燕の軌跡

猫絵師

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戦端

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「ご武運を…」とフィーを抱いたテレーゼに見送られて屋敷を後にした。

後ろ髪を引かれる思いだが、ブルームバルトはオークランド国境から程近い場所にある。

俺が戦争にでなければ、彼女らもブルームバルトの連中を守ることも出来ない。

でもなぁ…

「君がよくフィーとお別れできたね」とスーが俺を茶化した。

「…うるさい」と答えたが、それ以上は億劫で口を噤んだ。

フィーはまだ1歳にもなってないんだぞ…

娘に忘れられたらと思うと空恐ろしい…

「はぁ…」ため息しか出ない。

来月にはあの子の初めての誕生日だってのに…

テレーゼにフィーのために用意した贈り物を預け、寂しい思いをさせないように言い含めてきたが、正直な話、俺が寂しい…

クソッタレ!これも全部オークランドのせいだ!

「見えたよ、カナルだ」と馬の背からスーが呟いた。

テレーゼを連れ去られて以来だ。

改めて見ると、その大きさに圧倒される。

夏の前に降った雨で河はさらに水かさを増していた。

最大で約200メートルの川幅と最深で20メートルと言われている大河は、大型の船も行き来出来るほどだ。

各地に難所や急流があり、軍隊で越えられる場所は限られる。

オークランドは内陸の王国だから海からは攻めてこない。

戦場になると想定される場所は、ここか、もう少し上流の二箇所だ。

ただ、厄介なことに、オークランドは魔導師の質が高く、《アンバー式転移魔法》という非常に面倒な転移魔法を使うらしい。

「何だよそれ?」

「なんかよく分からんが、難解な数学を駆使して、指定場所にどうにかして人や物を送るらしい」

「その説明じゃ、ほぼ情報がないよ」

「知るかよ!昔の外国のお偉いさんの作った魔法なんか!俺は傭兵だぞ!」

「全く…君って肝心なところで抜けてるんだよな…」

「すいませんねぇ!お役に立てなくて!」

「はいはい、イライラしてるところに悪かったよ」とスーは苦笑いして肩を竦めた。

「俺だってミアとルドにお別れしてきたんだ。必ず帰るってな…」

スーはそう言って、首から下げた貝殻の首飾りを出して眺めた。

いつの間にかスーはミアとそういう仲になっていたらしい。ルドはスーを《パパ》と呼ぶようになっていた。

スーはある日突然クラインの姓を名乗るようになった。

それも一つのケジメだろう。

あいつの方が俺より強く生きてる気がした。

「オークランドにはお帰りいただくぞ」と宣言した。

「棺桶のお土産付きでな」とスーが意地悪く笑った。すっかり傭兵の顔だ。

ふと、あの日酒場で聞いた文句を振った。

「『俺達は?』」この文句に覚えがあったのか、スーは目を輝かせた。

「『イカれてる!』」とスーが俺の望んだ返事を返した。

「『邪魔する奴は?』」

「『皆殺し!』」

二人だけの檄だが俺たちには十分だ。

馬の背からカナルの対岸を睨んだ。

オークランドとフィーアの河を挟んだ殺し合いが幕を開ける…

✩.*˚

「輸送船、整いました!」と報告が届く。

「オールコック卿、カーター卿ご到着です!」

「グリーンリバー男爵麾下二千ご到着です!」

次々と到着するオークランドの貴族や騎士らのテントで、カナル河畔は埋め尽くされた。

「圧巻だな…」小高い丘に敷かれた本陣から、遥か先にまで伸びる宿営地を眺めた。

宿営地の後方には、商魂たくましい商人らの輜重隊の姿があった。金の匂いをもう嗅ぎつけて来たらしい。

何も無いだだっ広い荒野に、一つの町が出来上がった。

対岸も同じ状況だろう…

難しい戦場だ…

この大河を超えて攻め込まねばならぬ。

「ウィンザーを取られたのは痛かったな…」

「全くです…

カナルを越えるだけでも一苦労なのに、対岸に拠点を作らねばならないのですから…」と副官であるコーエン卿が応えた。

武人として脂の乗った年齢の騎士は、その立派な体躯を全身鎧で包み、臨戦態勢だ。

「閣下、フィーアを如何様に攻めるおつもりですか?」

「ふむ…橋頭堡を確保するだけでも多くの犠牲が必要だろう…

上流の戦況を確認してからと言いたいところだが、それでは出遅れてしまうな…」

「現地の者の話によりますと、これより先は行軍に向かぬ土地にが続いているとの事です。

上流の軍も、アーケイイックに近づき過ぎれば、警戒した魔王の軍勢に兵站を脅かされる可能性があるとの事です」

「ふむ…アーケイイックか…面倒な亜人共の森など焼き払ってしまえ、と言いたいところだが、今は魔王を相手にする余裕は無いな…」

この数十年でアーケイイックの状況も変わった。

今まで協力せずに、限定的にしか抵抗していなかった亜人たちが、連携して抵抗を始めたのだ。

時代は変わりつつある。

ウィンザーが滅んだのも、オークランドの玉座の筋が多少変化したのも全て時代のせいだ…

「何よりも先ずは対岸に拠点を確保する事が第一だ」

「御意」

「あの邪教の徒に大きな顔をさせておく訳にはいかん。

フィーアには、息子の事でも世話になった借りを返さねばならぬ…」

「ご子息ですか…」とコーエン卿は表情を暗くした。

「確か《白蘭の騎士団》に所属しておいでだったとか?きっと神の身許にて祝福されておいででしょう」

「ふむ…潔く戦って散ったとあらば、我がフェルトン伯爵家の誇りだ」

不仲ではあったが、愛していなかった訳では無い。

息子は何も悪くなかった…

私は我儘を通した事で、息子に見限られたのだ…

後悔もしたが全て遅かった。

私の謝罪を受け入れぬまま、息子は対岸に散った…

新たにもうけた息子も、兄からすれば程遠く、頼りない存在だ。

無理までして新たに迎えた若い妻も、幼い息子を残して亡くなった…私は悪魔の所業故に呪われたのだ…

そして今はこんな場所で、難しい戦いに挑まねばならぬ…

「申し上げます!」と報せを携えた伝令が現れた。

「《地将》アダム・マクレイ卿が王都よりご到着になりました!」

「《地将》とな…」確か王都《ルフトゥキャピタル》の大聖殿に仕える聖騎士団長だ。《祝福》を授かった《英雄》の一人と記憶している。

「ラーチシュタットを攻める上流の軍に加わると思っていたが…ふむ、心強いな…」

「こちらの方が攻め手に欠けるので配置されたのでしょうか?」

「分からんが、ブルームバルトにはあの男がいる…」

二年前の秋に、カナル運河周辺地域に雪を降らせた化け物だ。

おかげで収穫前の作物が冷害で収穫できなくなった。

オークランドでは、《冬将軍ロンメル男爵》の名を聞くと農夫たちは震え上がり、領主たちは舌打ちする。

そんな男と戦わねばならんのだから、《英雄》の到着は僥倖であった。

「ルフトゥ神は我々を祝福したまうと思うか?」とコーエン卿に訊ねた。彼は苦笑いして応えた。

「是非ともして頂かねば…

なに、ルフトゥ神とて、信心深き教徒を見捨て、神殿の寄付を減らすような真似は致しますまい」

「なるほど、それは一大事だ」と笑った。

戦場に立つと、つまらん皮肉すら娯楽のひとつと化す。

笑えぬ日々のささやかな気慰みだ…

「先ずは対岸に渡らねばな」と遥先の対岸を睨んで、見晴らしの良い丘を後にした。

✩.*˚

「我々の仕事は至極簡単である!」とよく通る声が本営の天幕に響いた。

カナル河畔の最高指揮官はパウル様の実弟であるカール・フォン・リューデル伯爵だ。

兄であるパウル様よりデカい。屈強な武人といった出で立ちだ。整えられた洒落た顎髭は、逞しい彼によく似合っていた。

そのまた弟のコンラート様は知的な感じの線の細い美形だったな…

兄弟でもこんなに違うかね?

リューデル伯爵は腹に響く声で弁舌をふるった。テントの中でこの音量は正直キツい…

「図々しい、旅券も持たぬ愚かなオークランドの一行を河に叩き落とし、カナルの水泳をお楽しみ頂こうでは無いか?

おあつらえ向きに、季節も気候も申し分ない。

入国は正規の手続きを経て、国王陛下とヴォルガ神への献上品を携えて来て頂くとしよう!」

ワハハと笑いが起こる。

「諸君、我々は礼儀を重んじる紳士だ!」

「ははっ!」騎士らのに反応は仰々しく芝居がかっている。おそらくこのやり取りに慣れた者たちなのだろう。

「此度の戦で、彼らにフィーア式の行儀作法を叩き込んでやろうではないか!

高い授業料であろうが、こちらとて指導するのにタダとはいかんのでな!」

「応!」

「諸君!河をオークランドの赤で染め上げてやろうではないか!」

「応!」と応える熱を帯びた声がテントを揺らした。熱いな…

「よろしい!持ち場にてオークランドのノックを待て!迎える側が不在では失礼にあたるぞ!」

快活な巨漢は、はっはと爆音で笑った。溌剌はつらつとした演説は士気を上げるのに十分だ。

早々に退散しようとした俺の襟首に、デカい手が伸びて俺を引き留めた。

「久しぶりではないか?姪の婿殿!」

面倒なのに絡まれた…

ヴェルフェルの縁者は何でこう俺に絡むんだ?!

「…は、はぁ…ご無沙汰しております、閣下…」

「結婚式以来ではないか?!何だ?元気がないではないか?美人の若い妻と別れて寂しいのか?!」

あんたが苦手なんだよ、とも言えず、「そんなところです」と適当に濁した。

あんたと喋ってると鼓膜がおかしくなるわ!

「兄上から、卿を重用するように言い含められている!思う存分奮うがよい!」

それって扱き使うって事だろ?

「《神紋の英雄》に一番槍をくれてやろう!武名を轟かせるチャンスだぞ!どうだ?嬉しいだろう?!」

勝手に先鋒を任された…マジかよ…

「それは光栄ですが…よろしいのですか?」

一番は、上手くいけば一番武功が立てられるが、その逆に一番損耗も激しい貧乏くじでもある。

スーは喜ぶかもしれんが、俺としてはもう少し余裕を持って、オークランドの出方を見たかった。

「構わん!卿の実力を疑う者らに見せつけてやれ!

卿はあの兄上を惚れさせた男だ!私も興味がある!」

本音ぇ…

そうですよねぇ…分かってますよ、どうせそんなところだろうよ…

「仕事が終わったら極上の酒を用意してやる!欲しければ美女も都合してやるぞ!安心しろ!姪殿には内緒にしておいてやる!」と豪快に笑い飛ばし、リューデル伯爵は俺の背を景気よく平手で打って活を入れた。

あまりの衝撃に息が詰まる。

「やる気は出たか?武運を祈る!」

デカい手のひらと声に背中を押され、本営のテントを後にした。

「…痛ってぇ」

「なにやら凄い音してたが…」と黒い鎧姿のアーサーがテントの外で馬を連れて待っていた。

彼は元の鎧からオークランドらしいものを全て取り払い、代わりに赤い外套と燕の意匠で鎧を飾っていた。

「活入れられただけだ…」と背中を抑えて答えると、彼は「どうせ辛気臭い顔してたんだろ?」と笑った。

「しかし、軍議だと言うのにデカい声で外にまで全部筒抜けだぞ。

対岸まで聞こえてるんじゃないか?」

「それな!耳が遠くなるわ!」アーサーから馬を受け取ってアイリスの背に跨った。

「帰るぞ」と言っただけなのに、アイリスは元来た道を歩き始めた。 従順で賢い馬だ。首の辺りを撫でてやると彼女は嬉しそうに嘶いて尾を振った。

「お前は可愛いよなぁ」と馬を愛でていると元の主は苦笑いした。

「あんた相当疲れてるな…」

「癒しが無くなったもんでな…」

テレーゼにもフィーにもしばらく会えない。二人を思うとため息が漏れた。

「そういえば、例の絵はどこに置く?」とアーサーが気を紛らわそうと話を振った。

「あぁ、あれか?

俺のテントの一番目に入る所に置いてくれ」

「しかし本当に持ってくるとはな…

あれって本当は子供のためのもんだろ?

娘のための物を拝借してくるなんて、フィリーネ嬢が可哀想だがな」

「他にねぇんだ、仕方ねぇだろ?」と正当化した。

持ってきたのはテレーゼの等身大の絵だ。

子供が産まれた時に、万が一命を落としても残るようにと用意する縁起でもない品だ…

有名な絵師に手がけさせた逸品で、かなり値は張ったが、出来栄えは完璧だった。描かれたテレーゼの大きくなったお腹の中にはフィーもいる。

「また依頼を出さにゃならんなぁ…」と湿った夏の空気に呟いた。

金は惜しまないから、愛娘の姿を絵に閉じ込めておきたかった。

「あんた、その調子で描かせてたら屋敷の壁が無くなるぞ」

「そいつは願ったりだ」と笑ったが、アーサーは笑えなかったようだ。

彼は差し障りがないように、馬上で肩を竦め、ため息で返事をした。

✩.*˚

「よぉし!」

「よっしゃぁ!」ゲルトと二人で手を叩いて喜んだ。

ワルターが任された配置は、傭兵にとっての特等席だ。

「揚陸した奴らと一番にぶつかる配置だな」とカミルが地図を見て確認した。

本陣よりやや左翼寄りで、揚陸に適した浅瀬と、河の流れが弱まる、守るには弱い場所だ。

敵はここを目掛けて突っ込んでくるだろう。

「一番にぶつかって、もし瓦解してもダメージの少ない新参者の傭兵部隊だ」

「舐められたもんだな」とゲルトが呟いた。

「いいさ。まだ名の知られてない俺たちには丁度いい見せ場だ」

「旗は?」とトゥルンバルトが団の顔を確認した。

「出来てるぜ!とびっきりイカしたヤツだ!」と旗手に選ばれたルンゲという若い傭兵が応えた。

黄色の布地の旗に、濃紺の刺繍で描かれた燕の姿は、まるで空を駆けているようだ。赤い房べりが絵をくっきりと目立たせた。

これが夏風に靡く姿はさぞかし青空に映える事だろう。

「先ずはお前らだけで当たれ。俺は温存させてもらう」とワルターは先鋒を《燕の団》に任せた。

「いよいよだ」と喜ぶ俺とは対照的に、団長は自信なさげだ。

「私は胃が痛くなってきましたよ」とトゥルンバルトはため息を吐いていた。

「繊細だな」

「君が異常に図太いんですよ、スー…」

「おいおい、団長。あんたそんなんじゃやってけないぜ」とカミルがトゥルンバルトの肩を叩いた。

「肩の力抜けよ。一人で闘えっってんじゃねぇんだ。

仲間だ。頼れよ」どっかで聞いたような台詞だ。懐かしいその言葉に胸が熱くなる。

そうだ。俺たちは皆で《燕の団》だ。

この夏の空を駆けて必ず帰る燕のように、俺たちは栄光を連れてブルームバルトに帰るのだ。

✩.*˚

オークランド軍による揚陸作戦が始まった。

「放てぇ!」

対岸では揚陸を援護する部隊の号令に応じ、長弓の弓弦が唱和した。

大量の矢が大河を挟んで飛来する。

矢盾パビスを使え!まだ始まったばかりだぞ!」

「応!」と元気な返事が帰ってくる。

矢が来るのは分かってたからそれは対策済みだ。

積み上げられた土嚢と矢盾を使って凌ぎつつ、こちらからも矢を返した。

雷光を纏わせた矢を放つと、対岸で爆ぜて煙が上がった。仲間から歓声が上がる。

「スー、まだ始まったばかりだ!あまりの飛ばすなよ!バテちまうぞ!」

「分かってるよ、ゲルト。挨拶程度だ」

心配する老人に笑って応えた。

「オークランドの連中、なにか持ち出してきたぜ!気を付けろ!」と防塁から対岸を睨んでいたカミルが怒鳴った。

馬鎧で矢を防いだ馬に引かせた馬車が、対岸に並べられる。

「馬でこの河を渡るってか?馬鹿なのか?」俺の隣で対岸を眺めていたイザークがバカにするように笑ったが、そんなんじゃない。

アーサーが慌てて警告を発した。

攻城弩バリスタだ!気を付けろ!」

放物線を描きながら槍が飛来した。攻城弩の放った極太の矢は土嚢を貫通し、矢盾を無力化した。

一気に体勢が崩れる。

「《龍鱗の拒絶》!」

アーサーが頭上に《祝福》を展開させた。頭上に広がった龍の鱗を思わせる青白い防殻に阻まれ、飛来する槍は勢いを緩めた。

「長くは持たん!

スー!あれを何とかしろ!馬を狙え!」

「《霹靂の矢》」白い弓に矢を番えて放った。

矢は真っ直ぐ飛んだように思えたが、河から吹く風に少し流された。狙った位置よりややズレた位置に雷光が煌めいた。

「ちっ!」立て続けに放った矢も、河が邪魔して思うような結果は得られなかった。

「ダメか?」

「遠すぎる!矢の勢いが足らない!」

「オークランドの船が動いたぞ!」と見張り役が叫んだ。離岸した大きめの船に先導された中型の船がこちらに向かってくる。

「来るぞ!立て直して備えろ!」

攻城弩の上陸支援はまだ続いている。

全身を晒したままのアーサーに、槍のような矢がモロに当たった。

「アーサー!」

「平気だ」彼を襲ったバリスタの極太の矢は、自身の勢いで砕け散った。アーサーの漆黒の鎧は相変わらず傷一つない。

「…うっわー…ちょっと引くわ…」彼を襲った矢に同情した…

彼は砕けたバリスタの矢の破片を手で払った。

「この程度で俺が傷付くかよ?

それより前だ、前!このままだと団体様がご到着だぞ!」

「分かってるよ!」

「なら何とかして見せろ!」

「言われなくとも!」と怒鳴り返して土塁の前に出た。

「何するつもりだ、副団長?」矢盾を持ったディルクが着いてきた。その後ろでイザークが土嚢から顔を出して「あぶねぇって」と騒いでる。

この二人は意外と付き合いがいい。

なんだかんだ文句を言いながら俺に構ってくる。俺も彼らを気に入っていた。

「あのでかい船に、特大の雷を落としてやる」と笑って見せて、ディルクに大事な帽子を預けた。

「盾も無しじゃ危ないだろ?」

「《大盾ゴーザーシルト》」左手に嵌めた指輪に魔力を注いで魔法の盾を呼び出した。

「アーサー程じゃないが、割と頑丈だぜ」と笑った。

『君を守ってくれますよ』と指輪を譲ってくれた老魔導師の顔を思い出した。彼は上流の戦場にいる。彼の為にも俺は負けられない。

右手の指輪にも魔力を注いだ。

青白い筋が幾重にも顕現する。雷を纏った拳を掲げた。

河畔の空気が、湿り気を帯びたヒヤリとしたものに変わる。それは夕立の前の空気に似ていた。

「《ヴォルガの鉄槌》」

振り上げた拳から放たれた稲妻が伸びて空を駆けた。

白い光を放ちながら稲妻は一番大きな船を襲った。

河の半ばで火の手が上がり、船は立ち往生した。沈みかける船の上で、慌てふためく兵士らの姿が見えた。

さすがに大技を使ったから消耗が激しい。肩で息をしながら膝を着いた。さすがに調子に乗って飛ばしすぎたか…

「まだ、終わってないぞ!副団長を回収しろ!」とアーサーが指示した。

「あんたすげぇな」と苦笑いしながらディルクが俺に肩を貸した。すぐに手を貸せるように待機してたのだろう。他の数人の手を借りて積み上げた土嚢の内側に戻った。

「ありがとう」

「俺は勝ち馬に乗るタイプでね。この戦、あんたに賭けるぜ」と言ってディルクは笑った。

「よぉし!今のうちに防塁を修復しろ!攻城弩には気を付けろよ!」

「予備の土嚢と木材持ってこい!」

ゲルトとカミルが拠点の修復を命じた。

慌ただしく人が動く。

防塁を修復してる間も攻城弩の攻撃は緩まない。

「スー、少し休んでろ。アーサー、スーに着いてろ」

「あいよ」

「カミル、俺なら平気だ」

「まだ始まったばかりだ。

親父さんの《祝福》もこういう戦場じゃ役に立たねぇ。魔法が使える奴は貴重だ、無理すんな」

「全く…やりにくい戦場だな…」とゲルトがボヤいた。彼も今回のような戦闘は覚えがないのだろう。

川幅200メートルは伊達じゃない。

「こっちにもウィンザーの飛竜部隊を回してもらうべきだったか?」

「そういうのな、ないものねだりって言うんだぜ」

「とりあえず矢で牽制するしかないな…」

「バリスタ相手にそれはきついな…」

「給料分の仕事はするさ」と誰かさんの言葉を真似た。彼はトゥルンバルトと後方で状況を見守っている。

まだ始まったばかりだ。

後方のテントを睨んだ。

まだ、ここは俺たちの戦場だ!あんたは高みの見物してな!

✩.*˚

「まだ先遣隊から揚陸の報告は無いのか?!」本営でコーエン卿の怒号が響いた。

「はっ!それが、正体不明の魔法の攻撃に遭い、《アレクシア号》半壊、沈没は免れましたが、揚陸作戦にはもう使用できないかと…

追随していた揚陸船にも被害がありました。

《アレクシア号》の代わりに《グレース号》と《ハリエット号》を向かわせております!

まだしばしお時間を頂戴するかと…」

「攻城弩まで投入して戦果無しとは言わさぬぞ!必ず何かしらの成果を出せ!」

「ははっ!」

「一番に揚陸した部隊には恩賞を与える。手を抜くものには鞭をくれてやる!前線にそう伝えろ!」

コーエン卿の叱責を携え、伝令は本営の天幕を後にした。

「全く…」

「まあ、そうカッカするな。まだ始まったばかりではないか?」と副官をなだめたが、彼は眉を寄せて苛立たしげに答えた。

「初手でまごついていては士気に関わります。

虎の子の《アレクシア号》も損壊しました。これで初戦を終えれば、陛下から叱責を受けます」

「ふむ…それは困るな…」

あの度量の狭い貪欲な国王なら、僅かな失敗で更迭もありうるかも知れぬ。

「揚陸場所を変えましょうか?」とコーエン卿が提案したが、今更それも難しい。

「いや、予定通り、対岸に渡せ」と命令して、作戦を続けさせた。

「橋頭堡の確保が最優先だ。攻め続けよ」と指示を出していると、近侍が来客を告げた。

「お話中失礼致します。アダム・マクレイ卿がお目通り願っております」

「《地将》か?通せ」と本営のテントに《英雄》を招いた。

明るい栗色の短髪の騎士団長は、鈍い銀色の鎧に青と黄色の外套を纏っていた。歳は失った息子と同じくらいだろうか?

脇に抱えた兜は梟の意匠が施され、二筋に伸びた羽飾りが印象的だ。

彼は恭しく頭を垂れて膝を折って挨拶をした。

「《黄金樹の騎士団》団長、アダム・マクレイと申します」

生命力を感じるその目は、燃え上がる炎を思わせる赤色だ。

「高名なフェルトン伯爵にお会いできて光栄です」

「私も《英雄》と名高いマクレイ卿にお会いできて喜ばしい限りだが、作戦中、何用で参られたのかね?」

「まだ到着したばかりの新参者ですが、お役に立ちたく参上仕りました。対岸に渡るのにお困りかと…」

「まぁ、そうだな」と苦笑いした。コーエン卿が怖い顔でマクレイ卿を睨んだが、彼は自信に満ちた様子で言葉を続けた。

「私にお任せ下さい。必ずや対岸に橋を渡してご覧に入れます!」

「…それは…」

「《大地の大神ルフトゥ》に愛された者として、この《地将》の名に賭けてお約束申し上げます!」

これはまた大きく出たものだ…

「必要なものは?」と訊ねると、彼は時間の猶予を申し出た。

「二日ほど、お時間を頂戴したく存じます。

橋を渡す場所はここより幅の狭い目処たぬ場所が良いかと思います。

閣下には、この場で異教徒らの注意を引き付けて頂きたく存じます。

その間に私が《祝福》を用いて橋を渡します。その後、別働隊を対岸に渡し、本隊の揚陸を支援致します」

「可能なのかね?」と訊ねると、若者は正義に燃える瞳で「はい!」と答えた。

私自身、《祝福》というものをよく知っている訳でもない。しかし、目の前の男の自信に乗ってやることにした。

「二日だな?」

「十分でございます」彼は目を輝かせて答えた。

彼は立ちあがると、「吉報をお待ちください」と言葉を残して本営の天幕を後にした。

「お宜しいのですか?」とコーエン卿が訊ねた。

「なに、若者に機会を与えてやっても良いであろう?

我々の仕事は変わらんよ…

彼が成功すれば儲けものだ」と笑って答えた。

「…それだけですか?」

「他に何があるのかね?」

息子を思い出したなど、陳腐な理由でも欲しいのだろうか?

少しだけ若者を甘やかしたくなっただけだ。

「さて…我々は我々の仕事をせねばな」と誤魔化して、カナルの大地を記した地図に視線を落とした。

戦はまだ始まったばかりだ…
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