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誕生会
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暖かい…
ヨナタンは僕を《捨てない》と言ってくれた。
隣で寝ている彼は、僕の秘密を知ってもいつもの彼だった。
ヨナタンは僕の話を信じていないわけではなかった。
『今ある用事が片付いたら、フリッツに暇を貰う。あいつに迷惑はかけられない』
彼はそう言って、自分が積み上げてきたものを簡単に手放そうとした。
僕は大事なことを彼に隠していたのに…
僕は彼に何も返せないのに…
『知ってるよ。何も無いから、助けが必要だから助けてやるんだろ?』
彼が望んだのは、僕が《アルド》として一緒に居ることだけだ。それで良いのならと、彼の願いに僕は頷いた。
『危険かもしれないが、最後にもう一度だけブルームバルトに行こう。
お前の身体を治せるかもしれない人がそこにいる。
治療してもらえる保証は無いが、それでも賭けるだけの価値はある』
ヨナタンはそう言って、真実を伏せたまま団長に交渉して、ブルームバルト行きの許可を貰った。
元々ブルームバルトに行く用事があったから、同行させてもらう事になった。
身内を集めて、ロンメル男爵の誕生日を祝うらしい。大御所様と団長が参加するはずだったのだが、団長がヨナタンに譲ってくれた。
団長は『治してもらえるといいな』と言って、大きな手で僕の頭を撫でた。
団長にも色々世話になっていたけれど、何も返せていない。
ヨナタンにそう伝えると、彼は『いらねぇよ』と笑った。
『あいつはお前から何か貰うほど困っちゃいないさ。むしろ世話を焼くのが好きなんだ。好きにさせてやれ』
いい人たちだ…
だからこそ、利用しているみたいで罪悪感が沸いた。
どうして彼に真実を教えてしまったのだろう…黙っていれば良かったのに…
狭いベッドの中で身じろぐと、それに気付いたヨナタンが目を覚ました。
彼は僕が逃げると思ったのか、腕を伸ばすと僕を引き寄せた。
「寝ろよ…明日も仕事があるんだ…」
煙草の匂いのする彼の懐は暖かかった。
眠そうな彼に自分から接吻た。
彼はそんなささやかな事を喜んでくれる。
彼からも接吻をくれた。優しい手のひらが頭を撫でてくれる。
「寝よう」とヨナタンはいつもの感じで言って、僕の頭の下に腕を回した。
彼の腕を枕に頭を預けた。
他人と寝るのが暖かいなんて、彼と過ごして初めて知った。
「…アルド」ヨナタンの声が僕を呼んだ。
「明日…また、起こしてくれ…」
彼は簡単なお願いを残して、僕を抱き直すとまた眠りについた。
明日のことを頼むなんてずるいよ…
僕にできることなら、叶えたいと思ってしまう。
だって僕もこのままでいたいから…
君の隣に居られる言い訳を探してる僕に、そのお願いを断ることは無理だよ…
✩.*˚
「グスタフ!久しぶりだね!」スーが久しぶりに顔を合わせた親父に懐っこく声をかけた。
付き添いのウェリンガーと一緒に馬車を降りてきた親父は、賑やかな出迎えを喜んでいた。
「元気か、グスタフ」
スーを押しのけたゲルトが親父に挨拶した。
親父も久しぶりに顔を合わせた親友とハグをして、再会を喜んでいた。
「お前も元気だったか?」
「病気なんかする余裕もねぇよ。良いようにこき使われてる」
「そいつは残念だったな」と親父はゲルトに同情した。
「また後で飲もう」と約束して、ゲルトは親父を俺に譲った。
「よぉ、久しぶり」と親父に声をかけた。
親父は俺の形を上から下まで見て苦く笑った。
「何だ?随分見ないうちに小綺麗になって…偉そうになったじゃねぇか?見間違えたぞ?」
「俺の趣味じゃねえよ、こんなのしかないから仕方ねぇだろ?」と言い返すと親父は「そうだろうな」と笑った。
「さて、俺はお前に用事なんてねぇんだ。可愛い孫娘を出してもらおうか?」
親父は図々しくフィーを要求した。
「残念ながら、ウチのお姫様はお昼寝中だ。
諦めてもらおうか」と冗談交じりに親父の要求を突っぱねた。
「寝顔でもいいぞ」
「馬鹿言え。嫁入り前のお嬢様の寝顔なんて見せられるかよ。
フィーが起きるまで茶でも飲んで待ってろ」
「やれやれ…せっかく玩具とドレスを用意したんだがな…」
「起こしてまですることじゃないだろ?
ウチのお姫様は寝起きが悪いんだ。へそ曲げたら困るんでな」
「なるほど。ご機嫌を取るつもりが悪くなるってか?」
「そういうことだ。荷物は部屋に運ばせる。
フィーの前に、あんたの事を待っているウチの別嬪さんにご挨拶願おうか。
フリッツの奴はどうした?別か?」
「あいつは今回は留守番だ。ヨナタンがどうしても来ると言ったんで譲った」
「ヨナタンが?」あいつが我儘を言うなんて珍しい。荷物を持って馬車から降りてきたヨナタンは誰かを連れていた。
馬車から降りてきた二人の姿を見つけて、スーが寄って行って話しかけていた。
「前回の用事が済んでないらしくてな」と言って親父は大声でヨナタンらを呼んだ。
そういえばスーがそんな事を言ってた気がする。
「久しぶりだな、ワルター」とヨナタンは友人として挨拶した。彼は連れていた若い男を紹介した。
「俺の恋人のアルドだ」
「あぁ。スーから聞いてる」と答えて、「よろしくな、アルド」と彼に手を差し出した。
アルドは整った顔を緊張で強ばらせていた。
俺はそんなに怖く映ってるのか?
真っ直ぐに引き結んだ口元は動かないままだ。
「ワルター、彼は喋れないんだ」とスーがそう言ってアルドの顔を覗き込んだ。
「大丈夫だよ。握手しな」
スーに促されて、アルドはおずおずと手を出して、俺の差し出した手を握った。
「ワルター、相談がある。後で時間を取れるか?」と横からヨナタンが訊ねた。
「あぁ、二人でか?」
「そうして貰えると助かる」
「分かった。また後でな。お前も少し休めよ」
「すまん…」とヨナタンは小声で謝罪を口にした。その様子に何か違和感を覚えた。
勘でしかないが、ヨナタンの相談に関係することだろう…
「ワルター、二人は俺が部屋に案内するよ。君はグスタフと話があるだろ?
テレーゼも待ってるから早く中に入れよ」とスーに気を使われた。
確かに、こんなところで突っ立って話をする必要は無い。
スーにヨナタンらと荷物を任せて、親父とウェリンガーを連れて応接間に向かった。
部屋で待っていたテレーゼが親父を見て笑顔で迎えた。
「お待ちしておりました、お義父様」
「お久しぶりです、テレーゼ様。
お身体の具合はいかがでしょう?」
親父はさっきまでの粗野な部分を引っ込めて、礼儀正しく挨拶した。息子と嫁の切り替えがエグい…
テレーゼは親父にソファを勧めて、アンネにお茶の用意を頼んだ。
「体調は良いのですが、ワルター様が外でお迎えするのをお許し下さらなくて…
御無礼で申し訳ありません」
「いやいや、無理をしては身体に良くありません。身体が冷えてたら大変だ。どうぞご自愛ください」
親父はテレーゼを気遣って、俺には「お前にしては上出来だ」と偉そうに言った。
アンネがティーワゴンを用意して、机にお茶を並べた。
「ありがとう、アンネ嬢」と親父はアンネにも声をかけた。話しかけられたアンネは慌てて親父に頭を下げた。
「テレーゼ様を支えてくれて感謝する。アンネ嬢の献身の結果だな」
「も、勿体ないお言葉です…」と答えて、アンネは部屋の隅に下がった。
「おい。息子の家の若いメイドを口説くなよ」と苦言を呈すると、親父は紅茶を手に怪訝そうに眉を寄せた。
「口説くとは違うだろう?
俺は、アンネ嬢はテレーゼ様を良く支えている、と褒めたたけだ。
ドライファッハでも、テレーゼ様を献身的に支えていた。良いメイドだ。お前もああいう使用人は大事にすることだ」と親父は偉そうに言った。
「ワルター様は家人に良くしてくださっていますわ」
「ならば良かった」と頷いて親父は紅茶を口に運んだ。
親父はウェリンガーを呼んで、手土産を机に並べた。
「お気に召すかは分かりませんが、ドライファッハからの土産です。どうぞお受け取りください」
「ありがとうございます。何でしょうか?」
「奥様のは置物です。寝室に飾られるとよろしいでしょう。
ワルター、お前のは見たまんまだ」
親父は相変わらずテレーゼには丁寧に対応して、俺の事は雑に扱った。
「誕生祝いだ」と貰ったのはシンプルな造りのダガーだ。
無駄に華美な装飾のある物よりこういうのの方がいい。古びたダガーにはオレンジ色の宝石が嵌め込まれているだけで、他に装飾はない。
「あぁ、使いやすそうだ。ありがとう」
「お前の曾祖父さんのものだ」と親父はダガーの出処を教えた。
「は?そんなもの俺なんかが貰っていいのか?」
《雷光のカール》の遺品ならビッテンフェルト家の家宝のはずだ。他所に婿に出た俺が貰うのは筋違いだ。
親父は俺の反応を予測済みだったようだ。
「いいんだ。それは元々お前にやるつもりだったもんだ」と親父は俺にダガーを受け取るように諭した。
「剣と甲冑はやれんがな…
まあ、同じ《英雄》として渡してもいいだろう。フリッツには話して了承済みだ。
何も無いのに渡すのは問題だろうが、溜まり溜まった誕生祝いならいいだろうさ」
「良かったですね」とテレーゼが微笑んだ。
「私も見てよろしいですか?」と彼女もお土産を手に取った。
箱を開けてテレーゼが歓声を上げた。
「それはジビラが選びました」
「ワルター様、見てください!」
テレーゼは箱から小さな銅製の置物を取り出して俺に見せた。
それ…嬉しいのか?
テレーゼの手のひらに収まる大きさの銅像は豚の姿をしていた。
寝転がった母親のお腹に、子豚たちが引っ付いて乳を吸っている。
「可愛い」とテレーゼは手のひらに乗せた銅像を撫でて、子豚を数えた。
「うふふ、子豚が12匹もいますよ」
「それが一番多かったのであやかれるかと思います」
二人の会話は繋がってるようだが、それが何だって?
「何で豚なんか寄越したんだ?」
「お前…知らんのか?」と親父は呆れたようにため息を吐いた。
「豚は多産の動物だ。子供を授かるためのお守りだ」
「ジビラから話を聞いて、ずっと欲しかったんですよ。ありがとうございます」とテレーゼは嬉しそうに豚の親子を眺めていた。
へぇ…そう…
「別に急かすつもりは無いからな。
効果があれば儲けもんだ。それに豚は家内安全や財運の意味合いもある。
まぁ、こういうものがひとつくらいあってもいいだろう?」
「…まぁ…そうだな、ありがとう」
一応、気にしてくれている、ということにしておこう…
これは考えすぎると逆に良くない…
テレーゼが喜んでるし、まぁ、良しとしよう…
俺の微妙な反応に、親父は呆れていたが、それ以上孫を催促することもなかった。
よくよく考えれば、自分も子供が少ないから俺に言えた義理ではないのだろう。
楽しみに思われてるならいいことじゃないか?
男でも女でも、親父なら喜ぶはずだ。
親父と話をしていると、シュミットがやってきて、フィーを連れてくるか確認した。
どうやらお姫様は目を覚ましたらしい。
連れてくるように頼むと、乳母に抱かれてフィーがやって来た。
フィーは親父の顔をじーと見てニコッと笑った。
どうやら親父を覚えていたらしい。
フィーの方から親父に手を伸ばした。
「おお!覚えててくれたか?!」
孫を抱いて喜ぶ親父は普通の爺さんに見えた。
「待っていたぞ、お姫様。さぁ、お土産を出してやらねばな」
親父は膝の上にフィーを乗せて、お土産を渡した。
「あー!」と声を上げて、子供はプレゼントの包みを豪快に破った。解けたリボンと包装が散らかった。
「おう!なかなか豪快だな!」
「きゃう!」
「よしよし。ほら、今回のお土産はこれだぞ」
ボロボロの包みから現れたのは可愛いクマのヌイグルミだ。
目はキラキラの青い硝子玉で、アイボリーの身体はふわふわの生地でできている。
あんたみたいな厳つい爺さんが、一体どこでそれを見つけてくるんだ?
重い荷物を下ろした男は、割と自由を満喫していた。
✩.*˚
ブルームバルトのロンメル男爵の邸宅に馬車が並んだ。
身内を集めて、男爵の誕生日を祝っているらしい。
街でもちょっとしたお祭り騒ぎだ。
領主から振る舞われた酒を手に、街中で乾杯の音頭が幾度となく上がった。
「ロンメル男爵は人気なんだな」
行商人を装って訪れた酒場の亭主に声を掛けた。
「そりゃそうさ」と亭主は自慢げに答えた。
「あんたどっから来たのか知らんが、この街じゃ《ロンメル》は《神様》みたいなもんなんだ。
ちっとばかし変わったご領主だが、話は分かるし、無茶な要求もない。
それどころか、気前良く見舞いや祝い事には金を出すし、悪党は《ロンメル》と《燕》の名前を聞いただけで逃げちまう。全く、ご領主様々だ」
「ほう…いい街だ…」
「だろう?あんたも困ったことがあれば《燕の団》に相談しな」
『《燕の団》?』
「ご領主様が立ち上げさせた傭兵団だよ。あの方は元々傭兵だったからな。
あいつらはこの街の何でも屋みたいな奴らさ。
頼んだら、用心棒から雑用まで何でもしてくれるよ」
亭主はそう言って拭いてたグラスを並べた。
「まだ、この街に来たばかりでね…
ここでも商売したいんだが、ロンメル男爵は何がお好きなんだい?」
「お好きなもの?」と亭主は首を捻った。
「あの人は贅沢もしないし、好き嫌いもないそうだからな…
まぁ、あそこに売り込むのは難しいだろうよ」
亭主の返事を聞く限り難しそうだった。
「ロンメル男爵は緩いんだがな、周りがちと厳しいんだ。特に家宰のシュミット様はご領主様方の周りを気をつけてるよ。
まぁ、そのくらいが丁度良いと思えるけどな」
参ったな…これは時間がかかりそうだ…
俺の《仕事》は難しく思えた。
「じゃぁ、顔を覚えて貰えるように頑張るかね…」と言って出された料理を口に運んだ。
《エッダ》を装って行商人としてこの街に潜入した。
目的は《冬将軍》の情報収集で、依頼主は教えられていない。
依頼主を知らないのは、《毒蜘蛛》の首領から、《手足》にまで依頼主の情報は与えないからだ。
分かっているのは、《頭》が《手足》を動かすほどの金と権力のある相手ということくらいだ…
長丁場になりそうだが、潜入する《蜘蛛》は、だいたい疑われなくなるくらいまで土地に馴染んでから、やっと仕事に取り掛かる。
下手すりゃ数年無駄にする、気の長い話だ…
情報収集をする中で、誰もが口を揃えて言うことは、ロンメル男爵は変人だが、慕われる良い領主ということだ。
さぁて…どうしようか?
このまま行商人としてしばらく頑張るか?
それとも、例の《燕の団》とかいう傭兵団に入ってみるか?
上手くいけば行商人より成果が上がりそうだ。
顔を覚えられる前なら、まだ《役》も変えられる。
《エッダ》はこういう時に便利だ。
あいつらはどこにでもいるし、なんにだってなれる。
方針は決まったので、手紙を書いて、連絡用の鳥を放った。中継役に届いたら《頭》の元に報告が届く。
明日の朝、宿を出たら姿を変えて、またこの街に戻ってこよう。
名前は…どうするかな…
《エルマー》なんてどうだろう?悪くないはずだ。
苗字は《ビーガー》とでもしよう。
《傭兵》の《エルマー・ビーガー》が生まれ落ちた。
架空の人物を作って彼の設定を頭に入れた。
人知れず、見えない《蜘蛛》の糸で、ターゲットを絡め取る巣を用意した。
✩.*˚
ずっと引っかかっていることがある。
ロンメルのお下がりの新聞に目を通しながら考え込んでいると、やってきたアダムが声をかけてきた。
「どうしたんだ、アーサー?」
「いや…大したことてはないんだが…」
「何だ?また例の獣が君にちょっかいをかけてくるのか?」
「そうじゃない。
オークランドの動きが無さすぎて、少し気味が悪いだけだ」
「確かに…あの王様にしては薄気味悪いな…」とアダムも頷いた。彼も俺と同じ亡命者だ。母国の内情が気になるのだろう。
アダムは俺の座っていた長椅子に腰掛ける許可を求めた。
少しズレて席を譲ると、彼は隣に座って新聞を覗き込んだ。
「そんな記事の新聞を読んで気が滅入らないかい?私は見てられないよ…」
「仕方ないだろ?
世事に疎くなる訳にはいかないからな…
しかし、この記事は何度読み返しても気になる」
「何がだい?」
「オフィーリア王女は芯の強い方だったと記憶している。それに反国王派のはずだ。夫を殺された恨みだってある…
その彼女を目の届かない他国に嫁がせるなど、あの王様からすれば不安要素でしかないのではないか?」
「ランチェスター公子が人質になってるとしたら難しい話ではないだろう?
あの王様のやりそうな事だ…」
「ランチェスター公子か…」
数年前に一度見たきりだ。もう六、七年は立つだろう。
7歳の成長を祝うために、ランチェスター侯爵に連れられて神殿を訪ねてきた。その時オフィーリア王女も見た。
幼い一人息子の顔立ちは母親に似ているように見えた。
ランチェスター公子の生死は不明だが、憶測だけが飛び交っていた。
「既に亡くなっていると言う者も居れば、亡命しているとの話もある。
どちらにせよ、真実は分からないが、ランチェスター公子の未来は明るくないだろうな…」
「まだお若いのに可哀想な話だ」とアダムは彼に同情した。
「もし、ランチェスター公子を手に入れた勢力があれば、オークランドはまた内戦になる。
国王派は必死だろうさ」
なんせ、ランチェスター公子の王位継承順位は現状一位だ。対抗しうる存在は、全てあの国王が消し去った。
もし順位が下がるとしたら、現国王に世継ぎが生まれた時だけだ。
現オークランド国王、ヘロデ二世の子供は王女ばかりで、一人息子は内戦のゴタゴタで失っていた。
ヘロデ二世が、自分のやり方に異を唱える息子を殺したのだろう、と噂されていた。
オークランド国王は、これ以上の面倒を避けるために、ランチェスター公子を手元に置くしかない。
ランチェスター公子を失うことがあれば、今度は遠い親戚が後継者を名乗り始める恐れがあった。
外戚となっている他国の王族が名乗り出れば、これはまた厄介だ。
新たに王子が産まれるまで、ランチェスター公子は生きることも死ぬことも許されない。
アダムでなくとも同情したくなる、悲劇の貴公子だ…
新聞で暇を潰していると、目の前にふらっと客が現れた。
「煙草が吸いたくてな」と宴の席を抜け出してきた男は、そう言って煙草を取り出した。
彼の傍らに着いて歩く少年の姿はなかった。
「連れは置いてきたのか?」
「あぁ、まぁ、煙草を吸いに来ただけだしな。ケヴィンらと楽しくやってるよ」と答えて、ヨナタンは長椅子の手摺に腰を下ろした。
「悪い、座ってくれ」
「いいさ、吸ったら行く」
「あんたはロンメル男爵の客だ。掛けてくれ」
新聞を片付けて席を開けると、ヨナタンは礼を言って座った。
ヨナタンは煙草をくゆらしながら、俺の持っていた新聞の束に手を伸ばした。
「オークランドの記事か?」
ヨナタンはそう訊ねて、新聞の一束を抜き取って広げた。
「最近少し動きがあったな」
「あぁ」と頷くと、彼は「聞かせてくれよ」と情報を強請った。
「オフィーリア王女って再婚だろ?外国に渡しちまって良いのか?」
「まぁ、一番高く売れる所に売ったんだろうさ」と曖昧に答えた。
「へぇ、彼女美人か?」
「美人ですよ。十代半ばの息子がいるようには見えませんね」と、傍らで会話を聞いていたアダムが答えた。
「会ったことあるのか?」
「私はルフトゥキャピタルの神殿にいましたから、何度かお目にかかる機会はありました」
「アーサーもか?」
「随分前に一度だけな…
ランチェスター侯爵一家で神殿に来たことがある。その時に案内を頼まれたから、少し話したことがある程度だ」
「…なるほど」
ヨナタンはそう呟くと煙草を咥えた。
チリチリと焦げる煙草の先が灰に変わる。短くなった煙草を捨てて、ヨナタンは新しい煙草を手に取った。
彼は新しい煙草を指先で遊んで、俺たちに質問した。
「お前ら、どう思ってんだ?」
「何が?」
「そのランチェスターさ。
侯爵は死んで、嫁さんは外国に追い出されて、息子はどうなったと思う?」
「さぁな。そこまで知らんよ」
「お前らなら何か知ってるんじゃないか?」
適当にあしらったが、ヨナタンは追求を止めなかった。さして面白くもない、金にもならない話だ。
「ヨナタン。あんたがその話に首を突っ込んで、何か得があるのか?
らしくない詮索はやめておけよ」
「俺の個人的な好奇心だ、悪いか?」
「あんたなぁ…そういうの良くないぜ…」
呆れてため息を返すと、彼は今度はアダムに質問した。
「ランチェスター公子はどんな子だ?」
「そうですね。正直な話、印象しか残ってませんが、確か母親に似てたかと思いますよ。
大人しい印象の少年でした」
「ランチェスター公子に味方する勢力もあるのか?」
「どうでしょうね?
今の状況をひっくり返したいと思っている勢力はあるでしょうが、表立って動く方はないでしょう。
オフィーリア王女も他国に流れてしまいましたし、ランチェスター公子の立場はかなり危ういかと思います」
「…そうか」
「まぁ、だからと言って、国王はランチェスター公子を殺すこともできません。
今、ランチェスター公子が亡くなれば、困るのは現国王です。
しばらくは、生かさず殺さずといったところでしょう」
「なるほどな…分かった」
アダムの話に満足したのか、ヨナタンは頷くと弄んでいた煙草を片付けて席を立った。
「邪魔して悪かったな」
「戻るのか?」
「アルドが待ってる。面白い話が聞けた、ありがとよ」
ヨナタンは礼を言って立ち去ろうとして、思い出したように足を止めた。
「そうだ…お前ら二人には悪いんだが、アルドに構わないでやってくれないか?
あいつはオークランドの奴に酷い扱いを受けていたらしい。できる限りそっとしておいてやってくれ」
「なるほどな」と頷いた。
前に来た時から、俺やアダムに怯えて、避けるような様子を見せていたのはそのためか…
昔のスーに重なった。スーがアルドに構うのはそのためか?
「ご心配なく。怖がる子供にちょっかいを出したりはしませんよ」とアダムが答えると、ヨナタンは頷いてまた来た道を戻って行った。
「…なんだったんだ?」
「さあ?私や君がお節介を焼いて、恋人を怖がらせないように釘をさして行ったんだろ?」
「だとしても、何でランチェスター家の話が出てくる?」
「そんなのたまたまだろう?最近新聞を騒がせていたから気になっただけさ」
アダムは楽観的な考えで、俺の感じた違和感を否定した。
本当にそれだけか?
確認したい気持ちに駆られたが、彼を問い質す権限は俺にはない。彼は顔見知りとはいえ、一応、俺たちの主人の客だ。
拭いきれない違和感を無理やり押さえ込んで、言葉を飲み込んだ。
✩.*˚
別に何がしたい訳でもないが、これは俺の誕生会なんだがな…
いつも体裁だけは整うように、こじんまりとした集まりで済ませてたのだが、今回は面倒な客が増えた。
「可愛い~」
「天使ですわ~」
「おお!髪留めは使ってくれてるな!」
リューデル伯爵家に混ざって、あの背の高い令嬢までいる。テレーゼが招待したらしい。
俺の誕生会はフィーを愛でる会に変わった。
別にいいけど…
「閣下、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとうよ、ケッテラー…」
「フィリーネお嬢様は人気ですね。
また少し大きくなりましたか?」
「よく動くし、よく食べるからな。
なかなかお転婆に磨きがかかってるよ」とフィーの成長を教えると、ケッテラーは嬉しそうに目を細めた。
「お前も後で抱っこしろよ」
「いえ…私は…」
「一応兄貴だ。抱っこしても構わねぇだろ?」
彼は一応肩書きとしてはロンメルの養子だ。すぐに変わってしまう肩書きではあるが、今の間だけならいいだろう。
フィーは人見知りはほとんどしないし、愛想の良い子だ。
皆に可愛がられて笑顔を振りまいていた。
ケッテラーの背中を押して送り出すと、彼はアダリーシア嬢に並んで、彼女からフィーを受け取って抱いていた。
あーあー、俺の娘なんだがなぁ…
しばらく返して貰えそうにない。
拗ねていると、テレーゼがやってきて俺の隣に並んだ。
「ふふ、どうしましたか?そんなお顔で」と彼女は、俺の面白くなさそうな顔を指摘した。
「フィーも楽しんでますよ。皆さんに可愛がってもらえてご機嫌ですわ」
「あのまま連れて帰られないかヒヤヒヤしてるよ…」
「あら、大変」と言いながらテレーゼは口元を隠しながら笑った。
あー、もう可愛いなぁ…
彼女の笑顔を見てるだけで幸せな気分になる。
なんなら誕生日だって、彼女と二人きりで過ごせたら万々歳なのに…
やっぱり貴族なんてなるもんじゃねぇなぁ…
「旦那様、奥様」
不遜な考えをめぐらしているととシュミットが来客を伝えた。
「ヴェルフェル侯爵閣下がお見えです。それと陛下の名代で、レーヴァクーゼン伯爵閣下もご一緒です」
一応手紙でレーヴァクーゼン伯爵の訪問は伝えられていたが、パウル様と一緒だったか…
「お出迎えしなければいけませんね」とテレーゼが笑って、俺の腕を引いた。
エントランスに出て到着した二人を出迎えた。
「おめでとう、男爵」とパウル様は祝辞を述べて手を差し出した。
「ありがとうございます」とその手を握った。
「今日はガブリエラの代わりに、彼を連れてきたよ」
侯爵はそう言って、若い伯爵に場所を譲った。
「お久しぶりです、男爵。今日は陛下と妃殿下の名代で参りました。お誕生日おめでとうございます」
挨拶をするレーヴァクーゼン伯爵の腰には、俺の渡した剣が下がっていた。それが少し嬉しかった。
「ありがとうございます、殿下。
何も無い田舎で、大したおもてなしは出来ませんが、ゆっくりお楽しみいただければ幸いです」
「楽しみにしております」と答える王子は、弟とは違って、偉ぶる様子もなく礼儀正しい。
彼は相変わらずテレーゼの体調も心配してくれた。
二人を広間に案内すると、パウル様はリューデル伯爵と挨拶を交わしていた。
招待客が揃うと、挨拶をして晩餐会からの交流会となる。
特に珍しいものもないが、皆、割と楽しんでくれているようだ。
「ワルター様、ユリアの準備が出来ましたよ」とテレーゼがユリアの着替えを済ませて連れて来た。
緊張した面持ちのユリアは、淡いピンク色のドレスでお辞儀をした。
「旦那様、ドレスありがとう」
「あぁ、似合ってるぞ」と返事をすると、少女は恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「じゃあ行くか?」
ユリアに声をかけると、幼い顔が緊張で強ばった。笑顔がなくなったらいつものユリアじゃない。
「ユリア、お前緊張してるのか?」
「…だって…こんなドレス初めてだし、ユリア変じゃない?笑われないかな?」
「何言ってんだよ?可愛いさ。
お前はラウラに似て美人だよ」と彼女の自信になりそうな事を言った。
笑顔のテレーゼが固くなったユリアの頬をつついた。
「ほら、ユリア。そんな顔しないで、笑ってちょうだい。
貴女の笑顔は皆を幸せにする笑顔よ」
「本当に?」
「そうよ。だから笑顔でご挨拶しましょうね」
テレーゼはそう言って、ユリアを落ち着かせるように肩に手を添えた。
「貴女は立派な淑女よ」なんて、お前に言われたら女の子は誰でも信じちまうよ。
「ワルター様、ユリアのエスコートをお願いします」
テレーゼに促されて、ユリアに腕を差し出した。
小さな手が俺の腕を掴んだ。
なんか昔のテレーゼみたいだ。思い出して一人でひっそり笑った。
ユリアを連れてバルテル卿に挨拶に向かった。
バルテル卿の傍らにはバルテル夫人と、ユリアより緊張した顔の少年の姿があった。
「お招き頂きありがとうございます」とバルテル卿が挨拶をすると、奥方と息子は頭を下げた。
「ユリア・シュミットです」
俺の腕から離れた少女のお辞儀に、少年の目が釘付けになる。
「アダルウィン。とても素敵なお嬢さんですね」と母親が声をかけると、少年は頬や耳を赤く染めた。
ガキだなぁ…と思いながら微笑ましく見守っていると、バルテル卿が息子の背を押して、ユリアの前に押し出した。
「…こ、こんばんは」
真っ赤な顔の少年はユリアに挨拶した。
少年は精一杯勇気を振り絞って少女に言葉をかけた。
「あの…ドレス…よく似合ってます」
「本当?!」
気を良くしたユリアがアダルウィン少年に笑顔を向けた。
ユリアは男の子と喋るのは慣れている。目の前の少年も、変に意識しなければ友達みたいな感覚なのだろう。
むしろ、問題なのはユリアより目も合わせられない少年の方だ。
「良かったわね、ユリア」テレーゼの言葉に、ユリアは笑顔で頷いた。
少年の様子から、彼がユリアを気に入っているのは間違いなさそうだ。
「二人とも、せっかくお会い出来たのだから、お話したらどうかしら?」
テレーゼの提案で、テレーゼとバルテル夫人の付き添いで、二人は席を外した。
子供たちを見送ると、バルテル卿が口を開いた。
「良い場を設けていただき、ありがとうございます」
「俺は呼んだだけですよ。後はバルテル卿のご子息次第でしょう?」
「まだ、子供です。男ばかりで女の子を知らない少年ですよ。嫌われなければ良いのですが…」
「ユリアはまだ友達くらいにしか思ってないはずです。まぁ、これから少しずつ変わるでしょう?」
俺たちだって、最初は夫婦になるつもりなんか無かったんだ。色々あって、今に落ち着いたんだ…
アイツらまだこれからだろう?
「さて、子守りも済んだし、パーティーを楽しんで下さい」
「では、私は侯爵のお傍に控えております」と生真面目に答える彼に呆れた。
「バルテル卿、あんたそればっかりだ…」
「それが私の生き甲斐ですので。妻も私の留守を自由に過ごしてます」
はぁ、そういう夫婦もあるのね…
味気ないもんだな…
俺の内心を察したように、バルテル卿は静かに自嘲するように笑った。
「我々夫婦は元よりそのような感じです。
私はヴェルフェル侯爵の良い臣を志しましたが、良い父にはなりえませんでした」
そう自嘲する男の視線は、息子たちの立ち去った方向を見ていた。
「ブルームバルトは良い所だと思っています。
息子をよろしくお願いいたします」
バルテル卿はそう言うと、一礼して去って言った。彼は言った通り、パウル様の傍らで足を止めた。
バルテル卿、あんたそれで厳しい親父のつもりかい?
そう思って格好つけて立ち去った男を笑った。
ユリアを息子の嫁に選ぶなんてお目が高い。
あんた自分で思ってるより、ずっと良い父親だぜ?
ヨナタンは僕を《捨てない》と言ってくれた。
隣で寝ている彼は、僕の秘密を知ってもいつもの彼だった。
ヨナタンは僕の話を信じていないわけではなかった。
『今ある用事が片付いたら、フリッツに暇を貰う。あいつに迷惑はかけられない』
彼はそう言って、自分が積み上げてきたものを簡単に手放そうとした。
僕は大事なことを彼に隠していたのに…
僕は彼に何も返せないのに…
『知ってるよ。何も無いから、助けが必要だから助けてやるんだろ?』
彼が望んだのは、僕が《アルド》として一緒に居ることだけだ。それで良いのならと、彼の願いに僕は頷いた。
『危険かもしれないが、最後にもう一度だけブルームバルトに行こう。
お前の身体を治せるかもしれない人がそこにいる。
治療してもらえる保証は無いが、それでも賭けるだけの価値はある』
ヨナタンはそう言って、真実を伏せたまま団長に交渉して、ブルームバルト行きの許可を貰った。
元々ブルームバルトに行く用事があったから、同行させてもらう事になった。
身内を集めて、ロンメル男爵の誕生日を祝うらしい。大御所様と団長が参加するはずだったのだが、団長がヨナタンに譲ってくれた。
団長は『治してもらえるといいな』と言って、大きな手で僕の頭を撫でた。
団長にも色々世話になっていたけれど、何も返せていない。
ヨナタンにそう伝えると、彼は『いらねぇよ』と笑った。
『あいつはお前から何か貰うほど困っちゃいないさ。むしろ世話を焼くのが好きなんだ。好きにさせてやれ』
いい人たちだ…
だからこそ、利用しているみたいで罪悪感が沸いた。
どうして彼に真実を教えてしまったのだろう…黙っていれば良かったのに…
狭いベッドの中で身じろぐと、それに気付いたヨナタンが目を覚ました。
彼は僕が逃げると思ったのか、腕を伸ばすと僕を引き寄せた。
「寝ろよ…明日も仕事があるんだ…」
煙草の匂いのする彼の懐は暖かかった。
眠そうな彼に自分から接吻た。
彼はそんなささやかな事を喜んでくれる。
彼からも接吻をくれた。優しい手のひらが頭を撫でてくれる。
「寝よう」とヨナタンはいつもの感じで言って、僕の頭の下に腕を回した。
彼の腕を枕に頭を預けた。
他人と寝るのが暖かいなんて、彼と過ごして初めて知った。
「…アルド」ヨナタンの声が僕を呼んだ。
「明日…また、起こしてくれ…」
彼は簡単なお願いを残して、僕を抱き直すとまた眠りについた。
明日のことを頼むなんてずるいよ…
僕にできることなら、叶えたいと思ってしまう。
だって僕もこのままでいたいから…
君の隣に居られる言い訳を探してる僕に、そのお願いを断ることは無理だよ…
✩.*˚
「グスタフ!久しぶりだね!」スーが久しぶりに顔を合わせた親父に懐っこく声をかけた。
付き添いのウェリンガーと一緒に馬車を降りてきた親父は、賑やかな出迎えを喜んでいた。
「元気か、グスタフ」
スーを押しのけたゲルトが親父に挨拶した。
親父も久しぶりに顔を合わせた親友とハグをして、再会を喜んでいた。
「お前も元気だったか?」
「病気なんかする余裕もねぇよ。良いようにこき使われてる」
「そいつは残念だったな」と親父はゲルトに同情した。
「また後で飲もう」と約束して、ゲルトは親父を俺に譲った。
「よぉ、久しぶり」と親父に声をかけた。
親父は俺の形を上から下まで見て苦く笑った。
「何だ?随分見ないうちに小綺麗になって…偉そうになったじゃねぇか?見間違えたぞ?」
「俺の趣味じゃねえよ、こんなのしかないから仕方ねぇだろ?」と言い返すと親父は「そうだろうな」と笑った。
「さて、俺はお前に用事なんてねぇんだ。可愛い孫娘を出してもらおうか?」
親父は図々しくフィーを要求した。
「残念ながら、ウチのお姫様はお昼寝中だ。
諦めてもらおうか」と冗談交じりに親父の要求を突っぱねた。
「寝顔でもいいぞ」
「馬鹿言え。嫁入り前のお嬢様の寝顔なんて見せられるかよ。
フィーが起きるまで茶でも飲んで待ってろ」
「やれやれ…せっかく玩具とドレスを用意したんだがな…」
「起こしてまですることじゃないだろ?
ウチのお姫様は寝起きが悪いんだ。へそ曲げたら困るんでな」
「なるほど。ご機嫌を取るつもりが悪くなるってか?」
「そういうことだ。荷物は部屋に運ばせる。
フィーの前に、あんたの事を待っているウチの別嬪さんにご挨拶願おうか。
フリッツの奴はどうした?別か?」
「あいつは今回は留守番だ。ヨナタンがどうしても来ると言ったんで譲った」
「ヨナタンが?」あいつが我儘を言うなんて珍しい。荷物を持って馬車から降りてきたヨナタンは誰かを連れていた。
馬車から降りてきた二人の姿を見つけて、スーが寄って行って話しかけていた。
「前回の用事が済んでないらしくてな」と言って親父は大声でヨナタンらを呼んだ。
そういえばスーがそんな事を言ってた気がする。
「久しぶりだな、ワルター」とヨナタンは友人として挨拶した。彼は連れていた若い男を紹介した。
「俺の恋人のアルドだ」
「あぁ。スーから聞いてる」と答えて、「よろしくな、アルド」と彼に手を差し出した。
アルドは整った顔を緊張で強ばらせていた。
俺はそんなに怖く映ってるのか?
真っ直ぐに引き結んだ口元は動かないままだ。
「ワルター、彼は喋れないんだ」とスーがそう言ってアルドの顔を覗き込んだ。
「大丈夫だよ。握手しな」
スーに促されて、アルドはおずおずと手を出して、俺の差し出した手を握った。
「ワルター、相談がある。後で時間を取れるか?」と横からヨナタンが訊ねた。
「あぁ、二人でか?」
「そうして貰えると助かる」
「分かった。また後でな。お前も少し休めよ」
「すまん…」とヨナタンは小声で謝罪を口にした。その様子に何か違和感を覚えた。
勘でしかないが、ヨナタンの相談に関係することだろう…
「ワルター、二人は俺が部屋に案内するよ。君はグスタフと話があるだろ?
テレーゼも待ってるから早く中に入れよ」とスーに気を使われた。
確かに、こんなところで突っ立って話をする必要は無い。
スーにヨナタンらと荷物を任せて、親父とウェリンガーを連れて応接間に向かった。
部屋で待っていたテレーゼが親父を見て笑顔で迎えた。
「お待ちしておりました、お義父様」
「お久しぶりです、テレーゼ様。
お身体の具合はいかがでしょう?」
親父はさっきまでの粗野な部分を引っ込めて、礼儀正しく挨拶した。息子と嫁の切り替えがエグい…
テレーゼは親父にソファを勧めて、アンネにお茶の用意を頼んだ。
「体調は良いのですが、ワルター様が外でお迎えするのをお許し下さらなくて…
御無礼で申し訳ありません」
「いやいや、無理をしては身体に良くありません。身体が冷えてたら大変だ。どうぞご自愛ください」
親父はテレーゼを気遣って、俺には「お前にしては上出来だ」と偉そうに言った。
アンネがティーワゴンを用意して、机にお茶を並べた。
「ありがとう、アンネ嬢」と親父はアンネにも声をかけた。話しかけられたアンネは慌てて親父に頭を下げた。
「テレーゼ様を支えてくれて感謝する。アンネ嬢の献身の結果だな」
「も、勿体ないお言葉です…」と答えて、アンネは部屋の隅に下がった。
「おい。息子の家の若いメイドを口説くなよ」と苦言を呈すると、親父は紅茶を手に怪訝そうに眉を寄せた。
「口説くとは違うだろう?
俺は、アンネ嬢はテレーゼ様を良く支えている、と褒めたたけだ。
ドライファッハでも、テレーゼ様を献身的に支えていた。良いメイドだ。お前もああいう使用人は大事にすることだ」と親父は偉そうに言った。
「ワルター様は家人に良くしてくださっていますわ」
「ならば良かった」と頷いて親父は紅茶を口に運んだ。
親父はウェリンガーを呼んで、手土産を机に並べた。
「お気に召すかは分かりませんが、ドライファッハからの土産です。どうぞお受け取りください」
「ありがとうございます。何でしょうか?」
「奥様のは置物です。寝室に飾られるとよろしいでしょう。
ワルター、お前のは見たまんまだ」
親父は相変わらずテレーゼには丁寧に対応して、俺の事は雑に扱った。
「誕生祝いだ」と貰ったのはシンプルな造りのダガーだ。
無駄に華美な装飾のある物よりこういうのの方がいい。古びたダガーにはオレンジ色の宝石が嵌め込まれているだけで、他に装飾はない。
「あぁ、使いやすそうだ。ありがとう」
「お前の曾祖父さんのものだ」と親父はダガーの出処を教えた。
「は?そんなもの俺なんかが貰っていいのか?」
《雷光のカール》の遺品ならビッテンフェルト家の家宝のはずだ。他所に婿に出た俺が貰うのは筋違いだ。
親父は俺の反応を予測済みだったようだ。
「いいんだ。それは元々お前にやるつもりだったもんだ」と親父は俺にダガーを受け取るように諭した。
「剣と甲冑はやれんがな…
まあ、同じ《英雄》として渡してもいいだろう。フリッツには話して了承済みだ。
何も無いのに渡すのは問題だろうが、溜まり溜まった誕生祝いならいいだろうさ」
「良かったですね」とテレーゼが微笑んだ。
「私も見てよろしいですか?」と彼女もお土産を手に取った。
箱を開けてテレーゼが歓声を上げた。
「それはジビラが選びました」
「ワルター様、見てください!」
テレーゼは箱から小さな銅製の置物を取り出して俺に見せた。
それ…嬉しいのか?
テレーゼの手のひらに収まる大きさの銅像は豚の姿をしていた。
寝転がった母親のお腹に、子豚たちが引っ付いて乳を吸っている。
「可愛い」とテレーゼは手のひらに乗せた銅像を撫でて、子豚を数えた。
「うふふ、子豚が12匹もいますよ」
「それが一番多かったのであやかれるかと思います」
二人の会話は繋がってるようだが、それが何だって?
「何で豚なんか寄越したんだ?」
「お前…知らんのか?」と親父は呆れたようにため息を吐いた。
「豚は多産の動物だ。子供を授かるためのお守りだ」
「ジビラから話を聞いて、ずっと欲しかったんですよ。ありがとうございます」とテレーゼは嬉しそうに豚の親子を眺めていた。
へぇ…そう…
「別に急かすつもりは無いからな。
効果があれば儲けもんだ。それに豚は家内安全や財運の意味合いもある。
まぁ、こういうものがひとつくらいあってもいいだろう?」
「…まぁ…そうだな、ありがとう」
一応、気にしてくれている、ということにしておこう…
これは考えすぎると逆に良くない…
テレーゼが喜んでるし、まぁ、良しとしよう…
俺の微妙な反応に、親父は呆れていたが、それ以上孫を催促することもなかった。
よくよく考えれば、自分も子供が少ないから俺に言えた義理ではないのだろう。
楽しみに思われてるならいいことじゃないか?
男でも女でも、親父なら喜ぶはずだ。
親父と話をしていると、シュミットがやってきて、フィーを連れてくるか確認した。
どうやらお姫様は目を覚ましたらしい。
連れてくるように頼むと、乳母に抱かれてフィーがやって来た。
フィーは親父の顔をじーと見てニコッと笑った。
どうやら親父を覚えていたらしい。
フィーの方から親父に手を伸ばした。
「おお!覚えててくれたか?!」
孫を抱いて喜ぶ親父は普通の爺さんに見えた。
「待っていたぞ、お姫様。さぁ、お土産を出してやらねばな」
親父は膝の上にフィーを乗せて、お土産を渡した。
「あー!」と声を上げて、子供はプレゼントの包みを豪快に破った。解けたリボンと包装が散らかった。
「おう!なかなか豪快だな!」
「きゃう!」
「よしよし。ほら、今回のお土産はこれだぞ」
ボロボロの包みから現れたのは可愛いクマのヌイグルミだ。
目はキラキラの青い硝子玉で、アイボリーの身体はふわふわの生地でできている。
あんたみたいな厳つい爺さんが、一体どこでそれを見つけてくるんだ?
重い荷物を下ろした男は、割と自由を満喫していた。
✩.*˚
ブルームバルトのロンメル男爵の邸宅に馬車が並んだ。
身内を集めて、男爵の誕生日を祝っているらしい。
街でもちょっとしたお祭り騒ぎだ。
領主から振る舞われた酒を手に、街中で乾杯の音頭が幾度となく上がった。
「ロンメル男爵は人気なんだな」
行商人を装って訪れた酒場の亭主に声を掛けた。
「そりゃそうさ」と亭主は自慢げに答えた。
「あんたどっから来たのか知らんが、この街じゃ《ロンメル》は《神様》みたいなもんなんだ。
ちっとばかし変わったご領主だが、話は分かるし、無茶な要求もない。
それどころか、気前良く見舞いや祝い事には金を出すし、悪党は《ロンメル》と《燕》の名前を聞いただけで逃げちまう。全く、ご領主様々だ」
「ほう…いい街だ…」
「だろう?あんたも困ったことがあれば《燕の団》に相談しな」
『《燕の団》?』
「ご領主様が立ち上げさせた傭兵団だよ。あの方は元々傭兵だったからな。
あいつらはこの街の何でも屋みたいな奴らさ。
頼んだら、用心棒から雑用まで何でもしてくれるよ」
亭主はそう言って拭いてたグラスを並べた。
「まだ、この街に来たばかりでね…
ここでも商売したいんだが、ロンメル男爵は何がお好きなんだい?」
「お好きなもの?」と亭主は首を捻った。
「あの人は贅沢もしないし、好き嫌いもないそうだからな…
まぁ、あそこに売り込むのは難しいだろうよ」
亭主の返事を聞く限り難しそうだった。
「ロンメル男爵は緩いんだがな、周りがちと厳しいんだ。特に家宰のシュミット様はご領主様方の周りを気をつけてるよ。
まぁ、そのくらいが丁度良いと思えるけどな」
参ったな…これは時間がかかりそうだ…
俺の《仕事》は難しく思えた。
「じゃぁ、顔を覚えて貰えるように頑張るかね…」と言って出された料理を口に運んだ。
《エッダ》を装って行商人としてこの街に潜入した。
目的は《冬将軍》の情報収集で、依頼主は教えられていない。
依頼主を知らないのは、《毒蜘蛛》の首領から、《手足》にまで依頼主の情報は与えないからだ。
分かっているのは、《頭》が《手足》を動かすほどの金と権力のある相手ということくらいだ…
長丁場になりそうだが、潜入する《蜘蛛》は、だいたい疑われなくなるくらいまで土地に馴染んでから、やっと仕事に取り掛かる。
下手すりゃ数年無駄にする、気の長い話だ…
情報収集をする中で、誰もが口を揃えて言うことは、ロンメル男爵は変人だが、慕われる良い領主ということだ。
さぁて…どうしようか?
このまま行商人としてしばらく頑張るか?
それとも、例の《燕の団》とかいう傭兵団に入ってみるか?
上手くいけば行商人より成果が上がりそうだ。
顔を覚えられる前なら、まだ《役》も変えられる。
《エッダ》はこういう時に便利だ。
あいつらはどこにでもいるし、なんにだってなれる。
方針は決まったので、手紙を書いて、連絡用の鳥を放った。中継役に届いたら《頭》の元に報告が届く。
明日の朝、宿を出たら姿を変えて、またこの街に戻ってこよう。
名前は…どうするかな…
《エルマー》なんてどうだろう?悪くないはずだ。
苗字は《ビーガー》とでもしよう。
《傭兵》の《エルマー・ビーガー》が生まれ落ちた。
架空の人物を作って彼の設定を頭に入れた。
人知れず、見えない《蜘蛛》の糸で、ターゲットを絡め取る巣を用意した。
✩.*˚
ずっと引っかかっていることがある。
ロンメルのお下がりの新聞に目を通しながら考え込んでいると、やってきたアダムが声をかけてきた。
「どうしたんだ、アーサー?」
「いや…大したことてはないんだが…」
「何だ?また例の獣が君にちょっかいをかけてくるのか?」
「そうじゃない。
オークランドの動きが無さすぎて、少し気味が悪いだけだ」
「確かに…あの王様にしては薄気味悪いな…」とアダムも頷いた。彼も俺と同じ亡命者だ。母国の内情が気になるのだろう。
アダムは俺の座っていた長椅子に腰掛ける許可を求めた。
少しズレて席を譲ると、彼は隣に座って新聞を覗き込んだ。
「そんな記事の新聞を読んで気が滅入らないかい?私は見てられないよ…」
「仕方ないだろ?
世事に疎くなる訳にはいかないからな…
しかし、この記事は何度読み返しても気になる」
「何がだい?」
「オフィーリア王女は芯の強い方だったと記憶している。それに反国王派のはずだ。夫を殺された恨みだってある…
その彼女を目の届かない他国に嫁がせるなど、あの王様からすれば不安要素でしかないのではないか?」
「ランチェスター公子が人質になってるとしたら難しい話ではないだろう?
あの王様のやりそうな事だ…」
「ランチェスター公子か…」
数年前に一度見たきりだ。もう六、七年は立つだろう。
7歳の成長を祝うために、ランチェスター侯爵に連れられて神殿を訪ねてきた。その時オフィーリア王女も見た。
幼い一人息子の顔立ちは母親に似ているように見えた。
ランチェスター公子の生死は不明だが、憶測だけが飛び交っていた。
「既に亡くなっていると言う者も居れば、亡命しているとの話もある。
どちらにせよ、真実は分からないが、ランチェスター公子の未来は明るくないだろうな…」
「まだお若いのに可哀想な話だ」とアダムは彼に同情した。
「もし、ランチェスター公子を手に入れた勢力があれば、オークランドはまた内戦になる。
国王派は必死だろうさ」
なんせ、ランチェスター公子の王位継承順位は現状一位だ。対抗しうる存在は、全てあの国王が消し去った。
もし順位が下がるとしたら、現国王に世継ぎが生まれた時だけだ。
現オークランド国王、ヘロデ二世の子供は王女ばかりで、一人息子は内戦のゴタゴタで失っていた。
ヘロデ二世が、自分のやり方に異を唱える息子を殺したのだろう、と噂されていた。
オークランド国王は、これ以上の面倒を避けるために、ランチェスター公子を手元に置くしかない。
ランチェスター公子を失うことがあれば、今度は遠い親戚が後継者を名乗り始める恐れがあった。
外戚となっている他国の王族が名乗り出れば、これはまた厄介だ。
新たに王子が産まれるまで、ランチェスター公子は生きることも死ぬことも許されない。
アダムでなくとも同情したくなる、悲劇の貴公子だ…
新聞で暇を潰していると、目の前にふらっと客が現れた。
「煙草が吸いたくてな」と宴の席を抜け出してきた男は、そう言って煙草を取り出した。
彼の傍らに着いて歩く少年の姿はなかった。
「連れは置いてきたのか?」
「あぁ、まぁ、煙草を吸いに来ただけだしな。ケヴィンらと楽しくやってるよ」と答えて、ヨナタンは長椅子の手摺に腰を下ろした。
「悪い、座ってくれ」
「いいさ、吸ったら行く」
「あんたはロンメル男爵の客だ。掛けてくれ」
新聞を片付けて席を開けると、ヨナタンは礼を言って座った。
ヨナタンは煙草をくゆらしながら、俺の持っていた新聞の束に手を伸ばした。
「オークランドの記事か?」
ヨナタンはそう訊ねて、新聞の一束を抜き取って広げた。
「最近少し動きがあったな」
「あぁ」と頷くと、彼は「聞かせてくれよ」と情報を強請った。
「オフィーリア王女って再婚だろ?外国に渡しちまって良いのか?」
「まぁ、一番高く売れる所に売ったんだろうさ」と曖昧に答えた。
「へぇ、彼女美人か?」
「美人ですよ。十代半ばの息子がいるようには見えませんね」と、傍らで会話を聞いていたアダムが答えた。
「会ったことあるのか?」
「私はルフトゥキャピタルの神殿にいましたから、何度かお目にかかる機会はありました」
「アーサーもか?」
「随分前に一度だけな…
ランチェスター侯爵一家で神殿に来たことがある。その時に案内を頼まれたから、少し話したことがある程度だ」
「…なるほど」
ヨナタンはそう呟くと煙草を咥えた。
チリチリと焦げる煙草の先が灰に変わる。短くなった煙草を捨てて、ヨナタンは新しい煙草を手に取った。
彼は新しい煙草を指先で遊んで、俺たちに質問した。
「お前ら、どう思ってんだ?」
「何が?」
「そのランチェスターさ。
侯爵は死んで、嫁さんは外国に追い出されて、息子はどうなったと思う?」
「さぁな。そこまで知らんよ」
「お前らなら何か知ってるんじゃないか?」
適当にあしらったが、ヨナタンは追求を止めなかった。さして面白くもない、金にもならない話だ。
「ヨナタン。あんたがその話に首を突っ込んで、何か得があるのか?
らしくない詮索はやめておけよ」
「俺の個人的な好奇心だ、悪いか?」
「あんたなぁ…そういうの良くないぜ…」
呆れてため息を返すと、彼は今度はアダムに質問した。
「ランチェスター公子はどんな子だ?」
「そうですね。正直な話、印象しか残ってませんが、確か母親に似てたかと思いますよ。
大人しい印象の少年でした」
「ランチェスター公子に味方する勢力もあるのか?」
「どうでしょうね?
今の状況をひっくり返したいと思っている勢力はあるでしょうが、表立って動く方はないでしょう。
オフィーリア王女も他国に流れてしまいましたし、ランチェスター公子の立場はかなり危ういかと思います」
「…そうか」
「まぁ、だからと言って、国王はランチェスター公子を殺すこともできません。
今、ランチェスター公子が亡くなれば、困るのは現国王です。
しばらくは、生かさず殺さずといったところでしょう」
「なるほどな…分かった」
アダムの話に満足したのか、ヨナタンは頷くと弄んでいた煙草を片付けて席を立った。
「邪魔して悪かったな」
「戻るのか?」
「アルドが待ってる。面白い話が聞けた、ありがとよ」
ヨナタンは礼を言って立ち去ろうとして、思い出したように足を止めた。
「そうだ…お前ら二人には悪いんだが、アルドに構わないでやってくれないか?
あいつはオークランドの奴に酷い扱いを受けていたらしい。できる限りそっとしておいてやってくれ」
「なるほどな」と頷いた。
前に来た時から、俺やアダムに怯えて、避けるような様子を見せていたのはそのためか…
昔のスーに重なった。スーがアルドに構うのはそのためか?
「ご心配なく。怖がる子供にちょっかいを出したりはしませんよ」とアダムが答えると、ヨナタンは頷いてまた来た道を戻って行った。
「…なんだったんだ?」
「さあ?私や君がお節介を焼いて、恋人を怖がらせないように釘をさして行ったんだろ?」
「だとしても、何でランチェスター家の話が出てくる?」
「そんなのたまたまだろう?最近新聞を騒がせていたから気になっただけさ」
アダムは楽観的な考えで、俺の感じた違和感を否定した。
本当にそれだけか?
確認したい気持ちに駆られたが、彼を問い質す権限は俺にはない。彼は顔見知りとはいえ、一応、俺たちの主人の客だ。
拭いきれない違和感を無理やり押さえ込んで、言葉を飲み込んだ。
✩.*˚
別に何がしたい訳でもないが、これは俺の誕生会なんだがな…
いつも体裁だけは整うように、こじんまりとした集まりで済ませてたのだが、今回は面倒な客が増えた。
「可愛い~」
「天使ですわ~」
「おお!髪留めは使ってくれてるな!」
リューデル伯爵家に混ざって、あの背の高い令嬢までいる。テレーゼが招待したらしい。
俺の誕生会はフィーを愛でる会に変わった。
別にいいけど…
「閣下、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとうよ、ケッテラー…」
「フィリーネお嬢様は人気ですね。
また少し大きくなりましたか?」
「よく動くし、よく食べるからな。
なかなかお転婆に磨きがかかってるよ」とフィーの成長を教えると、ケッテラーは嬉しそうに目を細めた。
「お前も後で抱っこしろよ」
「いえ…私は…」
「一応兄貴だ。抱っこしても構わねぇだろ?」
彼は一応肩書きとしてはロンメルの養子だ。すぐに変わってしまう肩書きではあるが、今の間だけならいいだろう。
フィーは人見知りはほとんどしないし、愛想の良い子だ。
皆に可愛がられて笑顔を振りまいていた。
ケッテラーの背中を押して送り出すと、彼はアダリーシア嬢に並んで、彼女からフィーを受け取って抱いていた。
あーあー、俺の娘なんだがなぁ…
しばらく返して貰えそうにない。
拗ねていると、テレーゼがやってきて俺の隣に並んだ。
「ふふ、どうしましたか?そんなお顔で」と彼女は、俺の面白くなさそうな顔を指摘した。
「フィーも楽しんでますよ。皆さんに可愛がってもらえてご機嫌ですわ」
「あのまま連れて帰られないかヒヤヒヤしてるよ…」
「あら、大変」と言いながらテレーゼは口元を隠しながら笑った。
あー、もう可愛いなぁ…
彼女の笑顔を見てるだけで幸せな気分になる。
なんなら誕生日だって、彼女と二人きりで過ごせたら万々歳なのに…
やっぱり貴族なんてなるもんじゃねぇなぁ…
「旦那様、奥様」
不遜な考えをめぐらしているととシュミットが来客を伝えた。
「ヴェルフェル侯爵閣下がお見えです。それと陛下の名代で、レーヴァクーゼン伯爵閣下もご一緒です」
一応手紙でレーヴァクーゼン伯爵の訪問は伝えられていたが、パウル様と一緒だったか…
「お出迎えしなければいけませんね」とテレーゼが笑って、俺の腕を引いた。
エントランスに出て到着した二人を出迎えた。
「おめでとう、男爵」とパウル様は祝辞を述べて手を差し出した。
「ありがとうございます」とその手を握った。
「今日はガブリエラの代わりに、彼を連れてきたよ」
侯爵はそう言って、若い伯爵に場所を譲った。
「お久しぶりです、男爵。今日は陛下と妃殿下の名代で参りました。お誕生日おめでとうございます」
挨拶をするレーヴァクーゼン伯爵の腰には、俺の渡した剣が下がっていた。それが少し嬉しかった。
「ありがとうございます、殿下。
何も無い田舎で、大したおもてなしは出来ませんが、ゆっくりお楽しみいただければ幸いです」
「楽しみにしております」と答える王子は、弟とは違って、偉ぶる様子もなく礼儀正しい。
彼は相変わらずテレーゼの体調も心配してくれた。
二人を広間に案内すると、パウル様はリューデル伯爵と挨拶を交わしていた。
招待客が揃うと、挨拶をして晩餐会からの交流会となる。
特に珍しいものもないが、皆、割と楽しんでくれているようだ。
「ワルター様、ユリアの準備が出来ましたよ」とテレーゼがユリアの着替えを済ませて連れて来た。
緊張した面持ちのユリアは、淡いピンク色のドレスでお辞儀をした。
「旦那様、ドレスありがとう」
「あぁ、似合ってるぞ」と返事をすると、少女は恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「じゃあ行くか?」
ユリアに声をかけると、幼い顔が緊張で強ばった。笑顔がなくなったらいつものユリアじゃない。
「ユリア、お前緊張してるのか?」
「…だって…こんなドレス初めてだし、ユリア変じゃない?笑われないかな?」
「何言ってんだよ?可愛いさ。
お前はラウラに似て美人だよ」と彼女の自信になりそうな事を言った。
笑顔のテレーゼが固くなったユリアの頬をつついた。
「ほら、ユリア。そんな顔しないで、笑ってちょうだい。
貴女の笑顔は皆を幸せにする笑顔よ」
「本当に?」
「そうよ。だから笑顔でご挨拶しましょうね」
テレーゼはそう言って、ユリアを落ち着かせるように肩に手を添えた。
「貴女は立派な淑女よ」なんて、お前に言われたら女の子は誰でも信じちまうよ。
「ワルター様、ユリアのエスコートをお願いします」
テレーゼに促されて、ユリアに腕を差し出した。
小さな手が俺の腕を掴んだ。
なんか昔のテレーゼみたいだ。思い出して一人でひっそり笑った。
ユリアを連れてバルテル卿に挨拶に向かった。
バルテル卿の傍らにはバルテル夫人と、ユリアより緊張した顔の少年の姿があった。
「お招き頂きありがとうございます」とバルテル卿が挨拶をすると、奥方と息子は頭を下げた。
「ユリア・シュミットです」
俺の腕から離れた少女のお辞儀に、少年の目が釘付けになる。
「アダルウィン。とても素敵なお嬢さんですね」と母親が声をかけると、少年は頬や耳を赤く染めた。
ガキだなぁ…と思いながら微笑ましく見守っていると、バルテル卿が息子の背を押して、ユリアの前に押し出した。
「…こ、こんばんは」
真っ赤な顔の少年はユリアに挨拶した。
少年は精一杯勇気を振り絞って少女に言葉をかけた。
「あの…ドレス…よく似合ってます」
「本当?!」
気を良くしたユリアがアダルウィン少年に笑顔を向けた。
ユリアは男の子と喋るのは慣れている。目の前の少年も、変に意識しなければ友達みたいな感覚なのだろう。
むしろ、問題なのはユリアより目も合わせられない少年の方だ。
「良かったわね、ユリア」テレーゼの言葉に、ユリアは笑顔で頷いた。
少年の様子から、彼がユリアを気に入っているのは間違いなさそうだ。
「二人とも、せっかくお会い出来たのだから、お話したらどうかしら?」
テレーゼの提案で、テレーゼとバルテル夫人の付き添いで、二人は席を外した。
子供たちを見送ると、バルテル卿が口を開いた。
「良い場を設けていただき、ありがとうございます」
「俺は呼んだだけですよ。後はバルテル卿のご子息次第でしょう?」
「まだ、子供です。男ばかりで女の子を知らない少年ですよ。嫌われなければ良いのですが…」
「ユリアはまだ友達くらいにしか思ってないはずです。まぁ、これから少しずつ変わるでしょう?」
俺たちだって、最初は夫婦になるつもりなんか無かったんだ。色々あって、今に落ち着いたんだ…
アイツらまだこれからだろう?
「さて、子守りも済んだし、パーティーを楽しんで下さい」
「では、私は侯爵のお傍に控えております」と生真面目に答える彼に呆れた。
「バルテル卿、あんたそればっかりだ…」
「それが私の生き甲斐ですので。妻も私の留守を自由に過ごしてます」
はぁ、そういう夫婦もあるのね…
味気ないもんだな…
俺の内心を察したように、バルテル卿は静かに自嘲するように笑った。
「我々夫婦は元よりそのような感じです。
私はヴェルフェル侯爵の良い臣を志しましたが、良い父にはなりえませんでした」
そう自嘲する男の視線は、息子たちの立ち去った方向を見ていた。
「ブルームバルトは良い所だと思っています。
息子をよろしくお願いいたします」
バルテル卿はそう言うと、一礼して去って言った。彼は言った通り、パウル様の傍らで足を止めた。
バルテル卿、あんたそれで厳しい親父のつもりかい?
そう思って格好つけて立ち去った男を笑った。
ユリアを息子の嫁に選ぶなんてお目が高い。
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