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罠
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「兄ちゃーん!たいちょー!」
櫓の上でヴィクターが叫んでいた。
石を櫓の上に投げ込んで、指を鳴らした。
視界は一瞬で見晴らしの良い櫓の上に変わった。
「何だ、ヴィクター?」
「わっ!早いな!」
驚きながらも、ヴィクターは「あれ」と対岸を指さした。
遠過ぎて何を指してるのか分からない。それでもヴィクターの目には、遠眼鏡を介したように対岸の様子がはっきりと見えているようだ。
「偉そうな人が来たんだ。
護衛の騎士がいっぱいで、馬車から女の人たちも降りてきた」
「はあ?」物見遊山か?ふざけてんな…
「青い服のおじさんだよ、見える?」
「お前じゃねえんだ。見えるわけねぇだろ?」
遠眼鏡なんて高級品持ってるわけもない。
相手の容姿を確認して妙に引っかかった。
歳はだいたい40代後半から50代。色の強い金髪で口髭を整えている。瞳の色は灰色と青の間だ。
連れてる女たちは上品で娼婦には見えないという…
「へぇ…」
確かに、高位の貴族であれば、妾やら世話をさせるための侍女を連れていてもおかしくはない。
攫ってくるか?
戦場で一番美味い汁が吸えるのが女の捕虜だ。
相手への嫌がらせにもなるし、自分でも楽しむことができる。飽きたら売っぱらえば金になる。
お偉いさん相手なら教養もあるだろうし、美人なら文句ない。まぁ、いい値段が付くだろう。
最悪、上に文句を言われたら、情報収集だと上手く誤魔化しゃいいのだ。
「よし!別嬪さんを頂戴しよう!」
「攫ってくるの?」
「お前も手伝うだろ?だったらお前ら兄弟にも一人やるよ」
「ほんと?!なら俺、あの胸の大きい女がいい!優しそうだ」とヴィクターはちゃっかり対象を指定した。
「乳のデカい女なんてお前ガキだな…」
「何だよ?どうせ顔なんて分かりゃしないんだから、女っぽい身体の方が良いだろ?
兄ちゃんだってそう言うよ」
「あいつは女なら何でも良いんだろ?」
小馬鹿にしたように笑ってそう言うと、丁度噂された男が登ってきた。
「よぉ、ヴィクター。呼んだか?」
「あ、兄ちゃん。隊長が…」とヴィクターがさっき話していた事をニックに伝えた。
ニックはご機嫌に口笛を吹いて喜んだ。
「あんたも悪い奴だな」と言いながらも口元はにやけている。分かりやすい奴だ…
「じゃぁお前見張ってろよ?
女たちを見失うなよ?」
「誰に言ってんのさ?俺は《鷹の目》だよ?」
自慢げに答えて、ヴィクターは対岸の女たちの見張りを買って出た。
「ところでさ、偉い人はどうすんの?」
櫓から降りようと梯子に足を掛けた俺に、思い出したようにヴィクターが尋ねた。
「ちゃんとお命頂戴するさ。
俺はがめついんだ」
ニヤリと笑って櫓を後にした。
殺しをして金になるなら天職だ。
しかもおまけまで手に入るときた。
こんないい仕事が他にあるかよ?
機嫌よく、手のひらの匂いを嗅いだ。
鉄の匂いを染み込ませるのを期待して、昂る感情を抑えた。
✩.*˚
「侯爵閣下、湯浴みの用意が整いました」
侍女として遂行していたミラが湯の用意を伝えた。
用意が終わった野外に設営した入浴用のテントに足を運んだ。
バルテル卿も、緊急時以外でこのテントの中までは立ち入ることはできなかった。
「お気を付けて…」
「分かっている。外は頼んだぞ」
心配するバルテル卿を残してテントの入口を潜った。
いつもと何も変わらない。
入浴を手伝う侍女たちは、手際よく服を脱がせると身体を洗った。
身体を洗い終えると、彼女らのマッサージを受けながら贅沢な湯船に身体を浸した。
「侯爵閣下。お湯加減は如何でしょうか?」
「あぁ。良い」
「力加減は如何でしょうか?」
「構わん。続けてくれ」
彼女らの世話を受けながら、湯気の立ち上る天井を見上げた。
万事上手くいくか…そればかりが頭を過る。
例の《スウィッチ》という男は厄介だ。
カナルを越えてくる能力を前に、有能な騎士が多く傷付いた。たった一人の《祝福持ち》相手に手痛い損害が出ていた。
早々に片付けたいところだが、私の用意した《毒餌》に食らいつくだろうか?
「閣下?」考え込んで沈黙した私をミラの声が引き戻した。
「何かね?」
「いえ…随分お疲れのようでしたので…」
「まぁ、そうだな」と頷いて、マッサージを続けるミラの手を握った。
ここのところゆっくり休めていない。若い頃のように、ただ寝るだけで回復するにも限界がある。
「お前たちにも苦労をかける」
「もったいないお言葉です」と答えて、彼女は私の手を握り返して、手の甲に接吻た。
「私たちは、ガブリエラ様より侯爵閣下のご要望には全てお応えするように仰せつかっております。
閣下は私たちを侍女以上に扱ってくださいました。私自身、閣下よりお情けまで頂戴した身です。
どうぞこの命までもお好きになさってくださいませ」
「すまんな」
「もったいないお言葉です、閣下」
当たり前のように答える彼女は、柔らかく微笑んで私の世話を続けた。
世話をしていた侍女の一人が急に顔を上げて、テントの入口辺りに視線を向けた。
「どうした?」
「…何か、外で砂利の跳ねるような音が…」
そう言いかけて彼女は口を噤んだ。
テントの外が急に慌ただしくなった。
外で何か起きているらしい…
湯船を出ようとした時、テントの入口に近い場所にいた侍女が悲鳴を上げた。
「おやおや?お楽しみのところ悪いね」
一つしかない入口から入ってきたのは、バルテル卿でも護衛の騎士ではなく、軽装の傭兵らしき装いの男だ。
「人を呼んだ覚えは無いのだがね?用事があるなら私の部下に伝言してくれないか?」
「あんたの部下は俺の部下とお楽しみ中なんでね」とふざけた返事を返して、男は悪党に似合う顔で笑った。
「それにしても、あんたこの状況で余裕過ぎないか?丸腰どころかすっぽんぽんじゃねぇか?
護衛は外だけかよ?」
「ここはプライベートな場所だ。そんな無粋なものは必要ない」
「馬鹿言えよ?お貴族様のくせに危機管理がなってねぇなぁ…」
「なるほど。では私を殺せるか、試してみるかね?」男を挑発した。
彼ははったりだと思ったのか、バカにするように笑って剣を抜いた。
「裸の丸腰の奴に何ができんだ?笑わせるなよ?」
鋭い突きは身体を捻って躱したが、相手も手練だ。
逃げ場のないテントの内側で悲鳴が上がった。
「ミラ。皆を下がらせろ」
「へぇ?紳士だな!素っ裸だけど」
「なに。腕にも容姿には自信があるのでね」と軽口を叩いて、剣を持つ相手に拳を構えた。
彼の目には、拳を構える私の姿が滑稽に映った事だろう。
確かに格好はつかないな…
だが、油断を誘うのには丁度いい。
案の定、油断した男の剣は鋭さに欠けていた。
おかげで顔面に拳を叩き込むことができた。
「ぶっ!」無様な悲鳴をあげて男はよろめきながら後ろに下がった。
拳に伝わる手応えと、男の反応からいけると踏んだ。
「どうした?相手は丸腰の裸の男だぞ?」
さらに拳を握って打ち込んだ。
鼻血が飛び散って血で拳が汚れた。人を殴るのは久しぶりだが、腕は鈍ってはいないようだ。
「て…てめぇ…」
「その呼び方は良くないな。
私が誰か分からずにここに来たのかね?」
言葉を交わしながら、さらに前に出て、拳を相手の顎に叩き込んだ。
よろけて後ろに倒れ込んだ男は、持ち込んた武器を投げ出した。
武器を拾ってテントの隅に追いやった。
「やれやれ…」
倒れた男は、顎に入った一発で目眩を起こしているようで立ち上がれそうにない。
テントの外はまだ騒がしいままだ。
「閣下、湯冷め致します」
私の心配をして、ミラが手に付いた血を湯ですすいで、飛んだ血を濡れた布で拭った。
別の者が差し出した柔らかい白いリネンを肩からかけて一息ついた。
「バルテル卿をお呼びしましょうか?」
「いや、まだ外に出るな、危険だ。
ベルトでも何でもいい。縛るものを…」
拘束できるものを用意させようとしたら、またテントに女の悲鳴が上がった。
血の滴る口で荒い呼吸をしながら男が立ち上がった。
なかなかタフな男だ…
彼は口から溢れた血を拭って顔に近づけた。
「…ってぇな…」鋭い視線で睨む視線は、獣のような光を放ちながら私に注がれた。
「チッ…俺の血は…洗い落とされたか…」
「何?」
「仕方ねぇな…約束の時間オーバーだ…今日はこの辺で勘弁してやらぁ」
ふらついていた男はそう呟いて、一番近くにいた侍女に目をつけた。
「エミリー!」狙われた侍女を庇って、別の侍女が男の前に立った。
「誰でもいい。とりあえずお前だ…」血で汚れた手が前に出た侍女を捕らえた。
「レニ!」
私から離れたミラに、男は血の混ざった唾を飛ばした。
「あばよ、色男」
赤い口でニィ、と笑って、男を弾いて指を鳴らした。
パチンッと小気味のいい音がテントに響いて、男の姿が一瞬で消えた。
消えたのは彼だけではない。
「ミラ!レニ!」
男の姿と共に二人の侍女も消えた…
本当に消えるとは…やはりあの男が《スウィッチ》か…
テントの外からバルテル卿の声が聞こえた。
「閣下!ご無事ですか?!」
「卿らも無事か?」と問い返すと、バルテル卿の声から緊張が解けた。
「例の大男は手筈通りフォーテスキュー卿が足止めしました。負傷者は出ておりますが、死者や重傷者はありません。
敵は、リューデル閣下たちが仰っていた通り、先程一瞬で消えました」
「承知した。
こちらも概ね予定通りだ」とバルテル卿に答えた。
安堵したバルテル卿のため息がテントの外から聞こえてきた。
「とりあえず、服を着るか…」
浴場代わりのテントの中は酷い有様だ。
テントの中を見回して、水たまりの中に、あるはずのないものを見つけた。
「…どこから来たのだ?」
三人の消えたはずの場所には石ころが落ちていた。
拾ってみると、どの石にも一度乾いた赤黒く変色した血が付着していた。
「…《掏り替え》か…」
憶測だが、さっきの男が口にした、《血を拭った》事と、ミラに唾を飛ばした事、そしてこの石は関係があるかに思えた。
新しい服に着替えようと残った侍女たちに着替えを命じた。
泣きべそをかいた若い侍女が、新しいリネンで私の身体を拭いた。
「怪我はなかったか、エミリー?」
「ございません…でもミラ様とレニが…」
「二人なら大丈夫だ」と彼女を慰めてやった。
この子は私の世話をするためだけの侍女だ。
《餌》を間違われそうになって焦ったが、レニが役割を理解して、エミリーを庇ってくれたおかげで何とか成功した。
欲張りな男だ…
失敗を想定して用意した侍女を二人とも奪われたのは手痛いが、相手は私の用意した《毒餌》に上手く食らいついたのは良い事だ。
女とは思ってるより怖い生き物なのだ…
✩.*˚
一瞬で景色が変わった。
「痛ってぇな、クソッ!」
彼は侯爵様に殴られた顎を擦りながら、悪態を吐いていた。
「あんた、最近散々だな」と別の男の声に振り向くと、大柄の男が砂利を踏みながら歩み寄ってきた。
「ミラ様…」
私の傍らには、一緒に攫われたであろうレニの姿があった。
彼女の肩を抱き寄せて二人で身を寄せあった。
二人で弱いものであるように振舞った。
大男は私たちの顔を覗き込んで満足したようだ。
「お?なかなか別嬪さんを連れてきたじゃねぇか?ヴィクターに見せてやれねぇのが残念だ」
「選ぶ余裕がなかったから、とりあえず二人だ…」
「選んでないのにこれか?残りの別嬪さんも気になるな?」
「もうあの男とやり合うのは御免だ…
お貴族様が何であんなに強いんだ?クソッ!」
「俺も今回は面倒な奴に当たったぜ。
黒づくめの騎士様だ。
武器が壊れるほど殴ってやってんのにビクともしねぇ…鎧に魔法か何か仕込んでんのか?」
「知るかよ…その姉ちゃんたちに訊けよ」
不機嫌そうな男とは対照的に、大男は私たちを見比べて「お前がいい」と私を指名した。
「こっちを貰うぞ」
「好きにしな」
大男は遠慮せずに、私をレニから引き剥がすと肩に担いだ。
少し抵抗したが、丸太のような太い腕はビクともしなかった。
「そんな子猫みたいに嫌がるなよ?
あっちの男より、俺の方が優しいと思うぜ?
ただ、あんたの相手は二人だがな」
男はそう言って、高い櫓の前で足を止めた。
「ヴィクター!降りて来い!」と、彼は上に向かって誰かを呼んだ。
時間をかけてゆっくり降りてきたのは、目隠しをして長弓を身体に引っ掛けた青年だった。
目隠しをしてるのに何故弓を持っているのだろうか?
理解できない。
不思議がっている私に、大男は彼を「弟だ」と紹介した。
「ヴィクター、俺らの分け前を貰ってきたぞ」
「へぇ、あのお姉さんだといいな」と言いながら目隠しをした《弟》は手を差し出した。
空を掻いた手を《兄》が掴んで、私の顔のまで誘導した。
遠慮のない手は、ペタペタと顔に触れて、戦利品を確認しているようだった。
「顔ちっさいね。鼻もスっとしてるし、睫毛も長いし絶対美人だ!」
「気に入ったか?」
「まぁね。胸は?身体も触っていい?」
「がっつくなよ?」
そう言いながら、大男は私を砂利の上に降ろすと弟に差し出した。
肩を掴む大きな手が、私の逃げることも抵抗することも許さなかった。
手探りで伸びた手が胸元に触れた。
顔を背けることしかできなかった…
『すまんな』
侯爵様の声を思い出してやり過ごした…
あの方のためなら、どんな残酷な命令だって受け入れる。
使い捨ての駒だとしても、彼の心に残るのであれば、私は満足できる…
本来であればお仕えするどころか、目に留まることすらなかったはずなのに、侯爵様は私にお情けまでかけてくださった…
女として憧れたあの方から最高の名誉を頂戴した…
私の身体を好き勝手に触っていた弟は、満足したのか、手を引いた。
「どうだ?」
「いいね」と兄弟は勝手なやり取りをして、また兄の方が私を担ぎあげた。
「お前さんも、大人しくしてりゃ殴ったりしねぇよ。
あと、俺には噛み付こうが何しようが、大概の事は許してやるが、ヴィクターに何かしたらタダじゃ済まさねぇからな?
命が惜しかったら覚えておけ?」
「兄ちゃんは優しいから何もしなかったら手を出したりしないよ。俺も別に君を虐めようとか思ってないからさ」
目隠しをした弟はそう言って、当てずっぽうに手を差し出した。
触ろうと言うのではなく、手のひらを見せてるから握手のつもりなのだろう。
話し方や仕草の幼い青年は目隠しの顔で笑って見せた。
「俺はヴィクターだよ。兄ちゃんはニックだ。お姉さん名前は?」
「…ミラ…です」と担がれたまま、彼の手に応えた。
「ミラ、ミラだね。可愛いなぁ…」
「気に入ったのか?良かったな」
二人の子供みたいな幼稚な話し方に違和感を覚えながら、彼らのテントに連れて行かれた。
意外だったのは、彼らがすぐに私を犯そうとしなかったことだ。
弟の方は手を握ったり触れたりとしていたが、目が見えないから、話し相手を確認したいという意味合いが強かったようだ。
「…目がお悪いのですか?」と訊ねると、弟は「まぁね」と答えた。
「近くが見えないけど遠くは見えるよ」と不思議な事を言った。
「対岸にいる君は《鷹の目》で見えたよ。すごく可愛かった」
無邪気な青年はそう言って、甘えるように抱きついて、胸に顔を埋めた。
子供みたいなその仕草から、話に聞いていた《鷹の目》の二つ名は信じられなかった。
この二人が《ラッセル兄弟》?
「ミラは優しそうだ。俺の事、馬鹿にしないんだね?」
そんなことをする気は無い。
機嫌を損ねて計画が潰れてしまっては、侯爵様が危険まで犯した意味がなくなってしまう。
それまでは、か弱い、気の小さい女を演じる必要があった…
男たちは、私が大人しくしてるからご機嫌だし、害そうとはしなかった。
むしろ、攫ってきた女に世話を焼いた。
兄の方が食べ物の他に、服や櫛などの必要な物を集めてきて私に与えた。
「どうして?」
まともな扱いを受けるとは思ってなかった。
私の質問に、兄の方が困ったように答えた。
「だって、お前さん、しばらくここで暮らすことになるんだ。
俺たちだって世話になるからよ、そのくらいは面倒見てやるよ。
もし他の奴らが手ぇ出そうとしたら、《ニック・ラッセル》の名前を出しな。それでも何かされたら俺が引き受けてやる」
大人しく二人の相手をしていれば、守ってくれるし世話もしてくれるらしい。
馬鹿な男たち…私の目的も知らないで…
この二人は上手く味方につければ、侯爵様の役に立つはずだ。
仕方なく彼らの要求に従った。
二人も相手にするのは正直疲れたが、兄弟はそれで満足したようだった。
…レニは無事かしら?
弟は人形を抱いて眠る子供みたいに、私を後ろから抱いて寝ている。
兄の方も、無防備にいびきをかいて眠っていた。
殺そうと思ったら殺せそう…
そんな事を思いながら目を閉じた。
『すまんな』と謝る愛しい声を慰めにして、眠りについた…
✩.*˚
「もう…もうやめて…」
憂さ晴らしに、手に入れた女を虐めてやった。
どうせあいつらは女を穴としか思ってないだろう。
それどころか、上手いこと女の手のひらで転がされてるかもしれない…
長い髪を掴んで顔を上げさせた。
俺の取り分は幼い顔立ちで、猫のような少し尖った目は怯えていた。
躾は楽しい…
暴力を正当化して、無抵抗の相手を痛めつけた。
「お前らのご主人様は何者だ?いつまであそこにいる?目的はなんだ?」
虐めるついでに質問を投げかけた。
暴力と尋問に怯えて、女は同じ言葉を繰り返した。
「だから…さっきも申し上げた通り…」
「何で侯爵がこんなところに出張ってくんだ?
あんなところで風呂入りに来るとか頭湧いてんだろ?」
ご主人様を罵られて女は悔しそうな顔で俺を睨み返した。
まだ元気そうだな…
「その目はなんだ?」
さらに力を込めて髪を引っ張ると、女は悲鳴を上げて許しを乞うた。
散々虐めて情報を引き出し終えると、今度は別のお楽しみの時間だ。気を失うまで犯してやった。
そこまでやって、やっと気持ちが晴れた。
あのおっさん、マジで侯爵様かよ?
あんなにステゴロ強いってぇのは相当喧嘩やってんじゃねぇか?
あの細い弟とはえらい違いだな…
まぁ、こいつは所詮侍女だ。大して情報は持ってなかった。
さしてもの抵抗も無いところを見ると、戦う訓練なんかも受けてないだろう。
ぐったりと動かない女の髪を払って顔を眺めた。
可愛い顔をしている。
幼い顔の女の方が虐め甲斐が有る。適当に攫った割には好みの女だった。
細くて華奢な手足も良い。掴んだら折れそうな首や手首に興奮する。
しばらく虐めて、飽きたら売り飛ばそう…
それまでは俺のもんだ…
人として歪んでるのは自覚してるが、ねじ曲がった性格を矯正するつもりはなかった。
「仲良くしようぜ…なぁ、レニ…」
起きて逃げないように手足を縛った。
まぁ、逃げたら逃げたで地獄だがな…
テントの外は行儀の悪い傭兵ばかりだ。
逃げた兎は外で狼に食い尽くされるだけだ…
それも面白いか?
とことん歪んだ自分の性格を笑って、女の顔を優しく撫でた。
いい夢が見れる気がした…
✩.*˚
浴場の襲撃を受けて、弟たちと名だたる者たちに招集をかけた。
席に着くなりコンラートが口を開いた。
「で?兄上、首尾は如何です?」
「予定通りだ。
私の用意した《花束》から《蜂》を《蝶》と勘違いして持ち帰った」
「なるほど…」
「イタチのように欲張りな男だ。
ミラとレニを攫われた。二人ともよく訓練された私の護衛で、諜報にも長けた女性だ」
「全く、他の娘が攫われたらどうするつもりでしたか?」
「それらしい者も混ぜておかなければ悟られるからな…
レニがエミリーを庇ってくれて助かった…」
「全く、無茶を…」
呆れ返る弟たちに半笑いで応えて、アーサーを呼んだ。
「フォーテスキュー卿。卿の働きにも感謝する」
「ありがたきお言葉…
しかし、本当にあれで良かったのですか?」
私の指示で、相手を殺さずに帰すようにと命じてあった。怪我人は出ても死者を出さなかった彼の功績を称えた。
それでも、アーサーは彼女らが攫われたことに、少なからず気に病んでいる様子だった。
「奴らには彼女らを連れ帰ってもらわねばならんのでな…」
ここから先は彼女らの腕の見せどころだ…
「彼女らには、拷問を受けてから情報を流すように命じた。
もし、ミラやレニを紳士的に扱わなかったら、痛い目を見るのはあの者たちだ」
「それは…あんまりではありませんか?」
「卿は《お喋り女》の話を信じるのかね?
否。必要な小芝居さ。彼女らはそれを心得ている」
こんな形で失うのは本意ではないが、カナルを挟んでいる以上、必要な投資だ。仕方あるまい…
「ミラは優秀な魔導師でもあるし、レニは素手でも戦える暗殺のプロだ。心配は要らん」
「そんなのをいつも連れ歩いてたのですか?」
「道理で堂々と気軽に歩き回ってると思いましたよ…」
弟たちが更にため息を吐いた。
「逆だ。私が自由に歩き回るからガブリエラに付けられたのだ」
「尚悪い…」と呟くコンラートの言葉を遮る女の声がした。
「閣下。ミラからです」と、残った護衛役の侍女のリアが魔石を差し出した。
手のひらに収まる緑に光る魔石の中央に文字が浮かんだ。
《成功》との報せだ。
これでこれからは襲撃の前に報せが来るはずだ。
「《女王蜂》は《巣作り》を開始した」と皆に伝えた。
「してやられた分を奴らには返してやろう。
私は根に持つタイプなのでね」
「知ってますよ。随分手の込んだ嫌がらせを返すのですね…」
「不服か、コンラート?」
「まさか?」と、コンラートは皮肉っぽい笑みを口元に浮かべた。
「《根に持つ》なら兄上に負ける気はしませんよ。
私だって機会があるなら、今度こそあのふざけた男をベルの餌にしてご覧に入れます」
「私も身内を手酷くやられたのでな!雪辱の機会を頂戴したい!」
カールもよく響く声で汚名を雪ぐ機会を求めた。
今回一番の被害者はカールだろう。
義理の兄を失って、更には娘婿まで重傷を負った。
「これは《利子》も付けて返してやらねばな」
舐められるのは好きじゃない。
私に喧嘩を売ったことを後悔させてやる…
決意と共に強く拳を握った。
櫓の上でヴィクターが叫んでいた。
石を櫓の上に投げ込んで、指を鳴らした。
視界は一瞬で見晴らしの良い櫓の上に変わった。
「何だ、ヴィクター?」
「わっ!早いな!」
驚きながらも、ヴィクターは「あれ」と対岸を指さした。
遠過ぎて何を指してるのか分からない。それでもヴィクターの目には、遠眼鏡を介したように対岸の様子がはっきりと見えているようだ。
「偉そうな人が来たんだ。
護衛の騎士がいっぱいで、馬車から女の人たちも降りてきた」
「はあ?」物見遊山か?ふざけてんな…
「青い服のおじさんだよ、見える?」
「お前じゃねえんだ。見えるわけねぇだろ?」
遠眼鏡なんて高級品持ってるわけもない。
相手の容姿を確認して妙に引っかかった。
歳はだいたい40代後半から50代。色の強い金髪で口髭を整えている。瞳の色は灰色と青の間だ。
連れてる女たちは上品で娼婦には見えないという…
「へぇ…」
確かに、高位の貴族であれば、妾やら世話をさせるための侍女を連れていてもおかしくはない。
攫ってくるか?
戦場で一番美味い汁が吸えるのが女の捕虜だ。
相手への嫌がらせにもなるし、自分でも楽しむことができる。飽きたら売っぱらえば金になる。
お偉いさん相手なら教養もあるだろうし、美人なら文句ない。まぁ、いい値段が付くだろう。
最悪、上に文句を言われたら、情報収集だと上手く誤魔化しゃいいのだ。
「よし!別嬪さんを頂戴しよう!」
「攫ってくるの?」
「お前も手伝うだろ?だったらお前ら兄弟にも一人やるよ」
「ほんと?!なら俺、あの胸の大きい女がいい!優しそうだ」とヴィクターはちゃっかり対象を指定した。
「乳のデカい女なんてお前ガキだな…」
「何だよ?どうせ顔なんて分かりゃしないんだから、女っぽい身体の方が良いだろ?
兄ちゃんだってそう言うよ」
「あいつは女なら何でも良いんだろ?」
小馬鹿にしたように笑ってそう言うと、丁度噂された男が登ってきた。
「よぉ、ヴィクター。呼んだか?」
「あ、兄ちゃん。隊長が…」とヴィクターがさっき話していた事をニックに伝えた。
ニックはご機嫌に口笛を吹いて喜んだ。
「あんたも悪い奴だな」と言いながらも口元はにやけている。分かりやすい奴だ…
「じゃぁお前見張ってろよ?
女たちを見失うなよ?」
「誰に言ってんのさ?俺は《鷹の目》だよ?」
自慢げに答えて、ヴィクターは対岸の女たちの見張りを買って出た。
「ところでさ、偉い人はどうすんの?」
櫓から降りようと梯子に足を掛けた俺に、思い出したようにヴィクターが尋ねた。
「ちゃんとお命頂戴するさ。
俺はがめついんだ」
ニヤリと笑って櫓を後にした。
殺しをして金になるなら天職だ。
しかもおまけまで手に入るときた。
こんないい仕事が他にあるかよ?
機嫌よく、手のひらの匂いを嗅いだ。
鉄の匂いを染み込ませるのを期待して、昂る感情を抑えた。
✩.*˚
「侯爵閣下、湯浴みの用意が整いました」
侍女として遂行していたミラが湯の用意を伝えた。
用意が終わった野外に設営した入浴用のテントに足を運んだ。
バルテル卿も、緊急時以外でこのテントの中までは立ち入ることはできなかった。
「お気を付けて…」
「分かっている。外は頼んだぞ」
心配するバルテル卿を残してテントの入口を潜った。
いつもと何も変わらない。
入浴を手伝う侍女たちは、手際よく服を脱がせると身体を洗った。
身体を洗い終えると、彼女らのマッサージを受けながら贅沢な湯船に身体を浸した。
「侯爵閣下。お湯加減は如何でしょうか?」
「あぁ。良い」
「力加減は如何でしょうか?」
「構わん。続けてくれ」
彼女らの世話を受けながら、湯気の立ち上る天井を見上げた。
万事上手くいくか…そればかりが頭を過る。
例の《スウィッチ》という男は厄介だ。
カナルを越えてくる能力を前に、有能な騎士が多く傷付いた。たった一人の《祝福持ち》相手に手痛い損害が出ていた。
早々に片付けたいところだが、私の用意した《毒餌》に食らいつくだろうか?
「閣下?」考え込んで沈黙した私をミラの声が引き戻した。
「何かね?」
「いえ…随分お疲れのようでしたので…」
「まぁ、そうだな」と頷いて、マッサージを続けるミラの手を握った。
ここのところゆっくり休めていない。若い頃のように、ただ寝るだけで回復するにも限界がある。
「お前たちにも苦労をかける」
「もったいないお言葉です」と答えて、彼女は私の手を握り返して、手の甲に接吻た。
「私たちは、ガブリエラ様より侯爵閣下のご要望には全てお応えするように仰せつかっております。
閣下は私たちを侍女以上に扱ってくださいました。私自身、閣下よりお情けまで頂戴した身です。
どうぞこの命までもお好きになさってくださいませ」
「すまんな」
「もったいないお言葉です、閣下」
当たり前のように答える彼女は、柔らかく微笑んで私の世話を続けた。
世話をしていた侍女の一人が急に顔を上げて、テントの入口辺りに視線を向けた。
「どうした?」
「…何か、外で砂利の跳ねるような音が…」
そう言いかけて彼女は口を噤んだ。
テントの外が急に慌ただしくなった。
外で何か起きているらしい…
湯船を出ようとした時、テントの入口に近い場所にいた侍女が悲鳴を上げた。
「おやおや?お楽しみのところ悪いね」
一つしかない入口から入ってきたのは、バルテル卿でも護衛の騎士ではなく、軽装の傭兵らしき装いの男だ。
「人を呼んだ覚えは無いのだがね?用事があるなら私の部下に伝言してくれないか?」
「あんたの部下は俺の部下とお楽しみ中なんでね」とふざけた返事を返して、男は悪党に似合う顔で笑った。
「それにしても、あんたこの状況で余裕過ぎないか?丸腰どころかすっぽんぽんじゃねぇか?
護衛は外だけかよ?」
「ここはプライベートな場所だ。そんな無粋なものは必要ない」
「馬鹿言えよ?お貴族様のくせに危機管理がなってねぇなぁ…」
「なるほど。では私を殺せるか、試してみるかね?」男を挑発した。
彼ははったりだと思ったのか、バカにするように笑って剣を抜いた。
「裸の丸腰の奴に何ができんだ?笑わせるなよ?」
鋭い突きは身体を捻って躱したが、相手も手練だ。
逃げ場のないテントの内側で悲鳴が上がった。
「ミラ。皆を下がらせろ」
「へぇ?紳士だな!素っ裸だけど」
「なに。腕にも容姿には自信があるのでね」と軽口を叩いて、剣を持つ相手に拳を構えた。
彼の目には、拳を構える私の姿が滑稽に映った事だろう。
確かに格好はつかないな…
だが、油断を誘うのには丁度いい。
案の定、油断した男の剣は鋭さに欠けていた。
おかげで顔面に拳を叩き込むことができた。
「ぶっ!」無様な悲鳴をあげて男はよろめきながら後ろに下がった。
拳に伝わる手応えと、男の反応からいけると踏んだ。
「どうした?相手は丸腰の裸の男だぞ?」
さらに拳を握って打ち込んだ。
鼻血が飛び散って血で拳が汚れた。人を殴るのは久しぶりだが、腕は鈍ってはいないようだ。
「て…てめぇ…」
「その呼び方は良くないな。
私が誰か分からずにここに来たのかね?」
言葉を交わしながら、さらに前に出て、拳を相手の顎に叩き込んだ。
よろけて後ろに倒れ込んだ男は、持ち込んた武器を投げ出した。
武器を拾ってテントの隅に追いやった。
「やれやれ…」
倒れた男は、顎に入った一発で目眩を起こしているようで立ち上がれそうにない。
テントの外はまだ騒がしいままだ。
「閣下、湯冷め致します」
私の心配をして、ミラが手に付いた血を湯ですすいで、飛んだ血を濡れた布で拭った。
別の者が差し出した柔らかい白いリネンを肩からかけて一息ついた。
「バルテル卿をお呼びしましょうか?」
「いや、まだ外に出るな、危険だ。
ベルトでも何でもいい。縛るものを…」
拘束できるものを用意させようとしたら、またテントに女の悲鳴が上がった。
血の滴る口で荒い呼吸をしながら男が立ち上がった。
なかなかタフな男だ…
彼は口から溢れた血を拭って顔に近づけた。
「…ってぇな…」鋭い視線で睨む視線は、獣のような光を放ちながら私に注がれた。
「チッ…俺の血は…洗い落とされたか…」
「何?」
「仕方ねぇな…約束の時間オーバーだ…今日はこの辺で勘弁してやらぁ」
ふらついていた男はそう呟いて、一番近くにいた侍女に目をつけた。
「エミリー!」狙われた侍女を庇って、別の侍女が男の前に立った。
「誰でもいい。とりあえずお前だ…」血で汚れた手が前に出た侍女を捕らえた。
「レニ!」
私から離れたミラに、男は血の混ざった唾を飛ばした。
「あばよ、色男」
赤い口でニィ、と笑って、男を弾いて指を鳴らした。
パチンッと小気味のいい音がテントに響いて、男の姿が一瞬で消えた。
消えたのは彼だけではない。
「ミラ!レニ!」
男の姿と共に二人の侍女も消えた…
本当に消えるとは…やはりあの男が《スウィッチ》か…
テントの外からバルテル卿の声が聞こえた。
「閣下!ご無事ですか?!」
「卿らも無事か?」と問い返すと、バルテル卿の声から緊張が解けた。
「例の大男は手筈通りフォーテスキュー卿が足止めしました。負傷者は出ておりますが、死者や重傷者はありません。
敵は、リューデル閣下たちが仰っていた通り、先程一瞬で消えました」
「承知した。
こちらも概ね予定通りだ」とバルテル卿に答えた。
安堵したバルテル卿のため息がテントの外から聞こえてきた。
「とりあえず、服を着るか…」
浴場代わりのテントの中は酷い有様だ。
テントの中を見回して、水たまりの中に、あるはずのないものを見つけた。
「…どこから来たのだ?」
三人の消えたはずの場所には石ころが落ちていた。
拾ってみると、どの石にも一度乾いた赤黒く変色した血が付着していた。
「…《掏り替え》か…」
憶測だが、さっきの男が口にした、《血を拭った》事と、ミラに唾を飛ばした事、そしてこの石は関係があるかに思えた。
新しい服に着替えようと残った侍女たちに着替えを命じた。
泣きべそをかいた若い侍女が、新しいリネンで私の身体を拭いた。
「怪我はなかったか、エミリー?」
「ございません…でもミラ様とレニが…」
「二人なら大丈夫だ」と彼女を慰めてやった。
この子は私の世話をするためだけの侍女だ。
《餌》を間違われそうになって焦ったが、レニが役割を理解して、エミリーを庇ってくれたおかげで何とか成功した。
欲張りな男だ…
失敗を想定して用意した侍女を二人とも奪われたのは手痛いが、相手は私の用意した《毒餌》に上手く食らいついたのは良い事だ。
女とは思ってるより怖い生き物なのだ…
✩.*˚
一瞬で景色が変わった。
「痛ってぇな、クソッ!」
彼は侯爵様に殴られた顎を擦りながら、悪態を吐いていた。
「あんた、最近散々だな」と別の男の声に振り向くと、大柄の男が砂利を踏みながら歩み寄ってきた。
「ミラ様…」
私の傍らには、一緒に攫われたであろうレニの姿があった。
彼女の肩を抱き寄せて二人で身を寄せあった。
二人で弱いものであるように振舞った。
大男は私たちの顔を覗き込んで満足したようだ。
「お?なかなか別嬪さんを連れてきたじゃねぇか?ヴィクターに見せてやれねぇのが残念だ」
「選ぶ余裕がなかったから、とりあえず二人だ…」
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「もうあの男とやり合うのは御免だ…
お貴族様が何であんなに強いんだ?クソッ!」
「俺も今回は面倒な奴に当たったぜ。
黒づくめの騎士様だ。
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「知るかよ…その姉ちゃんたちに訊けよ」
不機嫌そうな男とは対照的に、大男は私たちを見比べて「お前がいい」と私を指名した。
「こっちを貰うぞ」
「好きにしな」
大男は遠慮せずに、私をレニから引き剥がすと肩に担いだ。
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ただ、あんたの相手は二人だがな」
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理解できない。
不思議がっている私に、大男は彼を「弟だ」と紹介した。
「ヴィクター、俺らの分け前を貰ってきたぞ」
「へぇ、あのお姉さんだといいな」と言いながら目隠しをした《弟》は手を差し出した。
空を掻いた手を《兄》が掴んで、私の顔のまで誘導した。
遠慮のない手は、ペタペタと顔に触れて、戦利品を確認しているようだった。
「顔ちっさいね。鼻もスっとしてるし、睫毛も長いし絶対美人だ!」
「気に入ったか?」
「まぁね。胸は?身体も触っていい?」
「がっつくなよ?」
そう言いながら、大男は私を砂利の上に降ろすと弟に差し出した。
肩を掴む大きな手が、私の逃げることも抵抗することも許さなかった。
手探りで伸びた手が胸元に触れた。
顔を背けることしかできなかった…
『すまんな』
侯爵様の声を思い出してやり過ごした…
あの方のためなら、どんな残酷な命令だって受け入れる。
使い捨ての駒だとしても、彼の心に残るのであれば、私は満足できる…
本来であればお仕えするどころか、目に留まることすらなかったはずなのに、侯爵様は私にお情けまでかけてくださった…
女として憧れたあの方から最高の名誉を頂戴した…
私の身体を好き勝手に触っていた弟は、満足したのか、手を引いた。
「どうだ?」
「いいね」と兄弟は勝手なやり取りをして、また兄の方が私を担ぎあげた。
「お前さんも、大人しくしてりゃ殴ったりしねぇよ。
あと、俺には噛み付こうが何しようが、大概の事は許してやるが、ヴィクターに何かしたらタダじゃ済まさねぇからな?
命が惜しかったら覚えておけ?」
「兄ちゃんは優しいから何もしなかったら手を出したりしないよ。俺も別に君を虐めようとか思ってないからさ」
目隠しをした弟はそう言って、当てずっぽうに手を差し出した。
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「…目がお悪いのですか?」と訊ねると、弟は「まぁね」と答えた。
「近くが見えないけど遠くは見えるよ」と不思議な事を言った。
「対岸にいる君は《鷹の目》で見えたよ。すごく可愛かった」
無邪気な青年はそう言って、甘えるように抱きついて、胸に顔を埋めた。
子供みたいなその仕草から、話に聞いていた《鷹の目》の二つ名は信じられなかった。
この二人が《ラッセル兄弟》?
「ミラは優しそうだ。俺の事、馬鹿にしないんだね?」
そんなことをする気は無い。
機嫌を損ねて計画が潰れてしまっては、侯爵様が危険まで犯した意味がなくなってしまう。
それまでは、か弱い、気の小さい女を演じる必要があった…
男たちは、私が大人しくしてるからご機嫌だし、害そうとはしなかった。
むしろ、攫ってきた女に世話を焼いた。
兄の方が食べ物の他に、服や櫛などの必要な物を集めてきて私に与えた。
「どうして?」
まともな扱いを受けるとは思ってなかった。
私の質問に、兄の方が困ったように答えた。
「だって、お前さん、しばらくここで暮らすことになるんだ。
俺たちだって世話になるからよ、そのくらいは面倒見てやるよ。
もし他の奴らが手ぇ出そうとしたら、《ニック・ラッセル》の名前を出しな。それでも何かされたら俺が引き受けてやる」
大人しく二人の相手をしていれば、守ってくれるし世話もしてくれるらしい。
馬鹿な男たち…私の目的も知らないで…
この二人は上手く味方につければ、侯爵様の役に立つはずだ。
仕方なく彼らの要求に従った。
二人も相手にするのは正直疲れたが、兄弟はそれで満足したようだった。
…レニは無事かしら?
弟は人形を抱いて眠る子供みたいに、私を後ろから抱いて寝ている。
兄の方も、無防備にいびきをかいて眠っていた。
殺そうと思ったら殺せそう…
そんな事を思いながら目を閉じた。
『すまんな』と謝る愛しい声を慰めにして、眠りについた…
✩.*˚
「もう…もうやめて…」
憂さ晴らしに、手に入れた女を虐めてやった。
どうせあいつらは女を穴としか思ってないだろう。
それどころか、上手いこと女の手のひらで転がされてるかもしれない…
長い髪を掴んで顔を上げさせた。
俺の取り分は幼い顔立ちで、猫のような少し尖った目は怯えていた。
躾は楽しい…
暴力を正当化して、無抵抗の相手を痛めつけた。
「お前らのご主人様は何者だ?いつまであそこにいる?目的はなんだ?」
虐めるついでに質問を投げかけた。
暴力と尋問に怯えて、女は同じ言葉を繰り返した。
「だから…さっきも申し上げた通り…」
「何で侯爵がこんなところに出張ってくんだ?
あんなところで風呂入りに来るとか頭湧いてんだろ?」
ご主人様を罵られて女は悔しそうな顔で俺を睨み返した。
まだ元気そうだな…
「その目はなんだ?」
さらに力を込めて髪を引っ張ると、女は悲鳴を上げて許しを乞うた。
散々虐めて情報を引き出し終えると、今度は別のお楽しみの時間だ。気を失うまで犯してやった。
そこまでやって、やっと気持ちが晴れた。
あのおっさん、マジで侯爵様かよ?
あんなにステゴロ強いってぇのは相当喧嘩やってんじゃねぇか?
あの細い弟とはえらい違いだな…
まぁ、こいつは所詮侍女だ。大して情報は持ってなかった。
さしてもの抵抗も無いところを見ると、戦う訓練なんかも受けてないだろう。
ぐったりと動かない女の髪を払って顔を眺めた。
可愛い顔をしている。
幼い顔の女の方が虐め甲斐が有る。適当に攫った割には好みの女だった。
細くて華奢な手足も良い。掴んだら折れそうな首や手首に興奮する。
しばらく虐めて、飽きたら売り飛ばそう…
それまでは俺のもんだ…
人として歪んでるのは自覚してるが、ねじ曲がった性格を矯正するつもりはなかった。
「仲良くしようぜ…なぁ、レニ…」
起きて逃げないように手足を縛った。
まぁ、逃げたら逃げたで地獄だがな…
テントの外は行儀の悪い傭兵ばかりだ。
逃げた兎は外で狼に食い尽くされるだけだ…
それも面白いか?
とことん歪んだ自分の性格を笑って、女の顔を優しく撫でた。
いい夢が見れる気がした…
✩.*˚
浴場の襲撃を受けて、弟たちと名だたる者たちに招集をかけた。
席に着くなりコンラートが口を開いた。
「で?兄上、首尾は如何です?」
「予定通りだ。
私の用意した《花束》から《蜂》を《蝶》と勘違いして持ち帰った」
「なるほど…」
「イタチのように欲張りな男だ。
ミラとレニを攫われた。二人ともよく訓練された私の護衛で、諜報にも長けた女性だ」
「全く、他の娘が攫われたらどうするつもりでしたか?」
「それらしい者も混ぜておかなければ悟られるからな…
レニがエミリーを庇ってくれて助かった…」
「全く、無茶を…」
呆れ返る弟たちに半笑いで応えて、アーサーを呼んだ。
「フォーテスキュー卿。卿の働きにも感謝する」
「ありがたきお言葉…
しかし、本当にあれで良かったのですか?」
私の指示で、相手を殺さずに帰すようにと命じてあった。怪我人は出ても死者を出さなかった彼の功績を称えた。
それでも、アーサーは彼女らが攫われたことに、少なからず気に病んでいる様子だった。
「奴らには彼女らを連れ帰ってもらわねばならんのでな…」
ここから先は彼女らの腕の見せどころだ…
「彼女らには、拷問を受けてから情報を流すように命じた。
もし、ミラやレニを紳士的に扱わなかったら、痛い目を見るのはあの者たちだ」
「それは…あんまりではありませんか?」
「卿は《お喋り女》の話を信じるのかね?
否。必要な小芝居さ。彼女らはそれを心得ている」
こんな形で失うのは本意ではないが、カナルを挟んでいる以上、必要な投資だ。仕方あるまい…
「ミラは優秀な魔導師でもあるし、レニは素手でも戦える暗殺のプロだ。心配は要らん」
「そんなのをいつも連れ歩いてたのですか?」
「道理で堂々と気軽に歩き回ってると思いましたよ…」
弟たちが更にため息を吐いた。
「逆だ。私が自由に歩き回るからガブリエラに付けられたのだ」
「尚悪い…」と呟くコンラートの言葉を遮る女の声がした。
「閣下。ミラからです」と、残った護衛役の侍女のリアが魔石を差し出した。
手のひらに収まる緑に光る魔石の中央に文字が浮かんだ。
《成功》との報せだ。
これでこれからは襲撃の前に報せが来るはずだ。
「《女王蜂》は《巣作り》を開始した」と皆に伝えた。
「してやられた分を奴らには返してやろう。
私は根に持つタイプなのでね」
「知ってますよ。随分手の込んだ嫌がらせを返すのですね…」
「不服か、コンラート?」
「まさか?」と、コンラートは皮肉っぽい笑みを口元に浮かべた。
「《根に持つ》なら兄上に負ける気はしませんよ。
私だって機会があるなら、今度こそあのふざけた男をベルの餌にしてご覧に入れます」
「私も身内を手酷くやられたのでな!雪辱の機会を頂戴したい!」
カールもよく響く声で汚名を雪ぐ機会を求めた。
今回一番の被害者はカールだろう。
義理の兄を失って、更には娘婿まで重傷を負った。
「これは《利子》も付けて返してやらねばな」
舐められるのは好きじゃない。
私に喧嘩を売ったことを後悔させてやる…
決意と共に強く拳を握った。
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