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お茶会
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「フロレンツィアお異母姉様」
異母妹のコルネリアが小声で私を呼んだ。彼女は温室の出入り口を睨んでいた。
「…来ましたわ」と聞いて密かに眉を寄せた。
あの子、よく顔が出せたものね…
距離があるけれど、テレーゼと一目で分かった。
相変わらず、見た目だけは良いのね…と心の中で皮肉った。
オレンジのドレスは私の用意したものじゃない。お母様がドレスの変更を許さなかったのかしら?
それならそれで、虐める理由が増えるというものだけれど…
テレーゼは会場の入口で立ち止まってしまった。
どうやら会場の様子に気後れしてしまったようだ。
そのまま回れ右して帰ればいいのに、と思っていると、背の高い青いドレスの令嬢がテレーゼに歩み寄って声をかけていた。
二人は少し話して、青いドレスの令嬢は、扇子を広げて自分の口元を隠すと、テレーゼに顔を寄せた。
何を話しているのかしら?
「あの青いドレスの令嬢はどなたか分かる?」
「アダリーシア嬢のお友達と記憶しております。お名前までは存じ上げません」と取り巻きが答えた。
青いドレスの令嬢は、親しげにテレーゼにハグをして、彼女を連れて人垣に消えてしまった。
舌打ちしたくなるのを堪えて、彼女らの消えて行った方向を目で追った。
あの令嬢はどういうつもりかしら?
テレーゼなんて、ひとりぼっちで会場の壁に張り付いていればいいのに…
そういえば、辺りを見回して、従姉妹の姿がなくなっているのに気付いた。
戻ってきたら、テレーゼの相手をしないように言いくるめなければ…
アダリーシアは私の妹のようなものだから、必ず私に味方するはずよね。
「アーベンロート伯爵夫人、どうかなさいましたか?」
隣に座っていたアレクシスの婚約者が、私の視線に気付いて首を傾げた。
私を見上げるクリクリの青い目に視線を合わせて、柔らかく微笑んで見せた。
「何でもないわ、クラウディア嬢。
温室だから、虫が横切っただけよ」
「虫ですか?」と彼女は怖がるような表情を見せた。
「あら、クラウディア嬢、虫は苦手だったかしら?」と訊ねると、彼女は何度も頷いた。
「だって気持ち悪いんですもの…」と怯える様子からは幼さが滲んだ。
「可愛いわね、クラウディア嬢」
「本当に。アレクシス公子様にお似合いですわ」と取り巻きたちも彼女の愛らしさを褒めた。
この少女は将来ヴェルフェル侯爵夫人になる女性だ。
異母姉妹たちは、クラウディア嬢のご機嫌をうかがって、彼女に取り入ろうとしていた。
まだ幼いから、扱いやすい。
彼女は褒められて嬉しそうだ。可愛らしい笑顔で、彼女は耳飾りと首飾りを自慢した。
「アレクシス公子様から頂戴したのです。とてもお優しくて、私には勿体ない方ですわ」
「そんなことないわ。とってもお似合いよ」
「ありがとうございます。
そういえば、アレクシス公子様からロンメル男爵夫人にもご挨拶するように、とお願いされたのですが、皆様とはご一緒されないのですか?」
彼女は話の流れでそう言ったのだろうけれど、その場にいた異母姉妹たちは急に表情を固くした。
幼い時期侯爵夫人はその反応に違和感を覚えたようだ。
「あの…何か…」
「クラウディア嬢、ロンメル男爵夫人とお話したいのかしら?」と、私たちの反応に狼狽する少女に優しく訊ねた。
「アレクシス公子様からのお願いで…」
「貴女はお話したいの?」
「いえ…」
「そう、良かったわ。
あの子は私たちの《姉妹》じゃないもの。偽物よ」
「…どういう事ですか?」とクラウディア嬢は怯えたような目で訊ねた。彼女が私たちの《姉妹》になるなら、教えてあげなければね…
✩.*˚
テレーゼ様を一目見て気に入った。
こんなお人形さんみたいな完璧な女性は見たことがない。
纏めあげられた綺麗な薄い色の金髪に、柘榴石のような強い色の煌めく瞳がチャーミングだ。
肌は陶磁器で出来たお人形のように白く滑らかで、キラキラのと光る白粉が肌を美しく見せていた。
お顔立ちも整っていて、まるで一級の職人が手掛けた人形のような美しさと可憐さが共生している。
花びらのようなふっくらとした唇に乗った、淡い色の口紅もよく似合っている。
可愛らしい男爵夫人は、抱き締めるとすっぽりと腕の中に納まった。
あぁ!可愛い!こんな理想のお人形みたいな方がいらっしゃるなんて!
やだ!もう連れて帰りたいくらいだわ!
「あの…ウィルメット嬢?」
自分の世界に入り込んでいると、テレーゼ様の声で現実に引き戻された。
「何でしょう、テレーゼ様?」
「私は皆さんのお邪魔になりませんか?」と彼女は不安げに私に訊ねた。
「そんなことありませんわ。私はテレーゼ様と一緒に過ごしたく思ってます」
今まで見てきたどんなお人形より綺麗で愛らしい。
彼女の姿のお人形が欲しいくらいだ。アディに頼んだら作ってもらえるかしら?言い値で買うわ!
子供の頃から背が高くて、コンプレックスだった。
お人形さんみたいになりたいと願ったけど、私は可愛いお人形さんにはなれなかった…
きっと彼女は神様が作ったお人形さんなのね…
「何があっても私が守って差し上げます。
伊達に背が高いだけではありませんことよ!」と胸を張るとと、彼女はクスリと笑ってくれた。
「皆さん、ちょっとよろしいかしら?」と親しい友人たちに彼女を紹介した。
テレーゼ様の背を優しく押すと、彼女は上品な所作でお辞儀をしてご挨拶をした。
「アダリーシア嬢とウィルメット嬢のお友達の皆様にご挨拶できて光栄です。
ブルームバルト領主、ロンメル男爵夫人のテレーゼと申します」
彼女がお辞儀した顔を上げると、皆の視線が熱を帯びた色に変わった。
「とっても愛らしいでしょう?
私たち、今さっきお友達になりましたの」と可愛いテレーゼ様を自慢した。
「ちょっとドレスに不備があったそうで、困っているところをアダリーシア嬢がお助けしたそうです。
アダリーシア嬢が戻るまで、私たちでお相手いたしましょう」と提案すると、皆が目を合わせて色めき立った。
「噂通り、本当に綺麗なお方ですこと」
「素敵なコートですね!よくお似合いです!」
「その髪飾りはどちらでお求めになりましたの?」と矢継ぎ早に声が上がる。
最初は圧倒されていたテレーゼ様も、次第に慣れて、笑顔で応対されるようになった。
「髪飾りもお化粧もアダリーシア嬢が勧めて下さったものです。
コートは、国王陛下とトリシャ妃殿下が主人とお揃いでご用意下さいました」
「とってもお似合いですわ」と褒めると、テレーゼ様は笑顔で応えた。
「ありがとうございます。
私は田舎者なので、皆様親切にしてくださいます。
本当にありがたくて、ご厚意を頂戴してばかりでお恥ずかしい限りです」と彼女は謙遜していた。
はぁ、もう可愛い…
貴女が可愛いから、皆放っておけないのよ。
姿かたちだけじゃなく、彼女は心も綺麗なのだろう。
どんなに褒められても、自慢することもなければ、感謝を口にすることを忘れることも無い。
アディも彼女が好きだから、私に預けたのね。
《私が戻るまで、テレーゼ様を守ってちょうだい》って私にお願いするくらいだもの…
お喋りを楽しんでいると、「失礼」と声がかかった。
「こんなところにいたのね、テレーゼ」
取り巻きを連れたアーベンロート伯爵夫人の姿を見て、テレーゼ様のお顔が曇った。
彼女は確かアディの従姉妹だったわね。
「私に挨拶にも来てくれないのね?悲しいわ…」
わざとらしく悲しむ彼女の言葉には棘があった。
「申し訳ありません、お異母姉様…」
「私のプレゼントは気に入らなかったかしら?
ドレスも首飾りも似合うと思ったから贈ったのに…残念だわ…
貴女の目には適わなかったようね」とアーベンロート伯爵夫人は、傷つきました、とでも言いたそうにテレーゼ様を責めた。
彼女の出現で楽しかった雰囲気は一気に冷めてしまった。
悲しげに俯くテレーゼ様は「ごめんなさい」と謝って黙り込んでしまった。
私の可愛いテレーゼ様に…
怒りが湧いて、伯爵夫人相手に前に進み出た。
「アーベンロート伯爵夫人、テレーゼ様にドレスをご用意したのは貴女様ですの?」
「貴女…」と睨まれたが、私の方が視線は高い。威圧に失敗して、相手は忌々しげに扇子の下に口元を隠した。
「…ウィルメット嬢」
不安げに見上げる顔は私を心配していた。でも私が見たいのはそんな顔じゃない。
私は貴女のお人形さんのように微笑む顔が見たいのよ…
「贈られたドレスは何色ですか?」テレーゼ様を背中に隠して、対峙した伯爵夫人に訊ねた。私の問い掛けを聞いて、彼女の目に怒りの感情が過ぎった。
「それは貴女に答えなきゃいけないのかしら?」
「重要なことなので…テレーゼ様の名誉に関わります」
「あら、随分肩を持つのね?」
「友人の名誉を守ることが悪いことであるなら、出過ぎたマネと謝罪致しますわ。
私の質問は何か不都合な事でもありましたか?」
言い返した私を睨みつけて、彼女は勝ち誇ったような顔で、「彼女に聞けばいいじゃない」と笑った。
「ねぇ、テレーゼ。貴女が一番よく知ってるでしょう?この大きなお嬢さんに答えておあげなさいよ」
本当にムカつく女ね…
テレーゼ様の様子を確認すると、テレーゼ様は泣きそうな面持ちでさらに俯いてしまった。
「テレーゼ様、私にはお教え頂けますか?」と訊ねたが、彼女は「いいんです」と諦めたような言葉を口にした。
相手が伯爵夫人で、しかも姉に当たる人物だ。
彼女はアーベンロート伯爵夫人に手も足も出ないどころか、言葉すら失ってしまった。
このままでは、貴女を守ってあげることができないわ…
「テレーゼ様。私は親友との約束があります」そう言って、さっき受け取った小さなメモを取り出して、彼女に握らせた。
「ドレスは何色でしたか?」と彼女の手を握りながら、再度確認した。
怯えて潤んだ瞳が私を見上げている。
「私は貴女の味方です」
私の熱意が通じて、彼女は必死に声を出した。
「緑…です」小さい声だったけれど、ちゃんと聞こえた。すぐ近くにいた他の令嬢も聞いていた。
「…緑?」
「緑って…」彼女ら声を潜めながら伝言のように周りに伝えた。
「ありがとう、テレーゼ様」
彼女は、私を信じて、勇気をだして答えてくれた。答えはまだぼやけていたが、その場の誰もが、思い当たる色のはずだ。
アディがテレーゼ様にドレスを譲った理由が分かった。
彼女はやっぱり私の自慢の友人だ。
「今日、そのドレスを着て良い方はお一人のはずですわ」と言う私の指摘に、アーベンロート伯爵夫人は広げた扇子の下で苛立たしげに舌打ちして、「戻りましょう」と周りに告げた。
「大袈裟ね。緑だっていっぱいあるでしょうに」と図々しく呟いて、彼女は取り巻きを連れて、「ごきげんよう」と去って行った。
貴女が気分を悪くしたくせに、『ごきげんよう』だなんて図々しい…
嫌味な伯爵夫人を見送って、小さな男爵夫人を見下ろした。
「もう大丈夫ですよ」と伝えると、彼女は安堵したような表情でお礼を言った。
「ありがとうございます、ウィルメット嬢」
「どういたしまして。
あの方たちはいつもこんな感じですの?」
「いえ…」と彼女は否定したけど、彼女の様子を見れば一目で分かる。
普段から、あの姉たちは彼女を虐めているのだろう。そうでなければ、テレーゼ様は会場に到着して、真っ先に彼女らの元に向かったはずだ。
彼女の愛らしい姿に嫉妬しているのか、はたまた、彼女にでは無く、他に気に入らない理由があるのか…
どちらにせよ私がすることは決まっている。私は全力で彼女を守るだけだ。
可愛いテレーゼ様のお味方をすると、決意を新たにしたところで、新しいドレスに着替えた親友が戻って来た。
「ごめんなさい、遅くなって」と捲れそうになったドレスの裾を抑えて、彼女は息を整えた。
「大丈夫よ、アディ。
私たちのとても仲良しになりましたの」と答えて、笑顔でテレーゼ様の肩を抱き寄せた。
「ね?」と返事を求めると、テレーゼ様は笑顔を見せて「はい」と応えてくれた。
可愛くて手を離したくない。このまま連れて帰っちゃダメかしら?
「ダメよ、ウィー。テレーゼ様はお人形さんじゃないのよ」
私の気持ちを見透かしたアディが私に釘を指した。
「じゃぁ、彼女の姿のお人形さんを作って下さらない?」とお強請りしてみた。私も彼女のお願いを聞いたのだから、そのくらい良いでしょう?
アディは呆れたようにため息を吐いて、私のお強請りに応じてくれた。
「貴女…本当にお人形さんが好きね…
いいわ、用意してあげるから、テレーゼ様はちゃんと返してちょうだい」
「アダリーシア嬢、出来たら私にもお一つ頂戴できませんか?」とテレーゼ様が意外なお願いをした。
「娘にプレゼントしたいので」と彼女は人形の行き先を教えてくれた。
まだ幼い印象なのに、お子様がいるのね。
その子もきっと可愛いだろうと想像した。
「あぁ、フィリーネ嬢の…分かったわ、腕のいい人形師に依頼しますわ」
テレーゼ様がご希望されたので、アディは人形の用意を約束してくれた。
テレーゼ様は「良かったですね」と私に微笑みかけた。可愛い笑顔が戻って満足している自分がいた。
「お待たせしてごめんなさいね、皆さん。
そろそろお茶会が始まるから、席に着きましょう。
テレーゼ様。このお茶会は、席が決まっておりませんから仲良しで座れますのよ。
私がお隣に座ってもいいかしら?」とアディがテレーゼ様の隣の席を一つ埋めた。
「ずるいわ、アディ!
テレーゼ様、もうひとつのお隣を頂戴してもよろしいかしら?」
「ありがとうございます」とテレーゼ様は嬉しそうに笑って承諾してくれた。
「一人だったらどうしようと心配してました。だから、ご一緒してくれる友人ができて、とても嬉しいです」
子供みたいに喜ぶ姿が愛らしい。
「私たちも、テレーゼ様とご一緒できて嬉しいわ」
本心からそう言って、彼女の隣を二人で埋めた。
席に座ろうとした時に、やってきたご夫人に、アディが呼ばれた。
「リューデル伯爵令嬢。アーベンロート伯爵夫人がお呼びですわよ」
「何かしら?もう挨拶は済ませたはずよ」
「そうかもしれませんが、お時間は取らせませんので、アーベンロート伯爵夫人のお席までお越しください」
使いっ走りのご夫人は、偉そうに彼女を呼びつけた。
「分かったわ…
皆さん少し待っていて下さいね。すぐ戻ります」
「…アーダリシア嬢」
「大丈夫よ、テレーゼ様。皆さんお話したいことが沢山あるでしょうから、お相手してあげて下さいな」
アディはそう言い残して、私に視線を向けた。
黙って頷くと、彼女は安心したように席を外した。
✩.*˚
「お呼びでしょうか?」とヴェルフェルの姉妹たちが並ぶテーブルを訪れた。
アーベンロート伯爵夫人の傍らに、新しい姉妹が並んでいるのを見つけた。
赤毛の令嬢は、ワーグナー公爵家のクラウディア嬢だ。彼女の姉とは話したことがある。
彼女の前で、自分たちの力を見せつけたいのかしら?
アーベンロート伯爵夫人は笑顔で私を迎えた。
彼女は、さっき挨拶に来た時とドレスが違うのを目敏く見つけて指摘した。
「アダリーシア嬢。ドレスはどうなさいましたの?」
「ドレス?あぁ、《お義母様》のドレスに不備があったので、お貸し致しましたの」と気付かないふりをして、しれっと答えた。
その返事に、アーベンロート伯爵夫人は怒りの感情を滲ませた。私が彼女の作戦を台無しにしたと気付いたからだ…
「アダリーシア嬢、貴女は…ヴェルフェル侯爵家の味方ではなかったの?」
「何を仰っていますの?
私の父は、先代のヴェルフェル侯爵の実子ですのよ。
ヴェルフェルを名乗らずとも、リューデル伯爵はヴェルフェルの為に存在しております」
「そう…それなら、貴女のテーブルに紛れ込んでいる、《偽物》を追い出しなさい」
アーベンロート伯爵夫人は、私にテレーゼ様を追い出すように指示した。さすがにそのあけすけな物言いに不愉快になった。
「貴女にちゃんとお話しておくべきだったわ。
知らなかったのだから仕方ないわよね?ごめんなさいアダリーシア嬢…
あの子は、ヴェルフェル家に不和をもたらす存在なのよ」
「そうですか?そのようには感じませんでしたが?」と答えると、テーブルに着いていたヴェルフェルの異母妹が口を開いた。
「アダリーシア嬢、フロレンツィアお異母姉様に無礼ではありませんか?
分家の貴女を心配して、こうやってお声をかけてくださっているのに!」
その見下した物言いにイラッとした。
「何の心配でしょうか、コルネリア様?」
確かに、リューデル伯爵家はヴェルフェル侯爵家の分家に当たるが、お父様は家督は継げなくても、単身で伯爵家の地位を築いた人物だ。
本来であれば、当代限りの伯爵であるところを、国王陛下からも認められて、永代伯爵家としてこの国の貴族に名を連ねた。
父も私も、彼女らに見下されるような謂れはない。
そしてそれはテレーゼ様とて同じことだ…
彼女は貴女たちみたいに、おままごとみたいな関係に固執して、椅子を温めるだけの存在ではなくってよ!
「確かに、私の判断で勝手にドレスを変えたのは良くなかったかもしれません」と彼女らの主張に頷いて見せると、彼女らの反応が変わった。
「分かってくれたなら良いのよ」と喜ぶ彼女らの油断を誘って突き放した。
「ヴェルフェル侯爵夫人に確認すべきでしたね。今からでもよろしいかしら?」
ヴェルフェル侯爵夫人の名前を出した途端に、彼女らの表情が凍りついた。
そう、そんなに都合が悪いのね?
「ヴェルフェル侯爵家の女主人はガブリエラ様ですから、私が頭を下げて許しを乞うべきはガブリエラ様です。
今すぐにでも謝って参りますわ」
「アダリーシア嬢」
青くなるヴェルフェルの娘たちの中で、アーベンロート伯爵夫人だけが冷静さを保っていた。その冷静さの向こうには、燃え上がるような怒りを孕んでいた。
「残念だわ。貴女を妹のように思っていたのに…」
「私もお姉様だと思ってましたわ、アーベンロート伯爵夫人…」
伯爵家に嫁いだ、尊敬できる従姉として貴女を尊敬していたわ…でも、意外と小さなお人ね…
「今日は楽しいお茶会のはずですわ。違いますか?」
この不毛なやり取りに終止符をと願った。
「えぇ、その通りよ」とアーベンロート伯爵夫人は頷いた。
その素直な返事が不気味だったけれど、ここでこれ以上やり合うのはどちらにとっても良い話ではない。
喧嘩しても銅貨一枚だって儲かりはしないわ…
それどころか、王妃のお茶会で騒ぎなどになれば、双方痛い目を見るのは火を見るより明らかだ。
ヴェルフェル侯爵家の名前にも傷が付く。
それに、テレーゼ様だって、そんなことを求めてはいないだろう。
お茶会が始まろうとしていた。
トリシャ妃殿下が招待客のテーブルを回って挨拶するのだ。席に着いていないとまずい…
「それでは皆様、ごきげんよう」と在り来りな挨拶を済ませて踵を返した。
立ち去ろうとした背中に、アーベンロート伯爵夫人の声がかかった。
名前を呼ばれて、一度だけ振り返った。
アーベンロート伯爵夫人は、扇子を広げて、「残念だわ」と私に言った。
お互い様よ、と心の中で呟いて、再び彼女に背を向けた。
✩.*˚
「ごきげんよう」
テーブルを回りながら招待客に挨拶をして回った。
「ごきげんよう、ヴェルフェルの娘たち」とテーブルに並んだ親友の娘たちに挨拶した。
「お久しぶりです、トリシャ妃殿下。今年もお招きくださいましてありがとうございます」
「皆、お顔を上げてちょうだい。
あら、クラウディア嬢もこちらにいらしていたのね?」
「はい」とワーグナー公爵家の令嬢は笑顔で答えた。彼女ももうすぐヴェルフェル家に嫁ぐから、こちらの席に座ったのだろう。
「クラウディア嬢をよろしくお願いしますね。アーベンロート伯爵夫人」
「はい、トリシャ妃殿下。可愛い妹ができて、私たちも嬉しく思っております」と親友の娘が答えた。
他家に嫁いでも、彼女らは仲は良い姉妹たちだ。母親は違っても、家の為に嫁ぎ、侯爵家に貢献し続ける姿は実に美しい。
一人一人と挨拶を交わして、ヴェルフェルの娘が一人足りないことに気付いた。彼女は過去に一度会ったきりなので気づかなかった…
「ロンメル男爵夫人は?」と訊ねると、彼女らの表情が固くなった。
まさか、欠席?そんな馬鹿な…
アーベンロート伯爵夫人が「彼女はあちらの席にいますわ」と答えたので、欠席では無いと知って少し安堵した。
「私たちと座るのはお嫌なんでしょうね…」と彼女は悲しげに目を伏せた。
「彼女は《英雄》に嫁ぎましたし、お父様のお気に入りですもの…
それに、陛下や妃殿下からも目をかけて頂いてますから、私たちのことを忘れてしまったのですわ」
「…そんな」彼女ら姉妹たちが仲が良いのを知っているだけに、その言葉は悲しかった。
「申し訳ありません。私の申し上げ方はよくありませんでしたね…
陛下や妃殿下のせいではありません。お忘れください」
そう言ってアーベンロート伯爵夫人は頭を下げた。
私たちのせいで、彼女らの関係を壊してしまったのだろうか?
「アーベンロート伯爵夫人。ロンメル男爵夫人にはこちらにも伺うように伝えますわ」と伝えると、彼女は「ありがとうございます」と微笑んでみせた。
家族が仲良くいられることは良い事だ。
私が勘違いさせてしまったのであれば、それを正さねばならない。
他のテーブルを回って、若い令嬢たちの並ぶ席に訪れた。
「ごきげんよう、皆さん」と挨拶すると、リューデル伯爵令嬢が代表で挨拶した。
彼女もヴェルフェルの娘の一人で、私のお茶会の常連だ。
彼女は自分の隣に座った女性を「私のお義母様になる方です」と紹介した。
なんとも愛らしい女性だ。どこの令嬢かしら?
「リューデル伯爵がご再婚されるの?」と訊ねると、彼女は驚いて、その後すぐに笑って否定した。
「違いますわ、妃殿下。
今日妃殿下にお伝えしようと思っていましたの。結婚するのはお父様ではなく私ですわ。
ロンメル男爵家の令息と婚約致しますの」と彼女は嬉しい報告をくれた。
「まぁ!おめでとう!」と喜ぶと、彼女ははにかんで、「ありがとうございます」と応えた。
テーブルに祝福の拍手が湧いた。
「では、そちらの方は?」
私の視線を受け止めたリューデル伯爵令嬢の義理の母は、私に深々と頭を下げて名乗った。
「トリシャ妃殿下にご挨拶する日を待ちわびておりました。
ロンメル男爵夫人テレーゼと申します」と彼女は優雅に挨拶した。
可愛らしいその姿と声に惹き付けられた。
彼女はロンメル男爵が爵位を授けられた時に同伴していた。
その頃はまだ幼い子供で、簡単な言葉を交わした程度だった。
父親ほど年の離れたロンメル男爵の傍らで、少女は静かに控えていた。
元々可愛らしい美少女だったけれど、彼女は成長して、さらに美しくなっていた。
「私も、お会い出来るのを楽しみにしておりましたのよ」と彼女に声をかけた。
「ロンメル男爵夫人。貴女と男爵には個人的にお話する時間をちょうだいしたいのですが、よろしくて?」
「私など、末席の夫人に妃殿下のお気遣いを頂戴し、光栄の極みです。どうぞ、妃殿下のよろしいようにお取り計らい下さい」
彼女はとても賢そうに見えた。
ガブリエラが指導したのだろうけれど、それだけではないのでしょうね。彼女は立派な貴婦人だ。
それだけに、先程のアーベンロート伯爵夫人の話は残念だった。
お友達と楽しむのが悪い訳では無いけれど、家族をないがしろにするのは間違っている。
「ロンメル男爵夫人。
アーベンロート伯爵夫人は、貴女がヴェルフェル侯爵家の娘たちのテーブルに来てくれるのを待っているわ。
後でお顔を出して差し上げては?」
私の勧めに、彼女の表情が固くなった。
心做しか、彼女は怯えているようにも見えた。
他の令嬢たちも私の言葉にざわついた。何かあったのかしら?
「お話中失礼致します、妃殿下。
アーベンロート伯爵夫人がそのようには申し上げたのですか?」とリューデル伯爵令嬢が代表して口を開いた。
彼女の手は、ロンメル男爵夫人の肩に添えられていた。
「アーベンロート伯爵夫人も、妹が揃わないから寂しがってましたよ。お顔だけでも出してはいかがかしら?」
私のお願いに答えたのはロンメル男爵夫人ではなく、リューデル伯爵令嬢だった。
「妃殿下のお願いでも、それは承諾致しかねます」と彼女ははっきりと答えた。
「この場で申し上げることは出来ませんが、私はロンメル男爵夫人をあのテーブルに送り出す事はできません」
頑なに反対するリューデル伯爵令嬢に違和感を覚えた。
彼女は若いが賢い女性だ。
徒に、王妃である自分に異を唱えて、自分や父親の立場を悪くするような事は無いはずだ。
「妃殿下、私も反対です」とテーブルから別の令嬢も声を上げた。背の高い令嬢は陛下の近衛騎士団の団長の令嬢だ。
「ベルヴァルト伯爵令嬢、貴女までそんな事を言うの?」
「臣の身でありながら、ご無礼をお許し下さい、妃殿下。
それでも、私は友人のリューデル伯爵令嬢とロンメル男爵夫人にお味方致します。
どうぞお聞き入れくださいませ」
二人の令嬢が私の願いを阻んだ。
何がどうなっているの?
味方とは、まるでアーベンロート伯爵夫人が敵のような言い方ではなくて?
後でガブリエラに確認しなくてはいけないわね…
ロンメル男爵夫人に視線を向けると、彼女は両手を祈るように握りしめていた。
彼女の握った手が僅かに震えているのを見て、私のお願いが通らないであろうことを悟った。
「分かりました。
せっかく楽しんでいたのに、世話を焼いてごめんなさいね」
「…申し訳ありません、妃殿下」とロンメル男爵夫人は私に謝罪した。
「いいのよ。お茶会を楽しんでちょうだい」と彼女の固く握った手を握って笑顔を見せた。
「ありがとうございます」と答えたロンメル男爵夫人は安堵したような笑顔を見せた。
彼女らのテーブルを後にして、挨拶を続けた。それでもずっと引っかかったままだ。
胸の中にわだかまりを抱えたまま、貴賓席に戻った。
「おかえりなさい、トリシャ妃殿下」
「お疲れでしょう?」と気遣う七大貴族の夫人たちが並ぶテーブルに戻った。
ワーグナー公爵夫人とヴェルフェル侯爵夫人の間の席に腰を下ろした。
「どうなさいましたの?」とガブリエラが私に訊ねた。気付かないうちにため息でも洩らしてしまったかしら?
「ロンメル男爵夫人にお会いしましたよ」
「あら」とヴェルフェル侯爵夫人は嬉しそうに破顔した。彼女は自慢げにロンメル男爵夫人の印象を訊ねた。
「いかがでしたか?とてもいい子でしょう?」
「ええ、可愛らしい方でした。お友達に囲まれて楽しそうでしたわ。
オレンジのドレスもとても似合ってました」
「…オレンジ?」とガブリエラが首を傾げた。彼女は何か考えるような素振りを見せた。
「えぇ、何か?」
「どうなさいましたの?ヴェルフェル侯爵夫人?」と他の夫人たちも心配そうに彼女に声をかけた。
「いえ…少し席を外してもよろしくて?」と断って、ガブリエラは席を立った。
どうしたのかしら?彼女らしくない…
彼女は足早に貴賓席のテーブルを後にした。
「どうなさったのかしら?」
「ガブリエラ様が珍しい…」と席がざわついた。
「ヴェルフェル侯爵夫人はロンメル男爵夫人を可愛がっておいでなのね」とワーグナー公爵夫人が呟いた。
「私も後でお会いしたいわ。
お話していかがでしたか、妃殿下?」
「えぇ、とても愛らしいお方でしたよ。お若いのにしっかりされてました」と答えながらあの怯えた表情が頭をよぎった。
「ヴェルフェル侯爵もお人が悪いわ。あんなに素敵なご令嬢がいるなら縁談をくださっても良かったのに…」とクロイツェル侯爵夫人が冗談交じりに呟いた。
同じテーブルの席から小さな笑い声が洩れた。
「確かに、傭兵に与えるなんて、大胆なことをなさいましたね」
「でも、お相手は《神紋の英雄》でしょう?不足はないでしょうに」
「ロンメル男爵は情報が少ない方ですが、カナルでは大活躍だったとか…
我が国の《英雄》として良き働きをなさったのでしょう?」
「男爵では勿体ないのでは?
これからもオークランドとの戦争は続くのですから、その能力に応じた評価がなされるべきですわ」
「知名度が上がれば、その分オークランドも脅威に感じるはずですもの」
自由に発言して、彼女らはお茶会を進めていた。
彼女らの発言に頷きながらお茶を手にした。
ティーカップの中のお茶は、私の心を映したようにように水面を揺らした。
✩.*˚
おかしい…
テレーゼがよこした手紙には、《アーベンロート伯爵夫人からドレスを頂戴したので、明日のお茶会はお異母姉様のドレスで参ります》とあった。
色に関しても《緑》とあったので少し胸騒ぎがしたものの、フロレンツィアが失敗するはずがないと思っていた。
また直前にドレスの色を変えたのは何故だろう?
彼女に確認しようと、テレーゼの姿を探した。
「お母様?どうなさったのですか?」と私の姿を見咎めたフロレンツィアが歩み寄ってきた。
「テレーゼを探しているの。
フロレンツィア、貴女がテレーゼに贈ったドレスは何色だったの?」
「お母様まで何事ですか?」と娘は話を誤魔化そうとした。その様子に、都合の悪い何かを感じた…
「お答えなさい、フロレンツィア。
私は《緑》と聞いたけど、トリシャ妃殿下のお話では、テレーゼは《オレンジ》のドレスを着てたそうじゃない?
私にまだ挨拶にも来てなかったし、一体どうなっているの?」
「遅れたので、挨拶に伺う時間がなかったのでは?また後で挨拶に伺うように伝えますわ」
「フロレンツィア。私は貴女のお母様ですのよ。
もし貴女が、ロンメル男爵夫人に無礼を働いたのであれば、私はロンメル男爵に頭を下げて謝罪しなければなりません」
「そんな…お母様がそんな事をする必要はないではないですか?!」
「なら、お答えなさい!」と娘相手に声音が強くなる。
「テレーゼはヴェルフェル侯爵閣下が《英雄》との絆に贈った娘です!
彼女への無礼は侯爵閣下への無礼ですよ!事の次第によっては、この私が許しませんよ!」
「…わ、私は…」
私の怒りが伝わったのだろう。彼女は青ざめた顔色で俯いた。
「あの女の娘を…」と震える声が呟くのを聞いて悲しくなった…
娘は母を想って行動したのかもしれない。しかし、とんだ見当違いだ…
「フロレンツィア。後で話をしましょう」
私が一時とはいえユーディットを憎んでしまったから、娘たちもそれを受け継いでしまったのだ…
これは私の業でもある…
「テレーゼは何処?」と訊ねると、彼女は素直に別のテーブルを指さした。
他の令嬢達に紛れて、オレンジの衣装に身を包んだテレーゼの姿があった。
彼女は笑顔でお茶会を楽しんでいた。
テレーゼの傍らには、アダリーシア嬢の姿もあった。
娘と別れて、少し離れたテーブルに向かった。
「侯爵夫人!」と私に気付いた令嬢たちが慌てて席を立って挨拶した。
「いいのよ、お楽しみのところお邪魔してごめんなさいね。すぐに済みますから」と彼女らに断ってテレーゼに話しかけた。
「そのドレスはどうしたの?」
「アダリーシア嬢からお借りしたものです。
…その…ドレスに不備が見つかりましたので…」
「そう…気づかなくてごめんなさい、テレーゼ」
「そんな…私がドレスを変えると言ったのです。ヴェルフェル侯爵夫人が気に負われる事ではありません」
「アーベンロート伯爵夫人に気を使ったのでしょう?
見抜けなかった私の失態よ。
貴女の指導役として、恥ずかしく思うわ。あの子の無礼を許してくださいね」
ほかの令嬢たちの前で彼女に謝罪した。きっと彼女らも少なからず、気づいているはずだ。
この場で正しておかなければ、後で噂になって恥をかくのは夫であるヴェルフェル侯爵だ。
テレーゼに詫びて、今度はアダリーシア嬢にお礼を言った。
「アダリーシア嬢、今回はロンメル男爵夫人に親切にしてくださってありがとうございました。
貴女の親切に心からお礼申し上げます」
「私は《お義母様》に当然の事をした迄ですわ」と姪っ子は笑顔で答えた。
彼女がいてくれて助かったわ…
リューデル伯爵にもお礼をしなくては…
「皆さん。ロンメル男爵夫人と仲良くしてくださって嬉しいわ。
是非、私のお茶会にもご招待させてくださいね」テーブルに並んだ令嬢たちにも感謝を伝えると、彼女たちは嬉しそうに頷いた。
この場は何とか収まったようだ。
笑顔で挨拶をして、トリシャ妃たちの待つテーブルに戻った。
今回のお茶会は不安だらけね…
人知れず、扇子を広げてこっそりとため息を吐いた。
異母妹のコルネリアが小声で私を呼んだ。彼女は温室の出入り口を睨んでいた。
「…来ましたわ」と聞いて密かに眉を寄せた。
あの子、よく顔が出せたものね…
距離があるけれど、テレーゼと一目で分かった。
相変わらず、見た目だけは良いのね…と心の中で皮肉った。
オレンジのドレスは私の用意したものじゃない。お母様がドレスの変更を許さなかったのかしら?
それならそれで、虐める理由が増えるというものだけれど…
テレーゼは会場の入口で立ち止まってしまった。
どうやら会場の様子に気後れしてしまったようだ。
そのまま回れ右して帰ればいいのに、と思っていると、背の高い青いドレスの令嬢がテレーゼに歩み寄って声をかけていた。
二人は少し話して、青いドレスの令嬢は、扇子を広げて自分の口元を隠すと、テレーゼに顔を寄せた。
何を話しているのかしら?
「あの青いドレスの令嬢はどなたか分かる?」
「アダリーシア嬢のお友達と記憶しております。お名前までは存じ上げません」と取り巻きが答えた。
青いドレスの令嬢は、親しげにテレーゼにハグをして、彼女を連れて人垣に消えてしまった。
舌打ちしたくなるのを堪えて、彼女らの消えて行った方向を目で追った。
あの令嬢はどういうつもりかしら?
テレーゼなんて、ひとりぼっちで会場の壁に張り付いていればいいのに…
そういえば、辺りを見回して、従姉妹の姿がなくなっているのに気付いた。
戻ってきたら、テレーゼの相手をしないように言いくるめなければ…
アダリーシアは私の妹のようなものだから、必ず私に味方するはずよね。
「アーベンロート伯爵夫人、どうかなさいましたか?」
隣に座っていたアレクシスの婚約者が、私の視線に気付いて首を傾げた。
私を見上げるクリクリの青い目に視線を合わせて、柔らかく微笑んで見せた。
「何でもないわ、クラウディア嬢。
温室だから、虫が横切っただけよ」
「虫ですか?」と彼女は怖がるような表情を見せた。
「あら、クラウディア嬢、虫は苦手だったかしら?」と訊ねると、彼女は何度も頷いた。
「だって気持ち悪いんですもの…」と怯える様子からは幼さが滲んだ。
「可愛いわね、クラウディア嬢」
「本当に。アレクシス公子様にお似合いですわ」と取り巻きたちも彼女の愛らしさを褒めた。
この少女は将来ヴェルフェル侯爵夫人になる女性だ。
異母姉妹たちは、クラウディア嬢のご機嫌をうかがって、彼女に取り入ろうとしていた。
まだ幼いから、扱いやすい。
彼女は褒められて嬉しそうだ。可愛らしい笑顔で、彼女は耳飾りと首飾りを自慢した。
「アレクシス公子様から頂戴したのです。とてもお優しくて、私には勿体ない方ですわ」
「そんなことないわ。とってもお似合いよ」
「ありがとうございます。
そういえば、アレクシス公子様からロンメル男爵夫人にもご挨拶するように、とお願いされたのですが、皆様とはご一緒されないのですか?」
彼女は話の流れでそう言ったのだろうけれど、その場にいた異母姉妹たちは急に表情を固くした。
幼い時期侯爵夫人はその反応に違和感を覚えたようだ。
「あの…何か…」
「クラウディア嬢、ロンメル男爵夫人とお話したいのかしら?」と、私たちの反応に狼狽する少女に優しく訊ねた。
「アレクシス公子様からのお願いで…」
「貴女はお話したいの?」
「いえ…」
「そう、良かったわ。
あの子は私たちの《姉妹》じゃないもの。偽物よ」
「…どういう事ですか?」とクラウディア嬢は怯えたような目で訊ねた。彼女が私たちの《姉妹》になるなら、教えてあげなければね…
✩.*˚
テレーゼ様を一目見て気に入った。
こんなお人形さんみたいな完璧な女性は見たことがない。
纏めあげられた綺麗な薄い色の金髪に、柘榴石のような強い色の煌めく瞳がチャーミングだ。
肌は陶磁器で出来たお人形のように白く滑らかで、キラキラのと光る白粉が肌を美しく見せていた。
お顔立ちも整っていて、まるで一級の職人が手掛けた人形のような美しさと可憐さが共生している。
花びらのようなふっくらとした唇に乗った、淡い色の口紅もよく似合っている。
可愛らしい男爵夫人は、抱き締めるとすっぽりと腕の中に納まった。
あぁ!可愛い!こんな理想のお人形みたいな方がいらっしゃるなんて!
やだ!もう連れて帰りたいくらいだわ!
「あの…ウィルメット嬢?」
自分の世界に入り込んでいると、テレーゼ様の声で現実に引き戻された。
「何でしょう、テレーゼ様?」
「私は皆さんのお邪魔になりませんか?」と彼女は不安げに私に訊ねた。
「そんなことありませんわ。私はテレーゼ様と一緒に過ごしたく思ってます」
今まで見てきたどんなお人形より綺麗で愛らしい。
彼女の姿のお人形が欲しいくらいだ。アディに頼んだら作ってもらえるかしら?言い値で買うわ!
子供の頃から背が高くて、コンプレックスだった。
お人形さんみたいになりたいと願ったけど、私は可愛いお人形さんにはなれなかった…
きっと彼女は神様が作ったお人形さんなのね…
「何があっても私が守って差し上げます。
伊達に背が高いだけではありませんことよ!」と胸を張るとと、彼女はクスリと笑ってくれた。
「皆さん、ちょっとよろしいかしら?」と親しい友人たちに彼女を紹介した。
テレーゼ様の背を優しく押すと、彼女は上品な所作でお辞儀をしてご挨拶をした。
「アダリーシア嬢とウィルメット嬢のお友達の皆様にご挨拶できて光栄です。
ブルームバルト領主、ロンメル男爵夫人のテレーゼと申します」
彼女がお辞儀した顔を上げると、皆の視線が熱を帯びた色に変わった。
「とっても愛らしいでしょう?
私たち、今さっきお友達になりましたの」と可愛いテレーゼ様を自慢した。
「ちょっとドレスに不備があったそうで、困っているところをアダリーシア嬢がお助けしたそうです。
アダリーシア嬢が戻るまで、私たちでお相手いたしましょう」と提案すると、皆が目を合わせて色めき立った。
「噂通り、本当に綺麗なお方ですこと」
「素敵なコートですね!よくお似合いです!」
「その髪飾りはどちらでお求めになりましたの?」と矢継ぎ早に声が上がる。
最初は圧倒されていたテレーゼ様も、次第に慣れて、笑顔で応対されるようになった。
「髪飾りもお化粧もアダリーシア嬢が勧めて下さったものです。
コートは、国王陛下とトリシャ妃殿下が主人とお揃いでご用意下さいました」
「とってもお似合いですわ」と褒めると、テレーゼ様は笑顔で応えた。
「ありがとうございます。
私は田舎者なので、皆様親切にしてくださいます。
本当にありがたくて、ご厚意を頂戴してばかりでお恥ずかしい限りです」と彼女は謙遜していた。
はぁ、もう可愛い…
貴女が可愛いから、皆放っておけないのよ。
姿かたちだけじゃなく、彼女は心も綺麗なのだろう。
どんなに褒められても、自慢することもなければ、感謝を口にすることを忘れることも無い。
アディも彼女が好きだから、私に預けたのね。
《私が戻るまで、テレーゼ様を守ってちょうだい》って私にお願いするくらいだもの…
お喋りを楽しんでいると、「失礼」と声がかかった。
「こんなところにいたのね、テレーゼ」
取り巻きを連れたアーベンロート伯爵夫人の姿を見て、テレーゼ様のお顔が曇った。
彼女は確かアディの従姉妹だったわね。
「私に挨拶にも来てくれないのね?悲しいわ…」
わざとらしく悲しむ彼女の言葉には棘があった。
「申し訳ありません、お異母姉様…」
「私のプレゼントは気に入らなかったかしら?
ドレスも首飾りも似合うと思ったから贈ったのに…残念だわ…
貴女の目には適わなかったようね」とアーベンロート伯爵夫人は、傷つきました、とでも言いたそうにテレーゼ様を責めた。
彼女の出現で楽しかった雰囲気は一気に冷めてしまった。
悲しげに俯くテレーゼ様は「ごめんなさい」と謝って黙り込んでしまった。
私の可愛いテレーゼ様に…
怒りが湧いて、伯爵夫人相手に前に進み出た。
「アーベンロート伯爵夫人、テレーゼ様にドレスをご用意したのは貴女様ですの?」
「貴女…」と睨まれたが、私の方が視線は高い。威圧に失敗して、相手は忌々しげに扇子の下に口元を隠した。
「…ウィルメット嬢」
不安げに見上げる顔は私を心配していた。でも私が見たいのはそんな顔じゃない。
私は貴女のお人形さんのように微笑む顔が見たいのよ…
「贈られたドレスは何色ですか?」テレーゼ様を背中に隠して、対峙した伯爵夫人に訊ねた。私の問い掛けを聞いて、彼女の目に怒りの感情が過ぎった。
「それは貴女に答えなきゃいけないのかしら?」
「重要なことなので…テレーゼ様の名誉に関わります」
「あら、随分肩を持つのね?」
「友人の名誉を守ることが悪いことであるなら、出過ぎたマネと謝罪致しますわ。
私の質問は何か不都合な事でもありましたか?」
言い返した私を睨みつけて、彼女は勝ち誇ったような顔で、「彼女に聞けばいいじゃない」と笑った。
「ねぇ、テレーゼ。貴女が一番よく知ってるでしょう?この大きなお嬢さんに答えておあげなさいよ」
本当にムカつく女ね…
テレーゼ様の様子を確認すると、テレーゼ様は泣きそうな面持ちでさらに俯いてしまった。
「テレーゼ様、私にはお教え頂けますか?」と訊ねたが、彼女は「いいんです」と諦めたような言葉を口にした。
相手が伯爵夫人で、しかも姉に当たる人物だ。
彼女はアーベンロート伯爵夫人に手も足も出ないどころか、言葉すら失ってしまった。
このままでは、貴女を守ってあげることができないわ…
「テレーゼ様。私は親友との約束があります」そう言って、さっき受け取った小さなメモを取り出して、彼女に握らせた。
「ドレスは何色でしたか?」と彼女の手を握りながら、再度確認した。
怯えて潤んだ瞳が私を見上げている。
「私は貴女の味方です」
私の熱意が通じて、彼女は必死に声を出した。
「緑…です」小さい声だったけれど、ちゃんと聞こえた。すぐ近くにいた他の令嬢も聞いていた。
「…緑?」
「緑って…」彼女ら声を潜めながら伝言のように周りに伝えた。
「ありがとう、テレーゼ様」
彼女は、私を信じて、勇気をだして答えてくれた。答えはまだぼやけていたが、その場の誰もが、思い当たる色のはずだ。
アディがテレーゼ様にドレスを譲った理由が分かった。
彼女はやっぱり私の自慢の友人だ。
「今日、そのドレスを着て良い方はお一人のはずですわ」と言う私の指摘に、アーベンロート伯爵夫人は広げた扇子の下で苛立たしげに舌打ちして、「戻りましょう」と周りに告げた。
「大袈裟ね。緑だっていっぱいあるでしょうに」と図々しく呟いて、彼女は取り巻きを連れて、「ごきげんよう」と去って行った。
貴女が気分を悪くしたくせに、『ごきげんよう』だなんて図々しい…
嫌味な伯爵夫人を見送って、小さな男爵夫人を見下ろした。
「もう大丈夫ですよ」と伝えると、彼女は安堵したような表情でお礼を言った。
「ありがとうございます、ウィルメット嬢」
「どういたしまして。
あの方たちはいつもこんな感じですの?」
「いえ…」と彼女は否定したけど、彼女の様子を見れば一目で分かる。
普段から、あの姉たちは彼女を虐めているのだろう。そうでなければ、テレーゼ様は会場に到着して、真っ先に彼女らの元に向かったはずだ。
彼女の愛らしい姿に嫉妬しているのか、はたまた、彼女にでは無く、他に気に入らない理由があるのか…
どちらにせよ私がすることは決まっている。私は全力で彼女を守るだけだ。
可愛いテレーゼ様のお味方をすると、決意を新たにしたところで、新しいドレスに着替えた親友が戻って来た。
「ごめんなさい、遅くなって」と捲れそうになったドレスの裾を抑えて、彼女は息を整えた。
「大丈夫よ、アディ。
私たちのとても仲良しになりましたの」と答えて、笑顔でテレーゼ様の肩を抱き寄せた。
「ね?」と返事を求めると、テレーゼ様は笑顔を見せて「はい」と応えてくれた。
可愛くて手を離したくない。このまま連れて帰っちゃダメかしら?
「ダメよ、ウィー。テレーゼ様はお人形さんじゃないのよ」
私の気持ちを見透かしたアディが私に釘を指した。
「じゃぁ、彼女の姿のお人形さんを作って下さらない?」とお強請りしてみた。私も彼女のお願いを聞いたのだから、そのくらい良いでしょう?
アディは呆れたようにため息を吐いて、私のお強請りに応じてくれた。
「貴女…本当にお人形さんが好きね…
いいわ、用意してあげるから、テレーゼ様はちゃんと返してちょうだい」
「アダリーシア嬢、出来たら私にもお一つ頂戴できませんか?」とテレーゼ様が意外なお願いをした。
「娘にプレゼントしたいので」と彼女は人形の行き先を教えてくれた。
まだ幼い印象なのに、お子様がいるのね。
その子もきっと可愛いだろうと想像した。
「あぁ、フィリーネ嬢の…分かったわ、腕のいい人形師に依頼しますわ」
テレーゼ様がご希望されたので、アディは人形の用意を約束してくれた。
テレーゼ様は「良かったですね」と私に微笑みかけた。可愛い笑顔が戻って満足している自分がいた。
「お待たせしてごめんなさいね、皆さん。
そろそろお茶会が始まるから、席に着きましょう。
テレーゼ様。このお茶会は、席が決まっておりませんから仲良しで座れますのよ。
私がお隣に座ってもいいかしら?」とアディがテレーゼ様の隣の席を一つ埋めた。
「ずるいわ、アディ!
テレーゼ様、もうひとつのお隣を頂戴してもよろしいかしら?」
「ありがとうございます」とテレーゼ様は嬉しそうに笑って承諾してくれた。
「一人だったらどうしようと心配してました。だから、ご一緒してくれる友人ができて、とても嬉しいです」
子供みたいに喜ぶ姿が愛らしい。
「私たちも、テレーゼ様とご一緒できて嬉しいわ」
本心からそう言って、彼女の隣を二人で埋めた。
席に座ろうとした時に、やってきたご夫人に、アディが呼ばれた。
「リューデル伯爵令嬢。アーベンロート伯爵夫人がお呼びですわよ」
「何かしら?もう挨拶は済ませたはずよ」
「そうかもしれませんが、お時間は取らせませんので、アーベンロート伯爵夫人のお席までお越しください」
使いっ走りのご夫人は、偉そうに彼女を呼びつけた。
「分かったわ…
皆さん少し待っていて下さいね。すぐ戻ります」
「…アーダリシア嬢」
「大丈夫よ、テレーゼ様。皆さんお話したいことが沢山あるでしょうから、お相手してあげて下さいな」
アディはそう言い残して、私に視線を向けた。
黙って頷くと、彼女は安心したように席を外した。
✩.*˚
「お呼びでしょうか?」とヴェルフェルの姉妹たちが並ぶテーブルを訪れた。
アーベンロート伯爵夫人の傍らに、新しい姉妹が並んでいるのを見つけた。
赤毛の令嬢は、ワーグナー公爵家のクラウディア嬢だ。彼女の姉とは話したことがある。
彼女の前で、自分たちの力を見せつけたいのかしら?
アーベンロート伯爵夫人は笑顔で私を迎えた。
彼女は、さっき挨拶に来た時とドレスが違うのを目敏く見つけて指摘した。
「アダリーシア嬢。ドレスはどうなさいましたの?」
「ドレス?あぁ、《お義母様》のドレスに不備があったので、お貸し致しましたの」と気付かないふりをして、しれっと答えた。
その返事に、アーベンロート伯爵夫人は怒りの感情を滲ませた。私が彼女の作戦を台無しにしたと気付いたからだ…
「アダリーシア嬢、貴女は…ヴェルフェル侯爵家の味方ではなかったの?」
「何を仰っていますの?
私の父は、先代のヴェルフェル侯爵の実子ですのよ。
ヴェルフェルを名乗らずとも、リューデル伯爵はヴェルフェルの為に存在しております」
「そう…それなら、貴女のテーブルに紛れ込んでいる、《偽物》を追い出しなさい」
アーベンロート伯爵夫人は、私にテレーゼ様を追い出すように指示した。さすがにそのあけすけな物言いに不愉快になった。
「貴女にちゃんとお話しておくべきだったわ。
知らなかったのだから仕方ないわよね?ごめんなさいアダリーシア嬢…
あの子は、ヴェルフェル家に不和をもたらす存在なのよ」
「そうですか?そのようには感じませんでしたが?」と答えると、テーブルに着いていたヴェルフェルの異母妹が口を開いた。
「アダリーシア嬢、フロレンツィアお異母姉様に無礼ではありませんか?
分家の貴女を心配して、こうやってお声をかけてくださっているのに!」
その見下した物言いにイラッとした。
「何の心配でしょうか、コルネリア様?」
確かに、リューデル伯爵家はヴェルフェル侯爵家の分家に当たるが、お父様は家督は継げなくても、単身で伯爵家の地位を築いた人物だ。
本来であれば、当代限りの伯爵であるところを、国王陛下からも認められて、永代伯爵家としてこの国の貴族に名を連ねた。
父も私も、彼女らに見下されるような謂れはない。
そしてそれはテレーゼ様とて同じことだ…
彼女は貴女たちみたいに、おままごとみたいな関係に固執して、椅子を温めるだけの存在ではなくってよ!
「確かに、私の判断で勝手にドレスを変えたのは良くなかったかもしれません」と彼女らの主張に頷いて見せると、彼女らの反応が変わった。
「分かってくれたなら良いのよ」と喜ぶ彼女らの油断を誘って突き放した。
「ヴェルフェル侯爵夫人に確認すべきでしたね。今からでもよろしいかしら?」
ヴェルフェル侯爵夫人の名前を出した途端に、彼女らの表情が凍りついた。
そう、そんなに都合が悪いのね?
「ヴェルフェル侯爵家の女主人はガブリエラ様ですから、私が頭を下げて許しを乞うべきはガブリエラ様です。
今すぐにでも謝って参りますわ」
「アダリーシア嬢」
青くなるヴェルフェルの娘たちの中で、アーベンロート伯爵夫人だけが冷静さを保っていた。その冷静さの向こうには、燃え上がるような怒りを孕んでいた。
「残念だわ。貴女を妹のように思っていたのに…」
「私もお姉様だと思ってましたわ、アーベンロート伯爵夫人…」
伯爵家に嫁いだ、尊敬できる従姉として貴女を尊敬していたわ…でも、意外と小さなお人ね…
「今日は楽しいお茶会のはずですわ。違いますか?」
この不毛なやり取りに終止符をと願った。
「えぇ、その通りよ」とアーベンロート伯爵夫人は頷いた。
その素直な返事が不気味だったけれど、ここでこれ以上やり合うのはどちらにとっても良い話ではない。
喧嘩しても銅貨一枚だって儲かりはしないわ…
それどころか、王妃のお茶会で騒ぎなどになれば、双方痛い目を見るのは火を見るより明らかだ。
ヴェルフェル侯爵家の名前にも傷が付く。
それに、テレーゼ様だって、そんなことを求めてはいないだろう。
お茶会が始まろうとしていた。
トリシャ妃殿下が招待客のテーブルを回って挨拶するのだ。席に着いていないとまずい…
「それでは皆様、ごきげんよう」と在り来りな挨拶を済ませて踵を返した。
立ち去ろうとした背中に、アーベンロート伯爵夫人の声がかかった。
名前を呼ばれて、一度だけ振り返った。
アーベンロート伯爵夫人は、扇子を広げて、「残念だわ」と私に言った。
お互い様よ、と心の中で呟いて、再び彼女に背を向けた。
✩.*˚
「ごきげんよう」
テーブルを回りながら招待客に挨拶をして回った。
「ごきげんよう、ヴェルフェルの娘たち」とテーブルに並んだ親友の娘たちに挨拶した。
「お久しぶりです、トリシャ妃殿下。今年もお招きくださいましてありがとうございます」
「皆、お顔を上げてちょうだい。
あら、クラウディア嬢もこちらにいらしていたのね?」
「はい」とワーグナー公爵家の令嬢は笑顔で答えた。彼女ももうすぐヴェルフェル家に嫁ぐから、こちらの席に座ったのだろう。
「クラウディア嬢をよろしくお願いしますね。アーベンロート伯爵夫人」
「はい、トリシャ妃殿下。可愛い妹ができて、私たちも嬉しく思っております」と親友の娘が答えた。
他家に嫁いでも、彼女らは仲は良い姉妹たちだ。母親は違っても、家の為に嫁ぎ、侯爵家に貢献し続ける姿は実に美しい。
一人一人と挨拶を交わして、ヴェルフェルの娘が一人足りないことに気付いた。彼女は過去に一度会ったきりなので気づかなかった…
「ロンメル男爵夫人は?」と訊ねると、彼女らの表情が固くなった。
まさか、欠席?そんな馬鹿な…
アーベンロート伯爵夫人が「彼女はあちらの席にいますわ」と答えたので、欠席では無いと知って少し安堵した。
「私たちと座るのはお嫌なんでしょうね…」と彼女は悲しげに目を伏せた。
「彼女は《英雄》に嫁ぎましたし、お父様のお気に入りですもの…
それに、陛下や妃殿下からも目をかけて頂いてますから、私たちのことを忘れてしまったのですわ」
「…そんな」彼女ら姉妹たちが仲が良いのを知っているだけに、その言葉は悲しかった。
「申し訳ありません。私の申し上げ方はよくありませんでしたね…
陛下や妃殿下のせいではありません。お忘れください」
そう言ってアーベンロート伯爵夫人は頭を下げた。
私たちのせいで、彼女らの関係を壊してしまったのだろうか?
「アーベンロート伯爵夫人。ロンメル男爵夫人にはこちらにも伺うように伝えますわ」と伝えると、彼女は「ありがとうございます」と微笑んでみせた。
家族が仲良くいられることは良い事だ。
私が勘違いさせてしまったのであれば、それを正さねばならない。
他のテーブルを回って、若い令嬢たちの並ぶ席に訪れた。
「ごきげんよう、皆さん」と挨拶すると、リューデル伯爵令嬢が代表で挨拶した。
彼女もヴェルフェルの娘の一人で、私のお茶会の常連だ。
彼女は自分の隣に座った女性を「私のお義母様になる方です」と紹介した。
なんとも愛らしい女性だ。どこの令嬢かしら?
「リューデル伯爵がご再婚されるの?」と訊ねると、彼女は驚いて、その後すぐに笑って否定した。
「違いますわ、妃殿下。
今日妃殿下にお伝えしようと思っていましたの。結婚するのはお父様ではなく私ですわ。
ロンメル男爵家の令息と婚約致しますの」と彼女は嬉しい報告をくれた。
「まぁ!おめでとう!」と喜ぶと、彼女ははにかんで、「ありがとうございます」と応えた。
テーブルに祝福の拍手が湧いた。
「では、そちらの方は?」
私の視線を受け止めたリューデル伯爵令嬢の義理の母は、私に深々と頭を下げて名乗った。
「トリシャ妃殿下にご挨拶する日を待ちわびておりました。
ロンメル男爵夫人テレーゼと申します」と彼女は優雅に挨拶した。
可愛らしいその姿と声に惹き付けられた。
彼女はロンメル男爵が爵位を授けられた時に同伴していた。
その頃はまだ幼い子供で、簡単な言葉を交わした程度だった。
父親ほど年の離れたロンメル男爵の傍らで、少女は静かに控えていた。
元々可愛らしい美少女だったけれど、彼女は成長して、さらに美しくなっていた。
「私も、お会い出来るのを楽しみにしておりましたのよ」と彼女に声をかけた。
「ロンメル男爵夫人。貴女と男爵には個人的にお話する時間をちょうだいしたいのですが、よろしくて?」
「私など、末席の夫人に妃殿下のお気遣いを頂戴し、光栄の極みです。どうぞ、妃殿下のよろしいようにお取り計らい下さい」
彼女はとても賢そうに見えた。
ガブリエラが指導したのだろうけれど、それだけではないのでしょうね。彼女は立派な貴婦人だ。
それだけに、先程のアーベンロート伯爵夫人の話は残念だった。
お友達と楽しむのが悪い訳では無いけれど、家族をないがしろにするのは間違っている。
「ロンメル男爵夫人。
アーベンロート伯爵夫人は、貴女がヴェルフェル侯爵家の娘たちのテーブルに来てくれるのを待っているわ。
後でお顔を出して差し上げては?」
私の勧めに、彼女の表情が固くなった。
心做しか、彼女は怯えているようにも見えた。
他の令嬢たちも私の言葉にざわついた。何かあったのかしら?
「お話中失礼致します、妃殿下。
アーベンロート伯爵夫人がそのようには申し上げたのですか?」とリューデル伯爵令嬢が代表して口を開いた。
彼女の手は、ロンメル男爵夫人の肩に添えられていた。
「アーベンロート伯爵夫人も、妹が揃わないから寂しがってましたよ。お顔だけでも出してはいかがかしら?」
私のお願いに答えたのはロンメル男爵夫人ではなく、リューデル伯爵令嬢だった。
「妃殿下のお願いでも、それは承諾致しかねます」と彼女ははっきりと答えた。
「この場で申し上げることは出来ませんが、私はロンメル男爵夫人をあのテーブルに送り出す事はできません」
頑なに反対するリューデル伯爵令嬢に違和感を覚えた。
彼女は若いが賢い女性だ。
徒に、王妃である自分に異を唱えて、自分や父親の立場を悪くするような事は無いはずだ。
「妃殿下、私も反対です」とテーブルから別の令嬢も声を上げた。背の高い令嬢は陛下の近衛騎士団の団長の令嬢だ。
「ベルヴァルト伯爵令嬢、貴女までそんな事を言うの?」
「臣の身でありながら、ご無礼をお許し下さい、妃殿下。
それでも、私は友人のリューデル伯爵令嬢とロンメル男爵夫人にお味方致します。
どうぞお聞き入れくださいませ」
二人の令嬢が私の願いを阻んだ。
何がどうなっているの?
味方とは、まるでアーベンロート伯爵夫人が敵のような言い方ではなくて?
後でガブリエラに確認しなくてはいけないわね…
ロンメル男爵夫人に視線を向けると、彼女は両手を祈るように握りしめていた。
彼女の握った手が僅かに震えているのを見て、私のお願いが通らないであろうことを悟った。
「分かりました。
せっかく楽しんでいたのに、世話を焼いてごめんなさいね」
「…申し訳ありません、妃殿下」とロンメル男爵夫人は私に謝罪した。
「いいのよ。お茶会を楽しんでちょうだい」と彼女の固く握った手を握って笑顔を見せた。
「ありがとうございます」と答えたロンメル男爵夫人は安堵したような笑顔を見せた。
彼女らのテーブルを後にして、挨拶を続けた。それでもずっと引っかかったままだ。
胸の中にわだかまりを抱えたまま、貴賓席に戻った。
「おかえりなさい、トリシャ妃殿下」
「お疲れでしょう?」と気遣う七大貴族の夫人たちが並ぶテーブルに戻った。
ワーグナー公爵夫人とヴェルフェル侯爵夫人の間の席に腰を下ろした。
「どうなさいましたの?」とガブリエラが私に訊ねた。気付かないうちにため息でも洩らしてしまったかしら?
「ロンメル男爵夫人にお会いしましたよ」
「あら」とヴェルフェル侯爵夫人は嬉しそうに破顔した。彼女は自慢げにロンメル男爵夫人の印象を訊ねた。
「いかがでしたか?とてもいい子でしょう?」
「ええ、可愛らしい方でした。お友達に囲まれて楽しそうでしたわ。
オレンジのドレスもとても似合ってました」
「…オレンジ?」とガブリエラが首を傾げた。彼女は何か考えるような素振りを見せた。
「えぇ、何か?」
「どうなさいましたの?ヴェルフェル侯爵夫人?」と他の夫人たちも心配そうに彼女に声をかけた。
「いえ…少し席を外してもよろしくて?」と断って、ガブリエラは席を立った。
どうしたのかしら?彼女らしくない…
彼女は足早に貴賓席のテーブルを後にした。
「どうなさったのかしら?」
「ガブリエラ様が珍しい…」と席がざわついた。
「ヴェルフェル侯爵夫人はロンメル男爵夫人を可愛がっておいでなのね」とワーグナー公爵夫人が呟いた。
「私も後でお会いしたいわ。
お話していかがでしたか、妃殿下?」
「えぇ、とても愛らしいお方でしたよ。お若いのにしっかりされてました」と答えながらあの怯えた表情が頭をよぎった。
「ヴェルフェル侯爵もお人が悪いわ。あんなに素敵なご令嬢がいるなら縁談をくださっても良かったのに…」とクロイツェル侯爵夫人が冗談交じりに呟いた。
同じテーブルの席から小さな笑い声が洩れた。
「確かに、傭兵に与えるなんて、大胆なことをなさいましたね」
「でも、お相手は《神紋の英雄》でしょう?不足はないでしょうに」
「ロンメル男爵は情報が少ない方ですが、カナルでは大活躍だったとか…
我が国の《英雄》として良き働きをなさったのでしょう?」
「男爵では勿体ないのでは?
これからもオークランドとの戦争は続くのですから、その能力に応じた評価がなされるべきですわ」
「知名度が上がれば、その分オークランドも脅威に感じるはずですもの」
自由に発言して、彼女らはお茶会を進めていた。
彼女らの発言に頷きながらお茶を手にした。
ティーカップの中のお茶は、私の心を映したようにように水面を揺らした。
✩.*˚
おかしい…
テレーゼがよこした手紙には、《アーベンロート伯爵夫人からドレスを頂戴したので、明日のお茶会はお異母姉様のドレスで参ります》とあった。
色に関しても《緑》とあったので少し胸騒ぎがしたものの、フロレンツィアが失敗するはずがないと思っていた。
また直前にドレスの色を変えたのは何故だろう?
彼女に確認しようと、テレーゼの姿を探した。
「お母様?どうなさったのですか?」と私の姿を見咎めたフロレンツィアが歩み寄ってきた。
「テレーゼを探しているの。
フロレンツィア、貴女がテレーゼに贈ったドレスは何色だったの?」
「お母様まで何事ですか?」と娘は話を誤魔化そうとした。その様子に、都合の悪い何かを感じた…
「お答えなさい、フロレンツィア。
私は《緑》と聞いたけど、トリシャ妃殿下のお話では、テレーゼは《オレンジ》のドレスを着てたそうじゃない?
私にまだ挨拶にも来てなかったし、一体どうなっているの?」
「遅れたので、挨拶に伺う時間がなかったのでは?また後で挨拶に伺うように伝えますわ」
「フロレンツィア。私は貴女のお母様ですのよ。
もし貴女が、ロンメル男爵夫人に無礼を働いたのであれば、私はロンメル男爵に頭を下げて謝罪しなければなりません」
「そんな…お母様がそんな事をする必要はないではないですか?!」
「なら、お答えなさい!」と娘相手に声音が強くなる。
「テレーゼはヴェルフェル侯爵閣下が《英雄》との絆に贈った娘です!
彼女への無礼は侯爵閣下への無礼ですよ!事の次第によっては、この私が許しませんよ!」
「…わ、私は…」
私の怒りが伝わったのだろう。彼女は青ざめた顔色で俯いた。
「あの女の娘を…」と震える声が呟くのを聞いて悲しくなった…
娘は母を想って行動したのかもしれない。しかし、とんだ見当違いだ…
「フロレンツィア。後で話をしましょう」
私が一時とはいえユーディットを憎んでしまったから、娘たちもそれを受け継いでしまったのだ…
これは私の業でもある…
「テレーゼは何処?」と訊ねると、彼女は素直に別のテーブルを指さした。
他の令嬢達に紛れて、オレンジの衣装に身を包んだテレーゼの姿があった。
彼女は笑顔でお茶会を楽しんでいた。
テレーゼの傍らには、アダリーシア嬢の姿もあった。
娘と別れて、少し離れたテーブルに向かった。
「侯爵夫人!」と私に気付いた令嬢たちが慌てて席を立って挨拶した。
「いいのよ、お楽しみのところお邪魔してごめんなさいね。すぐに済みますから」と彼女らに断ってテレーゼに話しかけた。
「そのドレスはどうしたの?」
「アダリーシア嬢からお借りしたものです。
…その…ドレスに不備が見つかりましたので…」
「そう…気づかなくてごめんなさい、テレーゼ」
「そんな…私がドレスを変えると言ったのです。ヴェルフェル侯爵夫人が気に負われる事ではありません」
「アーベンロート伯爵夫人に気を使ったのでしょう?
見抜けなかった私の失態よ。
貴女の指導役として、恥ずかしく思うわ。あの子の無礼を許してくださいね」
ほかの令嬢たちの前で彼女に謝罪した。きっと彼女らも少なからず、気づいているはずだ。
この場で正しておかなければ、後で噂になって恥をかくのは夫であるヴェルフェル侯爵だ。
テレーゼに詫びて、今度はアダリーシア嬢にお礼を言った。
「アダリーシア嬢、今回はロンメル男爵夫人に親切にしてくださってありがとうございました。
貴女の親切に心からお礼申し上げます」
「私は《お義母様》に当然の事をした迄ですわ」と姪っ子は笑顔で答えた。
彼女がいてくれて助かったわ…
リューデル伯爵にもお礼をしなくては…
「皆さん。ロンメル男爵夫人と仲良くしてくださって嬉しいわ。
是非、私のお茶会にもご招待させてくださいね」テーブルに並んだ令嬢たちにも感謝を伝えると、彼女たちは嬉しそうに頷いた。
この場は何とか収まったようだ。
笑顔で挨拶をして、トリシャ妃たちの待つテーブルに戻った。
今回のお茶会は不安だらけね…
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