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ディルク
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オークランド陣営の強みは人が多い事。
そして弱点も、人が多い事だ…
傭兵が数人増えたところで、誰も気付きはしなかった。
多少訛りのある喋り方をしても、誰も気にも留めない。ここはそういう所だ。
対岸の戦況は下の奴らには何も知らされていないらしい。
彼らは船に乗せられて送り出されるだけのようだ。まるで出荷される家畜だな…
大して有益な情報は無かったが、一つ分かったのは、オークランドの飯は不味いという事だ。
内陸の国だから塩が貴重なのか?
配給は味が薄くて進まない。焦げるくらい火が通してある肉も気に入らない…
フィーアの奴らは割といいもん食ってるな…
「食わねぇの?」とイザークが訊ねた。
彼らは不味い飯を普通に食べていた。
「何で食えるんだよ…」
「え?食べ物だから?」とバカそうな答えを返して、イザークはベタベタの粥を口に運んでいた。
「食っとけ。スーは魔法使うから特に燃費が悪いんだ」とディルクが俺を諭した。
確かに食えるだけマシだ。途中で動けなくなるのも困る…そう納得させて、味のしない粥を無理やり口に詰め込んだ。
「こんな飯、普通だよ」と彼らは言っていた。
「そーそー。腹下さなくって、腹に溜まるもんなら、食べもんってだけでも良いってもんさ。
でも食うならやっぱり美味い方が良いよな」とアルノーの言葉にカイも頷いていた。
「帰ったら好きな物食わせてやるよ」と彼らに約束した。
「なあ、ちょっといいか?」と傭兵らしい男たちが声をかけてきた。
端の席で食事をしていたが、目をつけられたらしい。
「そのフードの兄ちゃん、顔見せろよ。アルビノだろう?」と彼らはレオンに狙いをつけていた。
「だったら何だ?」とディルクが席を立った。彼はレオンを守るように立ちはだかった。
「アルビノ好きの貴族がいてな、金になるんだ。
そっちの顔隠してる小さいのも顔見せろよ」と俺にも顔を見せるように言った。
「不細工なもんでね」と拒否すると、彼の仲間が、「なら笑ってやるよ」と手を伸ばした。
「やめろよ、こんな所でさぁ」と、だるそうに間延びするイザークの声が相手の動きを封じた。俺の目の前に伸びた手を、イザークのナイフが止めた。
「あんたも傭兵やってんならさ、喧嘩売る相手くらい見極めろよな」と偉そうにイザークが言う。
お前が言うか?と思ったが、珍しく役に立ったので黙っておいた。
「お前ら何処の団だ?」とリーダーっぽい男が訊ねた。
「雇い口探しに来ただけだ。まだフリーさ」とディルクが答えた。そういうのも珍しくないのか、彼らはそれで納得した様子だった。
「ならうちの団に来るか?あんた強そうだから歓迎するぜ」
「弟たちに手を出そうとした奴と仲良く出来ねぇよ。他を探す」
「おい!アーロンの兄貴が誘ってやってんのに生意気だぞ!」取り巻きが声を上げた。
俺たちにバカにされたと思ったらしいが、先に喧嘩をふっかけてきたのはそっちだ。
「馬鹿らしい…行こうぜ」とカイが席を立った。
カイとアルノーがレオンを挟んで、男たちから守っている。騒ぎにするつもりはなかったが、相手はなかなか引き下がらなかった。
「仲間にしてやるって言ってんだ、仲良くしようぜ」
「あー、ヤダヤダ…執拗い男は嫌われるぜ」とイザークが茶化した。その言葉に反応した一人がイザークに殴りかかった。
「手の早い奴も嫌われるぜ」と笑って、イザークは柔らかく身体を捻って拳を躱した。
彼は相手の腕を絡めとると、引き寄せて、指先で首を掻っ切る真似をした。
「はい、一丁上がり。
お兄さん死亡だから帰った帰った」と相手の尻を蹴飛ばして仲間の所に戻した。
「何だ、コイツ…」
「俺?エッダのアイザック、よろしくぅ!」
警戒する取り巻きたちに、イザークはわざわざオークランド風の名で名乗った。
「何だよ、お前らエッダか?家族か?」
リーダー格の男がディルクに訊ねた。
「みたいなもんだ」と答えて、その場を後にしようとしたディルクに、アーロンと呼ばれた男が立ちはだかった。
「それなら、あの白いのとチビたちもまとめて面倒見てやるよ。
見た感じ、お前たち四人は場馴れしてるし、使えそうだ」
「ありがとよ。他も見てから決めるさ。縁があったらな」
「待てよ、それだけか?」
「退けよ…俺は喧嘩は嫌いなんだ、無駄だからな…」
「へぇ、自信があるんだな。じゃあ俺を倒して行ったら良いじゃねぇか?」腕に覚えがあるのか、アーロンはディルクの肩口を殴ってを挑発した。
アーロンに殴られてディルクの身体がよろめいて後ろに下がった。彼の倒れ込んだベンチが音を立ててひっくり返った。
「ディルク!」
「チビが心配してるぜ。
ほら、立てよ!」ディルクの胸ぐらを掴んで、アーロンが彼を無理やり立たせた。
力を誇示するためのデモンストレーションだ。アーロンが拳を構えた。
「ちっ!」とディルクの口から舌打ちが放たれた。
次の瞬間、ディルクの胸ぐらを掴んでいたアーロンの腕が不気味な音を立てて離れた。
アーロンは肩を抑えて悲鳴をあげていた。
「あーあ、バカだなぁ…そいつ怒ると怖いんだぜー。
手より先に足が出る」とアーロンの前にしゃがんでイザークが教えてやっていた。
「関節蹴り上げて外しただけだ。後で嵌めてもらえ」と言って、ディルクは悲鳴を上げるアーロンの脇を通り抜けた。
アーロンの取り巻きも手が出せず、黙ってディルクに道を譲った。
「あーあー、目立っちゃったー!ディルクのせいだ!」
「俺のせいじゃないだろう?!っていうかお前も目立ってたじゃねぇか!」とディルクがイザークを怒鳴りつけた。
「ディルク、怪我は?」と訊ねると、彼はバツの悪そうな顔をした。
「ねぇよ」
「ありがとうございます、ディルクさん」とレオンが礼を言った。
「あんた苦労するな」と応えて、ディルクは俺に視線を向けた。
「レオンを一人にするなよ。こいつはちゃんと返さなきゃならんのだろう?
あんたもだ、スー。目立つなよ?」
「分かってるよ。ありがとうディルク」
俺の返事に頷いて、ディルクは場所を変えるように提案した。
悪目立ちしてしまった。
あいつらの仲間が集まってきても面倒だ。
「もーちょい後ろ行こうぜ。
アーサー居るの本営の裏だろ?」
「イザークがまともな事言うとムカつくな」とカイが呟いた。「それな」とアルノーも笑っている。
「なんでぇ?!」と納得がいかないイザークが抗議していたが、分からなくもない。
イザークは賑やかし役だ。そういうの似合わない。
一行で、逃げるように宿営地の後方に向かった。
歩いていると、店を開いていた商人たちの輜重隊を見つけた。
「ねぇ、お兄さんたちどこ行くの?」
「暇なら寄ってってよ」と誘う《恋人たち》に、調子のいいイザークが吸い寄せられるように寄り道した。
「別嬪さん揃いだから遊んでいっちゃおうかなー!」
「お前…」
呆れながらイザークを引き戻そうとすると、ディルクが肩を掴んで止めた。
「ねー、俺たち昨日来たばっかなんだ。
どこの団が一番金払いいい?」とイザークは彼女らに訊ねた。
「《黒獅子の団》?《金蛇の団》?」
「でも彼らいなくなっちゃったじゃん?」と話を振られた女性が答えた。
「えー?何?もう潰れちゃったの?」
「違うよ、向こう岸に行くからって、二日前にごっそり連れてかれたの。裏からこっそり回って橋を渡るとか言ってたよ」
「もう船要らないね。あーあ、やーねー、稼ぎが悪くなる」と愚痴を漏らす彼女らに、イザークはテンポよく次々世間話を持ちかけた。
彼女らの方が、その辺の傭兵より情報を持っていて、戦況に詳しかった。
「お兄さんお喋り上手だね」と女性たちもイザークを気に入ったようだった。
「女の子とお喋りすんのだーい好き!
血の気の多い野郎どもと話したって面白くないだろ?」
「まぁね、あんたくらい喋ってくれるお客さんなら、あたしらも楽できるわ」
「俺の事好きになっちゃった?」
「まぁね。あとはコレ次第かな?」と言って、彼女らは指先で輪っかを作って見せた。
「じゃあ何か耳よりの情報は頂戴よ。偉い人に気に入られるようなさ」と言いながら、イザークは小銀貨を何枚か取り出して見せた。
「あの話?」と銀貨を見た彼女らが色めきだった。
「いいんじゃない?」と答えて、片方が口を開いた。
「お偉いさんが、《坊ちゃん》のお供を探してるらしいよ」
「《坊ちゃん》?」場にそぐわない話に、イザークが首を傾げていた。
「うん、フェルトンの《坊ちゃん》。
なんでも足が不自由でさ、まともに歩くこともできないんだってさ。
何でこんな所に連れてきたのか知らないけど、用心棒になる世話係を探してるんだって」
「伯爵様は鬼より怖いからね。粗相があったらぶっ殺されるってんで、誰もやりたがらないのさ」
「へー、じゃあ《坊ちゃん》に取り入ったら結構貰える?」とイザークが訊ねると彼女らは苦笑いで応えた。
「あはは!かもね!でもオススメしないよ」
「あの伯爵様、悪い噂があるからねぇ…」と彼女らは含んだように笑った。
「父親のバチが当たったのさ。《坊ちゃん》…」と彼女らは言っていた。
「何それ?」とイザークが話の先を促した。
彼女らは噂話の好きな女らしく、ペラペラとアーサーの秘密をイザークに喋った。
「知らないの?あの伯爵様さ、自分の息子の婚約者奪ったんだよ。それで産まれたのが《坊ちゃん》さ」
「げっ!」
「だよねー、サイテーだろ?」とイザークの反応に彼女らは陰口を続けていた。聞くに耐えない。
イザークは相変わらずヘラヘラしながら彼女らから話を引き出していた。
「ところでさ、噂の《鉄仮面》はどこの御曹司なんだろうね」
「あー!それも気になるよねー!元ウィンザー大公の太子様って噂でしょ?」
「え?そうなの?あたしは前線で失敗した伯爵の親戚って聞いたけど?」
「マジで?そっちの方がヤバくない?
何したんだろうね?」
「さあね。ろくな事じゃないだろうさ…
でも《鉄仮面》は面白いから何なのか知りたいよね」
「ねー」と二人はご機嫌でイザークに噂話を売った。
「へー面白い事聞いちゃった!二人ともありがとね!」とイザークはヘラヘラしながら彼女らに金を渡していた。
イザークはついでに何か買って、彼女らに「またねー!」と愛想良く手を振って別れた。
彼女らに背を向けたイザークは、さっきまでのヘラヘラ笑いを引っ込めていた。
「…胸糞悪ぃ」と呟きながら、彼は手にしていた紙袋を俺に押し付けた。
中身を確認すると干し肉が入っていた。ちゃんと味のついたやつだ。
「そりゃ帰りたくないだろうよ…」と呟くイザークの背をディルクが叩いた。
「スーは知ってたのかよ?アーサーの事…」
「まぁ、うん…」と曖昧に答えると、イザークはバツ悪そうに頭を掻いた。
「俺ら聞かなかったことにするよ。だからスーもアーサーに何も言うなよ」
「分かったよ」
「男はさ、他人に秘密バラされるの嫌なんだよ。
女絡みなら余計にな」とイザークは珍しく真面目な面持ちでそう語った。
イザークはお喋りだが、自分の事はあまり喋らなかった。この軽薄な男がアーサーに同情するような過去でもあったのだろうか?
「なぁ、気になったんだけどよ」とアルノーがイザークを呼び止めた。
「お前、あの子たちに金撒いてたけどよ、フィーア硬貨使ってないだろうな?」
「バッカだなぁ!そこんとこは俺ちゃん抜け目ないのよォ!」とイザークはアルノーの指摘されて、偉そうに財布を取り出した。
「ちゃーんとオークランド硬貨持ってるもんねー!」と言いながらオークランドの刻印のある硬貨を出して見せた。
「…それ、もしかして…」
「いやー!拾っとくもんだな!河原に結構落ちてんのよ、コレが!」とイザークは自慢げに金の出処を吐いた。
「…それ、良いのか?」
「落ちてんのはセーフだろ?」と悪びれもせずにイザークが答えた。
「何だよ、随分いい稼ぎじゃねぇか?俺も誘ってくれよ」とカイが羨ましそうに呟いた。
「元々ディルクがやってたんだぜ」
「おい!そういうのバラすなよ!」イザークにバラされたディルクが、慌てて彼の首に腕を回して締め上げた。
「元々俺がしてたって言っても、今じゃお前しかやってねぇだろうが!
スー、勘違いするなよ?
ガキの頃の話だよ。俺の家族が無くなってから、そうやって食い繋いでただけだ」と、ディルクは拗ねたように言い訳をした。
「エッダは家族という単位が無くなったら、子供だけで生きていくのは難しいんだ。
定住してる土地もないしな…
運良く他所のエッダの家族に拾ってもらうか、身売りや、傭兵、強盗くらいしか生きる道が無いんだよ」
「…ディルクの家族は?」
「10歳の時に戦に巻き込まれて、妹以外全員死んだよ。
その妹も、野良犬に襲われて7歳で死んだ」とサバサバした口調で彼は過去を晒した。
「じゃあ、あのおまじないは?」
「あれか?夜泣きする妹にしてやってたんだよ。
こんなつまらねぇ話させやがって!このバカ!」
ディルクは、暴露のきっかけになった男の頭に拳骨をあてがって、グリグリと押し付けていた。あれは地味に痛い…
「あーい…すいませんでしたァ…」
「ったく!」と怒りながらディルクはイザークを解放した。
彼の面倒見の良さがどこから来たのか、分かった気がした。
「ディルク」
「ん?同情なんていらねぇぞ。こんな生い立ちの奴なんて、わりとどこにでも居る」
「そうか…
でも、ディルクにだけ喋らせたら不公平だ。帰ったら俺の秘密も教えてやるよ」
そんな約束をした俺に、ディルクは「いいよ、別に」と答えた。
「でも、誰かにしたいなら聞いてやるよ」と言う返事が彼らしくて小さく笑った。
✩.*˚
木陰で休憩していると、干し肉を咥えていたイザークが急に口を開いた。
「ディルク。俺、《坊ちゃん》抑えてくるわ」と軽い感じで提案した。
「人質にはちょうど良いだろ?
護衛が少ないなら尚のこと狙いやすい」
「行くって一人でか?」
「ちょいキツイなぁ…誰か欲しい」
「俺が付き合うよ」とアルノーが手を挙げた。
「ディルクはスーに着いててくれよ。あんたが一緒なら安心だ。それにあの白いヤツ…レオンだっけ?あいつも守ってやらにゃいかんだろ?
ならカイも残して行った方がいい。
こっちは二人で何とかするよ」
「大丈夫か?」
「まぁ、なんとかするさ」とアルノーは軽い感じで応じた。
「俺、昔盗賊やってたから、夜強いし、俺の前に錠前なんて役に立たねえよ。ガキ攫ってくるくらいわけないさ」とアルノーは頼もしく請け負った。
「お前、割と悪い奴な」とイザークが茶化すと、「お前ほどじゃねぇよ」と彼も笑った。
「無理はするなよ?」と二人に念を押した。
「金にならねぇ無茶はしねぇさ」とイザークとアルノーは笑っていた。
「スーにはお前が言ってくれよ、その方があいつも納得するだろうしさ」とイザークは面倒な仕事を俺に押し付けた。
本当に調子いいな、お前は…
《赤鹿の団》にいた頃は、俺たちはこんなにイカれてなかった…
スーのイカレっぷりに感化されちまったんだろう。
手を離したら最後、どこまでも行ってしまいそうな、あの危なっかしい青年を放っておけなかった。
《犬》の四人で確認した。
「最優先はスーだ。分かってるよな?」
「当たり前だろ?」とアルノーが答えた。
「何があってもあいつだけは向こう岸に帰すさ」
「切り捨てられても恨みっこ無しだ」とカイも同意した。
「俺たちはスーの《犬》だ」と誇りを共有した。
最初はふざけやがって、と怒った奴らも、特等席で、あの青年の戦いを見ることが出来て楽しんでいた。
全く、大したやつだよ…
あいつはこの先どんどん化ける。
あいつはまだ若いんだ…
この先経験を積んで、この先何十年、この国のために戦える。
それを背負わせるのは酷な話だが、あいつにはそれが出来るはずだ。
『にーちゃ』
何度も忘れようとした幼い声は、振り払えずに追い縋ってくる。
黒い艶々した髪は柔らかくて、笑うと笑窪のできる妹は絶対美人になると思ってた…
妹が居たから俺は兄貴として頑張れた。
守ってやるって思ってたのに、呆気なく、簡単に妹は死んだ…
住まいさえあれば…大人がいれば…俺がしっかりしてれば…あの時離れなかったら…
タラレバの話が俺の事を責めた。
仕方なかったんだ、と自分を慰めた。
こんな子供に何が出来る?と言い訳した。
亡骸は腐敗する前に、貧民街の共同墓地に投げ込まれた。あいつには安らかに眠る墓さえ無かった…
形見として妹の遺髪を編んで、左の手首に結んだ。
大人になって、太くなった手首に巻けなくなってからは、薬入れにしまって持っていた。
自分が弱く不甲斐ない人間だと、忘れないように、不名誉な御守りを持ち続けていた。
どんなに戦が嫌いでも、傭兵としての仕事に納得してなくても、俺たちにはこの生き方しかない。
エッダとして、割と自由に生きてきたはずだが、結局大嫌いな戦場に縛られてんだ…
でも、ブルームバルトに来て少しだけ考えが変わった。
もしかしたら、もしかするかもと思えた…
ロンメル夫妻を見て、ブルームバルトの連中を見て、俺や妹みたいな子供が無くなるかもと期待したんだ…
あいつらに希望を見た。
あいつらのために、命をかける理由なんてそんなんで十分だ。
俺が勝手に見た《希望》のために、スーとアーサーはロンメルの所に帰す。
ポケットに手を突っ込んで、小さな金属の薬入れに触れた。
不甲斐ない兄貴だけどよ、俺も頑張るよ…
姿の変わらない妹の笑窪を思い出した。
✩.*˚
「始めますよ」黄昏が過ぎた頃にレオンがそう告げた。
俺たちが黙って頷くと、彼はネズミを呼んだ。
チョロチョロと現れたネズミたちは、あっという間にその数を増やし、川の流れのように列を為した。
「ネズミに食料を襲わせます。
あと、馬の囲いに近づいたら、馬たちを刺激して脱走させます。それで時間は稼げるはずです。
本営の意識がそちらに向いたら、本命に移りましょう」
「うえー…これ全部あんたの?」とイザークが初めて見たレオンの《祝福》にビビっていた。
「可愛いでしょう?」とレオンが意地悪く笑った。
彼の手の中には、あの大きなネズミたちのボスがいた。髭をヒクヒクさせて、司令官のように群れを見張っている。
「頼んだよ、エド」彼は大きなネズミを撫でて送り出した。
ボスの加わったネズミの群れは、食糧を溜め込んだ仮設倉庫に向かった。
「…あんたが敵じゃなくて良かったよ…」と言うイザークの呟きに、一同が同感した。
「腹が減ったら戦えねぇもんな」
「ロンメルの旦那、こんな奥の手隠してやがったのか?」
「こいつの兄貴といい、何なんだよ?」
「なんでもいいだろ?レオンもギルも頼れる仲間だよ」とカイとアルノーに答えた。
「ありがとう、スー」レオンが目深に被ったフードの下から礼を言った。少し嬉しそうな明るい声だった。
レオンは服の中から小柄なネズミを一匹取り出して、イザークに差し出した。
「リーリエが《坊ちゃん》の居場所を知ってます。案内役に連れて行って下さい」
「へー…リーリエねぇ…女の子?かーわいい」
イザークは棒読みの返事を返しながらネズミを受け取った。《嫌》って顔に書いてある。
あのネズミの群れを見た後なら仕方ない。レオンも苦笑いしていた。
「エドの子供たちは賢くて仲良しなんですよ。
リーリエに意地悪したら兄弟たちが容赦しませんよ」
「…兄弟って…」イザークが顔を引き攣らせながら訊ねると、レオンは思い出すように首を傾げながら答えた。
「ざっと見積もって千匹前後ですかね?彼らにかかったら骨も残りませんよ」
「お前…そのネズミ、間違えても潰すなよ」とアルノーがイザークに念を押した。
「代わってぇ…」
「やだよ!そんな爆弾持ってられるか!」とアルノーに拒否されて、イザークは大きめのため息を吐いて肩を落とした。
「リーリエお嬢さん、仲良くしましょ」
節操なく小さなネズミに媚び売るイザークを見て、レオンと視線を交わして苦笑いした。
「私の居場所もその子が教えてくれます。見失わないで下さいよ」
「あらまぁ、便利な子だ」と答えるイザークの手からネズミが零れ落ちた。地面に落ちたネズミは後脚で立ち上がって髭をヒクヒクと動かしている。
離れた場所から人の悲鳴が聞こえてきた。
「始まったみたいですよ」とレオンはネズミたちの襲撃を伝えた。
「では、皆さん、ご武運を」涼しい顔でレオンが作戦の開始を宣言した。
それを合図に、それぞれが役割を持って散った。
✩.*˚
「閣下!大変です!」とテントに駆け込んで来た兵士が緊急の報せを伝えた。
「ネズミです!糧秣の仮設倉庫に大量発生しました!駆除が追いつきません!糧秣の第四倉庫は壊滅的です!」
「ネズミだと?!どこから湧いた?!」
コーエン卿が兵士を怒鳴りつけた。
害虫や鼠害には警戒して対策を講じていたはずだ。
「わかりませんが、10や20ではありません!数百匹は下らないかと…」
「いかん!すぐに駆除せよ!無事な糧秣もすぐに避難させろ!」
報告を重んじたコーエン卿がすぐさま指示を出すが、その最中にも、新たな報告が飛び込んで来た。
「緊急です!」
「今度は何だ!」と苛立たしげに先を急かすコーエン卿に兵士が報告を続けた。
「繋いでた馬が…何に怯えたのか分かりませんが、柵を飛び越えて宿営地で暴れております!そのまま逃走した馬もいて、怪我人も出ております!」
「ネズミの仕業か?」
「皆目見当もつきませぬ…」と重々しい返事が返ってくるのみだった。
「橋を作るために土砂を移動させた弊害でしょうか?それにしても…いかが致しましょうか?」流石のコーエン卿も苦い表情だ。
「厄介な事になったな…
やむを得ん。必要ならばネズミごと糧秣を処分せよ!ネズミの駆除が優先だ」
放っておけば糧秣が食い荒らされるだけでは無い。
病気を運び、兵士らの士気も下げることに繋がる。
指示を受け取った兵士らを送り出してため息を吐いた。
「…全く運のいい奴らだ」と苦く呟いた。
対岸の用意は着々と進んでいた。あとは号令を出すだけだと言うのに…
「なかなか思い通りとはいかんものだな…」
苛立たしさを含んだ言葉を拾ったコーエン卿も、苦い笑みを口元に貼り付けて頷いた。
「軍隊の帳尻を合わせるのが我々の仕事です。
閣下の腕の見せどころですな」
「斯様な損な役回り、そろそろ終わりにしたいものだ…」
小さくボヤいた老人の弱音を、長く私を支えた男は苦笑で受け流した。
そして弱点も、人が多い事だ…
傭兵が数人増えたところで、誰も気付きはしなかった。
多少訛りのある喋り方をしても、誰も気にも留めない。ここはそういう所だ。
対岸の戦況は下の奴らには何も知らされていないらしい。
彼らは船に乗せられて送り出されるだけのようだ。まるで出荷される家畜だな…
大して有益な情報は無かったが、一つ分かったのは、オークランドの飯は不味いという事だ。
内陸の国だから塩が貴重なのか?
配給は味が薄くて進まない。焦げるくらい火が通してある肉も気に入らない…
フィーアの奴らは割といいもん食ってるな…
「食わねぇの?」とイザークが訊ねた。
彼らは不味い飯を普通に食べていた。
「何で食えるんだよ…」
「え?食べ物だから?」とバカそうな答えを返して、イザークはベタベタの粥を口に運んでいた。
「食っとけ。スーは魔法使うから特に燃費が悪いんだ」とディルクが俺を諭した。
確かに食えるだけマシだ。途中で動けなくなるのも困る…そう納得させて、味のしない粥を無理やり口に詰め込んだ。
「こんな飯、普通だよ」と彼らは言っていた。
「そーそー。腹下さなくって、腹に溜まるもんなら、食べもんってだけでも良いってもんさ。
でも食うならやっぱり美味い方が良いよな」とアルノーの言葉にカイも頷いていた。
「帰ったら好きな物食わせてやるよ」と彼らに約束した。
「なあ、ちょっといいか?」と傭兵らしい男たちが声をかけてきた。
端の席で食事をしていたが、目をつけられたらしい。
「そのフードの兄ちゃん、顔見せろよ。アルビノだろう?」と彼らはレオンに狙いをつけていた。
「だったら何だ?」とディルクが席を立った。彼はレオンを守るように立ちはだかった。
「アルビノ好きの貴族がいてな、金になるんだ。
そっちの顔隠してる小さいのも顔見せろよ」と俺にも顔を見せるように言った。
「不細工なもんでね」と拒否すると、彼の仲間が、「なら笑ってやるよ」と手を伸ばした。
「やめろよ、こんな所でさぁ」と、だるそうに間延びするイザークの声が相手の動きを封じた。俺の目の前に伸びた手を、イザークのナイフが止めた。
「あんたも傭兵やってんならさ、喧嘩売る相手くらい見極めろよな」と偉そうにイザークが言う。
お前が言うか?と思ったが、珍しく役に立ったので黙っておいた。
「お前ら何処の団だ?」とリーダーっぽい男が訊ねた。
「雇い口探しに来ただけだ。まだフリーさ」とディルクが答えた。そういうのも珍しくないのか、彼らはそれで納得した様子だった。
「ならうちの団に来るか?あんた強そうだから歓迎するぜ」
「弟たちに手を出そうとした奴と仲良く出来ねぇよ。他を探す」
「おい!アーロンの兄貴が誘ってやってんのに生意気だぞ!」取り巻きが声を上げた。
俺たちにバカにされたと思ったらしいが、先に喧嘩をふっかけてきたのはそっちだ。
「馬鹿らしい…行こうぜ」とカイが席を立った。
カイとアルノーがレオンを挟んで、男たちから守っている。騒ぎにするつもりはなかったが、相手はなかなか引き下がらなかった。
「仲間にしてやるって言ってんだ、仲良くしようぜ」
「あー、ヤダヤダ…執拗い男は嫌われるぜ」とイザークが茶化した。その言葉に反応した一人がイザークに殴りかかった。
「手の早い奴も嫌われるぜ」と笑って、イザークは柔らかく身体を捻って拳を躱した。
彼は相手の腕を絡めとると、引き寄せて、指先で首を掻っ切る真似をした。
「はい、一丁上がり。
お兄さん死亡だから帰った帰った」と相手の尻を蹴飛ばして仲間の所に戻した。
「何だ、コイツ…」
「俺?エッダのアイザック、よろしくぅ!」
警戒する取り巻きたちに、イザークはわざわざオークランド風の名で名乗った。
「何だよ、お前らエッダか?家族か?」
リーダー格の男がディルクに訊ねた。
「みたいなもんだ」と答えて、その場を後にしようとしたディルクに、アーロンと呼ばれた男が立ちはだかった。
「それなら、あの白いのとチビたちもまとめて面倒見てやるよ。
見た感じ、お前たち四人は場馴れしてるし、使えそうだ」
「ありがとよ。他も見てから決めるさ。縁があったらな」
「待てよ、それだけか?」
「退けよ…俺は喧嘩は嫌いなんだ、無駄だからな…」
「へぇ、自信があるんだな。じゃあ俺を倒して行ったら良いじゃねぇか?」腕に覚えがあるのか、アーロンはディルクの肩口を殴ってを挑発した。
アーロンに殴られてディルクの身体がよろめいて後ろに下がった。彼の倒れ込んだベンチが音を立ててひっくり返った。
「ディルク!」
「チビが心配してるぜ。
ほら、立てよ!」ディルクの胸ぐらを掴んで、アーロンが彼を無理やり立たせた。
力を誇示するためのデモンストレーションだ。アーロンが拳を構えた。
「ちっ!」とディルクの口から舌打ちが放たれた。
次の瞬間、ディルクの胸ぐらを掴んでいたアーロンの腕が不気味な音を立てて離れた。
アーロンは肩を抑えて悲鳴をあげていた。
「あーあ、バカだなぁ…そいつ怒ると怖いんだぜー。
手より先に足が出る」とアーロンの前にしゃがんでイザークが教えてやっていた。
「関節蹴り上げて外しただけだ。後で嵌めてもらえ」と言って、ディルクは悲鳴を上げるアーロンの脇を通り抜けた。
アーロンの取り巻きも手が出せず、黙ってディルクに道を譲った。
「あーあー、目立っちゃったー!ディルクのせいだ!」
「俺のせいじゃないだろう?!っていうかお前も目立ってたじゃねぇか!」とディルクがイザークを怒鳴りつけた。
「ディルク、怪我は?」と訊ねると、彼はバツの悪そうな顔をした。
「ねぇよ」
「ありがとうございます、ディルクさん」とレオンが礼を言った。
「あんた苦労するな」と応えて、ディルクは俺に視線を向けた。
「レオンを一人にするなよ。こいつはちゃんと返さなきゃならんのだろう?
あんたもだ、スー。目立つなよ?」
「分かってるよ。ありがとうディルク」
俺の返事に頷いて、ディルクは場所を変えるように提案した。
悪目立ちしてしまった。
あいつらの仲間が集まってきても面倒だ。
「もーちょい後ろ行こうぜ。
アーサー居るの本営の裏だろ?」
「イザークがまともな事言うとムカつくな」とカイが呟いた。「それな」とアルノーも笑っている。
「なんでぇ?!」と納得がいかないイザークが抗議していたが、分からなくもない。
イザークは賑やかし役だ。そういうの似合わない。
一行で、逃げるように宿営地の後方に向かった。
歩いていると、店を開いていた商人たちの輜重隊を見つけた。
「ねぇ、お兄さんたちどこ行くの?」
「暇なら寄ってってよ」と誘う《恋人たち》に、調子のいいイザークが吸い寄せられるように寄り道した。
「別嬪さん揃いだから遊んでいっちゃおうかなー!」
「お前…」
呆れながらイザークを引き戻そうとすると、ディルクが肩を掴んで止めた。
「ねー、俺たち昨日来たばっかなんだ。
どこの団が一番金払いいい?」とイザークは彼女らに訊ねた。
「《黒獅子の団》?《金蛇の団》?」
「でも彼らいなくなっちゃったじゃん?」と話を振られた女性が答えた。
「えー?何?もう潰れちゃったの?」
「違うよ、向こう岸に行くからって、二日前にごっそり連れてかれたの。裏からこっそり回って橋を渡るとか言ってたよ」
「もう船要らないね。あーあ、やーねー、稼ぎが悪くなる」と愚痴を漏らす彼女らに、イザークはテンポよく次々世間話を持ちかけた。
彼女らの方が、その辺の傭兵より情報を持っていて、戦況に詳しかった。
「お兄さんお喋り上手だね」と女性たちもイザークを気に入ったようだった。
「女の子とお喋りすんのだーい好き!
血の気の多い野郎どもと話したって面白くないだろ?」
「まぁね、あんたくらい喋ってくれるお客さんなら、あたしらも楽できるわ」
「俺の事好きになっちゃった?」
「まぁね。あとはコレ次第かな?」と言って、彼女らは指先で輪っかを作って見せた。
「じゃあ何か耳よりの情報は頂戴よ。偉い人に気に入られるようなさ」と言いながら、イザークは小銀貨を何枚か取り出して見せた。
「あの話?」と銀貨を見た彼女らが色めきだった。
「いいんじゃない?」と答えて、片方が口を開いた。
「お偉いさんが、《坊ちゃん》のお供を探してるらしいよ」
「《坊ちゃん》?」場にそぐわない話に、イザークが首を傾げていた。
「うん、フェルトンの《坊ちゃん》。
なんでも足が不自由でさ、まともに歩くこともできないんだってさ。
何でこんな所に連れてきたのか知らないけど、用心棒になる世話係を探してるんだって」
「伯爵様は鬼より怖いからね。粗相があったらぶっ殺されるってんで、誰もやりたがらないのさ」
「へー、じゃあ《坊ちゃん》に取り入ったら結構貰える?」とイザークが訊ねると彼女らは苦笑いで応えた。
「あはは!かもね!でもオススメしないよ」
「あの伯爵様、悪い噂があるからねぇ…」と彼女らは含んだように笑った。
「父親のバチが当たったのさ。《坊ちゃん》…」と彼女らは言っていた。
「何それ?」とイザークが話の先を促した。
彼女らは噂話の好きな女らしく、ペラペラとアーサーの秘密をイザークに喋った。
「知らないの?あの伯爵様さ、自分の息子の婚約者奪ったんだよ。それで産まれたのが《坊ちゃん》さ」
「げっ!」
「だよねー、サイテーだろ?」とイザークの反応に彼女らは陰口を続けていた。聞くに耐えない。
イザークは相変わらずヘラヘラしながら彼女らから話を引き出していた。
「ところでさ、噂の《鉄仮面》はどこの御曹司なんだろうね」
「あー!それも気になるよねー!元ウィンザー大公の太子様って噂でしょ?」
「え?そうなの?あたしは前線で失敗した伯爵の親戚って聞いたけど?」
「マジで?そっちの方がヤバくない?
何したんだろうね?」
「さあね。ろくな事じゃないだろうさ…
でも《鉄仮面》は面白いから何なのか知りたいよね」
「ねー」と二人はご機嫌でイザークに噂話を売った。
「へー面白い事聞いちゃった!二人ともありがとね!」とイザークはヘラヘラしながら彼女らに金を渡していた。
イザークはついでに何か買って、彼女らに「またねー!」と愛想良く手を振って別れた。
彼女らに背を向けたイザークは、さっきまでのヘラヘラ笑いを引っ込めていた。
「…胸糞悪ぃ」と呟きながら、彼は手にしていた紙袋を俺に押し付けた。
中身を確認すると干し肉が入っていた。ちゃんと味のついたやつだ。
「そりゃ帰りたくないだろうよ…」と呟くイザークの背をディルクが叩いた。
「スーは知ってたのかよ?アーサーの事…」
「まぁ、うん…」と曖昧に答えると、イザークはバツ悪そうに頭を掻いた。
「俺ら聞かなかったことにするよ。だからスーもアーサーに何も言うなよ」
「分かったよ」
「男はさ、他人に秘密バラされるの嫌なんだよ。
女絡みなら余計にな」とイザークは珍しく真面目な面持ちでそう語った。
イザークはお喋りだが、自分の事はあまり喋らなかった。この軽薄な男がアーサーに同情するような過去でもあったのだろうか?
「なぁ、気になったんだけどよ」とアルノーがイザークを呼び止めた。
「お前、あの子たちに金撒いてたけどよ、フィーア硬貨使ってないだろうな?」
「バッカだなぁ!そこんとこは俺ちゃん抜け目ないのよォ!」とイザークはアルノーの指摘されて、偉そうに財布を取り出した。
「ちゃーんとオークランド硬貨持ってるもんねー!」と言いながらオークランドの刻印のある硬貨を出して見せた。
「…それ、もしかして…」
「いやー!拾っとくもんだな!河原に結構落ちてんのよ、コレが!」とイザークは自慢げに金の出処を吐いた。
「…それ、良いのか?」
「落ちてんのはセーフだろ?」と悪びれもせずにイザークが答えた。
「何だよ、随分いい稼ぎじゃねぇか?俺も誘ってくれよ」とカイが羨ましそうに呟いた。
「元々ディルクがやってたんだぜ」
「おい!そういうのバラすなよ!」イザークにバラされたディルクが、慌てて彼の首に腕を回して締め上げた。
「元々俺がしてたって言っても、今じゃお前しかやってねぇだろうが!
スー、勘違いするなよ?
ガキの頃の話だよ。俺の家族が無くなってから、そうやって食い繋いでただけだ」と、ディルクは拗ねたように言い訳をした。
「エッダは家族という単位が無くなったら、子供だけで生きていくのは難しいんだ。
定住してる土地もないしな…
運良く他所のエッダの家族に拾ってもらうか、身売りや、傭兵、強盗くらいしか生きる道が無いんだよ」
「…ディルクの家族は?」
「10歳の時に戦に巻き込まれて、妹以外全員死んだよ。
その妹も、野良犬に襲われて7歳で死んだ」とサバサバした口調で彼は過去を晒した。
「じゃあ、あのおまじないは?」
「あれか?夜泣きする妹にしてやってたんだよ。
こんなつまらねぇ話させやがって!このバカ!」
ディルクは、暴露のきっかけになった男の頭に拳骨をあてがって、グリグリと押し付けていた。あれは地味に痛い…
「あーい…すいませんでしたァ…」
「ったく!」と怒りながらディルクはイザークを解放した。
彼の面倒見の良さがどこから来たのか、分かった気がした。
「ディルク」
「ん?同情なんていらねぇぞ。こんな生い立ちの奴なんて、わりとどこにでも居る」
「そうか…
でも、ディルクにだけ喋らせたら不公平だ。帰ったら俺の秘密も教えてやるよ」
そんな約束をした俺に、ディルクは「いいよ、別に」と答えた。
「でも、誰かにしたいなら聞いてやるよ」と言う返事が彼らしくて小さく笑った。
✩.*˚
木陰で休憩していると、干し肉を咥えていたイザークが急に口を開いた。
「ディルク。俺、《坊ちゃん》抑えてくるわ」と軽い感じで提案した。
「人質にはちょうど良いだろ?
護衛が少ないなら尚のこと狙いやすい」
「行くって一人でか?」
「ちょいキツイなぁ…誰か欲しい」
「俺が付き合うよ」とアルノーが手を挙げた。
「ディルクはスーに着いててくれよ。あんたが一緒なら安心だ。それにあの白いヤツ…レオンだっけ?あいつも守ってやらにゃいかんだろ?
ならカイも残して行った方がいい。
こっちは二人で何とかするよ」
「大丈夫か?」
「まぁ、なんとかするさ」とアルノーは軽い感じで応じた。
「俺、昔盗賊やってたから、夜強いし、俺の前に錠前なんて役に立たねえよ。ガキ攫ってくるくらいわけないさ」とアルノーは頼もしく請け負った。
「お前、割と悪い奴な」とイザークが茶化すと、「お前ほどじゃねぇよ」と彼も笑った。
「無理はするなよ?」と二人に念を押した。
「金にならねぇ無茶はしねぇさ」とイザークとアルノーは笑っていた。
「スーにはお前が言ってくれよ、その方があいつも納得するだろうしさ」とイザークは面倒な仕事を俺に押し付けた。
本当に調子いいな、お前は…
《赤鹿の団》にいた頃は、俺たちはこんなにイカれてなかった…
スーのイカレっぷりに感化されちまったんだろう。
手を離したら最後、どこまでも行ってしまいそうな、あの危なっかしい青年を放っておけなかった。
《犬》の四人で確認した。
「最優先はスーだ。分かってるよな?」
「当たり前だろ?」とアルノーが答えた。
「何があってもあいつだけは向こう岸に帰すさ」
「切り捨てられても恨みっこ無しだ」とカイも同意した。
「俺たちはスーの《犬》だ」と誇りを共有した。
最初はふざけやがって、と怒った奴らも、特等席で、あの青年の戦いを見ることが出来て楽しんでいた。
全く、大したやつだよ…
あいつはこの先どんどん化ける。
あいつはまだ若いんだ…
この先経験を積んで、この先何十年、この国のために戦える。
それを背負わせるのは酷な話だが、あいつにはそれが出来るはずだ。
『にーちゃ』
何度も忘れようとした幼い声は、振り払えずに追い縋ってくる。
黒い艶々した髪は柔らかくて、笑うと笑窪のできる妹は絶対美人になると思ってた…
妹が居たから俺は兄貴として頑張れた。
守ってやるって思ってたのに、呆気なく、簡単に妹は死んだ…
住まいさえあれば…大人がいれば…俺がしっかりしてれば…あの時離れなかったら…
タラレバの話が俺の事を責めた。
仕方なかったんだ、と自分を慰めた。
こんな子供に何が出来る?と言い訳した。
亡骸は腐敗する前に、貧民街の共同墓地に投げ込まれた。あいつには安らかに眠る墓さえ無かった…
形見として妹の遺髪を編んで、左の手首に結んだ。
大人になって、太くなった手首に巻けなくなってからは、薬入れにしまって持っていた。
自分が弱く不甲斐ない人間だと、忘れないように、不名誉な御守りを持ち続けていた。
どんなに戦が嫌いでも、傭兵としての仕事に納得してなくても、俺たちにはこの生き方しかない。
エッダとして、割と自由に生きてきたはずだが、結局大嫌いな戦場に縛られてんだ…
でも、ブルームバルトに来て少しだけ考えが変わった。
もしかしたら、もしかするかもと思えた…
ロンメル夫妻を見て、ブルームバルトの連中を見て、俺や妹みたいな子供が無くなるかもと期待したんだ…
あいつらに希望を見た。
あいつらのために、命をかける理由なんてそんなんで十分だ。
俺が勝手に見た《希望》のために、スーとアーサーはロンメルの所に帰す。
ポケットに手を突っ込んで、小さな金属の薬入れに触れた。
不甲斐ない兄貴だけどよ、俺も頑張るよ…
姿の変わらない妹の笑窪を思い出した。
✩.*˚
「始めますよ」黄昏が過ぎた頃にレオンがそう告げた。
俺たちが黙って頷くと、彼はネズミを呼んだ。
チョロチョロと現れたネズミたちは、あっという間にその数を増やし、川の流れのように列を為した。
「ネズミに食料を襲わせます。
あと、馬の囲いに近づいたら、馬たちを刺激して脱走させます。それで時間は稼げるはずです。
本営の意識がそちらに向いたら、本命に移りましょう」
「うえー…これ全部あんたの?」とイザークが初めて見たレオンの《祝福》にビビっていた。
「可愛いでしょう?」とレオンが意地悪く笑った。
彼の手の中には、あの大きなネズミたちのボスがいた。髭をヒクヒクさせて、司令官のように群れを見張っている。
「頼んだよ、エド」彼は大きなネズミを撫でて送り出した。
ボスの加わったネズミの群れは、食糧を溜め込んだ仮設倉庫に向かった。
「…あんたが敵じゃなくて良かったよ…」と言うイザークの呟きに、一同が同感した。
「腹が減ったら戦えねぇもんな」
「ロンメルの旦那、こんな奥の手隠してやがったのか?」
「こいつの兄貴といい、何なんだよ?」
「なんでもいいだろ?レオンもギルも頼れる仲間だよ」とカイとアルノーに答えた。
「ありがとう、スー」レオンが目深に被ったフードの下から礼を言った。少し嬉しそうな明るい声だった。
レオンは服の中から小柄なネズミを一匹取り出して、イザークに差し出した。
「リーリエが《坊ちゃん》の居場所を知ってます。案内役に連れて行って下さい」
「へー…リーリエねぇ…女の子?かーわいい」
イザークは棒読みの返事を返しながらネズミを受け取った。《嫌》って顔に書いてある。
あのネズミの群れを見た後なら仕方ない。レオンも苦笑いしていた。
「エドの子供たちは賢くて仲良しなんですよ。
リーリエに意地悪したら兄弟たちが容赦しませんよ」
「…兄弟って…」イザークが顔を引き攣らせながら訊ねると、レオンは思い出すように首を傾げながら答えた。
「ざっと見積もって千匹前後ですかね?彼らにかかったら骨も残りませんよ」
「お前…そのネズミ、間違えても潰すなよ」とアルノーがイザークに念を押した。
「代わってぇ…」
「やだよ!そんな爆弾持ってられるか!」とアルノーに拒否されて、イザークは大きめのため息を吐いて肩を落とした。
「リーリエお嬢さん、仲良くしましょ」
節操なく小さなネズミに媚び売るイザークを見て、レオンと視線を交わして苦笑いした。
「私の居場所もその子が教えてくれます。見失わないで下さいよ」
「あらまぁ、便利な子だ」と答えるイザークの手からネズミが零れ落ちた。地面に落ちたネズミは後脚で立ち上がって髭をヒクヒクと動かしている。
離れた場所から人の悲鳴が聞こえてきた。
「始まったみたいですよ」とレオンはネズミたちの襲撃を伝えた。
「では、皆さん、ご武運を」涼しい顔でレオンが作戦の開始を宣言した。
それを合図に、それぞれが役割を持って散った。
✩.*˚
「閣下!大変です!」とテントに駆け込んで来た兵士が緊急の報せを伝えた。
「ネズミです!糧秣の仮設倉庫に大量発生しました!駆除が追いつきません!糧秣の第四倉庫は壊滅的です!」
「ネズミだと?!どこから湧いた?!」
コーエン卿が兵士を怒鳴りつけた。
害虫や鼠害には警戒して対策を講じていたはずだ。
「わかりませんが、10や20ではありません!数百匹は下らないかと…」
「いかん!すぐに駆除せよ!無事な糧秣もすぐに避難させろ!」
報告を重んじたコーエン卿がすぐさま指示を出すが、その最中にも、新たな報告が飛び込んで来た。
「緊急です!」
「今度は何だ!」と苛立たしげに先を急かすコーエン卿に兵士が報告を続けた。
「繋いでた馬が…何に怯えたのか分かりませんが、柵を飛び越えて宿営地で暴れております!そのまま逃走した馬もいて、怪我人も出ております!」
「ネズミの仕業か?」
「皆目見当もつきませぬ…」と重々しい返事が返ってくるのみだった。
「橋を作るために土砂を移動させた弊害でしょうか?それにしても…いかが致しましょうか?」流石のコーエン卿も苦い表情だ。
「厄介な事になったな…
やむを得ん。必要ならばネズミごと糧秣を処分せよ!ネズミの駆除が優先だ」
放っておけば糧秣が食い荒らされるだけでは無い。
病気を運び、兵士らの士気も下げることに繋がる。
指示を受け取った兵士らを送り出してため息を吐いた。
「…全く運のいい奴らだ」と苦く呟いた。
対岸の用意は着々と進んでいた。あとは号令を出すだけだと言うのに…
「なかなか思い通りとはいかんものだな…」
苛立たしさを含んだ言葉を拾ったコーエン卿も、苦い笑みを口元に貼り付けて頷いた。
「軍隊の帳尻を合わせるのが我々の仕事です。
閣下の腕の見せどころですな」
「斯様な損な役回り、そろそろ終わりにしたいものだ…」
小さくボヤいた老人の弱音を、長く私を支えた男は苦笑で受け流した。
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