かが中にいるのかな?

「ランチェスター公子様をお連れ致しました」

ヴェルヴァルト伯爵の呼び掛けに、中から応答するような声が聞こえて、ドアが勝手に開いた。

ドアを開けたのはメイド姿の小柄な女性だった。

「お待ちシテましタ」

片言のようなぎこちない喋り方のメイドはドアを大きく開いて、僕たちを部屋に招き入れた。

「旦那サマ、子供が来まシタです」

「うむ」

メイドに応じるように、部屋の奥の暖炉の辺りから、低い男の人の声がした。

暖炉の前のソファから立ち上がった人物に視線が釘付けになる。

赤銅色の髪と深い緑色の瞳の男性が、ワーグナー公爵だとすぐに分かって、慌てて頭を下げた。

どうしてここに?

僕の心を読んだかのように、ワーグナー公爵は「私が誰か分かるかね?」と悪戯っぽく訊ねた。

「ワーグナー公爵閣下とお見受けします…」

頭を下げたまま答えると、相手はその答えを面白がるように、さらに質問を重ねた。

「ほう?なぜ私がワーグナー公爵だと思ったのかね?」

「恐れながら…閣下のお召し物が僕のものと同じ色合いでしたので…」

公爵の礼服は深い藍色に臙脂を合わせた落ち着いた色合いで、僕が着ているものに色や形が酷似していた。

「それだけかね?偶然の一致では無いのかね?」

「この服はワーグナー公爵閣下が下さったものでお間違いないはずです。

公爵閣下のお召し物が、僕への答えではないのでしょうか?」

「やれやれ…君は本当に素直で可愛い子供だね」

公爵の機嫌良さそうな声が、僕の回答を認めていた。

「顔を見せておくれ」と許されて顔を上げた。

「初めまして、ランチェスター公子。

私がフィーア王国宰相、エアリス・ヴィルヘルム・フォン・ワーグナー公爵だ」

ワーグナー公爵は握手するための手を差し出して名乗った。

「恐れ入ります」と恐縮してその手を握った。

「元ランチェスター侯爵公子、ヴィヴィアン・セドリックです」

「ヴィヴィアンと呼んでいいかね?」

「親しい方は僕をヴィヴィと呼んでいました」

「なるほど。承知した。私もそう呼ばせてもらおうね」

ワーグナー公爵は僕の意図を汲んで、さらに親しく名前を呼んだ。

「さて。国王陛下の用意が少し遅れていてね。

悪いが、少しこの暇な老人の話し相手になってくれないか?

君のことをよく知らないで、親しく呼ぶのを諸侯に咎められるのでね」

「嬉しいお申し出です、閣下」

「君なら、私の孫のように《エアリスお爺様》と呼んでも良いのだよ」と、砕けた様子のワーグナー公爵は破格の提案までしてくれた。

少しだけ、希望が見えた気がして、自然な笑顔で笑うことができた。

✩.*˚

玉座の間には新年会と同じ顔ぶれが集まった。

「やぁ、ヴェルフェル侯爵」

気さくに声をかけてきたのは、比較的私と年齢の近い西山候だった。

少し癖の強い人物だが、現七大貴族の中では一番話のできる人物だ。

ローヴァイン侯爵の隣には、不機嫌そうな顔の東海候の姿があった。

「急な召集で驚きましたよ」

ローヴァイン侯爵の言葉に、眉間に皺を刻んだハンブルク侯爵も頷いた。

「私は自領に帰っておりませんでしたので、ハンブルク侯爵の元で招集を知りました。

議題については極秘と言うことでは無いですか?一体何の招集なのです?」

「それについては今から…」

「隠し立てするな、時間が勿体ない」

私の言葉を鋭い言葉で遮って、東海候は睨みをきかせた。

「問題が多いのは南部だけでは無いのだぞ。我々とて忙しいのだ」

厳しい言葉を口にして、ハンブルク侯爵は何やらイライラして余裕が無いように見受けられた。

「何かあったのですか?」と訊ねた私に、不機嫌なハンブルク侯爵の代わりに、ローヴァイン侯爵が小声で答えた。

「イザード王国が交易の一部関税を引き上げると、一方的に通達してきたそうです」

「何の関税ですか?」

「我が国の煙草ですよ。あとワインも…

嗜好品だけならともかく、輸入する小麦の値段や、砂糖、香辛料に関しても不作を理由に取引量の制限を設けて、値上げする意志を示しています」

「全く、迷惑な話だ!」と忌々しげに呟いて、東海候は舌打ちした。

東海候がこれ程までに怒るのには理由がある。

東海候家の所領は、他の三侯爵家に比べると小さい。領地も海に面しているため、小麦などの農産物の土壌には向かない。

それゆえ、外国との貿易を主な収入源としていた。

その中でも最も大きな取引相手がイザード王国であり、海に面している以上、あの国を無視することはできないのが現状だ。

「オークランドからの圧力でしょうか?」

「それ以外なかろう。

腹立たしいことに、海上輸送や交易をする上で、イザード王国を無視することはできん…どうしたものか…」

「煙草が売れないのは私も困るのですよ…」と西山候も自領の収入を心配していた。

南部でも煙草は生産している。私としても他人事では無い。これはカールも怒りそうだな…

「これは何の集まりなのですか?」

三人で盛大にため息を吐いていると、公爵らに挨拶を済ませた北部候がやってきて話に加わった。

北部候にもイザード王国の一件を教えると、北部候も眉を顰めた。

北部も東海に毛皮やワインを卸している。主だった収入源の販路が失われるのは手痛い喪失だ。

「それは厄介な問題ですな…」と北部候も大きめのため息を吐いた。

この流れでランチェスター公子を紹介するのは、正直気が引けるな…

ランチェスター公子は上手くやれるだろうか?

これからの展開を思うと頭が重くなる。

一人だけ別のため息を吐き出して、これから起こるはずの嵐を憂えた。

✩.*˚

謁見の用意ができたと教えられて、ヴェルヴァルト伯爵の案内で、玉座の間に案内された。

ヴェルヴァルト伯爵の指示で、玉座の間の扉がゆっくりと押し出されて開いた。

「どうぞ」

ヴェルヴァルト伯爵に頷いて、息を深く吸い込んでドアの向こうに足を踏み入れた。

隙間なく敷かれた鮮やかな色の絨毯の奥には、臣下と一線を画す階段があり、そのまた奥には荘厳な雰囲気の玉座が佇んで、独特な存在感を放っていた。

玉座にはフィーア国王の姿と、階下に若い貴族風の青年の姿があった。

それより少し離れた場所にワーグナー公爵と、その他の諸侯が並んでいる。

年齢はバラバラだが、並んでいる諸侯の数は7人で、ヴェルフェル侯爵の姿もあることから七大貴族と見て間違いないはずだ。

「ランチェスター公子、こちらへ」とワーグナー公爵が僕を招いた。

左右に別れて並んだ貴族たちからの視線に、俯きたくなるのを堪えて、真っ直ぐにワーグナー公爵の元に歩み寄った。

ワーグナー公爵は僕の肩に手を置くと、その場に居合わせた人たちに向かって、朗々とした声で議題を呈した。

「先日、ヴェルフェル侯爵より、神聖オークランド王国のランチェスター公子がフィーア王国へ亡命を希望する旨が上申されました。

本日はこれについて、国王陛下、及び王太子殿下、そして七大貴族諸侯で是非を問うと致しましょう」

ワーグナー公爵の言葉が終わると同時に、いちばん近くにいた、白い髭の法衣のような服を着たお爺さんが挙手した。

「失礼…よろしいですかな、ワーグナー公爵?」

「どうぞ、ホーエナウ公爵」

「その少年、神聖オークランド王国で行方不明となっている、王位継承権第一位の人物と同じ名前のようですが?」

ホーエナウ公爵の指摘に、ワーグナー公爵は「いかにも」と応じて、僕に視線を向けた。

「名乗れるかね?」と訊ねられて頷いた。

ワーグナー公爵の手のひらが、そっと背中を押して僕を前に立たせた。

「お待ちください」

挨拶をしようとした僕の言葉をさえぎって、一人が進み出た。

進み出た貴族は、鋭い視線で僕を睨んで、僕の発言に制限をかけた。

「ここはフィーア王国です。

発言はライン語でならお聞きしましょう」

「クロイツェル侯爵の意見に、私も賛同する」と声が上がり、「私もです」と同調する声が続いた。

「クロイツェル侯爵、大人気ないではありませんか?

この場にパテル語を解せぬ方はいらっしゃらないでしょう?」

ずっと黙っていたヴェルフェル侯爵が、僕を庇う発言をしたことで、その場の空気が張り詰めた。

ヴェルフェル侯爵の発言を、失笑で応えたクロイツェル侯爵はさらに皮肉っぽい言葉を放った。

「おや?意外ですな、ヴェルフェル侯爵。

《傲慢な老人》から受ける害悪を一番知っておられるのは卿では?」

「だからと言って、ランチェスター公子をいじめるのは筋違いでしょう?」

「いじめる?それは少し違いますな…

まさか、ここがどこかをご存知ないのですか?

ここはフィーア王国の玉座の間です。そして恐れ多くも、国王陛下の御前です。

忠臣であるヴェルフェル侯爵ともあろう方が、この意味が分からないとでもおっしゃいますか?」

その棘のある言葉に、ヴェルフェル侯爵も口を噤んだ。

これ以上僕の弁護をすれば、侯爵の立場も悪くなりかねない。

僕の背中に添えられていた手が、発言を許すように僕の背を押した。

「ご指摘ありがとうございます、クロイツェル侯爵閣下」

ライン語で発言した僕に、その場の視線が集まった。

僕にライン語を使うように、と言っていた当の本人さえも、驚いて言葉を失った。

「国王陛下の御前にて、僕が失敗しないようにと、ご指摘下さったのですよね?

閣下のご助言感謝致します。僕はフィーアの宮中に不慣れな無作法者ですので、皆様どうかご指導下さい」

「お見事なライン語です」

静まり返った玉座の間に、乾いた拍手が響いた。

手を鳴らしたのは、ヴェルフェル侯爵の隣に立っていた茶色い髪の貴族だった。彼は僕のライン語を褒めてくれた。

彼は笑顔を貼り付けた顔で、向かい合うように立っていたクロイツェル侯爵とハンブルク侯爵をやんわりと諌めた。

「クロイツェル侯爵、ハンブルク侯爵。子供の話を遮るのは大人のすることではありませんよ。

我々はフィーア王国を代表する《七大貴族》です。言語など、些事ではありませんか?

ねぇ、ヴェルフェル侯爵?」

「ローヴァイン侯爵の仰る通りです」

ヴェルフェル侯爵は、味方してくれた侯爵に同意して大きく頷いた。ローヴァイン侯爵は笑顔を崩さずに、今度は僕に視線を向けた。

「私はランチェスター公子が何を語るのか楽しみですよ。その上手なライン語の習得に関しても、非常に興味がありますね」

笑顔の似合う侯爵は、柔らかい表情で鋭い言葉を投げかけた。

「オークランドでは高貴な身分の教育にライン語も取り込まれているのでしょうか?

かの国の貴族は、パテル語にしか興味無いのかと思っていましたよ」

こっそりと罠を張る蜘蛛のように、ローヴァイン侯爵は僕がボロを出すのを待っているようだ。

ここでの味方はヴェルフェル侯爵とワーグナー公爵だけか…

分かりきっていたことじゃないか、と自分に言い聞かせた。

不利な状況でも、僕は自分のためにもう逃げないって決めたじゃないか?

フィーアで彼と一緒に暮らすために、これは必要な事だ…

深く息を吸い込んで、再び覚悟を決めた。

「ローヴァイン侯爵閣下、僕の拙いライン語を褒めて下さりありがとうございます」

「いえいえ。お上手ですよ。余程良い教師に恵まれたのでしょうね」

「実は話せるようになってまだ日が浅いのです。

僕は二年前に、運良くオークランドを出奔することが叶いました」

「ほう?是非ともその経緯を詳しく聞きたいものだな」

クロイツェル侯爵が、威圧するような声で話の先を促した。パテル語でなければ聞いてくれるという話は本当のようだ。

「あまり気分の良い話ではありませんが、お付き合い頂けますか?」

僕の問いかけに話を遮る人は無かった。

ただ、話の内容を知っているヴェルフェル侯爵だけは、憂鬱そうに眉を寄せて苦い表情を作っていた。

改めてヴェルフェル侯爵の優しさに触れた気がした。父親に見守られてるような心強さを感じながら、あの忌まわしい記憶を辿って話を進めた。

ランチェスター侯爵家が全てを失った内乱の話から始まって、母から引き離されたこと。伯父様の指示で監禁され、身体の一部を失ったこと。国外に逃亡した後のことなど包み隠さず話した。

七大貴族の面々は、僕の言葉を遮ることなく話を聞いてくれた。

あら捜しをしているのかもしれないけど、話を遮られるより良い事だろう。

救いようのない話が進むにつれ、聞き手の顔がどんどん険しくなっていく。

悪口を言うつもりは無いが、彼らの反応から、伯父様の玉座への執着が異常なものだったと再確認した。

「…もう良い、ランチェスター公子」

唐突に僕の話を遮る言葉は玉座から放たれた。

玉座の階下に控えていた青年が、慌てた様子で国王の前に駆けつけた。

彼は国王と僅かに言葉をかわすと、近衛を呼んで、謁見の中断を告げた。

「ランチェスター公子の話の途中ですが、国王陛下のご気分が優れないので、一時休憩と致します」と一方的に告げられ、僕の話す機会は失われた。

フィーア国王は去り際に青年に何か話しかけていた。青年が頷いたのを確認して、フィーア国王は近衛たちと玉座の間を後にした。

「ランチェスター公子もお疲れでしょう?

ヴェルヴァルト伯爵。公子を控え室にお送りしてください」

国王から後を任された青年は、僕にも退出を勧めた。指示を受けたヴェルヴァルト伯爵が僕の元に来て、玉座の間からの退出を促した。

拒むこともできずに、退出を余儀なくされた。

ヴェルヴァルト伯爵に連れられて、ヴェルフェル侯爵の傍らを通る時に侯爵と視線が合った。

言葉を交わす余裕はなかったが、不安だった僕に、侯爵は褒めるように微笑んで頷いてくれた。

この場を用意してくれたヴェルフェル侯爵のためにも、亡命を諦めることはできなかった。

✩.*˚

「なんだあの話は?!」

ランチェスター公子が退出してすぐに、堪えきれなくなったハンブルク侯爵の怒号が広間に響いた。

ハンブルク侯爵は怒りの矛先を、問題を持ち込んだ私に向けた。

「オークランド国王に人の心は無いのか?!

身内である子供に、それほどまで冷血になれるものか?!あんまりに酷い話ではないか?!」

「子供の口から聞くには不快過ぎる話でしたね…」

不愉快を顕にしたローヴァイン侯爵もハンブルク侯爵に同意して眉を顰めた。

「陛下でなくとも気分の悪くなる話だ」とやり切れない怒りを顕にして、ハンブルク侯爵はランチェスター公子の不幸な境遇を憐れんでいた。

ランチェスター公子に攻撃的だったクロイツェル侯爵でさえ、眉を寄せて不快を顕にしていた。

あの話を聞けば、ランチェスター公子の境遇に同情を禁じ得ないだろう…

「哀れではありますが…」と今まで沈黙を守っていた最高齢のモルトケ公爵がボソボソと話し始めた。

「ランチェスター公子に同情する気持ちはあるでしょうが、これは慎重に扱うべき問題です…

一度冷静になって頂きたい。

ランチェスター公子を保護して、それで終わる話ではありません。

そうでしょう、ワーグナー公爵?」

「モルトケ公爵の言う通りですな」とワーグナー公爵も同意を示した。

「人道的な観点から見れば、ランチェスター公子を保護するのは正義でしょう。

しかし、フィーア王国の利益を取るのであれば、良心に背く判断をせねばなりませんな…」

「私は公子に慈悲を与えるべきかと…

成人しているのであればともかく、まだランチェスター公子は子供です。恐らく後見人もないのでしょう?

子供はヴォルガ神の慈愛の対象です」

「ホーエナウ公爵。お気持ちは分かりますが、これは慈善ではなく政治です。

ランチェスター公子は子供ではありますが、現段階でオークランド王国の王位継承順位一位の存在です。

道端の孤児のように慈善で受け入れられる存在ではありません」

ワーグナー公爵は宰相としての立場で話を進めた。それは予想通りの展開で、予測の範囲内だ。

「一つ確認を」と私からワーグナー公爵に発言の許可を求めた。

「公子の存在が、我が国の利益になるなら、公子を引持っても良いとお考えでしょうか?」

「ふむ…正確には、《害がなく、利益を得ることができるなら》だがね」とワーグナー公爵が答えた。

「これは詭弁になりますが、いっそあの少年をランチェスター公子として迎えなければ良いのでは無いでしょうか?」

「どういうことかね?ヴェルフェル侯爵、それは謎謎かな?」

「いいえ、言葉の通りです。

さっきの公子の話の続きですが、公子はフィーアに入国後、かなり劣悪な環境で物乞いとして生活していたようです。

ドライファッハにたどり着くまで、彼を引き取ろうとする者もおりませんでした。ですので、彼をランチェスター公子と知っているのは僅かな人間のみです」

「ふむ…そういえば、卿が公子を保護した状況についても、まだ確認していなかったな…」

「ドライファッハの傭兵団で経理をしている者が、偶然ランチェスター公子を引き取ったそうです。

それが私の知り合いで、口の利けないランチェスター公子に《アルド》と名前を与えて一年以上一緒に暮らしていました。

ランチェスター公子も話ができるようになるまで自分の過去を隠していたようですし、最近になるまで誰もこの事実を知りませんでした」

「つまり、ヴェルフェル侯爵は、彼をランチェスター公子としてでなく、あくまで他人として匿うように、と?」

「左様でございます」とワーグナー公爵の問いに頷いた。

私の提案に、ハンブルク侯爵はこれみよがしに大きなため息を吐いて見せた。

「それなら何故公子を連れて来たのかね?

自領で匿えばそれで事足りるだろうに?」

「隠しておけることでは無いからでしょう?

相手はランチェスター公子です。

私がヴェルフェル侯爵の立場なら同じ結果を出します。

フィーア王国に隠せば、背信行為だと指摘される可能性もあります。

それに、ヴェルフェル侯爵の一番憂える事として、オークランドと通じていると邪推されるのは避けたいでしょう」

ローヴァイン侯爵は私の代弁をして、ワーグナー公爵に視線を向けた。

「まぁ、ワーグナー公爵閣下は全てを承知の上でこの場をご用意されたのでしょう?」

「おや?随分高く見積もるのだね?私だってこんなことになるとは露ほども思わなかったのだがね…」

ワーグナー公爵は白々しく答えると、ローヴァイン侯爵は口元に笑みを貼り付けたまま口を噤んだ。

そのやり取りを聞いていたモルトケ公爵が、脱線しかかった話を元に戻した。

「ヴェルフェル侯爵の判断は間違ってはないでしょう。隠したところで、いつかは露呈する話です。

《過ぎた》話ではなく、《これから》の話をする方が有益ではありませんか?

諸侯はランチェスター公子の亡命をどうお考えか?」

「先程の話を聞けば何が正義は明らかだ!亡命させてやるべきです!」

「しかし、亡命を許せばオークランドを無駄に刺激することになります」

「オークランドは既に敵国!何を遠慮する必要があるというのです?」

「ハンブルク侯爵、冷静にお考え下さい。

玉旗の件もあります。

ただの哀れみだけで引き取るのは、ランチェスター公子のためにはなりません。報復のつもりで手を出す者が出る可能性もあります」

「それは大いにあるな…

やはり、何らかの理由付けをせねば亡命は難しいだろうな…」

「せめて他国に逃してやることは叶いませんか?」

「どの国が引き取ると名乗りをあげるでしょうか?

ランチェスター公子と知って引き取ると言うことは、オークランド王を敵に回すということです。そんな奇特な国がありますか?」

話は前に進まずに同じ場所で足踏みを続けた。

ランチェスター公子の亡命を許したい気持ちはあるが、それを許す理由が見つからない状態で、議論は完全に割れていた。

「ヴェルフェル侯爵、卿はこの問題の妙案はあるのかね?」とワーグナー公爵が私に話を振った。

「まさか何も無しで持ち込んではないだろう?」

「ランチェスター公子を我が国の利益にする方法が一つだけあります。しかし、それが上手くいくかは、ランチェスター公子次第です」

「ふむ。我が国の利益かね?」

「左様です。まぁ、それにはハンブルク侯爵の助力が必要になりますが…」

そう前置きして、元から用意していた切り札のカードを切った。ほとんどイカサマのようなカードだが、私としてもこれにかけるしかない…

「ランチェスター公子に、イザード王国との交易の交渉材料になって頂くことです。

イザード王国のエヴァレット公爵夫人はランチェスター公子の実母です。

我が国で息子が保護されていると知れば、何らかの便宜を期待できるでしょう」

「ほう…」

「エヴァレット公爵ですか…」

私の提案で、ランチェスター公子の亡命に僅かに希望が見えた。

「エヴァレット公爵は、イザード王国で最も権威のある貴族で、その発言は国王と同等かそれ以上とも言われています。

もしエヴァレット公爵が夫人を大事にしているなら、使えないこともないはずです」

「…ふむ」と唸って、一同が口を噤んだ。

難しい賭けではあるが、勝算がない訳でもない。少なくとも、私はエヴァレット公爵がこの交渉に乗ると思っている。

「如何でしょうか?」との問いかけに、即答する者はなかった。

それでもその沈黙は、考える余地があるという意味だ。

沈黙という一筋の希望が光に変わるのを祈った。
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