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差別
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年の暮れに、珍しくギルが俺の屋敷を訪ねてきた。
「エドガー!デカくなったな?」
「こんにちは!」とチビ助は大袈裟なくらい頭を下げて元気に挨拶した。俺はこいつのこういうところが好きだ。
「なんだ、いい服着てるじゃねえか?親父が買ってくれたのか?暖かそうだな?」
「えへへぇ」とチビ助は嬉しそうにモジモジしながら照れて見せた。
エドガーは少し長い袖から小さな手を出して、自慢げに手袋も見せてくれた。
「父が買ってくれた」
「良かったな」とワシワシと頭を撫でるとキラキラした子供の笑い声が溢れる。
エドガーは嬉しそうにギルにまとわりついた。
ギルは屈んでエドガーを抱き上げると、俺に「少しいいか?」と訊ねた。
「なんだよ?」
「仕事が欲しい」とギルは単刀直入に話を切り出した。
「どうしたんだよ?この間の稼ぎじゃ足りなかったのか?」
「いや、十分すぎるくらい貰った。
でもこれからまた金が必要になるかも知れん」
「お前が金金言うなんて珍しいじゃねぇか?
何かあったのか?」
「二人目が出来た」とギルは理由を話してくれた。
来年の夏にエインズワース家は家族が増えるらしい。
「エドガー、お前兄貴になるのか?めでたいじゃねぇかよ?!お祝いしてやるよ!」
「気持ちは有難いが、それはいい。アニタも気にする」と彼は相変わらず素っ気なく断った。
いい事のはずなのに、ギルは手放しで喜べないようだ。
まぁ、ガキが増えるって事は、金も必要になるだろうしな…
まぁ、金の話なんて子供の前でするもんじゃないな…
そう思ってエドガーに他の子供たちと遊んでくるように提案した。
「エドガー。親父と話があるから、その間ルドと遊んでな」
「フィリーネちゃまは?」とエドガーはもう一人の遊び相手の名前を出した。美人を要求するなんてちゃっかりしてるな…
「いるぜ。多分ルドと一緒だよ。お前も一緒に遊んできな」と屋敷に二人を上げて、子供部屋にエドガーを預けた。
エドガーが来たのを知って、ルドが嬉しそうにエドガーに駆け寄ってハグをした。
遊ぶ相手が増えて嬉しそうだ。
「アグネス、ちょっと一人増えるが頼むな」
「かしこまりました」とトゥルンバルト夫人は子供を引き受けてくれた。彼女の娘たちも一緒に遊んでいた。賑やかだしエドガーも楽しそうだ。
エドガーが無事に子供たちに混ざったのを見て、ギルは少し安心したらしい。表情が少しだけ和らいでいた。
応接間に場所を変えてギルと話の続きを再開した。
「で?仕事の話だったな?」
「あぁ」と頷いて彼は金が必要な訳を話してくれた。
「エドガーを産んだ時、アニタをちゃんとした医者に診せることが出来なかった」
どうやらその件をずっと気にしていたらしい。
旦那として不甲斐なく感じていたのだろう。
「なんかあったら俺も助けてやるよ」
「お前はこの土地の領主だろう?
俺の家族を大切にしてくれるのは有難いが、限度がある。よく思わない奴だっているはずだ」
「でもよ、お前はこの街を守ってくれたじゃねぇか?その礼だってろくにできてないだろ?」
「俺がオークランド人でなければ、それで納得してもらえたかもしれんがな…」とギルは少し含んだような言い方をした。
その言葉に胸騒ぎがした。
「…何かあったのか?」
「客が少し減っただけだ」とギルは控えめに言った。でもそれだけだとは思えなかった。
ギルの方から俺を頼ってきたのはそういう事だろう…
腹の奥で怒りが沸々と沸いた。
「俺が話をつけてやる」
「いい…必要ない」とギルは諦めていたようだった。それがまた腹が立つ。
「でもよ!お前は何も悪くねぇだろ?!そんな目に遭う理由なんてねぇだろうがよ?!」
「正当な評価だとは思ってないが、街の奴らが間違っているとも言い難い。俺は余所者だ」とギルの答えは冷めていた。
ギルは何も言わなかったが、俺の知らないところで、エインズワースの一家が街の連中から差別を受けているのなら、見過ごす事は出来なかった。
それにここに住むオークランド人はギルだけじゃない…
「ここは俺の土地だ。
お前ら家族は俺が世話するって約束した。その約束は今でも変わってねぇよ。
俺がムカついたから、俺のためにするんだよ。お前が何言おうか知ったことか!」
「迷惑な奴だな」とギルは困ったように笑った。
「うるせぇ、俺の街だ。俺の好きなようにして何が悪い?」と開き直った。
ギルは迷惑に思うかもしれないが、有耶無耶にするにはタチの悪い問題だ。知ってしまったなら尚更放っておく訳にはいかない。
「俺は仕事さえ貰えればそれでいい。
エドガーと遊んでくれる子が居て安心した。また連れて来ていいか?」
「そんな事訊くな。良いに決まってるだろ?」とぶっきらぼうに答えると、ギルは珍しく素直に礼を口にした。
「迷惑をかける」とギルは頭を下げたが、どうにもこいつの様子がおかしく思えて、胸騒ぎがした。
「…出て行くとか言うなよ?」とギルに釘を指した。
ギルは俺の言葉を受け流して、また、「仕事をくれ」と同じ要求を繰り返した。
こいつも頑固だからそれしか言わない。
仕方なく、言う通り仕事を頼む事にした。
「何か困ったことがあればなんでも相談しろよ?この街じゃ《ロンメル》が一番偉いんだ。文句なんて言わせねぇよ」
「気持ちだけで十分だ」と答えて、ギルはエドガーを連れて帰って行った。
二人が帰ってからルドにエドガーの様子を訊ねた。
「ルド、エドガーと何して遊んだ?」
「積み木。どっちが高くなるか競争した!」
「エドガー何か言ってたか?」
「『楽しい』って。『遊ぶの久しぶりだから』って言ってた」
「…そうか…ありがとな」ルドの頭を撫でて礼を言って、今度はトゥルンバルト夫人にエドガーの様子を訊ねた。
「とってもいい子でしたよ。
でもあの子…ちょっと心配な事口にしてて…」と彼女もエドガーを心配していた。
「『いつも誰と遊んでるの?』って訊ねたら、『もう遊べないの』って…
お友達がなくなってしまったのかしら?私悪い事訊いてしまったのかと心配で…」
「分かった。また来たら遊ばせてやってくれ」
「かしこまりました、旦那様」
夫人は快く返事をしてくれた。
彼女もギルが元オークランド人と知っているはずなのに、彼の息子を一人の子供として扱ってくれた。
「アグネス。ギルの事はどう思う?」
「エドガーのお父様がこの御屋敷を守って下さらなかったら、私たちも奥様も大変なことになっていました。
息子さんをお預かりして遊ばせてあげるだけで、少しでもお役に立てるなら、ギルバート様にご恩返しができます」
その言葉が聞けて安心した。
ギルの事を悪く言うのは一部の人間だと信じたかった…
嫌な話だか、テレーゼとシュミットにも話をした。
「ミアの件と言い、あまり気分のいいもんじゃねぇよ…
アーサーやアダムからは何も聞いてないか?」
「聞いてないだけで、何かしら確執があってもおかしくはありません。
しかし、彼らはロンメル家の預かりですから、エインズワース家に比べて、街の人間との接点が少ないかと…」
「そんな…それではあんまりです…
ギルバート様は私たちの恩人ですのに…」
黙って話を聞いていたテレーゼが、悲しそうに俯いた。俺も同意見だ。
ギルにはカナルでも世話になったし、俺の不在時に街を守ってくれた。
あいつがいなかったら、ブルームバルトは騎行の軍隊に奪われ、テレーゼやフィーも無事ではなかっただろう。
それに、俺がシュタインシュタットからエインズワース家を引き抜いたのだ。あの一家に責任を感じていた。
「あいつが思い詰めて、この街を出ていくなんて事になったら困る」
「それは困りますね…
エインズワース家は腕のいい職人です。彼に代わる職人はなかなかいないでしょう。
旦那様の《祝福》に耐えうる剣は彼にしか作れませんからね」
「まぁな…それに、レオンにも『家族の事は任せろ』って約束したんだ。俺は嘘吐きになる気はねぇよ」
「だからといって、どうするんです?妙案でもおありですか?」と言うシュミットの指摘に頭を抱えた。
どうしたいかは決まっていても、どうやるかは決まっちゃいない。
「だからお前とテレーゼを呼んだんだろ?
角が立たないように何とかならないか?」
「無茶言わないでくださいよ」とシュミットは俺の無茶振に苦い表情で答えた。
「ワルター様、お父様に相談してみては?」とテレーゼが提案してくれたが、パウル様も今はそれどころでは無いはずだ。
厄介事を持ち込むのは気が引けた。
「彼がこの土地に必要な人だと、街の皆さんが認めてくだされば、きっと差別されるようなこともないはずです」
「そんなのこの街の連中だって分かってるはずだ」
街がでかくなったとはいえ、この街にある鍛冶屋はエインズワースの工房だけだ。
物流が安定しているとはいえ、急な修理の依頼等は頼らざるを得ない。
人間、頭で分かっていても、感情が着いてこないなんてことだってある。
だからこそ、それじゃダメなんだ…
目立つのが苦手なあいつの事だ…
我慢して我慢して、そのうちふらっと消えてしまうのではないかと心配していた。
「あいつはいい奴なんだ…」
何より家族を愛してて、今の生活が幸せなんだ…
俺だってそうだから、あいつの気持ちはよく分かる…
「とりあえず、明日、メイウッドの爺さんと話してくる。テレーゼ、お前も来てくれるか?」
「はい。お伴致します」とテレーゼは微笑んで応えた。
「悪いな」
「いいえ。ワルター様と大切なご友人のお力になれるなら、喜んで参ります。
それに、エドガーも、エインズワース家の新しい家族も、この街とロンメル家の宝物です」
テレーゼにとって、どんな子供も等しく彼女の宝物なのだ。
「子供たちにもこの街がどんな所か教えてあげる良い機会です。
私は案外欲張りなんですよ」とテレーゼはそう言って笑った。
「ウィンザーはフィーアを受け入れてくれました。それなら、彼らはオークランドに帰れない人たちも受け容れてくれると信じています」
彼女の言葉の通りならいいのにと思った。
✩.*˚
「寒くないか?」とエドガーに訊ねた。
白い息を吐きながら、幼い息子は「寒くないよ」と答えた。
自分で歩くと言うから、手を繋いで通りを二人で歩いていた。
あの頼りなく、小さかった赤ん坊が大きくなったなと、ふとした時に気付かされる。
無事に子供が産まれれば、エドガーも兄になる。
まだよく分かってないだろうが、そのうち理解するだろう。
「父のおてて、温かい」とエドガーは笑顔で俺を見上げた。
ロンメルの屋敷で子供たちと遊んで、エドガーはご機嫌な様子だ。
あの騎行の一件以来、街の人間から距離を置かれるようになった。
そして、どこから出た話かは知れないが、俺が《オークランド人》だと知る者が現れた。
カナルの岸で目立ちすぎたのか、あの騎行の中に俺の事を知る人間が居たのかは分からない。
覚悟はしてたが、それなりに堪えた。
何より、アニタやエドガーたちの事が心配だ…
いつも来ていた行商人が立ち寄らなくなったり、報せが回ってこなかったりと、小さな変化が重なった。
そのうち、アニタが怒りながら帰って来たと思ったら、時々出入りしていたアニタの友人と子供が来なくなった。
理由を訊ねると、彼女は『いいよ、もう絶交した』と言って、寂しそうに『友達だと思ってたのにね』と後悔を口にした。
『俺のせいか?』と訊ねると、彼女は『あたしのためよ』と言っていた。
そんな彼女の強がりが分からないほど、俺は馬鹿じゃない。
俺が居なくなれば、ウィンザー人の彼女らが辛い思いをすることも無くなるだろうか?
それなら、俺は最悪な現実でも受け入れようと覚悟した…
ロンメルやリューデル伯爵からの報奨金で、仕事がなくても困らない程度に金の蓄えはある。
それでも、稼ぎ手を失っても生活に困らないくらいには用意しておいてやりたかった。
そんな考えをロンメルはお見通しだったらしい…
苦い表情を浮かべて、俺を引き止めるあいつの姿に何も言い返せなくなった。
それでも仕事をくれと頼む俺に、あいつは大きな仕事をくれた。
『ヴェルフェル公子の結婚祝いに贈る剣を作ってくれ。
来年の春になる前には欲しい。
出来栄えに気に入らなかったやつも俺が買う。俺は別に見た目気にしないからよ』
『そんな仕事を俺なんかに依頼して良いのか?』
『俺はお前より腕の良い鍛冶屋を知らねぇんだ』とあの男は嘯いていた。
お前が探さないだけだろう?
鍛冶屋なんて探せば腐るほどいるだろうに…
とにかく、成功すれば金になる。
装飾は親方が上手い具合にしてくれるはずだ。帰ったら相談しよう。
家に着くと庭の井戸の近くに馬が繋がれていた。
珍しい…客だろうか?
「おうまさーん!」とエドガーが馬を見て喜んでいると、俺たちが帰ってきたのに気が付いたアニタが家から出てきた。
「おかえり」
「誰か来てるのか?」とアニタに訊ねると、彼女は嬉しそうに「パトリックが来てくれたんだ」と教えてくれた。
シュミットシュタットの商業組合で働いていた男だ。確かにアニタの兄の親友だったという話しで、シュミットシュタットでは仕事を回してもらったりと世話になった。
「おう!ギルバート、邪魔してるぜ!」
アニタの後ろからパトリックが顔を出して挨拶した。彼は人当たりの良い男で、俺とは対照的だった。
「二人目だってな。親父さんから手紙が来たから何事かと思ったぜ。おめでとう!」
「あぁ、ありがとう」と礼を返すと、俺の隣にエドガーを見つけて破顔した。
「エドガーもデカくなったな!こりゃどっちに似たんだ?母ちゃんか?」
「親父に似たら良かったのにね」とアニタが笑った。いつもの明るい彼女だ。
パトリックは家から出て来て、エドガーを拾い上げると、「寒いな。中で話そうぜ」と俺を中に誘った。
パトリックはエドガーをアニタに預けて、俺と二人でテーブルに着いた。
パトリックは「最近どうだ?」と俺に訊ねた。
「まぁ、細々とやってる」と濁して答えると、彼は「そうか」と残念そうに呟いた。
「オークランドの騎行の話はシュミットシュタットにも届いてる。
お前ら家族が心配だったが、俺も忙しくてな…なかなか見舞いに来れなくて悪かったよ」
「気持ちだけで十分だ」と彼の親切に感謝した。
それでも心配はそれだけじゃなかったらしい。
「ギルバート。お前元オークランド人だったよな?こんな田舎じゃ風当たり強いんじゃねぇのか?大丈夫か?」
「それは…」
「俺もお袋がオークランド人だ。
シュミットシュタットじゃ珍しくもないから誰も気にも留めねぇがよ、こんな田舎でモロに被害が出てるなら話は別だ。
心配で顔を見に来たんだけどよ、やっぱりそうか…」
「少し不便してる程度だ。ほとぼりが冷めれば…」
「オークランドはまた来るぞ。その度に振り回される気か?」
「それは…そうだが…」
パトリックの言いたい事は分かる。今回の戦も停戦であって、終戦ではない。これは続くということだ…
「お前らシュミットシュタットに帰って来いよ」と、パトリックは言いたかったであろう提案を提示した。
「せっかくここの領主様が引き抜いてくれたのかも知れないがな、お前がオークランド人ってだけでエインズワースの人間がちゃんと評価されないのは良くねぇよ。
もちろんお前も含めてだからな?変に自分を責めるなよ?
鍛冶屋が必要なら、他の奴をシュミットシュタットの商業組合を通して紹介してやるよ。
領主様に言いにくかったら俺が仲介してやる」
パトリックは親切で話を持ってきてくれたのだろう。それでも首を縦に振ることは出来なかった。
「…今は、移るつもりはない」と今の正直な気持ちを答えた。それにパトリックは少しだけ眉を寄せた。
「今日、ロンメルから仕事を貰った。
ヴェルフェル侯爵の公子の結婚祝いに剣を用意してくれと言われた」
「なるほど…いい仕事だ」
「ロンメル夫妻には世話になった」
「義理堅い男だな」とパトリックは苦笑いで呟いた。
「あんたはトラヴィスより頑固そうだ」とパトリックはアニタの兄の名前を出した。
「すまん」
「いいよ。分かってるさ…
俺はあんたみたいな生きるのが下手な人間はほっとけねぇんだ。
もしどうにもならなかったら俺を頼れよ?
仕事なりなんなり世話してやるよ。なんたってお前もエインズワースだからな。俺の親友の家族だ」
「そう言って貰えると心強い。ありがとう、パトリック」
「気にするな。俺が好きでやってんだ」
パトリックは笑うと、右手を差し出した。
彼は約束するように固く握手をして俺に「頑張れよ」と言葉をくれた。
弱気になっていた気持ちに、淡い希望が溶け込んだ。胸の中の沈んだ思いが僅かに軽くなる。
まだ、俺は諦めなくていいのか?
俺はこのままアニタたちと暮らせるのか?
そんな希望を見てしまった…
パトリックは俺との話を終えると、エドガーと少し遊んで帰って行った。
「いい人だろ?」
門でパトリックを見送って、アニタが自慢げに俺に訊ねた。
黙って頷いて、彼女にパトリックからの話を伝えた。
「お前はシュミットシュタットに帰りたかったか?」と彼女に訊ねた。
アニタは俺の手を繋いで「中に行こう」と家の中に誘った。
「ギルって手熱いね。冷え性のあたしにはちょうどいいや」と彼女は陽気に笑った。
「まぁ、正直な話、帰りたいとか思わなくもないよ。子供の頃からの友達だっているしさ…
でも、あんたはここに残るって言うんだろ?
あんたがいないなら、あたしはいいよ」
アニタは俺の隣を選んでくれた。胸の奥が熱くなる…
「すまん…」
「バカだね、夫婦ってそんなもんだろ?
そういう時は『ありがとう』って言うんだよ」
アニタは子供に言い聞かせるように優しく俺を叱って、逃がさないように俺の腕に両手を絡めた。
まだ、頑張れる…
この幸せを諦めるには、まだ少し早かったようだ…
✩.*˚
久しぶりに学校に顔を出すと、子供たちの歓声が私を迎えてくれた。
「テレーゼ様!」
「元気になったの?」
「おかえりなさい!」
元気な子供たちの声に囲まれて、幸せな気持ちになる。
知らない顔も少し増えていた。
子供たちに垣根から手が伸びて、一人一人と握手した。
「スゲェ人気だ。今日一日で終わるか?」とワルター様が苦笑いで呟いた。
「ご領主様だ」
「何しに来たの?」
「テレーゼ様のお伴だよ」と子供たちは小鳥のようにワルター様の周りで囀った。
ワルター様はそんな子供たちを優しい顔で見下ろしていた。
「俺の嫁さんだからな。ちゃんと返せよ?」
大人気ないワルター様に、子供たちは不満げな合唱が返した。
相手は領主だと言うのに遠慮がない。近所のおじさんのような扱いだが、彼はそれがいいらしい。
「お前らこの部屋寒くねぇか?」とワルター様はそう言って子供たちを見回した。
「少し寒いけど、風が入ってこないから大丈夫」
「お家の方がスースーするよ」
「そりゃまずいな…
このままじゃテレーゼが風邪ひいちまう。火鉢でも用意させるか?」
「助かります」
「すぐ持ってこさせるから待ってな。無理するなよ?」と言い残して、彼は教室をあとにした。
「ご領主様、優しいね」と誰かが言った。そう言われて嬉しくなる。
「そうですよ。ワルター様はとっても優しい方です」と子供たちにも教えてあげた。
「優しい人は好き?」と子供たちに質問すると、彼らは肯定的な返事を返してくれた。
「今日はね、紙芝居を持ってきたのよ。
ドライファッハで病気を治してた時に、姪っ子のジビラと一緒に作ったのよ。
みんなお行儀よく聞いてくれるかしら?」
「聞きたーい!」
「はい。じゃぁ、見えるように並んでね。
いつも通り、小さい子が前で、大きい子は後ろに並んで。
お話中は?」
「お喋りしないで、手はお膝!」子供たちは元気な声でお約束を答えた。
「はい、よろしい。みんないい子ね」
子供たちを褒めて、屋敷から持ってきた荷物を解いた。中にはジビラと作った紙芝居が入っている。
『子供たちが仲良くなれるようなお話がいいわ』と私が書いた文に、ジビラが絵を用意してくれた。
《ねじれ角のクルト》は一角獣だけど、周りと違うから群れから追い出された。
仲間を探して山羊の群れや羊の群れにお願いしたけど、仲間には入れて貰えなかった。
ずっと一人でいると、子馬がやってきて、角をかっこいいと言って彼を群れに誘ってくれた。
大人たちはクルトを嫌がったけど、初めて出来た友達の子馬とクルトは仲良しで、いつも一緒に過ごしていた。
ある日、クルトが子馬に会いに行くと、馬の群れは狼の群れに襲われていた。
クルトは捻れた角で狼たちを追い払った。その時角が折れてしまったけど、彼は友達を助けたことで満足だった。
捻れた角は半分になってしまったけれど、仲間に入れてあげなかったのに、自分たちを守ってくれたからクルトに感謝して、大人たちも彼を群れの仲間に迎えてくれた。
それからクルトは欲しかった仲間と一緒に毎日幸せに暮らしました、という話だ。
「どうだった?」と子供たちに感想を求めた。
子供たちは顔を合わせて「良かったね」とクルトの幸せを喜んでくれた。
「お話ちゃんと聞いてたかしら?
質問してみようかな?」
まだ質問してないのに、子供たちは元気に「はーい!」と手を上げた。教室が賑やかになる。
皆自信があるのね。いいことだわ。
「じゃあ一人ずつ質問しようかな」と手を挙げていた子を指名した。
打てば鳴る太鼓のように、子供たちは私の質問に答えた。物語の順番も難なく答えた。
物語の内容もしっかり覚えてる。
質問の内容も意図もよく分かってる。
この子たちの考える力は十分だ。
子供たちに一番伝えたいことを教えてあげなければ…
「私はね、この街の人たちに《子馬の群れ》になって欲しいの」
「何で?」
「子馬の群れはクルトを嫌がったんだよ?」
子供たちは私の願いに不思議そうに首を傾げた。
「でもちゃんと仲間にしてくれたでしょう?」と子供たちに答えた。子供たちはちゃんと私の話を聞いてくれた。
嬉しいな。この子たちはきっと分かってくれる。
「誰だって、最初は見た目から入っちゃうわ。
私も初めてワルター様にお会いした時、怖くてろくに顔も見れなかったんですもの」
そうよ…私だって間違えた…
あの人はあんなに優しくて素敵な人だったのに…
「見た目だけじゃないわ。その人を知らなかったら、判断する材料は他人の話だけになってしまうわ。だって知らないんだもの…
でもね、それだけじゃ本当の事は何も知らないままよ」
「《山羊さん》や《羊さん》になっちゃう?」
「そうね。でも《山羊さん》も《羊さん》も間違ってはないのよ。
彼らは知ろうとしなかっただけよ。残念なのはそこね…
《子馬》みたいに純粋に、《クルト》を知ろうとしてくれたら、もしかしたら彼らと仲間になれたかも知れないわよね?」
「そうだったら良かったのね」と誰かが言ってくれた。
「子馬を助けてくれたもんね」
「クルトは優しいよ。皆を助けてくれたもん」
「角も欠けちゃったのにね」
子供たちは膝を抱えたまま思ったことを口にしていた。
そうよ。クルトは群れに入りたかったけど、そのために戦ったんじゃないわ…
どうしても守りたいもののために、戦ったのよ…
「皆、私の言いたいことを分かってくれて嬉しいわ。
皆は仲良くできるかしら?」
「うん!」と子供たちは元気な返事をくれた。
「新しいお友達も仲良くできる?」
「できる!するよ!」と彼らは約束してくれた。
「ありがとう。そう言って貰えると私も嬉しいわ。
ブルームバルトは元々ウィンザー公領だったから、ウィンザー人やフィーア人の他にも元々オークランド人だった人もいるわ。
その人たちは?」
「オークランド人って…悪い人?」
「そういう人も居るわよね。でも、フィーア人にも悪い人はいるし、オークランド人でも心のキレイな人だっているわ。
だから、一括りに《悪い人》とは思って欲しくないの。
この街をオークランドの軍隊から守ってくれた人は《オークランド人だった人》よ。
私はその人たちに心から感謝しているわ。ワルター様もヴェルフェル侯爵様も私と同じ考えよ。
皆は助けてくれた人に感謝しない?
そうだとしたら、私は悲しいわ…」
「…その人…《クルト》なの?」
「そうかもしれないわね」と答えると、子供たちは少し考え込んでいた。
自分たちで考えるのはとってもいい事だ。
この子たちが考えて、納得した答えが一番大切だ。
それはこの子たちの答えだ。
ああしなさい、こうしなさい、と言っても納得できないなら、ずっと心に違和感が残るだろう。
それでは意味が無い。我儘を押し付けるなら、それでは憎しみを撒く人たちと変わらない。
子供たちの答えを待っていると、教室のドアをノックする音が響いた。
「持ってきたぞ」とワルター様が手伝いの人たちを連れて戻って来た。
火鉢に火を用意すると、子供たちは嬉しそうに声を上げて喜んでいた。
「ねぇ、ご領主様」
「何だ?」とワルター様が応えると、子供たちは考える材料を彼に求めた。
「ご領主様はオークランド人嫌いじゃないの?戦いに行ったのに?」
「嫌いだから戦いに行ったんじゃねぇよ。ガキじゃねぇんだ。
俺は俺の大事なもんを守るために戦ってんだ。好きで戦うもんか!
俺は野蛮人じゃねぇぞ」
「そうなの?」
「そうなのって…お前らなぁ…
なんならオークランド人なんかより嫌いなフィーア人だっているしな…
お前ら子供のくせにそんな大人の都合を気にしてるのか?」
「だって、オークランド人は悪い人たちなんでしょ?僕らを殺しに来るって言ってたよ」
「誰がそういったんだ?」とワルター様が訊ねると子供は口を噤んで俯いた。
ワルター様は子供の反応にため息を吐くと、質問した男の子の頭に手を伸ばして撫でた。
「安心しろよ。この街は俺の街だ。この街で悪さなんてさせねぇよ。
フィーアとウィンザーだって戦争したけどよ、俺がお前らに何か悪いことしたか?」
「ううん。ご領主様は優しいよ」
「じゃあそれでいいじゃねぇか?
オークランド人だって、オークランド人だから悪い訳じゃねぇだろ?
お前らウィンザー人は、元はフィーア人よりオークランド人と仲良かったはずだぜ?」
乱暴な言い方でも、彼の言葉は優しく子供たちに響いた。
子供たちはワルター様の言葉をゆっくりと飲み込んで、皆で相談した答えを私に持ってきた。
「テレーゼ様。僕たち《子馬の群れ》になりたい」
その言葉がとても嬉しかった。子供たちに手を伸ばして皆の頭を撫でた。
「嬉しいわ。ありがとう、皆」
「何だよ?《子馬》?」とワルター様は首を傾げていた。
「テレーゼ様の作ったお話だよ」と子供たちはクスクス笑って、ワルター様に教えてあげていた。
「ねぇ!テレーゼ様!もう一回読んで!」
「ご領主様!ここに来て!一緒に見よう!」
「何だよ?座れってか?」子供たちの手が伸びて彼の手や服を引っ張った。
ワルター様は照れくさそうな苦笑いを浮かべながら、子供たちの言いなりになっていた。
子供たちは彼を真ん中の特等席に座らせて、読み聞かせのルールを教えてあげていた。
「仲間に入れてもらえて良かったですね」と彼に笑いかけると、ワルター様は照れくさそうに笑って応えた。きっと彼も嬉しいんだ。
彼はこの土地の領主で男爵様だけど、この馴れ馴れしい子供たちの存在が愛おしくて嬉しいのだろう。
「《あるところに…》」とさっき読んだばかりの紙芝居を披露した。
さっきより暖かくなった教室で、火鉢を持ってきてくれた街の人の分、観客も増えた。
読み終わると拍手が教室に溢れた。
この物語は皆に響いたかしら?
そう思いながら、観客に感謝の気持ちを込めてお辞儀をした。
顔を上げるとワルター様と目が合って、二人で笑顔を交換した。
✩.*˚
「…ごめんね、アニタ」
久しぶりに家に顔を出した、元友人は、開口一番にあたしに謝った。
何のことかは分かる。でも何で今頃謝りに来たのか分からなかった…
半開きのドアから顔を出して、エドガーが彼女の連れた女の子を見て目を輝かせた。
「クレア!」
「エドガー!」と女の子もエドガーとの再会を喜んでいた。子供たちはじゃれ合うようにハグをして、「遊ぼう」と言っていた。
子供だもんね…
「とりあえず、寒いから入りなよ。中で話そう」と彼女たちを家に上げた。
「何だ?客か?」と親父が顔を上げて眉を寄せて彼女を睨んだ。
「何の用だ?」と親父は不機嫌そうな顔を作っていた。あたしたちが絶交したのを知ってるから、そうなるのも仕方ない…
それにしても露骨すぎないか?
「親父、ちょっとエドガーたちを見てて。ケイトと二人で話したいから」と子供たちを押し付けて、彼女とテーブルに着いた。
「で?なんの話し?」
「…貴女に酷いことを言ったから…あ、謝りたくて…」と彼女は目元に涙を滲ませた。
「ふーん…」酷いことって分かってるんだ…
『あの人、オークランド人なんでしょう?ダメだよ、別れた方が良いよ。だってあの人普通じゃないよ…』って彼女は親切のつもりで言ったのだろう…
だからと言って許せるものでは無いけど…
ギルは何も悪いことはしていない。
誰も傷付けてないし、あんなに姿になってまで私たちを守ってくれた…
この街の人たちは彼に救われたんだ。
感謝される事はあっても、貶められるようなことは何もない。
あたしの大切な人を、親友だと思ってた彼女に否定されたのは堪えた。すごく傷付いた…
「ごめんね」と泣きながら謝る彼女を前にして、感情は少し怒りに傾いていた。
「何で?謝ることないじゃん?あんたはそれが正しいって思ってたんだろ?」
「そんな事言わないで…
チェルシーに叱られたの…『ママ酷い』って」
彼女はそう言って、思い直した理由を話してくれた。
クレアはエドガーと遊べなくなった理由が理解できなかったから、毎日のように彼女に『行こう』と言ってたらしい。
彼女も罪悪感があったから、しつこく誘うクレアをつい叱ってしまった。
それを聞いたクレアの姉がケイトを叱ったらしい。
「変だよね…あんな小さい子に叱られるなんて…
『間違ってるのはママの方だよ』って…
『テレーゼ様が悲しむよ』って言って、学校で教えてもらった話をしてくれたの…」
「テレーゼ様?」
「うん。
ご領主様たちは、『ブルームバルトではフィーアもウィンザーもオークランドも関係ない』って言ってたって…そうチェルシーは言ってたわ…」
「はあ、そんなことが」なんかあの人たちらしいや、と笑ってしまった。
彼女はもう一つ嬉しい話をしてくれた。
「街でもね、ちょっとずつその話が広まってるから…だから、前みたいに戻れると思うから…
ごめんね、アニタ…
私が臆病だったから…貴女に酷いことを言って、ごめんなさい…」
ケイトはそう言って頭を下げた。
彼女だって母親だ。
あたしと一緒に居たら、悪い噂のせいで家族が肩身の狭い思いをするのを懸念したのだろう。
最初はあたしの心配から始まったんだ…そう思うことにした。
「いいよ。あたしも大人気なかったもん」
「許してくれるの?」
「仕方ないじゃん。ほら、あれ」と暖炉の前を指さした。
二人の子供が仲良く遊んでいる。子供たちは楽しそうにケラケラ笑って、交互に積み木を重ねていた。
ケイトは泣き顔を笑顔に変えて「ありがとう」と言ってくれた。仲直りできるならもういいや。
仲直りして二人でお喋りしていると、ギルが母屋に戻って来た。
彼はあたしたちを見て驚いた顔をして固まった。
あたしが笑顔で「仲直りしたんだ」と言うと、彼は「そうか」と素っ気なく答えて、何かを取りに奥に入っていった。
彼の姿を見つけて、エドガーがクレアを連れて追いかけて行った。
「父!クレア来てくれたよ!」
「あぁ、良かったな」とギルの柔らかい声が聞こえてくる。見えないところから子供たちの弾むような笑い声が聞こえてくる。
ケイトと顔を合わせて笑った。
口数は少ないけど、喜んでるんだよね。あんただって心配してたもんね…
多分、神様ってちゃんと見てるんだよ。
「エドガー!デカくなったな?」
「こんにちは!」とチビ助は大袈裟なくらい頭を下げて元気に挨拶した。俺はこいつのこういうところが好きだ。
「なんだ、いい服着てるじゃねえか?親父が買ってくれたのか?暖かそうだな?」
「えへへぇ」とチビ助は嬉しそうにモジモジしながら照れて見せた。
エドガーは少し長い袖から小さな手を出して、自慢げに手袋も見せてくれた。
「父が買ってくれた」
「良かったな」とワシワシと頭を撫でるとキラキラした子供の笑い声が溢れる。
エドガーは嬉しそうにギルにまとわりついた。
ギルは屈んでエドガーを抱き上げると、俺に「少しいいか?」と訊ねた。
「なんだよ?」
「仕事が欲しい」とギルは単刀直入に話を切り出した。
「どうしたんだよ?この間の稼ぎじゃ足りなかったのか?」
「いや、十分すぎるくらい貰った。
でもこれからまた金が必要になるかも知れん」
「お前が金金言うなんて珍しいじゃねぇか?
何かあったのか?」
「二人目が出来た」とギルは理由を話してくれた。
来年の夏にエインズワース家は家族が増えるらしい。
「エドガー、お前兄貴になるのか?めでたいじゃねぇかよ?!お祝いしてやるよ!」
「気持ちは有難いが、それはいい。アニタも気にする」と彼は相変わらず素っ気なく断った。
いい事のはずなのに、ギルは手放しで喜べないようだ。
まぁ、ガキが増えるって事は、金も必要になるだろうしな…
まぁ、金の話なんて子供の前でするもんじゃないな…
そう思ってエドガーに他の子供たちと遊んでくるように提案した。
「エドガー。親父と話があるから、その間ルドと遊んでな」
「フィリーネちゃまは?」とエドガーはもう一人の遊び相手の名前を出した。美人を要求するなんてちゃっかりしてるな…
「いるぜ。多分ルドと一緒だよ。お前も一緒に遊んできな」と屋敷に二人を上げて、子供部屋にエドガーを預けた。
エドガーが来たのを知って、ルドが嬉しそうにエドガーに駆け寄ってハグをした。
遊ぶ相手が増えて嬉しそうだ。
「アグネス、ちょっと一人増えるが頼むな」
「かしこまりました」とトゥルンバルト夫人は子供を引き受けてくれた。彼女の娘たちも一緒に遊んでいた。賑やかだしエドガーも楽しそうだ。
エドガーが無事に子供たちに混ざったのを見て、ギルは少し安心したらしい。表情が少しだけ和らいでいた。
応接間に場所を変えてギルと話の続きを再開した。
「で?仕事の話だったな?」
「あぁ」と頷いて彼は金が必要な訳を話してくれた。
「エドガーを産んだ時、アニタをちゃんとした医者に診せることが出来なかった」
どうやらその件をずっと気にしていたらしい。
旦那として不甲斐なく感じていたのだろう。
「なんかあったら俺も助けてやるよ」
「お前はこの土地の領主だろう?
俺の家族を大切にしてくれるのは有難いが、限度がある。よく思わない奴だっているはずだ」
「でもよ、お前はこの街を守ってくれたじゃねぇか?その礼だってろくにできてないだろ?」
「俺がオークランド人でなければ、それで納得してもらえたかもしれんがな…」とギルは少し含んだような言い方をした。
その言葉に胸騒ぎがした。
「…何かあったのか?」
「客が少し減っただけだ」とギルは控えめに言った。でもそれだけだとは思えなかった。
ギルの方から俺を頼ってきたのはそういう事だろう…
腹の奥で怒りが沸々と沸いた。
「俺が話をつけてやる」
「いい…必要ない」とギルは諦めていたようだった。それがまた腹が立つ。
「でもよ!お前は何も悪くねぇだろ?!そんな目に遭う理由なんてねぇだろうがよ?!」
「正当な評価だとは思ってないが、街の奴らが間違っているとも言い難い。俺は余所者だ」とギルの答えは冷めていた。
ギルは何も言わなかったが、俺の知らないところで、エインズワースの一家が街の連中から差別を受けているのなら、見過ごす事は出来なかった。
それにここに住むオークランド人はギルだけじゃない…
「ここは俺の土地だ。
お前ら家族は俺が世話するって約束した。その約束は今でも変わってねぇよ。
俺がムカついたから、俺のためにするんだよ。お前が何言おうか知ったことか!」
「迷惑な奴だな」とギルは困ったように笑った。
「うるせぇ、俺の街だ。俺の好きなようにして何が悪い?」と開き直った。
ギルは迷惑に思うかもしれないが、有耶無耶にするにはタチの悪い問題だ。知ってしまったなら尚更放っておく訳にはいかない。
「俺は仕事さえ貰えればそれでいい。
エドガーと遊んでくれる子が居て安心した。また連れて来ていいか?」
「そんな事訊くな。良いに決まってるだろ?」とぶっきらぼうに答えると、ギルは珍しく素直に礼を口にした。
「迷惑をかける」とギルは頭を下げたが、どうにもこいつの様子がおかしく思えて、胸騒ぎがした。
「…出て行くとか言うなよ?」とギルに釘を指した。
ギルは俺の言葉を受け流して、また、「仕事をくれ」と同じ要求を繰り返した。
こいつも頑固だからそれしか言わない。
仕方なく、言う通り仕事を頼む事にした。
「何か困ったことがあればなんでも相談しろよ?この街じゃ《ロンメル》が一番偉いんだ。文句なんて言わせねぇよ」
「気持ちだけで十分だ」と答えて、ギルはエドガーを連れて帰って行った。
二人が帰ってからルドにエドガーの様子を訊ねた。
「ルド、エドガーと何して遊んだ?」
「積み木。どっちが高くなるか競争した!」
「エドガー何か言ってたか?」
「『楽しい』って。『遊ぶの久しぶりだから』って言ってた」
「…そうか…ありがとな」ルドの頭を撫でて礼を言って、今度はトゥルンバルト夫人にエドガーの様子を訊ねた。
「とってもいい子でしたよ。
でもあの子…ちょっと心配な事口にしてて…」と彼女もエドガーを心配していた。
「『いつも誰と遊んでるの?』って訊ねたら、『もう遊べないの』って…
お友達がなくなってしまったのかしら?私悪い事訊いてしまったのかと心配で…」
「分かった。また来たら遊ばせてやってくれ」
「かしこまりました、旦那様」
夫人は快く返事をしてくれた。
彼女もギルが元オークランド人と知っているはずなのに、彼の息子を一人の子供として扱ってくれた。
「アグネス。ギルの事はどう思う?」
「エドガーのお父様がこの御屋敷を守って下さらなかったら、私たちも奥様も大変なことになっていました。
息子さんをお預かりして遊ばせてあげるだけで、少しでもお役に立てるなら、ギルバート様にご恩返しができます」
その言葉が聞けて安心した。
ギルの事を悪く言うのは一部の人間だと信じたかった…
嫌な話だか、テレーゼとシュミットにも話をした。
「ミアの件と言い、あまり気分のいいもんじゃねぇよ…
アーサーやアダムからは何も聞いてないか?」
「聞いてないだけで、何かしら確執があってもおかしくはありません。
しかし、彼らはロンメル家の預かりですから、エインズワース家に比べて、街の人間との接点が少ないかと…」
「そんな…それではあんまりです…
ギルバート様は私たちの恩人ですのに…」
黙って話を聞いていたテレーゼが、悲しそうに俯いた。俺も同意見だ。
ギルにはカナルでも世話になったし、俺の不在時に街を守ってくれた。
あいつがいなかったら、ブルームバルトは騎行の軍隊に奪われ、テレーゼやフィーも無事ではなかっただろう。
それに、俺がシュタインシュタットからエインズワース家を引き抜いたのだ。あの一家に責任を感じていた。
「あいつが思い詰めて、この街を出ていくなんて事になったら困る」
「それは困りますね…
エインズワース家は腕のいい職人です。彼に代わる職人はなかなかいないでしょう。
旦那様の《祝福》に耐えうる剣は彼にしか作れませんからね」
「まぁな…それに、レオンにも『家族の事は任せろ』って約束したんだ。俺は嘘吐きになる気はねぇよ」
「だからといって、どうするんです?妙案でもおありですか?」と言うシュミットの指摘に頭を抱えた。
どうしたいかは決まっていても、どうやるかは決まっちゃいない。
「だからお前とテレーゼを呼んだんだろ?
角が立たないように何とかならないか?」
「無茶言わないでくださいよ」とシュミットは俺の無茶振に苦い表情で答えた。
「ワルター様、お父様に相談してみては?」とテレーゼが提案してくれたが、パウル様も今はそれどころでは無いはずだ。
厄介事を持ち込むのは気が引けた。
「彼がこの土地に必要な人だと、街の皆さんが認めてくだされば、きっと差別されるようなこともないはずです」
「そんなのこの街の連中だって分かってるはずだ」
街がでかくなったとはいえ、この街にある鍛冶屋はエインズワースの工房だけだ。
物流が安定しているとはいえ、急な修理の依頼等は頼らざるを得ない。
人間、頭で分かっていても、感情が着いてこないなんてことだってある。
だからこそ、それじゃダメなんだ…
目立つのが苦手なあいつの事だ…
我慢して我慢して、そのうちふらっと消えてしまうのではないかと心配していた。
「あいつはいい奴なんだ…」
何より家族を愛してて、今の生活が幸せなんだ…
俺だってそうだから、あいつの気持ちはよく分かる…
「とりあえず、明日、メイウッドの爺さんと話してくる。テレーゼ、お前も来てくれるか?」
「はい。お伴致します」とテレーゼは微笑んで応えた。
「悪いな」
「いいえ。ワルター様と大切なご友人のお力になれるなら、喜んで参ります。
それに、エドガーも、エインズワース家の新しい家族も、この街とロンメル家の宝物です」
テレーゼにとって、どんな子供も等しく彼女の宝物なのだ。
「子供たちにもこの街がどんな所か教えてあげる良い機会です。
私は案外欲張りなんですよ」とテレーゼはそう言って笑った。
「ウィンザーはフィーアを受け入れてくれました。それなら、彼らはオークランドに帰れない人たちも受け容れてくれると信じています」
彼女の言葉の通りならいいのにと思った。
✩.*˚
「寒くないか?」とエドガーに訊ねた。
白い息を吐きながら、幼い息子は「寒くないよ」と答えた。
自分で歩くと言うから、手を繋いで通りを二人で歩いていた。
あの頼りなく、小さかった赤ん坊が大きくなったなと、ふとした時に気付かされる。
無事に子供が産まれれば、エドガーも兄になる。
まだよく分かってないだろうが、そのうち理解するだろう。
「父のおてて、温かい」とエドガーは笑顔で俺を見上げた。
ロンメルの屋敷で子供たちと遊んで、エドガーはご機嫌な様子だ。
あの騎行の一件以来、街の人間から距離を置かれるようになった。
そして、どこから出た話かは知れないが、俺が《オークランド人》だと知る者が現れた。
カナルの岸で目立ちすぎたのか、あの騎行の中に俺の事を知る人間が居たのかは分からない。
覚悟はしてたが、それなりに堪えた。
何より、アニタやエドガーたちの事が心配だ…
いつも来ていた行商人が立ち寄らなくなったり、報せが回ってこなかったりと、小さな変化が重なった。
そのうち、アニタが怒りながら帰って来たと思ったら、時々出入りしていたアニタの友人と子供が来なくなった。
理由を訊ねると、彼女は『いいよ、もう絶交した』と言って、寂しそうに『友達だと思ってたのにね』と後悔を口にした。
『俺のせいか?』と訊ねると、彼女は『あたしのためよ』と言っていた。
そんな彼女の強がりが分からないほど、俺は馬鹿じゃない。
俺が居なくなれば、ウィンザー人の彼女らが辛い思いをすることも無くなるだろうか?
それなら、俺は最悪な現実でも受け入れようと覚悟した…
ロンメルやリューデル伯爵からの報奨金で、仕事がなくても困らない程度に金の蓄えはある。
それでも、稼ぎ手を失っても生活に困らないくらいには用意しておいてやりたかった。
そんな考えをロンメルはお見通しだったらしい…
苦い表情を浮かべて、俺を引き止めるあいつの姿に何も言い返せなくなった。
それでも仕事をくれと頼む俺に、あいつは大きな仕事をくれた。
『ヴェルフェル公子の結婚祝いに贈る剣を作ってくれ。
来年の春になる前には欲しい。
出来栄えに気に入らなかったやつも俺が買う。俺は別に見た目気にしないからよ』
『そんな仕事を俺なんかに依頼して良いのか?』
『俺はお前より腕の良い鍛冶屋を知らねぇんだ』とあの男は嘯いていた。
お前が探さないだけだろう?
鍛冶屋なんて探せば腐るほどいるだろうに…
とにかく、成功すれば金になる。
装飾は親方が上手い具合にしてくれるはずだ。帰ったら相談しよう。
家に着くと庭の井戸の近くに馬が繋がれていた。
珍しい…客だろうか?
「おうまさーん!」とエドガーが馬を見て喜んでいると、俺たちが帰ってきたのに気が付いたアニタが家から出てきた。
「おかえり」
「誰か来てるのか?」とアニタに訊ねると、彼女は嬉しそうに「パトリックが来てくれたんだ」と教えてくれた。
シュミットシュタットの商業組合で働いていた男だ。確かにアニタの兄の親友だったという話しで、シュミットシュタットでは仕事を回してもらったりと世話になった。
「おう!ギルバート、邪魔してるぜ!」
アニタの後ろからパトリックが顔を出して挨拶した。彼は人当たりの良い男で、俺とは対照的だった。
「二人目だってな。親父さんから手紙が来たから何事かと思ったぜ。おめでとう!」
「あぁ、ありがとう」と礼を返すと、俺の隣にエドガーを見つけて破顔した。
「エドガーもデカくなったな!こりゃどっちに似たんだ?母ちゃんか?」
「親父に似たら良かったのにね」とアニタが笑った。いつもの明るい彼女だ。
パトリックは家から出て来て、エドガーを拾い上げると、「寒いな。中で話そうぜ」と俺を中に誘った。
パトリックはエドガーをアニタに預けて、俺と二人でテーブルに着いた。
パトリックは「最近どうだ?」と俺に訊ねた。
「まぁ、細々とやってる」と濁して答えると、彼は「そうか」と残念そうに呟いた。
「オークランドの騎行の話はシュミットシュタットにも届いてる。
お前ら家族が心配だったが、俺も忙しくてな…なかなか見舞いに来れなくて悪かったよ」
「気持ちだけで十分だ」と彼の親切に感謝した。
それでも心配はそれだけじゃなかったらしい。
「ギルバート。お前元オークランド人だったよな?こんな田舎じゃ風当たり強いんじゃねぇのか?大丈夫か?」
「それは…」
「俺もお袋がオークランド人だ。
シュミットシュタットじゃ珍しくもないから誰も気にも留めねぇがよ、こんな田舎でモロに被害が出てるなら話は別だ。
心配で顔を見に来たんだけどよ、やっぱりそうか…」
「少し不便してる程度だ。ほとぼりが冷めれば…」
「オークランドはまた来るぞ。その度に振り回される気か?」
「それは…そうだが…」
パトリックの言いたい事は分かる。今回の戦も停戦であって、終戦ではない。これは続くということだ…
「お前らシュミットシュタットに帰って来いよ」と、パトリックは言いたかったであろう提案を提示した。
「せっかくここの領主様が引き抜いてくれたのかも知れないがな、お前がオークランド人ってだけでエインズワースの人間がちゃんと評価されないのは良くねぇよ。
もちろんお前も含めてだからな?変に自分を責めるなよ?
鍛冶屋が必要なら、他の奴をシュミットシュタットの商業組合を通して紹介してやるよ。
領主様に言いにくかったら俺が仲介してやる」
パトリックは親切で話を持ってきてくれたのだろう。それでも首を縦に振ることは出来なかった。
「…今は、移るつもりはない」と今の正直な気持ちを答えた。それにパトリックは少しだけ眉を寄せた。
「今日、ロンメルから仕事を貰った。
ヴェルフェル侯爵の公子の結婚祝いに剣を用意してくれと言われた」
「なるほど…いい仕事だ」
「ロンメル夫妻には世話になった」
「義理堅い男だな」とパトリックは苦笑いで呟いた。
「あんたはトラヴィスより頑固そうだ」とパトリックはアニタの兄の名前を出した。
「すまん」
「いいよ。分かってるさ…
俺はあんたみたいな生きるのが下手な人間はほっとけねぇんだ。
もしどうにもならなかったら俺を頼れよ?
仕事なりなんなり世話してやるよ。なんたってお前もエインズワースだからな。俺の親友の家族だ」
「そう言って貰えると心強い。ありがとう、パトリック」
「気にするな。俺が好きでやってんだ」
パトリックは笑うと、右手を差し出した。
彼は約束するように固く握手をして俺に「頑張れよ」と言葉をくれた。
弱気になっていた気持ちに、淡い希望が溶け込んだ。胸の中の沈んだ思いが僅かに軽くなる。
まだ、俺は諦めなくていいのか?
俺はこのままアニタたちと暮らせるのか?
そんな希望を見てしまった…
パトリックは俺との話を終えると、エドガーと少し遊んで帰って行った。
「いい人だろ?」
門でパトリックを見送って、アニタが自慢げに俺に訊ねた。
黙って頷いて、彼女にパトリックからの話を伝えた。
「お前はシュミットシュタットに帰りたかったか?」と彼女に訊ねた。
アニタは俺の手を繋いで「中に行こう」と家の中に誘った。
「ギルって手熱いね。冷え性のあたしにはちょうどいいや」と彼女は陽気に笑った。
「まぁ、正直な話、帰りたいとか思わなくもないよ。子供の頃からの友達だっているしさ…
でも、あんたはここに残るって言うんだろ?
あんたがいないなら、あたしはいいよ」
アニタは俺の隣を選んでくれた。胸の奥が熱くなる…
「すまん…」
「バカだね、夫婦ってそんなもんだろ?
そういう時は『ありがとう』って言うんだよ」
アニタは子供に言い聞かせるように優しく俺を叱って、逃がさないように俺の腕に両手を絡めた。
まだ、頑張れる…
この幸せを諦めるには、まだ少し早かったようだ…
✩.*˚
久しぶりに学校に顔を出すと、子供たちの歓声が私を迎えてくれた。
「テレーゼ様!」
「元気になったの?」
「おかえりなさい!」
元気な子供たちの声に囲まれて、幸せな気持ちになる。
知らない顔も少し増えていた。
子供たちに垣根から手が伸びて、一人一人と握手した。
「スゲェ人気だ。今日一日で終わるか?」とワルター様が苦笑いで呟いた。
「ご領主様だ」
「何しに来たの?」
「テレーゼ様のお伴だよ」と子供たちは小鳥のようにワルター様の周りで囀った。
ワルター様はそんな子供たちを優しい顔で見下ろしていた。
「俺の嫁さんだからな。ちゃんと返せよ?」
大人気ないワルター様に、子供たちは不満げな合唱が返した。
相手は領主だと言うのに遠慮がない。近所のおじさんのような扱いだが、彼はそれがいいらしい。
「お前らこの部屋寒くねぇか?」とワルター様はそう言って子供たちを見回した。
「少し寒いけど、風が入ってこないから大丈夫」
「お家の方がスースーするよ」
「そりゃまずいな…
このままじゃテレーゼが風邪ひいちまう。火鉢でも用意させるか?」
「助かります」
「すぐ持ってこさせるから待ってな。無理するなよ?」と言い残して、彼は教室をあとにした。
「ご領主様、優しいね」と誰かが言った。そう言われて嬉しくなる。
「そうですよ。ワルター様はとっても優しい方です」と子供たちにも教えてあげた。
「優しい人は好き?」と子供たちに質問すると、彼らは肯定的な返事を返してくれた。
「今日はね、紙芝居を持ってきたのよ。
ドライファッハで病気を治してた時に、姪っ子のジビラと一緒に作ったのよ。
みんなお行儀よく聞いてくれるかしら?」
「聞きたーい!」
「はい。じゃぁ、見えるように並んでね。
いつも通り、小さい子が前で、大きい子は後ろに並んで。
お話中は?」
「お喋りしないで、手はお膝!」子供たちは元気な声でお約束を答えた。
「はい、よろしい。みんないい子ね」
子供たちを褒めて、屋敷から持ってきた荷物を解いた。中にはジビラと作った紙芝居が入っている。
『子供たちが仲良くなれるようなお話がいいわ』と私が書いた文に、ジビラが絵を用意してくれた。
《ねじれ角のクルト》は一角獣だけど、周りと違うから群れから追い出された。
仲間を探して山羊の群れや羊の群れにお願いしたけど、仲間には入れて貰えなかった。
ずっと一人でいると、子馬がやってきて、角をかっこいいと言って彼を群れに誘ってくれた。
大人たちはクルトを嫌がったけど、初めて出来た友達の子馬とクルトは仲良しで、いつも一緒に過ごしていた。
ある日、クルトが子馬に会いに行くと、馬の群れは狼の群れに襲われていた。
クルトは捻れた角で狼たちを追い払った。その時角が折れてしまったけど、彼は友達を助けたことで満足だった。
捻れた角は半分になってしまったけれど、仲間に入れてあげなかったのに、自分たちを守ってくれたからクルトに感謝して、大人たちも彼を群れの仲間に迎えてくれた。
それからクルトは欲しかった仲間と一緒に毎日幸せに暮らしました、という話だ。
「どうだった?」と子供たちに感想を求めた。
子供たちは顔を合わせて「良かったね」とクルトの幸せを喜んでくれた。
「お話ちゃんと聞いてたかしら?
質問してみようかな?」
まだ質問してないのに、子供たちは元気に「はーい!」と手を上げた。教室が賑やかになる。
皆自信があるのね。いいことだわ。
「じゃあ一人ずつ質問しようかな」と手を挙げていた子を指名した。
打てば鳴る太鼓のように、子供たちは私の質問に答えた。物語の順番も難なく答えた。
物語の内容もしっかり覚えてる。
質問の内容も意図もよく分かってる。
この子たちの考える力は十分だ。
子供たちに一番伝えたいことを教えてあげなければ…
「私はね、この街の人たちに《子馬の群れ》になって欲しいの」
「何で?」
「子馬の群れはクルトを嫌がったんだよ?」
子供たちは私の願いに不思議そうに首を傾げた。
「でもちゃんと仲間にしてくれたでしょう?」と子供たちに答えた。子供たちはちゃんと私の話を聞いてくれた。
嬉しいな。この子たちはきっと分かってくれる。
「誰だって、最初は見た目から入っちゃうわ。
私も初めてワルター様にお会いした時、怖くてろくに顔も見れなかったんですもの」
そうよ…私だって間違えた…
あの人はあんなに優しくて素敵な人だったのに…
「見た目だけじゃないわ。その人を知らなかったら、判断する材料は他人の話だけになってしまうわ。だって知らないんだもの…
でもね、それだけじゃ本当の事は何も知らないままよ」
「《山羊さん》や《羊さん》になっちゃう?」
「そうね。でも《山羊さん》も《羊さん》も間違ってはないのよ。
彼らは知ろうとしなかっただけよ。残念なのはそこね…
《子馬》みたいに純粋に、《クルト》を知ろうとしてくれたら、もしかしたら彼らと仲間になれたかも知れないわよね?」
「そうだったら良かったのね」と誰かが言ってくれた。
「子馬を助けてくれたもんね」
「クルトは優しいよ。皆を助けてくれたもん」
「角も欠けちゃったのにね」
子供たちは膝を抱えたまま思ったことを口にしていた。
そうよ。クルトは群れに入りたかったけど、そのために戦ったんじゃないわ…
どうしても守りたいもののために、戦ったのよ…
「皆、私の言いたいことを分かってくれて嬉しいわ。
皆は仲良くできるかしら?」
「うん!」と子供たちは元気な返事をくれた。
「新しいお友達も仲良くできる?」
「できる!するよ!」と彼らは約束してくれた。
「ありがとう。そう言って貰えると私も嬉しいわ。
ブルームバルトは元々ウィンザー公領だったから、ウィンザー人やフィーア人の他にも元々オークランド人だった人もいるわ。
その人たちは?」
「オークランド人って…悪い人?」
「そういう人も居るわよね。でも、フィーア人にも悪い人はいるし、オークランド人でも心のキレイな人だっているわ。
だから、一括りに《悪い人》とは思って欲しくないの。
この街をオークランドの軍隊から守ってくれた人は《オークランド人だった人》よ。
私はその人たちに心から感謝しているわ。ワルター様もヴェルフェル侯爵様も私と同じ考えよ。
皆は助けてくれた人に感謝しない?
そうだとしたら、私は悲しいわ…」
「…その人…《クルト》なの?」
「そうかもしれないわね」と答えると、子供たちは少し考え込んでいた。
自分たちで考えるのはとってもいい事だ。
この子たちが考えて、納得した答えが一番大切だ。
それはこの子たちの答えだ。
ああしなさい、こうしなさい、と言っても納得できないなら、ずっと心に違和感が残るだろう。
それでは意味が無い。我儘を押し付けるなら、それでは憎しみを撒く人たちと変わらない。
子供たちの答えを待っていると、教室のドアをノックする音が響いた。
「持ってきたぞ」とワルター様が手伝いの人たちを連れて戻って来た。
火鉢に火を用意すると、子供たちは嬉しそうに声を上げて喜んでいた。
「ねぇ、ご領主様」
「何だ?」とワルター様が応えると、子供たちは考える材料を彼に求めた。
「ご領主様はオークランド人嫌いじゃないの?戦いに行ったのに?」
「嫌いだから戦いに行ったんじゃねぇよ。ガキじゃねぇんだ。
俺は俺の大事なもんを守るために戦ってんだ。好きで戦うもんか!
俺は野蛮人じゃねぇぞ」
「そうなの?」
「そうなのって…お前らなぁ…
なんならオークランド人なんかより嫌いなフィーア人だっているしな…
お前ら子供のくせにそんな大人の都合を気にしてるのか?」
「だって、オークランド人は悪い人たちなんでしょ?僕らを殺しに来るって言ってたよ」
「誰がそういったんだ?」とワルター様が訊ねると子供は口を噤んで俯いた。
ワルター様は子供の反応にため息を吐くと、質問した男の子の頭に手を伸ばして撫でた。
「安心しろよ。この街は俺の街だ。この街で悪さなんてさせねぇよ。
フィーアとウィンザーだって戦争したけどよ、俺がお前らに何か悪いことしたか?」
「ううん。ご領主様は優しいよ」
「じゃあそれでいいじゃねぇか?
オークランド人だって、オークランド人だから悪い訳じゃねぇだろ?
お前らウィンザー人は、元はフィーア人よりオークランド人と仲良かったはずだぜ?」
乱暴な言い方でも、彼の言葉は優しく子供たちに響いた。
子供たちはワルター様の言葉をゆっくりと飲み込んで、皆で相談した答えを私に持ってきた。
「テレーゼ様。僕たち《子馬の群れ》になりたい」
その言葉がとても嬉しかった。子供たちに手を伸ばして皆の頭を撫でた。
「嬉しいわ。ありがとう、皆」
「何だよ?《子馬》?」とワルター様は首を傾げていた。
「テレーゼ様の作ったお話だよ」と子供たちはクスクス笑って、ワルター様に教えてあげていた。
「ねぇ!テレーゼ様!もう一回読んで!」
「ご領主様!ここに来て!一緒に見よう!」
「何だよ?座れってか?」子供たちの手が伸びて彼の手や服を引っ張った。
ワルター様は照れくさそうな苦笑いを浮かべながら、子供たちの言いなりになっていた。
子供たちは彼を真ん中の特等席に座らせて、読み聞かせのルールを教えてあげていた。
「仲間に入れてもらえて良かったですね」と彼に笑いかけると、ワルター様は照れくさそうに笑って応えた。きっと彼も嬉しいんだ。
彼はこの土地の領主で男爵様だけど、この馴れ馴れしい子供たちの存在が愛おしくて嬉しいのだろう。
「《あるところに…》」とさっき読んだばかりの紙芝居を披露した。
さっきより暖かくなった教室で、火鉢を持ってきてくれた街の人の分、観客も増えた。
読み終わると拍手が教室に溢れた。
この物語は皆に響いたかしら?
そう思いながら、観客に感謝の気持ちを込めてお辞儀をした。
顔を上げるとワルター様と目が合って、二人で笑顔を交換した。
✩.*˚
「…ごめんね、アニタ」
久しぶりに家に顔を出した、元友人は、開口一番にあたしに謝った。
何のことかは分かる。でも何で今頃謝りに来たのか分からなかった…
半開きのドアから顔を出して、エドガーが彼女の連れた女の子を見て目を輝かせた。
「クレア!」
「エドガー!」と女の子もエドガーとの再会を喜んでいた。子供たちはじゃれ合うようにハグをして、「遊ぼう」と言っていた。
子供だもんね…
「とりあえず、寒いから入りなよ。中で話そう」と彼女たちを家に上げた。
「何だ?客か?」と親父が顔を上げて眉を寄せて彼女を睨んだ。
「何の用だ?」と親父は不機嫌そうな顔を作っていた。あたしたちが絶交したのを知ってるから、そうなるのも仕方ない…
それにしても露骨すぎないか?
「親父、ちょっとエドガーたちを見てて。ケイトと二人で話したいから」と子供たちを押し付けて、彼女とテーブルに着いた。
「で?なんの話し?」
「…貴女に酷いことを言ったから…あ、謝りたくて…」と彼女は目元に涙を滲ませた。
「ふーん…」酷いことって分かってるんだ…
『あの人、オークランド人なんでしょう?ダメだよ、別れた方が良いよ。だってあの人普通じゃないよ…』って彼女は親切のつもりで言ったのだろう…
だからと言って許せるものでは無いけど…
ギルは何も悪いことはしていない。
誰も傷付けてないし、あんなに姿になってまで私たちを守ってくれた…
この街の人たちは彼に救われたんだ。
感謝される事はあっても、貶められるようなことは何もない。
あたしの大切な人を、親友だと思ってた彼女に否定されたのは堪えた。すごく傷付いた…
「ごめんね」と泣きながら謝る彼女を前にして、感情は少し怒りに傾いていた。
「何で?謝ることないじゃん?あんたはそれが正しいって思ってたんだろ?」
「そんな事言わないで…
チェルシーに叱られたの…『ママ酷い』って」
彼女はそう言って、思い直した理由を話してくれた。
クレアはエドガーと遊べなくなった理由が理解できなかったから、毎日のように彼女に『行こう』と言ってたらしい。
彼女も罪悪感があったから、しつこく誘うクレアをつい叱ってしまった。
それを聞いたクレアの姉がケイトを叱ったらしい。
「変だよね…あんな小さい子に叱られるなんて…
『間違ってるのはママの方だよ』って…
『テレーゼ様が悲しむよ』って言って、学校で教えてもらった話をしてくれたの…」
「テレーゼ様?」
「うん。
ご領主様たちは、『ブルームバルトではフィーアもウィンザーもオークランドも関係ない』って言ってたって…そうチェルシーは言ってたわ…」
「はあ、そんなことが」なんかあの人たちらしいや、と笑ってしまった。
彼女はもう一つ嬉しい話をしてくれた。
「街でもね、ちょっとずつその話が広まってるから…だから、前みたいに戻れると思うから…
ごめんね、アニタ…
私が臆病だったから…貴女に酷いことを言って、ごめんなさい…」
ケイトはそう言って頭を下げた。
彼女だって母親だ。
あたしと一緒に居たら、悪い噂のせいで家族が肩身の狭い思いをするのを懸念したのだろう。
最初はあたしの心配から始まったんだ…そう思うことにした。
「いいよ。あたしも大人気なかったもん」
「許してくれるの?」
「仕方ないじゃん。ほら、あれ」と暖炉の前を指さした。
二人の子供が仲良く遊んでいる。子供たちは楽しそうにケラケラ笑って、交互に積み木を重ねていた。
ケイトは泣き顔を笑顔に変えて「ありがとう」と言ってくれた。仲直りできるならもういいや。
仲直りして二人でお喋りしていると、ギルが母屋に戻って来た。
彼はあたしたちを見て驚いた顔をして固まった。
あたしが笑顔で「仲直りしたんだ」と言うと、彼は「そうか」と素っ気なく答えて、何かを取りに奥に入っていった。
彼の姿を見つけて、エドガーがクレアを連れて追いかけて行った。
「父!クレア来てくれたよ!」
「あぁ、良かったな」とギルの柔らかい声が聞こえてくる。見えないところから子供たちの弾むような笑い声が聞こえてくる。
ケイトと顔を合わせて笑った。
口数は少ないけど、喜んでるんだよね。あんただって心配してたもんね…
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