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帰る場所
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攫われた子供の行方はまだ分からない…
ドライファッハのブランド男爵家に働きかけて少年を探させたが、未だに朗報どころか、有力な情報はなかった。
「早く見つかると良いのですが…」と心配するガブリエラを慰めることくらいしか、私にできることは無かった。
二人で報せを待っていると、バルテルがやってきて違う意味で待っていた報せを伝えた。
「閣下、失礼致します。
今しがた、大ビッテンフェルト卿がブルームバルトからお戻りになったそうです」
「卿が?」
「はい。閣下へのお目通りを願っております」
「通してくれ。私も卿に謝罪せねばならないことがある」
私の返答にバルテルは暗い顔で頷いた。
アルドを預かっていたトゥーマンが迎えに来た時、バルテルは自身の判断で引き取りを断っていた。結果的に、それは私の名誉を傷つけることに繋がった。
私やガブリエラの為にとした事だったが、それが裏目に出てしまった。
アルドの誘拐で、バルテルは失態を晒し、私の顔に泥を塗ることになった。
「卿を呼んでくれ」とバルテルを下がらせた。
バルテルが出て行ってすぐに、大きな老人が部屋を訪れた。
ガブリエラと二人で立ち上がって、大ビッテンフェルトを出迎えた。
「ご挨拶が遅くなり申し訳ございません」と卿は真っ先に我々に詫びた。
「いや。新年会の帰りに、連絡もなしに勝手に立ち寄ったのは私だ」
「左様でしたか。どうぞ我が家と思っておくつろぎ下さい。
尤も、侯爵閣下をお迎えできるような立派な家ではございませんが…
孫のもてなしに不手際はございませんか?」
「いや、卿の孫が良くもてなしてくれた。よくできた後継者だ。
卿らには世話になったのに迷惑をかけて申し訳ない」
「はて?迷惑?何の話ですかな?」と老人を装って大ビッテンフェルトが訊ねた。
もう彼の耳に入っているはずなのに、彼はなかったことのように振舞った。
「アルドの件だ。卿の家で預かっていた少年が我々の不手際で誘拐されてしまった」
「あの子は私たちが連れ出したのです。まさかこんなことになるなんて…」
言葉を詰まらせたガブリエラに、大ビッテンフェルトは驚く言葉を口にした。
「侯爵夫人、落ち着いて下さい。
アルドなんて少年は初めからおりませんでした」
「なんて事を…あの子を見捨てる気ですか?」
「事実です。アルドという少年は存在しません。故に、侯爵閣下や侯爵夫人が気に負われる事はございません」
声を荒らげたガブリエラに、大ビッテンフェルトは落ち着いた様子で同じ主張を続けた。
「…大ビッテンフェルト卿。それは…我々にこれ以上関わるなと言うことだろうか?」
「そのように捉えて頂いて構いません。
あの子は《雷神の拳》の傭兵見習いの孤児です。侯爵閣下を煩わせるなど恐れ多い…
どうぞお忘れください」
大ビッテンフェルトの言葉には違和感があった。
私だけでなく、ガブリエラもそう感じたようだった。
「大ビッテンフェルト卿。あの子を私たちにお譲りくださいませ」とガブリエラが大ビッテンフェルトに申し出た。
「あの子は私の小姓として引き取ります。
知性も教養も申し分ありません。あんな良い子を傭兵だなんて…
秘密があるにしても、あの子が何かをした訳では無いのでしょう?それなら私が…」
「ガブリエラ、よしなさい」
感情的になった彼女をなだめようとしたが、彼女はさらに感情を露わにした。
「いいえ、パウル様。私は本気であの子を引き取りたいと思っています。
あの子だって、その方が良いはずです。傭兵だなんて、あの子には似合いません」
「ガブリエラ、よしなさい。今回の騒動は我々が招いたことだ。卿にこれ以上迷惑をかけるのは、夫である私が許さない」
たしなめるつもりで、厳しい言葉で彼女の主張を退けた。こんなに感情的になる彼女は珍しい。
いつだって彼女は完璧で、貴族としての余裕のある振る舞いを心がけていた。
彼女がこんなに取り乱すのはあの時以来だ…
「だって…アルドは…あの子にそっくりで…」
「そうだな…だが、あの子はヴォルフでは無いのだ」
彼女を抱き締めて慰めていると、大ビッテンフェルトが訊ねた。
「失礼。あの少年は誰かに似ているのですか?」
「アレクシスの兄だった、ヴォルフラムによく似ていてな…取り乱してすまなかった」
「…なるほど…そうでしたか」と頷いて、大ビッテンフェルトは気まずそうに口を閉ざした。
ヴォルフの病気は隠していたが、死んだことについては周知の事だ。
しばしの沈黙の後、「侯爵夫人」と大ビッテンフェルトがガブリエラに声をかけた。
「私も言葉を選べず申し訳ございませんでした。お許しください。
アルドについては、お引渡しは出来ませんが、我々で必ず連れ戻します。ご安心下さい」
「…あの子は」
「我が家で起きたことの責任は全て私が引き受けますが、侯爵閣下にご迷惑をおかけして、お咎めなしとはいきません。
息子がアルドを連れ戻しましたら、詫びに連れて参ります」
大ビッテンフェルトの答えは厳しいものだが、優しい声音だった。
アルドが戻ることを願いながら、後のことを大ビッテンフェルトに任せた。
✩.*˚
「…聞こえたか?」とフィッシャーに訊ねた。
道の先だろうか?
遠くから人の声が聞こえた気がした。それはフィッシャーの耳にも届いていたらしい。
「もう一度飛ばします。何か伝言を下さい」
フィッシャーはそう言って、一度引き上げさせた小鳥にまた燃料を与えて命を吹き込んだ。
「アルド少年を落ち着かせるような言葉を下さい。かなり精神的に参っているはずです」とフィッシャーはアルドを気遣った。
「《アルド。すぐに行く。諦めず待ってろ》」
差し出された小鳥に伝言を預けて放すと、小鳥は真っ直ぐに飛んで行った。
「…ん?」
小鳥は何故か道をズレて林の方に消えた。
「おい。あいつあっちに飛んで行ったぞ?」
「え?」と驚きながらフィッシャーが馬の足を弛めた。
「この先の道が曲がっているのですか?
山道でもないのに変ですね?」
「そんなことないだろ?」と答えて、ドライファッハの周辺の地図を思い起こした。
この道は旅人や商人が使うために舗装されている。昼間であれば見通しだって悪くない。
多少道が歪んでも、あんな方向に曲がるだろうか?それとも…
「傀儡が対象を間違えるはずがありません。行ってみましょう」
フィッシャーはそう言って馬の向きを変えた。
「用心してください」
「あぁ」と頷いて、得物を握った。
出てくるのがアルドを攫った奴でないにしても、獣くらいは出て来るかもしれない。
黙って伸び放題の草を掻き分けて進んだ。
フィッシャーには、飛んで行った傀儡の位置がだいたいで分かるらしい。
用心しながら進んでいると、また人の声が聞こえた。
「まずい!」と声を上げて、フィッシャーは急に馬の足を早めた。
危うく舌を噛みそうになって文句のひとつでも言おうとした。
「おい!何が…」
「傀儡が壊されました!ランチェスター公子が危険です!」
帰ってきた返事に血の気が引いた。
こんな林の中で何やってんだ?!
暗い木々の隙間に動くものが見えた。
縺れた二人分の人影に見えた。
「アルド!」
俺の声に反応した影が一瞬動きを止めた。
その隙にフィッシャーが馬を操って一気に間合いを詰めた。
「《宿れ》!」とフィッシャーが紐状の何かを纏めて投げた。
紐は生き物に姿を変えると、大きい方の人影を襲って、小柄な人影から引き剥がした。
「今のうちに!」とフィッシャーの緊迫した鋭い声が急かした。
馬を降りて、地面に這いつくばって動けない小柄な影に駆け寄った。
「…ヨナ」とアルドの声がした。何とか聞き取れる程度の舌っ足らずな声だが、間違えるはずもない。
関所の奴が言ってた通り、アルドは女の格好をさせられていた。近くで見ると、髪の色も変わっている。人相を触れ回っても無駄なわけだ…
「逃げるぞ、立てるか?」とアルドに訊ねて手を貸した。
「ごめんなさい、ヨナ…僕…」
「そんなの後にしろ!逃げるのが先だ!」
諦めたかのように謝るアルドを叱咤して、無理やり立たせた。
足に力が入らないのか?
アルドは、俺を支えに何とか立っている状態だ。走れないどころか、歩くのも難しい。
「背中に掴まってろ」と告げてアルドを背負った。両手が塞がるが仕方ない。
フィッシャーが足止めしてる間に逃げる約束だ。
クソっ!動けよ俺の足!
ここまで休みなく動き回って、俺の足も腰もガタが来ていた。
アルドが頼りないほど華奢で良かったと、この時ばかりは本気で思った。
「あの人は…?」とアルドは俺の背で、後に残したフィッシャーの心配をしていた。
「あいつなら心配ない。自分で引き受けたんだ」
「でも…」
「お前に鳥を寄越してたのはあいつだ。おかげでお前を見つけられた」
「あの人が?」
「あぁ、そうだ。
イザード王国の《エヴァレット公爵》の命令でお前を探してたらしい」と教えると、背中でアルドの驚いている気配が伝わってきた。
アルドは、エヴァレット公爵が自分の母親の再婚相手だと知っているはずだ。
なんのために自分を探しているのか、気にならないはずはない。
「お前の母親の望みだそうだ…」
隠さずに、アルドに話した。
俺の背に負われていたアルドは、また驚いたような反応を返した。
そうだろうな…
俺だって、捨てられても、家族のところに戻りたいと思っていた頃はあった…
こいつだって、理不尽に奪われたんだ…
本当は貴族のお坊ちゃまで、何不自由なく暮らしていて、両親から愛を注がれていたはずだ。
そんな幸せだった頃を懐かしんでいても、何ら不思議はない。
俺と一緒にいる事の方が不自然で歪んでいる…
「良かったな」と言いながら、胸を締め付けられるような痛みを我慢していた。
背中に伝わる体温は、冷たく振舞おうとする俺の心を温めて痛みを与えた。
「ヨナ…」
「エヴァレット公爵は、お前を保護するつもりだそうだ…
多少不自由もあるかもしれんが、オフィーリア王女の願いだ。エヴァレット公爵もお前を無下にしたりしないはずだ。
俺と暮らすよりは…ずっといいはずだ…」
最後の言葉を紡ぐのに苦労した。
もっと格好つけるつもりだったのに…ダセェな…
「ヨナ…僕は…」
「無理してたろ…
こんなオッサンのパートナーなんて、隠れ蓑でもない限り、お前にはメリットのない話だ。
お前にとって都合のいい宛があるなら、そっちがいいに決まってるしな…」
「そんな…僕は、君が…」
「そんな無理すんな…惨めになる…
お前はフィッシャーと話をして、母親のところに帰れ。
ランチェスター公子にとって、それが最善だろう?」
《アルド》は俺が与えた名前だ…
現実には存在しない子供の名前だ…
《アルド》は俺の作った妄想だったと思えば、失っても無かったことにできる…
背中ですすり泣く嗚咽を、聞こえない振りでやり過ごした。
俺が泣けないのは意地っ張りでひねくれているからだ…
愛してる…
鉛のように重くなった足でも、寒さに悴んで辛い腕も、お前のためになら踏ん張ることができる…
背中に染みる癒されるような体温が、刺すような痛みを俺に与えていた。
これでいいんだ…
意地を張って、そう自分に言い聞かせた…
✩.*˚
あと少しだったのに…
西山候領はもう目と鼻の先だった。
苛立ちを覚えながら剣とダガーを握って、にじり寄る蛇を踏み潰した。
動けないはずだと完全に油断していた。
疲労と油断で、子供相手にとんだ失態だ。
殴られた箇所はズキズキと鈍い痛みを訴えていた。
すぐに追いついて捕まえたが、抵抗されているところに邪魔が入った。
邪魔に入った二人組の一人がランチェスター公子を連れて逃げ、もう一人は俺の足止めをした。
残ったということは、腕に自信があるのだろう。
奇妙な術を使う男は、外套を脱いで、「《宿れ》」と呟いて俺に向かって放り投げた。
バサッ、と広がった外套は、瞬く間に大きな鷲に姿を変えた。
翼を広げて襲いかかる鷲は本物のようだ。
一体どういう魔法だ?
幻覚かと疑ったが、繰り出された猛禽の爪は鋭い痛みを加えながら肩にくい込んだ。
「クソッ!このっ!」
毒を含ませた刃で鷲の身体を貫いたが、鷲は少し怯んだくらいで死にはしなかった。
目の前のこれは生き物じゃないのか?毒が役に立たないとなると厄介な相手だ…
にじり寄る蛇が足に食らいついて邪魔をした。
剣で突き刺して動きを止めたが、こっちも簡単には死なないようだ。
「…なら」と、邪魔な大きな翼に剣で貫いて、近くの木に縫い止めた。肩に突き刺さっていた鷲の猛禽の脚を切り落とすと、切り落とした足は布切れに変わった。
「やっぱりこの程度ではダメですか…」
奇妙な術を操る男は苦く呟いた。
もう他に手がないのか、男は諦めたように短い剣を抜いて、抵抗の意志を見せた。
「貴方、《蜘蛛》でしょう?」と、男は俺の正体を言い当てた。
「だったら何だ?」この男は殺すべきだな…
「何本足です?」と、男はさらに部外者では知り得ない事を訊ねた。
何故そんなことを知っている?
足の数を気にするということは、こいつも《蜘蛛》なのか?
だとしたら何故邪魔をする?
「俺は《四本》だ…お前も《蜘蛛》か?」
「《蜘蛛》ではありませんが、意味くらいは知っています。
《四本》か…私じゃ勝てそうにはないですね…」
相手はそう呟いて、隠していた左手から何かを投げた。
身構えた瞬間、男の手を離れた何かが強い光を放った。
暗闇に慣れていた目が眩んだ。
卑怯な手をっ!
閃光に怯んだ俺の腹に、抉るような熱い痛みが刺さった。
浅く済んだのは、相手が目に頼らずに短剣を突き立てたからだろう。
《蜘蛛》として培った経験で、痛みに対して身体が勝手に動いていた。
「ゔっ!」
繰り出された剣を頼りに、反射的に伸ばした足には確かな手応えが残った。相手の草に倒れ込む音と、くぐもった悲鳴が聞こえた。
追い打ちをかけたかったが、蹴り飛ばした相手を追うのは、閃光で眩んだ目では難しかった。
骨が折れるような手応えがあったから、すぐに逃げられることは無いと思っていたが、視力が戻る頃には、相手の姿は掻き消えていた。
何て逃げ足の早い奴だ…
舌打ちして、あの男のとどめを刺すのを諦めた。
ランチェスター公子を連れて逃げた奴は、馬を諦めて、子供を背負って逃げていた。
まだ遠くには逃げてないはずだ…
ダガーを一度鞘に納めて、刃に毒を含ませた。
成功を約束されていた状況だけに、失敗に苛立っていた。
こんなところで諦められるか…
二人が逃げたはずの方向に足を向けた。
✩.*˚
草を掻き分ける音が後ろから聞こえた。
掻き分けて踏んだ草が恨めしげに道を作って、俺たちの通った後を教えていた。
「ヨナ…後ろ」
「分かってる」と答えて、ずり落ちそうなアルドを担ぎ直した。
どっちが追いかけてきてるのか分からないが、足を止めて確認する気はなかった。
フィッシャーなら放っておいても、また俺たちの前に現れるだろう。
しかし、後ろから来るのが悪党なら大問題だ…
渡すかよ!アルドはまだ俺のものだ!
母親に渡すなら文句はないが、悪党なんぞにくれてやる理由なんてない。
苦しい呼吸を繰り返して、今にも膝を着きたくなる足を叱咤した。
限界なんてとうに超えてる。それでも足を止めていい理由なんかになりゃしない。
ここまで来たのが無駄になる。無駄は御免だ…
「…ヨナ、もういいよ」
背中で諦める声がした。肩に掛かっていた腕が緩んだ。
「バカ!しっかり掴まってろ!」疲れた腕では支えきれずに、アルドの身体がズルズルとずり落ちそうになる。
「ありがとう…ヨナの気持ちは分かったから…
僕を置いて行って下さい」
「そんなわけいくか!
俺は無駄働きなんかしないぞ!手ぶらで帰れるか!」
ずり落ちそうな身体を何とか支えて、少しでも前にと足を動かした。
遮るように伸びた木々の向こうに、開けた場所が見えていた。もう少しで道に出られる…
諦めるのはまだ早い。時間を稼げは、カペルマンが加勢を寄越してくれるはずだ。
弱気になったアルドは、泣きながら俺だけ逃がそうとした。
「だって…君には死んで欲しくないから…生きてて欲しいから…だから…」
「勝手に諦めるな!だったらちゃんと掴まってろ!」
アルドの諦めを叱って黙らせた。
いいんだよ…ここで死ぬならそれでも…
お前を諦めて生きるより、苦しまずに済む…
《あの時、ああすりゃ良かった》なんて、後悔してヤケ酒煽って、手首に傷を増やすのはもう止めたんだ…
失うとしても俺の命だ。他人にとやかく言われる筋合いはない。
何とか震える足で舗装された道に辿り着くと、回らない頭で必死に思い出して、元来た道の方に向かって逃げた。
俺たちが道に出た後に、遅れて追いかけてくる足音が聞こえた。
身軽な分、足音は早く、俺たちのすぐ後ろに迫った。
「クソッ!」覚悟を決めて、後ろに回していた右手を外し、ボウガンに手を伸ばした。
おい、試作品!ちゃんと動けよ?!
肉薄する相手は手に鋭く光る刃を握っていた。
「よくも邪魔してくれたな…」
恨みがましい男の声が冷たい空気を伝って、感覚を失った耳に届いた。
「やめて!」と叫んだアルドが、俺の肩に回していた手を男に向けて伸ばした。
それが僅かに牽制になったらしい。
飛びかかろうとしていた男は舌打ちすると、刃を引いてたたらを踏んだ。
皮肉なことに、アルドが俺の盾になった。
アルドの作り出した隙に、ボウガンの引き金を引いて鉛筆状の矢を飛ばした。
体勢の悪い状態で放った矢では、相手に傷を追わせることは出来なかった。
一矢を外した事で相手は油断したらしい。
それでもそんな程度じゃどうにもならないことは俺だって分かってる。
必中必殺なんて求めちゃいない。
俺の腕じゃ、外すなんて想定内だ。
それでも、これは俺が信頼してる職人に作らせた特注品で、ただのボウガンじゃない。
腕を振って遠心力で本体を前後させると、次の矢が装填され、弓の弦が引き金に引っかかる仕組みになっている。それを知ってるのは俺と作った奴だけだ。
放たれた二本目の矢は、油断していた相手の左肩に命中した。
身体の中心を狙ったのに、一瞬の判断で上手く躱しやがった…面倒くせぇ相手だ…
矢を装填する動作をして、ボウガンを構えると、相手も身構えた。
片手で装填できるのは良いが、動作で予測されるのは良くないな…
所詮玩具って事か…
牽制くらいにしかならないが、無いよりマシだ。
アルド降ろしてを背中に庇いながら、ジリジリと後ろに退いた。
「もう歩けるか?」と相手を睨みつけたままアルドに声をかけた。
「歩けるなら先に行け。
ビッテンフェルトの屋敷で働いている、元傭兵の爺さんが助けに向かってるはずだ」
「ヨナは?」と問いかけるアルドの質問は無視して、「行け」と背中に張り付いたアルドを押した。
軽い感触を残して、他人の温もりが俺から離れた。
少しの間を開けて、離れて行く足音を背中で聞いた。
それでいい。ちゃんと逃げろよ?もう戻ってくんな…
俺の安堵とは対照的に、獲物に逃げられた男は焦りを感じていた。
目の前の男にとって、ほぼ成功したも同然の仕事が御破算になったのだ。怒りもするだろう。
男は姿勢を低くして、得物を握って地面を蹴った。
俺も構えたボウガンの引き金を引いた。
棒状の矢が吐き出されて男を襲ったが、矢は届く前に凶器に弾かれた。
次を装填して撃ち込むまでに間合いを詰められる。
避けなきゃならんが、俺が避ければ、こいつは俺を無視してアルドを追うだろう。
行かせるか!この馬鹿野郎!
突き出されたダガーをボウガンで殴り付けた。
悪手でもこうするしか無い。
せっかく作った試作品は壊れてしまったが、相手のダガーは弾かれて草むらの方に飛んで行った。
男の舌打ちが暗闇に響いた。
失敗を意味する舌打ちで気分が良くなるのは、俺が性格が悪いからだ。
「どこまでも邪魔を…望み通り殺してやる…」
不穏な言葉が呪詛のように男の口から漏れた。
まぁ、そうだろな…
他人事のように笑って、「死んでも退かねぇ」と強がった。
全く、らしくねぇよな…
相手は殺しのプロで、俺は傭兵とはいえ事務方だ。
分が悪いなんてもんじゃない。自殺行為だ。
自嘲しながらダガーを構えた。
とりあえずこいつで何とか凌いで、時間を稼ぐしかない…
アルドはどこまで行けただろうか?
あいつは運の強い奴だから、きっと大丈夫だ。
もう俺無しでも大丈夫だろうさ…
✩.*˚
「…本当にそれで良いのか?」
ヨナタンの居場所までの案内役は、紐を足に繋いだ小鳥だった。
小鳥は足にぶら下げた白い紐を靡かせながら、馬の前を先導していた。
「この鳥を操ってる男がトゥーマン殿と行動を共にしているはずです」とカペルマンは大真面目に答えた。
案内の小鳥は、ドライファッハから西山候領に抜ける道をひたすら飛んで行く。
半信半疑で小鳥の後を追って、馬を走らせ続けていると、前に伸びる道に動くものを見つけて馬を寄せた。
女?女の子か?それにしては髪が短い…
ボロボロな姿で道の真ん中に突っ立っていた女は、俺を見上げてかすれた声で呟いた。
「…だ、団長?」
その声に覚えがあった。馬を降りて相手を確認した。
「もしかしてお前…アルドか?」
俺の呼び掛けに、女の姿をしたアルドが頷いた。髪の色が変わっていて女の格好をしているが、アルドの面影は残っていた。
「保護しろ」と着いてきていた奴らにアルドを預けた。馬の背に戻ろうとした俺の背に、縋るようなアルドの声が届いた。
「団長、ヨナが…残って…」
「分かってる」
あの馬鹿め…まともに戦えもしないくせに、柄にもなく格好つけやがって…
腹に苛立ちを隠して、ハルバードを握り直した。
お前がいないと、《雷神の拳》はすぐに潰れるぞ!
「トゥーマンを死なせるなよ!」と檄を飛ばすと、傭兵たちは吠えるように「応!」応えた。
暗い道に馬蹄の音を響かせながら先を急いた。
暗い道を進んだ先に、縺れ合うような人影を見つけた。
「ヨナタン!無事か?!」
声を張って馬の脚を早めた。
「旦那様!お気を付けを!」とカペルマンが俺に警告した。
「分かってる!」
ここに来るまでに《蜘蛛》の事は聞いていた。危険な毒を使うとあって用心しなきゃならん相手だ。
俺たちに気付いた相手は逃げるような素振りを見せた。
「囲め!絶対に逃がすなよ!」
「おお!」と応えた奴らが、馬の腹を蹴って前に出ると、逃げ道をふさいだ。
素早く包囲された事で、男は逃げるのを諦めたようだ。
「ちっ…」舌打ちした男はヨナタンの髪を掴んで盾に使った。
執念だけで男を足止めしていたのだろう…
ヨナタンは見たことないくらいに痛めつけられていたが、俺に気付くと、やり切ったかのような顔で笑った。
「ヨナタン…」
「動くな!」と牽制の声を上げて、男はヨナタンの喉元に刃物をチラつかせて脅した。
「この男と馬を交換しろ。断ればこの場でこいつを殺す」
陳腐な脅し文句だが、残念なことに、それは有効だった。
俺たちはヨナタンを助けに来たのだ。今ここでヨナタンに死なれたら、俺たちは失敗して帰ることになる。
「旦那様…」
「やむを得ん。預かってろ」
馬を降りて、ハルバードをカペルマンに預けた。
「馬ならくれてやる。その面倒くさい男を返せ」と馬の手綱を男に向かって差し出した。
俺があっさりと要求を飲んだから、男は疑ってるようだった。
「…馬をこっちによこせ。周りの奴らを下がらせろ」と男はさらに要求を増やした。
「聞いたな、お前たち少し下がれ」
男の要求を飲んで、包囲していた奴らを下がらせると馬を押し出した。
馬は大人しく相手の元に進んで、あっさりと主人を変えた。
「馬に乗ってる奴らは降りて、手綱を全部繋げて結べ。そうしたらこいつは返してやる」
「約束だぞ」と念を押すと、相手は無言で頷いた。
馬の手綱を集めて纏めると、男はヨナタンを掴んでいた手を少し緩めて見せた。
逃げれるなら、ヨナタンには拘らないのだろう…
「もう少し離れろ」
「要求の多い奴だな…
分かったからその死に損ないは放してやれ」
ボヤきながら手を振って傭兵たちを下がらせたのを見て、男はヨナタンの髪を放した。
地面に投げ出されたヨナタンを助けようにも、凶器を手にした男が見張っている。
ヨナタンを助けるのが優先だ。見逃すしか無いだろう…
男は逃げようと、馬を寄せて背に乗ろうとした。
「…ぐっ!」
勢いをつけて馬の背に乗ろうとした男が、バランスを崩して落馬した。手綱に引っ張られて、馬もバランスを崩してひっくり返った。
「このっ!死に損ない!」と怒号をあげて、男は外套を掴んでいたヨナタンの手を振り払った。
何やってんだ、あいつ!
男は逃げるのを邪魔されて逆上していた。
「ヨナタン!」
「旦那様!御免!」
動こうとした俺の背後でカペルマンが声を上げた。
カペルマンは俺のハルバードを男目掛けてぶん投げた。
「ヒンッ!」
暗闇に悲しげな馬の悲鳴が響いた。
カペルマンの手を離れたハルバードは、回転しながら、起き上がろうとしていた馬の延髄に斧の刃を突き立てた。
一瞬で逃げる手立てを失った男は慌てて、また人質を取ろうとした。
カペルマンの反撃を合図に、傭兵たちも得物を手に取った。連弩を持っていた奴らが構えて、的に向けて矢を放った。
立て続けに放たれた矢に堪えきれず、男はヨナタンを諦めて、猟師から逃げる獣のように草むらに逃げ込もうとした。
しかしその逃走は意外なものに阻まれた。
空から大きな鷲が降りてきて、逃げる男の行く手をふさいだ。
「何処まで邪魔をッ!」
男の怒号は悲鳴を含んでいた。
その声には逃げきれないと悟った諦めが滲んでいた。
鳥の作った一瞬の隙が男の生き死にを決めた。
連弩の放った矢は、逃げ場を失った男の背中に無慈悲を刻み、宵闇に煌めいた白刃が男にとどめを刺した。
悪党の末路はあっけない終わり方だった…
「ヨナタン!」
倒れたままのヨナタンに駆け寄った。
助け起こした友人は酷い有様だったが、まだ息をしていた。
「灯りをもってこい!手当を早く!
手の空いてる奴は関所に走って状況を伝えろ!」
「…フリッツ」
掠れた死に損ないの声が俺を呼んだ。
「なんだ?」
「アルドを…」
「あいつなら無事だ。ここに来るまでに保護して先に帰した」
心配しているのだと思って教えてやったが、ヨナタンの言いたいことは別だった。
「…アルドを…母親に返してやってくれ…」
「…あいつ、親がいたのか?」
驚いて問い返すと、ヨナタンは頷く代わりにゆっくりと瞬きをした。見慣れた仏頂面はそのままで、目に涙が滲んだ。
「ビッテンフェルトに…迎えが来るはずだ…」
掠れた声でそう言って、ヨナタンは虚ろな表情で空を見つめていた。
「アルドを帰すのか?お前、本当にそれで良いのか?」
あれだけアルドに執着して、手元に置いていたくせに、そんなあっさりと手放すのか?
俺の質問にヨナタンは諦めたように目を閉じた。閉じた瞼から雫が流れた。
「…いい…いいんだ…
俺は…帰れなかったから…だから…」
悲しい呟きは最後まで言葉を紡がなかったが、十分に伝わった。
ヨナタンのらしくない言葉に、俺も何も言えなくなって、「そうか」とだけ返した。
ヨナタンから逸らした視線は、彼の視線を追うように空に向かった。
昔、酔ったヨナタンから聞いたことがある。
『俺は実の親に捨てられたのさ…気持ち悪いガキは要らねぇってな…』
そう話した次の日に、あいつは腕に包帯を巻いていた…
口の悪い、性格の捻れた男は、自分の叶わなかった願いを愛した子供に託して、手放すという選択をしたようだった。
ドライファッハのブランド男爵家に働きかけて少年を探させたが、未だに朗報どころか、有力な情報はなかった。
「早く見つかると良いのですが…」と心配するガブリエラを慰めることくらいしか、私にできることは無かった。
二人で報せを待っていると、バルテルがやってきて違う意味で待っていた報せを伝えた。
「閣下、失礼致します。
今しがた、大ビッテンフェルト卿がブルームバルトからお戻りになったそうです」
「卿が?」
「はい。閣下へのお目通りを願っております」
「通してくれ。私も卿に謝罪せねばならないことがある」
私の返答にバルテルは暗い顔で頷いた。
アルドを預かっていたトゥーマンが迎えに来た時、バルテルは自身の判断で引き取りを断っていた。結果的に、それは私の名誉を傷つけることに繋がった。
私やガブリエラの為にとした事だったが、それが裏目に出てしまった。
アルドの誘拐で、バルテルは失態を晒し、私の顔に泥を塗ることになった。
「卿を呼んでくれ」とバルテルを下がらせた。
バルテルが出て行ってすぐに、大きな老人が部屋を訪れた。
ガブリエラと二人で立ち上がって、大ビッテンフェルトを出迎えた。
「ご挨拶が遅くなり申し訳ございません」と卿は真っ先に我々に詫びた。
「いや。新年会の帰りに、連絡もなしに勝手に立ち寄ったのは私だ」
「左様でしたか。どうぞ我が家と思っておくつろぎ下さい。
尤も、侯爵閣下をお迎えできるような立派な家ではございませんが…
孫のもてなしに不手際はございませんか?」
「いや、卿の孫が良くもてなしてくれた。よくできた後継者だ。
卿らには世話になったのに迷惑をかけて申し訳ない」
「はて?迷惑?何の話ですかな?」と老人を装って大ビッテンフェルトが訊ねた。
もう彼の耳に入っているはずなのに、彼はなかったことのように振舞った。
「アルドの件だ。卿の家で預かっていた少年が我々の不手際で誘拐されてしまった」
「あの子は私たちが連れ出したのです。まさかこんなことになるなんて…」
言葉を詰まらせたガブリエラに、大ビッテンフェルトは驚く言葉を口にした。
「侯爵夫人、落ち着いて下さい。
アルドなんて少年は初めからおりませんでした」
「なんて事を…あの子を見捨てる気ですか?」
「事実です。アルドという少年は存在しません。故に、侯爵閣下や侯爵夫人が気に負われる事はございません」
声を荒らげたガブリエラに、大ビッテンフェルトは落ち着いた様子で同じ主張を続けた。
「…大ビッテンフェルト卿。それは…我々にこれ以上関わるなと言うことだろうか?」
「そのように捉えて頂いて構いません。
あの子は《雷神の拳》の傭兵見習いの孤児です。侯爵閣下を煩わせるなど恐れ多い…
どうぞお忘れください」
大ビッテンフェルトの言葉には違和感があった。
私だけでなく、ガブリエラもそう感じたようだった。
「大ビッテンフェルト卿。あの子を私たちにお譲りくださいませ」とガブリエラが大ビッテンフェルトに申し出た。
「あの子は私の小姓として引き取ります。
知性も教養も申し分ありません。あんな良い子を傭兵だなんて…
秘密があるにしても、あの子が何かをした訳では無いのでしょう?それなら私が…」
「ガブリエラ、よしなさい」
感情的になった彼女をなだめようとしたが、彼女はさらに感情を露わにした。
「いいえ、パウル様。私は本気であの子を引き取りたいと思っています。
あの子だって、その方が良いはずです。傭兵だなんて、あの子には似合いません」
「ガブリエラ、よしなさい。今回の騒動は我々が招いたことだ。卿にこれ以上迷惑をかけるのは、夫である私が許さない」
たしなめるつもりで、厳しい言葉で彼女の主張を退けた。こんなに感情的になる彼女は珍しい。
いつだって彼女は完璧で、貴族としての余裕のある振る舞いを心がけていた。
彼女がこんなに取り乱すのはあの時以来だ…
「だって…アルドは…あの子にそっくりで…」
「そうだな…だが、あの子はヴォルフでは無いのだ」
彼女を抱き締めて慰めていると、大ビッテンフェルトが訊ねた。
「失礼。あの少年は誰かに似ているのですか?」
「アレクシスの兄だった、ヴォルフラムによく似ていてな…取り乱してすまなかった」
「…なるほど…そうでしたか」と頷いて、大ビッテンフェルトは気まずそうに口を閉ざした。
ヴォルフの病気は隠していたが、死んだことについては周知の事だ。
しばしの沈黙の後、「侯爵夫人」と大ビッテンフェルトがガブリエラに声をかけた。
「私も言葉を選べず申し訳ございませんでした。お許しください。
アルドについては、お引渡しは出来ませんが、我々で必ず連れ戻します。ご安心下さい」
「…あの子は」
「我が家で起きたことの責任は全て私が引き受けますが、侯爵閣下にご迷惑をおかけして、お咎めなしとはいきません。
息子がアルドを連れ戻しましたら、詫びに連れて参ります」
大ビッテンフェルトの答えは厳しいものだが、優しい声音だった。
アルドが戻ることを願いながら、後のことを大ビッテンフェルトに任せた。
✩.*˚
「…聞こえたか?」とフィッシャーに訊ねた。
道の先だろうか?
遠くから人の声が聞こえた気がした。それはフィッシャーの耳にも届いていたらしい。
「もう一度飛ばします。何か伝言を下さい」
フィッシャーはそう言って、一度引き上げさせた小鳥にまた燃料を与えて命を吹き込んだ。
「アルド少年を落ち着かせるような言葉を下さい。かなり精神的に参っているはずです」とフィッシャーはアルドを気遣った。
「《アルド。すぐに行く。諦めず待ってろ》」
差し出された小鳥に伝言を預けて放すと、小鳥は真っ直ぐに飛んで行った。
「…ん?」
小鳥は何故か道をズレて林の方に消えた。
「おい。あいつあっちに飛んで行ったぞ?」
「え?」と驚きながらフィッシャーが馬の足を弛めた。
「この先の道が曲がっているのですか?
山道でもないのに変ですね?」
「そんなことないだろ?」と答えて、ドライファッハの周辺の地図を思い起こした。
この道は旅人や商人が使うために舗装されている。昼間であれば見通しだって悪くない。
多少道が歪んでも、あんな方向に曲がるだろうか?それとも…
「傀儡が対象を間違えるはずがありません。行ってみましょう」
フィッシャーはそう言って馬の向きを変えた。
「用心してください」
「あぁ」と頷いて、得物を握った。
出てくるのがアルドを攫った奴でないにしても、獣くらいは出て来るかもしれない。
黙って伸び放題の草を掻き分けて進んだ。
フィッシャーには、飛んで行った傀儡の位置がだいたいで分かるらしい。
用心しながら進んでいると、また人の声が聞こえた。
「まずい!」と声を上げて、フィッシャーは急に馬の足を早めた。
危うく舌を噛みそうになって文句のひとつでも言おうとした。
「おい!何が…」
「傀儡が壊されました!ランチェスター公子が危険です!」
帰ってきた返事に血の気が引いた。
こんな林の中で何やってんだ?!
暗い木々の隙間に動くものが見えた。
縺れた二人分の人影に見えた。
「アルド!」
俺の声に反応した影が一瞬動きを止めた。
その隙にフィッシャーが馬を操って一気に間合いを詰めた。
「《宿れ》!」とフィッシャーが紐状の何かを纏めて投げた。
紐は生き物に姿を変えると、大きい方の人影を襲って、小柄な人影から引き剥がした。
「今のうちに!」とフィッシャーの緊迫した鋭い声が急かした。
馬を降りて、地面に這いつくばって動けない小柄な影に駆け寄った。
「…ヨナ」とアルドの声がした。何とか聞き取れる程度の舌っ足らずな声だが、間違えるはずもない。
関所の奴が言ってた通り、アルドは女の格好をさせられていた。近くで見ると、髪の色も変わっている。人相を触れ回っても無駄なわけだ…
「逃げるぞ、立てるか?」とアルドに訊ねて手を貸した。
「ごめんなさい、ヨナ…僕…」
「そんなの後にしろ!逃げるのが先だ!」
諦めたかのように謝るアルドを叱咤して、無理やり立たせた。
足に力が入らないのか?
アルドは、俺を支えに何とか立っている状態だ。走れないどころか、歩くのも難しい。
「背中に掴まってろ」と告げてアルドを背負った。両手が塞がるが仕方ない。
フィッシャーが足止めしてる間に逃げる約束だ。
クソっ!動けよ俺の足!
ここまで休みなく動き回って、俺の足も腰もガタが来ていた。
アルドが頼りないほど華奢で良かったと、この時ばかりは本気で思った。
「あの人は…?」とアルドは俺の背で、後に残したフィッシャーの心配をしていた。
「あいつなら心配ない。自分で引き受けたんだ」
「でも…」
「お前に鳥を寄越してたのはあいつだ。おかげでお前を見つけられた」
「あの人が?」
「あぁ、そうだ。
イザード王国の《エヴァレット公爵》の命令でお前を探してたらしい」と教えると、背中でアルドの驚いている気配が伝わってきた。
アルドは、エヴァレット公爵が自分の母親の再婚相手だと知っているはずだ。
なんのために自分を探しているのか、気にならないはずはない。
「お前の母親の望みだそうだ…」
隠さずに、アルドに話した。
俺の背に負われていたアルドは、また驚いたような反応を返した。
そうだろうな…
俺だって、捨てられても、家族のところに戻りたいと思っていた頃はあった…
こいつだって、理不尽に奪われたんだ…
本当は貴族のお坊ちゃまで、何不自由なく暮らしていて、両親から愛を注がれていたはずだ。
そんな幸せだった頃を懐かしんでいても、何ら不思議はない。
俺と一緒にいる事の方が不自然で歪んでいる…
「良かったな」と言いながら、胸を締め付けられるような痛みを我慢していた。
背中に伝わる体温は、冷たく振舞おうとする俺の心を温めて痛みを与えた。
「ヨナ…」
「エヴァレット公爵は、お前を保護するつもりだそうだ…
多少不自由もあるかもしれんが、オフィーリア王女の願いだ。エヴァレット公爵もお前を無下にしたりしないはずだ。
俺と暮らすよりは…ずっといいはずだ…」
最後の言葉を紡ぐのに苦労した。
もっと格好つけるつもりだったのに…ダセェな…
「ヨナ…僕は…」
「無理してたろ…
こんなオッサンのパートナーなんて、隠れ蓑でもない限り、お前にはメリットのない話だ。
お前にとって都合のいい宛があるなら、そっちがいいに決まってるしな…」
「そんな…僕は、君が…」
「そんな無理すんな…惨めになる…
お前はフィッシャーと話をして、母親のところに帰れ。
ランチェスター公子にとって、それが最善だろう?」
《アルド》は俺が与えた名前だ…
現実には存在しない子供の名前だ…
《アルド》は俺の作った妄想だったと思えば、失っても無かったことにできる…
背中ですすり泣く嗚咽を、聞こえない振りでやり過ごした。
俺が泣けないのは意地っ張りでひねくれているからだ…
愛してる…
鉛のように重くなった足でも、寒さに悴んで辛い腕も、お前のためになら踏ん張ることができる…
背中に染みる癒されるような体温が、刺すような痛みを俺に与えていた。
これでいいんだ…
意地を張って、そう自分に言い聞かせた…
✩.*˚
あと少しだったのに…
西山候領はもう目と鼻の先だった。
苛立ちを覚えながら剣とダガーを握って、にじり寄る蛇を踏み潰した。
動けないはずだと完全に油断していた。
疲労と油断で、子供相手にとんだ失態だ。
殴られた箇所はズキズキと鈍い痛みを訴えていた。
すぐに追いついて捕まえたが、抵抗されているところに邪魔が入った。
邪魔に入った二人組の一人がランチェスター公子を連れて逃げ、もう一人は俺の足止めをした。
残ったということは、腕に自信があるのだろう。
奇妙な術を使う男は、外套を脱いで、「《宿れ》」と呟いて俺に向かって放り投げた。
バサッ、と広がった外套は、瞬く間に大きな鷲に姿を変えた。
翼を広げて襲いかかる鷲は本物のようだ。
一体どういう魔法だ?
幻覚かと疑ったが、繰り出された猛禽の爪は鋭い痛みを加えながら肩にくい込んだ。
「クソッ!このっ!」
毒を含ませた刃で鷲の身体を貫いたが、鷲は少し怯んだくらいで死にはしなかった。
目の前のこれは生き物じゃないのか?毒が役に立たないとなると厄介な相手だ…
にじり寄る蛇が足に食らいついて邪魔をした。
剣で突き刺して動きを止めたが、こっちも簡単には死なないようだ。
「…なら」と、邪魔な大きな翼に剣で貫いて、近くの木に縫い止めた。肩に突き刺さっていた鷲の猛禽の脚を切り落とすと、切り落とした足は布切れに変わった。
「やっぱりこの程度ではダメですか…」
奇妙な術を操る男は苦く呟いた。
もう他に手がないのか、男は諦めたように短い剣を抜いて、抵抗の意志を見せた。
「貴方、《蜘蛛》でしょう?」と、男は俺の正体を言い当てた。
「だったら何だ?」この男は殺すべきだな…
「何本足です?」と、男はさらに部外者では知り得ない事を訊ねた。
何故そんなことを知っている?
足の数を気にするということは、こいつも《蜘蛛》なのか?
だとしたら何故邪魔をする?
「俺は《四本》だ…お前も《蜘蛛》か?」
「《蜘蛛》ではありませんが、意味くらいは知っています。
《四本》か…私じゃ勝てそうにはないですね…」
相手はそう呟いて、隠していた左手から何かを投げた。
身構えた瞬間、男の手を離れた何かが強い光を放った。
暗闇に慣れていた目が眩んだ。
卑怯な手をっ!
閃光に怯んだ俺の腹に、抉るような熱い痛みが刺さった。
浅く済んだのは、相手が目に頼らずに短剣を突き立てたからだろう。
《蜘蛛》として培った経験で、痛みに対して身体が勝手に動いていた。
「ゔっ!」
繰り出された剣を頼りに、反射的に伸ばした足には確かな手応えが残った。相手の草に倒れ込む音と、くぐもった悲鳴が聞こえた。
追い打ちをかけたかったが、蹴り飛ばした相手を追うのは、閃光で眩んだ目では難しかった。
骨が折れるような手応えがあったから、すぐに逃げられることは無いと思っていたが、視力が戻る頃には、相手の姿は掻き消えていた。
何て逃げ足の早い奴だ…
舌打ちして、あの男のとどめを刺すのを諦めた。
ランチェスター公子を連れて逃げた奴は、馬を諦めて、子供を背負って逃げていた。
まだ遠くには逃げてないはずだ…
ダガーを一度鞘に納めて、刃に毒を含ませた。
成功を約束されていた状況だけに、失敗に苛立っていた。
こんなところで諦められるか…
二人が逃げたはずの方向に足を向けた。
✩.*˚
草を掻き分ける音が後ろから聞こえた。
掻き分けて踏んだ草が恨めしげに道を作って、俺たちの通った後を教えていた。
「ヨナ…後ろ」
「分かってる」と答えて、ずり落ちそうなアルドを担ぎ直した。
どっちが追いかけてきてるのか分からないが、足を止めて確認する気はなかった。
フィッシャーなら放っておいても、また俺たちの前に現れるだろう。
しかし、後ろから来るのが悪党なら大問題だ…
渡すかよ!アルドはまだ俺のものだ!
母親に渡すなら文句はないが、悪党なんぞにくれてやる理由なんてない。
苦しい呼吸を繰り返して、今にも膝を着きたくなる足を叱咤した。
限界なんてとうに超えてる。それでも足を止めていい理由なんかになりゃしない。
ここまで来たのが無駄になる。無駄は御免だ…
「…ヨナ、もういいよ」
背中で諦める声がした。肩に掛かっていた腕が緩んだ。
「バカ!しっかり掴まってろ!」疲れた腕では支えきれずに、アルドの身体がズルズルとずり落ちそうになる。
「ありがとう…ヨナの気持ちは分かったから…
僕を置いて行って下さい」
「そんなわけいくか!
俺は無駄働きなんかしないぞ!手ぶらで帰れるか!」
ずり落ちそうな身体を何とか支えて、少しでも前にと足を動かした。
遮るように伸びた木々の向こうに、開けた場所が見えていた。もう少しで道に出られる…
諦めるのはまだ早い。時間を稼げは、カペルマンが加勢を寄越してくれるはずだ。
弱気になったアルドは、泣きながら俺だけ逃がそうとした。
「だって…君には死んで欲しくないから…生きてて欲しいから…だから…」
「勝手に諦めるな!だったらちゃんと掴まってろ!」
アルドの諦めを叱って黙らせた。
いいんだよ…ここで死ぬならそれでも…
お前を諦めて生きるより、苦しまずに済む…
《あの時、ああすりゃ良かった》なんて、後悔してヤケ酒煽って、手首に傷を増やすのはもう止めたんだ…
失うとしても俺の命だ。他人にとやかく言われる筋合いはない。
何とか震える足で舗装された道に辿り着くと、回らない頭で必死に思い出して、元来た道の方に向かって逃げた。
俺たちが道に出た後に、遅れて追いかけてくる足音が聞こえた。
身軽な分、足音は早く、俺たちのすぐ後ろに迫った。
「クソッ!」覚悟を決めて、後ろに回していた右手を外し、ボウガンに手を伸ばした。
おい、試作品!ちゃんと動けよ?!
肉薄する相手は手に鋭く光る刃を握っていた。
「よくも邪魔してくれたな…」
恨みがましい男の声が冷たい空気を伝って、感覚を失った耳に届いた。
「やめて!」と叫んだアルドが、俺の肩に回していた手を男に向けて伸ばした。
それが僅かに牽制になったらしい。
飛びかかろうとしていた男は舌打ちすると、刃を引いてたたらを踏んだ。
皮肉なことに、アルドが俺の盾になった。
アルドの作り出した隙に、ボウガンの引き金を引いて鉛筆状の矢を飛ばした。
体勢の悪い状態で放った矢では、相手に傷を追わせることは出来なかった。
一矢を外した事で相手は油断したらしい。
それでもそんな程度じゃどうにもならないことは俺だって分かってる。
必中必殺なんて求めちゃいない。
俺の腕じゃ、外すなんて想定内だ。
それでも、これは俺が信頼してる職人に作らせた特注品で、ただのボウガンじゃない。
腕を振って遠心力で本体を前後させると、次の矢が装填され、弓の弦が引き金に引っかかる仕組みになっている。それを知ってるのは俺と作った奴だけだ。
放たれた二本目の矢は、油断していた相手の左肩に命中した。
身体の中心を狙ったのに、一瞬の判断で上手く躱しやがった…面倒くせぇ相手だ…
矢を装填する動作をして、ボウガンを構えると、相手も身構えた。
片手で装填できるのは良いが、動作で予測されるのは良くないな…
所詮玩具って事か…
牽制くらいにしかならないが、無いよりマシだ。
アルド降ろしてを背中に庇いながら、ジリジリと後ろに退いた。
「もう歩けるか?」と相手を睨みつけたままアルドに声をかけた。
「歩けるなら先に行け。
ビッテンフェルトの屋敷で働いている、元傭兵の爺さんが助けに向かってるはずだ」
「ヨナは?」と問いかけるアルドの質問は無視して、「行け」と背中に張り付いたアルドを押した。
軽い感触を残して、他人の温もりが俺から離れた。
少しの間を開けて、離れて行く足音を背中で聞いた。
それでいい。ちゃんと逃げろよ?もう戻ってくんな…
俺の安堵とは対照的に、獲物に逃げられた男は焦りを感じていた。
目の前の男にとって、ほぼ成功したも同然の仕事が御破算になったのだ。怒りもするだろう。
男は姿勢を低くして、得物を握って地面を蹴った。
俺も構えたボウガンの引き金を引いた。
棒状の矢が吐き出されて男を襲ったが、矢は届く前に凶器に弾かれた。
次を装填して撃ち込むまでに間合いを詰められる。
避けなきゃならんが、俺が避ければ、こいつは俺を無視してアルドを追うだろう。
行かせるか!この馬鹿野郎!
突き出されたダガーをボウガンで殴り付けた。
悪手でもこうするしか無い。
せっかく作った試作品は壊れてしまったが、相手のダガーは弾かれて草むらの方に飛んで行った。
男の舌打ちが暗闇に響いた。
失敗を意味する舌打ちで気分が良くなるのは、俺が性格が悪いからだ。
「どこまでも邪魔を…望み通り殺してやる…」
不穏な言葉が呪詛のように男の口から漏れた。
まぁ、そうだろな…
他人事のように笑って、「死んでも退かねぇ」と強がった。
全く、らしくねぇよな…
相手は殺しのプロで、俺は傭兵とはいえ事務方だ。
分が悪いなんてもんじゃない。自殺行為だ。
自嘲しながらダガーを構えた。
とりあえずこいつで何とか凌いで、時間を稼ぐしかない…
アルドはどこまで行けただろうか?
あいつは運の強い奴だから、きっと大丈夫だ。
もう俺無しでも大丈夫だろうさ…
✩.*˚
「…本当にそれで良いのか?」
ヨナタンの居場所までの案内役は、紐を足に繋いだ小鳥だった。
小鳥は足にぶら下げた白い紐を靡かせながら、馬の前を先導していた。
「この鳥を操ってる男がトゥーマン殿と行動を共にしているはずです」とカペルマンは大真面目に答えた。
案内の小鳥は、ドライファッハから西山候領に抜ける道をひたすら飛んで行く。
半信半疑で小鳥の後を追って、馬を走らせ続けていると、前に伸びる道に動くものを見つけて馬を寄せた。
女?女の子か?それにしては髪が短い…
ボロボロな姿で道の真ん中に突っ立っていた女は、俺を見上げてかすれた声で呟いた。
「…だ、団長?」
その声に覚えがあった。馬を降りて相手を確認した。
「もしかしてお前…アルドか?」
俺の呼び掛けに、女の姿をしたアルドが頷いた。髪の色が変わっていて女の格好をしているが、アルドの面影は残っていた。
「保護しろ」と着いてきていた奴らにアルドを預けた。馬の背に戻ろうとした俺の背に、縋るようなアルドの声が届いた。
「団長、ヨナが…残って…」
「分かってる」
あの馬鹿め…まともに戦えもしないくせに、柄にもなく格好つけやがって…
腹に苛立ちを隠して、ハルバードを握り直した。
お前がいないと、《雷神の拳》はすぐに潰れるぞ!
「トゥーマンを死なせるなよ!」と檄を飛ばすと、傭兵たちは吠えるように「応!」応えた。
暗い道に馬蹄の音を響かせながら先を急いた。
暗い道を進んだ先に、縺れ合うような人影を見つけた。
「ヨナタン!無事か?!」
声を張って馬の脚を早めた。
「旦那様!お気を付けを!」とカペルマンが俺に警告した。
「分かってる!」
ここに来るまでに《蜘蛛》の事は聞いていた。危険な毒を使うとあって用心しなきゃならん相手だ。
俺たちに気付いた相手は逃げるような素振りを見せた。
「囲め!絶対に逃がすなよ!」
「おお!」と応えた奴らが、馬の腹を蹴って前に出ると、逃げ道をふさいだ。
素早く包囲された事で、男は逃げるのを諦めたようだ。
「ちっ…」舌打ちした男はヨナタンの髪を掴んで盾に使った。
執念だけで男を足止めしていたのだろう…
ヨナタンは見たことないくらいに痛めつけられていたが、俺に気付くと、やり切ったかのような顔で笑った。
「ヨナタン…」
「動くな!」と牽制の声を上げて、男はヨナタンの喉元に刃物をチラつかせて脅した。
「この男と馬を交換しろ。断ればこの場でこいつを殺す」
陳腐な脅し文句だが、残念なことに、それは有効だった。
俺たちはヨナタンを助けに来たのだ。今ここでヨナタンに死なれたら、俺たちは失敗して帰ることになる。
「旦那様…」
「やむを得ん。預かってろ」
馬を降りて、ハルバードをカペルマンに預けた。
「馬ならくれてやる。その面倒くさい男を返せ」と馬の手綱を男に向かって差し出した。
俺があっさりと要求を飲んだから、男は疑ってるようだった。
「…馬をこっちによこせ。周りの奴らを下がらせろ」と男はさらに要求を増やした。
「聞いたな、お前たち少し下がれ」
男の要求を飲んで、包囲していた奴らを下がらせると馬を押し出した。
馬は大人しく相手の元に進んで、あっさりと主人を変えた。
「馬に乗ってる奴らは降りて、手綱を全部繋げて結べ。そうしたらこいつは返してやる」
「約束だぞ」と念を押すと、相手は無言で頷いた。
馬の手綱を集めて纏めると、男はヨナタンを掴んでいた手を少し緩めて見せた。
逃げれるなら、ヨナタンには拘らないのだろう…
「もう少し離れろ」
「要求の多い奴だな…
分かったからその死に損ないは放してやれ」
ボヤきながら手を振って傭兵たちを下がらせたのを見て、男はヨナタンの髪を放した。
地面に投げ出されたヨナタンを助けようにも、凶器を手にした男が見張っている。
ヨナタンを助けるのが優先だ。見逃すしか無いだろう…
男は逃げようと、馬を寄せて背に乗ろうとした。
「…ぐっ!」
勢いをつけて馬の背に乗ろうとした男が、バランスを崩して落馬した。手綱に引っ張られて、馬もバランスを崩してひっくり返った。
「このっ!死に損ない!」と怒号をあげて、男は外套を掴んでいたヨナタンの手を振り払った。
何やってんだ、あいつ!
男は逃げるのを邪魔されて逆上していた。
「ヨナタン!」
「旦那様!御免!」
動こうとした俺の背後でカペルマンが声を上げた。
カペルマンは俺のハルバードを男目掛けてぶん投げた。
「ヒンッ!」
暗闇に悲しげな馬の悲鳴が響いた。
カペルマンの手を離れたハルバードは、回転しながら、起き上がろうとしていた馬の延髄に斧の刃を突き立てた。
一瞬で逃げる手立てを失った男は慌てて、また人質を取ろうとした。
カペルマンの反撃を合図に、傭兵たちも得物を手に取った。連弩を持っていた奴らが構えて、的に向けて矢を放った。
立て続けに放たれた矢に堪えきれず、男はヨナタンを諦めて、猟師から逃げる獣のように草むらに逃げ込もうとした。
しかしその逃走は意外なものに阻まれた。
空から大きな鷲が降りてきて、逃げる男の行く手をふさいだ。
「何処まで邪魔をッ!」
男の怒号は悲鳴を含んでいた。
その声には逃げきれないと悟った諦めが滲んでいた。
鳥の作った一瞬の隙が男の生き死にを決めた。
連弩の放った矢は、逃げ場を失った男の背中に無慈悲を刻み、宵闇に煌めいた白刃が男にとどめを刺した。
悪党の末路はあっけない終わり方だった…
「ヨナタン!」
倒れたままのヨナタンに駆け寄った。
助け起こした友人は酷い有様だったが、まだ息をしていた。
「灯りをもってこい!手当を早く!
手の空いてる奴は関所に走って状況を伝えろ!」
「…フリッツ」
掠れた死に損ないの声が俺を呼んだ。
「なんだ?」
「アルドを…」
「あいつなら無事だ。ここに来るまでに保護して先に帰した」
心配しているのだと思って教えてやったが、ヨナタンの言いたいことは別だった。
「…アルドを…母親に返してやってくれ…」
「…あいつ、親がいたのか?」
驚いて問い返すと、ヨナタンは頷く代わりにゆっくりと瞬きをした。見慣れた仏頂面はそのままで、目に涙が滲んだ。
「ビッテンフェルトに…迎えが来るはずだ…」
掠れた声でそう言って、ヨナタンは虚ろな表情で空を見つめていた。
「アルドを帰すのか?お前、本当にそれで良いのか?」
あれだけアルドに執着して、手元に置いていたくせに、そんなあっさりと手放すのか?
俺の質問にヨナタンは諦めたように目を閉じた。閉じた瞼から雫が流れた。
「…いい…いいんだ…
俺は…帰れなかったから…だから…」
悲しい呟きは最後まで言葉を紡がなかったが、十分に伝わった。
ヨナタンのらしくない言葉に、俺も何も言えなくなって、「そうか」とだけ返した。
ヨナタンから逸らした視線は、彼の視線を追うように空に向かった。
昔、酔ったヨナタンから聞いたことがある。
『俺は実の親に捨てられたのさ…気持ち悪いガキは要らねぇってな…』
そう話した次の日に、あいつは腕に包帯を巻いていた…
口の悪い、性格の捻れた男は、自分の叶わなかった願いを愛した子供に託して、手放すという選択をしたようだった。
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