燕の軌跡

猫絵師

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約束

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「よお、久しぶり」

その男は、街ですれ違った友人くらいの気軽さで挨拶をした。彼は小さな愛らしい女性を連れていた。娘だろうか?

驚いて戸惑う私に、フェルトンだった男が、「こういう男なんだ」と告げた。彼はそれを楽しんでいるように見えた。

「紹介する。

俺の旦那様で、ブルームバルトの領主、ロンメル男爵ワルター様とその夫人のテレーゼ様だ」

「…夫人?」若すぎやしないか?

「もったいないだろ?」とフェルトン公子が笑って耳打ちする。

ロンメル男爵夫妻は視線を交わして苦笑いを交換した。その姿は仲睦まじく、長く連れ添った夫婦のようだった。

「マクレイ卿、ご挨拶が遅くなり、申し訳ありませんでした」と夫人が口を開いた。

彼女は綺麗な発音のオークランドの公用語で私に語りかけた。

「アーサーから聞きました。

マクレイ卿の英断のお陰で助かった命があります」と彼女は私を褒めた。

彼女の言葉は私の心に染みた。

「国に命を捧げる騎士としては失格でしょう…」と自嘲した私に、彼女は柔らかい笑みで答えた。

「マクレイ卿、騎士なら名誉を優先されるでしょうが、その他大勢の命を捨ててまで守った名誉に、果たして価値があるでしょうか?

貴方はブルームバルトに降伏勧告をしてくださいました。

結果的に応じることはありませんでしたが、マクレイ卿はこの街の人たちの命を救おうとしてくださったのでしょう?」

「騎行作戦で降伏勧告なんて聞いたことねぇよ。

多少時間をかければこの程度の規模の街なら落とせたはずだ。降伏勧告など必要無いだろう?

あんたが大将に掛け合ったんだろ?」

夫妻は私の行動を良いように捉えていた。

違う…あれは私のエゴだ…

「私は、途中の村々で、ルフトゥの十字架を持った人々を救う事が出来ませんでした…」

そう呟きながら、視線を落とした。

シェリル様の十字架を見詰め、ため息を漏らした。

こんな恥晒し…もう彼女の息子などとは名乗れやしない…

私の戻る場所などもうどこにもないのだ…

「私の命一つで、生き残ったオークランドの兵士らを許しては貰えませんか?」とロンメル夫妻に懇願した。

どうせ私はもう死んだことになっているだろう。それなら、少しでも役に立つ道を選びたかった。

「元ですが、聖騎士団長を拝命した身です。見せしめなら私一人で足るでしょう?」

「あんたの命で部下を助けるってのか?

殊勝な心がけで立派だがな、それであんたは納得するのか?」とロンメル男爵が訊ねた。

「依存ございません」と頷くと、夫人は悲しそうな顔をしていた。

『彼女はあんたの命も拾いたがるだろうよ』と言ったフェルトン公子の言葉が脳裏を過った。

なるほど…私の心配までしてくれるとは…

その優しさに、シェリル様が重なった。

感傷に浸る私に、ロンメル男爵が口を開いた。

「じゃあお望み通り、捕虜になってるオークランド兵士はお帰り頂く。あんたの命はそれで買った」

望んだ死刑宣告を受け、胸をなでおろした。これで彼らは助かるのだ…

「ありがとうございます」と礼を述べた私に、ロンメル男爵は頷いて、夫人に笑いかけた。

「また拾っちまった」と言う夫に、夫人も笑顔を見せた。

「ふふっ、また増えちゃいましたね」

その会話を聞いて、私の望んだ結果とは違うことに気が付いた。慌ててフェルトン公子に視線を向けると、彼も笑いながら肩を竦めて見せた。

「こういう人たちなのさ」と言って、フェルトン公子は親しげに私の肩を叩いた。

「まぁ、よろしくな、アダム。

ここじゃ俺が先輩だ。元オークランド人のよしみだ。仲良くやろう」

驚きのあまり、空いた口が塞がらない。

私はまた買い取られたらしい…

交換条件を絞らなかったことを後悔したが、もう遅いようだ。夫人の笑顔を見てそう思った…

彼女は私の命を拾って喜んでいた。

「よろしくな、アダム」と私を買い取った新しい主人は勝手に手を握った。

「うちは万年人手不足だからしっかり働けよ?

今日からここがお前の家で、ここの連中がお前の家族だ。分かったな?

なんか分からないことがあったら家宰のシュミットか、アーサーに訊けよ?」

矢継ぎ早に必要事項を伝えて、ロンメル男爵は夫人の肩を抱き寄せて、「じゃあな」と立ち去った。

仲睦まじい夫婦を見送って、フェルトン公子は慰めるように私の肩を叩いた。

「まぁ、そういう事だ」

「奴隷か…」と呟いた私に、フェルトン公子は「いいや」と苦笑いした。

「残念だったな。あんたの望むような罰はないのさ。

代わりに《家族ごっこ》って罰ゲームに付き合わされるのさ」

「ますます分からない。何なんだここは?」混乱する私の質問に、フェルトン公子は声を上げて笑った。

「ここはブルームバルトだよ。

最高に頭のおかしい連中の巣窟だ」

彼は誇らしげにそう答えて、悪戯っぽく口角を上げて笑った。彼は私を歓迎してくれた。

「ブルームバルトにようこそ、兄弟」

私も頭のおかしな人間にされてしまった。

✩.*˚

フィーは俺の事を覚えていた。

忘れられてたらどうしようと思ってたから、「ぱー」と呼ばれた時は嬉しくて泣きそうになった。

彼女のベッドには誕生日に贈った人形がいた。

拾ってフィーに見せると、彼女は自分のだと手を伸ばした。嬉しそうに人形を抱く姿が可愛かった。

「お人形さんは気に入ったか?」と訊ねると、彼女は取られまいと人形を締め上げた。

「あー!」

「取らねぇって。随分気に入ってんだな?良かったよ」

幼い娘に威嚇されて、苦く笑った。

「テレーゼの所に行こう」と言って彼女を抱き上げた。

「アグネス、フィーを連れていくからな」とフィーの世話をしてるトゥルンバルトの妻に声をかけて、フィーを連れ出した。

寝室に向かう途中、廊下の向こうから親父が歩いてくるのが見えた。

親父は俺の抱いていた孫娘を見て顔の筋肉を緩めた。

「あー!」とフィーが親父を見て声を上げた。自分から親父の方に行こうと手を伸ばしたので驚いた。

「いつの間に…」

「ふん!残念だったな、ワルター」

勝ち誇った顔で親父は俺からフィーを攫った。フィーは嫌がってなかったが、俺としては不満だ。

「テレーゼの所に連れていくのに、あんたに取られたら困る」

「そうか…具合は?」

「俺は医者じゃねえから分かんねぇよ。

でも、一人で寝室に押し込まれて寂しがってた…

あんな風に寄ってたかって病人扱いしたら、テレーゼの気持ちだって沈んじまうだろう?

ドライファッハには大して知り合いも居ないんだ。今からこんな寂しい思いをさせなくていいだろう?」

「ふむ…」

「寂しがってばかりじゃ、あいつの身体にも悪い。

あいつはお嬢様だったけど、外の楽しさを知っちまったんだ。

ドライファッハでも、できる限り好きにさせてやってくれ」

「まぁ、言いたいことは分かる。だが、俺も医者じゃねぇんだ。本職に言われたらそうするしかあるまいよ」と親父は苦い顔で応じた。

「すまんな」

「…本人の気持ちだって大事だろうよ」

そんな言葉が口から出た。

昨日の夜、『寂しい』と泣いた彼女の姿が脳裏を過ぎった。何であいつがあんな思いをしなけりゃならんのだ?!そう思うと理不尽な怒りが込み上げた。

親父から黙ってフィーを取り上げて、またテレーゼの待つ部屋に向かった。

「うー…」親父と遊べると思ってたのだろう。フィーは俺の腕の中で嫌がった。

「ごめんな、フィー。後でな」と彼女をなだめて、寝室に戻った。

部屋にはアンネの姿があった。

「旦那様…」

「ワルター様…フィー…」

二人とも困った顔をしていた。アンネは新しい寝巻きを用意していた。

ここもか…と思ってため息を吐いた。

「アンネ。庭に出るから、テレーゼの着替えを手伝ってくれ」

「旦那様!奥様は病気なんですよ!」

アンネが鋭い声で俺を叱った。普段は静かにテレーゼの脇に立ってる姿しか知らなかったから、その彼女の姿に驚いた。

「昨日はずっと大人しくしてたんだろ?

遠くには行かねぇよ。庭で少し気分を変えるだけだ」

「奥様のお身体が大事ではないのですか?

今、無理をさせて…悪くなってしまったらどうするおつもりですか?」

アンネは俺を睨んでいた。

彼女の態度は、使用人として褒められたものでは無かっただろう。それでも悪い気はしなかった…

彼女だって心を鬼にして、憎まれ役を買って出てるのだ。

「アンネ…ありがとうよ」と彼女に礼を言った。

「でもな、昨日テレーゼと散歩するって約束したんだ。

俺もあまり時間が無いから、三人で過ごせる時間を用意してくれねぇか?」

「…ダメです…だって、奥様が…」

「無理はさせねぇよ、庭に行くだけだ。

そんな事もさせて貰えないなんて可哀想だろ?」と彼女を説得した。

「身体も大事だけどよ、気持ちだって大事だろう?」

病気だ、病気だって言われてばかりじゃ気が滅入る。そんなんじゃ良くなるものも良くならない。

「アンネが着替えを手伝わないなら、ラウラかミアに頼むだけだ」

「…かしこまりました」遠ざけられると思ったのか、彼女は渋々了解した。

ずるい言い方になったから、アンネは納得してないだろう。でもこのままドライファッハに送り出せば、同じことになるのは目に見えていた。

「お前も来いよ。心配だろ?」と彼女も散歩に誘った。アンネは険しい顔のまま、黙って頷いた。

彼女らを連れて廊下を歩いていると、元気な声が呼び止めた。

「旦那様!奥様!」

「奥様大丈夫?!」

走ってきたのはシュミットの子供たちとルドだ。子供たちは賑やかな小鳥みたいに好き勝手に口を開いた。

一気に廊下が賑やかになる。

「何事だ?」と応接間から親父とパウル様が顔を覗かせた。

「何をしてる?」とパウル様に訊ねられて、「庭で気分転換するだけです」答えた。

また止められるかと思ったが、パウル様は嬉しそうなテレーゼの姿を見て「そうか」と頷いた。

「ビッテンフェルト殿、我々も如何かな?」と言うパウル様に「お供致します」と親父も便乗した。

二人とも着いてくるらしい。

親父はまた俺から勝手にフィーを攫った。

空になった腕に、テレーゼの手が添えられた。

あぁ、そういやエスコートにうるさい奴がいたんだよな…

ちょっと庭に行くだけなのに大所帯になってしまった。

でも、テレーゼは賑やかで嬉しそうだ。

彼女の楽しそうな笑顔が見れて俺も満足だ。

庭に出ると今度はアーサーがいた。

「何事です?」

「散歩だよ」と答えた。

「今ね、ゼラニュームが綺麗なんだよ!ラベンダーも良いよ!」とユリアは女の子らしく、花のある場所を勧めた。

「あとね、葡萄が少しなったよ!」とユリアは双子の誕生祝いに植えた葡萄の木の前に一行を案内した。

ちょうど日陰になっていて、いい風が吹いている。まだ緑の小さな葡萄が幾つかぶら下がっていた。

「ほら!すごいでしょ!」

「でもコガネムシが葉っぱを齧っちゃうんだ」とケヴィンが文句を言った。

「やっつけなきゃ!」と子供たちは自分たちのご馳走を虫と取り合いしていた。それを見てテレーゼがくすくす笑っている。

「そういうのはコンラートが詳しいんだがな」とパウル様が葉に着いたコガネムシを捕まえて捨てると、子供たちは捕まえて瓶に詰め込んでいた。

「私は興味なかったからな…

また会った時に駆除の仕方を聞いてきてあげよう」とパウル様は子供たちに約束していた。

「私にも教えていただけると助かりますね」と、どこからかベンチを運んできたアーサーが話に混ざった。

「ちょうど日陰だからここでいいでしょう?」と言いながら、アーサーはベンチと机を用意した。

「あら、ちょうどいいですね」

屋敷からお茶の用意を持ったラウラたちが現れた。まるで出番を待ってたみたいだ。

「賑やかでいい事じゃありませんか?」とラウラが明るく笑って場を和ませた。

「アンネ、貴女も手伝って」とラウラは暗い表情のアンネを呼んだ。

「そんな顔しても何も良い事無くってよ。

せっかくいいお天気なんですからお茶の時間を楽しみましょう」

「旦那はどうした?」と訊ねるとラウラは屋敷を指した。

「死んでるみたいに寝てますわ。

仲間外れになってしまいますけど、仕方ありませんわね」

「後で拗ねるんじゃないか?」

「うふふ。後で自慢してあげてくださいな」とラウラは悪戯っぽく笑った。

彼女は子供たちをベンチに並べて、おしぼりで手をキレイにするとお菓子を配った。

フィーが羨ましそうに見てるのに気づいたルドが、クッキーの欠片を差し出した。

「あー」と嬉しそうな声を上げ、フィーはルドの指ごとクッキーを口に含んだ。

自分も仲間に入れてもらえて嬉しかったようだ。

「おいしい?」

もぐもぐと口を動かすフィーにルドが訊ねた。ルドは自分の分が減ったのに嬉しそうだ。

子供たちのやり取りに癒されて、テレーゼに視線を向けた。

彼女も嬉しそうに笑っていた。

「楽しいですね」

「まぁな」と彼女に答えて、配られた紅茶を口に運んだ。

良いもんだよな。こうやってお前が隣にいて、皆で賑やかに過ごすのは…

幸せって多分こういう風景だよな…

歳のせいかそんな人並みな事を考えた。

✩.*˚

「アダム、一緒に来てくれ」とフェルトン公子に呼ばれた。

彼は私に着替えを渡して、身なりを整えるように告げた。渡された服は高価なもので、仕立ても良かった。

「どこに連れていくのですか?」

「ヴェルフェル侯爵があんたに興味があるんだと」と彼は軽い感じで答えた。

相手はフィーア王国の南部を支配する重要人物だ。

それが私のような敗軍の将をただ呼びつけるだけとは思えなかった。

生かされたと思ったが、やはり私はここで死ぬ運命らしい…

先に《二クセの船》に乗った部下たちの顔が頭を過った。

フェルトン公子に案内された部屋は議場のような作りで、大きな長い机が目を引いた。

「よぉ、アダム」と今朝別れた男が片手を上げて親しげに挨拶した。彼の傍らに夫人の姿はなかった。

長い机の一番奥には、ロンメル男爵と同じくらいの年齢の金髪の偉丈夫の姿があった。

「俺の義理の父のヴェルフェル侯爵パウル様だ」とロンメル男爵が彼を紹介した。

「《黄金樹の騎士団》団長のアダム・マクレイです」

《元》と付けるべきだったか?

型通りの挨拶をした私に、侯爵は頷いて応えた。

「なかなか良い男ではないか?

私の贈った服もよく似合っている」と彼は満足気に私を眺めた。私の服を用意したのは彼らしい。

「卿の事はロンメル男爵から聞いた。

まあ、座って話をしようではないか、マクレイ卿?」

ヴェルフェル侯爵はそう告げて、向かい側の一番離れた席を私に勧めた。大人しくそれに従った。

「正直な話、私はマクレイという姓は知らなくてね。差し支えなければ教えてくれないか?」

「養母の姓です。私は元奴隷で姓はありません。騎士を名乗るに不相応な存在です」

「…奴隷?」私の出自を知って、彼らの表情が固くなる。彼らに私の生い立ちを語ると、彼らは黙って聞いてくれた。

「もうマクレイは名乗れません。

私は…彼女の誇れる息子ではなくなってしまいましたので」

今後、マクレイを名乗れば彼女らの迷惑になるだけだろう…

彼女らの今後の助けになれず残念だ…

「何だよ…それ…」

黙って話を聞いていたロンメル男爵がボソリと呟いた。怒りを含んだ声には失望が滲んでいた。

それでも彼が失望した相手は私ではなかった。

「そんなの親なもんか!」と彼は憤慨した。

「あんたはやれるだけやったんだ!それを恥ずかしいって言うんなら、親失格だ!お前が彼女らを心配してやることなんかねぇよ!」

「ロンメル男爵。言い方というものがある」と侯爵は憤慨する男爵をたしなめた。

「ロンメル男爵は卿のような人間を放っておけない性分でな…まあ、私も似たようなものだが…」と侯爵は苦笑いを浮かべた。

「私も卿には正当な評価を与えたいと思っている。

評価というものは、それぞれの行いに与えられるべきだ。身分や生まれに左右されるべきではないと、私は思っている」

侯爵はそう言って、真っ直ぐに私を見た。

「私は有能な人材であれば、生まれや貴賎にとらわれず、その才能を遺憾無く発揮して欲しいと思っている。

南部は問題の多い土地だ。土地を守るのにも一筋縄ではいかぬ。多少型破りでも、私は南部侯としてこの土地を守らねばならん。

私は卿も口説きたいと思っている」

「私はオークランド人ですが?」

「問題かね?」と侯爵は首を傾げた。

「言ったはずだ。私は《才能》を優先すると」

まるで私がおかしなことを言ったとでもいうように、侯爵は笑った。

「ロンメル男爵は元々傭兵だ。

エインズワースの弟やウェイド卿は、ウィンザー公国が滅ぶまで私と戦い続けた者たちだ。

卿を追い詰めたエインズワースの兄とアーサーはオークランド人だ。

私は彼らの《才能》を惜しんだ…

失われるべきではない。現に彼らは私の《寛容さ》に応えてくれた。

私に《寛容さ》を教えてくれた、偉大な父に感謝している」

侯爵はそう言って、天を仰ぐように天井を見上げた。

その仕草で、彼の父がもうこの世に居ないと知った。

「私も昔は血気盛んな若者だったがね。

侯爵という重すぎる役目を背負って、初めて父の考えを理解することが出来た…

力だけでは限界がある。それに、その力を維持するのだって大変だ。

生前の父との約束を果たすに当たり、侯爵として、私に求められているのは《寛容さ》だということに気が付いた…」

彼の話に興味を引かれた。

「お父上とのお約束とは?」と自ら彼に質問した。

「なかなか簡単なことではなかった。

まず、年長者の話に耳を傾けること。

主人を失ったウィンザーの民の、生命と生活を保証すること。

圧政者ではなく、友としてウィンザーの民を愛すること。

そして、信仰、文化、言語までも寛容に扱うこと…

それが父の願いだ」

「素晴らしいお父上だ」と素直に賞賛した。

侯爵は鷹揚に頷いて「自慢の父だ」と答えた。

「《寛容さ》にウィンザーの民も私を受け入れてくれた。私は、この父からの遺産を卿にも適応しよう。

私は卿がこの《寛容さ》に応えてくれる事を期待する」

侯爵はそう言葉を締めくくった。彼は私の返事を待っているようだった。

「《寛容さ》ですか…」

あの騎行で見た風景を思い出す…

その精神がオークランドにもあれば、私もこれほどまで罪悪感を抱く事無く、無辜むこの民を苦しめることもなかったのに…

彼らが私から剣を取り上げても、十字架を取り上げなかった理由を知った。

「何とも良い響きです」と賞賛した私に侯爵も頷いた。

「あんたならそう言うと思ったよ」嬉しそうに顔を上げたロンメル男爵は、にっと笑って言った。

「ブルームバルトで預かっても?」と彼は義父に許可を求めた。ヴェルフェル侯爵は娘婿の申し出を了承した。

「残念だが、私が預かるにはハードルが高すぎる。

マクレイ卿。卿は、《ブルームバルトのアダム》として励むが良い。

そのうち、私の傍で同じ風景を分け合える存在になることを期待している」

「私を見逃されるおつもりか?」

「そんな楽な話ではないと思うがね」と侯爵は小さく笑って、判決を下した。

「卿らが私の土地で犯した罪を、私は許すことは無い。私は罪を容認する《寛容さ》は持ち合わせてないのでね…

しかし、その《能力》と《人格》を鑑みて、償う機会は与えても良いと思っている。

罰として、オークランドのために死ぬことは許さぬ。これからはフィーアのために尽くせ。以上だ」

「私に、今度はオークランドと戦えと言うのですか?」

「さあな?

そうでしか貢献できないなら、そうするしかないだろう。他の方法があるのなら、代案をロンメル男爵に献じるが良い。

私は卿を導く存在になるつもりは無いのでな」と侯爵は私の処遇をロンメル男爵に丸投げした。

問題を丸投げされたロンメル男爵は、「あっ!」っと声を上げて、私に最初の仕事を言いつけた。

「アダム!お前とギルが荒らしまくった南門の周り片付けろよ!あれは迷惑だ!」

「確かに」とフェルトン公子が頷いた。

ギルとはあの炎使いの事だろうか?

確かにあのまま放置していては南門が使えないだろう…

「あの土を抉りまくった跡はお前の《祝福》だろ?

アーサー、お前付き合ってやれ」

「かしこまりました」とフェルトン公子は男爵に応じて、私に「そういうことだ」と笑って告げた。

「うちは働くやつは大歓迎だがな、人使いは荒いぜ。覚悟しな」と彼は私を脅した。

「過酷な労働なら慣れてます」と答えた。

なんなら騎士団長より下男の方が向いている。

他の誰かに大義のために死ねと命じるより、ずっと楽だ…

部下を失っても、何事も無かったように振る舞うよりずっと簡単だ…

「そうかい?そいつは良かった」とロンメル男爵は機嫌よく笑った。

今なら頼める気がして、私のケジメをつけるために、私の主になる男に、一つだけ要求を突きつけた。

「ロンメル男爵。一つだけお願いを聞いてくださいませんか?

私と戦った炎使いと話がしたいのです」

「何だよ?文句のひとつでも言いたいってか?」

「いいえ。そうではなく、私の部下たちの最後を彼の口から聞きたいのです。

彼らの上司として、それを以て、《黄金樹の騎士団》の団長を退く事に致します」

「…良いのか?あんたの希望通りの最後では無いかもしれないぜ」

「構いません。団長を引き受けた者のケジメとして、彼らの死を受け止めるつもりです」

クィン、オルセン、オリヴァー…他にも多くの部下を死に追いやった…

すまんな…私だけ生きて不名誉な生を晒すことになった…

賑やかに文句を言って止める奴が居ないというのも寂しいものだ。

それでも救えた命もあるのだ…

納得できないだろうが、今はそれで許してくれ。

私の我儘を、私以上に我儘な男は頷いて約束した。

✩.*˚

「まだもうちょっと」とテレーゼは我儘を言った。

アダムの件を片付けて、テレーゼの元に戻ると、彼女はまた庭に出たがった。

彼女は緑の絨毯に座り込んで、一生懸命目を凝らしていたが、なかなかお目当てのものを見つけられずにいた。

「もうちょっと右…」

「ワルター様!言わないでくださいね!」とテレーゼは俺を黙らせた。

だって俺もう四つ見つけてるし…

「だってもうすぐ夕方だぜ?

さすがに俺がアンネにキレられるよ」

「だって自分で見つけたいですもの…」とテレーゼはまた手元に視線を落とした。

彼女の手が四葉に触れたが、そのまま通り過ぎてしまった…

ああ!っと叫びそうになるのを必死で飲み込んだ。

これはこれで大変だ…

あー辛い…そこにあるのに…

「何してるんです?」と声がかかった。アダムと馬を連れたアーサーがそこにいた。

「終わったのか?」

「元通りですよ。確かに凄い《祝福》です。俺のなんかよりずっと役に立つ」とアーサーはアダムを褒めた。

「私がやりっ放しにするから、部下をたちからは不評でしたよ」とアダムは苦笑いを浮かべていた。

アダムもアーサーとはだいぶ打ち解けた様子だ。

アーサーは話すのも上手いし、相手にも難なく合わせられる。共通点も多い二人だから、話も弾むのだろう。

「ごきげんよう、マクレイ卿」とテレーゼが顔を上げて挨拶すると、アダムは騎士らしい堅苦しいお辞儀を返した。

「奥様。もうマクレイは名乗れませんので、アダムとお呼びください」

「アダム、貴方こそ。それではまるで騎士みたいですよ」と返して、テレーゼは口元に指先を添えて、くすくすと笑った。

クローバーの畑からテレーゼの視線が離れた。

彼女が目を離した隙に、こっそりと、目立つように四葉を三葉の中から引き上げた。さすがにこれなら気付くはず…

テレーゼは見てなかったが、二人は見てた…

そんな不審者みたいな目で俺を見るな!

「今、四葉を探してるんです」とテレーゼは二人にそう言って、また緑の絨毯に視線を落とした。

「なかなか見つからなくて…

ワルター様はすぐに見つけてしまうのですが、私はなかなか…あっ!」

テレーゼの驚く声が嬉しい歓声に変わる。彼女は俺が目の前に用意した四葉に気付いたらしい。

日が暮れる前に終わったと、胸を撫で下ろした。

「見てください!ありました!」と彼女は少女みたいに喜んでいた。俺が手を出したのはバレて無さそうだ。

「良かったな、テレーゼ!」と大袈裟に喜んだ。

「初めて自分で見つけました」彼女は笑顔でそう言ってクローバーを大事に握っていた。

彼女の嬉しそうな笑顔を見て、全員油断していた…

テレーゼに忍び寄った黒い影が、長い首を伸ばした。

馬は事もあろうにテレーゼの手から四葉を攫った。

「あ!」と声が上がって、皆血の気が引いた。

テレーゼはあまりの出来事に茫然としている。

「アイリス!お前!なんて事…」

アーサーに叱られて、アイリスは耳を後ろに寝かせた。口は相変わらずもぐもぐと動いている。

「…せっかく見つけましたのに…」とテレーゼが泣きそうな声で呟いた。さっきまで煌めかせていた瞳も曇って泣きそうだ。

「テレーゼ!まだここにあるから!あと三本は絶対あるから!」と慌てて彼女を慰めた。

でも今から探しても、彼女が四葉を見つけるより、暗くなる方が早そうだ。

「奥様、申し訳ありません!自分も探しますのでお許しを…」

「仕方ありませんわ…馬のしたことですもの…」と彼女は肩を落としていた。

「また明日の朝に探します」と彼女はクローバーにこだわった。

アーサーは困った顔で、アイリスの代わりに何度も謝罪していた。

「仕方ありません。それはアイリスにあげます」とテレーゼは四葉を諦めて立ち上がった。

必死に探してたスカートには、緑の汁が着いていた。

しょんぼりと落とした彼女の肩を抱いて、アーサーたちと別れて、屋敷に足を向けた。

テレーゼは懐っこいアイリスを気に入っていた。よく手から餌を与えていたから、アイリスもあんな行動に出たのだろう。

「残念だったな」と慰めると、彼女は首を横に振った。

「仕方ありませんわ。また探します。

せっかくお付き合い頂いたのに、申し訳ありません」

「いいよ」と笑って答えた。俺は別に時間を無駄にしたとは思ってない。元々彼女と過ごすためだけに戻ってきたのだ。彼女の希望が叶うなら俺も満足だ。

「お前にも苦手なものがあるんだな」

「私もここまで見つけられないとは思いませんでした。伯父様にも、無理なお願いをしたと、少し反省してます」と彼女は苦笑いを浮かべて俺を見上げた。

「ワルター様は凄いです」と彼女は俺の何でもない特技を褒めてくれた。

あぁ、やっぱり可愛いなぁ…

抱き寄せようとした時、急にテレーゼがそっぽを向いた。

口元を抑えて彼女は咳をした。

「ちょっと…ごめんなさい」

苦しそうに咳をしながら彼女は俺に謝った。

「テレーゼ、大丈夫か?」彼女の顔を覗こうとしたが、テレーゼは俺に背を向けた。

俺には何も出来ない。華奢な背を撫でて、見守る事しか出来ない…

嫌な考えが巡る。

咳が治まるまでの時間が長く感じられた。この咳が止まらなかったらと思うと怖かった。

「もう…大丈夫です」と呼吸を整えた彼女がやっと顔を見せてくれた。

笑顔を作ってるが、咳は止まっても、苦しかったことを物語るように彼女の目には涙が滲んでいた。

口元に白い手が添えられているのは、また咳が出ても良いようにか?

「そんな顔しないでください。大丈夫ですから…」

「俺が大丈夫じゃねぇよ」

ぶっきらぼうな口調になるのはお前のせいだ…

屈んで彼女を抱え上げた。

腕の中に納まった彼女は驚いた顔をしたが、すぐに困ったように笑いながら、「腰を痛めますよ」と忠告した。

「いいな、それ。カナルに帰るのが先になる」

「まあ!それは狡くありません?

私がオークランドに味方したと思われては不名誉ですわ」

「なるほど、それはマズイな…」

「若くはないんですから、無理しないで下さい」

「それは酷くないか?」

「私と幾つ離れてると思ってるのですか?自覚してください」俺をやり込めて、テレーゼは楽しそうに笑った。

いつもの調子を取り戻して明るく振る舞う彼女の姿が、俺の目には不自然に映った。

「なあ、テレーゼ」と呼びかけると、彼女は腕の中で俺を見上げた。ガーネットを連想させるキラキラした目は俺を見ている。

「大丈夫だよな?」と言葉を絞り出した。

「お前はちゃんと俺を待っててくれるよな?」

本当はもっとちゃんと話すべきなのに、これ以上の言葉を言うことが出来なかった…

こんな曖昧な言い方でも泣きそうになる…

またあの絶望を前にしたら、今度こそ心が折れる。

「待ってますよ」と彼女は優しく応えた。

彼女は白い手を伸ばして、子供をあやす様に俺の顔に触れた。

「私はワルター様の妻ですから、夫の帰りを待ってます。だから、そんなに辛い顔しないで…

私を信じてください」

「…うん」

「必ず良くなって、帰ってきます。

そしたら、また私を抱いてくれますか?」

彼女はそう言って悪戯っぽく笑った。上手く言葉を出せず、黙って頷いた。

俺なんかより、彼女の方がずっとしっかりしてる…

「二人で、ちゃんとブルームバルトに帰ってくると約束しましょう?」

「するよ。絶対だ…お前も守れよ?」

「うふふ。言い出したからには守らないといけませんね」テレーゼはそう言って手を伸ばした。

首に絡んだしなやかな女の腕は、俺を引き寄せて、耳元で愛を囁いた。

「愛してます。ワルター様のおかげで少し元気になりました」

「俺も愛してるよ…」と応えた。

お互いに、抱き締めた腕に力がこもる。

もう二度と大切な女性ひとを失いたくない。

「約束したからな」と彼女に告げた。彼女の頷く気配がした。

約束ってのは守るためにあるんだ…
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