燕の軌跡

猫絵師

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「《黄金樹》だと?!」

後方で河を越えてきた騎士団と南部侯の本隊がぶつかったらしい。

「まずいぞ、ロンメル!」報告を聞いたアーサーが血相を変えた。

「いや、こっちも十分やばいんだが…」

次々押し寄せる揚陸船は、二隻を足掛かりにして次々と揚陸を果たした。

岸に次々乗り上げる船に対応が追いつかない。

応援も貰ってるが、手が足りない。

疲れた前線が徐々に後退を始めている。

こんな状態で他所に応援に行くなんて無理だ!

「《黄金樹》の聖騎士団には《祝福》を持った団員が3人も居る!特に団長は《英雄》で次期 《聖剣》と呼び声の高い人物だ!」

「はあ?《聖剣》って何だ?」聞いた事ない…

ぴんと来ない俺に苛立たしそうにアーサーが舌打ちした。彼の声には珍しく焦りが滲んでいた。

「《オークランド王国聖騎士》の最高職だ!

《地将》アダム・マクレイ卿!聞いたことくらいあるだろう?!」

「…いや、知らん」聖騎士団には縁がない。俺はもっと泥臭い奴らとしか戦ってなかったから初耳だ。

「手遅れになる前に行け!本陣にも《祝福》持ちはいるかもしれんが、並の奴じゃ手も足も出ないぞ!」とアーサーが俺を脅した。

彼も元オークランドの聖騎士で副団長だった男だ。

「アイリス!」と愛馬を呼ぶと、自分も空馬を捕まえて背に跨った。

「スー!俺とロンメル男爵は本陣に向かうぞ!」

「聞こえてるよ!さっさと行け!間に合わなくなるぞ!」と剣を振るいながらスーが答えた。

スーは師匠を思わせる無駄のない動きで、切り結んだ敵を一瞬で屠った。強くなったな…

こいつを残して行ってくれたソーリューに感謝した。

「ガキ共!ロンメルに道を開けろ!」とゲルトの声が響いた。

「パッと行ってパッと帰ってこい!」

「おう!踏ん張れよ!」と応え、アーサーとケッテラーらを連れて本陣の旗を目指した。

本陣を訪れると、いるはずの無い俺の姿に驚いた騎士に呼び止められた。

「ロンメル男爵?!河畔の前線に居たはずでは?!」

「リューデル閣下は?」

「閣下は後方から急襲してきた敵への対応に当たっております。

騎兵のみの部隊ですが、聖騎士団の旗を持った部隊に《祝福》を持った者がいるようで苦戦しております」

「ほらな」とアーサーが兜の下で呟いた。

「閣下にお取次ぎ願う」

「かしこまりました」と答えて、彼は俺たちを本営のテントに案内した。

「おう!ロンメルの婿殿!どうした?」

リューデル伯爵は自身の装備を近侍に確認させていた。

「まさか?閣下自ら出陣なさるおつもりですか?!」

「うむ!兵士の士気を上げるためだ!」と彼は悪びれもせず、大声で答えた。

この場の最高責任者だぞ!万が一があったらどうするつもりだ?!

「卿には河畔の守備を命じたはずだ。

持ち場に戻れ!まだオークランドの攻撃は続いているのだぞ!」

「お待ちください!相手は《祝福》持ちの騎士団でしょう?!」とつい先程アーサーから聞いた情報を口にした。その一言でリューデル伯爵の表情が険しくなった。

「…誰からの情報だ、ロンメル男爵?」と詰問するような声音に口ごもった。

「何故、その情報を卿が持っているのだ?答えよ!」

雷のような怒声がテントに響いた。親父の声だってここまで激しくは無かった。また内通を疑われるかと焦ったが、黒い鎧が俺の前に立ち塞がった。

「恐れながら」と進み出たアーサーが膝を折ってリューデル伯爵に敬礼を捧げて口を開いた。

「私がロンメル男爵閣下に仔細を申し上げました」

「兜を取れ」と命じられ、アーサーは顔を晒した。

「御無礼仕りました。

オークランド東部にて、元聖騎士団の副団長を務めておりました、アーサー・フェルトンと申します。

以後お見知り置き下さい」

「…フェルトン?!」とテントの中がザワついた。

それもそうだ。オークランドでも名の知られる辺境伯の家柄だ。

フェルトンの名は、軍閥派の貴族の中では知らない者は居ないだろう。俺が疎すぎただけだ…

リューデル伯爵はそれを聞いて、俺への態度を少しだけ軟化させた。

「なるほど…兄上から、卿については聞き及んでいる」と言って、腕を組むとアーサーを見下ろした。

「卿は親不孝者だ」リューデル伯爵はアーサーに厳しい言葉を放った。

「対岸の父に唾を吐くような男を、私は許さぬ!

息子なら、父の為に命をなげうつべきであろう?このような場所で何をしている?この恥知らずが!」リューデル伯爵は自身の理想を語った。

「私は兄上から卿を『殺すな』と厳命されている。

だからといって、好意を抱かれると思ってもらっては困る。私は卿を快く思っていないことだけは確かだ!分かったら下がれ!二度とその不愉快な顔を私の前に晒すな!」

厳しい叱責を受け、アーサーは深く一礼を捧げた。再び兜を被ると、彼は黙って俺の後ろに下がった。

「すまんな、ロンメル男爵。卿は真面目な男だ。一時とはいえ、内通を疑った事は詫びる」と言ってリューデル伯爵はそれ以上俺を追求することは無かった。

「皆にも伝える!

ロンメル家預りのアーサーなる者については、我が兄、ヴェルフェル侯爵パウル様の名において亡命が認められている!

その男に手出だしする者はヴェルフェル侯爵家への不敬とみなす。心せよ!」

リューデル伯爵はその場にいた全員にアーサーの安全を約束させた。彼が手を出さないのに、他の奴らが手出しできるはずがない。

「これで貸し借りは無しだ」とリューデル伯爵は俺に向き直った。

「で?私は忙しいのだ!用向きは簡潔に述べてもらおうか?」

そう告げた彼はいつもと変わらず様子で剛毅に笑った。

「自分も護衛として随行致します」

「案ずるな!私とて自分の役割は分かっている!それに、この戦場において、《祝福》を持っているのは卿だけではない!

私は乙女のように守られる男ではないぞ!」

「閣下。相手の情報が少ない以上、用心に越したことはございません。《神紋の英雄》は随行させるべきと存じます」と抑揚のない声が進言した。

リューデル伯爵の副官として常に控えている寡黙な男が口を挟んだ。

エアフルトという騎士はアーサーに歩み寄り、彼に「幾つか確認を」と話しかけた。

「貴殿の忠誠は今どこにある?」

「ロンメル家の《冬の王》と《白い手の女神》が私の主です」とアーサーは生真面目に答えた。

「なるほど…理解した。

ロンメル家の為になら、肉親や友人とも戦う覚悟はあるか?」

「もとよりその覚悟です」

「ロンメル男爵の首を賭けてに誓うか?」と物騒な質問に、アーサーは迷わずに宣誓した。

「《冬の王》と《白い手の女神》に誓います」

その誓いは俺への忠誠を誓うとともに、オークランドを裏切ることを宣誓するものだ。

エアフルト卿はその答えに満足して頷いた。

「ロンメル男爵の盾として、同行を許可する」と告げ、簡潔に敵の情報を求めた。

「敵は《黄金樹》の旗と《百合に獅子》の旗を掲げている。あと。追加の情報で《黒い雄鶏》の旗の報告が届いている。情報はあるか?」

「《黒い雄鶏》は恐らくオールコック卿です。戦力としては多くはないはずですが、先の内戦で活躍した騎士です。

問題は《黄金樹の騎士団》の方です。

ルフトゥキャピタルの大聖堂の騎士団で、団長のアダム・マクレイは《地将》と呼ばれております。

聞いた話では、地形を変えるほどの《祝福》を有していて、一部の者たちからは《ルフトゥ神の神子みこ》と呼ばれて信仰の対象となっているとの事です」

「なるほど…承知した」

「《黄金樹の騎士団》にはあと2人 《祝福》された者たちがおります。

副団長クィン卿とオルセン卿。《風刃》と《剛腕》の《祝福持ち》です。

あと、魔導師級の聖騎士でオリヴァーという男が居たはずです」

「分かった。卿の言葉を信じよう」と静かに応じて、エアフルト卿はアーサーを労った。

「なるほど、兄上が惜しむのも分かる気がする…」とリューデル伯爵は苦笑いを浮かべて呟いた。

彼もアーサーの有能さを認めざるを得なかったのだろう。

大きな咳払いをして、彼は近侍にの手から兜を受け取った。

「少し時間を食ったが、戦を続けるとしよう!

ダンスホールの視察だ!良きお相手が居れば口説いてもらって構わぬぞ!」

いつもの調子を取り戻し、リューデル伯爵はテントを後にした。幕僚たちがその後に続いた。

「ロンメル男爵!」と馬上の人になったリューデル伯爵が俺を呼び寄せた。

「親戚のよしみだ!可愛い甥っ子である卿に私の隣という特等席をくれてやろう!」

「は、はあ…それは光栄です…」

「ロロー!来い!」とリューデル伯爵が誰かを呼んだ。

てっきり侍従でも呼んだのかと思っていたが、現れたのはデカい黒犬だ。

「よしよし、来たな!ロロー、この男は俺の甥っ子だ間違っても噛み付くんじゃないぞ!」

「ヴォン!」狼みたいな犬が腹に響く声で返事をした。

この飼い主にしてこの犬ありだ…全くもってそっくりだ…

「大将首を持ち帰ったら新しい雌をあてがってやろう!どうだ?嬉しいか?!」

「ヴォン!ヴォン!」

野太い声で吠えて、犬はちぎれそうなくらい尾を振った。

ゲスい犬ぅ…そしてこの飼い主よ…

「皆も存分に奮うが良い!

ご婦人を口説くには経歴も大事だからな!武勲を立てて胸を張ってシュタインシュタットに凱旋しようではないか!」

リューデル伯爵の檄に「おお!」と応える声が重なった。大将自ら打って出るとあって士気は高い。

「出陣!」の声がリューデル伯爵の口から放たれる。号令は落雷のように響いた。

地を揺るがす馬蹄の轟はまるで拍手喝采のようだ。

戦場は武勇伝を広める劇場と化した。

✩.*˚

朝の身支度を終え、娘の部屋に向かった。

「お嬢様!お待ちを…」中から聞こえてきたのは、フィーの世話をしてくれているトゥルンバルト夫人の声だ。

お転婆娘は這う事を覚えて、あちらこちらに掴まって立ち上がるようになっていた。

ワルター様がいつも抱いて散歩に連れて行っていたので、暇を持て余しているのだろう。

彼は朝夕の二回、娘の部屋を訪れて、伴も連れずにぶらぶらと散歩に出かけるのだ。

子供部屋を覗くと、フィーは夫人に脱走を阻止されていた。

「あ…奥様…」と気付いた夫人は頭を下げた。

「おはようございます、トゥルンバルト夫人。

今日もフィーは元気そうね」と笑顔で挨拶して、柵のあるベッドに歩み寄った。

「まー」と声を上げて、彼女は小さな腕をめいっぱい伸ばして抱っこを要求した。

「おはよう、フィー。今日も元気ね」と笑って可愛い娘を抱き上げた。男の子程重くはないが、それでも随分重くなった。

フィーは私の腕の中で笑うと、壁に掛かった小さな帽子を指さして「ぱー」と言った。彼女は私の周りを見回して、父親を探していた。

「ごめんなさいね。お父様はまだお仕事で、しばらくお会い出来ないの。お母様とお散歩しましょう?」

「うー」と彼女は不満げだ。

「はい、お帽子よ」と壁に掛かった小さな帽子を手に取って彼女に被せた。

大きさの違う同じ帽子を私も持っている。

鍔の広い白いレースの帽子は、散歩用にとワルター様が用意させたものだ。

『次会う時にはもう被れないかもな…』と言いながら、彼は娘の帽子を寂しそうに眺めていた。

子供はすぐに大きくなるのだ。

「お父様が早く帰ってきてくださるといいわね」と赤ん坊相手に呟いた。

この子の願いというより自分の願いだ。

まだ一週間ほどしか経ってないのに、随分長い時間が流れたように感じる。

もう戦いは始まっているのだろうか?

皆無事だろうか?

誰も欠けては無いだろうか?

悲しいかな、私には無事を祈る事しか出来ないのだ…

「まー」

「ごめんなさいね、行きましょうか?」とフィーに応えて、子供部屋を後にした。

トゥルンバルト夫人が伴に着いてきてくれた。

「奥様。あまり無理はなさらないで下さいませ」と心配してくれるが、少しでも身体を動かしている方が、寂しさが紛れる。

「大丈夫よ」と笑顔で答え、話題を変えた。

「夫人、クラーラは元気?」

「はい、元気です」

「今度連れてきてくださいな。フィーも寂しいみたいですし、賑やかなのは良い事ですから」

「ありがとうございます、奥様」

「マーヤも連れてきてちょうだい。あの子にも寂しい思いをさせてしまってごめんなさいね」

「そんな、勿体ないお言葉です…」と彼女は恐縮していたが、今まで一緒に過ごしていたトゥルンバルトが戦場に行ったので、姉のマーヤも寂しいだろう。

学校も人手が足らなくなった事で一時的に中断してる状況だ。

週に一度でも学校を再開出来れば良いのだが、それも難しいかもしれない…

散歩をする足が重くなる。

庭を散歩していると、屋敷の門扉の前に子供の姿があった。

夫人にフィーを預けて門の方に走った。

「テレーゼ様!」私に気付いた子供たちが門扉の鉄格子の向こうで声を上げた。

「ヤン、ティモ。どうしてここに?」二人とも遠くから通っていた子供たちだ。

こんなに朝早くに自分たちだけで歩いてきたのだろうか?

「テレーゼ様、これ…」と彼らは紙切れを差し出した。週に一度しか学校に通えない彼らの為に、特別に用意していた宿題だ。

「学校が閉まってて…」

「ごめんなさい、知らなかったわよね?ちょっと待ってね」と声をかけて門扉の脇にある小さな出入口を開けて、子供たちを招き入れた。

二人とも離れた村から必死に歩いてきたのだろう。

土で汚れてくたびれた姿の少年たちを抱き寄せて労を労った。

この子らは学びたいのだ…

こんな事で、この子らの未来が奪われるなど理不尽でしかない…

「偉いわね二人とも。

学校はしばらく無いけれど、必ず再開させるわ。だから諦めないでお勉強してくれる?」

「宿題は?」と二人は持ち帰る宿題を求めた。

二人の言葉は、諦めそうになっていた私の心に響いた。

「そうね、すぐ用意するわ。

お腹すいてるわよね?なにか用意させるから食べて少しお休みなさい。帰りに宿題の説明をして渡すわ」

「ありがとうございます、テレーゼ様!」

二人の手を引いて厨房の裏に回った。

ミアは驚きながらも、子供たちのために食事を用意してくれた。

子供たちは疲れていたようで、パンを食べると厨房の裏のベンチで眠ってしまった。

その姿に心動かされた。目頭が熱くなる。

「健気な子らですな」とベンチでうたた寝する少年らを見てシュミット様が呟いた。

「ブルームバルトの未来は明るいですな」

「ええ…」と答えて顔を上げた。

私も負けてなどいられない。子供らの未来は守らねばならない。

自国語の文字も読めず、簡単な数字の計算も出来ないまま大人になってはいけない。

これは私の戦争だ…

ブルームバルトを預かるロンメル男爵夫人として戦わねばならない。

屋敷の裏の軒下にある燕の巣を見上げた。

燕の巣は増えていた。若い燕たちが引き継いだのだろう。

あの時巣を取り払ってしまっていたら、新しい世代は続かなかったかもしれない。

学びも同じだ。子供らはそれを求めてる。

ワルター様やフィー、そして新たに産まれる子供の為にも、学校を再開させると心に誓った。

✩.*˚

ここより先には行かせるものか!

目の前の戦場を睨んだ。

揚陸を阻止できなければ、戦禍はそう遠くない未来にブルームバルトにも及ぶ。そうなれば、俺は全てを失うのだ…

好きでなった領主じゃないが、あの土地が嫌いなわけじゃない。

ブルームバルトの連中は、俺みたいな出来損ないで頼りない領主でも慕ってくれる。気のいい奴らだ。

「どうした!お前たち!それでも南部の男か?!」と目の前の戦場にリューデル伯爵の檄が飛んだ。

「《鷹食い》だ!」と旗を見た敵味方から悲鳴と歓声が上がる。鷹を咥えた猟犬の旗が高く掲げられ、風に靡いて空に舞った。

「《鷹食い》のリューデル!参る!」と落雷のように轟く声が戦場に響き、リューデル伯爵自ら一番槍で敵陣に飛び込んだ。

オークランドの騎士を貫いた槍をその場に置き去りにし、素早く槌矛メイスに持ち替えて手当たり次第に敵に襲いかかった。

リューデル伯爵という竜巻が通った跡にはオークランドの空馬だけが残るという悲惨な状況だ。

「南部の男たちよ!我に続け!」

「閣下に続け!」と勢いに乗った味方から鬨の声が上がる。流れは完全にフィーア勢のものになった。

敵陣から「退却」の声が上がった。

「ふははは!どうしたオークランドよ!遠慮するな!フィーアの旅行を存分に楽しむが良い!帰りの道はご心配めさるな!神の身許とやらまで道案内してやろう!」

リューデル伯爵は彼らしい文句で逃げる騎士たちを挑発した。

その言葉に、馬の脚を緩めた騎士が新たな槌矛の餌食になって戦場に散った。

無茶苦茶だ…俺の出る幕もない…

俺のすぐ後ろに控えてるアーサーも沈黙したままだ。

「おう!婿殿!手が止まってるぞ!

遠慮するな!こんなご馳走滅多にないぞ!皿を下げられる前に存分に食い散らかしてやれ!」と彼は豪快に笑った。

「リューデル閣下!」と身分の高そうな騎士が彼を呼び止めた。

「おう!フィッシャー卿!少し見ぬ間に男前になったな!」リューデル伯爵はボロボロになった甲冑の騎士に馬を寄せた。

「閣下のお手を煩わせて申し訳ございません」

「すまんな。私の見立てが甘かった。

プロイセ卿は?」

「申し訳ございません…プロイセ卿は既に《ニクセの船》に乗りました…」

苦く答えたフィッシャー卿にリューデル伯爵は「そうか」と呟き、大きく息を吸って空に向かって叫んだ。

「プロイセ卿!大儀であった!」

彼なりの弔いなのだろう。

その姿にフィッシャー卿と周りの騎士たちは男泣きしていた。

それが済むと彼はまた敗走するオークランド軍の追撃を指示した。

「まだ戦えるか?」と問われたフィッシャー卿は背筋を伸ばして熱のこもった声で応えた。

「はっ!《ニクセの船》が迎えに来るまで、南部の男としてお供致します!」

「よし!伴を許す!」とリューデル伯爵は闘志を燃やす部下に汚名をすすぐ機会を与えた。

「御客人にはまだフィーアをお楽しみ頂いてないぞ!このまま帰ってもらっては主人役として恥ずかしい!もっとお楽しみ頂かねばな!」と彼は追撃を開始した。

敵味方の屍を越えての追撃が始まる。

リューデル伯爵率いる軍団はすぐに敗走する敵の殿に追いついた。

殿に見えるように掲げられた旗は銀色に煌めいた。

敵の殿からよく通る声が響いた。

「《地割れクラーク》!」

馬が驚いて嘶きながら足並みを乱した。

騎馬してると分かりにくいが、地面が大きく揺れ、足元に亀裂が走った。亀裂に足を取られた馬が転倒して後ろから来る味方にに踏み潰された。

バックリと開いた亀裂はさらに大きく口を広げた。

運の悪い騎士達が大地に飲み込まれた。

「《祝福》か?!」とリューデル伯爵は咄嗟に馬の向きを変えた。無事だった騎兵はその後に続いた。

「逃さぬ!」と声が追ってくる。

地面が盛り上がって、巨大な泥人形が向きを変えた馬の前に立ちはだかった。

泥人形は行く手を阻み、手にした槌矛を振り上げた。

「《氷の記録アイス・レコード》!」

咄嗟に俺の放った《祝福》で泥人形は武器を下ろす手を緩めた。すかさず、アーサーが前に出て泥人形の身体に剣を突き立てた。

「《拒絶》!」

アーサーの突き立てた剣が泥人形に《祝福》を流し込むと、泥人形は内側から爆ぜて元の土塊に戻った。

「《黄金樹》の奴らだ!油断するな!」とアーサーが叫んだ。

「《冬将軍》がいるぞ!」

「リューデル伯爵を討て!」と敵陣から声が上がる。

反転して襲いかかってきた銀色の旗に向けて馬を返した。

「ロンメル男爵!」と背中にあの大きな声が届いたが、《祝福》に対抗できるのは《祝福》だけだ。

この人を死なせる訳にはいかない!

「巻き込まれたくない奴らは離れてろ!」と味方を逃がして迫る騎士団の旗を睨んだ。

息が白くなる。

巻き込まれると可哀想だからアイリスも逃がした。

落ちた枯れ枝を踏むような音を立てて、周りの空気が凍った。

「《氷の樹林アイスヴァルト》」

俺の放った《祝福》で騎士団の前に氷の逆茂木が土を盛り上げて出現した。敵の馬の足が鈍った。

止まれなかった馬が幾らか犠牲になったが、味方が立て直すまでの足止め程度でしかない。

「退けい!」と氷の向こうで怒号が響いた。

「《剛腕・破砕》!」

バキバキとやばい音がして氷の壁が砕けた。

《祝福》で強化された氷だぞ!

砕けた氷の向こうから現れたのは、がっしりとした巨漢だ。彼は武器も持たず、魔法の気配のする篭手を嵌めていた。

「《冬将軍》だな!」と勝手に付けた渾名で呼ばれる。

「ロンメルだ!勝手に変な渾名付けんな!」と答えて剣を抜いた。男は篭手で刃を防いだが、《祝福》は防げなかったらしい。

「ぬう!」と声を上げて巨漢は後ずさった。

「邪魔だオルセン!」と若い声がして巨漢の後ろから線の細い騎士が現れて、離れた位置で剣を構えた。

「《風刃・裂破》!」

彼は届くはずのない位置で剣を振った。咄嗟に剣を構えて身を守ったが、見えない衝撃に剣を弾かれた。

中に着てたチェーンメイルまで切り裂かれ、右脇腹と左肩に痛みが走った。

「勘の良い奴だ」と線の細い騎士が忌々しげに呟いて兜の面を上げた。

下から覗いた顔は戦場には不似合いな美青年だった。スーといい勝負だが、怜悧で神経質そうな顔立ちの青年はどうも仲良くなれそうになかった。

「この氷の化け物め!大神ルフトゥの名において、貴様はこの《黄金樹の騎士団》が成敗してくれる!」

そう言って彼はさらに剣を構えた。

俺の剣はさっきのでどっかに飛んで行っちまった。

慌てて氷の壁を作って下がるが、相手は二人だ。

「《破砕》!」の声とともに巨漢が拳を振るって壁を粉々に砕いた。すかさずさっきの青年が見えない刃を放った。

「《風刃・神撃》!」

近すぎる!氷で防ぐのも無理だ!

血が流れるのを覚悟したが、後ろから襟首の当たりを掴まれて力任せに引き倒された。

「《拒絶》!」の声が俺を守った。

「《祝福》持ちの騎士団相手に無茶をする!」と倒れ込んだ俺をアーサーが叱った。

「俺が忠誠を誓ったそばから、あんたが死んでしまった無駄になるだろうが!」

「アーサー…」

「リューデル伯爵は逃がした!

立て!ロンメル!俺たちも撤退だ!」

アーサーがそう告げて、俺を守るように敵の前に立ち塞がった。俺を逃がすためにこの場に戻ってきたらしい。彼は握っていたアイリスの手綱を俺に押し付けた。

「馬鹿、お前は…」

「…今のは…」と呟いて、線の細い騎士は驚きながら目の前の黒い甲冑の男を睨んだ。

「貴様はまさか《白蘭の黒騎士》か?!」

青年の言葉に、アーサーは苦く舌打ちをした。

「《白蘭の黒騎士》?!」と大男も驚いていた。

「その男は死んだはずだ…人違いだ…」とアーサーは苦しい言い訳で濁そうとしたが、青年はさらに追求した。

「間違えるものか!その全てを《拒絶》する《祝福》は覚えがある!

アーサー・フェルトン卿に相違ない!

こんなところで、断罪されるべき悪魔を庇うとは!貴様、気でも違ったか?!」

「フェルトンだと?!」

彼らの後ろでまた大きな声が響いた。リューデル伯爵の声を聞き慣れると大したことなく思えるが、若い張りのある声は威厳のあるものだった。

「よもやよもやだ!」と驚きを口にしながら進み出た騎士は他の団員と少し意匠の違う団服に身を包み、深緑のマントをはためかせていた。

兜は無く、彼は顔を晒していた。

彼の目は印象的だった。

赤く燃える生命力に満ちた視線に射抜かれた。

彼は黒い鎧の騎士を睨んで怒鳴った。

「対岸に貴殿のお父上がいらっしゃる事はご存知か?!」

「…父上が…この戦場に?」

アーサーの小さく呟く声には動揺の色があった。

「大人しく《冬将軍》を差し出し、投降するならばよし!抵抗するとあらば容赦はせん!」

「断る!」とアーサーは要求を突っぱねて、俺とアイリスを守るように騎士団の前に立ち塞がった。

「俺はアーサー・フェルトンでは無い!その男は死んだ!俺はただのブルームバルトのアーサーだ!」

「世迷言を!やむを得ん!この二人を捕らえよ!」

団長の号令に騎士達が一斉に動いた。

「ロンメル!逃げろ!」

「お前も逃げるんだよ!」と怒鳴ってアーサーの肩を掴もうとしたが、彼の《祝福》が俺の手を拒否した。

「俺の馬はもう逃がした!アイリスは名馬だが、二人も乗れん!行け!」

「逃がしはしませんよ!《神の鞭ゴッツウィップ》!」新手が手にした魔法の鞭がアーサーに迫った。

「《拒絶》!」の一言で、彼を捕らえようとした光を帯びた鞭は弾かれて役割を果たせずに弾け飛んだ。

「さすが元副団長ですね…」

「退け、オリヴァー!

《風刃・神撃》!」若い騎士がまた離れた位置から風の刃を放った。破裂音のような不快な音が響いた。

「アーサー!」

「平気だ」と黒い鎧が手を挙げて応えた。あいつは無茶苦茶な攻撃を受けたのにビクともしない。

「《拒絶の防壁》!」アーサーは強固な《祝福》を放った。何も無い平原に、長く伸びる城壁のような防殻が彼の腕から伸びて騎士団の行く手を阻んだ。

大きく迂回しなければ、こちら側に来ることは出来ない。

アーサーは俺に「行け」と格好をつけた。

「夫人を泣かすな」とあいつは俺の一番痛いところを突いた。

「皆がお前の帰りを待ってる」と彼は寂しげに兜の下で告げた。その言葉は《さよなら》と同じ響きを含んでいた。

「テレーゼはお前の事も待ってる!あの屋敷の連中は、俺だけじゃなくお前らの帰りも待ってんだ!」

大馬鹿野郎!誰一人欠けちゃなんねぇ!

でブルームバルトに帰るんだろうが!

戦うためにダガーを抜いた俺に、アーサーは苦しそうに声を絞り出した。

「やめろ…行ってくれ…」

「馬鹿言うな!俺はまだ戦える!」

「俺がこのままフィーアに戻れば、フェルトンに累が及ぶ…

俺は父上を…彼女と異母弟を見殺しに出来ない…」

そんなことで…と言いそうになったが、彼の背を前にして言葉を飲み込んだ。

優しい奴だとは知っていた…

親父のことも、恋人のことも聞いていた…

彼と怒りと悲しみを共有した。理不尽に生きた者同士、俺はお前を弟みたいに思ってたんだぜ!

そんな目にあったくせに、親父が、愛した女が、その子が大事か?!

彼の背に手を伸ばしたが、やはり《祝福》に阻まれた。目の前に手が届かない。アーサーは俺を拒絶した。

「時間をくれ」と彼は言った。

「俺だって、ブルームバルトに帰りたい。

帰ったら…また迎えてくれるか?」

「都合のいい、勝手なことばっか言いやがって!帰ってこなかったらこっちから迎えに行くからな!」と怒鳴ったが、アーサーは静かに笑ったように感じた。

「アイリスを守ってやってくれ」と言って彼は俺と愛馬に背を向けた。

「絶対帰ってこい!絶対だからな!」

「全く…わがままで手のかかるご主人様だ…」

「お前も相当だよ!」

「ふふっ、違いない…」とアーサーは自嘲するように笑った。

アイリスの背に跨ると、長く伸びた城壁のような防殻を回り込んできた騎士団が姿を現した。

「行け!アイリス!」

アーサーの声に短く嘶いて応え、アイリスが駆け出す。自陣に俺を運ぶアイリスは飛ぶように走った。

仲間を置いて、逃げた俺の心に《卑怯者》と汚名が痛く刻まれた。
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ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

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