燕の軌跡

猫絵師

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カナル宣言

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カナルの岸が慌ただしくなった。

ヴェルフェル侯爵の弟たちが、旗の返還交渉のためにカナルを訪れるらしい。

ヴォルガシュタットからの陛下の代理人や軍隊も来るとあって大規模な配置換えとなった。もちろん《燕の団》も例外ではない。

「ルドルフ、それも馬車に載せておけ」

カミルに呼ばれて積荷の手伝いをした。

「おっ!そんなに重いの持てるようになったのか?」

「体力ついたんじゃねぇか?」

アルノーたちに褒められた。彼らは何も出来なかった頃の私を知っている。

「ほら、これもだ。落とすなよ?」と新しい荷物が渡される。

忙しいから、頼りない私にも仕事を任せなければならないのだろう。

足手まといにならないようにと一生懸命働いた。団長との約束もある。

彼は私の手紙をロンメル男爵を通じて陛下に送ってくれた。

私の決意は父上に届いたろうか?

荷物を積み込んでいると、団長が見回りに来た。

「カミル、ルドルフ借りるぞ」

「何かあったか?」

団長は「客だ」とだけ言って、身振りで私を急かした。

言われるがまま、団長とディルクに着いて行くと、団長は人気の少ない場所に私を案内した。

まだ撤去してないテントに通された。

「連れてきた」と、団長は中で待たせていた人物の前に私を押し出した。

急に押し出されて、不意打ちで少しよろけた。相手は慌てて私を支えようと手を伸ばした。

「殿下」と呼ぶ声に覚えがあった…

「…アルバ?」

私の呼び掛けに頷いて、彼は顔を隠すように被っていたフードを取り払った。

「何で?お前は…」

「第二王子殿下のご命令で、先駆けとして参りました。

私の《祝福》なら見咎められませんので…

第二王子殿下より、殿下にこれをお渡しするようにと…」

アルバはそう言って預かってきた文箱を私に差し出した。

戸惑いながら「ありがとう」と文箱を受け取ると、アルバは驚いていた。私が礼を言ったのが彼にとっては信じられなかったようだ。

「話はそれだけか?話があるならさっさと済ませろ。

ここはすぐに引き払わなきゃならないんだから、グズグズするな」

まごついている私たちに、団長が苛立たしげに話を急かした。そのキツい物言いにアルバは団長を睨んだ。

「何だ?誰にも言わずに入れてやったのに、俺に文句でもあるのか?」

「何と不敬な…この方がどなたかご存知のはずでしょう?!」

アルバは団長に食ってかかった。その様子に団長は鼻で笑って、小馬鹿にするようにアルバに言い返した。

「知ってたら何だ?

ルドルフは今はうちの下っ端だ。どう扱おうが、あんたに説教される覚えはない。

それに、ルドルフを特別扱いして、そいつの正体がバレても良いってのか?」

「アルバ。私ならもう慣れた。大丈夫だ」と彼を宥めた。

昔の私なら『無礼だ!』と言って喚いて、アルバが宥める役だっただろう。

私たちは、いつの間にかあべこべになってしまっていた。

「団長、手紙を読む時間を貰いたい」と時間の猶予を求めた。私も早く仕事に戻らなければいけない。

「そんなの分かってるからさっさと読めよ」と団長は私の願いを受け入れてくれた。

突き放すようなぶっきらぼうな言い方に苦笑いして、兄上からの文箱を開けた。

中には手紙と身分証が入っていた。

身分証は私の爵位と父上の署名が記されていた。

こんなものを渡していいのだろうか?

父上からの手紙は、私の手紙の返事だった。

私の手紙に《勇気を貰った》とあった。陛下は私の成長を喜んでいた。

ロンメル男爵は無関心を装いながらも、私の成長を手紙で父上に伝えていたらしい。

手紙は書いた覚えのない内容まであった。

身分証は、私が金銭的な援助を受けられるように、便宜を計るためのものだった。

これがあれば、ある程度の纏まった金を工面することが出来る。

その金を使って、危険なカナルからヴォルガシュタットに戻ってくるようにという父上の計らいだった。

ありがたく思いながら、手紙をポケットにしまって、残った身分証は文箱に戻してアルバに差し出した。

「これはいらない。持ち帰ってくれ」

「…殿下?」

「私はまだカナルに残る。陛下にそう伝えて欲しい」

「何故です?!陛下はお怒りではございません!第二王子殿下も、殿下の成長を心より喜んでいらっしゃいました!

殿下がお戻りになるのをお許しになられています!

もう半年も頑張ったではありませんか?」

「まだ、半年しか頑張ってない」

「ですが…」

「アルバ。私はやっと子供並みになったのだ。

何も出来なかったが、できることも多くなった。

虚勢を張らずに話せる友人もできた」

最初は悲観的になっていたが、彼らと一緒に生活して、当たり前と思ってたことが当たり前で無いと知った。

最初こそは無茶苦茶で、それを苦痛に感じることもあった。

怒鳴られるのなんて日常茶飯事だ。挨拶がわりに小突かれる事もあったし、彼らの無作法を挙げたらキリがない。

彼らの仕事は殆どが肉体労働で、そんなものと無縁だった私にとって労働は屈辱的だった。

でも、彼らはそれが普通だったんだ…

働きながら鼻歌を歌って、薄汚れながら汗を流して、へとへとになって帰る。労働を屈辱に感じてるのは私だけだった…

それに気付いてから、少しだけ気持ちが変わった。

『我々は責任のある立場なのだ。少しは自覚しなさい』と口煩く言っていたヨアヒム兄様は、私にも厳しかったが、自分にも厳しかった。

今なら兄様の言いたかったことが、少しだけ分かる気がした。

昔の私は、クズだったと思う。とても責任を果たしていたとは言えないだろう。

見返せば、何かと恥の多い人生だった。自分でもそう思えるのだから相当だ。

この辺りで軌道修正しなくては、私は王子などという、責任ある立場に戻れない。

「本当に…カナルに残るのですか?」

私の差し出した文箱を見詰めながら、アルバは私の決定を確認した。

「そうだ。少なくとも、今はまだ帰らない」

「私は…どうなるんですか…」

「お前はそのまま、ヨアヒム兄様にお仕えしてくれ」

兄上は多忙だから、アルバは役に立つはずだ。

アルバは私のような手間のかかる主に仕えていた優秀な従者だ。

彼に受け取るようにと、文箱を差し出した。

アルバはそれを受け取るのを拒否した。

私のどんな我儘も笑顔で受け入れた青年は、首を横に振って「嫌です!」と叫んだ。

「私が失敗したからですか?

もう一度…お仕えする事は叶いませんか?

もう…私は…殿下には必要ないのですか…」

「アルバ?何を…」

彼は私の前に平伏して、涙を零しながら嘆願を始めた。

「私は…殿下の為なら…どんな事も厭いません…

殿下が《死ね》と仰るのなら、喜んで死にます…

だから…私を…捨てないで下さい…」

そんなつもりはなかったが、彼はそう感じたようだ。

アルバにはもう家族は居ない。帰る場所もない。生きる意味さえ失っていた。

だから仕方なく私の我儘に付き合っているのだと思っていたのに…

彼は自分の意思で私に仕えてたのだ、と初めて知った…

彼の気持ちは純粋に嬉しかったが、今の私は《燕の団》の若輩者だ。従者がいるなんてありえない。

「アルバ。私はお前を捨てると言うんじゃない。

まだカナルに残ると言ったんだ」

「ならばお傍に置いてください…

必ず…必ず後悔させません…今度こそ、ご期待に添えるように上手くやります…だから…どうか…」

「でも…」と返事に困って団長に振り返った。

彼は私の視線を受けると、眉を顰めて大きくため息を吐いた。

「そいつ、何ができるんだ?」と団長は私に確認した。

「彼は私の従者だった男だ。護衛としての剣の腕もある。それに彼には《祝福》がある」

「へぇ…《祝福》が?

一時とはいえ、ワルターを出し抜いたってのはマジか?」

彼は少しだけ考える素振りを見せて、アルバに「表に出ろ」と指示した。

「使えるなら置いてやる。役立たずの手間のかかるガキを増やす理由はないからな」

「本当ですか?」

「あぁ、いいよ。とりあえず、殺し合いはマズイから、地面に背中が着いた方が負けってことでどうだ?」

団長はアルバにレスリングを提案した。

「また、そんなことを…」

「なんだよ、ディルク?文句あんのか?」

ボヤくディルクを睨んで黙らせると、団長は大切にしている帽子を彼に預けた。

「ハンデくれてやるよ」と団長は余裕を見せた。

「アルバだったな?お前は《祝福》使ってもいいぜ。

俺は魔法も使えるが、攻撃魔法も防御魔法も使わない。ただし、体術だけは本気でやる。どうだ?」

「私の《祝福》は知られてしまうと役に立たなくなります」

「じゃぁ黙っててやるよ。ディルク、お前も黙ってろよ?」

「あいよ」

「外は片付いてるし、片付けにみんな出払ってるから、ここにいるのは俺たちだけだ。

文句ないだろ?」

そこまで言われて、アルバも腹を括ったようだ。

「殿下、よろしいでしょうか?」と確認して、アルバは団長らに《祝福》を晒す許可を求めた。

断ることもできたが、それでアルバの気持ちが済むのならと了承した。

魔法を使わないとしても、団長は勝てる算段でいるのだろう。

テントの外に出て、団長とアルバが向かい合った。テントの周りには、いつものように喧嘩を面白がって囃し立てる傭兵たちはいなかった。

合図を任されたディルクが「始め!」と合図した。

先に仕掛けたのはアルバだった。

彼の姿が色を失って風景に溶けて消えた。

「…へぇ…そう来るか」と面白そうに呟いた団長は目を閉じた。体勢を低くてし構えた団長の袖口が突如捻れた。

アルバはそのまま団長を組み伏せようとしたようだが、団長は冷静だった。

袖を掴まれた団長の腕が、蛇のように見えないアルバを絡め取った。

目に見えない攻防があって、アルバは身を引いたらしい。

「へぇ、面白いな…

でもさ、俺は精霊が見えるから、お前の《祝福》も薄ら見えてるよ」

団長はそう言って不敵に笑った。

はったりのようにも思えたが、アルバは手を出すのを躊躇ったようだ。

一点を見つめる団長は、視線の先にアルバを捉えているのだろう。

「団長の話は本当か?」とディルクに確認すると、ディルクは「まぁな」と頷いた。

「俺たちにもどういうふうに見えてるのかは分からないが、スーは精霊が使える。

ようには、あいつはただもんじゃねぇって事さ…」

私たちがそう話している間にも、アルバは団長に仕掛けていた。

団長は何度か手を振り払うような動作を見せていた。

「確かに動きは悪くないな…

まぁ、及第点ってところか?」

面白がるようにそう呟いて、団長は素早く前に出た。突き出した手で拳を握ると、その手を勢いよく振り下ろした。

ドっと倒れ込む音がして、アルバの《祝福》が解けた。

団長の拳はアルバの胸ぐらを掴んでいた。

団長はアルバから手を離すと、もう用はないとばかりにディルクに歩み寄って帽子を受け取った。

「クソっ!」

「悔しいか?《祝福》の相性が悪かったようだな」

悔しがるアルバを見下ろして、団長は帽子の下でニヤニヤと意地悪く笑った。

「でも面白い《祝福》だ。このまま帰すのは惜しいな…」

「お前な…こんな何に使うつもりだよ?」

「何に使おうが俺の勝手だろ?

アルバ、お前が残るって言うなら《燕の団》に置いてやるよ」

「本当ですか?!」

「あぁ、マジだ。ただし、団員としてだ。俺の言うことは絶対だからな。

ルドルフの部下じゃないからな。それで文句ないなら置いてやる」

あまりにもあっさり承諾したので、裏があるのではないかと勘ぐってしまう。

私の視線に、団長はニヤリと笑って見せた。

「まぁ、うちに置いてやるとは言ったが、思ったより役に立たなかったら追い出すからな」

団長はそう言って、アルバと私に着いてくるように言った。

カミルのところに戻ると、彼はアルバと私をカミルに預けた。

「あいつ、何考えてんだ?」と首を傾げながらも、カミルはアルバを受け入れた。

アルバは、傭兵たちに囲まれて働く私を見て、違和感を覚えたようだ。

「そんな重いものを…」

アルバは私が重いものを持っているのを見咎めて手を出そうとした。

「そんなの一人で十分だろ?お前もさっさと運べよ」

アルバの手が空いてるのを見て、仲間が持っていた荷物を彼に押し付けた。

手伝おうとしていた彼の手が塞がってしまった。

「荷馬車に運んで渡すだけだ」と教えると、役に立てなかったのを恥じたアルバは私に謝罪した。

「も、申し訳ありません、殿下…」

「殿下はやめてくれ。《ルドルフ》でいい」

「しかし…」

アルバは私を名前で呼ぶ事に躊躇した。

それでもここでは私は《殿下》でも《閣下》でもない。ただの《ルドルフ》だ。

「ここではそれが普通なんだ。名前で呼んでくれ。

それに、なんかその方が友達みたいじゃないか?」

アルバとの見えない壁を取り払って、対等な友人として、彼と接する機会を嬉しく思った。

✩.*˚

「調子はどうだ?」

フィーを抱いた親父が俺の病床を訪れた。

親父は帰る予定をずらして、まだブルームバルトに滞在していた。

「食事は?少しは食ったか?」

「まぁ…少しな」

「パパー」親父の手を離れて、ベッドに這い上がったフィーは俺の手を引っ張った。

「おさんぽ」と誘われたが、「ごめんな」と断った。

何もかもが億劫で、窓から差し込む明るい日差しや、爽やかに感じるはずの夏の風も鬱に拍車をかけた。

俺が生き残ったから、生まれて来るはずの命が消えた…

フィーがオークランドに渡されずに済んだのは良かったが、俺とテレーゼが失ったものは大き過ぎた…

「…テレーゼは?」

「シュタインシュタットから医者が来て診察中だ。

お前も辛いだろうが、テレーゼ様もお辛いんだ…少しくらい慰めてやれ」

親父の言うことは尤もだ。

まだ目立たない腹を大切に撫でながら、彼女は子供を楽しみにしてた。

「俺のせいだ…」と自分を責めた。

悲しみが込み上げて喉に詰まった。

魔が差したんだ…こんな結果望んじゃなかった…

「俺だって、死にたくなった事くらいはある…

そうしなかったのは機会がなかったからだ。あったらお前と同じ事をしていたかもしれん。

俺はお前を責めるつもりはない…」

親父はそう言って、ベッドの傍らにあった椅子を手繰り寄せた。

「俺が言えるのは、お前が生きてて良かったって事くらいだ…

もう息子を失いたくないんでな…」

親父は寂しそうに呟いて、フィーに「おいで」と手を差し出した。

不安定なベッドの上で立ち上がったフィーは、親父に手を伸ばして大きな手に掴まった。

キラキラした笑顔で笑うフィーは悩みなんて無いみたいだ。

いいな、子供って…そんなことを思いながらフィーを眺めた。

「この子が笑ってられるのは、親父が生きてるからだ」と、親父は愛らしく笑う孫を抱きながら俺に告げた。

「ワルター…今回は残念な事になったが、言い方は悪いがもう済んでしまった事だ。

終わった事をひっくり返すのは無理だ。言いたいことは分かるよな?」

「あぁ…」

「なら、これからの事を考えろ。

まずはまともな食事を取れ。テレーゼ様と話をして、フィリーネ様と散歩しろ。

お前にはできるはずだ」

「親父は…」

「何だ?」

「親父は…死にたくなった時…何で踏みとどまったんだ?」

少しだけ気になって訊いてみた。俺と親父の違いは何なのか気になった。

親父だって相当大変だったはずだ。

妻とは名ばかりのあの女に苦しめられて、息子の愚行に悩みながら心をすり減らしていたはずなのに…

親父は俺の質問に苦く笑った。

「お前がいたからな」と答えて、親父は遠い目をした。

「良くも悪くも、お前は俺の《希望》だった…

ビッテンフェルトの代わりはいても、お前の親父の代わりはいないからな…

エミリアの墓前でも、お前が大人になるまで任せろと偉いことを言ったしな…」

しんみりとした口調でそう言って、親父は死んだお袋の名をだした。

「じーじー?」

「おぉ。お姫様にはつまらんかったな?

フィリーネ様、爺と散歩に行こう」

「あい!」散歩と聞いてフィーは嬉しそうに元気に返事をした。

「今は養生しろ」と言葉を残して、親父は来た時と同じように、フィーを抱いて部屋を後にした。

二人が出て行った後、窓の外に視線を向けた。

外は寝てるのが勿体ないほどいい天気だ…

重怠い身体を少し起こして、辺りを見回した。

ベッドの傍らには見舞いの花束が生けてある。ユリアが用意したものだ。

花瓶の横には飴玉が置いてある。ルドが見舞いに置いて行ったものだ。

手に取って包みを開いて口に含んだ。

湿気た飴は少し柔くなってたが、舌の上で甘く溶けた。まともに食ってなかったから、甘さが染みた。

花瓶の下に抑えられていたメモを見つけて手に取った。

ケヴィンのだ…彼は俺の回復を願っていた…

あいつは俺が言った《泥臭く生きろ》って言葉を覚えてたんだな…

まだまだガキだと思ってたのに、子供たちは成長していた。

フィーも、俺なんかがいなくても、こうやって大きくなるんだろうな…

テレーゼに似て美人だし、きっと賢く育つだろう…

傍であの子の成長を見ていたい…

散歩している姿が見えるかもと思って、錆びたようなぎこちない身体でベッドから抜け出した。

窓枠にもたれるように外を覗いた。

見えるところにフィーの姿はなかった。

緑の香りを含んだ夏の風が、窓辺のカーテンを踊らせて視界を遮った。

「旦那様?」

呼ばれた気がして振り返ると、寝室の出入口に驚いた顔のシュミットが立っていた。

「起きて…よろしいのですか?」

「うん…まぁ、少しな…」と曖昧に返事をすると、シュミットは難しい顔のままドアを閉めた。

眉間に皺を寄せた男は、ベッドの横に置かれた椅子を持って窓辺に置いた。

「どうぞ」

「あぁ…ありがとう」

礼を言って椅子に座ると、シュミットは風で遊んでいたカーテンをまとめた。

相変わらず気が利くな、と感心していると、今度は俺の抜け出したベッドを整え始めた。

「いいよ、そのままで」

「いえ…動いてないと殴ってしまいそうなので…」

「なるほど」と苦く笑って頷いた。どうやら、今回の俺の行動に、殴りたくなるくらい腹を立てていたようだ。

シュミットは「笑い事じゃない」と俺を叱った。

「何故あんな事をなさったんですか?!

皆どれ程心配したことか…

奥様が許しても、私は許しませんからね!」

「悪かったよ」と謝ったのに、シュミットは許してくれなかった。

「本当に馬鹿な人だ」と俺を罵って背を向けた。

旦那様と呼ぶくせに、遠慮がねぇな…

まぁ、そういう関係にしたのは俺だ。彼は信頼出来る家人であり、頼れる良い友人だ…

椅子に座って、窓辺からシュミットの背に声を掛けた。

「ケヴィンがさ…俺には《泥臭く生きてる方が似合ってる》ってさ…

俺ってダサいのが似合ってるらしい」

「今更ですね。

旦那様は悲劇ぶって死を選ぶような殊勝な人間ではありませんから…

《死んだ獅子より、生きてる蟻の方が価値がある》と昔の賢い人が言ったそうですよ」

「へぇ…面白いな」

「貴方は蟻より価値があるでしょう?」

「まぁ、もうちょっと見積もって欲しいわな…」

「全く…我々の気も知らないで…本当に馬鹿なお人だ…」

シュミットの言葉に、俺は苦く笑って頷くしか出来なかった。

「テレーゼは?」と訊ねると、シュミットは迷いながら現状を報告した。

「先程医師と薬師が到着して診察後にお薬をもらいました…

2、3日したら…その…お子様の葬儀もできるかと…」

「…そうか」やっぱりな…

「残念ですが…」とシュミットは声を詰まらせた。

悲しいが、この結果を作ってしまったのは俺だ…

テレーゼにも、辛い選択をさせてしまった…

「テレーゼはどこだ?」

「お客様のお部屋に寝室をお作り致しました。お会いしますか?」

「あぁ…ちゃんと謝らなきゃならないからな…」

嫌われても、恨まれても仕方ない。あいつ意外と怖いからな…

殴られる覚悟ぐらいしておくつもりだ。

「後でテレーゼのところに案内してくれ」と頼むと、シュミットは黙って頷いた。

古いシーツを手に、部屋を出ていこうとしたシュミットが振り返った。

「何か召し上がるものをお持ちしましょうか?」

「ルドから貰った飴食ってるよ」

「そんなものじゃなくて、ちゃんとしたお食事を取って下さい」

子供のようなことを言って、またシュミットに叱られた。俺を叱る声は少しだけいつもの調子を取り戻していた。

「ユリアに用意させますからお待ちください。

食事を済ませて、着替えたら、奥様のお部屋にご案内致します」

「ユリアは手強いな…」

「えぇ、誰かさんと違ってしっかりしてますからね。誤魔化しは利きませんよ」

そう言い残してシュミットは部屋を後にした。

窓辺で風に吹かれながら外を眺めた。

外から子供のはしゃぐような声が聞こえてくる。

口に残った飴を齧って、悪い感情と共に飲み込んだ。

✩.*˚

フィーアから届いた手紙には、《交渉の場が整った》とあった。

随分遅かったが、まぁ、無理もない。

その遅れを誠実と取るかどうかは、彼らの出方次第だ。

「《玉旗》は引き続き厳重に保管するように。大切な人質だ」

食事も要らないし、文句も言わない便利な人質を丁寧に扱うように命じて、フィーアに渡るための交渉役を選んだ。

「閣下。閣下自らフィーアに赴くおつもりですか?」

マーキュリー卿が私に訊ねた。

彼は戦場に不似合いな軽装で、優雅な出で立ちをしていた。

彼は武人ではない。ルフトゥキャピタルから派遣された魔導師だ。

元はワイズマン侯爵家出身の優秀な宮廷魔導師で、フィーアの《英雄》の対抗策としてこの岸に派遣された。

「そのつもりだ。我が国の領土になる場所を確認せねばならぬのでな…

貴殿は知っているか?この交渉役のアレイスター子爵はヴェルフェル侯爵の末弟だそうだ」

「存じ上げております。

確か、元宮廷魔導師で、ラーチシュタットという城郭都市の責任者だったと記憶しております」

打てば鳴る太鼓のように、マーキュリー卿は私の言葉に応えた。

「私としては、カナルの岸より、その要塞を頂戴したく存じておりましたが、それはさすがに欲張りすぎというものでしょう。

カナル沿岸と指定された閣下の選択は、非常に良い要求だったかと思います」

「ふむ。さすがにそれでは戦争に発展しかねん。

まだ我々も磐石とは言い難いのでな…」

「お察し致します」

「カナルは足掛かりだ。

然るべき時になれば、フィーアの腸を引きずり出す布石となるだろう。

それまで《冬将軍》には黙っていてもらわねばならぬ」

「ロンメル男爵がたかだか子供一人を惜しむでしょうか?」とマーキュリー卿は首を傾げたが、そうでなくては困る。

《冬将軍》の恐ろしさはもはや生きる伝説となっている。

ブルームバルトで《騎行》を阻んだ正体不明の獣の存在も噂されているが、当面の障害はやはり《冬将軍》だろう。

「とにかく、あの河を越えぬことには何も始まらぬのだ。

その一歩として、あの旗は高く買い取ってもらわねばなるまい。

貴殿も私に随行してもらう。

アンバー式転移魔法を使える優秀な魔導師として期待している」

「これは、身に余る光栄です」

「謙遜するな。兵站と同じく、退路も指揮官にとって重視すべきものであり、その指揮官を任された私にとって、貴殿の優秀さは頼りがいのあるものだ」

「閣下のご期待にお応えできるように励みます」

そう応えるマーキュリー卿からは余裕を感じられた。

「明後日にカナルを渡る。

伝令に返事を届けるように命じよ」

「御意」

「さて…フィーアはどう出るか…見ものだな」

彼らがこの危機をどう脱するのか、楽しみにしている自分がいた。

✩.*˚

約束の日はすぐに訪れた。

交渉を担う使節団と護衛の騎士たちを連れ、船でカナルを渡った。

歓迎は期待していなかったが、我々を出迎えた巨漢は仰々しく使節団を歓迎した。

「ようこそ、フィーア王国へ!」

豪放磊落という言葉の似合う男はパテル語で挨拶すると、《リューデル伯爵》と名乗った。

なるほど…《鷹喰い》のリューデルか…

「神聖オークランド王国、東部辺境伯代理、カナル河畔中流部指揮官を拝命しているメイヤー子爵と申します。

武人として、武名名高いリューデル伯爵とは一度お会いしたいと思っておりました」

「ほう?これは光栄だ!

昨年この岸で直接会う機会がなくて良かった!」

彼は快活な様子で冗談を言った。

確かに、直接顔を合わせていれば、どちらかが死んでいただろう。

少し言葉を交わして、伯爵は我々を案内した。

「どうぞ」と用意された馬車に乗って会談場所に移動した。

用意されたものはどれをとっても良い品だ。

そういえば、フィーアから手紙に添えて贈られた酒は美味だった。

オークランド東部は痩せた土地が多いが、元ウィンザー公国領は相変わらず潤っているように見えた。

ウィンザー公国が残っていれば、公国からの献上品を期待できた。

しかし、今ではこの潤った土地は他国の領土だ。

あの貪欲な国王でなくとも、この土地を我がものにしたい気持ちはよくわかる。

物思いにふけっていると、しばらくして馬車が止まった。

「到着しましたな」と言って、リューデル伯爵は先に馬車を降りた。

彼に続いて馬車を降りると、目の前には巨大な天幕が用意されていた。

「これは…」

天幕の入口には龍神の旗と一角獣の旗がなびいていた。まるで一国の主を迎えるような出で立ちに言葉を失った。

「これを用意するのに手間取りましてな」とリューデル伯爵は笑った。

なるほど、我々との交渉を有利にするための演出か…

虚勢を張ったところで交渉は変わらないがな…

「幻影魔法ではなさそうです」と私の傍らでマーキュリー卿がこっそりと伝えた。彼もこの異様な様子に警戒しているようだ。

「神聖オークランド王国より、東部辺境伯代理、カナル河畔中流部指揮官、メイヤー子爵殿ご到着です!」

リューデル伯爵の朗々たる声が天幕に響いて、使節団の到着を伝えた。

中から返事があって、使節団が天幕に通された。

なんだこれは?

目の前に広がる光景に戸惑いを覚えた。

まるで王宮の玉座の間では無いか?いくらなんでもやりすぎだろう?

赤く敷かれた絨毯には騎士たちが並び、奥には荘厳な玉座のような輿が置かれていた。

その輿に座っていた人物が声を発した。

「よくぞ参られた、メイヤー子爵。

余は、貴殿ら使節団のフィーア王国への訪問を歓迎する」

パテル語ではない。上流階級のライン語はゆったりとしていて柔らかく響いた。

決して遮ることの許されない、本能的に耳を傾けるような特別な声だ。

古めかしい装いの男は輿から立ち上がると、傍らに控えていた貴族風の装いの青年が進み出て手を貸した。

どういうことだ?

どう見ても、目の前の男は《子爵》などではない。その姿は、所作も含め、《貴族》などではなく、《王侯》のそれだった。

危うく膝を折りそうになる。

私の幼い頃からから刻まれた、《臣》としての本能が、目の前の相手に敬意を払うように警告していた。

彼は私の前で足を止めて挨拶した。

「余が第十二代フィーア国王フベアト二世である」

国王らしい堂々とした立ち振る舞いに目を奪われた。

しかし、何だ、この違和感は…

何故国王がこんなところにいる?

「余は、フィーアの国王として、其方らと対話するためにカナルに来た。

オークランド国王は、《玉旗》とカナルの土地を交換せよと申すのだな?」

「左様にございます、フベアト王」

私の尊大な返事に周りがざわめいた。他国とはいえ、敬称を使わずに口利くなど許されないことだ。

我々はフィーア王国の臣ではなく、友好関係にもないとの宣言であり、フベアト二世を軽視した発言だ。

フィーア国王は私の無礼に驚いたが、残念そうに苦く微笑んだ。

「其方とは友情を育むは叶わぬようだな…

其方のオークランドへの忠誠心に免じて、余への無礼は許そう。

好きに呼ぶが良い」

ゆったりとした口調は穏やかで、怒りを孕んでいる様子はなかった。

馬鹿な…

我々の陛下であれば、怒りを露わにして、不逞の輩を惨たらしく殺すだろう。

それに対してフィーア国王は、分別のない子供を許すように余裕を見せた。

まるでこれでは私が取るに足らない小者のようだ。

「御無礼を致しました、陛下。

陛下の寛いお心に感謝致します」

「うむ」フィーア国王は鷹揚に頷いて謝罪を受け入れた。

「メイヤー子爵。余がここに来たのは、其方らと争うためではない。

其方を歓迎したのは、余の意志をオークランドの国王に伝える使者になって欲しいからだ」

「存じております。

一部の者が暴走し、悪ふざけで《玉旗》を手を出したことは誠に遺憾です。

フィーア王国の《玉旗》は、我が陣営にて大切にお預かりしております」

「ふむ。其方のような分別のある者がいて、余も嬉しく思う。

ささやかだが、余から貴殿とオークランド国王に贈り物がある。

我が《宣言》を認めた書簡と共にオークランド国王に届けて欲しい」

「《宣言》…ですか?」

「うむ。貴殿らは余の《宣言》の証人となるのだ。

アレイスター子爵。始めたまえ」

話をしている間に用意された、祭壇のような豪華な机には会談の用意が整っていた。

「お席にどうぞ」と促されて会談の席に着いた。

我々が会談の席に着いた事を確認して、金髪の中性的な印象の貴族が口を開いた。

「お集まりの皆様。

私はこの会談の進行を努めさせていただきます、ヴェルフェル侯爵パウル様の名代、アレイスター子爵コンラートと申します。

会談は神聖オークランド王国の使節団に合わせてパテル語にて進行させていただきます。

書記はフィーア王国高級文官、アーベンロート伯爵が担当し、記録魔法と筆記にて記録致します。

反対やご意見のある方は挙手を願います」

進行に異議はなく、挙手する者はいなかった。

話し合いが始まった。

既にオークランドからの要求は文章にて伝えてあるので、まずはアレイスター子爵が要求を読み上げる形で会談が始まった。

「以上を条件に、《玉旗》の返還に応じるとのオークランド王国の主張に間違いございませんか?」

「確かに」と頷くと、アレイスター子爵は表情を少しも変えずに次に進んだ。

「カナル周辺の土地を引き渡すにあたり、フィーア王国の《英雄》、ロンメル男爵令嬢であるフィリーネ嬢を人質として要求する旨は変わりませんか?」

「はい。相違ございません。

ロンメル男爵はフィーア王国の《英雄》であり、奥方はヴェルフェル侯爵家のご出身と記憶しております。

カナルでの両国の武力衝突を避けるため、人質として、ロンメル男爵令嬢を指名致します」

「左様ですか」と冷めた返事を返して、アレイスター子爵は控えていた騎士に合図を送った。

恭しく黄金色の盆を捧げた騎士が、一礼してアレイスター子爵に盆に乗った書簡を差し出した。

「事前に用意した要求への返答です」

アレイスター子爵は書簡の封印を解いて中身を広げた。

彼の握る薄い紙切れが、カナルの割譲を認めるものだと信じて疑わなかった。

「それでは、我が国の返答を読み上げます」と宣言して、アレイスター子爵は手にした紙を読み上げた。

前置きを挟んで、アレイスター子爵が読み上げた内容に耳を疑った。

「《フィーア王国第十二代国王フベアト二世の名において、神聖オークランド王国に奪われた《玉旗》の放棄を命ずる》」

「…なに?」あまりの衝撃に声を殺すことが出来なかった。

《玉旗》の放棄だと?!

マーキュリー卿も信じられない様子で、目を見開いてアレイスター子爵をまじまじと見つめていた。

フィーア国王の顔を盗み見たが、彼は穏やかな表情を崩さなかった。

この王は馬鹿なのか?!有り得ん!

国の象徴たる《玉旗》をこうも簡単に手放すなどあっていいはずがない!

そうまでして、カナルを譲らないだと?

叫びそうになるのを必死で堪えながら読み上げる文章に耳を傾けた。

《玉旗》を放棄するなら、あれは無意味なものになる。人質としての価値もない、ただの綺麗な布だ。

「メイヤー子爵」と私を呼ぶ穏やかな声が、化け物の声のように聞こえた。

「何か申したい様子であるな」と空々しい台詞を吐いて、フィーア国王は穏やかな表情で微笑んだ。

「…何故…王自ら、王の分身である《玉旗》を手放すと申しますか?」

私の信用が足らないからか?はなから返す気がないと思ってのことだろうか?

それにしても、こんな醜態を晒して、この場に集う臣下たちはどうして涼しい顔をしているのだ?!

「確かに、《玉旗》を奪ったことは認めましょう。

しかし、私は誠意を持って、《玉旗》を返還をするとお約束申し上げた。

それをお疑いになられるのは、私にとってこの上ない屈辱です」

「メイヤー子爵。余は其方の誠意に疑いなどない。

戦争をしたかったのなら、《玉旗》を辱め、挑発することもできたはず。

それをしようとしなかったのは、其方には《臣》としての矜持があったからであろう?

敵対する他国とはいえ、王室に敬意を払う姿は真面目で立派な臣下であり賞賛に値する」

「確かにその通りです。

ならば《玉旗》の交渉を捨てると申されるのですか?」

「其方の要求が《玉旗》と釣り合わなかったからだ」とはっきり告げたフィーア国王は、傍らの青年に何か用意するように指示をした。

会談の卓上に地図と書類が並べられた。

「これは…」

「南部侯から預かった、昨年のカナル流域の税収のための検地結果です。ご確認ください」

差し出された目録には、カナルの人口調査と税収の見込みが記載されていた。

多すぎることも少なすぎることも無い。

なんなら昨年の《騎行》にて、人口も税収も減ったことだろう。

ごく最近まで他国だった土地だ。惜しむ要素は戦略的な価値以外には乏しく思えた。

「それを何と見る?」とフィーア国王は私に訊ねた。

答えに窮していると、国王は私の返事を待たずに、「余の子らだ」と呟いた。

「先日までは他人の子であったが、ウィンザー公国の民は、既に余の子供に迎えた尊い命だ。

《玉旗》には釣り合わぬ」

「…仰る意味が理解できませぬ」

「理解出来ぬであろうな…

余はフィーア王国が始まって以来、最も悪名高き《愚王》のおくりなを背負う覚悟でここにいる」

柔らかい態度を崩さずに、フィーア国王は答えた。

我々の陛下のような恐ろしい為政者としての威圧感は無い。

ただ、穏やかで優しげな笑みには、自らの意志を譲らない覚悟があった。

「余の決定が後に《愚王》と嘲笑されようと、今日、この場で発する宣言を後悔などしないと誓う。

余はこのカナルにて、《旧玉旗》を放棄し、オークランド王国の要求には応じないと宣言する。

国境線の変更はない。カナルの東岸はフィーア王国の領土である。

また、フィーア王国は如何なる理由であろうと、15歳未満の子供を人質にするという要求には応ずることを禁ず。

書記はこれを《カナル宣言》として記録せよ」

「御意」と応じた書記を勤めていた男は、記録魔法で魔石に宣言を記録した。

この宣言に不服を申し立てる者は誰もいなかった。既に承知のことなのだろう。

国王の暴走ではなく国として、オークランドの要求を完全に跳ね除けるつもりなのだ…

こうなれば私にできることは何も無い。

本格的な戦争するというのか?

どこで間違えた?

幾度考え直しても、理解することは到底できないまま、我々は帰国することとなった。

✩.*˚

「ルドルフ!」

あるはずのない懐かしい声が私を呼んだ。

私の姿を認めた父上は、いつもの父上からは想像できないような、大きな声で名前を呼んで駆け寄ってきた。

砂利と短い草の生えた河原は凸凹していて危ない。走ることに慣れていない父上が転ぶのではないかと心配した。

「あぁ!やはりルドルフだ!息災であったか?」

覚えのある両手が伸びて、包むように私の顔に触れた。

「父上?なぜ…」夢だろうか?

ヴォルガシュタットの王宮にいるはずの国王が、こんな辺鄙な場所にいるはずがない。

しかも傭兵の溜まり場に国王が足を運ぶなど常軌を逸している。

「へ、陛下…周りの目があります…どうかお声を落としてください」

小声で伝えると、父上はやっと自分が異質な存在だと気付いたらしい。手を引いて、佇まいを直した。

すぐに護衛の騎士たちが集まってきて周りを取り囲んだ。

「陛下、こんなお足元の悪い場所で走ってはあぶのうございます」と父上を叱ったのはヨアヒム兄様だった。

何故、兄上までここに?

会うはずのない家族の姿に驚いていると、騒ぎを聞きつけたカミルがやって来た。

「ルドルフ、大丈夫か?」

何か揉め事かと思って、仲裁に来てくれたのだろう。

カミルも相手を見て驚いたようだ。

「誰だ?」と訊ねられて答えに困っていると、ヨアヒム兄様がカミルに答えた。

「突然の訪問で申し訳ない。

私はフィーア王国第二王子、ヨアヒム・アルフォンス・フォン・フィーア・レーヴァクーゼン伯爵だ。

陛下がヴォルガシュタットに帰る前に、ルドルフにどうしても一目会いたいと希望されたので邪魔をした」

「…は、伯爵?陛下?」

驚きながら口元を引き攣らせたカミルが、確認の視線を私に向けた。

誤魔化すことも出来ずに頷くと、カミルは慌てて頭を下げた。

「ご、ご無礼を…

自分は《燕の団》で隊長をしているカミル・ベルナーです。

その者は訳あってうちの団で預かってる者でして…

彼とはどういう関係でしょうか?」

「カミルと申すか?

我が子ルドルフを世話してくれたことに感謝する」

「…は?」

間の抜けた声を発して、カミルが固まった。

「…嘘だろ?」と信じられないという視線が私に注がれている。

動揺するカミルにヨアヒム兄様が代わりに説明した。

「知らないのも無理はない。

ルドルフはある罪で罰を受け、爵位と王室の名を語ることを禁じられている。

罰と反省を促すために、一時的にロンメル男爵に預けるとお願いしたのだ」

「…じゃぁ…ロンメル男爵は知って…」

「うむ。厳しい師に預けると言っていた。

心配していたが、ルドルフは少し成長したようであるな。余の子を預かり、成長させてくれて礼を言う」

今度こそ何も言えなくなってしまったカミルは、青い顔で顔を引き攣らせていた。

周りがザワつく中、父上は気にせず私に向かって話しかけた。

「ルドルフ。余は其方と話がしたい。

余は其方の成長を其方の口から聞きたい」

「ここではゆっくり話せない。

場所を変えて話をしよう。一緒に来てくれ」

ヨアヒム兄様もそう言って一緒に来るように促した。

「団長に許可を貰わないと…」

「ルドルフ、そんなの俺が伝えておく」とカミルが言ってくれた。

彼は幾分か気を取り直して、私を送り出してくれた。

「いや…びびったけどよ…

家族が迎えに来て良かったじゃねぇか?

こっちのことは気にするな。スーには俺から伝えておく」

まるでお別れのような言い方に寂しさを覚えた。

彼はとてもいい人だった。

最初は怖いと思っていたが、口は悪くて、風体も恐ろしくても、下の者への面倒見の良さと、父親を敬愛する姿に好感を持っていた。

彼は私にとって、もう一人の兄のような存在になっていた…

「また戻る」と彼に手のひらを差し出した。

カミルは少し驚いた顔をしたが、すぐに私の差し出した手のひらに応じてくれた。

「あぁ、そうか…

無理すんなよ、王子様?」

「今はまだ《燕の団》の《ルドルフ》だ。

君の弟分だ」

「そうかい?俺も偉くなったもんだな」と、照れたように笑う彼と別れて、家族と肩を並べた。
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