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婿探し
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嘘つき!騙された!
拳を握って、目の前にいる、この世で一番嫌いな男を睨み付けた。
お父様から届いた手紙には、《カナルで大怪我をしたから迎えに来るように》と綴られていた。
珍しく弱気な父の手紙に胸騒ぎを覚えた。
私に残された最後の家族だ。どんなに《嫌い》と言っても、私は彼の娘だ…
まだ一人で生きる覚悟はなかった…
「手紙が行き違いになったのだな。
こんなところまで呼び出して悪かったな、アダリー」と彼はしれっと嘯いた。
そんなわけないでしょう?!
騙されてこんなところにノコノコやって来た私も馬鹿だったわ!
「帰ります」とお辞儀して馬車に戻ろうとした私をお父様が引き止めた。
「待ちなさい、今からじゃ、シュタインシュタットに着く前に日が暮れるぞ」
「結構です。子供じゃありませんから。自分で宿を取りますから」
「お前は知らないかもしれないが、この辺りはオークランドの騎行で損害を受けてな。少し治安が悪くなっている」
「まぁ!一体誰がカナルを守っておりましたの?伯父様も期待外れでがっかりでしょうね」
意地悪く、遠回しにお父様を挑発したが、お父様は苦笑いを見せただけで、私の挑発には乗らなかった。
「まぁ、馬車に揺られて疲れただろう?
少し休むと良い。また夕餉に呼ぶ」と言って、お父様は母方の伯父様に案内を任せた。
用意周到ね…
既に用意されていたテントは、男性が使うものに比べると綺麗で、贅沢な絨毯が敷かれ、鏡台などの調度品も揃えられていた。
ベッドも寝やすそうなフカフカの仕様だ。
馬鹿な人…
これを用意するのに、一体どれだけ金を積んだのだろう?
反抗的で、生意気な娘を、お父様は変わらず愛しているのだろう…
愛情を物で埋めようとするのは相変わらずね…
でも残念ながら、それで満足するほど、私は子供じゃない…
「さすが旦那様。凄いですね」世話係のメイドのハンナが、テントの様子を見て驚いていた。
私が一人で何も出来ないことを知ってるから、お父様はハンナの分の寝床まで用意していた。それも気に入らない。
「お嬢様。私、本当にこれで寝て良いのですか?」
「いいんじゃない?」
「うわぁ、フカフカですよ!お外でこんな素敵なベッドが使えるなんて!
お嬢様は愛されてますよ!」
「そうかもね…疲れたから少し休むわ」
「あ、はい。荷物用意しておきますね」と応えて、ハンナは慣れた様子で、私の休む用意を整えた。
悔しいけれど、寝心地は屋敷のベッドと変わらない。疲れもあって、寝入ってしまった。
久しぶりに、お母様やお姉様のいた頃の夢を見た。私がまだお父様の事が大好きだった頃の話だ…
お母様はお行儀に厳しかったが、お父様は『構わん』と娘たちを甘やかしていた。
抱っこをせがむと、大きな太い腕で私たちを抱き上げてくれた。
背の高いお父様に抱かれると、少女の視線の高さから、大人の視線の高さになる。私はそれが大好きだった。
幸せだったのだ…
お父様はいつも忙しくされていて、一緒に過ごせる時間は少なかったが、それでも家族で過ごすための時間をとっていた。
あの悪夢のような出来事があるまでは、私は幸せだったのに…
あの時、風邪なんか引かなかったら…
私もお母様やお姉様とお出かけして、寂しく残される事なんてなかったのに…
ハンナの声で目を覚ますと、目元に涙が滲んでいた。誤魔化すために欠伸をして、ハンナに時間を訊ねた。
そろそろと思って起こしてくれたらしい。
夕餉の前に顔を洗って、身支度を整えた。
『お行儀良くして、綺麗にしてないとダメよ。お父様に恥をかかせてしまいますからね』とお母様は幼い頃からずっと私たちに言い聞かせていた。
お母様の実家は伯爵に嫁げるような家柄ではなかったから、行儀や身なり、立ち振る舞いで苦労したのだという。
自分の身分が低いから、お父様に恥をかかせないように、娘たちの教育にも熱が入っていた。
そんなお母様の心配を、お父様はいつも大きな声で明るく笑い飛ばしていた。
『私の自慢の娘たちだ』と…
お化粧を整えて、髪を結い上げ、新しいドレスに着替えた。
「…これは?」見覚えのないドレスだ。こんなの持っていたかしら?
「お嬢様が寝ている間に、旦那様からお預かりしました。
素敵ですよね!刺繍やレースも素敵ですけど、このオレンジと赤の配色がお嬢様にお似合いですわ!」
ハンナは新しいドレスに興奮していた。彼女は私を飾り立てるのが大好きなのだ…
「お気に入りのネックレスにも似合いますわ」と、彼女は私の着せ替えを楽しんでいた。
身支度を整えていると、お父様のお使いで、伯父様がテントを訪ねてきた。
「夕餉の用意を致しましたので、どうぞ」と伯父様のエスコートでお父様の元に向かった。
場違いなドレスの女に、周りの兵士たちの視線が集まる。
彼らの視線に知らぬ振りを決め込んで、澄ました顔で歩いた。
伯父様の足は、お父様のテントを素通りした。
「伯父様?どちらに…」
「もちろん、リューデル伯爵閣下の元ですよ」と伯父様は大真面目に答えた。
人の集まった広場に、子犬を連れたお父様の姿があった。
「おお、来たか!」と迎えたお父様の装いは軍装ではなく、貴族の装いに変わっていた。
伯父様から私を引き取ると、周りに集まっていた人たちの前で私を紹介した。
「よく集まってくれた!
皆、彼女は私の一人娘のアダリーシアだ!」
「おお」と声が上がる。
よく見れば、若い男ばかりだ…嫌な予感がした…
「アダリー彼らはお前のために集まってくれたのだ。挨拶しなさい」
「何のために?」と確認すると、お父様はニヤリと笑った。
「お気に入りの者がいれば、声をかけてやって構わんぞ」
…つまり、そういう事…
不機嫌になる私にお父様は言葉を続けた。
「カナルにいる騎士以上の若者で、未婚で婚約者の無い者たちを集めた。
このカナルでよく働いてくれた者たちだ!
ざっと百人程だな」
呆れた…
私を引っ張り出して、引き止めた理由はこれ?
こんな所で娘のお見合いパーティーを開くなんて…
お父様は私が思っていたより馬鹿なのかしら?
食事をしに来ただけであって、男を漁りに来たのでは無い。
帰りたいのは山々だが、お腹は空いていた。
さっさと食べてテントに戻ろうと決め込んで、簡単に挨拶を済ませ、料理の並んだテーブルに向かった。
料理は美味しかったけれど、話しかけられる度に手が止まる。
立食パーティーで話しかけられて無視するのはマナー違反だ。愛想笑いで返して、必死になって気を引こうとする青年らを躱し続けた。
つまらない。
同じ年頃の女の子とおしゃべりする方がずっと楽しい。
私は貴方たちの武勇伝には興味なくってよ…
イライラしながら隙を見て料理を口に運んだ。
本当に誰も彼も気が利かない。
私だってお腹も空けば喉だって乾く。誰か一人くらい気付きなさいよ!
飲み物を貰おうと給仕を呼び止めようとしたが、飲み物の入ったグラスは目の前で別の人の手に渡った。
「あ…」グラスを手にした青年と目が合った。
彼は顔を赤く染め、「失礼致しました」と先に取ったグラスを私に譲った。
短く切りそろえた蒼い髪と、切れ長で涼し気な目をした青年だった。
青年から飲み物を受け取ると、彼は気まずかったのか、名前も残さずに逃げるようにそそくさと離れて行った。
最初からその気がなかったのだろうか?
私に声をかけるチャンスだったのに、『失礼致しました』の一言だけでどこかに消えてしまった。
彼の粗相を指摘するつもりは無いけど、気を引こうとする男たちより、さっさと立ち去ってしまった青年の方が気になった。
彼の立ち去った方向に視線を向けたが、人の波に、蒼い髪の青年を見失った。
✩.*˚
「どうしました、ゲリン?」
一緒に参加していた友人が私を見つけて首を傾げた。
『飲み物を取りに行く』と言って、飲み物を持たずに戻って来た私を見て、彼は不思議がっていた。
「…失敗してしまった」と彼にさっきの失敗を伝えた。
「それは…気まずいですね…」とブルーノが感想を述べた。
私はいつもこうだ…
女性との付き合い方がよく分からない。いざ、前にしてしまうと緊張して話せなくなるし、女性の気持ちなど分からないから振られてばかりだ…
戦に出る前にも、好きになった女性に告白して振られたばかりだ…
「父が存命ならお叱りを受けていた…
よりによって、ご令嬢の飲み物を掠め取ってしまうなんて…恥ずかしい…」
「まあ、立食パーティーでは仕方ないことです。気がついて譲ったのですからお咎めを受けたりはしませんよ」とブルーノは私を慰めてくれた。
私より年下なのに、彼の方がしっかりしている。
「ゲリン、さっき食べた鴨のローストは美味しかったですよ。君もどうです?」と私に気に入った料理を勧めた。
「ブルーノ。君は挨拶に行かないのか?」
「私には縁のない話です。
それに、私が行かなくても、これだけ若者が集まっているのですから、ご令嬢は気付きもしませんよ」
ブルーノはしれっとそう言って料理を楽しんでいた。
彼は近くを通りかかった給仕に飲み物を求めた。
彼は二つ飲み物を貰うと、一つ私に差し出した。
「はい、君の分。
失敗は繰り返さないのが大事だと母上も仰ってました。いつまでも気にしないで、料理を楽しみましょう」
「私が女性だったら君を好きになってたよ」
「そうですか?モテた記憶なんてこれっぽっちもありませんよ?」
「気付いてないだけで、実はいたのかも知れないよ」と二人で笑って飲み物を口にした。
飲み物は甘い果実酒ばかりで、色んな種類が用意されていた。
リューデル伯爵が娘の好む品を揃えたのだろう。
酒も料理も一級品が並んでいる。
パーティーの中心に咲くオレンジの薔薇には、良家の子息たちが蝶のように訪れて、代わる代わる彼女に挨拶して行く。
あれでは折角の料理も酒も楽しめそうにない。
それを知っててこの宴を催しているのなら、意地悪な父親だ…
可哀想にな、と彼女に同情した。
「どうしたんだい?話しかけてくる気にでもなったのかい?」とブルーノが訊ねた。
「いいや」と答えて、新しい皿にお代わりをよそった。
ブルーノに勧められた鴨のローストは、マスタードが利いていて美味しかった。一緒にあったバケットによく合う。
料理を口に運びながら、薔薇の咲いた場所を確認した。
目の前にご馳走が並んでいるのに、彼女の食事は進んでいない様子だ。
料理に手を伸ばそうとすると、また別の誰かに声をかけられて手が止まる。
彼女が食事できているかが気になって、遠巻きに何度も様子を確認した。
彼女も隙を見て料理を摘んでいたが、それも一口程度の僅かな量だ。あれでは足りないだろう。
新しい皿を手に取って、彼女のために料理をよそった。
好みまでは分からないが、何も無いよりマシだ。
あのままでは可哀想だ。
お節介を皿に乗せて、意を決して彼女に歩み寄った。
ブルーノは何も言わずに私を見送った。
料理を届けるだけだ…
自分にそう言い聞かせて、緊張して縺れそうになる足で彼女に歩み寄った。
大きく息を吸って、精一杯の勇気を振り絞って声をかけた。
「あの…失礼致します」と声をかけるとオレンジの薔薇のような女性は振り返って私を見た。
驚いた目が私を映していた。
「貴方、さっきの…」彼女は私の無礼を覚えていたらしい。とんだ恥をさらしたものだ…
「先程は失礼致しました。こちらをどうぞ」
無礼を詫びて、料理の乗った皿を差し出した。
彼女は驚いた顔で、「私に?」と確認した。
「お食事が進んでないようでしたので…
どうぞお召し上がりください」
「君、アダリーシア嬢は今私と話し中だ。遠慮して頂けないか?」
先に彼女と話しをしていた令息が、不満げに声を上げた。話の腰を折られて苛立っている様子だ。
「ご令嬢はあまり召し上がられていないようでしたので…」
「君のそれはお節介と言うものだ。
折角の楽しい話が台無しじゃないか?順番を待ちたまえ」
話を邪魔された青年は、私の無作法を叱って、立ち去るように求めた。彼にとっても、待ちに待った機会を邪魔されて腹に据えかねたのだろう。
ご令嬢の前だから声を荒らげる事こそは無かったが、表情には不愉快がありありと浮かんでいた。
やっぱりお節介だったのだろうか?
料理は無駄になってしまった。
「失礼しました」と謝罪して立ち去ろうとした。
踵を返した背中に、「待って!」と女性の声が届いた。
フワリと花のようないい匂いが届く…
「ありがとう、いただくわ」柔らかい声はすぐに近くから聞こえた。
柔く白い女性の手が差し出される。
伸びた手は私の持っていた皿を受け取った。
私の顔よりずっと下にあるアダリーシア嬢の顔が、退屈そうなものから、花の咲いたような微笑みに変わった。
「気にしてくれてありがとう。さっきは飲み物を譲ってくれたのに、お礼もせずに失礼したわね。貴方お名前は?」
「ロンメル男爵家にお仕えする騎士、ゲリン・フォン・ケッテラーと申します」
型通りの敬礼を捧げて名乗った。
彼女は場違いな男を前に、目を丸くして驚いていたが、微妙な間の後、口元に指先を運ぶと淑やかに笑った。
「ありがとう、ケッテラー卿。
彼とのお話が終わったら、次は貴方とお話する事にするわ。
少しお待ちくださいな」
令嬢の上品な微笑に鼓動が早くなる。
アダリーシア嬢は、受け取った皿を手に、さっきまで話をしていた若者の元に戻った。
料理を運んだだけなのに?
受け取って貰えただけでも僥倖なのに、笑顔で礼まで頂戴した。それに話まで…
にわかに信じられず、自分の頬を摘んだ。痛かった…
「お待たせしました、ケッテラー卿」
戻って来た彼女は、私の用意した皿を手にしていた。
さすがに盛りすぎたな、とお節介を詰め込んだ皿を見て少し反省した。
私の視線に気付いたアダリーシア嬢は、くすり、と笑った。
「大丈夫よ。お腹空いてたもの」
「申し訳ありません…」
「どうして謝るの?私は助かったわ。
もううんざりしてたところだったもの。
誰も気にかけてくれないし、殿方の自慢話は長くなるから嫌いなの。
そうね、強いて言うなら、飲み物も欲しかったわ」
「ご用意します」
「何処で待ったらいいかしら?
貴方が離れると、また長く囀る鳥が飛んでくるわ」と、彼女はまたつまらないお喋りに付き合わされる懸念していた。
「私の友人がおりますので、彼とお待ちください」と提案すると、彼女はあっさりと了承した。
本当に空腹だったのだろう。
彼女は上品な手つきで料理を平らげた。
果実酒のグラスを三杯飲み干して、さらにデザートを求めていた。
彼女の見事なまでの食いっぷりにブルーノと二人で顔を見合せた。さすが、リューデル伯爵のご令嬢だ…
ブルーノと二人、彼女の給仕係として働いた。
「ちょっと食べ過ぎたかしら?」と恥ずかしそうに呟いた彼女の手には、淡い紅色の果実酒の注がれた、新しいグラスが握られている。
華奢な乙女の身体の何処にあの量の食事が消えたのか、甚だ疑問だ…
「ごゆっくり召し上がられましたか?」
ブルーノの質問に、アダリーシア嬢はご機嫌な様子で答えた。
「ええ、ありがとう。お陰で餓死せずに済んだわ」
「お役に立てて何よりです」
「貴方たちも、お父様の悪ふざけに付き合わされて大変ね。本当に嫌になるわ…」
アダリーシア嬢はため息を吐いて会場を見渡した。
ため息に混ざった呟きは『バカみたい』と聞こえた気がした。
誰のことだろう?
不貞腐れたようにグラスを眺めるアダリーシア嬢は、どこかに寂しそうに見えた。
✩.*˚
『君もお食べよ』
差し出されたお皿を見て、ふんわりした血色良い頬の少年を思い出した。
バカね、アダリー…彼とは全然似ても似つかないわ…
声をかけてきた青年は背が高く、無駄な肉の無い引き締まった身体をしていた。
差し出されたお皿は、見栄えの悪い盛り付けだ。
退屈で死にそうな時に助け舟をくれたのは、凛々しい眉の、整った顔立ちの青年だった。その顔は、少し険しいような無愛想な印象だ。
緊張してたのかもしれないし、もしかするとそういう顔なのかもしれない…
それでも、私に料理を勧めてくれたのが、別れた婚約者を思い出させた。
ぽっちゃりしていて、笑顔の可愛い、おっとりとした少年は、食べるのが大好きだった。
柔らかくて優しい笑顔と、暖かい彼の手が好きだった。
『僕は後でいいよ。先に好きなのを選んで』といつも私に先を譲ってくれた。
「いただくわ」と青年の気遣いをありがたく頂戴した。どうせ話にも飽きて、切り上げる理由を探していたところだ。
彼はいかにも口数が少なそうで、勝手に囀る鳥たちのような煩わしさは無かった。
ケッテラーと名乗った騎士と彼の友人は、私の食事の世話を焼いてくれた。
ビッテンフェルトの令息は妹が居ると言っていた。
だから、私の我儘にも笑顔で付き合えるのね。
ケッテラーはというと、「はい」と「かしこまりました」と短い返事しかしない。まるで従者みたいね…
つまらない男だけど、煩いのよりマシね。
我儘な女だと怒っていなければ良いけど…
「アダリーシア嬢、彼は女性と話すのが苦手なのです。緊張してるので、無作法なのはご容赦ください」と友人が彼の代わりに詫びた。
苦手なのに私に声をかけたの?
そんなに困ってるように見えたのかしら?
「いいわ。少し静かすぎるけど、よく喋る男は嫌いなの」
「なるほど、それは良かった」とビッテンフェルト令息は笑って友人に視線を向けた。
「私より君の方がタイプらしいよ」と言われて、ケッテラーは見て取れるほど動揺していた。
耳まで真っ赤にして、落ち着きを無くす姿に悪戯心が疼いた。
ふーん…可愛い人ね…
ビッテンフェルト令息が気を利かせて、飲み物を取りに席を外した。
二人で残される。ケッテラーの赤く染まった仏頂面を盗み見て、彼の隣に並んだ。
「何で来たの?」と訊ねた私に、ケッテラーは首を傾げた。
「何の話ですか?」
「この馬鹿げた茶番によ。お父様が相手じゃ断れないだろうけど、よくもまぁ、こんなに集まったものね」
「ロンメル男爵閣下のご命令です」と彼は衛兵のように直立したまま、素っ気なく答えた。その様子では、来たくて来たわけでは無いらしい。
「来たくなかったの?」と踏み込んだ質問をした。
ケッテラーは少し迷って、「はい」と正直に答えた。
嫌だったのね…
「こういう場所は落ち着きませんから…」
「私も好きじゃないわ」と彼に同調した。彼は意外だったようで驚いていた。
「さっきの見てたでしょう?嫌いなの、ああいうの…
こんな場所に騙されて呼び出されてバカみたい…」
「騙された?」
「そうよ。お父様に騙されて来たの」
「はあ?左様ですか…」
「何それ?本当に興味無さそうね」
「申し訳ありません」謝りつつも、彼は否定しなかった。変な人…
私のご機嫌取りもしなければ、取り繕うつもりも無いらしい。
本当にただ呼ばれたから来て、食事だけして帰るつもりだったのかしら?
なんかちょっとムカついてきたわ…
「ねぇ、エスコートして」と彼に求めた。
彼は声を上げて驚いて、慌てて周りを見回していた。
「ケッテラー、貴方に言ったのよ。
お父様の所までエスコートしてちょうだい」
「はっ、伯爵閣下の所まで?!
無理です!できません!」
必死に辞退する青年に、エスコートを催促した。
「疲れてるのよ。お腹もいっぱいになったし、もう休みたいわ。
でも勝手には帰れないから、ご挨拶しに行かないと…
私だけで歩けば他の殿方たちに止められるわ。だからエスコートしてちょうだい」
「そんな…無理です。私より適任の方が…」
「私と歩くのがそんなに嫌?」
「嫌では…」
大真面目な顔で否定する彼の眉間には、困ったような皺が刻まれていた。
「なら、黙ってエスコートしてちょうだい。
本当に疲れてるのよ。別にエスコートしたからって後でどうこう言うつもりは無いわ」
「…かしこまりました」と彼は渋々エスコートを承諾した。
エスコートを渋っていたが、エスコートの仕方が分からないからでは無いらしい。
型通りに彼は腕を差し出した。
彼は姿勢も良いし、背が高いから見栄えはする。顔だって決して悪くない。無愛想だけど…
横顔を見上げたが、彼は一切こちらを見なかった。
ため息を吐いて「お願いね」と合図すると、彼は調教された馬のように歩き出した。
飲み物を取りに行って戻ったビッテンフェルト令息と途中ですれ違った。
私たちを見て、視線は自然と繋いだ腕に注がれる。
「おや、どちらへ?」
「疲れたから、お父様にご挨拶してお暇するの」と答えると、彼はにっこり笑って、「おやすみなさいませ」と私たちを見送った。
彼は野暮な事は言わずに見送ってくれた。
「彼は良い人ね」とケッテラーの友人を褒めた。
彼は短く「はい」と答えて、黙ったかと思うと、逡巡して、また口を開いた。
「彼の方が良かったのでは?」
「嫌なの?」
「そういう訳では…」と気まずそうに言葉を濁して、青年は口を噤んだ。
顔も合わせないから、腕を組んでいるのに、まるで喧嘩してるみたいだ。しかも私が虐めてるみたいじゃない?
自分の手をかけた彼の腕を見た。
男の人の腕だ。お父様のような硬い筋肉質の腕…
何から何まで好きだった男の子とは違う。
やっぱり気の迷いね…
周りにうんざりしてたから、ちょっとマシに見えただけよ…
そう自分に言い聞かせて、彼とパーティーの真ん中に向かって歩いた。
私を呼び止めようとする青年たちは、ケッテラーの不機嫌そうな仏頂面に睨まれて、一様に視線を逸らした。
そりゃ、こんな顔してたらね…
私には丁度いい番犬だわ…
そう思ってふふっと一人で笑った。
そういえば、ロローは死んでしまったと手紙にあったわね…
大きな黒い犬の姿をした友達を思い出した。
お母様がお父様に贈った猟犬だ。
賢くて、お姉様や私にもよく懐いてくれた。
可愛いとは言い難いけれど、家族として愛していた。最後までお父様を守って死んでしまったと聞いた。
知らない人が私たち姉妹に近寄ろうとすると、怖い顔で唸って追い払ってくれた。
久しぶりにお父様に会ったから、感傷的になっているのだろう。
隣を歩く男の人は全く似てないのに、私の大切な存在を思い出させた。
バカね、アダリー…
自分で自分を傷付けて、心の傷を増やすことも無いでしょう?
埋まらない穴を埋めようにも、ピタリと嵌る違うものなんてあるわけないもの…
彼がもう少し柔らかい人なら、私の心の傷を包んで隠してくれたかもしれないけれど、そんな都合の良いことなんてあるはずもなかった…
拳を握って、目の前にいる、この世で一番嫌いな男を睨み付けた。
お父様から届いた手紙には、《カナルで大怪我をしたから迎えに来るように》と綴られていた。
珍しく弱気な父の手紙に胸騒ぎを覚えた。
私に残された最後の家族だ。どんなに《嫌い》と言っても、私は彼の娘だ…
まだ一人で生きる覚悟はなかった…
「手紙が行き違いになったのだな。
こんなところまで呼び出して悪かったな、アダリー」と彼はしれっと嘯いた。
そんなわけないでしょう?!
騙されてこんなところにノコノコやって来た私も馬鹿だったわ!
「帰ります」とお辞儀して馬車に戻ろうとした私をお父様が引き止めた。
「待ちなさい、今からじゃ、シュタインシュタットに着く前に日が暮れるぞ」
「結構です。子供じゃありませんから。自分で宿を取りますから」
「お前は知らないかもしれないが、この辺りはオークランドの騎行で損害を受けてな。少し治安が悪くなっている」
「まぁ!一体誰がカナルを守っておりましたの?伯父様も期待外れでがっかりでしょうね」
意地悪く、遠回しにお父様を挑発したが、お父様は苦笑いを見せただけで、私の挑発には乗らなかった。
「まぁ、馬車に揺られて疲れただろう?
少し休むと良い。また夕餉に呼ぶ」と言って、お父様は母方の伯父様に案内を任せた。
用意周到ね…
既に用意されていたテントは、男性が使うものに比べると綺麗で、贅沢な絨毯が敷かれ、鏡台などの調度品も揃えられていた。
ベッドも寝やすそうなフカフカの仕様だ。
馬鹿な人…
これを用意するのに、一体どれだけ金を積んだのだろう?
反抗的で、生意気な娘を、お父様は変わらず愛しているのだろう…
愛情を物で埋めようとするのは相変わらずね…
でも残念ながら、それで満足するほど、私は子供じゃない…
「さすが旦那様。凄いですね」世話係のメイドのハンナが、テントの様子を見て驚いていた。
私が一人で何も出来ないことを知ってるから、お父様はハンナの分の寝床まで用意していた。それも気に入らない。
「お嬢様。私、本当にこれで寝て良いのですか?」
「いいんじゃない?」
「うわぁ、フカフカですよ!お外でこんな素敵なベッドが使えるなんて!
お嬢様は愛されてますよ!」
「そうかもね…疲れたから少し休むわ」
「あ、はい。荷物用意しておきますね」と応えて、ハンナは慣れた様子で、私の休む用意を整えた。
悔しいけれど、寝心地は屋敷のベッドと変わらない。疲れもあって、寝入ってしまった。
久しぶりに、お母様やお姉様のいた頃の夢を見た。私がまだお父様の事が大好きだった頃の話だ…
お母様はお行儀に厳しかったが、お父様は『構わん』と娘たちを甘やかしていた。
抱っこをせがむと、大きな太い腕で私たちを抱き上げてくれた。
背の高いお父様に抱かれると、少女の視線の高さから、大人の視線の高さになる。私はそれが大好きだった。
幸せだったのだ…
お父様はいつも忙しくされていて、一緒に過ごせる時間は少なかったが、それでも家族で過ごすための時間をとっていた。
あの悪夢のような出来事があるまでは、私は幸せだったのに…
あの時、風邪なんか引かなかったら…
私もお母様やお姉様とお出かけして、寂しく残される事なんてなかったのに…
ハンナの声で目を覚ますと、目元に涙が滲んでいた。誤魔化すために欠伸をして、ハンナに時間を訊ねた。
そろそろと思って起こしてくれたらしい。
夕餉の前に顔を洗って、身支度を整えた。
『お行儀良くして、綺麗にしてないとダメよ。お父様に恥をかかせてしまいますからね』とお母様は幼い頃からずっと私たちに言い聞かせていた。
お母様の実家は伯爵に嫁げるような家柄ではなかったから、行儀や身なり、立ち振る舞いで苦労したのだという。
自分の身分が低いから、お父様に恥をかかせないように、娘たちの教育にも熱が入っていた。
そんなお母様の心配を、お父様はいつも大きな声で明るく笑い飛ばしていた。
『私の自慢の娘たちだ』と…
お化粧を整えて、髪を結い上げ、新しいドレスに着替えた。
「…これは?」見覚えのないドレスだ。こんなの持っていたかしら?
「お嬢様が寝ている間に、旦那様からお預かりしました。
素敵ですよね!刺繍やレースも素敵ですけど、このオレンジと赤の配色がお嬢様にお似合いですわ!」
ハンナは新しいドレスに興奮していた。彼女は私を飾り立てるのが大好きなのだ…
「お気に入りのネックレスにも似合いますわ」と、彼女は私の着せ替えを楽しんでいた。
身支度を整えていると、お父様のお使いで、伯父様がテントを訪ねてきた。
「夕餉の用意を致しましたので、どうぞ」と伯父様のエスコートでお父様の元に向かった。
場違いなドレスの女に、周りの兵士たちの視線が集まる。
彼らの視線に知らぬ振りを決め込んで、澄ました顔で歩いた。
伯父様の足は、お父様のテントを素通りした。
「伯父様?どちらに…」
「もちろん、リューデル伯爵閣下の元ですよ」と伯父様は大真面目に答えた。
人の集まった広場に、子犬を連れたお父様の姿があった。
「おお、来たか!」と迎えたお父様の装いは軍装ではなく、貴族の装いに変わっていた。
伯父様から私を引き取ると、周りに集まっていた人たちの前で私を紹介した。
「よく集まってくれた!
皆、彼女は私の一人娘のアダリーシアだ!」
「おお」と声が上がる。
よく見れば、若い男ばかりだ…嫌な予感がした…
「アダリー彼らはお前のために集まってくれたのだ。挨拶しなさい」
「何のために?」と確認すると、お父様はニヤリと笑った。
「お気に入りの者がいれば、声をかけてやって構わんぞ」
…つまり、そういう事…
不機嫌になる私にお父様は言葉を続けた。
「カナルにいる騎士以上の若者で、未婚で婚約者の無い者たちを集めた。
このカナルでよく働いてくれた者たちだ!
ざっと百人程だな」
呆れた…
私を引っ張り出して、引き止めた理由はこれ?
こんな所で娘のお見合いパーティーを開くなんて…
お父様は私が思っていたより馬鹿なのかしら?
食事をしに来ただけであって、男を漁りに来たのでは無い。
帰りたいのは山々だが、お腹は空いていた。
さっさと食べてテントに戻ろうと決め込んで、簡単に挨拶を済ませ、料理の並んだテーブルに向かった。
料理は美味しかったけれど、話しかけられる度に手が止まる。
立食パーティーで話しかけられて無視するのはマナー違反だ。愛想笑いで返して、必死になって気を引こうとする青年らを躱し続けた。
つまらない。
同じ年頃の女の子とおしゃべりする方がずっと楽しい。
私は貴方たちの武勇伝には興味なくってよ…
イライラしながら隙を見て料理を口に運んだ。
本当に誰も彼も気が利かない。
私だってお腹も空けば喉だって乾く。誰か一人くらい気付きなさいよ!
飲み物を貰おうと給仕を呼び止めようとしたが、飲み物の入ったグラスは目の前で別の人の手に渡った。
「あ…」グラスを手にした青年と目が合った。
彼は顔を赤く染め、「失礼致しました」と先に取ったグラスを私に譲った。
短く切りそろえた蒼い髪と、切れ長で涼し気な目をした青年だった。
青年から飲み物を受け取ると、彼は気まずかったのか、名前も残さずに逃げるようにそそくさと離れて行った。
最初からその気がなかったのだろうか?
私に声をかけるチャンスだったのに、『失礼致しました』の一言だけでどこかに消えてしまった。
彼の粗相を指摘するつもりは無いけど、気を引こうとする男たちより、さっさと立ち去ってしまった青年の方が気になった。
彼の立ち去った方向に視線を向けたが、人の波に、蒼い髪の青年を見失った。
✩.*˚
「どうしました、ゲリン?」
一緒に参加していた友人が私を見つけて首を傾げた。
『飲み物を取りに行く』と言って、飲み物を持たずに戻って来た私を見て、彼は不思議がっていた。
「…失敗してしまった」と彼にさっきの失敗を伝えた。
「それは…気まずいですね…」とブルーノが感想を述べた。
私はいつもこうだ…
女性との付き合い方がよく分からない。いざ、前にしてしまうと緊張して話せなくなるし、女性の気持ちなど分からないから振られてばかりだ…
戦に出る前にも、好きになった女性に告白して振られたばかりだ…
「父が存命ならお叱りを受けていた…
よりによって、ご令嬢の飲み物を掠め取ってしまうなんて…恥ずかしい…」
「まあ、立食パーティーでは仕方ないことです。気がついて譲ったのですからお咎めを受けたりはしませんよ」とブルーノは私を慰めてくれた。
私より年下なのに、彼の方がしっかりしている。
「ゲリン、さっき食べた鴨のローストは美味しかったですよ。君もどうです?」と私に気に入った料理を勧めた。
「ブルーノ。君は挨拶に行かないのか?」
「私には縁のない話です。
それに、私が行かなくても、これだけ若者が集まっているのですから、ご令嬢は気付きもしませんよ」
ブルーノはしれっとそう言って料理を楽しんでいた。
彼は近くを通りかかった給仕に飲み物を求めた。
彼は二つ飲み物を貰うと、一つ私に差し出した。
「はい、君の分。
失敗は繰り返さないのが大事だと母上も仰ってました。いつまでも気にしないで、料理を楽しみましょう」
「私が女性だったら君を好きになってたよ」
「そうですか?モテた記憶なんてこれっぽっちもありませんよ?」
「気付いてないだけで、実はいたのかも知れないよ」と二人で笑って飲み物を口にした。
飲み物は甘い果実酒ばかりで、色んな種類が用意されていた。
リューデル伯爵が娘の好む品を揃えたのだろう。
酒も料理も一級品が並んでいる。
パーティーの中心に咲くオレンジの薔薇には、良家の子息たちが蝶のように訪れて、代わる代わる彼女に挨拶して行く。
あれでは折角の料理も酒も楽しめそうにない。
それを知っててこの宴を催しているのなら、意地悪な父親だ…
可哀想にな、と彼女に同情した。
「どうしたんだい?話しかけてくる気にでもなったのかい?」とブルーノが訊ねた。
「いいや」と答えて、新しい皿にお代わりをよそった。
ブルーノに勧められた鴨のローストは、マスタードが利いていて美味しかった。一緒にあったバケットによく合う。
料理を口に運びながら、薔薇の咲いた場所を確認した。
目の前にご馳走が並んでいるのに、彼女の食事は進んでいない様子だ。
料理に手を伸ばそうとすると、また別の誰かに声をかけられて手が止まる。
彼女が食事できているかが気になって、遠巻きに何度も様子を確認した。
彼女も隙を見て料理を摘んでいたが、それも一口程度の僅かな量だ。あれでは足りないだろう。
新しい皿を手に取って、彼女のために料理をよそった。
好みまでは分からないが、何も無いよりマシだ。
あのままでは可哀想だ。
お節介を皿に乗せて、意を決して彼女に歩み寄った。
ブルーノは何も言わずに私を見送った。
料理を届けるだけだ…
自分にそう言い聞かせて、緊張して縺れそうになる足で彼女に歩み寄った。
大きく息を吸って、精一杯の勇気を振り絞って声をかけた。
「あの…失礼致します」と声をかけるとオレンジの薔薇のような女性は振り返って私を見た。
驚いた目が私を映していた。
「貴方、さっきの…」彼女は私の無礼を覚えていたらしい。とんだ恥をさらしたものだ…
「先程は失礼致しました。こちらをどうぞ」
無礼を詫びて、料理の乗った皿を差し出した。
彼女は驚いた顔で、「私に?」と確認した。
「お食事が進んでないようでしたので…
どうぞお召し上がりください」
「君、アダリーシア嬢は今私と話し中だ。遠慮して頂けないか?」
先に彼女と話しをしていた令息が、不満げに声を上げた。話の腰を折られて苛立っている様子だ。
「ご令嬢はあまり召し上がられていないようでしたので…」
「君のそれはお節介と言うものだ。
折角の楽しい話が台無しじゃないか?順番を待ちたまえ」
話を邪魔された青年は、私の無作法を叱って、立ち去るように求めた。彼にとっても、待ちに待った機会を邪魔されて腹に据えかねたのだろう。
ご令嬢の前だから声を荒らげる事こそは無かったが、表情には不愉快がありありと浮かんでいた。
やっぱりお節介だったのだろうか?
料理は無駄になってしまった。
「失礼しました」と謝罪して立ち去ろうとした。
踵を返した背中に、「待って!」と女性の声が届いた。
フワリと花のようないい匂いが届く…
「ありがとう、いただくわ」柔らかい声はすぐに近くから聞こえた。
柔く白い女性の手が差し出される。
伸びた手は私の持っていた皿を受け取った。
私の顔よりずっと下にあるアダリーシア嬢の顔が、退屈そうなものから、花の咲いたような微笑みに変わった。
「気にしてくれてありがとう。さっきは飲み物を譲ってくれたのに、お礼もせずに失礼したわね。貴方お名前は?」
「ロンメル男爵家にお仕えする騎士、ゲリン・フォン・ケッテラーと申します」
型通りの敬礼を捧げて名乗った。
彼女は場違いな男を前に、目を丸くして驚いていたが、微妙な間の後、口元に指先を運ぶと淑やかに笑った。
「ありがとう、ケッテラー卿。
彼とのお話が終わったら、次は貴方とお話する事にするわ。
少しお待ちくださいな」
令嬢の上品な微笑に鼓動が早くなる。
アダリーシア嬢は、受け取った皿を手に、さっきまで話をしていた若者の元に戻った。
料理を運んだだけなのに?
受け取って貰えただけでも僥倖なのに、笑顔で礼まで頂戴した。それに話まで…
にわかに信じられず、自分の頬を摘んだ。痛かった…
「お待たせしました、ケッテラー卿」
戻って来た彼女は、私の用意した皿を手にしていた。
さすがに盛りすぎたな、とお節介を詰め込んだ皿を見て少し反省した。
私の視線に気付いたアダリーシア嬢は、くすり、と笑った。
「大丈夫よ。お腹空いてたもの」
「申し訳ありません…」
「どうして謝るの?私は助かったわ。
もううんざりしてたところだったもの。
誰も気にかけてくれないし、殿方の自慢話は長くなるから嫌いなの。
そうね、強いて言うなら、飲み物も欲しかったわ」
「ご用意します」
「何処で待ったらいいかしら?
貴方が離れると、また長く囀る鳥が飛んでくるわ」と、彼女はまたつまらないお喋りに付き合わされる懸念していた。
「私の友人がおりますので、彼とお待ちください」と提案すると、彼女はあっさりと了承した。
本当に空腹だったのだろう。
彼女は上品な手つきで料理を平らげた。
果実酒のグラスを三杯飲み干して、さらにデザートを求めていた。
彼女の見事なまでの食いっぷりにブルーノと二人で顔を見合せた。さすが、リューデル伯爵のご令嬢だ…
ブルーノと二人、彼女の給仕係として働いた。
「ちょっと食べ過ぎたかしら?」と恥ずかしそうに呟いた彼女の手には、淡い紅色の果実酒の注がれた、新しいグラスが握られている。
華奢な乙女の身体の何処にあの量の食事が消えたのか、甚だ疑問だ…
「ごゆっくり召し上がられましたか?」
ブルーノの質問に、アダリーシア嬢はご機嫌な様子で答えた。
「ええ、ありがとう。お陰で餓死せずに済んだわ」
「お役に立てて何よりです」
「貴方たちも、お父様の悪ふざけに付き合わされて大変ね。本当に嫌になるわ…」
アダリーシア嬢はため息を吐いて会場を見渡した。
ため息に混ざった呟きは『バカみたい』と聞こえた気がした。
誰のことだろう?
不貞腐れたようにグラスを眺めるアダリーシア嬢は、どこかに寂しそうに見えた。
✩.*˚
『君もお食べよ』
差し出されたお皿を見て、ふんわりした血色良い頬の少年を思い出した。
バカね、アダリー…彼とは全然似ても似つかないわ…
声をかけてきた青年は背が高く、無駄な肉の無い引き締まった身体をしていた。
差し出されたお皿は、見栄えの悪い盛り付けだ。
退屈で死にそうな時に助け舟をくれたのは、凛々しい眉の、整った顔立ちの青年だった。その顔は、少し険しいような無愛想な印象だ。
緊張してたのかもしれないし、もしかするとそういう顔なのかもしれない…
それでも、私に料理を勧めてくれたのが、別れた婚約者を思い出させた。
ぽっちゃりしていて、笑顔の可愛い、おっとりとした少年は、食べるのが大好きだった。
柔らかくて優しい笑顔と、暖かい彼の手が好きだった。
『僕は後でいいよ。先に好きなのを選んで』といつも私に先を譲ってくれた。
「いただくわ」と青年の気遣いをありがたく頂戴した。どうせ話にも飽きて、切り上げる理由を探していたところだ。
彼はいかにも口数が少なそうで、勝手に囀る鳥たちのような煩わしさは無かった。
ケッテラーと名乗った騎士と彼の友人は、私の食事の世話を焼いてくれた。
ビッテンフェルトの令息は妹が居ると言っていた。
だから、私の我儘にも笑顔で付き合えるのね。
ケッテラーはというと、「はい」と「かしこまりました」と短い返事しかしない。まるで従者みたいね…
つまらない男だけど、煩いのよりマシね。
我儘な女だと怒っていなければ良いけど…
「アダリーシア嬢、彼は女性と話すのが苦手なのです。緊張してるので、無作法なのはご容赦ください」と友人が彼の代わりに詫びた。
苦手なのに私に声をかけたの?
そんなに困ってるように見えたのかしら?
「いいわ。少し静かすぎるけど、よく喋る男は嫌いなの」
「なるほど、それは良かった」とビッテンフェルト令息は笑って友人に視線を向けた。
「私より君の方がタイプらしいよ」と言われて、ケッテラーは見て取れるほど動揺していた。
耳まで真っ赤にして、落ち着きを無くす姿に悪戯心が疼いた。
ふーん…可愛い人ね…
ビッテンフェルト令息が気を利かせて、飲み物を取りに席を外した。
二人で残される。ケッテラーの赤く染まった仏頂面を盗み見て、彼の隣に並んだ。
「何で来たの?」と訊ねた私に、ケッテラーは首を傾げた。
「何の話ですか?」
「この馬鹿げた茶番によ。お父様が相手じゃ断れないだろうけど、よくもまぁ、こんなに集まったものね」
「ロンメル男爵閣下のご命令です」と彼は衛兵のように直立したまま、素っ気なく答えた。その様子では、来たくて来たわけでは無いらしい。
「来たくなかったの?」と踏み込んだ質問をした。
ケッテラーは少し迷って、「はい」と正直に答えた。
嫌だったのね…
「こういう場所は落ち着きませんから…」
「私も好きじゃないわ」と彼に同調した。彼は意外だったようで驚いていた。
「さっきの見てたでしょう?嫌いなの、ああいうの…
こんな場所に騙されて呼び出されてバカみたい…」
「騙された?」
「そうよ。お父様に騙されて来たの」
「はあ?左様ですか…」
「何それ?本当に興味無さそうね」
「申し訳ありません」謝りつつも、彼は否定しなかった。変な人…
私のご機嫌取りもしなければ、取り繕うつもりも無いらしい。
本当にただ呼ばれたから来て、食事だけして帰るつもりだったのかしら?
なんかちょっとムカついてきたわ…
「ねぇ、エスコートして」と彼に求めた。
彼は声を上げて驚いて、慌てて周りを見回していた。
「ケッテラー、貴方に言ったのよ。
お父様の所までエスコートしてちょうだい」
「はっ、伯爵閣下の所まで?!
無理です!できません!」
必死に辞退する青年に、エスコートを催促した。
「疲れてるのよ。お腹もいっぱいになったし、もう休みたいわ。
でも勝手には帰れないから、ご挨拶しに行かないと…
私だけで歩けば他の殿方たちに止められるわ。だからエスコートしてちょうだい」
「そんな…無理です。私より適任の方が…」
「私と歩くのがそんなに嫌?」
「嫌では…」
大真面目な顔で否定する彼の眉間には、困ったような皺が刻まれていた。
「なら、黙ってエスコートしてちょうだい。
本当に疲れてるのよ。別にエスコートしたからって後でどうこう言うつもりは無いわ」
「…かしこまりました」と彼は渋々エスコートを承諾した。
エスコートを渋っていたが、エスコートの仕方が分からないからでは無いらしい。
型通りに彼は腕を差し出した。
彼は姿勢も良いし、背が高いから見栄えはする。顔だって決して悪くない。無愛想だけど…
横顔を見上げたが、彼は一切こちらを見なかった。
ため息を吐いて「お願いね」と合図すると、彼は調教された馬のように歩き出した。
飲み物を取りに行って戻ったビッテンフェルト令息と途中ですれ違った。
私たちを見て、視線は自然と繋いだ腕に注がれる。
「おや、どちらへ?」
「疲れたから、お父様にご挨拶してお暇するの」と答えると、彼はにっこり笑って、「おやすみなさいませ」と私たちを見送った。
彼は野暮な事は言わずに見送ってくれた。
「彼は良い人ね」とケッテラーの友人を褒めた。
彼は短く「はい」と答えて、黙ったかと思うと、逡巡して、また口を開いた。
「彼の方が良かったのでは?」
「嫌なの?」
「そういう訳では…」と気まずそうに言葉を濁して、青年は口を噤んだ。
顔も合わせないから、腕を組んでいるのに、まるで喧嘩してるみたいだ。しかも私が虐めてるみたいじゃない?
自分の手をかけた彼の腕を見た。
男の人の腕だ。お父様のような硬い筋肉質の腕…
何から何まで好きだった男の子とは違う。
やっぱり気の迷いね…
周りにうんざりしてたから、ちょっとマシに見えただけよ…
そう自分に言い聞かせて、彼とパーティーの真ん中に向かって歩いた。
私を呼び止めようとする青年たちは、ケッテラーの不機嫌そうな仏頂面に睨まれて、一様に視線を逸らした。
そりゃ、こんな顔してたらね…
私には丁度いい番犬だわ…
そう思ってふふっと一人で笑った。
そういえば、ロローは死んでしまったと手紙にあったわね…
大きな黒い犬の姿をした友達を思い出した。
お母様がお父様に贈った猟犬だ。
賢くて、お姉様や私にもよく懐いてくれた。
可愛いとは言い難いけれど、家族として愛していた。最後までお父様を守って死んでしまったと聞いた。
知らない人が私たち姉妹に近寄ろうとすると、怖い顔で唸って追い払ってくれた。
久しぶりにお父様に会ったから、感傷的になっているのだろう。
隣を歩く男の人は全く似てないのに、私の大切な存在を思い出させた。
バカね、アダリー…
自分で自分を傷付けて、心の傷を増やすことも無いでしょう?
埋まらない穴を埋めようにも、ピタリと嵌る違うものなんてあるわけないもの…
彼がもう少し柔らかい人なら、私の心の傷を包んで隠してくれたかもしれないけれど、そんな都合の良いことなんてあるはずもなかった…
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