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髪
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まただ…
外からのうるさい黄色い声が不愉快に響いた。
「ねぇ!カイ、私と行くのよね?」
「私が先に誘ったのよ!」
盛りのついた猫のように、女の子たちが一人の男を取り合っていた。
「おー…またやってんのか?」茶化すようにイザークが窓の外を眺めて笑った。
「あいつモテるなー」とアルノーも苦笑いで、窓の下の面白い見世物を眺めた。
「あれだろ《収穫祭》のダンスの相手か?」
「そんなの頼まれた事もねぇや」と煙草を咥えて二人で他人事のようにカイの災難を笑っていた。
「あいつ女ウケいいからなー…
どう?女の子から見て?」
「それ、俺に言ってるのか?」と話を振ったアルノーを睨んだ。
「だって、お前しょっちゅう髪結って貰ってるだろ?」
「別に…」
「えー?お前カイに懐いてんじゃん?なに?恥ずかしいの?」
「うっさい!イザークの馬鹿!」
持っていたじゃがいもを、イザークの顔面目掛けて投げたが、簡単に止められた。
「投げるならそのまま食えるもんにしてくれよ」ふざけた事を吐かしながらイザークは晩飯の材料を投げ返した。
受け取りやすい緩い軌跡を描いて、じゃがいもは俺の手のひらに戻った。
「なにさ…馬鹿…」
イライラしてるのは、あの外から聞こえる声のせいだと知っている。
お祭りに行きたいわけじゃない…ダンスだって知らない…
カイの取り巻きの娘から『調子に乗るな』と理不尽に釘を刺された。
『住み込みで働いてるから顔合わせるだけでしょ?ベタベタしないでよ』
『カイは優しいから勘違いしちゃって…』
『まだ子供じゃん』
何も言い返せなかったのは、その通りだったからだ…
カイが世話を焼いてくれるのは、俺が子供で、カイが優しくて、毎日顔を合わせるからだ…
見た目は小綺麗になっても、あの女の子たちみたいにはなれなかった。
俺は所詮、《芽の生えたじゃがいも》だ…
「…ゴミ…捨ててくる」
不機嫌を抱えたまま、野菜の屑のバケツを持って裏に出た。
裏で飼ってる鶏が、餌を貰えると思って集まってきた。
「あーもー!うるさい!」
あの女たちみたいに、嬉しそうにぺちゃくちゃ喋る鶏に八つ当たりして野菜の屑をぶちまけた。
鶏はもう俺に用はないと、一目散に餌に向かって走って行った。
その隙に、巣に落ちてた卵を拾った。
「ばーか」子供よりメシかよ?薄情なもんだ…
エプロンに集めた卵を抱えて裏口に戻ると、座り込んで煙草を吸ってる男がいた。
「…よぉ」カイは疲れた顔で片手を上げて俺に挨拶した。
「何か食いもんある?」と訊ねて、彼は座り込んでいた段差から立ち上がった。
「晩飯まで待ってよ」
「えー、もう腹ぺこで死にそうなんだけど…」
「昼食べてないの?」
「うん」と頷いて、カイは裏口の扉を開けてくれた。
卵を抱えたエプロンと、バケツで手が塞がっていた。
「ありがとう」と言って、先に扉を潜った。
そういうことするからモテるんだ…
そう思いながら口にはしなかった。
「なぁ、ルカ」
「何さ?」
「お前、お祭り行ったことあるか?」唐突に訊かれて返事に窮した。
俺の知ってるお祭りは、人混みで財布を盗む場所だった。
「連れてってやろうか?」と言ってくれたのは彼が初めてだった…
「…でも」
「人混み嫌か?
お前いっつもここで俺たちの世話してるだけだろ?
お祭りくらい楽しんでも文句言われたりしねぇって。ゲルトの爺さんも祭りの日くらい外で食ってくるだろ?」
「で、でもさ…」
「何だよ?一緒に行く友達いたか?」
「無いけど…」
「じゃあ連れてってやるよ」と言って、カイは俺の頭を撫でた。
「カイは…他の女の子たちと行かないの?」
「は?何で?」
俺の口からその質問が出ると思ってなかったのか、カイは驚いて、質問を質問で返した。
「だって、聞こえてたから…」と正直に答えると、彼はバツが悪そうに頭を掻いた。
「あー…さっきのか?全部断ったよ」
「え?何で?」
「何でって?何で俺があの子たちと祭りに行かなきゃならんのだよ?」
「でも、誘われてたじゃん?」
「はぁ…そんな、イザークじゃあるまいし…
俺にだって選ぶ権利あるっての」
カイは大きなため息を吐いて、俺の前に膝を折った。
「お祭りなんだ。行きたくない奴と行くなんて御免だ。
確かに俺だって女の子は好きだしさ、髪を結うのも好きだけど、やたらと張り合う、うるさい女は嫌いなんだよ。
それに、ルカがどう思ってるか知らないが、お前は割と可愛いと思うぜ?」
カイは真面目な顔でそう言った。
からかわれたなら言い返すこともできたけど、真面目なカイの視線に顔が熱くなって、何も言えなくなった。
「俺は割と女の子見る目あるぜ?
あと何年かしたらきっと美人になるさ。男が放っておかないくらいにな。
だから自信持てよ。お祭り行こうぜ」
「でも…」
また女の子たちに目をつけられるだけだ…
外に出たっていいことなんてない…
そう思うと素直に頷けなかった。
いい返事が見つからないまま、俺の視線は下を向いていた。目の前には、端を摘んだエプロンに並んだ卵があった。
黙り込んだ俺の頭の上に、カイの手のひらが乗った。硬くて温かい大きな手…
「ルカ。行きたくなかったら行かないでもいい。
返事はいつでもいいからさ。
祭りは来年も来るし、その時はまた誘ってやるよ」
そっと頭を撫でた手のひらは、少し髪を整えて離れた。
顔を上げると、カイは笑ってた。
彼が機嫌を悪くしてなさそうで、少しほっとした。
「カイ」と名前を呼ぶと、彼はいつもと変わらない様子で応えた。
「ゆで卵…食べる?」
少しだけ女の子みたいになれたお礼だ。
「マジで?いいの?」
「一個だけ。みんなに内緒だよ」と言うと、彼も「オッケー!」と了解した。
卵なんかで喜ぶなんて可愛いな…
それも俺に気を使ってるのかな?
二人だけの内緒を作って、食堂に戻った。相変らず暇な男たちは、窓際で煙草を吸いながら駄弁っていた。
「おかえり」
裏にゴミを捨てに行っただけなのに、《おかえり》って大袈裟じゃないか?
でも《おかえり》って言葉は嫌いじゃない。
「あ!卵だ!」
「一個くれよ」と二人とも卵を要求した。
「ダメだよ。明日の朝飯」と言って断ると、イザークは「いいじゃん。産まなかったって言えば?」と悪い事を言った。
「ひねたって肉にされちゃうよ」
「じゃあ、半分ヒヨコだったって言えばいいじゃん?」とアルノーもずる賢く言い訳を作った。
いい歳した大人が何やってんだよ…
お湯を沸かして卵を四つ鍋の底に沈めた。
✩.*˚
「カイ」
部屋に戻ろうとしていたらカミルの兄貴に呼ばれた。
「何っすか?仕事?」
「いや。お前に話があって…
ルカを祭りに誘ったのか?」
どっから出た?ルカが話したのか?
「まぁ、いつも頑張ってるし…そのくらいいいかなって…」
「そうか…」カミルの兄貴は考えるような素振りを見せて、言葉を選んだ。
「お前の気持ちはありがたいんだがな…
あいつはしっかりしてるようだがまだガキだ。
祭りってなると人も多いだろ?ルカから目を離さないって約束できるか?」
「そんなん大丈夫っすよ。ちゃんとあいつと手ぇ繋いでたらいいんでしょ?」
「絶対か?」とカミルの兄貴は念を押した。
ゲルトの爺さんもカミルの兄貴もルカを可愛がっていた。心配してんだろうと思った。
「あと、変なこと訊くがな…
お前、ルカの事どう思ってんだ?」
「どうって?」
そのまま問い返すと、カミルの兄貴は困ったように腕を組んでため息を吐いた。
「お前が女にモテるってのは知ってんだ。
ほかの女を振って、ルカを祭りに誘ったんだろ?
そんなんじゃあいつが心配するのも分かるだろ?」
「ルカが?」だから乗り気じゃなかったのか?
もっと喜ぶと思ったのに、反応がいまいちだったのは気になってた。
「鈍い男だな…
女ってのは男より面倒な生き物なんだ。女の嫉妬は怖いぜ。下手に振ったら後々面倒なのさ。
あいつはガキだけど、ちゃんと女の事は知ってんだ」
カミルの兄貴の言いたいことは、何となく分かった。
「とにかく、ルカのこと、面倒見切れないならやめとけよ?
あいつだって、いつまでもここに置いておく訳にはいかねぇんだ。
親父さんも、ルカのことは、そのうちロンメルの屋敷で引き取ってもらうつもりだ。
変に思い入れるなよ?」
「関わるなってことっすか?」
「そこまで言わねぇよ。
ルカもお前に懐いてるしな…
今まで通り、見守ってやって欲しいだけさ」
カミルの兄貴はそう言って、話を締めるように俺の肩を叩いて、「また明日」と挨拶して去って行った。
ルカ…嫌だったのか?
お節介を焼いたのを咎められたみたいで、モヤモヤした気持ちのまま部屋に戻った。
安っぽいベッドに倒れ込んでため息を吐いた…
来たばかりの頃は痩せて薄汚れたガキだった。
女の子だってのに、髪は野良犬みたいにボサボサで傷んで、毛先は四方八方を向いていた。
荒れた髪の下に顔を隠して、ビクビクしてる姿が見てられなくて、少しでも笑えるようにって髪を整えてやった。
毎日手入れをしてやると、傷んでた髪は柔らかく巻いた蜂蜜色の金髪に変わった。
野良犬は可愛い女の子になった。
その変わりようが面白くて、どこまで可愛くなるか見てみたくなった。
『あんた、それだけは上手いよね』
仕事に行く前に、娼婦をしていたお袋は俺に髪を整えさせた。
不器用な人だったから、いつも無視する要らない子供でも、髪を結う時だけは俺を頼った。
何度親父が変わっても、髪を整える限り、お袋は俺を追い出さなかった。
子供ながらに、女にとって、髪を整えるのは特別なんだと知った。
愛されたくて、毎日お袋の髪を結ったけど、お袋の心が俺に向けられることは無かった…
結局、何人目かの親父の暴力で家を飛び出して、それっきりだ…探してもないのだろう…
寂しくも思ったが、同時に、やっぱりな、と思った。
今も相変わらず、髪を結うのが好きなのは、お袋を忘れられないからかもしれない。
子供の頃から積み重ねた経験が、柔らかい女の髪を求めている。
俺が髪を結う理由なんてそんなんだ…
だから明日も寝癖のついたルカの髪を整える。
明日はどうする?
少し髪が伸びたから、できる髪型が増えた。
編み込んで左右どちらかに流そうか?
少し遊びを作って、ふわふわに仕上げるのもいいかもな…
きっちり結べば邪魔にならないが、それでは可愛くない。
あいつは本当は可愛いんだ。可愛くしてやんなきゃな…
✩.*˚
「おはよ」
火を起こして、朝飯の用意をしてると、カイが起きてきた。
寝起きで腹を掻きながら、欠伸する姿は、いつもと何も変わらない。
カイは顔を洗いに行って、戻ってくると、食堂の椅子に座って煙草を咥えた。
その姿を盗み見て、俺は大きな鍋に水を張って、火にかけると卵を放り込んだ。
パンはパン屋に取りに行く係が用意する。あとは直接暖炉に放り込んだじゃがいもが出来上がるのを待つのと、卵が茹で上がったらソーセージを焼くだけだ。
「ルカ」
様子を見ていたカイが俺を呼んだ。
「髪。結ってやるよ」と櫛を見せると、自分の座ってた椅子に俺を呼んだ。
「一つがいい?二つがいい?」
「どっちでもいいよ」と答えた。どちらを選んでもカイは上手に結ってくれる。
カイの指先が右側の髪の一束手に取って、櫛で整えた。集めてきた髪を寄せ合わせながら編み込む指は優しい。
柔らかく編んでるのに、ちゃんと纏まってるから不思議だ。動き回っても解れることは無いし、型崩れしない。
「どうだ?」
出来栄えを訊ねられたが、自分では見えない。
食堂を通りかかったカミルを捕まえて代わりに見てもらった。
「へぇ…」感心したように呟いて、カミルは屈むと編み込まれた髪に触れた。
「上手にできてる。似合ってるぜ」とカミルはちゃんと褒めてくれた。
「ただいま」と裏口から声がして、パンを受け取りに行っていたルドルフが帰ってきた。
卵を放り込んだ鍋はグツグツと音を立てている。
朝食の用意をしなきゃ…
「カイ、ありがとう」
カイにお礼を言って台所に戻った。
卵は大丈夫そうだ。生だとゲルトが食べれない。
井戸水で冷やしながら一つ剥いてみた。プルンとした卵はしっかり茹で上がってる。
残りの卵をザルに上げようとしていると、カミルが手伝ってくれた。
「危ないからやってやるよ」
「ちゃんとできるよ」
「お前が火傷したら、俺たちが親父さんに怒られるんだ。
『何で手伝わねぇんだ?!』ってな」
カミルは何かと言い訳して、さりげなく手伝ってくれる。ゲルトはいつも言い訳に使われていた。
「じゃぁ、俺も叱られる前に水でも用意するかね…」
カイも水を汲みに外に出て行った。
飯の用意は俺の仕事なのに、みんな手伝ってくれる。
ルドルフも新入りのアルバと一緒に皿並べて、パンを用意していた。
湯の入った鍋を退かして、フライパンを用意した。肉がないと朝から文句を言う奴がいる。
ソーセージを焼き始めると匂いにつられて、敷地内にバラけていた傭兵たちが食堂に集まって来た。
もう朝食の時間だ。あらかた用意が終わると、カミルに呼ばれた。
「ルカ。あとやっとくから、親父さん起こしてきな」
「うん」と頷いてゲルトの部屋に向かった。
ゲルトはいびきをかいてベッドで寝ていた。
「おじいちゃん!朝だよ!」
声をかけて背や肩を揺すると、冬眠してた熊みたいに、ゲルトがのっそりと起き上がった。
「…朝からうるせぇな」と文句を言いながら、ゲルトはベッドから出てきた。
「朝ご飯だよ」とベッドの横に脱ぎ散らかした靴を揃えて置いた。
「分かった分かった…」
「ねぇ。これ見て」と後ろを向いて編み込みを見せた。
「カイか?」ゲルトもすぐに分かったらしい。
「可愛い?」と訊いて見たけど、素直に答えるわけないのは知ってる。
「ふん…みっともないよりマシだ」と意地悪く呟いて、おじいちゃんは俺の頭に手を置いた。
可愛いって言えばいいじゃん?素直じゃないな…
この大きな手のひらが大好きだ。
笑顔でゲルトの手を握った。
素直じゃない太い指が、少し曲がって俺の手に応えた。
✩.*˚
「はー…終わったぁ…」
祭りの当日、頼まれて女の子たちの髪を整えた。
ちょっとした小遣い稼ぎになるから引き受けたが、数が数だけに疲れた…
50人くらいいた?さすがにこんだけいるとしんどい…
「ねぇ、カイ。一緒にお祭り行こうよ」
「そうよ。せっかくだからお礼させて」
「髪代なら貰ったよ」と答えて道具を片付けた。
まだリボンと飾りが残ってる。ルカに着けてやろうと思った。
「俺も約束があるからさ、悪いな」と断ったが、女の子たちは少し不満そうだった。
パン屋の娘のソフィアが白い腕を絡めて、俺の腕を引いた。
彼女はいつも女の子たちの中心にいる娘だ。美人な看板娘でパン屋の親父もいつも自慢してる。
「やぁよ。一緒に行こう?楽しいからさ、ね?」
「お前だって親父さんの屋台手伝うんだろ?」
「うん。でもさ、お祭りだもん。忙しい時間は手伝うけど、それ以外は自由だもん」
「じゃあみんなで楽しんで来いよ。
俺、人待たせてるから…」
「ねぇ?それって女?」
「まぁな。可愛い女の子さ」面倒くさくなってそう答えると、ソフィアは黙り込んだ。
彼女の腕は簡単に解けた。
「じぁな」と彼女らと別れて、宿舎に戻った。
思ってたより時間がかかった。待たせちまったな…
ルカがいるかもと、食堂に立ち寄った。
食堂には、カミルの兄貴とルカがいた。
ルカはいつもより良い服を着て、洒落た靴を履いていた。
俺の姿を見つけて、ルカは「おかえり」と言って足の届かない椅子から降りた。
「ゲルトがね、『みっともない格好で行くな』って」と、ルカは服の出処を教えた。
何だよ、爺さんルカに甘いな…
「親父さん、素直じゃないよな」とカミルの兄貴も苦笑いで呟いた。
「あぁ…可愛いよ」と自然と言葉が出た。
ルカはキラキラして見えた。
元々可愛いんだ。当たり前だよな…
こりゃ、ゲルトの爺さんもカミルの兄貴も心配するのも無理はない。連れ出すのは責任重大だ…
「俺は親父さんとロンメルの旦那に挨拶に行かなきゃならんのでな。ルカから目を離すなよ?
ルカ、楽しんで来いよ?」
「うん」
「じゃあな」と言って、カミルの兄貴は食堂を後にした。
「髪、結ってやるよ」と荷物から似合いそうなリボンを選んで、髪に織り込むように結ってやった。
造花の飾りを仕上げに着けて、可愛くしてやった。
お嬢様とまではいかないが、喋らなきゃ可愛い女の子だ。
「行こっか?」荷物を片付けてルカを連れて外に出た。
表の通りはいつもより人が多かった。
「手ぇ、離すなよ?」
「うん」
握り返す小さな手に満足して、ルカの手を握った。
建物から建物の間に吊るされた花飾りや旗が祭りの雰囲気を盛り上げていた。
いつも以上に活気のある通りは人の数も多い。
物珍しそうにキョロキョロと辺りを見回しながら、ルカは祭りを楽しんでいた。
「あっ!ルカ、エッダの芸人がいるぜ!」
道端で旅の装いの道化が軽業を見せていた。
子供でも分かる簡単な見世物を、二人で足を止めて見物した。道化はわざと失敗して子供たちを笑わせていた。
「へへっ」道化を見ていたルカが小さく笑った。
道化はボールの上に板を乗せて、不安定な足場を作って乗って見せた。
「お嬢さん、君もこれ投げて」と道化のアシスタントの女が子供たちにボールを配った。
どこでもやってる、子供に人気の軽業だ。
子供たちが一人ずつ、道化に向かってボールを投げた。
不揃いなボールを受け止めると、道化はそれを上手くジャグリングして、手元の数を増やした。
ルカの投げたボールも道化の手に吸い込まれて、宙を舞うボールに仲間入りした。
「すっご!ねぇ、見た?!今のすごくない?!」
道化の神業にルカは夢中になっていた。
頬を上気させて喜ぶ姿は周りの子供たちと同じだ。
連れてきて良かった。やっぱりこいつはまだガキだもんな…
✩.*˚
つまんない…
「ソフィア、一緒に祭り回らないか?」
「やぁよ」と男の子たちの誘いを断って、 女の子たちだけで街を歩いた。
「いいの?」と一緒にいたアニーが訊ねた。
「何が?」
「せっかくダニエルたちが誘ってくれたのに…まだ拗ねてるの?」
「だって…」と言いかけて口を噤んだ。
『あの子可愛いのに勿体ねぇな』
誰もが《可愛い》と褒めるのに、あの男だけは私を《ダサい》と言い切った。
『髪の毛、何でちゃんとしないんだよ?
そんな根暗な髪型してちゃ、ダッセェだろ?』
ズケズケと物言う男は、威嚇するような刺青を顔に入れていた。
長髪の一部に剃りを入れて、耳にもピアスを着けて、いかにも輩のような風体に、初めはビビってしまった。
固まってると、彼は勝手に私の髪を束ねてた紐を外して、持っていた櫛で髪を結い始めた。
『後で鏡見てみ』と言い残して、彼は帰って行った。
少し気になって、言われた通り、帰ってすぐに鏡の前に立った。垢抜けた自分の姿に驚いた。
魔法をかけられたみたいだった…
それから会う度に、カイは髪を整えてくれた。
彼のおかげで恋人の出来た娘もいる。
何か特別な時には、女の子たちはカイに髪結を依頼する。
カイは『いいよ』って言って、女の子を可愛くしてくれた。
彼は大きな街の人気の髪結なんかよりずっと上手だ。
彼は見た目は怖いのに、とても優しいから女の子たちの憧れの的だ。
私も好きだ…
本当は彼とお祭りを歩きたかった。
《収穫祭》のダンスの相手は絶対に彼が良かったのに…
彼がお祭りを一緒に見ると決めたのは、私じゃなかった…
彼が気にかけてる女の子は多分あの子だ…
可哀想だかなんだか知らないけど、カイの優しさに漬け込むなんてズルい。
あんな余所者のチビに、好きな男を取られるなんて許せない。
女としては私の方が可愛いはずなのに…
そう思うと悔しくて、唇を噛んだ。
「ねぇ」と友達が足を止めた。
「カイだよ。一人かな?」と指さす先には彼の姿があった。肉屋の屋台で何か買っていた。
《可愛い女の子》と行くって言ってたくせに、傍に彼女らしい姿はなかった。
嬉しくなって、彼を呼び止めようと手を上げかけた。
「ねぇ、カイ。それ何?」
向きを変えた彼の影から、小柄な影が現れて、声をかけ損なった。
手の塞がった彼の服を握ってるのは、おめかしした金髪の女の子だった。
一瞬誰か分からなかったけど、それが誰か分かった瞬間、私の中で黒い感情が溢れた。
「チーズ熱いから気をつけろよ?」
「うわっ!美味しそう!」
同じものを口に運んで、二人は楽しそうに笑っていた。
…何で?
そこにいるのは、私のはずよ…
みんなが可愛いって言う私より、その汚いドブネズミみたいな子供がいいの?
小綺麗になった子供の姿は別人みたいだけど、それが到底受け入れられなかった。
私の方が可愛いはずだ…
「ね、ねぇ…ソフィア?」
「ねぇ、誰かハサミ持ってない?」と訊ねた。
「あんた…ちょっとヤバいって」と友達は引いていた。
でもそれが何?
この感情は歯止めが効かなかった。
友達を残して、来る途中で見た雑貨屋に足を向けた。
「あらまぁ、ソフィア?また来てくれたの?何か買い忘れた?」顔見知りの雑貨屋の女将さんが声をかけてくれた。
「おばさん、裁縫のハサミ置いてる?」
「あるよ。どれがいいかね?」
「よく切れるのがいいわ」と伝えると、女将さんは刃の大きな黒いハサミを出して売ってくれた。
「包んであげる」と言われたけど断った。すぐに使うから…
「人が多いから気をつけてね」
おばさんはそう言って私を見送った。
スカートにハサミを包んで、足早に人混みを縫って進んだ。
目立つ髪型のカイはすぐに見つかった。
彼の腰の高さくらいに、柔らかそうな蜂蜜色の金髪が見え隠れしていた。
握ったハサミの感触を確かめて、人混みに紛れてあの子の傍に忍び寄った。
✩.*˚
「あー…ヒマよヒマ…すっげぇヒマ…」
空を見上げてボヤいた。街並みの屋根の隙間から、遠くまで続く青い天井が見える。
「うるせぇな。じゃんけん負けたんだから仕方ねぇだろ?」
ディルクの代わりに相棒になった《犬》のテオがド正論を突き付けた。
そんなの分かっちゃいるが、みんなが祭りで楽しむ中、警邏なんて貧乏くじだ。
「どうせなんもないじゃん?
こんな事なら、俺ちゃんもスーやディルクと一緒にカナルに行きたかったしぃ…」
「それもじゃんけん負けたんだろ?諦めろよ、イザーク?」
「やぁだァ!俺だって可愛いオネェちゃんとお祭りでキャッキャウフフしたいっての!」
「キモ…」とテオの奴は物理的にも引いて俺を罵った。
「めっちゃ普通にガチのトーンで言うのやめてぇ…」俺だって傷つくのよ?
くだらない話をしながら時間を潰していると、騒がしい人混みから悲鳴が上がった。
「何?何?」
「あっちだ!」
悲鳴の上がった方に二人で向かった。
ぶつかりながら駆けつけた先にはカイがいた。
泣きじゃくる女の子を抱き抱えて、青い顔で必死に声をかけていた。
「おい!何があった?」
状況を確認しようと、カイを問い詰めて、抱き抱えた子供を覗き込んて言葉を失った。
首に出来た小さな傷口からは血が滲んでいた。
編み込んだ髪の一部はバッサリと切られて垂れ下がっている。
それだけでもやばいってのに、泣いてる女の子が誰か気付いて、心がざわついた…
「…ルカ?」
可愛くめかしこんでいたからすぐに分からなかった…
それでも俺が拾って来た子供に間違いなかった…
「一緒に…歩いてたら、急に…」と話すカイの胸ぐらを掴んだ。
「誰がやったんだ?!」
「俺だって分かんねぇよ!
人混みが凄かったから、少し足を止めたんだ。
そしたらルカが悲鳴上げて、抱え込んだ時には周りもパニックになってて…
俺も何が何だか…」
「ちっ!誰か見てた奴いねぇのか?!」
「ルカ、誰にやられたかみたか?」
テオと二人でルカにも確認したが、泣いていて要領を得ない。
そりゃそうだ…
一丁前に背伸びしてたが、ルカはまだ子供だし、女の子だ…
こんな目にあってショックだったろうし、怖かったはずだ…
つまらねぇイタズラしやがって…
怒りで拳を握った。
何でよりによってこの子なんだ?!
「とりあえず、俺たちが誰か見てないか訊いて回る。
カイ。お前はルカを連れて帰れ。泣き止んだら話聞いとけ」
「…分かった」
「やだ…」ボロボロ泣いていたルカが声を発した。
ルカは、抱き抱えてたカイを突き飛ばして地面に降りると、止める間もなく駆け出した。
「ルカ!」
小さい子供は人混みを縫って消えた。
呼んだが返事はなかった。
「お前ら犯人探しとけ!ルカは俺が連れて帰る!」
ルカを引き受けて、子供の姿が消えた方に足を向けた。
せっかくお祭りだってのに…
こんな事なら何も無い方が良かった…
外からのうるさい黄色い声が不愉快に響いた。
「ねぇ!カイ、私と行くのよね?」
「私が先に誘ったのよ!」
盛りのついた猫のように、女の子たちが一人の男を取り合っていた。
「おー…またやってんのか?」茶化すようにイザークが窓の外を眺めて笑った。
「あいつモテるなー」とアルノーも苦笑いで、窓の下の面白い見世物を眺めた。
「あれだろ《収穫祭》のダンスの相手か?」
「そんなの頼まれた事もねぇや」と煙草を咥えて二人で他人事のようにカイの災難を笑っていた。
「あいつ女ウケいいからなー…
どう?女の子から見て?」
「それ、俺に言ってるのか?」と話を振ったアルノーを睨んだ。
「だって、お前しょっちゅう髪結って貰ってるだろ?」
「別に…」
「えー?お前カイに懐いてんじゃん?なに?恥ずかしいの?」
「うっさい!イザークの馬鹿!」
持っていたじゃがいもを、イザークの顔面目掛けて投げたが、簡単に止められた。
「投げるならそのまま食えるもんにしてくれよ」ふざけた事を吐かしながらイザークは晩飯の材料を投げ返した。
受け取りやすい緩い軌跡を描いて、じゃがいもは俺の手のひらに戻った。
「なにさ…馬鹿…」
イライラしてるのは、あの外から聞こえる声のせいだと知っている。
お祭りに行きたいわけじゃない…ダンスだって知らない…
カイの取り巻きの娘から『調子に乗るな』と理不尽に釘を刺された。
『住み込みで働いてるから顔合わせるだけでしょ?ベタベタしないでよ』
『カイは優しいから勘違いしちゃって…』
『まだ子供じゃん』
何も言い返せなかったのは、その通りだったからだ…
カイが世話を焼いてくれるのは、俺が子供で、カイが優しくて、毎日顔を合わせるからだ…
見た目は小綺麗になっても、あの女の子たちみたいにはなれなかった。
俺は所詮、《芽の生えたじゃがいも》だ…
「…ゴミ…捨ててくる」
不機嫌を抱えたまま、野菜の屑のバケツを持って裏に出た。
裏で飼ってる鶏が、餌を貰えると思って集まってきた。
「あーもー!うるさい!」
あの女たちみたいに、嬉しそうにぺちゃくちゃ喋る鶏に八つ当たりして野菜の屑をぶちまけた。
鶏はもう俺に用はないと、一目散に餌に向かって走って行った。
その隙に、巣に落ちてた卵を拾った。
「ばーか」子供よりメシかよ?薄情なもんだ…
エプロンに集めた卵を抱えて裏口に戻ると、座り込んで煙草を吸ってる男がいた。
「…よぉ」カイは疲れた顔で片手を上げて俺に挨拶した。
「何か食いもんある?」と訊ねて、彼は座り込んでいた段差から立ち上がった。
「晩飯まで待ってよ」
「えー、もう腹ぺこで死にそうなんだけど…」
「昼食べてないの?」
「うん」と頷いて、カイは裏口の扉を開けてくれた。
卵を抱えたエプロンと、バケツで手が塞がっていた。
「ありがとう」と言って、先に扉を潜った。
そういうことするからモテるんだ…
そう思いながら口にはしなかった。
「なぁ、ルカ」
「何さ?」
「お前、お祭り行ったことあるか?」唐突に訊かれて返事に窮した。
俺の知ってるお祭りは、人混みで財布を盗む場所だった。
「連れてってやろうか?」と言ってくれたのは彼が初めてだった…
「…でも」
「人混み嫌か?
お前いっつもここで俺たちの世話してるだけだろ?
お祭りくらい楽しんでも文句言われたりしねぇって。ゲルトの爺さんも祭りの日くらい外で食ってくるだろ?」
「で、でもさ…」
「何だよ?一緒に行く友達いたか?」
「無いけど…」
「じゃあ連れてってやるよ」と言って、カイは俺の頭を撫でた。
「カイは…他の女の子たちと行かないの?」
「は?何で?」
俺の口からその質問が出ると思ってなかったのか、カイは驚いて、質問を質問で返した。
「だって、聞こえてたから…」と正直に答えると、彼はバツが悪そうに頭を掻いた。
「あー…さっきのか?全部断ったよ」
「え?何で?」
「何でって?何で俺があの子たちと祭りに行かなきゃならんのだよ?」
「でも、誘われてたじゃん?」
「はぁ…そんな、イザークじゃあるまいし…
俺にだって選ぶ権利あるっての」
カイは大きなため息を吐いて、俺の前に膝を折った。
「お祭りなんだ。行きたくない奴と行くなんて御免だ。
確かに俺だって女の子は好きだしさ、髪を結うのも好きだけど、やたらと張り合う、うるさい女は嫌いなんだよ。
それに、ルカがどう思ってるか知らないが、お前は割と可愛いと思うぜ?」
カイは真面目な顔でそう言った。
からかわれたなら言い返すこともできたけど、真面目なカイの視線に顔が熱くなって、何も言えなくなった。
「俺は割と女の子見る目あるぜ?
あと何年かしたらきっと美人になるさ。男が放っておかないくらいにな。
だから自信持てよ。お祭り行こうぜ」
「でも…」
また女の子たちに目をつけられるだけだ…
外に出たっていいことなんてない…
そう思うと素直に頷けなかった。
いい返事が見つからないまま、俺の視線は下を向いていた。目の前には、端を摘んだエプロンに並んだ卵があった。
黙り込んだ俺の頭の上に、カイの手のひらが乗った。硬くて温かい大きな手…
「ルカ。行きたくなかったら行かないでもいい。
返事はいつでもいいからさ。
祭りは来年も来るし、その時はまた誘ってやるよ」
そっと頭を撫でた手のひらは、少し髪を整えて離れた。
顔を上げると、カイは笑ってた。
彼が機嫌を悪くしてなさそうで、少しほっとした。
「カイ」と名前を呼ぶと、彼はいつもと変わらない様子で応えた。
「ゆで卵…食べる?」
少しだけ女の子みたいになれたお礼だ。
「マジで?いいの?」
「一個だけ。みんなに内緒だよ」と言うと、彼も「オッケー!」と了解した。
卵なんかで喜ぶなんて可愛いな…
それも俺に気を使ってるのかな?
二人だけの内緒を作って、食堂に戻った。相変らず暇な男たちは、窓際で煙草を吸いながら駄弁っていた。
「おかえり」
裏にゴミを捨てに行っただけなのに、《おかえり》って大袈裟じゃないか?
でも《おかえり》って言葉は嫌いじゃない。
「あ!卵だ!」
「一個くれよ」と二人とも卵を要求した。
「ダメだよ。明日の朝飯」と言って断ると、イザークは「いいじゃん。産まなかったって言えば?」と悪い事を言った。
「ひねたって肉にされちゃうよ」
「じゃあ、半分ヒヨコだったって言えばいいじゃん?」とアルノーもずる賢く言い訳を作った。
いい歳した大人が何やってんだよ…
お湯を沸かして卵を四つ鍋の底に沈めた。
✩.*˚
「カイ」
部屋に戻ろうとしていたらカミルの兄貴に呼ばれた。
「何っすか?仕事?」
「いや。お前に話があって…
ルカを祭りに誘ったのか?」
どっから出た?ルカが話したのか?
「まぁ、いつも頑張ってるし…そのくらいいいかなって…」
「そうか…」カミルの兄貴は考えるような素振りを見せて、言葉を選んだ。
「お前の気持ちはありがたいんだがな…
あいつはしっかりしてるようだがまだガキだ。
祭りってなると人も多いだろ?ルカから目を離さないって約束できるか?」
「そんなん大丈夫っすよ。ちゃんとあいつと手ぇ繋いでたらいいんでしょ?」
「絶対か?」とカミルの兄貴は念を押した。
ゲルトの爺さんもカミルの兄貴もルカを可愛がっていた。心配してんだろうと思った。
「あと、変なこと訊くがな…
お前、ルカの事どう思ってんだ?」
「どうって?」
そのまま問い返すと、カミルの兄貴は困ったように腕を組んでため息を吐いた。
「お前が女にモテるってのは知ってんだ。
ほかの女を振って、ルカを祭りに誘ったんだろ?
そんなんじゃあいつが心配するのも分かるだろ?」
「ルカが?」だから乗り気じゃなかったのか?
もっと喜ぶと思ったのに、反応がいまいちだったのは気になってた。
「鈍い男だな…
女ってのは男より面倒な生き物なんだ。女の嫉妬は怖いぜ。下手に振ったら後々面倒なのさ。
あいつはガキだけど、ちゃんと女の事は知ってんだ」
カミルの兄貴の言いたいことは、何となく分かった。
「とにかく、ルカのこと、面倒見切れないならやめとけよ?
あいつだって、いつまでもここに置いておく訳にはいかねぇんだ。
親父さんも、ルカのことは、そのうちロンメルの屋敷で引き取ってもらうつもりだ。
変に思い入れるなよ?」
「関わるなってことっすか?」
「そこまで言わねぇよ。
ルカもお前に懐いてるしな…
今まで通り、見守ってやって欲しいだけさ」
カミルの兄貴はそう言って、話を締めるように俺の肩を叩いて、「また明日」と挨拶して去って行った。
ルカ…嫌だったのか?
お節介を焼いたのを咎められたみたいで、モヤモヤした気持ちのまま部屋に戻った。
安っぽいベッドに倒れ込んでため息を吐いた…
来たばかりの頃は痩せて薄汚れたガキだった。
女の子だってのに、髪は野良犬みたいにボサボサで傷んで、毛先は四方八方を向いていた。
荒れた髪の下に顔を隠して、ビクビクしてる姿が見てられなくて、少しでも笑えるようにって髪を整えてやった。
毎日手入れをしてやると、傷んでた髪は柔らかく巻いた蜂蜜色の金髪に変わった。
野良犬は可愛い女の子になった。
その変わりようが面白くて、どこまで可愛くなるか見てみたくなった。
『あんた、それだけは上手いよね』
仕事に行く前に、娼婦をしていたお袋は俺に髪を整えさせた。
不器用な人だったから、いつも無視する要らない子供でも、髪を結う時だけは俺を頼った。
何度親父が変わっても、髪を整える限り、お袋は俺を追い出さなかった。
子供ながらに、女にとって、髪を整えるのは特別なんだと知った。
愛されたくて、毎日お袋の髪を結ったけど、お袋の心が俺に向けられることは無かった…
結局、何人目かの親父の暴力で家を飛び出して、それっきりだ…探してもないのだろう…
寂しくも思ったが、同時に、やっぱりな、と思った。
今も相変わらず、髪を結うのが好きなのは、お袋を忘れられないからかもしれない。
子供の頃から積み重ねた経験が、柔らかい女の髪を求めている。
俺が髪を結う理由なんてそんなんだ…
だから明日も寝癖のついたルカの髪を整える。
明日はどうする?
少し髪が伸びたから、できる髪型が増えた。
編み込んで左右どちらかに流そうか?
少し遊びを作って、ふわふわに仕上げるのもいいかもな…
きっちり結べば邪魔にならないが、それでは可愛くない。
あいつは本当は可愛いんだ。可愛くしてやんなきゃな…
✩.*˚
「おはよ」
火を起こして、朝飯の用意をしてると、カイが起きてきた。
寝起きで腹を掻きながら、欠伸する姿は、いつもと何も変わらない。
カイは顔を洗いに行って、戻ってくると、食堂の椅子に座って煙草を咥えた。
その姿を盗み見て、俺は大きな鍋に水を張って、火にかけると卵を放り込んだ。
パンはパン屋に取りに行く係が用意する。あとは直接暖炉に放り込んだじゃがいもが出来上がるのを待つのと、卵が茹で上がったらソーセージを焼くだけだ。
「ルカ」
様子を見ていたカイが俺を呼んだ。
「髪。結ってやるよ」と櫛を見せると、自分の座ってた椅子に俺を呼んだ。
「一つがいい?二つがいい?」
「どっちでもいいよ」と答えた。どちらを選んでもカイは上手に結ってくれる。
カイの指先が右側の髪の一束手に取って、櫛で整えた。集めてきた髪を寄せ合わせながら編み込む指は優しい。
柔らかく編んでるのに、ちゃんと纏まってるから不思議だ。動き回っても解れることは無いし、型崩れしない。
「どうだ?」
出来栄えを訊ねられたが、自分では見えない。
食堂を通りかかったカミルを捕まえて代わりに見てもらった。
「へぇ…」感心したように呟いて、カミルは屈むと編み込まれた髪に触れた。
「上手にできてる。似合ってるぜ」とカミルはちゃんと褒めてくれた。
「ただいま」と裏口から声がして、パンを受け取りに行っていたルドルフが帰ってきた。
卵を放り込んだ鍋はグツグツと音を立てている。
朝食の用意をしなきゃ…
「カイ、ありがとう」
カイにお礼を言って台所に戻った。
卵は大丈夫そうだ。生だとゲルトが食べれない。
井戸水で冷やしながら一つ剥いてみた。プルンとした卵はしっかり茹で上がってる。
残りの卵をザルに上げようとしていると、カミルが手伝ってくれた。
「危ないからやってやるよ」
「ちゃんとできるよ」
「お前が火傷したら、俺たちが親父さんに怒られるんだ。
『何で手伝わねぇんだ?!』ってな」
カミルは何かと言い訳して、さりげなく手伝ってくれる。ゲルトはいつも言い訳に使われていた。
「じゃぁ、俺も叱られる前に水でも用意するかね…」
カイも水を汲みに外に出て行った。
飯の用意は俺の仕事なのに、みんな手伝ってくれる。
ルドルフも新入りのアルバと一緒に皿並べて、パンを用意していた。
湯の入った鍋を退かして、フライパンを用意した。肉がないと朝から文句を言う奴がいる。
ソーセージを焼き始めると匂いにつられて、敷地内にバラけていた傭兵たちが食堂に集まって来た。
もう朝食の時間だ。あらかた用意が終わると、カミルに呼ばれた。
「ルカ。あとやっとくから、親父さん起こしてきな」
「うん」と頷いてゲルトの部屋に向かった。
ゲルトはいびきをかいてベッドで寝ていた。
「おじいちゃん!朝だよ!」
声をかけて背や肩を揺すると、冬眠してた熊みたいに、ゲルトがのっそりと起き上がった。
「…朝からうるせぇな」と文句を言いながら、ゲルトはベッドから出てきた。
「朝ご飯だよ」とベッドの横に脱ぎ散らかした靴を揃えて置いた。
「分かった分かった…」
「ねぇ。これ見て」と後ろを向いて編み込みを見せた。
「カイか?」ゲルトもすぐに分かったらしい。
「可愛い?」と訊いて見たけど、素直に答えるわけないのは知ってる。
「ふん…みっともないよりマシだ」と意地悪く呟いて、おじいちゃんは俺の頭に手を置いた。
可愛いって言えばいいじゃん?素直じゃないな…
この大きな手のひらが大好きだ。
笑顔でゲルトの手を握った。
素直じゃない太い指が、少し曲がって俺の手に応えた。
✩.*˚
「はー…終わったぁ…」
祭りの当日、頼まれて女の子たちの髪を整えた。
ちょっとした小遣い稼ぎになるから引き受けたが、数が数だけに疲れた…
50人くらいいた?さすがにこんだけいるとしんどい…
「ねぇ、カイ。一緒にお祭り行こうよ」
「そうよ。せっかくだからお礼させて」
「髪代なら貰ったよ」と答えて道具を片付けた。
まだリボンと飾りが残ってる。ルカに着けてやろうと思った。
「俺も約束があるからさ、悪いな」と断ったが、女の子たちは少し不満そうだった。
パン屋の娘のソフィアが白い腕を絡めて、俺の腕を引いた。
彼女はいつも女の子たちの中心にいる娘だ。美人な看板娘でパン屋の親父もいつも自慢してる。
「やぁよ。一緒に行こう?楽しいからさ、ね?」
「お前だって親父さんの屋台手伝うんだろ?」
「うん。でもさ、お祭りだもん。忙しい時間は手伝うけど、それ以外は自由だもん」
「じゃあみんなで楽しんで来いよ。
俺、人待たせてるから…」
「ねぇ?それって女?」
「まぁな。可愛い女の子さ」面倒くさくなってそう答えると、ソフィアは黙り込んだ。
彼女の腕は簡単に解けた。
「じぁな」と彼女らと別れて、宿舎に戻った。
思ってたより時間がかかった。待たせちまったな…
ルカがいるかもと、食堂に立ち寄った。
食堂には、カミルの兄貴とルカがいた。
ルカはいつもより良い服を着て、洒落た靴を履いていた。
俺の姿を見つけて、ルカは「おかえり」と言って足の届かない椅子から降りた。
「ゲルトがね、『みっともない格好で行くな』って」と、ルカは服の出処を教えた。
何だよ、爺さんルカに甘いな…
「親父さん、素直じゃないよな」とカミルの兄貴も苦笑いで呟いた。
「あぁ…可愛いよ」と自然と言葉が出た。
ルカはキラキラして見えた。
元々可愛いんだ。当たり前だよな…
こりゃ、ゲルトの爺さんもカミルの兄貴も心配するのも無理はない。連れ出すのは責任重大だ…
「俺は親父さんとロンメルの旦那に挨拶に行かなきゃならんのでな。ルカから目を離すなよ?
ルカ、楽しんで来いよ?」
「うん」
「じゃあな」と言って、カミルの兄貴は食堂を後にした。
「髪、結ってやるよ」と荷物から似合いそうなリボンを選んで、髪に織り込むように結ってやった。
造花の飾りを仕上げに着けて、可愛くしてやった。
お嬢様とまではいかないが、喋らなきゃ可愛い女の子だ。
「行こっか?」荷物を片付けてルカを連れて外に出た。
表の通りはいつもより人が多かった。
「手ぇ、離すなよ?」
「うん」
握り返す小さな手に満足して、ルカの手を握った。
建物から建物の間に吊るされた花飾りや旗が祭りの雰囲気を盛り上げていた。
いつも以上に活気のある通りは人の数も多い。
物珍しそうにキョロキョロと辺りを見回しながら、ルカは祭りを楽しんでいた。
「あっ!ルカ、エッダの芸人がいるぜ!」
道端で旅の装いの道化が軽業を見せていた。
子供でも分かる簡単な見世物を、二人で足を止めて見物した。道化はわざと失敗して子供たちを笑わせていた。
「へへっ」道化を見ていたルカが小さく笑った。
道化はボールの上に板を乗せて、不安定な足場を作って乗って見せた。
「お嬢さん、君もこれ投げて」と道化のアシスタントの女が子供たちにボールを配った。
どこでもやってる、子供に人気の軽業だ。
子供たちが一人ずつ、道化に向かってボールを投げた。
不揃いなボールを受け止めると、道化はそれを上手くジャグリングして、手元の数を増やした。
ルカの投げたボールも道化の手に吸い込まれて、宙を舞うボールに仲間入りした。
「すっご!ねぇ、見た?!今のすごくない?!」
道化の神業にルカは夢中になっていた。
頬を上気させて喜ぶ姿は周りの子供たちと同じだ。
連れてきて良かった。やっぱりこいつはまだガキだもんな…
✩.*˚
つまんない…
「ソフィア、一緒に祭り回らないか?」
「やぁよ」と男の子たちの誘いを断って、 女の子たちだけで街を歩いた。
「いいの?」と一緒にいたアニーが訊ねた。
「何が?」
「せっかくダニエルたちが誘ってくれたのに…まだ拗ねてるの?」
「だって…」と言いかけて口を噤んだ。
『あの子可愛いのに勿体ねぇな』
誰もが《可愛い》と褒めるのに、あの男だけは私を《ダサい》と言い切った。
『髪の毛、何でちゃんとしないんだよ?
そんな根暗な髪型してちゃ、ダッセェだろ?』
ズケズケと物言う男は、威嚇するような刺青を顔に入れていた。
長髪の一部に剃りを入れて、耳にもピアスを着けて、いかにも輩のような風体に、初めはビビってしまった。
固まってると、彼は勝手に私の髪を束ねてた紐を外して、持っていた櫛で髪を結い始めた。
『後で鏡見てみ』と言い残して、彼は帰って行った。
少し気になって、言われた通り、帰ってすぐに鏡の前に立った。垢抜けた自分の姿に驚いた。
魔法をかけられたみたいだった…
それから会う度に、カイは髪を整えてくれた。
彼のおかげで恋人の出来た娘もいる。
何か特別な時には、女の子たちはカイに髪結を依頼する。
カイは『いいよ』って言って、女の子を可愛くしてくれた。
彼は大きな街の人気の髪結なんかよりずっと上手だ。
彼は見た目は怖いのに、とても優しいから女の子たちの憧れの的だ。
私も好きだ…
本当は彼とお祭りを歩きたかった。
《収穫祭》のダンスの相手は絶対に彼が良かったのに…
彼がお祭りを一緒に見ると決めたのは、私じゃなかった…
彼が気にかけてる女の子は多分あの子だ…
可哀想だかなんだか知らないけど、カイの優しさに漬け込むなんてズルい。
あんな余所者のチビに、好きな男を取られるなんて許せない。
女としては私の方が可愛いはずなのに…
そう思うと悔しくて、唇を噛んだ。
「ねぇ」と友達が足を止めた。
「カイだよ。一人かな?」と指さす先には彼の姿があった。肉屋の屋台で何か買っていた。
《可愛い女の子》と行くって言ってたくせに、傍に彼女らしい姿はなかった。
嬉しくなって、彼を呼び止めようと手を上げかけた。
「ねぇ、カイ。それ何?」
向きを変えた彼の影から、小柄な影が現れて、声をかけ損なった。
手の塞がった彼の服を握ってるのは、おめかしした金髪の女の子だった。
一瞬誰か分からなかったけど、それが誰か分かった瞬間、私の中で黒い感情が溢れた。
「チーズ熱いから気をつけろよ?」
「うわっ!美味しそう!」
同じものを口に運んで、二人は楽しそうに笑っていた。
…何で?
そこにいるのは、私のはずよ…
みんなが可愛いって言う私より、その汚いドブネズミみたいな子供がいいの?
小綺麗になった子供の姿は別人みたいだけど、それが到底受け入れられなかった。
私の方が可愛いはずだ…
「ね、ねぇ…ソフィア?」
「ねぇ、誰かハサミ持ってない?」と訊ねた。
「あんた…ちょっとヤバいって」と友達は引いていた。
でもそれが何?
この感情は歯止めが効かなかった。
友達を残して、来る途中で見た雑貨屋に足を向けた。
「あらまぁ、ソフィア?また来てくれたの?何か買い忘れた?」顔見知りの雑貨屋の女将さんが声をかけてくれた。
「おばさん、裁縫のハサミ置いてる?」
「あるよ。どれがいいかね?」
「よく切れるのがいいわ」と伝えると、女将さんは刃の大きな黒いハサミを出して売ってくれた。
「包んであげる」と言われたけど断った。すぐに使うから…
「人が多いから気をつけてね」
おばさんはそう言って私を見送った。
スカートにハサミを包んで、足早に人混みを縫って進んだ。
目立つ髪型のカイはすぐに見つかった。
彼の腰の高さくらいに、柔らかそうな蜂蜜色の金髪が見え隠れしていた。
握ったハサミの感触を確かめて、人混みに紛れてあの子の傍に忍び寄った。
✩.*˚
「あー…ヒマよヒマ…すっげぇヒマ…」
空を見上げてボヤいた。街並みの屋根の隙間から、遠くまで続く青い天井が見える。
「うるせぇな。じゃんけん負けたんだから仕方ねぇだろ?」
ディルクの代わりに相棒になった《犬》のテオがド正論を突き付けた。
そんなの分かっちゃいるが、みんなが祭りで楽しむ中、警邏なんて貧乏くじだ。
「どうせなんもないじゃん?
こんな事なら、俺ちゃんもスーやディルクと一緒にカナルに行きたかったしぃ…」
「それもじゃんけん負けたんだろ?諦めろよ、イザーク?」
「やぁだァ!俺だって可愛いオネェちゃんとお祭りでキャッキャウフフしたいっての!」
「キモ…」とテオの奴は物理的にも引いて俺を罵った。
「めっちゃ普通にガチのトーンで言うのやめてぇ…」俺だって傷つくのよ?
くだらない話をしながら時間を潰していると、騒がしい人混みから悲鳴が上がった。
「何?何?」
「あっちだ!」
悲鳴の上がった方に二人で向かった。
ぶつかりながら駆けつけた先にはカイがいた。
泣きじゃくる女の子を抱き抱えて、青い顔で必死に声をかけていた。
「おい!何があった?」
状況を確認しようと、カイを問い詰めて、抱き抱えた子供を覗き込んて言葉を失った。
首に出来た小さな傷口からは血が滲んでいた。
編み込んだ髪の一部はバッサリと切られて垂れ下がっている。
それだけでもやばいってのに、泣いてる女の子が誰か気付いて、心がざわついた…
「…ルカ?」
可愛くめかしこんでいたからすぐに分からなかった…
それでも俺が拾って来た子供に間違いなかった…
「一緒に…歩いてたら、急に…」と話すカイの胸ぐらを掴んだ。
「誰がやったんだ?!」
「俺だって分かんねぇよ!
人混みが凄かったから、少し足を止めたんだ。
そしたらルカが悲鳴上げて、抱え込んだ時には周りもパニックになってて…
俺も何が何だか…」
「ちっ!誰か見てた奴いねぇのか?!」
「ルカ、誰にやられたかみたか?」
テオと二人でルカにも確認したが、泣いていて要領を得ない。
そりゃそうだ…
一丁前に背伸びしてたが、ルカはまだ子供だし、女の子だ…
こんな目にあってショックだったろうし、怖かったはずだ…
つまらねぇイタズラしやがって…
怒りで拳を握った。
何でよりによってこの子なんだ?!
「とりあえず、俺たちが誰か見てないか訊いて回る。
カイ。お前はルカを連れて帰れ。泣き止んだら話聞いとけ」
「…分かった」
「やだ…」ボロボロ泣いていたルカが声を発した。
ルカは、抱き抱えてたカイを突き飛ばして地面に降りると、止める間もなく駆け出した。
「ルカ!」
小さい子供は人混みを縫って消えた。
呼んだが返事はなかった。
「お前ら犯人探しとけ!ルカは俺が連れて帰る!」
ルカを引き受けて、子供の姿が消えた方に足を向けた。
せっかくお祭りだってのに…
こんな事なら何も無い方が良かった…
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