燕の軌跡

猫絵師

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誕生会

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暖かい…

ヨナタンは僕を《捨てない》と言ってくれた。

隣で寝ている彼は、僕の秘密を知ってもいつもの彼だった。

ヨナタンは僕の話を信じていないわけではなかった。

『今ある用事が片付いたら、フリッツに暇を貰う。あいつに迷惑はかけられない』

彼はそう言って、自分が積み上げてきたものを簡単に手放そうとした。

僕は大事なことを彼に隠していたのに…

僕は彼に何も返せないのに…

『知ってるよ。何も無いから、助けが必要だから助けてやるんだろ?』

彼が望んだのは、僕が《アルド》として一緒に居ることだけだ。それで良いのならと、彼の願いに僕は頷いた。

『危険かもしれないが、最後にもう一度だけブルームバルトに行こう。

お前の身体を治せるかもしれない人がそこにいる。

治療してもらえる保証は無いが、それでも賭けるだけの価値はある』

ヨナタンはそう言って、真実を伏せたまま団長に交渉して、ブルームバルト行きの許可を貰った。

元々ブルームバルトに行く用事があったから、同行させてもらう事になった。

身内を集めて、ロンメル男爵の誕生日を祝うらしい。大御所様と団長が参加するはずだったのだが、団長がヨナタンに譲ってくれた。

団長は『治してもらえるといいな』と言って、大きな手で僕の頭を撫でた。

団長にも色々世話になっていたけれど、何も返せていない。

ヨナタンにそう伝えると、彼は『いらねぇよ』と笑った。

『あいつはお前から何か貰うほど困っちゃいないさ。むしろ世話を焼くのが好きなんだ。好きにさせてやれ』

いい人たちだ…

だからこそ、利用しているみたいで罪悪感が沸いた。

どうして彼に真実を教えてしまったのだろう…黙っていれば良かったのに…

狭いベッドの中で身じろぐと、それに気付いたヨナタンが目を覚ました。

彼は僕が逃げると思ったのか、腕を伸ばすと僕を引き寄せた。

「寝ろよ…明日も仕事があるんだ…」

煙草の匂いのする彼の懐は暖かかった。

眠そうな彼に自分から接吻くちづけた。

彼はそんなささやかな事を喜んでくれる。

彼からも接吻をくれた。優しい手のひらが頭を撫でてくれる。

「寝よう」とヨナタンはいつもの感じで言って、僕の頭の下に腕を回した。

彼の腕を枕に頭を預けた。

他人と寝るのが暖かいなんて、彼と過ごして初めて知った。

「…アルド」ヨナタンの声が僕を呼んだ。

「明日…また、起こしてくれ…」

彼は簡単なお願いを残して、僕を抱き直すとまた眠りについた。

明日のことを頼むなんてずるいよ…

僕にできることなら、叶えたいと思ってしまう。

だって僕もこのままでいたいから…

君の隣に居られる言い訳を探してる僕に、そのお願いを断ることは無理だよ…

✩.*˚

「グスタフ!久しぶりだね!」スーが久しぶりに顔を合わせた親父に懐っこく声をかけた。

付き添いのウェリンガーと一緒に馬車を降りてきた親父は、賑やかな出迎えを喜んでいた。

「元気か、グスタフ」

スーを押しのけたゲルトが親父に挨拶した。

親父も久しぶりに顔を合わせた親友とハグをして、再会を喜んでいた。

「お前も元気だったか?」

「病気なんかする余裕もねぇよ。良いようにこき使われてる」

「そいつは残念だったな」と親父はゲルトに同情した。

「また後で飲もう」と約束して、ゲルトは親父を俺に譲った。

「よぉ、久しぶり」と親父に声をかけた。

親父は俺のなりを上から下まで見て苦く笑った。

「何だ?随分見ないうちに小綺麗になって…偉そうになったじゃねぇか?見間違えたぞ?」

「俺の趣味じゃねえよ、こんなのしかないから仕方ねぇだろ?」と言い返すと親父は「そうだろうな」と笑った。

「さて、俺はお前に用事なんてねぇんだ。可愛い孫娘を出してもらおうか?」

親父は図々しくフィーを要求した。

「残念ながら、ウチのお姫様はお昼寝中だ。

諦めてもらおうか」と冗談交じりに親父の要求を突っぱねた。

「寝顔でもいいぞ」

「馬鹿言え。嫁入り前のお嬢様の寝顔なんて見せられるかよ。

フィーが起きるまで茶でも飲んで待ってろ」

「やれやれ…せっかく玩具とドレスを用意したんだがな…」

「起こしてまですることじゃないだろ?

ウチのお姫様は寝起きが悪いんだ。へそ曲げたら困るんでな」

「なるほど。ご機嫌を取るつもりが悪くなるってか?」

「そういうことだ。荷物は部屋に運ばせる。

フィーの前に、あんたの事を待っているウチの別嬪さんにご挨拶願おうか。

フリッツの奴はどうした?別か?」

「あいつは今回は留守番だ。ヨナタンがどうしても来ると言ったんで譲った」

「ヨナタンが?」あいつが我儘を言うなんて珍しい。荷物を持って馬車から降りてきたヨナタンは誰かを連れていた。

馬車から降りてきた二人の姿を見つけて、スーが寄って行って話しかけていた。

「前回の用事が済んでないらしくてな」と言って親父は大声でヨナタンらを呼んだ。

そういえばスーがそんな事を言ってた気がする。

「久しぶりだな、ワルター」とヨナタンは友人として挨拶した。彼は連れていた若い男を紹介した。

「俺の恋人のアルドだ」

「あぁ。スーから聞いてる」と答えて、「よろしくな、アルド」と彼に手を差し出した。

アルドは整った顔を緊張で強ばらせていた。

俺はそんなに怖く映ってるのか?

真っ直ぐに引き結んだ口元は動かないままだ。

「ワルター、彼は喋れないんだ」とスーがそう言ってアルドの顔を覗き込んだ。

「大丈夫だよ。握手しな」

スーに促されて、アルドはおずおずと手を出して、俺の差し出した手を握った。

「ワルター、相談がある。後で時間を取れるか?」と横からヨナタンが訊ねた。

「あぁ、二人でか?」

「そうして貰えると助かる」

「分かった。また後でな。お前も少し休めよ」

「すまん…」とヨナタンは小声で謝罪を口にした。その様子に何か違和感を覚えた。

勘でしかないが、ヨナタンの相談に関係することだろう…

「ワルター、二人は俺が部屋に案内するよ。君はグスタフと話があるだろ?

テレーゼも待ってるから早く中に入れよ」とスーに気を使われた。

確かに、こんなところで突っ立って話をする必要は無い。

スーにヨナタンらと荷物を任せて、親父とウェリンガーを連れて応接間に向かった。

部屋で待っていたテレーゼが親父を見て笑顔で迎えた。

「お待ちしておりました、お義父様」

「お久しぶりです、テレーゼ様。

お身体の具合はいかがでしょう?」

親父はさっきまでの粗野な部分を引っ込めて、礼儀正しく挨拶した。息子と嫁の切り替えがエグい…

テレーゼは親父にソファを勧めて、アンネにお茶の用意を頼んだ。

「体調は良いのですが、ワルター様が外でお迎えするのをお許し下さらなくて…

御無礼で申し訳ありません」

「いやいや、無理をしては身体に良くありません。身体が冷えてたら大変だ。どうぞご自愛ください」

親父はテレーゼを気遣って、俺には「お前にしては上出来だ」と偉そうに言った。

アンネがティーワゴンを用意して、机にお茶を並べた。

「ありがとう、アンネ嬢」と親父はアンネにも声をかけた。話しかけられたアンネは慌てて親父に頭を下げた。

「テレーゼ様を支えてくれて感謝する。アンネ嬢の献身の結果だな」

「も、勿体ないお言葉です…」と答えて、アンネは部屋の隅に下がった。

「おい。息子の家の若いメイドを口説くなよ」と苦言を呈すると、親父は紅茶を手に怪訝そうに眉を寄せた。

「口説くとは違うだろう?

俺は、アンネ嬢はテレーゼ様を良く支えている、と褒めたたけだ。

ドライファッハでも、テレーゼ様を献身的に支えていた。良いメイドだ。お前もああいう使用人は大事にすることだ」と親父は偉そうに言った。

「ワルター様は家人に良くしてくださっていますわ」

「ならば良かった」と頷いて親父は紅茶を口に運んだ。

親父はウェリンガーを呼んで、手土産を机に並べた。

「お気に召すかは分かりませんが、ドライファッハからの土産です。どうぞお受け取りください」

「ありがとうございます。何でしょうか?」

「奥様のは置物です。寝室に飾られるとよろしいでしょう。

ワルター、お前のは見たまんまだ」

親父は相変わらずテレーゼには丁寧に対応して、俺の事は雑に扱った。

「誕生祝いだ」と貰ったのはシンプルな造りのダガーだ。

無駄に華美な装飾のある物よりこういうのの方がいい。古びたダガーにはオレンジ色の宝石が嵌め込まれているだけで、他に装飾はない。

「あぁ、使いやすそうだ。ありがとう」

「お前の曾祖父さんのものだ」と親父はダガーの出処を教えた。

「は?そんなもの俺なんかが貰っていいのか?」

《雷光のカール》の遺品ならビッテンフェルト家の家宝のはずだ。他所に婿に出た俺が貰うのは筋違いだ。

親父は俺の反応を予測済みだったようだ。

「いいんだ。それは元々お前にやるつもりだったもんだ」と親父は俺にダガーを受け取るように諭した。

「剣と甲冑はやれんがな…

まあ、同じ《英雄》として渡してもいいだろう。フリッツには話して了承済みだ。

何も無いのに渡すのは問題だろうが、溜まり溜まった誕生祝いならいいだろうさ」

「良かったですね」とテレーゼが微笑んだ。

「私も見てよろしいですか?」と彼女もお土産を手に取った。

箱を開けてテレーゼが歓声を上げた。

「それはジビラが選びました」

「ワルター様、見てください!」

テレーゼは箱から小さな銅製の置物を取り出して俺に見せた。

それ…嬉しいのか?

テレーゼの手のひらに収まる大きさの銅像は豚の姿をしていた。

寝転がった母親のお腹に、子豚たちが引っ付いて乳を吸っている。

「可愛い」とテレーゼは手のひらに乗せた銅像を撫でて、子豚を数えた。

「うふふ、子豚が12匹もいますよ」

「それが一番多かったのであやかれるかと思います」

二人の会話は繋がってるようだが、それが何だって?

「何で豚なんか寄越したんだ?」

「お前…知らんのか?」と親父は呆れたようにため息を吐いた。

「豚は多産の動物だ。子供を授かるためのお守りだ」

「ジビラから話を聞いて、ずっと欲しかったんですよ。ありがとうございます」とテレーゼは嬉しそうに豚の親子を眺めていた。

へぇ…そう…

「別に急かすつもりは無いからな。

効果があれば儲けもんだ。それに豚は家内安全や財運の意味合いもある。

まぁ、こういうものがひとつくらいあってもいいだろう?」

「…まぁ…そうだな、ありがとう」

一応、気にしてくれている、ということにしておこう…

これは考えすぎると逆に良くない…

テレーゼが喜んでるし、まぁ、良しとしよう…

俺の微妙な反応に、親父は呆れていたが、それ以上孫を催促することもなかった。

よくよく考えれば、自分も子供が少ないから俺に言えた義理ではないのだろう。

楽しみに思われてるならいいことじゃないか?

男でも女でも、親父なら喜ぶはずだ。

親父と話をしていると、シュミットがやってきて、フィーを連れてくるか確認した。

どうやらお姫様は目を覚ましたらしい。

連れてくるように頼むと、乳母に抱かれてフィーがやって来た。

フィーは親父の顔をじーと見てニコッと笑った。

どうやら親父を覚えていたらしい。

フィーの方から親父に手を伸ばした。

「おお!覚えててくれたか?!」

孫を抱いて喜ぶ親父は普通の爺さんに見えた。

「待っていたぞ、お姫様。さぁ、お土産を出してやらねばな」

親父は膝の上にフィーを乗せて、お土産を渡した。

「あー!」と声を上げて、子供はプレゼントの包みを豪快に破った。解けたリボンと包装が散らかった。

「おう!なかなか豪快だな!」

「きゃう!」

「よしよし。ほら、今回のお土産はこれだぞ」

ボロボロの包みから現れたのは可愛いクマのヌイグルミだ。

目はキラキラの青い硝子玉で、アイボリーの身体はふわふわの生地でできている。

あんたみたいな厳つい爺さんが、一体どこでそれを見つけてくるんだ?

重い荷物を下ろした男は、割と自由を満喫していた。

✩.*˚

ブルームバルトのロンメル男爵の邸宅に馬車が並んだ。

身内を集めて、男爵の誕生日を祝っているらしい。

街でもちょっとしたお祭り騒ぎだ。

領主から振る舞われた酒を手に、街中で乾杯の音頭が幾度となく上がった。

「ロンメル男爵は人気なんだな」

行商人を装って訪れた酒場の亭主に声を掛けた。

「そりゃそうさ」と亭主は自慢げに答えた。

「あんたどっから来たのか知らんが、この街じゃ《ロンメル》は《神様》みたいなもんなんだ。

ちっとばかし変わったご領主だが、話は分かるし、無茶な要求もない。

それどころか、気前良く見舞いや祝い事には金を出すし、悪党は《ロンメル》と《燕》の名前を聞いただけで逃げちまう。全く、ご領主様々だ」

「ほう…いい街だ…」

「だろう?あんたも困ったことがあれば《燕の団》に相談しな」

『《燕の団》?』

「ご領主様が立ち上げさせた傭兵団だよ。あの方は元々傭兵だったからな。

あいつらはこの街の何でも屋みたいな奴らさ。

頼んだら、用心棒から雑用まで何でもしてくれるよ」

亭主はそう言って拭いてたグラスを並べた。

「まだ、この街に来たばかりでね…

ここでも商売したいんだが、ロンメル男爵は何がお好きなんだい?」

「お好きなもの?」と亭主は首を捻った。

「あの人は贅沢もしないし、好き嫌いもないそうだからな…

まぁ、あそこに売り込むのは難しいだろうよ」

亭主の返事を聞く限り難しそうだった。

「ロンメル男爵は緩いんだがな、周りがちと厳しいんだ。特に家宰のシュミット様はご領主様方の周りを気をつけてるよ。

まぁ、そのくらいが丁度良いと思えるけどな」

参ったな…これは時間がかかりそうだ…

俺の《仕事》は難しく思えた。

「じゃぁ、顔を覚えて貰えるように頑張るかね…」と言って出された料理を口に運んだ。

《エッダ》を装って行商人としてこの街に潜入した。

目的は《冬将軍》の情報収集で、依頼主は教えられていない。

依頼主を知らないのは、《毒蜘蛛》の首領から、《手足》にまで依頼主の情報は与えないからだ。

分かっているのは、《頭》が《手足》を動かすほどの金と権力のある相手ということくらいだ…

長丁場になりそうだが、潜入する《蜘蛛》は、だいたい疑われなくなるくらいまで土地に馴染んでから、やっと仕事に取り掛かる。

下手すりゃ数年無駄にする、気の長い話だ…

情報収集をする中で、誰もが口を揃えて言うことは、ロンメル男爵は変人だが、慕われる良い領主ということだ。

さぁて…どうしようか?

このまま行商人としてしばらく頑張るか?

それとも、例の《燕の団》とかいう傭兵団に入ってみるか?

上手くいけば行商人より成果が上がりそうだ。

顔を覚えられる前なら、まだ《役》も変えられる。

《エッダ》はこういう時に便利だ。

あいつらはどこにでもいるし、なんにだってなれる。

方針は決まったので、手紙を書いて、連絡用の鳥を放った。中継役に届いたら《頭》の元に報告が届く。

明日の朝、宿を出たら姿を変えて、またこの街に戻ってこよう。

名前は…どうするかな…

《エルマー》なんてどうだろう?悪くないはずだ。

苗字は《ビーガー》とでもしよう。

《傭兵》の《エルマー・ビーガー》が生まれ落ちた。

架空の人物を作って彼の設定を頭に入れた。

人知れず、見えない《蜘蛛》の糸で、ターゲットを絡め取る巣を用意した。

✩.*˚

ずっと引っかかっていることがある。

ロンメルのお下がりの新聞に目を通しながら考え込んでいると、やってきたアダムが声をかけてきた。

「どうしたんだ、アーサー?」

「いや…大したことてはないんだが…」

「何だ?また例の獣が君にちょっかいをかけてくるのか?」

「そうじゃない。

オークランドの動きが無さすぎて、少し気味が悪いだけだ」

「確かに…あの王様にしては薄気味悪いな…」とアダムも頷いた。彼も俺と同じ亡命者だ。母国の内情が気になるのだろう。

アダムは俺の座っていた長椅子に腰掛ける許可を求めた。

少しズレて席を譲ると、彼は隣に座って新聞を覗き込んだ。

「そんな記事の新聞を読んで気が滅入らないかい?私は見てられないよ…」

「仕方ないだろ?

世事に疎くなる訳にはいかないからな…

しかし、この記事は何度読み返しても気になる」

「何がだい?」

「オフィーリア王女は芯の強い方だったと記憶している。それに反国王派のはずだ。夫を殺された恨みだってある…

その彼女を目の届かない他国に嫁がせるなど、あの王様からすれば不安要素でしかないのではないか?」

「ランチェスター公子が人質になってるとしたら難しい話ではないだろう?

あの王様のやりそうな事だ…」

「ランチェスター公子か…」

数年前に一度見たきりだ。もう六、七年は立つだろう。

7歳の成長を祝うために、ランチェスター侯爵に連れられて神殿を訪ねてきた。その時オフィーリア王女も見た。

幼い一人息子の顔立ちは母親に似ているように見えた。

ランチェスター公子の生死は不明だが、憶測だけが飛び交っていた。

「既に亡くなっていると言う者も居れば、亡命しているとの話もある。

どちらにせよ、真実は分からないが、ランチェスター公子の未来は明るくないだろうな…」

「まだお若いのに可哀想な話だ」とアダムは彼に同情した。

「もし、ランチェスター公子を手に入れた勢力があれば、オークランドはまた内戦になる。

国王派は必死だろうさ」

なんせ、ランチェスター公子の王位継承順位は現状一位だ。対抗しうる存在は、全てあの国王が消し去った。

もし順位が下がるとしたら、現国王に世継ぎが生まれた時だけだ。

現オークランド国王、ヘロデ二世の子供は王女ばかりで、一人息子は内戦のゴタゴタで失っていた。

ヘロデ二世が、自分のやり方に異を唱える息子を殺したのだろう、と噂されていた。

オークランド国王は、これ以上の面倒を避けるために、ランチェスター公子を手元に置くしかない。

ランチェスター公子を失うことがあれば、今度は遠い親戚が後継者を名乗り始める恐れがあった。

外戚となっている他国の王族が名乗り出れば、これはまた厄介だ。

新たに王子が産まれるまで、ランチェスター公子は生きることも死ぬことも許されない。

アダムでなくとも同情したくなる、悲劇の貴公子だ…

新聞で暇を潰していると、目の前にふらっと客が現れた。

「煙草が吸いたくてな」と宴の席を抜け出してきた男は、そう言って煙草を取り出した。

彼の傍らに着いて歩く少年の姿はなかった。

「連れは置いてきたのか?」

「あぁ、まぁ、煙草を吸いに来ただけだしな。ケヴィンらと楽しくやってるよ」と答えて、ヨナタンは長椅子の手摺に腰を下ろした。

「悪い、座ってくれ」

「いいさ、吸ったら行く」

「あんたはロンメル男爵の客だ。掛けてくれ」

新聞を片付けて席を開けると、ヨナタンは礼を言って座った。

ヨナタンは煙草をくゆらしながら、俺の持っていた新聞の束に手を伸ばした。

「オークランドの記事か?」

ヨナタンはそう訊ねて、新聞の一束を抜き取って広げた。

「最近少し動きがあったな」

「あぁ」と頷くと、彼は「聞かせてくれよ」と情報を強請った。

「オフィーリア王女って再婚だろ?外国に渡しちまって良いのか?」

「まぁ、一番高く売れる所に売ったんだろうさ」と曖昧に答えた。

「へぇ、彼女美人か?」

「美人ですよ。十代半ばの息子がいるようには見えませんね」と、傍らで会話を聞いていたアダムが答えた。

「会ったことあるのか?」

「私はルフトゥキャピタルの神殿にいましたから、何度かお目にかかる機会はありました」

「アーサーもか?」

「随分前に一度だけな…

ランチェスター侯爵一家で神殿に来たことがある。その時に案内を頼まれたから、少し話したことがある程度だ」

「…なるほど」

ヨナタンはそう呟くと煙草を咥えた。

チリチリと焦げる煙草の先が灰に変わる。短くなった煙草を捨てて、ヨナタンは新しい煙草を手に取った。

彼は新しい煙草を指先で遊んで、俺たちに質問した。

「お前ら、どう思ってんだ?」

「何が?」

「そのランチェスターさ。

侯爵は死んで、嫁さんは外国に追い出されて、息子はどうなったと思う?」

「さぁな。そこまで知らんよ」

「お前らなら何か知ってるんじゃないか?」

適当にあしらったが、ヨナタンは追求を止めなかった。さして面白くもない、金にもならない話だ。

「ヨナタン。あんたがその話に首を突っ込んで、何か得があるのか?

らしくない詮索はやめておけよ」

「俺の個人的な好奇心だ、悪いか?」

「あんたなぁ…そういうの良くないぜ…」

呆れてため息を返すと、彼は今度はアダムに質問した。

「ランチェスター公子はどんな子だ?」

「そうですね。正直な話、印象しか残ってませんが、確か母親に似てたかと思いますよ。

大人しい印象の少年でした」

「ランチェスター公子に味方する勢力もあるのか?」

「どうでしょうね?

今の状況をひっくり返したいと思っている勢力はあるでしょうが、表立って動く方はないでしょう。

オフィーリア王女も他国に流れてしまいましたし、ランチェスター公子の立場はかなり危ういかと思います」

「…そうか」

「まぁ、だからと言って、国王はランチェスター公子を殺すこともできません。

今、ランチェスター公子が亡くなれば、困るのは現国王です。

しばらくは、生かさず殺さずといったところでしょう」

「なるほどな…分かった」

アダムの話に満足したのか、ヨナタンは頷くと弄んでいた煙草を片付けて席を立った。

「邪魔して悪かったな」

「戻るのか?」

「アルドが待ってる。面白い話が聞けた、ありがとよ」

ヨナタンは礼を言って立ち去ろうとして、思い出したように足を止めた。

「そうだ…お前ら二人には悪いんだが、アルドに構わないでやってくれないか?

あいつはオークランドの奴に酷い扱いを受けていたらしい。できる限りそっとしておいてやってくれ」

「なるほどな」と頷いた。

前に来た時から、俺やアダムに怯えて、避けるような様子を見せていたのはそのためか…

昔のスーに重なった。スーがアルドに構うのはそのためか?

「ご心配なく。怖がる子供にちょっかいを出したりはしませんよ」とアダムが答えると、ヨナタンは頷いてまた来た道を戻って行った。

「…なんだったんだ?」

「さあ?私や君がお節介を焼いて、恋人を怖がらせないように釘をさして行ったんだろ?」

「だとしても、何でランチェスター家の話が出てくる?」

「そんなのたまたまだろう?最近新聞を騒がせていたから気になっただけさ」

アダムは楽観的な考えで、俺の感じた違和感を否定した。

本当にそれだけか?

確認したい気持ちに駆られたが、彼を問い質す権限は俺にはない。彼は顔見知りとはいえ、一応、俺たちの主人の客だ。

拭いきれない違和感を無理やり押さえ込んで、言葉を飲み込んだ。

✩.*˚

別に何がしたい訳でもないが、これは俺の誕生会なんだがな…

いつも体裁だけは整うように、こじんまりとした集まりで済ませてたのだが、今回は面倒な客が増えた。

「可愛い~」

「天使ですわ~」

「おお!髪留めは使ってくれてるな!」

リューデル伯爵家に混ざって、あの背の高い令嬢までいる。テレーゼが招待したらしい。

俺の誕生会はフィーを愛でる会に変わった。

別にいいけど…

「閣下、お誕生日おめでとうございます」

「ありがとうよ、ケッテラー…」

「フィリーネお嬢様は人気ですね。

また少し大きくなりましたか?」

「よく動くし、よく食べるからな。

なかなかお転婆に磨きがかかってるよ」とフィーの成長を教えると、ケッテラーは嬉しそうに目を細めた。

「お前も後で抱っこしろよ」

「いえ…私は…」

「一応兄貴だ。抱っこしても構わねぇだろ?」

彼は一応肩書きとしてはロンメルの養子だ。すぐに変わってしまう肩書きではあるが、今の間だけならいいだろう。

フィーは人見知りはほとんどしないし、愛想の良い子だ。

皆に可愛がられて笑顔を振りまいていた。

ケッテラーの背中を押して送り出すと、彼はアダリーシア嬢に並んで、彼女からフィーを受け取って抱いていた。

あーあー、俺の娘なんだがなぁ…

しばらく返して貰えそうにない。

拗ねていると、テレーゼがやってきて俺の隣に並んだ。

「ふふ、どうしましたか?そんなお顔で」と彼女は、俺の面白くなさそうな顔を指摘した。

「フィーも楽しんでますよ。皆さんに可愛がってもらえてご機嫌ですわ」

「あのまま連れて帰られないかヒヤヒヤしてるよ…」

「あら、大変」と言いながらテレーゼは口元を隠しながら笑った。

あー、もう可愛いなぁ…

彼女の笑顔を見てるだけで幸せな気分になる。

なんなら誕生日だって、彼女と二人きりで過ごせたら万々歳なのに…

やっぱり貴族なんてなるもんじゃねぇなぁ…

「旦那様、奥様」

不遜な考えをめぐらしているととシュミットが来客を伝えた。

「ヴェルフェル侯爵閣下がお見えです。それと陛下の名代で、レーヴァクーゼン伯爵閣下もご一緒です」

一応手紙でレーヴァクーゼン伯爵の訪問は伝えられていたが、パウル様と一緒だったか…

「お出迎えしなければいけませんね」とテレーゼが笑って、俺の腕を引いた。

エントランスに出て到着した二人を出迎えた。

「おめでとう、男爵」とパウル様は祝辞を述べて手を差し出した。

「ありがとうございます」とその手を握った。

「今日はガブリエラの代わりに、彼を連れてきたよ」

侯爵はそう言って、若い伯爵に場所を譲った。

「お久しぶりです、男爵。今日は陛下と妃殿下の名代で参りました。お誕生日おめでとうございます」

挨拶をするレーヴァクーゼン伯爵の腰には、俺の渡した剣が下がっていた。それが少し嬉しかった。

「ありがとうございます、殿下。

何も無い田舎で、大したおもてなしは出来ませんが、ゆっくりお楽しみいただければ幸いです」

「楽しみにしております」と答える王子は、弟とは違って、偉ぶる様子もなく礼儀正しい。

彼は相変わらずテレーゼの体調も心配してくれた。

二人を広間に案内すると、パウル様はリューデル伯爵と挨拶を交わしていた。

招待客が揃うと、挨拶をして晩餐会からの交流会となる。

特に珍しいものもないが、皆、割と楽しんでくれているようだ。

「ワルター様、ユリアの準備が出来ましたよ」とテレーゼがユリアの着替えを済ませて連れて来た。

緊張した面持ちのユリアは、淡いピンク色のドレスでお辞儀をした。

「旦那様、ドレスありがとう」

「あぁ、似合ってるぞ」と返事をすると、少女は恥ずかしそうに頬を赤らめた。

「じゃあ行くか?」

ユリアに声をかけると、幼い顔が緊張で強ばった。笑顔がなくなったらいつものユリアじゃない。

「ユリア、お前緊張してるのか?」

「…だって…こんなドレス初めてだし、ユリア変じゃない?笑われないかな?」

「何言ってんだよ?可愛いさ。

お前はラウラに似て美人だよ」と彼女の自信になりそうな事を言った。

笑顔のテレーゼが固くなったユリアの頬をつついた。

「ほら、ユリア。そんな顔しないで、笑ってちょうだい。

貴女の笑顔は皆を幸せにする笑顔よ」

「本当に?」

「そうよ。だから笑顔でご挨拶しましょうね」

テレーゼはそう言って、ユリアを落ち着かせるように肩に手を添えた。

「貴女は立派な淑女よ」なんて、お前に言われたら女の子は誰でも信じちまうよ。

「ワルター様、ユリアのエスコートをお願いします」

テレーゼに促されて、ユリアに腕を差し出した。

小さな手が俺の腕を掴んだ。

なんか昔のテレーゼみたいだ。思い出して一人でひっそり笑った。

ユリアを連れてバルテル卿に挨拶に向かった。

バルテル卿の傍らにはバルテル夫人と、ユリアより緊張した顔の少年の姿があった。

「お招き頂きありがとうございます」とバルテル卿が挨拶をすると、奥方と息子は頭を下げた。

「ユリア・シュミットです」

俺の腕から離れた少女のお辞儀に、少年の目が釘付けになる。

「アダルウィン。とても素敵なお嬢さんですね」と母親が声をかけると、少年は頬や耳を赤く染めた。

ガキだなぁ…と思いながら微笑ましく見守っていると、バルテル卿が息子の背を押して、ユリアの前に押し出した。

「…こ、こんばんは」

真っ赤な顔の少年はユリアに挨拶した。

少年は精一杯勇気を振り絞って少女に言葉をかけた。

「あの…ドレス…よく似合ってます」

「本当?!」

気を良くしたユリアがアダルウィン少年に笑顔を向けた。

ユリアは男の子と喋るのは慣れている。目の前の少年も、変に意識しなければ友達みたいな感覚なのだろう。

むしろ、問題なのはユリアより目も合わせられない少年の方だ。

「良かったわね、ユリア」テレーゼの言葉に、ユリアは笑顔で頷いた。

少年の様子から、彼がユリアを気に入っているのは間違いなさそうだ。

「二人とも、せっかくお会い出来たのだから、お話したらどうかしら?」

テレーゼの提案で、テレーゼとバルテル夫人の付き添いで、二人は席を外した。

子供たちを見送ると、バルテル卿が口を開いた。

「良い場を設けていただき、ありがとうございます」

「俺は呼んだだけですよ。後はバルテル卿のご子息次第でしょう?」

「まだ、子供です。男ばかりで女の子を知らない少年ですよ。嫌われなければ良いのですが…」

「ユリアはまだ友達くらいにしか思ってないはずです。まぁ、これから少しずつ変わるでしょう?」

俺たちだって、最初は夫婦になるつもりなんか無かったんだ。色々あって、今に落ち着いたんだ…

アイツらまだこれからだろう?

「さて、子守りも済んだし、パーティーを楽しんで下さい」

「では、私は侯爵のお傍に控えております」と生真面目に答える彼に呆れた。

「バルテル卿、あんたそればっかりだ…」

「それが私の生き甲斐ですので。妻も私の留守を自由に過ごしてます」

はぁ、そういう夫婦もあるのね…

味気ないもんだな…

俺の内心を察したように、バルテル卿は静かに自嘲するように笑った。

「我々夫婦は元よりそのような感じです。

私はヴェルフェル侯爵の良い臣を志しましたが、良い父にはなりえませんでした」

そう自嘲する男の視線は、息子たちの立ち去った方向を見ていた。

「ブルームバルトは良い所だと思っています。

息子をよろしくお願いいたします」

バルテル卿はそう言うと、一礼して去って言った。彼は言った通り、パウル様の傍らで足を止めた。

バルテル卿、あんたそれで厳しい親父のつもりかい?

そう思って格好つけて立ち去った男を笑った。

ユリアを息子の嫁に選ぶなんてお目が高い。

あんた自分で思ってるより、ずっと良い父親だぜ?
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