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アレイスター子爵
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「あら?皆で何してるの?」
学校の進捗を確認して屋敷に戻ると、屋敷に住む幼い子供たちは庭の一角でしゃがんで固まっていた。すぐ傍でアグネスが子供たちを見守っていた。
「あー!ママー!」
フィーが私を見て大声で呼んだ。
彼女は手に緑の宝物を持っていた。彼女は手に握った四葉を私に自慢するように差し出した。
「あら?探して貰ったの?良かったわね、フィー」
「違うよ。フィーちゃまが見つけたの」とルドは私の勘違いを正した。
「え?自分で見つけたの?」
驚いた。私だってなかなか見つけられないのに…
「そうなの?すごいわね、フィー」
「フィー、みちゅけたの」とフィーは頬を赤く染めて必死に自分の功績を自慢した。
「すごいわ。ワルター様にも見せてあげてね」と褒めてあげた。ワルター様にコツでも教えてもらったのかしら?
フィーは緑の宝物を差し出して、私に受け取るように促した。
「くれるの?」と訊ねると、彼女は小さな歯を見せて嬉しそうに笑った。
「赤ちゃんにあげるんだって」と、ルドがフィーの代わりに贈り物の行き先を教えてくれた。
「そうなの?」
私の問いかけに、フィーはモジモジしながら頷いて、恥ずかしそうにルドにしがみついた。
ルドは笑って、手にしてた白い冠をフィーの頭に乗せた。
「フィーちゃまはお姉ちゃんだもんね」
「うん」
「優しいね」とルドはフィーを褒めた。
二人の幼いやり取りを微笑ましく眺めていると、別の角度から私のスカートを引っ張る手が伸びた。
「奥様」
「僕たちもあげる」
幼い同じ顔が並んで私を見上げている。彼らは私に不揃いな花を差し出した。
「ありがとう。ヨーゼフ、ペーター」
二人から花を受け取ると、二人は同じ顔を見合わせて照れたようにはにかんで笑った。
花を貰うのは嬉しい。見えるところに大事に飾っておこう。
「奥様、旦那様まだ帰ってこないの?」とルドが私に訊ねた。
「そうね。侯爵様から大切なお話があるそうなの。終わったら帰ってくるはずよ」
「でも、もう出かけて三日になるよ。フィーちゃまのお誕生日は帰ってくるよね?」
「ええ、そうね。きっと大丈夫よ」
それは私も少し心配してたが、ワルター様も楽しみにしてたし、信じて待つしかない。
きっと大丈夫…
そう自分に言い聞かせて子供たちには笑って見せた。
「さて、みんな手を洗って中に入りましょうか?ラウラがおやつを用意してくれてますよ」
もう一人の女の子の手を引いて、アグネスが子供たちに提案した。彼女の提案に子供たちは嬉しそうに声を上げた。
「クー」とフィーは乳姉妹に手を差し出した。
クラーラは母親の手を離れてフィーの手を取った。
クラーラは大人しい、おっとりとした子で、活発なフィーとは少し違うけど、二人は仲良しだ。
少し太い下がり気味の眉が可愛い。
フィーと手を繋いだルドは、二人の歩幅に合わせてゆっくりと屋敷に向かって歩いた。
ゆっくり歩くルドとは対照的に、双子の男の子は競走するように走り去ってしまった。
皆、性格が全然違うのよね…
産まれてくるこの子はどんな子かしら?
クローバーの混ざった花束を握った手とは反対の手で、まだ目立たないお腹を撫でた。
どんな子供でも、この子たちは歓迎してくれるのだろう。
あなたの産まれてくるブルームバルトは、とても良い所よ…
✩.*˚
シュタインシュタットのアインホーン城に到着すると、すぐにパウル兄様の近侍が迎えに来た。
「アレイスター子爵閣下、遠路はるばる御足労頂きまして…」
「無駄な挨拶はいい、バルテル卿。兄上は?」
「侯爵閣下もリューデル伯爵閣下も閣下のご到着を待っておりました。
ところで…公子様のお姿がございませんが…」
「ラーチシュタットの責任者に二人とも不在にせよと?
卿はもう少し頭の回る男だと思っていたが?」
きつい物言いであることは自覚してるが、ダラダラと喋るのは嫌いだ。
私の不機嫌に、バルテル卿は深々と頭を下げて謝罪した。
「閣下のお考えに差し出がましい事を申しました。どうかお許しください」
「そんな事はどうでもいい。さっさと案内してくれ」
全く、時間が惜しいと言うのに、面倒なものよ…
苛立ちを腹の中で燻らせながら、伴としてヘスラー卿だけを連れてバルテル卿の後を歩いた。
廊下で義理姉上にお会いした。到着を聞いて、わざわざ出向いてくれたのだろう。
ただし、私の迎えではないが…
「アレイスター子爵、アレクシスは…」と彼女は私の傍らに息子の姿を探した。
「城代として置いて来ました。
ラーチシュタットの責任者を不在にはできませんから」と淡々とした口調で答えると、その行動が意外だったのか、義理の姉は驚いた顔で私を見た。
「アレクシスは…次期ヴェルフェル侯爵ですのよ」
「承知しております。
して?何か問題がございますか?」
あぁ、無駄な時間だ…さっさと問題を片付けたいというのに…
彼女は私の返事を不快に感じたようで、険しく眉を顰めた。
貴族も女も、これだからうんざりする。
口を開こうとした義理の姉の小言を、先制して言葉で塞いだ。
「私にも考えがあっての行動です。
私の独断のお叱りは兄上から頂戴します。そして私は自分の行動は直接兄上に弁明致します。
それで何か問題があるなら、そのうえで侯爵夫人のご意見も頂戴しましょう」
「…分かりました。お時間を取って申し訳ありませんでした」
彼女はそう言って壁際に寄って道を譲った。
最初からそうすればいいのに…
また数分が犠牲になった。
この無駄の積み重ねが、途方もない時間を無駄にするというのに、この考えは過激すぎて誰も分かってはくれない。
唯一、父上だけは『なるほど』と頷いてくれた。
父は私に、『その節約した時間は何に当てるのかね?』と訊ねた。
そんなの決まってる。私のために使うのだ。
そのために削れる無駄はとことん削る。
そしてこの無駄な話し合いもすぐに終わらせて、私はフレディの囀りを聞くために部屋に帰るのだ。
「お待たせ致しました、兄上」
案内された部屋には、兄たちと家宰のデューラー卿、あと何故かロンメル男爵の姿があった。
どうやら私が最後のようだ。
待たせたのは悪かったが、待つ無駄は省かれたようだ。
「コンラート、アレクシスはどうした?」とパウル兄様も夫人と同じ質問をした。
「ラーチシュタットに置いてきました」と簡潔に答えて席に着いた。
隣に座っていたカール兄様が、呆れたようにため息を吐いて小言を繰り出した。
「またそんな独断を…招集内容を知らない訳でもないだろう?」
「知っているからこそ置いてきたのです。分かりませんか?
ラーチシュタットは周辺の城との連携をとるために必要な要所であり、父上が心血を捧げて作り上げた対オークランドの要です。
そこの責任者を不在にせよとおっしゃるのですか?」
私の攻撃的な舌鋒に、カール兄様は不機嫌そうに大きなため息を吐き出した。
煩い次兄を黙らすと、今度は長兄に視線を向けた。
「どうせここに雁首並べたところで結果は同じでしょう?
私が来るまでに、方針はあらかた決まっていたのではありませんか?」
「相変わらずせっかちな男だ…」とパウル兄様はボヤいたが、アレクシスの件は無視して、現状の説明を始めた。
話を聞くに、カナルの状況は芳しくない…
内容が内容だけに、ヴェルフェル侯爵家の立場は厳しいものだった…
聞けば聞くほど頭が痛くなる。
ただ、唯一救いだったのは、オークランドにもまともな思考回路の人間が存在していたことだ。
「その交渉を持ちかけてきたメイヤー子爵とやらは信用できますか?」と重要な事なので確認した。
「アーサー。メイヤー子爵はどんな人物か説明してくれ」
兄上は壁側に並んでいた男を呼んだ。
誰かの近侍だろう。初めて見る男だ。
背の高い見栄えのする隻眼の騎士は、《フォーテスキュー》と名乗った。
「どこの家の者か?」
「ロンメル男爵家にお仕えしております」
なるほど、新参者か?名前からして、元ウィンザー人だろうか?
道理で見栄えする男なのに私が知らなかったわけだ…
それにしても心地よい良い声だ。落ち着いたバリトンの声は耳に優しかった。
パウル兄様も彼を信用しているようで、彼はスラスラとメイヤー子爵について言及した。
「メイヤー子爵家は元々は東部辺境伯フェルトン伯爵家の分家に当たります。
東部の神殿で聖騎士団に所属していた時代もありましたか、家督を継ぐために還俗したようです。
先の戦でも先陣に立って指揮をしておりました。ブルームバルトまで届いた《騎行》はメイヤー子爵が指揮していたと聞き及んでいます」
「ほう?それは何処から出た情報かね?」
スラスラと話す彼を訝しんだ。いくらなんでも知りすぎでは無いか?
「《騎行》に加わっていた捕虜からです」と彼は私の追求を躱した。
「メイヤー子爵は冷静、かつ豪胆であり、優れた指揮官です。部下たちからの信頼も厚いと聞きます。
フェルトン伯爵家が退いた後を任されて、その任を遂行しているところを見るに、国王を信頼されておりますし、その重責に耐えうる芯の強い人間と推測されます」
「それは卿の希望的観測であろう?
相手を信用に足る人物としていい理由にはならないはずだ?」
「また屁理屈を」とボヤいたカール兄様を睨んで、フォーテスキューに視線を戻した。
「私は魔導師だ。不確かな武人の勘とやらには縁がないのでね…
卿の話だけでは、メイヤー子爵が実直な人物かを判断する材料は乏しいようだな…」
「お役に立てず残念です」
「参考にはなった。
兄上、メイヤー子爵の直筆の書面はございますか?」
パウル兄様にさらなる判断材料を求めた。
「親書を」とパウル兄様はバルテル卿に書状を求めた。
バルテル卿が盆に乗せられた手紙を私の席に届けた。
手紙は二人分の文字が綴られていた。
ほとんどが右筆のものだろう。
最後の挨拶とサインだけが別人のもので、恐らく、そちらがメイヤー子爵のものと推測された。
「…なるほど、真面目でお堅い人物のようですな…」
角張った力強い文字には怒りが滲んでいた。
力が入ってるのか、ペン先から飛んだインクのシミが滲んでいた。
親書に手を翳して、指輪に魔力を注いだ。
「《見破れ》」と指輪に命じると《真偽》を見定めるの能力が付与された指輪は、その署名を当人が書いたものだと認定した。
書面というものは嘘偽りが難しいものだ。性格も反映される。
「まぁ、交渉相手として信用しても良さそうですね」と個人的な感想を述べた。
「して、兄上はお返事されたのですか?」
「した。概ねその条件は飲む気でいるが、交渉の余地はあるだろう。
ただ、《玉旗》の返還を値切るようなマネはできん…
慎重に交渉せねば、ヴェルフェルは国内外で笑い者になる」
「なるほど。ならばカール兄様は今回の交渉の席には不適合ですな」
「何でそうなる?」とカール兄様は私を睨んだ。
「商人気質の兄上では、余計な真似をするでしょう?」
「確かに…」とパウル兄様も頷いた。
他の交渉なら値切りやおまけもありだろうが、今回ばかりは別だ。
それに、オークランド側でも兄たちは有名人で、リューデル伯爵は特にオークランドから恨みを買っている。
これを機に暗殺されても面倒だ。
「オークランドへの交渉役、及び《玉旗》の受け取りは私が参ります」
結局こうなるのだ…
嫌だと言うより、引き受けた方が話が早い。
「本当に引き受ける気か?」
「元よりそのつもりでしょう?私以上の適任者はないかと思いますが?
パウル兄様は論外。
カール兄様は脊髄と勘で動くところもありますが、フィーア国内では屈指の大富豪です。損失は計り知れません。
それにアレクシスは若すぎる。あの性格では交渉などできないでしょう。それに、次期侯爵として残さねば、今後に響きます。
それに比べ、私はただの三男坊で、家督も土地も妻子も持たぬ身の上です。ヴェルフェル家へのダメージが最も少ない存在です」
「卑屈な男だな…誰に似たんだか…」
「どうとでも…カール兄様の楽観的な考えが天井知らずなだけです。
私は現実主義者で、不必要に楽観的な感情は持たないようにしています」
次兄に意地悪く言い返して、その顔を盗み見た。
腕を組んで険しい表情で、何も無い一点を睨み続ける次兄はそれ以上言い返しても来なかった。
私が死ぬとでも思っているのだろうか?
生憎だが、私はそんな高潔な自己犠牲の精神など持ち合わせていない。
ただ、自分勝手に、時間を無駄にしたくないだけだ。
最短で、結論に辿り着きたいだけなのだ…
「ヴェルフェル侯爵。ご命令を」と長兄に催促した。
「これ以上無駄にする時間はおありですか?」
「…お前はいつもそうだ」
パウル兄様はそう呟いて頭を振った。
そういえば、父上にも同じ事を同じように言われた気がする。
あれは、私がヴォルガシュタットに向かう前の夜だった…
三男は家督を継げない。そんなの常識だ。
私は身体が弱かったし、南部で騎士として功績を立てれるような人間ではなかった。
強さを求める南部では、私は完全に兄弟のお荷物だった。
だから、レプシウス師の勧めで、ヴォルガシュタットで魔導師になると決めたのだ。幸い、私には魔法の才能があった。
父は私の帰る場所を残していた。
わざわざ子爵位を用意して迎えてくれた。
病弱で、ひねくれた、人間として欠陥のある私を、再び家族として迎えてくれた父に報いることができるなら、この程度の苦労は何でもない。
私が上手くやれば済むだけの話だ。
「ヴェルフェル侯爵、ご命令を」と再度兄に催促した。
私は三男だから、ヴェルフェルと兄たちの盾となるのは当然の事だ。
そうでしょう、父上?
記憶の中の父は悲しげな顔をしていた…
✩.*˚
『酷いです、兄上!』
泣き虫だった末弟は、ペットの亡骸を抱いて私たちを責めた。
ちょっとした悪戯のはずだった。
小鳥のような声で囀る蛙は弟のお気に入りの友達だったのに、幼かった私たちは悪戯のつもりでそれを持ち出して死なせてしまった。
酷い事をしたと今では反省している。
弟の泊まる部屋を訪ねると、窓際にあの蛙の姿があった。
「懐かしいな」と、小鳥の声で囀る蛙の水槽を眺めた。
「フレディは私の宝物です。もう勝手に持ち出したりしないで下さい」
子供の私の罪はまだ消えてないらしい。
コンラートは私に釘をさして、窓際で囀る蛙を愛しげに眺めていた。
時間に煩い癖に、その蛙の囀りには耳を傾けるのだな…相変わらずだ…
「交渉役の件、引き受けてくれて感謝する」
「ダラダラと話をしても結果は変わりません」
取り付く島もなく、コンラートは水槽から目を離さずに答えた。
「父上なら、迷わず私を指名しました。
兄上はヴェルフェル侯爵です。もっとしっかりして頂かねば困ります」
「手厳しいな…」
「真実でしょう?私は無駄が嫌いなので、はっきりと申し上げるまでです」
忖度しない末弟はそう言って、水槽からそっと蛙を拾い上げた。
「フレディは交渉の場に連れていけませんので、兄上にお預け致します…
くれぐれも、悪戯に使って、義理姉上に潰されないようにしてくださいよ」
「分かってるよ…」
「…よろしくお願いします」と弟は宝物を私に託した。
独り身を通してきた弟は、信用ならなくても、宝物を預ける相手は兄弟しかないのだ…
窓の外に沈みゆく夕日を眺めながら、コンラートと話をした。
「お前には助けられてばかりだな」
「ええ、世話の焼ける兄が二人もいる私は可哀想でしょう?」苦笑いしながら彼は水槽にフレディを戻した。
「全く…この泥臭い戦場は私には不似合いですよ。
さっさと解放していただいて、王都に戻って学院で魔法の研究に戻りたいのですよ」
「すまんな、引き留めて」と苦笑いした。
「何の研究をしてたんだったかな?」と興味のあるふりをしたが、弟には興味がないのがバレバレだったようだ。
「《音質と魔力の関係性について》という論文を書きました。ご存知ないでしょうね」
「なるほど…難しそうだ…」
「簡単な事です。魔石に刻んだ魔法に特定の発動条件を付与します。
それが合図の音によってどのように変わるのかを観察しました。
同じ音階を様々な楽器、人の声、一部の生物の声で発動させ、質が変わるのかを検証して…」
「そんなので変わるのか?」
面倒な研究をしてたのだな…私なら途中で気が違いそうだ…
「結論は僅かに変化が見られました。ごく微細ですが、この変化を利用して、持ち主以外に使用できないように制限をかけることが可能か、それも研究していました」
「…ほー…そうか…」
「ほらね、興味無いでしょう?」
弟は私の反応に、小馬鹿にしたようにため息を吐いた。
「貴方には、これくらいが分かりやすくていいでしょうね」とボヤきながら、コンラートは荷物からなにか取りだして机に並べた。
広げた盤上にはマス目が描かれている。付属の袋には、白と黒の色分けされた駒が入っていた。
「私が作ったボードゲームですよ。父上とやりたかったのですが、叶いませんでした…」
「意外だな。面白そうじゃないか?」
「まだ未完成ですがね…《二十八騎》。
十四の手駒を自陣にまず四騎並べて、賽を振ります。
騎兵は出た目の数だけ前後左右移動できます。自分の番に、駒を一つまで盤上に増やすことが可能です」
「相手のを取りきったら勝ちか?」
「まぁ、そんなところです。まだ未完成なので、他のルールを増やしていくのもいいかもしれませんね」
「一度出したら戻せないのか?」
「まぁ、そうしときましょうか…
それにしても、話の食い付きが違いすぎませんか?」と弟は論文よりゲームに引き込まれた兄に苦言を呈した。
「私はこっちの方が好きだな」と正直に答えた。
「父上でなくて残念ですが、兄上が挑戦してみたいならお相手しますよ」
「ほう?お前から遊ぼうなんて珍しいな」
「実験台ですよ。新しいものですので、検証のデータを集めねばなりませんので…」
「ならもう一人呼ぶか?」と提案した。コンラートには誰とも言わなくても通じたようだ。
「夕食までならお相手します」と時間の制限を設けて、末弟は私の申し出を了承した。
✩.*˚
パウル様から、アーサーを連れてブルームバルトに帰る事を許された。
「お帰りなさいませ」
屋敷に戻ったのは遅い時刻になっていたのに、テレーゼがわざわざ出迎えてくれた。
「まだ、起きてたのか?」
無理をさせたようで、嬉しい反面、申し訳ない気分になる。彼女は俺が気に負わないように笑顔を見せた。
「夕刻に《戻る》と報せが届きましたので、お会いしたくて待っておりました。
カナルで何か問題でしたでしょうか?」
「いや、少しな…お前こそ何かあったのか?」
《玉旗》の件は伏せていた。知ってしまったら、彼女も心穏やかではいられないだろう。
「いえ。カナルよりスー様からお手紙が届きまして…
ワルター様のお帰りが遅れるようなら、アインホーン城まで届けさせようかと、シュミット様とお話しておりました」
「スーから?」
なんの話しだろう?旗絡みの話か?なら一足遅かったな…
「フィーの誕生会の前にお戻りになられて良かったです。
明日にはお客様がお見えになりますから」
「え?もう明日か?!」
「そうですよ。アダリーシア嬢やウィルメット嬢もいらっしゃいますのよ」
《玉旗》の件で完全に頭から消えていた。
忘れてたと言わんばかりの俺の態度に、テレーゼは頬を膨らませた。
「もう、ダメですよ。お二人共私の大切な友人なのですから」と彼女は何も知らずにニコニコと笑っていた。
なんか隠してることが後ろめたく思えた。
「お父様とは何のお話でしたか?」
テレーゼも呼び出された理由が気になったらしい。
「アーサーをアレイスター子爵の護衛に借りたいと言われた。今日はもう遅いから明日ちゃんと話すよ」
話を終わらそうとしたが、それが逆に彼女の気を引いてしまったようだ。もう少し上手くやれない自分を疎ましく思った。
「ラーチシュタットで何か?」
「いや。カナルでオークランドと揉め事があったから交渉役になるらしい。アーサーが居れば心配いらないさ」
「心配です…また戦になるのでしょうか?」彼女の伏せた視線はお腹に注がれていた。
前の戦の《騎行》でこの街にも被害があった。
テレーゼもフィーも、俺の牽制のための人質として要求された。また同じ事が起きないという保証はない…
ロンメルの名が有名になるほど、今後こういう危険はさらに増えるのだろう。
どうしても、彼女に《交換条件》のことは言えなかった…
「大丈夫だよ。この街は俺の街だ。
俺もいるし、いざとなったらギルも戦ってくれる。心配するなよ」
言葉で強がって彼女を抱き寄せた。華奢な身体は俺の腕の中に収まった。
この温もりは二人分だ…
大事な身体だから、彼女にはあまり心配をかけたくなかった。
「心配してたらまた身体を悪くするぞ。
すぐに着替えてベッドに行くからさ、ベッドでいい話してくれよ。留守の間にあったこと教えてくれ」
「うふふ、そうですね。
留守の間にとっても素敵なことがあったんですよ」
「なんだよそれ?気になるな」と彼女の笑顔につられて笑った。
「びっくりしますよ。フィーったら…
あらやだいけない、後でお話ししますね。楽しみにしてて下さいね」
もうわざとだろ?!そこまで言ったら最後まで言えよ!
「あーもう、なんだよ!気になる!」
「じゃぁ早く着替えて来てくださいね。
遅いと私が寝ちゃいますよ」
「分かったよ。すぐ、すぐ行くからな!」
「お待ちしております」と彼女は笑顔で俺を見送って寝室に戻った。
なんかいいように手のひらの上で転がされてる気がする…
あいつ少し狡いところあるからな…
でもこうやって、あいつの思い通りになるのもまんざらじゃない。
俺ってば、つくづく尻に敷かれてんだよな…
まぁ、あいつの尻になら敷かれてもいいんだけどな。
この幸せが続くものだと信じていたかった。
✩.*˚
珍しい。今日はご機嫌な様子だ…
面倒事を押し付けられて不機嫌になっているかと思っていたが、食事を終えて戻られたコンラート様は上機嫌だった。
何かあったのだろうか?
まぁ、ご機嫌ならその方が好ましいだろう。
そう気を取り直して、部屋を整えていた侍女たちに退出を命じた。
コンラート様は女性がお嫌いだ。
ラーチシュタットでも、身の回りの世話は全て男性の小姓や近侍が行っていた。
侯爵夫人の用意した侍女たちを帰して、身の回りの世話をしながらご機嫌の理由を探った。
「何か良いことでもありましたか?」
「良いこと?
そうだな…《二十八騎》の手直しが進みそうだ」
「おや?私以外に御相手する方がいらっしゃったのですね?」と少し妬いた。
コンラート様のお相手はいつだって私のはずだった。
上機嫌な主は、珍しく愚痴を引っ込めて、嬉しそうにも見えた。
気難しい彼のご機嫌取りは私の仕事なのに、これでは存在意義を無くしてしまう。
「なんだヘスラー卿?妬いているのか?」
コンラート様は私の焦りを読み取っていた。
そうだ…私は嫉妬していた…
「フォーテスキュー卿のお声は…閣下の好きな声質でしたので…」
「彼か?確かに素晴らしい声だったな。
容姿も隻眼でなければ完璧だった。惜しかったな」とコンラート様は思い出したように小さく口元に含むような笑みを浮かべた。
その中性的な美しいお顔立ちに惚れ惚れする。
コンラート様は兄のヴェルフェル侯爵とは10歳も離れている。
太陽を忌む白い肌、黄金の睫毛に縁取られた蒼い瞳、柔らかい真っ直ぐな金髪は兄たちとは異質だった。
初めてお会いしたのは、コンラート様がヴォルガシュタットに向かうと決まった十五の時だ…
それからずっと、この居場所を誰にも譲らずに死守してきた。
大人になった今でもその魅力は変わらない。私は相変わらず彼の虜だ。
「オークランドとの交渉の席には、彼を護衛役として連れて行くと聞きました」
「兄上がどうしてもと言うので仕方なくだ」とコンラート様は私の感情を宥めるように答えた。
「フォーテスキュー卿は護衛に特化した《祝福》を有しているという。まぁ、断る理由もないからな…
兄上もまだ、私には退場して欲しくないようだな…」
「惜しくないわけがありません…
閣下はご兄弟なのですから…」
私の言葉に、コンラート様は「そうだな」と微かに頷いた。
「長く離れていたから…まだ少し照れくさいものだな」とコンラート様は視線を外して呟いた。
まだ成人前に宮廷魔導師を志して南部から離れたから、家族との付き合い方を見失ってしまったのだろう。
兄たちに対する厳しい言葉も、兄弟としての距離感を測りあぐねているように思えた。
元々人付き合いも苦手な方だ。
その不器用な姿さえ私には愛おしく思えるが、本人は人知れず悩んでいるらしい。
「なんだ?新参者に嫉妬していたのか?存外、卿は心の狭い男なのだな」
「このお役目は譲れません」
「譲ってもらっても困る。
卿ほど私を知ってる人間はいないのだからな…
また一からとなると、私が心労で死んでしまう」
冗談とも本気とも取れる事を呟いて、コンラート様は指先で合図すると、私を傍らに呼んだ。
櫛を置いて、求められるまま、主の座る椅子の前で膝を折った。
「ヘスラー卿。一緒に来てくれるのだろう?」
「常に貴方のお傍に」
私の騎士らしい返事に彼は満足したらしい。
伸びた手が顔を上げさせた。
額にコンラート様から接吻を頂戴した。
フィーア貴族が従者に与える最高の栄誉だ。信頼と友愛の証に心が満たされる。
コンラート様は騎士の名ではなく、私の個人の名前を口にした。
「ゲアハード、煩い侍女はいないな…」と、彼は寝室の外を気にした。
「外してもらいました。私とコンラート様だけです」
「よろしい。では久しぶりに、君と二人の時間を楽しむ事にしよう」
コンラート様は私を夜のお相手に指名した。
女を愛せないコンラート様は、代わりに私に愛を注いで下さった。
他人から見れば歪んでいるが、この歪みは私にとって都合が良かったのも確かだ。
「光栄に存じます」と差し出された彼の手を取った。
彼の近侍としてではなく、恋人として接吻を交わした。
学校の進捗を確認して屋敷に戻ると、屋敷に住む幼い子供たちは庭の一角でしゃがんで固まっていた。すぐ傍でアグネスが子供たちを見守っていた。
「あー!ママー!」
フィーが私を見て大声で呼んだ。
彼女は手に緑の宝物を持っていた。彼女は手に握った四葉を私に自慢するように差し出した。
「あら?探して貰ったの?良かったわね、フィー」
「違うよ。フィーちゃまが見つけたの」とルドは私の勘違いを正した。
「え?自分で見つけたの?」
驚いた。私だってなかなか見つけられないのに…
「そうなの?すごいわね、フィー」
「フィー、みちゅけたの」とフィーは頬を赤く染めて必死に自分の功績を自慢した。
「すごいわ。ワルター様にも見せてあげてね」と褒めてあげた。ワルター様にコツでも教えてもらったのかしら?
フィーは緑の宝物を差し出して、私に受け取るように促した。
「くれるの?」と訊ねると、彼女は小さな歯を見せて嬉しそうに笑った。
「赤ちゃんにあげるんだって」と、ルドがフィーの代わりに贈り物の行き先を教えてくれた。
「そうなの?」
私の問いかけに、フィーはモジモジしながら頷いて、恥ずかしそうにルドにしがみついた。
ルドは笑って、手にしてた白い冠をフィーの頭に乗せた。
「フィーちゃまはお姉ちゃんだもんね」
「うん」
「優しいね」とルドはフィーを褒めた。
二人の幼いやり取りを微笑ましく眺めていると、別の角度から私のスカートを引っ張る手が伸びた。
「奥様」
「僕たちもあげる」
幼い同じ顔が並んで私を見上げている。彼らは私に不揃いな花を差し出した。
「ありがとう。ヨーゼフ、ペーター」
二人から花を受け取ると、二人は同じ顔を見合わせて照れたようにはにかんで笑った。
花を貰うのは嬉しい。見えるところに大事に飾っておこう。
「奥様、旦那様まだ帰ってこないの?」とルドが私に訊ねた。
「そうね。侯爵様から大切なお話があるそうなの。終わったら帰ってくるはずよ」
「でも、もう出かけて三日になるよ。フィーちゃまのお誕生日は帰ってくるよね?」
「ええ、そうね。きっと大丈夫よ」
それは私も少し心配してたが、ワルター様も楽しみにしてたし、信じて待つしかない。
きっと大丈夫…
そう自分に言い聞かせて子供たちには笑って見せた。
「さて、みんな手を洗って中に入りましょうか?ラウラがおやつを用意してくれてますよ」
もう一人の女の子の手を引いて、アグネスが子供たちに提案した。彼女の提案に子供たちは嬉しそうに声を上げた。
「クー」とフィーは乳姉妹に手を差し出した。
クラーラは母親の手を離れてフィーの手を取った。
クラーラは大人しい、おっとりとした子で、活発なフィーとは少し違うけど、二人は仲良しだ。
少し太い下がり気味の眉が可愛い。
フィーと手を繋いだルドは、二人の歩幅に合わせてゆっくりと屋敷に向かって歩いた。
ゆっくり歩くルドとは対照的に、双子の男の子は競走するように走り去ってしまった。
皆、性格が全然違うのよね…
産まれてくるこの子はどんな子かしら?
クローバーの混ざった花束を握った手とは反対の手で、まだ目立たないお腹を撫でた。
どんな子供でも、この子たちは歓迎してくれるのだろう。
あなたの産まれてくるブルームバルトは、とても良い所よ…
✩.*˚
シュタインシュタットのアインホーン城に到着すると、すぐにパウル兄様の近侍が迎えに来た。
「アレイスター子爵閣下、遠路はるばる御足労頂きまして…」
「無駄な挨拶はいい、バルテル卿。兄上は?」
「侯爵閣下もリューデル伯爵閣下も閣下のご到着を待っておりました。
ところで…公子様のお姿がございませんが…」
「ラーチシュタットの責任者に二人とも不在にせよと?
卿はもう少し頭の回る男だと思っていたが?」
きつい物言いであることは自覚してるが、ダラダラと喋るのは嫌いだ。
私の不機嫌に、バルテル卿は深々と頭を下げて謝罪した。
「閣下のお考えに差し出がましい事を申しました。どうかお許しください」
「そんな事はどうでもいい。さっさと案内してくれ」
全く、時間が惜しいと言うのに、面倒なものよ…
苛立ちを腹の中で燻らせながら、伴としてヘスラー卿だけを連れてバルテル卿の後を歩いた。
廊下で義理姉上にお会いした。到着を聞いて、わざわざ出向いてくれたのだろう。
ただし、私の迎えではないが…
「アレイスター子爵、アレクシスは…」と彼女は私の傍らに息子の姿を探した。
「城代として置いて来ました。
ラーチシュタットの責任者を不在にはできませんから」と淡々とした口調で答えると、その行動が意外だったのか、義理の姉は驚いた顔で私を見た。
「アレクシスは…次期ヴェルフェル侯爵ですのよ」
「承知しております。
して?何か問題がございますか?」
あぁ、無駄な時間だ…さっさと問題を片付けたいというのに…
彼女は私の返事を不快に感じたようで、険しく眉を顰めた。
貴族も女も、これだからうんざりする。
口を開こうとした義理の姉の小言を、先制して言葉で塞いだ。
「私にも考えがあっての行動です。
私の独断のお叱りは兄上から頂戴します。そして私は自分の行動は直接兄上に弁明致します。
それで何か問題があるなら、そのうえで侯爵夫人のご意見も頂戴しましょう」
「…分かりました。お時間を取って申し訳ありませんでした」
彼女はそう言って壁際に寄って道を譲った。
最初からそうすればいいのに…
また数分が犠牲になった。
この無駄の積み重ねが、途方もない時間を無駄にするというのに、この考えは過激すぎて誰も分かってはくれない。
唯一、父上だけは『なるほど』と頷いてくれた。
父は私に、『その節約した時間は何に当てるのかね?』と訊ねた。
そんなの決まってる。私のために使うのだ。
そのために削れる無駄はとことん削る。
そしてこの無駄な話し合いもすぐに終わらせて、私はフレディの囀りを聞くために部屋に帰るのだ。
「お待たせ致しました、兄上」
案内された部屋には、兄たちと家宰のデューラー卿、あと何故かロンメル男爵の姿があった。
どうやら私が最後のようだ。
待たせたのは悪かったが、待つ無駄は省かれたようだ。
「コンラート、アレクシスはどうした?」とパウル兄様も夫人と同じ質問をした。
「ラーチシュタットに置いてきました」と簡潔に答えて席に着いた。
隣に座っていたカール兄様が、呆れたようにため息を吐いて小言を繰り出した。
「またそんな独断を…招集内容を知らない訳でもないだろう?」
「知っているからこそ置いてきたのです。分かりませんか?
ラーチシュタットは周辺の城との連携をとるために必要な要所であり、父上が心血を捧げて作り上げた対オークランドの要です。
そこの責任者を不在にせよとおっしゃるのですか?」
私の攻撃的な舌鋒に、カール兄様は不機嫌そうに大きなため息を吐き出した。
煩い次兄を黙らすと、今度は長兄に視線を向けた。
「どうせここに雁首並べたところで結果は同じでしょう?
私が来るまでに、方針はあらかた決まっていたのではありませんか?」
「相変わらずせっかちな男だ…」とパウル兄様はボヤいたが、アレクシスの件は無視して、現状の説明を始めた。
話を聞くに、カナルの状況は芳しくない…
内容が内容だけに、ヴェルフェル侯爵家の立場は厳しいものだった…
聞けば聞くほど頭が痛くなる。
ただ、唯一救いだったのは、オークランドにもまともな思考回路の人間が存在していたことだ。
「その交渉を持ちかけてきたメイヤー子爵とやらは信用できますか?」と重要な事なので確認した。
「アーサー。メイヤー子爵はどんな人物か説明してくれ」
兄上は壁側に並んでいた男を呼んだ。
誰かの近侍だろう。初めて見る男だ。
背の高い見栄えのする隻眼の騎士は、《フォーテスキュー》と名乗った。
「どこの家の者か?」
「ロンメル男爵家にお仕えしております」
なるほど、新参者か?名前からして、元ウィンザー人だろうか?
道理で見栄えする男なのに私が知らなかったわけだ…
それにしても心地よい良い声だ。落ち着いたバリトンの声は耳に優しかった。
パウル兄様も彼を信用しているようで、彼はスラスラとメイヤー子爵について言及した。
「メイヤー子爵家は元々は東部辺境伯フェルトン伯爵家の分家に当たります。
東部の神殿で聖騎士団に所属していた時代もありましたか、家督を継ぐために還俗したようです。
先の戦でも先陣に立って指揮をしておりました。ブルームバルトまで届いた《騎行》はメイヤー子爵が指揮していたと聞き及んでいます」
「ほう?それは何処から出た情報かね?」
スラスラと話す彼を訝しんだ。いくらなんでも知りすぎでは無いか?
「《騎行》に加わっていた捕虜からです」と彼は私の追求を躱した。
「メイヤー子爵は冷静、かつ豪胆であり、優れた指揮官です。部下たちからの信頼も厚いと聞きます。
フェルトン伯爵家が退いた後を任されて、その任を遂行しているところを見るに、国王を信頼されておりますし、その重責に耐えうる芯の強い人間と推測されます」
「それは卿の希望的観測であろう?
相手を信用に足る人物としていい理由にはならないはずだ?」
「また屁理屈を」とボヤいたカール兄様を睨んで、フォーテスキューに視線を戻した。
「私は魔導師だ。不確かな武人の勘とやらには縁がないのでね…
卿の話だけでは、メイヤー子爵が実直な人物かを判断する材料は乏しいようだな…」
「お役に立てず残念です」
「参考にはなった。
兄上、メイヤー子爵の直筆の書面はございますか?」
パウル兄様にさらなる判断材料を求めた。
「親書を」とパウル兄様はバルテル卿に書状を求めた。
バルテル卿が盆に乗せられた手紙を私の席に届けた。
手紙は二人分の文字が綴られていた。
ほとんどが右筆のものだろう。
最後の挨拶とサインだけが別人のもので、恐らく、そちらがメイヤー子爵のものと推測された。
「…なるほど、真面目でお堅い人物のようですな…」
角張った力強い文字には怒りが滲んでいた。
力が入ってるのか、ペン先から飛んだインクのシミが滲んでいた。
親書に手を翳して、指輪に魔力を注いだ。
「《見破れ》」と指輪に命じると《真偽》を見定めるの能力が付与された指輪は、その署名を当人が書いたものだと認定した。
書面というものは嘘偽りが難しいものだ。性格も反映される。
「まぁ、交渉相手として信用しても良さそうですね」と個人的な感想を述べた。
「して、兄上はお返事されたのですか?」
「した。概ねその条件は飲む気でいるが、交渉の余地はあるだろう。
ただ、《玉旗》の返還を値切るようなマネはできん…
慎重に交渉せねば、ヴェルフェルは国内外で笑い者になる」
「なるほど。ならばカール兄様は今回の交渉の席には不適合ですな」
「何でそうなる?」とカール兄様は私を睨んだ。
「商人気質の兄上では、余計な真似をするでしょう?」
「確かに…」とパウル兄様も頷いた。
他の交渉なら値切りやおまけもありだろうが、今回ばかりは別だ。
それに、オークランド側でも兄たちは有名人で、リューデル伯爵は特にオークランドから恨みを買っている。
これを機に暗殺されても面倒だ。
「オークランドへの交渉役、及び《玉旗》の受け取りは私が参ります」
結局こうなるのだ…
嫌だと言うより、引き受けた方が話が早い。
「本当に引き受ける気か?」
「元よりそのつもりでしょう?私以上の適任者はないかと思いますが?
パウル兄様は論外。
カール兄様は脊髄と勘で動くところもありますが、フィーア国内では屈指の大富豪です。損失は計り知れません。
それにアレクシスは若すぎる。あの性格では交渉などできないでしょう。それに、次期侯爵として残さねば、今後に響きます。
それに比べ、私はただの三男坊で、家督も土地も妻子も持たぬ身の上です。ヴェルフェル家へのダメージが最も少ない存在です」
「卑屈な男だな…誰に似たんだか…」
「どうとでも…カール兄様の楽観的な考えが天井知らずなだけです。
私は現実主義者で、不必要に楽観的な感情は持たないようにしています」
次兄に意地悪く言い返して、その顔を盗み見た。
腕を組んで険しい表情で、何も無い一点を睨み続ける次兄はそれ以上言い返しても来なかった。
私が死ぬとでも思っているのだろうか?
生憎だが、私はそんな高潔な自己犠牲の精神など持ち合わせていない。
ただ、自分勝手に、時間を無駄にしたくないだけだ。
最短で、結論に辿り着きたいだけなのだ…
「ヴェルフェル侯爵。ご命令を」と長兄に催促した。
「これ以上無駄にする時間はおありですか?」
「…お前はいつもそうだ」
パウル兄様はそう呟いて頭を振った。
そういえば、父上にも同じ事を同じように言われた気がする。
あれは、私がヴォルガシュタットに向かう前の夜だった…
三男は家督を継げない。そんなの常識だ。
私は身体が弱かったし、南部で騎士として功績を立てれるような人間ではなかった。
強さを求める南部では、私は完全に兄弟のお荷物だった。
だから、レプシウス師の勧めで、ヴォルガシュタットで魔導師になると決めたのだ。幸い、私には魔法の才能があった。
父は私の帰る場所を残していた。
わざわざ子爵位を用意して迎えてくれた。
病弱で、ひねくれた、人間として欠陥のある私を、再び家族として迎えてくれた父に報いることができるなら、この程度の苦労は何でもない。
私が上手くやれば済むだけの話だ。
「ヴェルフェル侯爵、ご命令を」と再度兄に催促した。
私は三男だから、ヴェルフェルと兄たちの盾となるのは当然の事だ。
そうでしょう、父上?
記憶の中の父は悲しげな顔をしていた…
✩.*˚
『酷いです、兄上!』
泣き虫だった末弟は、ペットの亡骸を抱いて私たちを責めた。
ちょっとした悪戯のはずだった。
小鳥のような声で囀る蛙は弟のお気に入りの友達だったのに、幼かった私たちは悪戯のつもりでそれを持ち出して死なせてしまった。
酷い事をしたと今では反省している。
弟の泊まる部屋を訪ねると、窓際にあの蛙の姿があった。
「懐かしいな」と、小鳥の声で囀る蛙の水槽を眺めた。
「フレディは私の宝物です。もう勝手に持ち出したりしないで下さい」
子供の私の罪はまだ消えてないらしい。
コンラートは私に釘をさして、窓際で囀る蛙を愛しげに眺めていた。
時間に煩い癖に、その蛙の囀りには耳を傾けるのだな…相変わらずだ…
「交渉役の件、引き受けてくれて感謝する」
「ダラダラと話をしても結果は変わりません」
取り付く島もなく、コンラートは水槽から目を離さずに答えた。
「父上なら、迷わず私を指名しました。
兄上はヴェルフェル侯爵です。もっとしっかりして頂かねば困ります」
「手厳しいな…」
「真実でしょう?私は無駄が嫌いなので、はっきりと申し上げるまでです」
忖度しない末弟はそう言って、水槽からそっと蛙を拾い上げた。
「フレディは交渉の場に連れていけませんので、兄上にお預け致します…
くれぐれも、悪戯に使って、義理姉上に潰されないようにしてくださいよ」
「分かってるよ…」
「…よろしくお願いします」と弟は宝物を私に託した。
独り身を通してきた弟は、信用ならなくても、宝物を預ける相手は兄弟しかないのだ…
窓の外に沈みゆく夕日を眺めながら、コンラートと話をした。
「お前には助けられてばかりだな」
「ええ、世話の焼ける兄が二人もいる私は可哀想でしょう?」苦笑いしながら彼は水槽にフレディを戻した。
「全く…この泥臭い戦場は私には不似合いですよ。
さっさと解放していただいて、王都に戻って学院で魔法の研究に戻りたいのですよ」
「すまんな、引き留めて」と苦笑いした。
「何の研究をしてたんだったかな?」と興味のあるふりをしたが、弟には興味がないのがバレバレだったようだ。
「《音質と魔力の関係性について》という論文を書きました。ご存知ないでしょうね」
「なるほど…難しそうだ…」
「簡単な事です。魔石に刻んだ魔法に特定の発動条件を付与します。
それが合図の音によってどのように変わるのかを観察しました。
同じ音階を様々な楽器、人の声、一部の生物の声で発動させ、質が変わるのかを検証して…」
「そんなので変わるのか?」
面倒な研究をしてたのだな…私なら途中で気が違いそうだ…
「結論は僅かに変化が見られました。ごく微細ですが、この変化を利用して、持ち主以外に使用できないように制限をかけることが可能か、それも研究していました」
「…ほー…そうか…」
「ほらね、興味無いでしょう?」
弟は私の反応に、小馬鹿にしたようにため息を吐いた。
「貴方には、これくらいが分かりやすくていいでしょうね」とボヤきながら、コンラートは荷物からなにか取りだして机に並べた。
広げた盤上にはマス目が描かれている。付属の袋には、白と黒の色分けされた駒が入っていた。
「私が作ったボードゲームですよ。父上とやりたかったのですが、叶いませんでした…」
「意外だな。面白そうじゃないか?」
「まだ未完成ですがね…《二十八騎》。
十四の手駒を自陣にまず四騎並べて、賽を振ります。
騎兵は出た目の数だけ前後左右移動できます。自分の番に、駒を一つまで盤上に増やすことが可能です」
「相手のを取りきったら勝ちか?」
「まぁ、そんなところです。まだ未完成なので、他のルールを増やしていくのもいいかもしれませんね」
「一度出したら戻せないのか?」
「まぁ、そうしときましょうか…
それにしても、話の食い付きが違いすぎませんか?」と弟は論文よりゲームに引き込まれた兄に苦言を呈した。
「私はこっちの方が好きだな」と正直に答えた。
「父上でなくて残念ですが、兄上が挑戦してみたいならお相手しますよ」
「ほう?お前から遊ぼうなんて珍しいな」
「実験台ですよ。新しいものですので、検証のデータを集めねばなりませんので…」
「ならもう一人呼ぶか?」と提案した。コンラートには誰とも言わなくても通じたようだ。
「夕食までならお相手します」と時間の制限を設けて、末弟は私の申し出を了承した。
✩.*˚
パウル様から、アーサーを連れてブルームバルトに帰る事を許された。
「お帰りなさいませ」
屋敷に戻ったのは遅い時刻になっていたのに、テレーゼがわざわざ出迎えてくれた。
「まだ、起きてたのか?」
無理をさせたようで、嬉しい反面、申し訳ない気分になる。彼女は俺が気に負わないように笑顔を見せた。
「夕刻に《戻る》と報せが届きましたので、お会いしたくて待っておりました。
カナルで何か問題でしたでしょうか?」
「いや、少しな…お前こそ何かあったのか?」
《玉旗》の件は伏せていた。知ってしまったら、彼女も心穏やかではいられないだろう。
「いえ。カナルよりスー様からお手紙が届きまして…
ワルター様のお帰りが遅れるようなら、アインホーン城まで届けさせようかと、シュミット様とお話しておりました」
「スーから?」
なんの話しだろう?旗絡みの話か?なら一足遅かったな…
「フィーの誕生会の前にお戻りになられて良かったです。
明日にはお客様がお見えになりますから」
「え?もう明日か?!」
「そうですよ。アダリーシア嬢やウィルメット嬢もいらっしゃいますのよ」
《玉旗》の件で完全に頭から消えていた。
忘れてたと言わんばかりの俺の態度に、テレーゼは頬を膨らませた。
「もう、ダメですよ。お二人共私の大切な友人なのですから」と彼女は何も知らずにニコニコと笑っていた。
なんか隠してることが後ろめたく思えた。
「お父様とは何のお話でしたか?」
テレーゼも呼び出された理由が気になったらしい。
「アーサーをアレイスター子爵の護衛に借りたいと言われた。今日はもう遅いから明日ちゃんと話すよ」
話を終わらそうとしたが、それが逆に彼女の気を引いてしまったようだ。もう少し上手くやれない自分を疎ましく思った。
「ラーチシュタットで何か?」
「いや。カナルでオークランドと揉め事があったから交渉役になるらしい。アーサーが居れば心配いらないさ」
「心配です…また戦になるのでしょうか?」彼女の伏せた視線はお腹に注がれていた。
前の戦の《騎行》でこの街にも被害があった。
テレーゼもフィーも、俺の牽制のための人質として要求された。また同じ事が起きないという保証はない…
ロンメルの名が有名になるほど、今後こういう危険はさらに増えるのだろう。
どうしても、彼女に《交換条件》のことは言えなかった…
「大丈夫だよ。この街は俺の街だ。
俺もいるし、いざとなったらギルも戦ってくれる。心配するなよ」
言葉で強がって彼女を抱き寄せた。華奢な身体は俺の腕の中に収まった。
この温もりは二人分だ…
大事な身体だから、彼女にはあまり心配をかけたくなかった。
「心配してたらまた身体を悪くするぞ。
すぐに着替えてベッドに行くからさ、ベッドでいい話してくれよ。留守の間にあったこと教えてくれ」
「うふふ、そうですね。
留守の間にとっても素敵なことがあったんですよ」
「なんだよそれ?気になるな」と彼女の笑顔につられて笑った。
「びっくりしますよ。フィーったら…
あらやだいけない、後でお話ししますね。楽しみにしてて下さいね」
もうわざとだろ?!そこまで言ったら最後まで言えよ!
「あーもう、なんだよ!気になる!」
「じゃぁ早く着替えて来てくださいね。
遅いと私が寝ちゃいますよ」
「分かったよ。すぐ、すぐ行くからな!」
「お待ちしております」と彼女は笑顔で俺を見送って寝室に戻った。
なんかいいように手のひらの上で転がされてる気がする…
あいつ少し狡いところあるからな…
でもこうやって、あいつの思い通りになるのもまんざらじゃない。
俺ってば、つくづく尻に敷かれてんだよな…
まぁ、あいつの尻になら敷かれてもいいんだけどな。
この幸せが続くものだと信じていたかった。
✩.*˚
珍しい。今日はご機嫌な様子だ…
面倒事を押し付けられて不機嫌になっているかと思っていたが、食事を終えて戻られたコンラート様は上機嫌だった。
何かあったのだろうか?
まぁ、ご機嫌ならその方が好ましいだろう。
そう気を取り直して、部屋を整えていた侍女たちに退出を命じた。
コンラート様は女性がお嫌いだ。
ラーチシュタットでも、身の回りの世話は全て男性の小姓や近侍が行っていた。
侯爵夫人の用意した侍女たちを帰して、身の回りの世話をしながらご機嫌の理由を探った。
「何か良いことでもありましたか?」
「良いこと?
そうだな…《二十八騎》の手直しが進みそうだ」
「おや?私以外に御相手する方がいらっしゃったのですね?」と少し妬いた。
コンラート様のお相手はいつだって私のはずだった。
上機嫌な主は、珍しく愚痴を引っ込めて、嬉しそうにも見えた。
気難しい彼のご機嫌取りは私の仕事なのに、これでは存在意義を無くしてしまう。
「なんだヘスラー卿?妬いているのか?」
コンラート様は私の焦りを読み取っていた。
そうだ…私は嫉妬していた…
「フォーテスキュー卿のお声は…閣下の好きな声質でしたので…」
「彼か?確かに素晴らしい声だったな。
容姿も隻眼でなければ完璧だった。惜しかったな」とコンラート様は思い出したように小さく口元に含むような笑みを浮かべた。
その中性的な美しいお顔立ちに惚れ惚れする。
コンラート様は兄のヴェルフェル侯爵とは10歳も離れている。
太陽を忌む白い肌、黄金の睫毛に縁取られた蒼い瞳、柔らかい真っ直ぐな金髪は兄たちとは異質だった。
初めてお会いしたのは、コンラート様がヴォルガシュタットに向かうと決まった十五の時だ…
それからずっと、この居場所を誰にも譲らずに死守してきた。
大人になった今でもその魅力は変わらない。私は相変わらず彼の虜だ。
「オークランドとの交渉の席には、彼を護衛役として連れて行くと聞きました」
「兄上がどうしてもと言うので仕方なくだ」とコンラート様は私の感情を宥めるように答えた。
「フォーテスキュー卿は護衛に特化した《祝福》を有しているという。まぁ、断る理由もないからな…
兄上もまだ、私には退場して欲しくないようだな…」
「惜しくないわけがありません…
閣下はご兄弟なのですから…」
私の言葉に、コンラート様は「そうだな」と微かに頷いた。
「長く離れていたから…まだ少し照れくさいものだな」とコンラート様は視線を外して呟いた。
まだ成人前に宮廷魔導師を志して南部から離れたから、家族との付き合い方を見失ってしまったのだろう。
兄たちに対する厳しい言葉も、兄弟としての距離感を測りあぐねているように思えた。
元々人付き合いも苦手な方だ。
その不器用な姿さえ私には愛おしく思えるが、本人は人知れず悩んでいるらしい。
「なんだ?新参者に嫉妬していたのか?存外、卿は心の狭い男なのだな」
「このお役目は譲れません」
「譲ってもらっても困る。
卿ほど私を知ってる人間はいないのだからな…
また一からとなると、私が心労で死んでしまう」
冗談とも本気とも取れる事を呟いて、コンラート様は指先で合図すると、私を傍らに呼んだ。
櫛を置いて、求められるまま、主の座る椅子の前で膝を折った。
「ヘスラー卿。一緒に来てくれるのだろう?」
「常に貴方のお傍に」
私の騎士らしい返事に彼は満足したらしい。
伸びた手が顔を上げさせた。
額にコンラート様から接吻を頂戴した。
フィーア貴族が従者に与える最高の栄誉だ。信頼と友愛の証に心が満たされる。
コンラート様は騎士の名ではなく、私の個人の名前を口にした。
「ゲアハード、煩い侍女はいないな…」と、彼は寝室の外を気にした。
「外してもらいました。私とコンラート様だけです」
「よろしい。では久しぶりに、君と二人の時間を楽しむ事にしよう」
コンラート様は私を夜のお相手に指名した。
女を愛せないコンラート様は、代わりに私に愛を注いで下さった。
他人から見れば歪んでいるが、この歪みは私にとって都合が良かったのも確かだ。
「光栄に存じます」と差し出された彼の手を取った。
彼の近侍としてではなく、恋人として接吻を交わした。
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