燕の軌跡

猫絵師

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生きる価値

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「兄さんは仕事熱心だ」とレオンが俺を見て笑った。

傭兵たちが集めた、攻城弩の矢を改造してくれとトゥーマンが依頼を持ってきた。

指示された通り、素手で熱した鉄の矢を曲げ、釣り針のような反しを作ってトゥーマンに見せた。

「そうだ、それを三本作って、錨みたいに束ねれるか?」

「こんなの何に使う?」と訊ねると、彼は「攻城弩で撃ち出す」と答えた。

「尻の方に縄を繋いで、船に引っ掛けて拿捕する。

船を拿捕したらがたんまり貰えるってんでな」と指で金を示すジェスチャーを交えて嬉しそうに語った。

「あんたもいい小遣い稼ぎになるだろ?

嫁さんとガキに土産でも買って帰ってやんな」

彼なりに気を使っているのだろうが、それならさっさとブルームバルトに帰してくれ、と言いたい。

「一つ作ってくれたら大銀三枚で買う。とりあえず四つ用意してくれ」とトゥーマンは小金貨を投げて寄越した。随分気前のいい事だ…

「良いのか?曲げるだけだろ?」

「まぁ、知り合いのよしみだ。

それに、あんたより仕事が早くて、腕のいい鍛冶屋は他に知らんのでな」とトゥーマンは機嫌よく笑って煙草を咥えた。

「兄さん、仕事があって良かったですね」

「輜重隊の鍛冶屋に睨まれそうだ」とボヤいて、また鉄の棒を握って熱を加えた。

飴のように鉄の棒を曲げる俺の目の前で、トゥーマンはレオンを口説きはじめた。

「美味い酒を持ってきてるから一緒にどうだ?」

「私は下戸ですので、傭兵の皆さんのようには飲めませんよ」

「そうかい?酔った顔も可愛いんだろうな」とトゥーマンはレオンとの距離を詰めた。

「無理にとは言わないさ。しばらくここで過ごすしな。あんたがいるならここは天国だ」

「それは良かった。

ところで、兄さんが怖い顔してるので少し離れてくれませんか?」

「じゃあ、二人でなら構わないか?俺のテントに来てくれよ」

「気が向いたらお邪魔しますよ。気が向いたらね」とレオンは笑顔を崩さずに、上手にトゥーマンをあしらった。

俺には到底無理な芸当だ。見てるだけで肌が粟立つ。

断られたトゥーマンは、レオンの返事に気を悪くする訳でもなく、おしゃべりを楽しんで帰って行った。

「何なんだ?あいつは?」と眉をひそめて去っていった方角を見やった。

「さあ?随分気に入られたみたいですね」とレオンはどこか他人事だ。懐から、お気に入りのデカいネズミを取り出して餌を与えていた。

「無理強いしてくるようなロンメルに止めさせる。ちゃんと言え」

「ふふ、兄さんは心配性ですね」

「茶化すな」

「茶化してなんていませんよ。いつも心配してくれてありがとうございます」そう言って、レオンは嬉しそうにクスクスと笑った。

「昔なら、気味悪がって誰も私なんて相手にしてくれませんでしたからね…

こうやって人とお喋りできるようになった事、それがとても嬉しいのです」と語る彼は本当に楽しそうだ。

「ロンメル様には感謝してますよ」

「無茶苦茶な奴だけどな…」

「兄さんだって他人の事言えないでしょう?」と笑いながら、レオンは俺の足元を指さした。

素手で曲げた鉄の矢が並んでいる。

「兄さんも十分無茶苦茶です」と言われて閉口した。

ため息を一つ吐いて、鉄の棒を曲げる事に集中した。

曲げた鉄の矢を束ねて溶接し、荷車で届けに向かった。

「そういえば、あの剣は届けなくて良いんですか?」と馬の手綱を持ったレオンが訊ねた。

「明日届ける」と答えたが、正直気が乗らない…

「代わりに行きましょうか?」とレオンが言ってくれたが、それはもっと気が進まない。厄介事を弟に押し付ける気にはならなかった。

あのリューデル伯爵がという男は苦手だ。

まるで嵐のような男で、兄のヴェルフェル侯爵とはあまり似ていなかった。

剣を作るのはいいが、あまり関わりたくない相手だ…

「まぁ、なんかヤケクソ気味に剣を打ってましたし、乗り気じゃないのは分かりますけどね…

相手は生粋の貴族ですよ。ロンメル様の時のように無礼な態度は取らないでくださいね、兄さん」

「やけくそなんかじゃない」と答えたが、レオンはその返答を笑い飛ばした。

「傍から見たら、素手で鉄を殴ってるようにしか見えないですから十分ヤケクソでしょう?」

「違う、道具も時間も無かったからあのやり方でやっただけだ」

「ふふっ、そういうことにしておいてあげます」

少年のように明るく笑う弟を前に、不細工な仏頂面を襟を立てて隠した。

✩.*˚

翌朝、早くにレオンに揺すって起こされた。

「何だ…」

「敵に動きがあります」とレオンが真面目な顔で悪い報せを告げた。

「ロンメル様に知らせてきます」

「待て、俺も行く」と呼び止めて身支度を整えると一緒にロンメルの元に向かった。

「ロンメル様、失礼しま…うわっ!」テントの中に足を踏み入れようとしたレオンが珍しく驚いた声を上げた。

「何だ?!」慌ててレオンの肩を掴んで前に出た。

ロンメルは重要人物だ。暗殺だって考えられる。

テントの床に二人が倒れていた。

「…ワルター…レオンだ」と床に転がっていた黒髪の青年がむくりと身体を起こした。

「…何だよ…うっせぇなぁ…」とボヤきながら、同じように床の上に寝転がっていた男は、毛布を手繰り寄せて寝直そうとした。

「まさか…男爵が床で寝てるんですか?」とレオンは困惑していた。

「こっちの方が寝やすいんだって…」と猫のように伸びをしながらロンメルの代わりにスーが答えた。

寝ぼけた様子のスーは眠気覚ましに煙草を取り出して咥えた。

「で?何?」と訊ねながら、煙草を片手に手櫛で寝癖を整えて身支度を始めた。

「…いつも二人で寝てるんですか?」

「時々だよ…変な意味じゃないからな」とスーは不機嫌そうに答えた。男色を疑われたのが気に触ったのだろう。

「こんな朝っぱらから何だよ…」と男爵とは思えない格好で寝ていた男がボヤいた。

「敵に動きがあったので」とレオンが要件を述べた。それまで寝ぼけていたロンメルとスーの視線が鋭くレオンを捉えた。

「攻城弩を岸に並べて、船を動かす用意をしているようです」

「全員叩き起こせ」

「了解」と答えてスーが上着を手にテントを後にした。スーを見送って、ロンメルがレオンに訊ねた。

「リューデル閣下には?」

「まだです。私は直接ご報告出来ませんので…」

「そうか、分かった。一緒に来てくれ」

「随行致します」と答えたレオンに頷いて、ロンメルは脇腹を抑えながら立ち上がった。

スーが治癒魔法をかけていたはずなのに、まだ包帯が巻かれている。

「何だよ、ジロジロ見んなよ」

「傷…治らんのか?」

「ちょっと痛むだけだ。こんなのかすり傷だ」と強がっていたが、かすり傷なら包帯など巻かないだろう?

身支度をする間も、彼は傷を気にしていた。芳しくないと見える…

ロンメルは相変わらずヘラヘラして強がっていたが、それが俺を不安にさせた。

ヘラヘラするその姿に、死んだ奴の事が頭を過ぎった…

「安心しろ。お前らを戦には巻き込まねぇよ」と格好をつけてロンメルはレオンを連れてテントを出て行った。

テントでレオンを待ちながら、ロンメルのテントを見回した。

テントの中にはロンメル夫人の絵が飾られていた。

娘が産まれる前の絵だろう。目立つ大きくなったお腹に手を添えて微笑んでいる。

あいつはこの絵を、どういう気持ちで眺めてるのだろうか…

俺には耐えられない…

失うのが怖い…離れるのが辛い…

今だって、帰れるならアニタやエドガーの待つ家に帰りたかった。

それでもここに居るのは、レオンを一人戦場に置いて行けないからだ。

ロンメルは強い。あいつは守るために、今もまだ戦っている。

それに引き換え、俺は失いたくないから逃げ続けている。人の枠からはみ出るほどの《祝福》を手にしたくせに、無駄に燻らせている…

夢の中で、炎を纏った有翼の赤い獅子が、俺に何度も問いかけに来るのだ…

『何をしている?』と…

訊きたいのは俺の方だ。どうすりゃいい?

寝床の近くに無造作に立てかけられた剣が目に入った。俺が打った剣だ。

あいつ、置いて行きやがった…

イラッとしながら剣を手に取った。

《炎獅子》の炎で鍛えた剣は不思議な姿をしていた。

俺でもどうしてこの姿になったのか分からない。

水面に広がる波紋か、もしくは年輪を刻む樹木のような模様が刀身に広がっている。

まるで呪われたような姿だが、それ故にその刃は美しかった。

《炎獅子》の炎で鍛えた剣は頑丈で、魔力の伝導を良くしていた。

ロンメルの《冬の王》の能力乗せて振るっても刀身が損なわれることは無かった。

その後、幾つか試しに打ってみたが、分かったことは年輪のような模様が細かい程、魔力への耐性が強いということだけだ。今のところ、ロンメルの持っているもの以上の剣は打てない。

俺はこのために《祝福》を受けたのか?

俺の《祝福》は、ロンメルの剣を打つためだけの能力なのだろうか?

俺自身に価値なんかなくて、俺自身がロンメルの補助的な存在なのではないかと思い始めていた。

じゃあ、エドガーは…?

あいつは何のために死んだんだ?

剣を鞘に納めて、唇を噛み締めた。

思い出というものは、美化されるというのは本当だな…

俺だけを求め続けてくれたあの不愉快な男に、また会いたかった…

『大好きだ…』と死に際に吐かしたお前の顔を忘れられない…

何故お前はあんなに満足に死ねた?俺にどんな価値がある?

教えてくれ…

俺はどうすりゃいい?

答えなんて与えられないまま、テントの中で人知れず熱くなる目頭を手のひらで押さえた。

感傷的になっているのは、自分だけ戦わないと決めた罪悪感だ。

テントに戻ったロンメルは、俺が自分の剣を手にしているのを見て、バツ悪そうに「すまん」と先に謝った。

眉を寄せて、「忘れるな」と不機嫌を装って剣を返した。

そのまま、用は無いとばかりにレオンを連れて帰ろうとした。

「あ、兄さん。リューデル閣下から伝言です」

「…何だ?」

「『できたなら早めに届けてくれ』だそうです」

レオンの言葉に不愉快が顔に出たのは間違いないだろう。

「…今から?」と訊ねると「『是非』だそうです」とレオンはいつもの涼しい顔で答えた。

気は進まないが、依頼なのだから仕方ない。

テントに戻って、剣を手にした。

まだ、鞘は拵えていない。仮の皮で作った鞘に納めて持ち出した。

用向きを伝えると、リューデル伯爵の近侍が彼の元に案内した。

「おお!来たか!」と既に鎧を着込んだ伯爵が俺とレオンを歓迎した。

「無理を言ってすまんかった!

またいつ出ることになるか分からぬ故、是非その剣を手元に置きたかったのだ!」と喜ぶ大男は俺から剣を受け取った。

伯爵は早速、仮の鞘から剣を抜いて眺めると、少年のように喜んでいた。

「これだこれだ!いやはや美しい!

よくこの短い期間で作ったものだ!エインズワースは良い仕事をする!」

エインズワースを褒められて悪い気はしなかった。

「私は労働には対価を、芸術には賛美を惜しまぬ!

これだけの逸品だ!前金としてこれを受け取ってくれ!」と彼は手袋を脱ぐと、自分の身に付けていた指輪を差し出した。

「ゴルトベルク産のレッドダイヤだ!小金貨にして三枚分の価値はあるはずだぞ!残りは後ほど用意して届ける」と伯爵は気前よく約束した。

「小金貨三枚?」とレオンと二人で青くなった。

いくらなんでも貰いすぎだ!

ロンメルに売った剣も、あいつが『取っておけ』と言って小金貨一枚で買い取ったのだ。本当は大銀貨八枚の価値しかない。

「閣下…これは、その…」

「正当な対価だ!受け取れ!更なる研鑽に励むが良い!

芸術や技術というものは、正当な評価を受けねば失われてしまう。これは失われるべきではない!

芸術や技術の発展に貢献するのは貴族としての義務だ!

リューデル伯爵はエインズワースの技術を庇護する!」

彼は熱く語って俺の肩を叩くと、「励め」と激励した。

「しかし、このままでは扱いづらいな…

装飾は無くても構わん。取り急ぎ鞘を拵えてくれ」と依頼された。

「出来上がったら本陣に届けてくれ」と出入りを許された。

「…これはどうする?」と手にした指輪をレオンに見せた。いつもは飄々としているレオンも、この時ばかりは苦笑いを浮かべていた。

「相手が相手だから返せませんしね…

とりあえず保留にしましょう」とレオンに提案され、渋々指輪を財布の中にしまった。

「まぁ、良かったじゃないですか?

兄さんの働きが認められて、エインズワースが褒められたんです。

親方だって喜んで下さいますよ」とレオンは楽観的な事を言って笑った。

確かにエインズワースが褒められたのは、純粋に嬉しかった。

「とりあえず急拵えの鞘を用意しないとな…」面倒な仕事が増えた。鞘を作るのは良いが、あの伯爵は面倒くさい…

「一緒に行ってあげますよ、弟ですから」とレオンが俺をからかった。

「また素手で鉄を伸ばすんですか?」と色の乏しい顔が悪戯っぽく笑う。

この偽物の弟は、俺を上手に扱って毒気を抜いてしまう。いつも俺をイライラさせていたエドガーとはえらい違いだ。

それでも時々、あの苛立たしい男が無性に懐かしく思える時がある…

心のどこかで、レオンに遠慮している自分がいる…

当たり前か…

相棒を失ったあの河原から、俺はずっとこいつの世話になってたのだから…

レオンがいなければ、俺はギルにもエインズワースにもならずに、どこかで人知れずに命を終えていたかもしれない。

「どうしました?」と問いかける赤い視線に「何でもない」と答えて前を行く弟を追い越した。

✩.*˚

兄さんは何か悩んでるように見えた…

当然だ。戦場は彼のトラウマの場所なのだから…

本音は来たくなかっただろう。

カナルに行くと告げた時、彼は反対した。それでも私が譲らないから、仕方なく着いてきたのだ。

《戦場》と《河原》…

私にとって、そこは決意の場所で、彼にとっては心の傷を抉る場所だ…

彼を巻き込んだことを少しだけ後悔していた…

『大丈夫?』とエドの声が聞こえた。モゾモゾと胸の辺りで動く小さな友は私の変化に敏感だ。

「私は大丈夫だよ。ありがとう、エド」

服の上から暖かいエドに触れた。彼はノソノソと服の下から這い出して肩によじ登った。

エドは随分長生きだ。

私の《祝福》の影響なのかは分からないけれど、もう十年近く一緒に過ごしてる。

他のネズミは死んでしまっても、彼だけは相変わらず私の傍らで過ごしているところを見ると、やはりエドだけは特別なのだろう。長く生きた分、彼は知能が高かった。

『子供たちが心配だ』とエドは髭をひくつかせた。

『あの橋を守ってる人間が怖いと言ってたよ』

「そうだろうね…」

ネズミの連絡網で、彼らの元に対岸からの伝令が出入りしている事は伝わっていた。

それでも難しい話の内容までは伝えることは出来ない。エドの子供たちの持ち帰る断片的な情報をまとめて、予測するのが私の仕事だ。

「全く…どうしたものかね?頭が痛いよ」とネズミ相手に苦く笑った。

エドは耳元に顔を寄せて、『僕がいるよ』と囁いた。細い髭が頬をくすぐった。

『子供たちもいるよ』と彼は頼もしく私を励ました。

「ありがとう、エド…」君たちがいるから、私は誰かの役に立てるんだ。それは昔も今も変わらない。

『君はウィンザーを守るんだろう?』

「そうだよ」

私はそのために生きると、あの全てを失った落日の日に選択したのだ。今更変える気など無い。

兄さんには悪いが、これだけは譲れない。

『僕は君の友達だ。友達は友達を見捨てたりしないよ』とエドは私を励まして、また服の中に帰って行った。

服の上から彼が巣にしてるポケットを優しく撫でた。

そうだ…私はウィンザーのために戦いに来たんだ。

生き残ったのは、家族ごっこをするためじゃない。

彼と袂を分かつとしても、私はスペンサー様の残したウィンザーを守りたい。

ギルと話をしなくては…

兄弟ごっこは終わりにして、彼をアニタの元に帰さないと…

私のわがままで、彼の手にした第二の人生を無駄にさせる訳にはいかない。彼は鍛冶屋として、十分成功を手にしている。

このまま戦場から離れて暮らす方が彼のためだ…

彼はもう戦わないと決めているのだから…

戦うと決めた私とは生きる場所が違うのだから…

涙が出そうになるのは、きっと私が幸せに浸かっていたからだ。

泣くなよ、レオン…

私は、元の寂しい《デニス》に戻るだけだ…

✩.*˚

テントの外で急拵えの鞘を用意していると、レオンが戻って来た。

「兄さん。話があるんです」その声はいつも通り柔らかだったが、どこか嫌なものを感じた。

「今忙しい」とはぐらかした。その話を聞きたくなかった。

レオンに背を向けたまま、鉄を薄く伸ばして曲げ、形を整えた。

「また手でやって…」とレオンは呆れたように呟いたが、その口調はどこか違和感があった。

彼は作業している近くに来て腰を下ろした。

「また戦が始まります」とレオンが口を開いた。

「そんなの、見たら分かる」

「そうですね」俺の意地の悪い返事に、レオンは小さく笑った。

「兄さん。今の仕事が終わったら、帰る用意をしてください」

「…帰る?」あんなに帰らないと言ってたのに、何を急に…

理解出来ずに、手元から視線を上げた。レオンの顔を見て言葉を飲み込んだ…

寂しげな顔は、レオンになる前の彼を思わせた。

「ブルームバルトまで送ります。そこで私たちはお別れです」

「何を言って…」言葉が上手く出なかった。レオンは寂しそうな笑顔で別れを告げた。

「私はウィンザーの亡霊です。

ギル、あなたをこの戦に巻き込むのは、私の望みではありません。どうか、アニタやエドガーと幸せに暮らしてください。

《レオン》は《デニス》に戻ります…」

「ふざけるな!」 レオンの胸ぐらを掴もうとした手は空振りに終わった。レオンは俺が動くより少しだけ早く動いて、その手を躱した。

「アニタたちにお前を連れて帰ると約束した!」

「お別れならその時に…」

「そういうことじゃないだろう?!ロンメルか?!あいつが今度はお前に何を言った?!」

「ロンメル様は関係ありません」

「じゃあ何だ?!他に何がある?!」

「私は戦うために残るんです!自分の意思で!ウィンザーのために!」レオンが声を荒らげた。

レオンのこんな声を初めて聞いた。

突き放そうとする悲しい声に、怒りが一気に冷めた。

悲しみを共有した、あの河原の夜が頭を過った…

レオンが顔を上げた。涙を含んだ赤い瞳が、沈む夕日のように寂しく見えた。

「あなたは…もう戦わないと決めたのだから、私と一緒にいるべきじゃない…」

「…レオン…俺は…」

「いいんです、これで…

ギル、私たちは道が違うんです…

今までありがとう…私は…あなたの弟を演じて…とても幸せでした」

レオンの言葉が心を鈍く痺れさせた。悪い夢の中にでもいるような感覚で、説得力のある言葉が見つからない。

喉に石でも詰まってるのか?声が出ない…

悲しみが水に姿を変えて、目から溢れた。

「ありがとう、ギル」今度はレオンが俺に手を伸ばした。その答えを出したのはお前のくせに、何でもお前まで泣いている?

「幸せに…」と俺の耳元で祈るような囁きを聞いた。

失うのが嫌で戦わなかったのに…

戦うことを拒んだゆえに、俺は弟を失った…

✩.*˚

「あー、ヤダヤダ…」ボヤきながら指定された距離を解析して魔法陣に刻んだ。

「私、これ嫌いなんですよ…アンバー式」

「文句言うな、オリヴァー。お前しかできないんだから仕方ないだろう?」と魔法陣の構築を傍で見ていたオルセンが笑った。

彼はこの魔法の怖さを知らないのだ。

いや、彼に限らず、ほとんどの人間がこの魔法を便利な物だと勘違いしている。

しかし、その実を知ってる魔導師にとって、これは出来れば使いたくない禁忌魔法だ。

「そうですけどね…一つでも間違ったら土の中とか、水の中、空中、どこに出てもおかしくないんですよ…

これで失敗してネジ切れた死体を幾つ見た事か…

資格保持者以外は扱えない禁忌魔法に分類されてる危険な魔法です。

もしやばいところに出ても、苦情は受け付けませんからね…悪しからず」

「敵のど真ん中に出るように指定してるのに、やばいところもクソもあるか!

パッと行って帰るぞ!」

「はぁぁ…

本陣の急襲なんて、本当に我々の仕事なんですか?」とボヤきながら団長を見やると、彼は苦笑いを浮かべて答えた。

「私も納得してる訳では無いさ。

だが、本営からの要請だ仕方あるまい」

「上流でも何も成果が出てない状況だ。焦ってるのだろう?」とクィン卿も苛立たしげに呟いた。

まだ戦端が開いてから一ヶ月ほどしか経っていないが、河を挟んで何も結果の得られない状況にオークランド王も苛立ちを覗かせているのだろう。

フィーア側の士気の高さはあのリューデル伯爵に由来するものだ。強烈なカリスマを持つ指導者が退場する事になれば、戦列は崩壊する。

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「団長の測量がズレてたらと思うとゾッとしますよ…」

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「分かっている。恨むなら団長だ」

「はっはっは!相変わらずクィンは手厳しいな!」

「笑い事じゃないですよ…帰りの演算が間違ってても詰みますからね…」

「まぁ、そんな失敗はしないだろう?オリヴァーは優秀だ!」

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