燕の軌跡

猫絵師

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三公四侯

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情報が少ないのも問題だが、ありすぎるのも問題だ…

机に投げ出された便箋は乾いた音を立てて、机に散らかった。

「公爵閣下…」私のらしくない姿を、近侍長が諌めた。

「年寄りになると頭が硬くなっていかんな…

ランペルツ、熱いお茶を用意してくれんかね?

あと…そうだな、アーベンロート伯爵を呼んでくれないか?」

「畏まりました」と頷いた腹心の部下は、一切の無駄なく、私の命令を実行するために部屋を後にした。

「ナーオ…」

人の気配が消えると、書斎の暖炉の前で丸くなっていた愛猫が私に甘えに来た。

「ニケ」と彼女の名前を呼んで膝の上に招いた。

彼女は机の上に散らばった便箋を見つけると、毛に隠れた愛らしい肉球でかき集めようとした。

その仕草に笑みが漏れる。

「これこれ、これは大切なお手紙だよ。イタズラはやめておくれ」

机に身を乗り出した愛猫を抱いて、椅子を離れ、窓辺に寄った。

全く、南部は問題が多すぎる。今回もまた厄介な話を持ち込んだものだな…

愛猫を撫でながら、窓の外で王都に積もる雪を眺めていた。

この雪のように、春の訪れと共に何事も無かったように消えて無くなれば良いのだが、山積した問題は一つずつ片付けねば消えてはくれないのだ。

それどころか、問題によっては雪崩を起こす可能性もあるのが厄介だ…

「さて…如何したものかな?」猫相手に話しながら思考を巡らせた。

『神聖オークランド王国のランチェスター公子がフィーアへの亡命を求めている』か…

国益になるなら構わないがね…

この国にとって害悪になるのであれば、赤子であろうと容赦なく排除する心でいた。

「ぬー」と不機嫌そうな声を上げて、ニケは私の腕をすり抜けて絨毯に降りた。

少し遅れてノックの音がして、お茶を用意したランペルツが戻ってきた。

ニケは私以外の人間がいると甘えてくれないのだ。それが残念であり、愛おしくも思える。

「お茶をご用意致しました」

「うむ」と頷いて、愛猫を愛でるのを諦めて仕事机に戻った。気は進まないが、仕事だ…

とりあえず、本日中に片付けなければならない書類を片付けながら、アーベンロート伯爵を待った。

「お待たせして申し訳ございません」

到着した伯爵の髪にはまだ雪が残っていた。

私の呼び出しに応じて、大急ぎで来てくれたようだ。

「雪の中、呼び出しで済まないね。火急の用事だ。手紙を用意してもらいたい」

「どちらにお出ししますか?」

「七大貴族の招集だ。新年会で集まったばかりだが、重要な議題が持ち上がった。私の名前で、急ぎ招集を呼びかけて欲しい。

南部侯には私から手紙を出すので、残りの五家への手紙は卿に任せる」

「畏まりました…恐れながら、招集の内容は…」

「それは秘密だ。

此度の招集は、非常に重要な議題であり、代理人の出席は不可だ。必ず家長が出席するように記載してくれ。

これは七大貴族としての義務だ」

「承知致しました…

すぐにご用意致します」

緊張した面持ちで返事を返して、アーベンロート伯爵はすぐに用意に取り掛かった。

退室するアーベンロート伯爵を見送って、南部侯の手紙を手に取って読み返した。

さて…私も返事を書くかね…

机に向き合ってペンを手に取った。

南部侯への手紙を認めながら、視線を感じて、顔を上げた。

フワフワの毛並みのニケが机の端に座って、紙の上を走るペンを好奇心に満ちた目が追っていた。

「後で遊んであげようね」と彼女に約束して、仕事に戻った。

✩.*˚

軍船の並んだ港は、冬の寒さを感じさせないほどの熱気を持っていた。

「敬礼!」の掛け声で、整列した海兵らが客人に敬礼を捧げた。

「いやはや…さすが東海侯ご自慢の旗艦ですな。見事な軍艦だ」

ローヴァイン侯爵が、ハンブルク侯爵家自慢の軍艦を褒め讃えた。

龍の船首を取り付けることを特別に許された旗艦 《レヴィアタン号》はその名の通り海に浮くのが不思議なくらいの巨大な軍艦だ。

「父上、僕も船に乗ってみたいです!」

目を輝かせたローヴァイン公子が船を見上げて乗船を強請った。

男の子は強いものに憧れる生き物だ。

身体が弱い公子もそれは例外では無いのだろう。

それでもローヴァイン公子の希望は婚約者に諌められてしまった。

「イーゴン様、甲板は寒いですし、揺れて危険ですわ。それに乗ってるだけでも疲れますわよ」

「おや?ヴェルヴァルト伯爵令嬢は船に乗った経験がおありかな?」

「はい。これよりずっと小さな船でしたが、ずっと乗馬でもしてるようでしたわ」と彼女は船の感想を語った。その言葉に失笑が漏れた。

「それは確かに小さい船だったであろうな。

この《レヴィアタン号》は馬の背のように揺れたりはしないので安心召されよ。

ローヴァイン公子。我が《海上の城》にご招待しよう。よろしいですかな、ローヴァイン侯爵?」

「お招き頂き感謝致します」と侯爵は息子の願いが叶ってご機嫌の様子だ。

元々、西山侯から鉄や材木を譲ってもらうための交渉の場として招待したのだ。このくらいの接待で機嫌を良くしてくれるなら願ったりだ。

「我が領の鉄鉱石や樹木が、このように生まれ変わるのであれば喜ばしい事です」とローヴァイン侯爵は《レヴィアタン号》の感想を語った。

甲板から海を眺める息子たちを見守りながら、ローヴァイン侯爵は話題を僅かに変異させた。

「ところで、ハンブルク侯爵。

軍船の建造にと鉄鉱石や木材をお求めになるのは分かりますが、この港には軍船は足りているように見受けられます。

貴殿の見解をお聞かせ願いたい」

「ふむ…」と曖昧な返事を返すと、ローヴァイン侯爵はさらに踏み込んだ発言をした。

「《海上の貴婦人》とは不仲ですか?」と、ローヴァイン侯爵は《イザード王国》の隠喩を使った。

「向こうから《顔を逸らした》のだ!

《手袋を投げる》タイミングを探っているように思えるので、こちらも《剣》の用意しているに過ぎません」

「やれやれ…南部と言い、東海と言い、どうにも物騒な話題が多いものですな…

北部侯も新たな城塞を建築する予定と仰ってましたし、どこもかしこもきな臭いですね」

「おや?自分だけ関係ないような口ぶりですな?」

穏やかな表情の西山侯は、小さく苦笑いを浮かべると肩を竦めた。

「あの子のためにも、関係なくあって欲しいものですが、そうも言ってられませんな…

私は《魔の森》からフィーアの領土を守るのが仕事です。

そのために、亜人たちとは良い関係を作ってるつもりですが、こればかりは私だけの努力ではどうにもならない問題ですね…」

「何か問題でも?」

「少しだけ…」と侯爵は話を濁した。

踏み込まれたくない何かがあるのだろう。

甲板を潮風が撫で、甲高い鷹の声が降ってきた。

「失礼」と客人に断って、腰に下げていた皮の手袋を左手に履いた。

空に向かって手を振ると、手袋に付いた鳴子が打ち合って、空を翔る部下に私の正確な居場所を教えた。

降り立つ場所を見定めた伝令は、真っ直ぐに私の手に降り立った。

手袋に食い込むような強靭な足には、銀筒に入った書簡がぶら下がっていた。

火急の用か…

その報せが厄介事のように思えて、気が滅入る…

「アルビラ、ご苦労だったな」

部下を労って手紙を受け取った。手紙を届けた翼のある伝令は、仕事振りを褒められて誇らしげに胸を張った。

「ハンブルク侯爵家では伝令に鷹を使うのですか?」

「まぁ、船で沖に出てることもありますからな。

これは私の居場所を見つけられるように訓練した《ブラウファルケ》の《アルビラ》です」

「ほう…どうやって探すのですか?」

「《ブラウファルケ》は魔力の気配を察することができるのははご存知ですかな?

雛の頃から魔石を覚えさせて、それを身に付けることで私を見つけることが出来るわけです。

正確な位置はこの鳴子で知らせてやると降りてきます」

「ふむ、便利ですな」

「便利すぎて困っているのですがね…

どこにいても私を見つけるので、仕事に引き戻されるという問題が着いて回るのですよ」

ローヴァイン侯爵相手に愚痴を言って、届いた手紙を広げた。

「…これは…」と声が漏れた。

「如何しましたか、ハンブルク侯爵?」

私の反応に不穏な気配を察したローヴァイン侯爵が訊ねた。手紙の内容は彼にも関係する話だ。

「国王陛下とワーグナー公爵より、七大貴族に招集がかかったようです…」

「なんと…新年会で集まったばかりではありませんか?それほど重要な議案とは何ですか?」

「《重要な秘密事項》としか記載が無いようですな…

詳しくはワーグナー公爵より語っていただくしかありますまい」

「まぁ、七大貴族に招集という時点で厄介な案件でしょう」と同じく招集されるはずのローヴァイン侯爵が肩を竦めた。

「一緒に参りますか?」とローヴァイン侯爵が訊ねた。

ローヴァイン侯爵からすれば、自領に戻ってから王都に向かうのは時間がかかりすぎるし、その道すがら、王都を一度通り過ぎてしまう事になる。

「ローヴァイン公子はどうするのかね?」

「息子はご心配なく。

良縁に結ばれましたので…」とローヴァイン侯爵は息子と息子の婚約者に視線を向けた。

「病弱なイーゴンに、ヴェルヴァルト伯爵令嬢ほどの良縁は無いでしょう。

彼女が男児であれは、兄たちを差し置いてヴェルヴァルトを継ぐに足る存在になったでしょう。

伯爵には悪いですが、私は彼女が女性で良かったと思っております」

「ふむ…確かに惜しいな…」とヴェルヴァルト伯爵に同情した。

彼女の強さは私もよく知っている。

ヴェルヴァルトの血を最も色濃く受け継いだのは、長男でも次男でもなく、他家に出ていくはずの末っ子の娘だった。

魔導師としての力量も然る事ながら、ヴェルヴァルト伯爵家の代名詞である《全身魔装》を習得しており、その硬度も父親を凌ぐほどと言われている。

まぁ、それ故に、長いこと嫁の貰い手が無かったのだが、ローヴァイン侯爵親子の目には、彼女が魅力的に映ったようだ。

「まぁ、どちらにせよ、ヴェルヴァルト伯爵家に立ち寄ってから自領に戻る予定でしたので、私は予定通りに近いですな。

イーゴンもウィルメット嬢と過ごす良い機会です」

ローヴァイン侯爵は前向きに招集を受け入れていた。

私はというと、今回の招集には乗り気ではなかった。

新年会から戻ったばかりで、イザード王国の件もある。

「早急に終わる話であれば良いのだがな…」

私の漏らした愚痴に、西山侯は黙って苦笑いを浮かべると、肩を竦めて応えた。

✩.*˚

ブルーノから話を聞いて、ヨナタンを叱ろうと思っていたが、話は思わぬ方向に転がったらしい。

「なんだ!あの小僧の方がお前より上手うわてだったって話か!」

爆笑すると、ヨナタンは人を殺せそうな視線で俺を睨んで、不機嫌なまま窓際で煙草を咥えた。

何がそんなに気に入らんのだ?

素直に喜べない男を笑って、俺も煙草を手にした。手元に無い酒で乾杯する代わりに、煙草に火を灯して勝手に友人を祝った。

「…俺と一緒にいてあいつに何の得がある?」

「またそんな野暮な事を言う…

そんな事、本人にしか分からん事だ。アルドに訊くんだな」

「…あいつは狡いんだ…」

「へえ?お前よりか?お似合いじゃねぇか?」

意地悪く茶化すと、またヨナタンに睨まれた。どうやらこいつの欲しい言葉はこんなのじゃないらしい…

「なぁ、ヨナタン。俺がこういうのもなんだがな…

お前の人生はお前のものだ。

《ビッテンフェルト》や《雷神の拳》に義理立てしてくれるのは有難いが、お前だって幸せになる権利はあるだろう?」

「…何でそうなる?」

「全く…面倒くせぇ野郎だな…

頭でゴチャゴチャ考えて、動けなくなるくらいなら、素直になれって話しさ」

「馬鹿なお前らしい言葉だ」

「俺はそれで割と幸せになったんだ。

美人で気立ての良い最高の嫁に、頼りになる息子、可愛い娘たちができたんだぜ?

考えの足りねぇ馬鹿で良かったと思うぜ」

自分の選択が絶対に正しいとは思ってないが、この結果に満足している。

本当なら俺が手に入れることのなかったものだ…

この屁理屈ばかりの頭でっかちにも、少しくらい俺の馬鹿を習って欲しいもんだ。

こいつの頭を思いっきり殴ったら、少しくらい劣化して馬鹿になるだろうか?試してるか?

俺の物騒な考えを、ヨナタンのボヤくような本音が遮った。

「…俺とアルドが居なくなったら…困るだろうが…」

「あぁ…そうだな…」

それには素直に頷いた。

何だ?俺に気を使ってたのか?

「お前がビッテンフェルトを押し付けられた時に、背中を押しちまった…」

「そんなこともあったな…」

懐かしい話だ。夏の夜風に当たりながら、交わした会話も覚えている…

あの時はお前に格好つけられた。

「今度は俺が言う番だな…」と失笑して、ヨナタンの言葉をそっくりそのまま返した。

「『頼れよ』だったな…俺たちは仲間だろ?」

何だ、その顔は?

俺はお前の言ったことを、そのままそっくり返しただけだよ…

まだ少し残った煙草を口に運んだ。

口に含んだ紫煙は、いつもより苦く感じた…

✩.*˚

フィーア王国の七大貴族が一同に会すのは、国家の有事か重要な儀式くらいだ。

まさかまた王都にとんぼ返りする羽目になるとは…

馬車の揺れに乗じて、こっそり吐いた溜息を、同乗者は見逃さなかった。

「ヴェルフェル侯爵閣下。閣下のご親切に甘えて、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と少年は私の溜息の理由を察して詫びた。

子供に気を遣わせたようで、少し悪い気がした。

「気にするな、ランチェスター公子。

恥ずかしい話だが、実は私も緊張していてね…

君なら上手くやってくれるとは思うが…まぁ、その、七大貴族ともなると、なかなか癖の強い方が多いのでな…」

「左様ですか。僕も長く貴族の生活から離れておりますので、粗相するかもしれません。ご指導よろしくお願い致します」

「そう謙遜する必要は無い。

君の行儀は私の妻のお墨付きだ」と本心から褒めた。

ランチェスター公子は長く貴族の生活から離れていたと言うが、アレクシスの行儀を見るよりずっと安心感がある。

幼い頃から質の良い教育を受けていたのだろう。

王位継承順位一位というのは伊達では無いな…

「ところで、侯爵閣下。僕から少し質問してもよろしいでしょうか?」

「何かね?」

「恥ずかしながら、僕はフィーア王国の社交界の情報に疎いのです。

これからご挨拶させていただく皆様について少し教えていただくことは可能でしょうか?」

「あぁ、そうだな…

フィーアの《七大貴族》はご存知かな?」

私の質問に、ランチェスター公子は頷いて答えた。

「三つの公爵家と四つの侯爵家で構成されるフィーア王国を代表される貴族だったかと記憶しています。

詳しくは存じ上げませんが…」

「うむ。ざっくり言うとそういうものだ。

宰相を歴任し国政を支える賢者の一族、ワーグナー公爵家。

神官職としてヴォルガ神の神殿を預かるホーエナウ公爵家。

フィーア王国の法の番人であるモルトケ公爵家。

東海の管理を任されている東海侯・ハンブルク侯爵家。

アーケイイックの森と接する西方を守る西山侯・ローヴァイン侯爵家。

北方の国境を守る北部侯・クロイツェル侯爵家。

そして、南部の国境を守る南部侯・ヴェルフェル侯爵家を含めた、三公爵家と四侯爵家を合わせて七大貴族と呼ばれている」

「そうなのですね。勉強になります」

「まぁ、偉そうに言っているが、ヴェルフェル侯爵は七大貴族の中でも一番新しい家なのだよ。

私の祖父の代までは、ヴェルフェル家は南部辺境伯という肩書きだったので、発言権は七大貴族の中でもそこまで高くないと思ってくれ。

とりあえず、君はワーグナー公爵閣下に気に入られるように頑張りたまえ」

「ワーグナー公爵閣下はどのようなお方ですか?」

「ふむ…まぁ、そうだな…非常に《貴族らしい》方だよ。

ワーグナー公爵閣下の中で、最も重要なのは《国益》なのだよ。そのためなら悪魔にもなり切れる方だ」

「僕がフィーアの《国益》と判断されれば、ワーグナー公爵閣下はお味方下さると?」

「まぁ、そういうことだ。

公爵の天秤を、僅かにでも自分に傾ける事が出来たら君の勝ちだ」

「難しいお話ですね…」

「こればかりは私にもな…

とにかく、君は自分を高く売りつける事を考えたまえ。利用できるものはできる限り利用することだ」

「畏まりました。閣下からのご助言感謝致します」

深々と頭を下げて、ランチェスター公子は私の助言を受け入れた。

礼には及ばないのだ。私にできるのは、交渉の場を整える事までだ…

父上であれば、この可哀想な公子のために、亡命を容易くもぎ取った事だろう…

私では、あのワーグナー公爵から《友》と呼ばれた明敏な父上には遠く及ばない。

父上の背中は遠い…

子供を死地に送り出すような罪悪感を覚えて、またこっそりと溜息を漏らした。

✩.*˚

王都のヴェルフェル侯爵家のタウンハウスに到着すると、すぐに手紙を携えた使者が訪れた。

柔らかい笑顔で侯爵と握手を交わすと、栗色の髪の紳士は、《ヴァインハイム男爵》と名乗った。

「神聖オークランド王国の王位継承順位一位のランチェスター公子様にお会いできて光栄です」と挨拶した男爵は、主から預かったという贈り物を屋敷に運び込むように指示した。

「ワーグナー公爵閣下より、ランチェスター公子様への贈り物です。どうぞお納めください」

ヴァインハイム男爵は、僕のために終始流暢なパテル語で話してくれた。

既にランチェスター公子の値踏みが始まっているのだ…

「ありがとうございます。

僕のような若輩者をお気遣い下さり、ワーグナー公爵閣下のご親切に感謝申し上げます」

笑顔を作ってライン語でお礼を伝えると、ヴァインハイム男爵は眼鏡の下で少し驚いたような表情を見せた。掴みは悪くないようだ…

「ヴァインハイム男爵閣下、少しお時間を頂戴することは可能でしょうか?

僕の感謝を手紙にしたためて、ワーグナー公爵閣下にお伝えしたいのです」

「なるほど…公爵閣下は公子様のふみをお喜びになられることでしょう。

ヴェルフェル侯爵閣下、待たせて頂いてもよろしいでしょうか?」

「もちろんです」とヴェルフェル侯爵は快諾して、手紙の用意と、客人をもてなす用意をするように家人に指示した。

「手紙とは良い考えだな」と侯爵は小声で僕を褒めてくれた。

「お礼状は仕事柄得意ですから」と答えて、手紙を書くために一人別室に篭った。

一緒に運んでもらった贈り物の中身は服だった。

白を基調にした服は何を意味しているのだろう?

この服も僕を試すための判じ物なのだろうか?

返事を考える時間は少ない。

急いでペンを手にした。

この手紙で、僕の行く末が決まると、自分に言い聞かせた。

偉い人とは接点が極端に少なくなるものだ。僅かな機会でも無駄にはできない。

ただおべっかを並べるだけでは、気を引くことはできないだろう…

《国益》か…

難しい話だ。僕に出来ることはなんだろう…

公爵を喜ばせるような何かがあればいいのだけれど…

この国で、ランチェスター公子に求められることはなんだろうか?

「…白…」

雪のように真っ白の礼服は何の色にも染まっていなかった。まるで絵を描く前のキャンバスだ…

もしかして…このまま受け取るのは不正解なのでは?

ワーグナー公爵への手紙の続きを綴って、礼服の入った箱を手に取ると、それを持ってヴァインハイム男爵の元に向かった。

貰ったばかりの贈り物と、認めた手紙を持って戻った僕に、ヴェルフェル侯爵とヴァインハイム男爵の視線が注がれた。

「お待たせして申し訳ありません」と詫びて、箱と手紙をヴァインハイム男爵に差し出した。

「…これは?」と驚いた顔でヴァインハイム男爵が訊ねた。

「ワーグナー公爵閣下に、『ランチェスター公子からの返事です』とお渡し下さい」

「ランチェスター公子、一体何を…

贈り物を返すなど無作法ではないか?」

僕の行動に違和感を覚えた侯爵が、僕の行動を咎めた。

「確かに侯爵閣下のおっしゃる通りです。

でも、これは僕からのワーグナー公爵閣下への敬意を示す行動であるとご理解ください」

「…分かった、公子の好きにするがいい…

ヴァインハイム男爵。すまないがランチェスター公子の言う通りにして貰えないだろうか?」

ヴェルフェル侯爵も、僕が理由もなしに贈り物を返すとは思わなかったのだろう。

柔軟に理解を示してくれた侯爵に感謝した。

ヴェルフェル侯爵の口添えもあり、ヴァインハイム男爵も渋々荷物を受け取ってくれた。

「…分かりました。ワーグナー公爵閣下へはそのようにお伝え致します」

「ありがとうございます、ヴァインハイム男爵閣下。

ワーグナー公爵閣下に、ランチェスター公子は《素晴らしい贈り物を喜んでいました》とお伝えください」

ヴァインハイム男爵は最後まで理解できない様子で、届けた贈り物と僕の手紙を持って、馬車に乗りこんで帰って行った。

「一体どういうことか教えてくれないかね?」

ヴァインハイム男爵を見送ってすぐに、ヴェルフェル侯爵が僕の行動の意味を訊ねた。

「送っていただいた服が真っ白だったんです」と正直に答えた。

「真っ白?」

「はい。だから何か試されてる気がして…

ですので、ワーグナー公爵閣下の《望まれる色にして頂くように》とお願いしました。

正解かは分かりませんが、僕の気持ちは伝わると思います」

「…なるほど…君は人たらしのようだな…」

「それはお褒めいただいたと思ってよろしいでしょうか?」

「まぁ、そうだな」と笑って、ヴェルフェル侯爵は僕の肩に手を置いた。

「さて…風邪を引くと良くないな。暖かい部屋で今後の対策でも考えよう」

侯爵は父親のように僕の肩に手を置いて、屋敷に足を向けた。侯爵の硬い手のひらが頼もしく思えた。

✩.*˚

ワーグナー公爵は、私の持ち帰った贈り物と手紙を確認して機嫌を良くした。

驚いたことに、あの幼い印象の公子は、公爵の求めた正解を導き出したらしい。

「なかなか可愛い子供ではないか?」

上機嫌のワーグナー公爵は猫を抱きながら、家人を呼ぶと服を片付けさせた。

真っ白な礼服は、ランチェスター公子を試すという役割を終えて退場した。

「ヴァインハイム男爵。ご苦労だったね」

私を労って、公爵は一緒にお茶を飲んで行くように勧めた。

断る理由もなく、公爵に出されたお茶を頂戴した。

ワーグナー公爵は、一体何があって、この無礼を喜んでいるのだろうか?

一国の宰相が、贈り物を突き返されたのだ。不敬だと怒る方がまだ納得出来る。

それ故に、この状態は薄気味悪かった。

「ランチェスター公子はどんな子だったかね?」と侯爵は私に感想を求めた。

「ランチェスター公子は愛らしい見た目の少年でした。

天使のような人を魅了する顔立ちに、柔らかい金糸のような髪の美少年です。

パテル語で話しかけた私に、ライン語で答えられました。上流語ではないものの、それなりに使い慣れている様子です。

おそらく、ヴェルフェル侯爵閣下に保護されるまでに覚えたものと考えられます」

「ふむ。なかなか頭の良さそうな子供だな…

手紙を見たが、この字を見る限り、高等教育を受けていることは間違いなさそうだ。」

そう言って、ワーグナー公爵は公子からの手紙を私に見せた。

なるほど…確かにこれは…

手紙の内容はシンプルに感謝を述べる内容で、贈り物を返した理由も、心地よいものだった。

「このために、白い服を用意なさったのですか?」

「まぁ、そうだね。何かしら面白い返しを期待しての事だったので、私は満足しているよ。

しかし、この若さでなかなか人たらしではないか?」

「本当に一人でこの結論に至ったのでしょうか?」

「ヴェルフェル侯爵はもう少し頭が固いだろうからね。入れ知恵するには役不足だ」

「本人のお耳に入れば気分を悪くされるのでは?」

「なぁに、前ヴェルフェル侯爵に比べての話だよ。それに、おつむは良くないが、彼は武人としては優秀だ。

今の南部に必要なのは、策謀を巡らす知者ではなく、国を守る覚悟を持った武人だよ。

そういう意味では、私の《親友》は良いものを残してくれたね」

公爵はそう呟いて、懐かしそうな顔で愛猫を撫でていた。

その姿が、年相応の老人に見えたのは、私の気のせいであると思いたかった…
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