燕の軌跡

猫絵師

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「おじーちゃま、いたいいたい?」

フィーを連れてパウル様の部屋を訪ねると、パウル様は自分で身体を起こせる程に回復していた。

「無理しないでください」

「孫娘の前で格好の悪い姿は見せられないからな。

それにしてもよく喋るようになったな…

フィリーネ、おいで」

差し出された手に、フィリーネは喜んで小さな手を伸ばした。

「おみまいきちゃの」と小さな歯を見せながらフィーは愛らしく笑った。

小さな淑女は手にしていた白い花をパウル様のベッドに置いた。

パウル様もフィーが可愛いようで、孫娘の笑顔に破顔して応えた。

「そうか。ありがとう。

小さい頃のテレーゼみたいだな。やはりよく似ている」

「おじーちゃま、だいじょうぶぅ?」

「あぁ。テレーゼのおかげで助かった」

「いちゃくない?」

「あぁ、大丈夫だ。心配させてすまなかったなフィリーネ。

また今度来る時は何かお土産を持ってこよう」

柔らかい髪を髪を撫でながら、舌っ足らずな幼女と会話するパウル様はもう大丈夫そうだ。

それでも病み上がりだから無理はさせられない。

「フィー、おじいちゃまもう少し休まないと。また後で来ような?だからもうバイバイしな」

「あい。おじいちゃまバイバイ」

フィーは頭を下げながら、スカートを不器用に握って、裾を広げる真似をした。

「これは立派なレディだ」とパウル様から褒められて、フィーはまた歯を見せて笑った。

テレーゼやユリアたちがするのを見て覚えたのだろう。これは将来有望だ。

部屋を後にすると、フィーはすぐにお転婆娘に戻っていた。

「パパ。フィー、ルーちゃまと遊びたい」

「ルドか?ルドならスーの所じゃないか?」と答えて、フィーを抱っこした。

階段を上がると、上の階から子供の笑い声が聞こえてきた。

「ルーちゃま!」腕の中でフィーが跳ねた。

ルドの事好きだな…

まぁ、兄ちゃんみたいなもんだしなぁ…

ルドも面倒くさがらずにフィーに付き合ってやっている。

そういえば、あいつの親父も、割と下の奴らの面倒見は良かったし、ケヴィンやユリアの相手もしていたな…

「パパ、やーなの。ルーちゃま!」

「ちょっ!危ない!」

腕の中で跳ねるフィーを階段の踊り場に下ろすと、彼女は手すりを使って頑張って階段を上った。

お猿みたいに、階段に手をついて上がらなくなったんだな、と少し感心した。

フィーは自分で階段を登りながら、キンキンした子供の声でルドを呼んだ。

「ルーちゃま!ルーちゃまきてぇ!」

呼ばれたルドが走ってフィーを迎えに来た。

自分で上れてたのに、フィーは階段の途中で止まって、駆けつけたルドに手を伸ばした。

「ルーちゃま、おてて」

駆けつけたお気に入りの少年は、フィーの所まで階段を降りてきて、差し出された手を握った。

「フィリーネ様、自分で上ったの?偉いね。頑張ったね」

フィーの我儘に付き合わされながらも、ルドは嫌な顔せずにフィーを甘やかした。

彼女の歩調に合わせて階段を上がるルドの姿を眺めて、勝手に《大きくなったな》と感心した。

あのチビでヨチヨチ歩きだったルドが、今では世話する側だ。

そりゃ、俺も年取るよな…

そんな事を思ってると、階段を上りきった二人が振り返って俺を見た。

「パパ、フィーしゅごい?」

キラキラした顔で自慢げに訊ねる姿は、テレーゼによく似てた。

「すげぇよ」と笑って答えて、階段を登った。

✩.*˚

「どうだ?」

子供たちに連れられて、部屋に顔を出したワルターがそう訊ねた。

「少し怠いけど多分平気」と答えた。

ディルクとミアの話だと、俺は廊下でぶっ倒れたらしい。その辺の事は記憶がない。

「パウル様は?テレーゼは大丈夫?」

「さっき様子見てきたが、パウル様ならもう大丈夫そうだ。

テレーゼもピンピンしてるよ。学校休ませたら膨れてた」

「彼女らしいや」と笑った。

何とか事なきを得たらしい。たった一つの問題を除けば…

「パウル様、何か言ってた?」

「ん?《何か》って何だ?」と返す所を見ると、ワルターは詳細はまだ聞かされてないようだ…

なら俺が下手に伝えるようなことじゃない。

「お前に礼を言わなきゃな。

パウル様を助けてくれてありがとうよ」

ワルターはそう言って俺の肩を叩いた。

「またすぐカナルに戻るんだろ?

パウル様は俺が預かるから安心しな。

そういや、ディルクはどうした?」

「《燕の団》に行ったよ。着替えたいんだってさ。あと煙草買いに行った」

朝、少し話をして、ディルクはさっさと出て行ってしまった。妙によそよそしく思えたのは、俺が後ろめたいからだろう。

殴った事を、まだ謝ってなかった。

「ねぇ、パパ。後でアルマ見に来て」とフィーの手を引いたルドが俺に言った。

「また鱗の色が変わったんだよ。格好いい鈍い銀色になったんだ」と教えてくれた。

「ルーちゃま、あそぶ!」と妹みたいな幼女がルドの手を引っ張った。

「うん、行こうね。

じゃぁ、僕、フィリーネ様を子供部屋に連れていくね」

「階段気を付けてな」

「はぁーい!」

ワルターに返事をして、二人とも笑い声を響かせながら部屋を後にした。

「ルドには敵わねぇよ…」幼い二人の姿を見送って、ワルターは苦笑いを浮かべていた。

「諦めなよ、お父さん」

「馬鹿!まだ早ぇだろうが!」

「君って本当に分かりやすいよね」

「お前な…そんな余裕ぶってるけど、いざ女の子育ててみろ。絶対手放せなくなるからな!」

「はいはい。そんなに心配なら怖い顔して見張ってなよ。

まぁ、フィーはルドにゾッコンだけど、ルドはそんな気ないから安心しなよ」

「馬鹿言え!フィーみたいな美少女をほっとくもんか!ルドはまだ分からないだけだろ?」

「君ってちょっと理不尽だよね…」

「親父なんてそんなもんだよ」

「こりゃ、フィーは苦労しそうだな」とワルターの理不尽を笑った。

✩.*˚

「嘘だ!」

《鷹の目》の凶行を知ったラッセルは、檻の中で獣のように吠えた。

「ヴィクターはそんな奴じゃねぇ!

あいつがミラを殺しただなんて俺は信じねぇぞ!」

「事実だ」と淡々と答えながら、胸の奥に辛い痛みを覚えた。

向こう岸から戻った侯爵の侍女を、《鷹の目》の放った矢が侯爵ごと貫いた。

背中から胸に矢を受けた侍女は即死。

侯爵は辛うじて助かったが、かなり危険な状況だった。

現実を受け入れられない彼に、赤黒く染まった矢を見せた。矢には間違いなく、彼の弟の名前が刻まれていた。

「…嘘だろ…」檻の柵を掴みながら、ラッセルはズルズルと蹲った。

「この矢を、対岸から放って、狙った的に当てられる人間が何人いる?

しかも、二人も貫く程の威力だ。《鷹の目》の仕業とみて間違いないだろう?」

「…ヴィクター…何で…お前…」

あの剛毅な男が、立ち上がれないほどショックを受けていた。

「…あいつは…今、一人なのか?」

蹲っていたラッセルが低い声で呟いた。

私は、彼の問に対する答えを持ち合わせていなかった。

「ミラ嬢と言葉を交わしたのは、彼女を迎えに行った《燕の団》の団長と、ヴェルフェル侯爵閣下のみだ。

どちらも今はこのカナルを離れている」

「俺には…ヴィクターが自分でミラを殺すなんて信じられねぇよ…」

ラッセルは相変わらず、弟の話が信じられないようだった。

呻くように呟く言葉は、言い訳のように聞こえた。

「あいつはミラを気に入ってたんだ…

だから俺もあいつに譲った…

あの賢そうな女の腹ん中までは分からねぇがよ、ヴィクターがそれで良いんならって世話したんだ…

あいつがヴィクターに尽くすってんなら、俺はそれで良かったんだ…

俺の知ってる限り、ヴィクターはミラに惚れてた。あいつはミラが《家族》になるって信じてたんだ…」

「そうかもしれない。それでもこの矢が彼女を殺して、侯爵閣下を傷付けたのは紛れもない事実だ」

私の言葉に、ラッセルは俯いた。

彼は小さく、「《家族》は大事にしなきゃなんねぇんだ…」と呟いた。

「誰かにけしかけられたんだ…

そうじゃなきゃ、あいつが自分の意思で《家族》を殺したりしない」

「誰か?誰だ?」

「分からねぇよ!だけどな、これだけは言わせてもらう!あいつは俺と同じで馬鹿だけどよ、悪党じゃねぇ!

女を…ましてや惚れた女を、そんな風に殺したりしねぇ!」

彼は自分の主張を曲げなかった。

ラッセルの弟を信じたい気持ちは分かる。それでも私はヴィクターという青年を知らない。

「弟の心配をするなら、まず自分の身を案じることだ…

君の処遇を巡って、陣営で意見が割れている」

「知るかよ。別に俺はどうなったって構わねぇんだ。とっくに死んでてもおかしくないしな」

そう言って彼は視線を上げると、真っ直ぐに私を見上げた。

「俺が死んだら、あんたは満足か?」

試すような物言いに何と返せばいいのか分からなかった。

黙り込んだ私に、彼は「あんたも馬鹿だな」と苦く笑った。

私の気持ちが顔に出たのだろうか?

ラッセルは教えてくれなかったが、彼はお決まりの台詞を吐いて私に背を向けた。

「あんたに任せるよ」と…

その背に物悲しい影を感じたのは、私が過度に彼に入れ込んだからだろう…

リューデル公子でなければ、馬鹿な行動に出ていたかもしれない。

喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

《必ず助ける》とは、言えなかった…

✩.*˚

路地裏で眠そうに欠伸をする女を見つけた。

「何?お兄さん?」と訊ねる女に、「幾らだ?」と訊ね返した。

彼女はその不躾な言葉に驚きもせずに、黒髪を手櫛で整えながら笑った。

「遅くない?もう朝じゃん?

店じまいって言いたいけど、昨日は立ちんぼだったからいいよ」

女はそう言って銀貨を一枚要求した。

彼女の差し出した手のひらに、欲しがったものを乗せると、紅の乗った唇が笑った。

「毎度あり。

お兄さん知ってるよ。《燕》の兄さんだ」

言い当てられて後ろめたさが顔に出た。

女はそれを笑って、「嫌だった?」と訊ねた。

「言いふらしたりしないよ。あんたたちはいいお客だしさ。

前に暴漢をやっつけてくれたろ?バシュって嫌な奴…

ほんとに気分がスッとしたね。

あれのおかげで危ない客は減ったのさ、あんたらのおかげだね」

感謝を口にしながら、手櫛で整えた髪を結い上げて、彼女は簡単な身支度を済ませた。

細い腕が首に絡んで顔が近付いた。

「兄さんの名前は?」

「ディルク」

「ディルク?聞いたことあるかも」

「そんなのどうでもいい。それより時間ないからここで済ませていいか?」

「おやまあ、随分せっかちだね?」と彼女は呆れた様子だ。

「団長の付き添いで来ただけだ。すぐにカナルに戻らなきゃならねぇんでな」

「ふーん、大変ね。

あたしももう帰りたいから、さっさと済ませちゃおうか?」と彼女は身体を寄せた。

女の柔い体に触れて、やっぱりこっちだな、と少しだけ安堵した。

接吻ながら彼女のスカートに手を伸ばした。

あれは疲れてた気の迷いだ…

そう言い聞かせながら、路地裏で隠れて彼女を後ろから抱いた。

激しく動いたら彼女の髪留めが外れて、目の前に黒い髪が広がった。

その黒髪の向こうの白い顔が別人に見えた。

そのまま認めたくない感情が湧いて、事が終わった。

何やってんだ、俺は…

やった後に後悔したが、もう遅い…

「ねぇ、さっき…」と彼女は落ちた髪留めを拾いながら何か言おうとした。

それが聞きたくなくて、慌てて彼女から視線を逸らした。

「悪い、終わったから行く」

「え?もう?え?あ、ちょっと!」

荷物を拾って、呼び止める彼女を残して早足にその場を後にした。

認めたくないのに認めざるを得ない…

自分は違うと確認したかっただけなのに、答えは望んだのとは真逆の結果だ。

あいつの顔を真っ直ぐ見れなくなっていた…

✩.*˚

「遅かったな」

昼前に戻ったディルクに声をかけると、彼はバツが悪そうに視線を逸らした。

「遅くなって悪かったよ。すぐに出るか?」

「まぁ、うん…」

なんかよそよそしい…

殴ったのがそんなに堪えたのか?

早く謝った方が良かったか?

「なぁ、ディルク…」

「すぐに用意するから、少し待ってくれ」と言ってディルクは頼んでた煙草を置いて、すぐに部屋を出て行こうとした。

「あ、ちょっと待てよ」

謝りたくて彼の腕を掴んで引き留めようとした。

ディルクは慌てたように腕を引いて俺の手を振り払った。

「え?」予測してなかった出来事に、倒れそうになりながらたたらを踏んだ。

「あ…」ディルクは声を上げて、見たことの無いような顔で固まった。

彼は珍しく動揺していた。自分が何故そんなことをしたのか分からないような顔をしていた。

「…悪い」と呟いてディルクは手のひらで顔を隠した。

「ディルク?」顔色が悪い気がした。

ディルクは視線を合わせずに、「疲れてんだ…」と珍しく弱音を吐いた。

「休んでくか?ベッドなら…」

「いい。早く戻らねぇと、爺さんたちが心配するだろ…」

「でも、お前昨日まともに寝てないだろ?」

「そんなのいつもの事だ」と言って、彼は俺に背を向けた。

面と向かって言われたわけじゃない。

でも彼の態度が、俺を拒絶しているように思えた。

「昨日殴ったの…怒ってる?」

彼の背中に質問を投げかけると、ディルクは足を止めて、少しだけ振り返る素振りを見せた。

「…怒ってねぇよ…邪魔されて怒ったのはお前の方だろ?」

「そんなつもりは…」

「殴られたくらいどうってことねぇよ。

邪魔して悪かったよ…親友の親父さんだもんな…助けたいって思うのは当然だ」

「ディルク」

「馬の用意する…少ししたら降りてこいよ」

俺に謝らせる暇を与えずに、彼は部屋を出て、後ろ手にドアを閉めた。

ドアの閉まる音が俺とディルクの間に線を引いた。

「…ディルク」

怒っているのか?呆れてるのか?それとも失望させてしまったのか?

それ以上彼にかける言葉が見つからなかった…

《ごめん》と《ありがとう》を伝えたかったのに、その二つの単語を彼に伝えることすら出来ずに、動けないままドアを見つめていた。

✩.*˚

寒くなってきたから、団長はカナルを離れるらしい。

『君もおいで』と団長は俺を誘った。

『私が君を世話してあげよう。兄さんが戻ってくる宛もないだろう?君がここに残ってる理由はない』

団長はルフトゥキャピタルの自分の屋敷で、俺を引き取ってくれるという。

しかも、自分の《息子》として…

俺にとって、悪い話じゃなかった…

元から帰る場所なんてない。兄ちゃんが全部世話してくれていたから、一人でやっていける自信もなかった。

待っていても兄ちゃんは戻ってこない…

ミラもいなくなった…

俺は一人ぼっちだ…

『行く』と返事するしかなかった。

団長はその返事に満足して、『良い子だ』と褒めて、俺を《家族》に迎えてくれた。

「寒くないかね?」

馬車に乗る前に、団長が上着をくれた。

「そういえば、まだ教えてなかったね。

ヘンリーは私の娘婿だ。君の新しい《兄さん》だよ」と団長は彼の右腕として働く男を紹介した。

「彼には私の代わりにしばらくここに留まってもらう。もし、君の兄さんが戻ったら教えてくれるはずだ」

団長はそう言って、ヘンリーに目配せした。

「団長のお望みとあらば」と彼は姿勢を正して団長に応えた。

そんな彼に満足気に「宜しい」と頷いて、団長は俺の背を押して馬車に乗り込んだ。

馬車は、俺の知ってる板を敷いただけの簡素なものじゃなくて、綺麗な腰掛けのある座り心地の良いものだ。

「すごいや」と感心しながら、足元に荷物を置いて、腰掛けた席を撫でた。

「そうかね?まぁ、ルフトゥキャピタルまでは遠い。楽にしたまえ」

団長はそう言って、慣れた様子で腕置きに肘を着いて窓の外に視線を向けた。

「団長、出立致します」と外から声がして、馬車がゆっくり動き始めた。

カナルがゆっくり遠ざかる…

席から身を乗り出して、窓からカナルの岸を眺めた。

「…兄ちゃん」

兄ちゃん戻ってきた時に困らないようにと、荷物は殆ど置いてきた。金も半分テントに残してきた。

帰ってきて欲しい。

どっかで生きてるって信じたかった。

暖かくなったら俺もカナルに戻るよ…だから帰ってきてくれよ…

そんな俺の想いなど関係なく、馬車の窓からカナルは消えた…

後ろ髪を引かれるような想いで、カナルを後にした。

✩.*˚

馬車の揺れで、子供のように眠ってしまったヴィクターを眺めていた。

少しぐらいごねるかと思っていたが、私のそんな心配は杞憂に終わった。

彼は一人になるのを恐れていた。

いつ帰ると分からない兄を、この河原で待ち続けられるほど、心が強くなかったらしい。

それもそうだろう。今の彼にとって、ここは辛い思いしか無いはずだ…

彼を育てるのには、どれくらいの時間が必要だろうか?

子供じみた発言や行動が目立つ。

その反面、扱いやすいのも事実だ。

オークランドにも《英雄》はいるが、その質は伝説に語られるものに比べればお粗末なものだ…

神殿のお飾りの《英雄》に一体なんの意味があるというのか?

私はそれが気に入らないのだ…

《祝福》を与えられた存在を掻き集めて、この手で育ててきた。

それでも、惜しいと思える者はいても、《英雄》になれるだけの力を持つ者は現れなかった。

《英雄》に推せると思った炎使いの隊長も、結局はその他大勢と変わらなかった。

これが最後のチャンスだ。

「…カナルよ、待っていろ…」

独り言のような小さな宣言を、自分の胸に刻んだ。

✩.*˚

妙だな…

あまりに動きが無さすぎる。

フィーア陣営の最高責任者である侯爵を負傷させたというのに、オークランドに動きはなかった。

「あいつら動かねぇが…どう思う?」

「動かねぇんなら動かねぇで助かりますがね…なんて言うか、不気味だ…」

俺の問いにそう答えて、カミルは頭に巻いていた布を弄った。

土嚢を積んだ防塁の隙間から、対岸を覗いた。

「親父さん、あまりに前に出ないでくれよ?」とカミルが俺の服を引いた。

「爺さん、せっかちだな。気長に待てや」

「薄気味悪ぃんだよ。攻め時に来ねぇのは、何か理由があるはずだ」

「考えすぎだろ?」

「年寄りだからな」と青臭い奴らは俺の勘を馬鹿にした。

たるんでやがる。

「親父さん、上から何も命令がねぇんだ。俺らのできることなんて何もねぇよ」

俺の苛立ちを察したカミルが、ため息を吐きながら俺を宥めた。

「スーもまだ戻らねぇからよ、俺たちにできることなんで何もねぇよ。

今は待ってる事しかできねぇよ」

カミルの言うことが正しい。

本営も何やら揉めてる様子だ。

侯爵の弟たちがまとめているものの、報復を願う声が強く上がっているらしい。

まったく…南部の騎士ってのは血の気の多い連中だ…

《報復》が、《鷹の目》の地雷になる可能性だってある。

このカナルで、今一番面倒なのはあの男だ…

そして、その攻撃に対抗出来る二番手の面倒くさい男は今不在だ。

「クソッタレ、やってられっか…」とボヤいた。

こんな不気味な戦場、居心地が悪ぃったらありゃしねぇ…

腰を落としてその場に座り込んだ。

不機嫌な俺のところに、一人の男がやってきて足を止めた。俺が防塁から向こう岸を観察していたのを見て、確認に来たらしい。

「オークランドは動かないのか?」と訊ねるのはこれまた厄介な男だ。

味方であるのは間違いないが、こいつも何を考えているのか分からない。

「あぁ、気持ち悪いだろう?」と答えると、カミルがエインズワースに声をかけた。

「何か気になることでもあるのか?」

「…《鷹の目》だが…あいつは馬鹿だ」と彼は唐突に悪口を口にした。

「オークランド陣営に、侯爵の不在が伝わっていない可能性がある」

「なんでだ?真っ先に手柄にする案件だろ?」とカミルが首を傾げた。

「侯爵は侍女と一緒に射たれたと聞いたからだ。あいつにとって、侯爵はついでだったんじゃないか?

逃げた女を殺す方が目的なら、侯爵が巻き込まれた事を向こう岸の偉い人間に伝えてない可能性は十分にある。

あいつは兄貴に依存して生きていた。

俺は、考える力の弱いあいつが、自分の意思で侯爵を狙ったのか甚だ疑問だ。

現にオークランドは全く動きがない」

「まぁ…そういう考えもありか…」

カミルが俺に視線で意見を求めた。

確かに、それならこの訳の分からん状況も納得出来る。

「そう思うなら、俺たちじゃなくてあの大将に言うんだな。

俺たちには何の権限も無いんだ」

俺の返事に、エインズワースは困ったように眉を寄せた。

「俺はいい…あんたが行ってきてくれ」

俺のところに来たのはそういう事か…

「何でだ?あんたの情報だ。一緒に行けばいいだろ?」カミルの言葉に、エインズワースは更に嫌な顔を見せた。

「苦手なんだ…あの男」と彼は本音を漏らした。

彼はそう言いながら、立ち去るために半歩足を引いた。

「俺は静かに暮らしたいんだ」と言い残して、彼は踵を返すと、逃げるようにどこかに歩き去った。

懐かない野良猫みたいな男だ。

あの賑やかな大男が苦手なのも頷けた。

「カミル、行ってこい」と厄介事を彼に押し付けた。

最終的に厄介事を回された男は、苦く笑って「あいよ」と応えた。

俺だって面倒くせぇのは御免なんだよ…
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