燕の軌跡

猫絵師

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ヨナタンとアルド

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冬至…

太陽の出てる時間が最も短くなり、この日を境に日中の時間が徐々に長くなる。

フィーア王国で年末と言うと《冬至》で、《新年》と言うと冬至を過ぎて初めの一週間の間だ。

俺にとって地獄の一週間…

王城のあるヴォルガシュタットに向かう前に、アインホーン城に呼び出された。

俺とテレーゼの衣装合わせのためだ。

「何だよ、その顔…」と俺の脇腹を小突いて、スーが苦言を呈した。

こんな状況でもなきゃ喜べたんだが、目の前の光景に不安しかない。

「丈を合わせて頂いたのですが、いかがでしょうか?」と彼女はドレスの裾を広げて見せた。

「あー…うん…キレイダヨ…」

多分ちゃんと喋れてない…

俺の反応に、テレーゼはしょんぼりと項垂れて「変でしょうか?」と訊ねた。

変じゃないし、似合ってる。

水色の生地に虹のような光を含んだドレスは、彼女が動く度に幻想的な演出をした。

さすが王妃様が着るために作られたドレスだ…

それでも、そんな凄いドレスを着ても、テレーゼは色褪せずに、ドレスも宝石も、さらに彼女を際立たせた。

「これって…俺殺されねぇか?」

「まぁ、場合によっちゃ後ろから刺されるかもね」と、スーは物騒な一言で俺の不安を煽った。

後ろから刺されるって…ガチのヤツじゃねぇか!

やっぱり欠席…は無理だよなぁ…

「ラウラ…何とかちょっとテレーゼをブサイクにできないか?」

「何を仰ってるんですか?!こんなにお美しくて愛らしい奥様にそんな事出来るわけ無いでしょう?!」

「旦那様、酷い!」

ラウラとユリアに叱られた。でも俺だって死活問題だ!このまま連れて行けるもんか!

「替え玉とか…」

「侯爵が許すわけないでしょう?」とシュミットが大きなため息を吐いた。

お前も頭が痛いかもしれんが、俺だって全身から変な汗が出てるんだよ!なんなら胃が捻れて吐きそうだ!

「どうだ?丈は大丈夫か?」とドレスを試着していると聞きつけたであろうパウル様が、部屋を訪ねてきた。

彼はまず俺の姿を見て目を丸くした。

「なんだ?ロンメル男爵、似合ってるじゃないか?」

「…嘘でしょ?」俺の返答に、隣に立っていたスーが口元を抑えて顔を背ける素振りを見せた。

ぜってぇ笑ってるだろ!

ムカついたので背中を殴ると、スーは堪えきれなかったようで声を出して笑い始めた。

「あーっはっはっは!もー無理ィ!

だって、君…ふふっ…その格好…ひっひっ…」

「さっき散々笑っだろうが!ぶん殴るぞ!」

「まるでカーテンみたいだ」とスーは笑っていた。

「ふむ…その考えは無かったな…」とパウル様まで小さく笑った。

カーテンとは、俺の衣装の一部となっているマントの事だ。

しかも、これがキラキラした外側の布と内側の白い布と別々になっていて、遮光カーテンとレースのカーテンが重なってるように見えたらしい。

俺の背の高さも相まって、何故かスーの笑いのツボにハマったようだ。

衣装はテレーゼと対になっているのに、俺の方は着られてる感が半端ない。衣装だって、着るのが俺じゃガッカリだろう…

「お似合いですよ」とテレーゼは慰めてくれるが、別に嬉しくもない。

だってカーテンだぜ…ダサ…

「スー様。ワルター様に意地悪しないで下さいませ。私は素敵だと思いますわ」

「ごめん、ごめん」

テレーゼに叱られて、スーはようやく笑うのをやめた。

「…驚いた」とテレーゼを見たパウル様が感想を洩らした。パウル様はテレーゼの前に立って彼女に微笑みかけた。

「ユーデットより美しい女性を見たのは初めてだ…美しくなったな、テレーゼ。

ユーデットもさぞ鼻が高いだろう」

「お父様…ありがとうございます…」

父親から褒められて、テレーゼは目を潤ませていた。彼女にとって、最大級の賛辞だろう。

俺は彼女の母親の顔は知らないが、パウル様を一目で虜にした女性だ。美しくないわけが無い。

「まぁ、卿が不安がるのも無理はないな」とパウル様は俺を見て苦笑いを浮かべた。

「ワルターってば『殺されるんじゃないか』って心配してたよ」とスーがスクスク笑いながらパウル様に告げ口した。

「まぁ、無くはないな」と答えるパウル様も人が悪い…

笑えない冗談だ…

「冗談はさておき…

二人とも下賜された衣装に問題はなさそうだな。

シュミット、荷物はどうだ?」

「着替えや必要な物はこちらにお運び致しました」

「確認する。

テレーゼの荷物はガブリエラに検めて貰いなさい。

ロンメル男爵、陛下への土産は?何を選んだ?」

「エインズワースの《波紋の剣》です。ブルームバルトはそれ以上のものはありませんから」

「なるほど、十分だろう。あれは良い品だ。陛下もお喜び頂けるだろう」

「ギルは最後まで渋ってましたがね…」と苦笑いした。

ギルはとにかく面倒事が嫌なのだ。

あの男は、気に入られても、気に入られなくても困るのだ。

それでも親方が『やる』と返事をしたから、渋々用意してくれた。

細工は親方だ。時間だってそんなに無かったのに、あの爺さんいい仕事をする。

「私ももう一振頼みたいな」と言いながらパウル様はエインズワースの作品を確認していた。

剣と一緒に《カーティスの鑑定書》も入っている。文句は無いはずだ。

荷物を改めていたパウル様の手が止まる。

「着替えの礼服は?これだけか?」

「はぁ、着回せば良いかと…」

「馬鹿者!良いわけないだろう!

五日分だと伝えたはずだ!最低十着!」

「着ますか?それ?」

「着る着ないじゃないのだ、ロンメル男爵…

他人と被る可能性も考えよ…」

「そんな事あります?」多少なら問題ないと思うが?

そう思ってるのがバレバレなのか、パウル様は指先でこめかみを抑えてため息を吐いた。

「多少なら構わないが、意図せずに衣装が被れば恥をかく。

それに、不慮の事故というのも十分にありうる。

特に酒の席ではな…」

「はあ…左様ですか…」

「些細な事でケチを付ける者たちもいる。

ロンメル男爵家はいわば《新参者》だ。

国王陛下自ら招いた賓客とはいえ、卿を妬む者たちは少なからず居る。足を引っ張ろうとする者もいるだろう。

宮廷とは魔窟なのだ。覚えておきたまえ。

私は卿を《息子》として守るつもりでいるが、舐められる要素はできる限り排除しておかねばならん」

「それが《服》ですか?」

馬鹿馬鹿しい…面倒くせぇな…

いっそ喧嘩を売るなら拳骨で来てくれる方がありがたい。

「とにかく!

私の礼服を幾つか譲る。それを持って行くように!

全く…卿が粗相をすれば、私やアレクまで恥をかくのだぞ?しっかりしたまえ!」

「パウル様、アレクは?」とスーが口を挟んだ。

「アレクは今朝早くに、一足先にヴォルガシュタットに向かった。

婚約者のクラウディア嬢と出席するための準備がある。アレクとはワーグナー公爵家で合流することになっている」

「また会えなかったかぁ…」とスーは残念がっていた。

「帰ってきたらここに立寄る?」

「いや、その予定は無い。それに、ワーグナー公爵家との約束もある。今後の式の日取りや持参金などについても色々取り決めを決めをせねばならないのでね…

まあ、時間の余裕があれば、君に会いに行くように伝えるよ」

「ありがとう、パウル様」

スーが礼を言うと、パウル様はスーを慰めるように肩に手を置いた。

「アレクは君のことを友達だと思っている。

君は会えなくても、あの子の心を支えてくれているのだよ。

これからも、アレクをよろしく頼む」

パウル様の言葉にスーは黙って頷いた。

あんなことさえなければ、スーは俺じゃなくて、アレクとの友情を選んでいたかもしれない。

そんなふうに思うこともあった。

ずっとすれ違い続ける二人の事が気になっていたが、俺にはどうしようもない事だ…

俺がスーを手放すことはできなかったし、スーも俺から離れていくことはできないだろう。

あいつも背負うものが増えた。

いつまでも子供じゃいられないからな…

✩.*˚

アレクとはまた会えなかった…

避けられているのではないか、という思いが過ぎるのは、俺自身が彼を避けた過去があるからだ。

あの時は本当に誰にも会えなかったんだ…

本当は、君に会いたかったけど、会ったらきっと君を傷つけてしまうから…

元のように生活できるようになるまで一年以上かかったし、今でも悪夢を見ることはある。

ワルターたちと別れてアインホーン城を後にした。

俺はヴォルガシュタットには行けない。

ロンメル家のお伴はシュミット夫妻とユリア、アンネ、トゥルンバルトが務める。

俺は荷物を運ぶのを手伝いに来ただけで、ブルームバルトで留守番だ。

「帰るぞ」と《犬》を呼ぶと、《犬》たちは号令に従った。

「ロンメルの旦那様たちは?」とディルクが俺に訊ねた。

「ヴェルフェル侯爵が世話してくれるから問題ない」

「結構長く留守するんだろ?大丈夫なのか?」

「へーきだよ。ブルームバルトはアーサーやケヴィンが上手くやるさ」と答えると、ディルクは「そうか」と引いた。

「なぁ、寄り道しようぜ。少しくらい帰るの遅くなってもかまいやしねぇだろ?」とイザークが悪い提案をした。

俺もシュタインシュタットに来るのは久しぶりだ。

ここは南部侯爵のお膝元だから、色々珍しい品も並んでいるし、ブルームバルトでは手に入らないものも売られている。

「俺も腹減った」

「まあ、朝飯食ったっきりだからな」とカイの呟きにディルクが同意した。

「スー、なんでも良いから食って行こうぜ」

「うるさいなぁ、分かったよ。

何食うんだ?不味いのはごめんだからな?あと、馬に乗れなくなるほど呑むなよ?」

「了解!」と元気になった《犬》の返事が返ってくる。

本当にこいつら調子いいな…

しかも、なんか勝手に俺が金出すことになってるし…

「いいのか?」とディルクが訊ねた。馬鹿たちの中で、彼だけが唯一まともだ。

「いいよ、行儀よく待ってたみたいだし。揉めないで待ってたんだから、こいつらにしては上出来だろ?」

「飼い主も大変だな」と彼は小さく笑った。

彼らと通りを歩きながら、花屋の前でふと足を止めた。

「一束くれ」と花屋の店番から花束を買った。

「帰るまでに萎れるぞ」と彼らは花束を誤解していた。

「持って帰らないよ」と答えて、店を決めて入ろうとしていた《犬》たちに、「先に食ってろ」と言い残して、また馬に跨った。

ここからならそんなに遠くない。

少し離れたところにある、白い建物の下に用があった。

俺の愛馬の足音に、別の蹄の音が重なった。

黙ってすぐ後ろを着いてくるのは、多分世話焼きな貧乏くじの男だ。

特に何を話すでもなく、彼と二人で目印になる、背の高い白い建物に向かった。

「…墓地か」と背後でディルクの呟きが聞こえた。

同じような白い墓標の並ぶ墓地の中に、その特別な場所がある。

しばらく来てなかったけど、墓はきちんと管理されていた。

当然だ。

毎年まとめて高い世話代を払っているのだから…

「来たよ、エルマー…」

彼の周りの墓も少し増えていた。白い墓標は初めの頃より少しくすんだ色に変わっていた。

時間は確実に俺たちの上を通り過ぎていた…

墓標に花束を供えて、煙草に火を点けると彼に手向けた。

「ミアとルドは連れてこなかったけど、いいだろ?

ずっと来れてなくてごめん…退屈だった?」

「スー、誰の墓だ?」黙って様子を見ていたディルクが口を開いた。

「俺の兄貴」と答えると、ディルクは眉を寄せて少し困惑したような顔をした。

「半年だけ…俺の兄貴だった男だよ」と彼に昔話を少し披露した。

不思議なことに、ディルクには過去の傷を見せることができた…

本当は誰かに話したかったのかもしれない。

ディルクなら、俺の話を黙って聞いてくれるような気がした。

「俺のせいで死んだんだ…」

その言葉を発して、口元が痙攣するように震えた。

空を見上げたのは涙が零れそうだったからだ…

あの時、油断したから、沢山失ってしまった…

兄貴も、父さんの腕輪も、親友も…

アレクに会えなかったことを、思いのほか引き摺っていた。

二人で着ようと約束したあの赤い服は、もう小さくなってしまった。

俺ですらそうなのに、君はもっと先に行ってしまっているのだろう…

お互いが分からなくなってしまわないうちに、また会いたいけど、いつもすれ違ってばかりだ…

何がいけないんだろう?何を間違えたのだろう?

「いい兄貴じゃねぇかよ」と呟いて、ディルクが墓の前に屈んだ。彼も煙草を取り出して、エルマー墓に供えた。

「弟守って死んだんだろ?お前の兄貴に悔いはねぇだろうよ」

「俺は悔いてる…」

「やめとけ。そんなの、兄貴の前でする話じゃないだろ?」とディルクは俺を諭した。

彼は俺と反対の過去があるから、エルマーの気持ちに寄り添っているのだろう。

残された奴が背負う苦しみは変わらない。

辛気臭い空気を振り払うように、ディルクは伸びをして、俺の背を叩いた。

「ほら、戻るぞ。あいつらを止める人間がいないのはまずいだろ?」

「確かに」と酒場に置いてきた《犬》たちを思い出して笑った。

「また来るよ」と約束して、エルマーに背を向けた。

今度は、ミアも連れてこよう。

ルドが大きくなってから、ここには連れて来ていない。

でも、ルドは君の子だから、ルドが真実を受け入れれるようになったら必ず連れてくるよ…

服の上からエルマーに貰った首飾りを抑えて、勝手に彼に約束した。

墓地を後にして、酒場に戻ると、《犬》たちはすっかり出来上がっていた。

よく見ると彼らのテーブルに、《犬》とは違う顔が並んでいた。

「よお。エルマーのところに行ってたのか?」と彼は俺の行動を言い当てた。

「何で君がいるのさ?」

テーブルにいたのはヨナタンだ。イザークたちが気が付いて声をかけたらしい。

珍しくひとりじゃなかった。連れがいる。

「暇だからな。俺もオーラフの墓参りだ。

あとワルターの奴に用があったんだが、少し遅かったみたいだな…」

「急ぎ?」

「いや、残念だが侯爵の城にまで邪魔するような事じゃない。また今度にするさ」と言って、ヨナタンは連れに「悪いな」と謝った。

「誰?」顔を見ようとしたが、相手は外套のフードの下に顔を隠してしまった。

仕草を見ると子供みたいに見える。顔は見えないから男か女か分からない。

「俺が拾った」と言って、ヨナタンは顔を隠して俯いた連れの肩に手を回した。随分親しげだ。

「アルド、怖がらなくていい。俺の知り合いだ」

外套の下から様子を伺うように、アルドが顔を見せた。

髪は長くない。男の子か?

顔は整っていて、線の細い感じだ。肌は白くて痩せているから女の子にも見える。

「挨拶は勘弁してやってくれ」

「らしくないね。どうしたのさ?独り身で寂しくなったの?」

「そう言うなよ。

ドライファッハに帰ってから、馴染みの店の近くで拾った。これでも少しマシになったんだぜ」とヨナタンは言っていたが、元を知らないからなんとも言えない。

「そんな声も出ないくらい怖いかね?」とイザークが少年に声をかけると、ヨナタンがアルドの代わりに答えた。

「舌を切られてるんだ。他にも幾つか身体に問題がある。虐待されていたみたいだ」

「は?何で?」

「さあな…理由は教えてくれないが、読み書きできる程度の教養はあるし、筆談でならある程度意思の疎通はできるから問題ない。

まぁ、それでも不便だからワルターに頼りに来たんだが…また今度だな」と説明して、ヨナタンは少年の頭を撫でた。

どうやら彼はテレーゼの《祝福》を頼ろうとしていたようだ。

この少年のために、わざわざドライファッハから来たのか?

彼の行動は衝動的で、俺の知っているヨナタンからは想像できなかった。

「《アルド》って本当の名前か?」

「いや、俺が勝手に付けた。名前も教えてくれないんでな」

「内緒ばかりじゃないか?」

「お前にも内緒くらいあるだろ?」とヨナタンは俺の心配を笑った。

「アルドは俺と契約中だ。

俺がこいつの衣食住世話する代わりに、《パートナー》として俺に尽くすことになってる。

まぁ、簡単に言えばパトロンだ」

「…それってつまり…」

「まあ、想像通りでいいと思うぞ」とヨナタンは否定しなかった。

肌が粟立って寒気がした。彼に今まで感じたことも無い強い嫌悪感を覚えた。

俺だったら絶対に嫌だ…

「…君がそんな人だと思って無かった…」

「まぁ、金で子供を買うなんて褒められたことではないがな…

それでも、こいつは路上で野垂れ死にせずに済んだし、俺は俺で可愛い恋人ができて満足だ。

娼婦を買って、五月婚や個人契約するのと変わらねぇよ。

《契約》だって、俺が強要したんじゃない。こいつが嫌がるならすぐにでも《解約》するさ」

ヨナタンが《解約》と言葉を出すと、アルドがフードに隠れた顔を上げた。

彼はヨナタンの袖を引いて、泣きそうな顔でヨナタンの必死に訴えていた。

「…ぃあ…ョナ…」

舌を失って喋ることがままならないのだろう。赤ん坊よりたどたどしい言葉で、彼は捨てられないように懇願していた。

「あぁ、分かってるよ。もしもの話だ。悪かったな、アルド」

「…いう…ョナ…やら…」

アルドは完全にヨナタンに依存していた。

ヨナタンは少し歪んでいるけど、悪い人じゃない。それは俺も知っている。

ただ、俺が嫌なだけだ…俺の価値観を二人に押し付けた…

「スー。他所様の事に口出さなくてもいいだろ?トゥーマンの旦那がいいってんならそれでいいじゃねぇか?」

黙ってテーブルに着いていたアルノーが口を開いた。

「そうしないと生きられない奴だっているんだよ。俺だって似たような事してた時期だってあったんだ。

そのガキは拾ってくれたのが旦那で良かったじゃねぇか?」

「そうだぜスー。この国じゃ、割とよくある話だ」と彼らはヨナタンをフォローした。

「分かったよ…俺が悪かったよ」とヨナタンとアルドに謝った。彼らの問題だ。俺が口を挟むことじゃない。

「いいさ。お前が嫌がる理由も分かってるつもりだ」とヨナタンは簡単に俺を許した。

「ここは俺が奢ってやるよ」

ヨナタンの羽振りのいい台詞に、《犬》たちが食いついた。

「いいの?こいつら結構食うぜ」

「スー、お前誰にものを言ってるんだ?

俺はその勘定で飯を食ってるんだぞ。どれくらいかかるか見たら分かる。

分かった上で言ってるんだ。素直に喜べよ」

そう言ってヨナタンは重そうな財布を見せた。

「カナルで、あの羽振りのいい伯爵からたんまり頂いたんでな。少しくらいふるまってやるよ。

ソーリューみたいにケチケチする必要も無いしな」

「彼はケチじゃないよ」と懐かしい師匠を思い出した。彼は今頃何してるかな…

「ソーリューって誰だい?」とイザークが訊ねた。

そういえば、彼らがソーリューの名前を聞くのは初めてかも知れない。

「俺の師匠だよ。ジュホンって国から来てた外国人だ」

「はあ?ジュホンなんてマジであるのか?」と《犬》たちは驚いていた。

確かに、ソーリュー以外にジュホン人には会ったことがない。それに、フィーアで使われてる地図にはジュホンは載っていない。

俺だって何処にあるのかよく知らない土地だ。

「あるよ。お前が知らないだけだろ?」

「スーの師匠ってだけでヤバそうだ」とディルクが笑った。

「ソーリューは強かったよ。ワルターが頼ったくらいだからな」と彼を自慢した。

そのうちに運ばれてきた料理がテーブルに並んだ。

食事しながら会話が弾んだ。

ふと視線を上げると、アルドと目が合った。

彼は気まずかったのか、アルドは慌てて視線を外した。食事もあまり進んでない。

「アルド、食えよ」と彼に料理を勧めた。

「俺は君をヨナタンから引き剥がそうって思ってるわけじゃないからさ…

だから心配しないで食えよ」

エルマーだったら、可哀想なアルドに優しくしたはずだ。ワルターだって、この少年を不安がらせたりしないだろう。

彼らが俺に居場所をくれたのに、俺がアルドにそうしないのは格好が悪い。

アルドは頷いて、ヨナタンに視線を向けた。

アルドと目が合って、ヨナタンは見たことないような優しい顔で笑って、彼に「良かったな」と言った。

君こそ、良かったじゃないか…

そんな野暮ったい言葉を、料理と酒で飲み込んだ。

✩.*˚

痩せた少年は、《なんでもします》と綴られた汚れた紙を広げて俺に見せた。

その姿が異質で、思わず足を止めて少年を眺めた。

みすぼらしい、物乞いような姿なのは、まぁ、よくある孤児の姿だ。

問題はその手にしていた紙だった。

教養を感じさせる綺麗な字だ。

綴りも間違ってない。

誰かに書いてもらったのもしれないが、こんな字を書けるなら、この子を助けてやるくらいの事は出来ただろうに…

『誰に書いてもらった?』と訊ねると、少年は言葉で答えずに、自分を指さした。

少年は口が利けないようで、口を一文字に結んだまま、一言も声を発さなかった。

物乞いの子供の文字には思えなかったので、試しに、持っていた紙と鉛筆を渡して、同じものを書くように指示した。

彼は紙の上に鉛筆を走らせて、慣れた手つきで同じ文章を綴って、紙と鉛筆を俺に返した。

驚いたことに、見比べた文字は、僅かな誤差はあるものの同じものに見えた。この紙に綴られた文字は、この子の筆跡で間違いは無いようだ…

耳は聞こえているようなので、『名前は?』と訊ねて紙を渡そうとした。

俺の質問に、少年は首を横に振って、名前を教えるのを拒否した。

何か訳ありなのだろう…

『《なんでも》するのか?』と訊ねると、少年は小さく頷いて、差し出した紙と鉛筆を受け取った。

《言う通りにするから、食べ物をください》

綴られた文字と少年を交互に見比べた。

痩せて汚れていたが、儚い印象の少年は綺麗な顔をしていた。

興味本位で家に連れて帰って、少年の身体を洗った。

少年は服を脱ぐのを嫌がっていたが、『身体をキレイにしたら食べ物をやる』と約束すると黙って従った。

服を剥ぎ取った痩せた身体には、古傷が沢山あった。

一番酷かったのは、少年の身体にあるべきものが無かった事だ。

誰がなんのためにしたのかは分からないが、少年は去勢されていた。

俺がその不名誉な身体の欠損に気付くと、少年は俯きながら唇を噛み締めて目を潤ませた。

この傷は治ることはないだろう…

子供でも、男なら屈辱に感じるはずだ…

身体をキレイにしてから髪を乾かしてやった。彼は大人しく、されるがままだった。

大人しく手のかからない子供だ。それに悲壮感を覚えた。

俺のでは大きすぎたから、オーラフが着てた服を引っ張り出して貸してやった。

長すぎる前髪も切って、小綺麗にしてやると、少年は元々の姿に近づいたようだ。天使みたいな可愛い顔をしていた。

家にあったものを適当に並べて、満足のいくように食べさせてやった。

食べ方も物乞いにしては綺麗なものだ。

中流以上の教育は受けているように見えた。

満たされた少年を寝室に連れて行くと、彼は自分からズボンを脱いだ。

食事の対価を差し出そうとしたのだろう。でもそれを受け取る気にはならなかった。

『いい』と断ると少年は困惑したような顔をして、オロオロと落ち着かなくなった。

書くもの要求したので、紙とペンを渡すと、少年は《何をしたらいい?》と綴った。

悪い大人に見られたもんだ…

まあ、子供を連れ込んでいる時点で悪い大人には変わりないだろう。

適当に宥めてベッドに押し込むと、少年は毛布から怯えた視線を覗かせていた。なかなか目を閉じようとしない。

何も要求しないから逆に不安になったのか?

『俺はヨナタンだ。傭兵団で経理の仕事をしている』

話しかけると少年は聞いているようだった。

身分を明かして、どうでもいい話を続けた。

オーラフだったら、この可哀想な少年をもっと上手に扱っただろう。笑顔だって引き出せたかもしれない。

でもそれは俺には無理な話だ。

しばらくすると、少年は睡魔に耐えかねて眠ってしまった。

半開きになった口の中に違和感を覚えて、覗き込んで後悔した。

全く、胸糞悪いもんを拾っちまった…

ちゃんと見たわけじゃないが、舌を奥に引っ込めて寝るとも考えにくい。彼の舌は切り取られているように見えた。

去勢されていて、舌も無い。挙句に古傷だらけだ。それなのにある程度の教育がされたような後が見受けられる。

何者かは分からないが、すぐには教えてくれそうにもない。

我ながらマズイことをしたと思ったが、後の祭りだ…

ベッドで静かに寝息を立てている少年を、今更放り出す気にもならなかった。

あいつが生きていたら、俺は絶対にこの子供を捨てると言っていたはずだ。

そしてあの男はそれを絶対に止めただろう…

喧嘩してたかもしれない。

そんな勝手な想像をした。

余計に子供を捨てられなくなった…

日が落ちてから起きてきた少年を連れて、外に食べに行った。

屋台で適当に済ませて、フリッツに会いに行った。俺よりあいつの方が上手くやると思ったからだ…

フリッツに掻い摘んで事情を伝えると、彼は哀れな子供に同情したものの、手放すように勧めた。

『お前な…いくらなんでもあのガキはマズイだろ?』とフリッツは率直に思ったことを口にした。

『らしくないだろ、ヨナタン…

厄介事に巻き込まれる前に、さっさと金でも渡して追い出せ』

『そうしたいのもやまやまなんだがな…』

そう言いながら、右手はポケットの中でミミズクの置物を触っていた。

『俺の中のあいつが許しちゃくれないんだ…』

『…オーラフか?』とフリッツは遠慮なくその名を口にした。愚直な友人の言葉に自嘲する笑みが洩れた。フリッツはそれが俺の返事だと解釈したようだ。

『だからってどうするんだ?

お前が面倒見るって言うのか?』

『二、三日間様子を見て決める。

もしかしたら自分から出ていくかもしれないしな…』

それは俺がそうであって欲しいと願っているだけで、確信はなかった。

家にある金目のものを何か盗んで、出て行ってくれるならそれでもよかった…

フリッツは『ふん』と鼻を鳴らして不満の意を示したが、それ以上あの少年を捨てろとは言わなかった。

あいつも無理して結婚を通したから、俺に強く出れなかったのだろう。

『帰るぞ』と少年を呼ぶと、大人しく待っていた少年はすぐに駆け寄ってきた。

少年は俺が渡しておいた紙と鉛筆を使って、何か書いて差し出した。

《いいの?》と訊ねる紙を見て、話を聞かれたのかと思ったが、そうでもなかったようだ。

捨てられると知っているなら、もっと別の質問をしただろう。

捨てられたから知っている…

俺を裏切った両親に訊ねたいことはいっぱいあった…

一つも解消されていないまま、俺は答えのない問題を抱えたまま大人になった…

この子供を捨てれないのは、きっとオーラフのせいだけじゃないだろう…

『帰るって言ったろ?帰るぞ』

子供の肩を抱いて、何か言いたげなフリッツを残して、ビッテンフェルトの屋敷を出た。

気まぐれで拾った少年は、嫌がる様子もなく着いてきた。相変わらず黙り込んだままだ…

『《アルド》』と勝手に少年を呼んだ。

少年は驚いた顔で俺を見上げた。

一度口に出してしまったから、後には引けない…

まぁ、引く気もないが…

『名前が無いと不便だ。

俺はお前を《アルド》って呼ぶからな。

俺が《アルド》って呼んだらお前のことだ。分かったな?』

不器用に少年に名前を押し付けた。

嫌がるかとも思ったが、《アルド》はその名前に満足したようだった。

アルドは、慌てて鉛筆を走らせた紙を俺に差し出した。

アルドはキラキラした目で俺を見上げていた。

《ありがとう》の言葉は綺麗な文字で、綴りも間違ってなかった。

✩.*˚

『ヴィヴィ…生きて…』

両親は僕に生きて欲しいと願ってくれた。

悪魔のような伯父に捕まったら、僕は今度こそ殺される…

命懸けで助けてくれた人がいたから、僕は国境を越えられた。

自尊心と声を失って、一人で異国をさまよった…

伯父の手からは逃げきれたけど、助かったとは言えない。

孤独と飢えに苛まれて、生きてと願った両親を呪うことさえあった…

僕は子供だったから、親切な人が幾らか世話を焼いてくれた。それでも僕の身体の欠陥を知ると、恐怖して引き取ろうとはしてくれなかった…

伯父の手を離れて尚、あの悪魔は僕を苦しめた…

悪魔から逃れるために、物乞いをしながら北へ逃げ続けた。

生きるために捨てられた物も口に運んだ。

大人の男の人の要求も断ることができなかった。

その吐き気のする行為を我慢すれば、食べ物やお金が貰えた。

この国はそういった行為も、合意であれば罪には問われないらしい…酷い国だ…

僕に『生きて』と願った両親も僕を責めることなんてできないはずだ…

冬になる前に訪れた街で、紙と書くものを借りていつものように紙を手に道端に立った。

お腹が空いていた…

満たされるなら、もう何でも差し出せる。自尊心ではお腹は膨れないから…

だから、『なんでもするのか?』と訊ねた男の人に、頷くことに抵抗はなかった。

目付きが悪くて、眉間には皺が不機嫌そうに刻まれていた。

怖い顔をした背の高い男の人は、僕を連れて帰ると、身体を洗って食事をくれた。

くたびれたボロボロの服を捨てて、代わりの服を用意すると、その服を僕に着せた。

その服は彼には着れなさそうで、別の誰かの匂いが染み付いていた。

家の中を眺めて、もう一人住んでるのかな?と思った。所々に誰かの影があった。

食事を済ませると、彼は僕を隣の部屋に連れて行った。

ベッドの部屋だからそういう事だろうと思った…

世話をしてもらったし、そのつもりでいたから何の抵抗も感じない。

できることなら、彼に気に入られて、一晩でも良いから屋根の下に泊めてもらいたかった…

自分から服を脱ぐと、彼は険しい顔で『いい』とそれを断った。

何か気に触ったのかと心配になった。

これだけしてもらって、何も無いなんてことがあるはずない。もしかしたら、もっと悪いことがあるのかもしれないと勘ぐった。

 それでも彼は僕をベッドに寝かせると、不器用に話をしてくれた。

《ヨナタン》と名乗った男の人は、この家で一人で暮らしているらしい。

傭兵団で経理をしていると言っていたから、頭のいい人なんだろう。彼は僕の字を褒めてくれた。

彼の低い声が子守唄のように響いて、いつの間にか眠ってしまった。

起きたら追い出されるかもと思っていたけど、彼は僕を外に連れて行くと、屋台でご飯をご馳走してくれた。

暖かい出来たての食事は久しぶりだった。

固くなったパンでも、僕にとってはご馳走になっていたから、これが最後の晩餐でも文句はなかった。

彼はそのまま僕を連れて大きなお屋敷に向かった。

『少し話をしてくる』と言って、彼は大きな男の人と別の部屋に行ってしまった。

もしかして、ここに置いていかれるのかな?

大きなお屋敷だけど、お金持ちには変わった嗜好の人も多い。それで痛い思いをしたこともあったから不安になった。

座って待っていると、戻ってきた《ヨナタン》は、僕に『帰るぞ』と言ってくれた。置いていかれる心配はとりあえず無くなったので安心した。

それに、『帰る』って…

慌てて確認すると、彼はまた眉間に皺を寄せて、『帰るって言ったろ?』と告げた。

少し苛立ってるのは、僕が彼に確認したからだろうか?僕はおかしなことを訊いてしまったのかな…

肩に添えられた手のひらは、彼の険しい顔とは対照的に優しかった。

彼は帰り道で、僕に《アルド》と名前をくれた。

その夜から僕は《アルド》になった。

ヨナタンは僕を追い出そうとしなかったし、食事や住むところの世話をしてくれた。

数日経って、彼の方から提案があった。

彼は、自分の《恋人》になるなら、このまま家に置いてくれると約束してくれた。

僕に断る理由は何も無かった。

ヨナタンは優しかった。やっと人間の生活に戻れたから、多少歪だけど、彼の《恋人》になるのに抵抗はなかった。

一緒に暮らしながら、彼から勉強を教わった。

やっぱり彼は頭が良かった。

僕を仕事場にも連れて行って、経理の手伝いをさせた。文字が読めたから、整理をさせたり、簡単な計算も僕に任せてくれた。

あの大きな人はヨナタンの働く傭兵団の団長だったらしい。彼は見た目に反して優しい人だった。

ヨナタンが交渉してくれたから、団長から経理見習としてお金を貰えることになった。

全部ヨナタンのおかげだ…

僕はもう彼なしでは生きられないんだ…

『今ある仕事が一段落したら、少し遠出する』と言われた時も、何も疑わずに頷いた。

彼に連れられて、フィーアの南部に向かった。

不安だったけど、彼と離れるより良かった。

目的地の前で、ヨナタンの知り合いに声をかけられた。

彼は声を掛けてきた数人の傭兵たちと一緒に酒場に入った。彼らの雇い主がヨナタンの知り合いらしい。

遅れて合流した青年は綺麗な顔をしていた。

青年の紫の瞳は、ヨナタンを捉えて嬉しそうな光を宿した。

青年はヨナタンと親しげに挨拶を交わしていた。

ヨナタンは彼に会いに来たのだろうか?

もしかして、僕の前の恋人だろうか?

急に不安になった。綺麗な青年は僕に視線を向けたので、隠れるように顔を伏せてしまった。

ヨナタンが僕を《恋人》として彼に紹介すると、青年の機嫌が悪くなった。彼らのやり取りが僕を不安にさせた。

一緒にいたから人たちが青年を宥めたが、僕の事をよく思ってないように見えた。

やっぱり彼も恋人だったのかも…

そう思うと居心地が悪くなる…

視線が合って、また顔を俯いてしまった。視線を逸らしてからまた不安になる…

不快にさせたかも…もっと嫌われるかも…

『アルド、食えよ』

不安を感じていた僕に、彼は僕の前に料理の乗った皿を押し付けた。

顔を上げると、青年は頬杖を着いて僕の顔を見て苦笑いを見せた。

『俺は君をヨナタンから引き剥がそうって思ってるわけじゃないからさ…

だから心配しないで食えよ』と彼は言ってくれた。

この人も優しいんだ…

確認するようにヨナタンに視線を向けると、彼は珍しく優しい顔をしていた。

『良かったな』と笑顔を見せて、彼は僕の肩に手を添えた。
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