燕の軌跡

猫絵師

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失望

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あと一押し…

あと一押しでスペースの心は壊せる。

仕上げに入る。

ハーフエルフも他の子供らと大して変わらんな…

腹の中でほくそ笑んだ。書き溜めたスケッチを眺め、荷物にしまった。

荷物と言っても大した荷物はない。

幌馬車に木箱に詰め込んだ子供たちを乗せ、食べ物と偽物の荷を乗せ、準備は終わった。

リリィとベスは薬で眠らせている。一緒に載せた荷に怯えてパニックを起こすといけない。

「グルル」低く喉を鳴らすのはアーケイイック産の《ダイアウルフ》だ。これを荷に載せていると大体の奴らは荷を改めるのを諦める。

臭いを検める犬も狼を怖がって近寄りすらしない。

アジトの番犬代わりに飼っていたが、こういう時にも役に立つ。

「じゃあまた後で」と挨拶を交わしてアランを見送った。

俺の方にはギュンター他数名が護衛として付いている。

「じゃあ、受け渡し場所に行こう」とスペースに声をかけた。スペースは素直に「うん」と頷いた。

「声出すなよ?静かにいい子にしてたら何も問題は無いからな?」

スペースはすっかり《いい子》になっていた。

ありもしない《腕輪》を餌に、スペースを木箱に入れて蓋をした。

スペースは仲間なら助けてくれると、本気で信じているようだ。

だが、残念ながら、仲間が迎えに来ることは無い。そっちはアランが上手くやるはずだ。

馬に鞭を入れると馬車はゆっくりと動き始めた。

行き先はオークランドだ。

✩.*˚

「待たせたな」

待ち合わせ場所に指定した、シュミットシュタットの郊外にある粉挽き小屋の中には、既に取引相手が待機していた。

満月が煌々と辺りを照らしているので、灯りがなくても困らない。

待っていたのは、青緑の瞳と黒髪のヤワそうな優男で、得物は無く丸腰だ。背もそんなに高くないし、腕っ節のあるような印象ではない。

「あんたクルーガーの使いか?」と訊ねると彼は「そうだ」と頷いた。使用人だろうか?

「子供は?」と訊ねる男の手には重そうな金袋がある。

懐から用意した封筒を取り出して、見やすいように高く掲げた。

「俺はパシリだ。子供の場所はこれに書いてあるから後で探しに行ってくれや。

金を貰おうか?」

「金を渡したらそれを貰えるのか?」

「そうだ」と答えると、相手は金の入った袋を投げた。

袋からはザラザラと金の擦れる音がする。

「確認するから待てよ?動いたらこれ食っちまうからな」と封筒を咥えた。相手は逆らわずにその場に待機した。

ちょい古い物もあるが、大金貨にして30枚分確かにあった。

「よく集めたな」

「そんなのどうでもいい。俺は子供を貰って帰るだけだ」

「そうかい?じゃあこれやるよ」と封筒をその場に置いた。できる限り逃げる時間を稼ぐ腹だ。

「俺が消えてから見てくれよ?」

「そこに子供がいるのか?」

「さあ?これを用意したのは俺じゃないしな…」と恍ける俺に男は眉を顰めた。

「まぁ、行ってみてくれよ」と立ち去ろうとした背中に、男は「あんたも来てくれ」と言った。

随分大胆な申し出だ。自分の立場が分かってないのか?

「やだよ。あんたの雇い主によろしく言ってくれ」

「相手が悪かったな」と男は態度を変えた。

「お前、誰か知ってるぞ」と男は俺を睨めつけて俺の二つ名を言い当てた。

「《潜影のアラン》だろう?昔、《金百舌鳥》で隊長やってたな」

「…てめぇ、何者だ?」隊長だったのは随分昔だ。もう知ってる奴なんて《金百舌鳥》にもほとんど居ねぇはずだ…

「俺に《烈火》と名付けたのはあんただったはずだ」

「…《烈火》?」

「落ちるところまで落ちたじゃねぇか?ガキをさらって金に換えるなんて、人間のカスみたいな仕事だ。反吐が出る!」

「おいおい、ふざけた事ぬかしてんじゃねぇぞ!《烈火》だと?!奴ならウィンザーで死んだはずだ!」

「あぁ、死んだよ…相棒と一緒にな」

《烈火》と名乗った男が前に進み出た。

明り取りの月明かりに浮かんだ顔には確かにあいつの面影があった。

ヤバいと思って逃げようとした瞬間、《烈火》の方が一瞬早く《祝福》を使った。

「《火の壁ファイヤーウォール》」

小屋の外が昼間のように明るくなった。

「逃げ切れるか?この俺から?」と奴は低く呟いた。

奴の拳が炎を纏った。小屋の中の温度が茹だるような熱を孕んだ。小屋のあちこちに火が着く。

こいつはこの小屋ごと燃やす気だ。

「あんたの《祝福》は《影を移動する能力》だ。

逃げ込む影を全て炎で照らしてやる」

「てめぇ!」焦りが声に出る。

影なら何でもいい訳じゃない!溶け込むにはある程度の明度と大きさが必要だ。

「そんなに《祝福》を使ったらお前だってタダじゃすまねぇだろうが!お前の弱点は…」

「自分の炎で自分も焼かれる…制御できないのがこの《祝福》の欠陥だった…」《烈火》はそう言って「それも昔の話だ」と自嘲するように低く笑ってシャツを脱ぎ捨てた。

記憶にあった《烈火》の全身の醜く爛れた火傷の痕はもうない。代わりに刺青のような模様が胸や腕に所狭しと刻まれていた。

こいつはどういうわけか、自分の弱点を克服したらしい。

「どこで仲間と落ち合う気だ?」と訊ねた《烈火》は威嚇するように炎の熱を上げた。

《烈火》の身体を覆う炎は陽炎を纏って揺らめいた。

熱で息苦しい…汗が吹き出し、蒸発した塩が服を斑に染めた。

「答えろアラン」

「はっ!勝った気になるなよガキが!」強がった俺に《烈火》は眉を寄せた。

「エッダはしぶといのさ!お前らが思ってる以上になぁ!」

脆くなった床板を踏み抜いて、ボロボロと崩れ落ちた床下の影に滑り込んだ。

粉挽き小屋の横には水路が流れている。

水路の影に潜って逃げた。

ずぶ濡れにはなったが、まんまと逃げ果せてほくそ笑んだ。

詰めが甘いんだ!やっぱりガキだな!

✩.*˚

「すまん、水路に逃げられた」

「上々です、兄さん」待機していたレオンは余裕だ。

「ここから先は私の仕事です」と言って馬車の荷台から用意した鳥籠を取り出した。鳥籠は全部で5つだ。

彼は何かを言含めると鳥籠に入った五羽の梟を空に放った。

「どこかで馬に乗って移動するはずです。ネズミと連携させて空から追います」

「あんたネズミだけじゃないのか?」と《嘲笑》がレオンに訊ねた。

「私の能力は波長を合わせて《操獣》する能力です。ネズミが一番使いやすくて便利だから使ってますが、他の動物でも同じように操作できますよ」

「すげぇや、有能だな」

「国を守るには至りませんでしたがね…」とレオンは拗ねたように応えて空を睨んだ。

「この国で好きにはさせません。

ウィンザーを害するなら、誰だろうと私の敵です」

死してなお、スペンサーは彼の主なのだ…

燃え尽きた粉挽き小屋を後にして、《氷鬼》らと合流した。

「奴は?」

「金を持って逃げた。仲間のところに戻るはずだ」と答えて拾った封筒を差し出した。

昔なら不器用に灰にしたはずだが、今は焦げ目一つ付けずに残すこともできる。

「偽物の可能性が高いが、一応回収した。

子供の居場所と言っていた」

「礼を言う」

クルーガーは封筒を受け取って中を改めた。

中にはまたも黒い髪の毛とメモがあった。

「なんてある?」

「ここから南西に1km先にある廃城が指定されている…そんな場所あるのか?」

「あります。旧ウィンザーの城だったシルバーフォックス城の跡地かと…今は完全に廃城で、地下しか残ってないはずです」

レオンは簡易的に書き留めた周辺の地図を出して場所を確認した。

「見落としてしまいがちな場所です。目印になるようなものはほとんどありません」

「借りてもいいか?」

「どうぞ」と答えてレオンは地図をクルーガーに渡した。

「別れて追う。俺は城の方に行ってみる。ソーリュー、ヨナタン、一緒に来てくれ」

「分かった」

「フリッツとエルマーはギルとレオンと一緒に行動して仲間と合流する奴を抑えろ」

「大丈夫か?」

「こっちは確認が済んだら合流するつもりだ」とクルーガーは俺を見た。

「なんかあったらでかい火柱で教えてくれ」

「了解した」と短く答えた俺に、クルーガーは右手を差し出した。

黙ってその手を握った。

「世話をかける」

「気にするな…俺自身のためだ」と応えて彼の肩を叩いた。真面目な男だ。約束は守る男だろう。

ネズミが走ってきてレオンの肩に這い上がった。

「補足しました、追跡を開始します」

その言葉を合図に、それぞれが役目を持って動き出した。

✩.*˚

「出ろ」とクリスが僕を呼んだ。

待ち合わせ場所に着いたみたいだ…

木箱から身体を起こして辺りを確認した。

周りは何も無い。唯一の目印になるのは背の高い杉の木くらいだ。

「…本当にここ?」

「目立つ場所で取引するわけないだろう?目印はある。十分わかるさ」と言ってクリスは僕に毛布をかけてくれた。

満月がゆっくりと頭上を通過して行く。

「…来ないな」とクリスが呟いた。

「場所が分からないんじゃ…」

「分からないわけない」と言ってクリスは近くの石を指さした。文字と数字の刻まれた石は地図を見る時に必要になる目印だ。

「指定した杉の木と《導石しるべいし》を間違えるわけねぇ」

「じゃあ…何で…」

何で誰も来てくれないの?

「もう少し待ってみる」とクリスはそのまま一時間ほど待った。

嫌な思いが何度も過ぎった。何度も信じようとした。でも…

「誰も来ないな…」とクリスが呟いた。

昼間は人の行き交う、幅の広い道も、こんな時間は人っ子一人居ない。

嫌な思いばかりが頭を過ぎる。

そんなはずない!

祈るように彼らを待った。

満月は中天を超えた…

「…仲間と思ってたのにな」と残念そうにクリスが呟いて僕の目を覗き込んだ。その目には憐れみがあった。

「あ…」言葉も出ない…代わりに溢れたのは涙だ…

僕は見捨てられたんだ…そう認めざるを得なかった…

「可哀想にな」と同情する言葉をかけてクリスは僕を抱き締めた。その言葉が僕の心にとどめを刺した…

ワルターは助けに来てはくれない…

エルマーも…ソーリューも…他の誰も…

捨てられたんだ…僕は仲間じゃなかった?

「酷い奴らだ。お前は信じていい子でいたのにな」

「もう少し待って!お願いだよ!クリス様!」

何が足りなかったんだろう?僕は彼らにとって仲間じゃなかったのかな?

「もう充分待ったろ?お前は捨てられたんだ、諦めろ」

「でも!何かあって遅れてるかも…待って、お願い!お願いします!」もう頼れる相手は彼だけだ…

他の人たちは僕に酷いことをする人たちだ。彼にしか頼れない。

僕のお願いにクリスは首を横に振った。

「すまんな、これ以上はダメだ。俺たちも予定があるんだ」

捨てられたという事実が重くのしかかった。

僕は…

絶望に、心が砕けた…

✩.*˚

放心状態のスペースを抱いて馬車に戻した。

紫の瞳は光を失った。絶望が確かに彼を支配した。

これでいい、と内心ほくそ笑んだ。

「移動する」と仲間に告げ、馬に鞭を入れた。幌馬車がガタガタと揺れた。

揺れた荷台からコツコツと木箱を叩く音がした。

木箱の側面に取り付けた窓を開けた。

「クリス様」

「何だ、ベス?」薬が切れたようだ。

「…外?」と窓から覗く目がキョロキョロと動いている。この子は子供らしい、遊びの好きな好奇心の強い子だ。

「いい子なら、一人ずつなら少し出してやるよ」と言って鍵を外して、まずベスを出して膝に乗せた。

彼女は御者台から見える風景を、珍しそうにキョロキョロと見回した。

「落ちるなよ?」と声をかけると彼女は頷いた。

手足は短い鎖で拘束しているから、落ちたら受け身も取れない。こんな何も知らない場所で逃げ出すことも無いだろう。

子供の肌は温かい。ちょうどいい湯たんぽだ。

「前のところが住めなくなったから、新しい場所に行くんだ。いい子にしてたらこうやって少し外に出してやるよ」

「本当に?」ベスは当たり前以下のことで喜んだ。

「本当だ。でも、また誰かに連れていかれると困るから、俺の目の届くところにいろよ?」

「クリス様、守ってくれる?」

「いい子ならな」と答えた。

《いい子》と繰り返すことで、この子らは《いい子》になる呪いがかかる。

飴玉を口に含ませて、残念がるベスを木箱に返した。

「おいで、リリィ」ともう一人の少女を呼んだ。

「何かいる…」と彼女は怯えていた。この子はベスより敏感で繊細だ。狼の気配を察していたのだろう。

「《ダイアウルフ》だ。大きな声出すなよ?狼が興奮するから。一緒に運ぶように頼まれたんだ」

「怖いよ…」

「檻に入ってるし拘束されてる。俺もいるから大丈夫だ」と髪を撫でた。俺の彼女は服を掴んで離さなかった。外の空気を吸わせると少し落ち着いた。

「ここ…何処?」と彼女は月明かりに照らされた、草原に伸びる道を不安げに眺めた。

「新しいお家に向かうのさ」

「…私のお家は?」

「新しいお前たちのお家だ。

帰るのはまだちょっと無理だな」

「クリス様、リリィ、いい子にするよ」

「そうだな。だいぶいい子になったな」と彼女を褒めてやった。

「口開けな」と言って飴玉を出して口に含ませた。

「帰れるといいな。すぐには無理だが、いい子なら帰れるさ」と優しく慰めて彼女を木箱に戻した。

大人しく箱に納まった少女らを眺めて笑った。

自分たちが箱に入れられてもなんの疑問も持たない。

当然だ。彼女たちは人形なんだから…

人形はおもちゃ箱で文句なんか言わないもんな…

✩.*˚

「やっぱりハズレか…」

念の為に訪れた古い城の跡はもぬけの殻だ。

残っていたのは酒の空き瓶やゴミばかりだ。

ゴミを漁っていたヨナタンが、酒瓶を並べて「オークランドのものが混ざってる」と呟いた。

「刻印は新しいもんだ。

腐ってないものもあるし、最近までいたみたいだ」

「あったぞ」と他の部屋を漁っていたソーリューが戻ってきた。手には汚れていたが光沢のある服が握られている。

「スーが公子から拝領した品だ。ここに居たはずだ」

「そんだけ分かれば上等だ」

「あと、嫌なものがあった」とソーリューは自分の足元を指さした。

「手前の部屋で狼の糞を踏んだ」

「…嫌な報告どうも…俺も気をつけるわ」

「そういうことじゃない。

狼がこんなところねぐらにすると思うか?しかもかなりでかかった、並の狼じゃない」

「と言うと?」

「周りにあった足跡は狼のだったが、大きさから見て熊ぐらいの体躯だ。

あと、糞に人間と思われる髪の毛やら服の切れ端が混ざってた」

お前…糞まで確認したのかよ…

ちょっと引くわ…

「…熊ぐらいの狼?ダイアウルフか?」とヨナタンが訊ねた。

「用心棒に飼ってたのかもな。それがいないってことは連れて行ったって事だ」

狼は他の動物からすれば畏怖の対象だ。ネズミがスーを見つけられなかったのはそのせいかもしれない。

「だとしたらマズイぞ。フリッツやエルマーじゃ太刀打ち出来ん」

ダイアウルフは体躯もさることながら、毛皮も鋼鉄のように硬い。素早いし、力も強い。並の人間じゃ倒せない。

「一応 《烈火》がついてる。信じるしかない」

「全部片付いたら、あの二人はどうするつもりだ?」

ヨナタンが今まで口にしなかった疑問を口にした。

「生まれ変わったみたいな口ぶりだったが、あの二人は敵だぞ?オークランド人にウィンザーの残党だ」

「もう戦争は終わった。戦う理由は無いだろう?」

「《烈火》が並の人間ならそれで良かったかもしれんが、あいつはお前と同じ《神紋》持ちだ。

今後、戦うことになったらどうする?」

「…どうするってんだ?」と言ってヨナタンを睨んだ。不愉快な話だった。今の《烈火》は穏やかで幸せそうだった…

数ヶ月前に戦った男とはまるで別人だ。でもそれが本当の彼なのかとも思った。

「仲間にならんなら、憂いを残すべきじゃない…」

「ヨナタン…俺はお前はいつも正しい判断をしていると思う」

商人気質で損得の勘定だけでシンプルに動ける奴だ。

「フリッツのこともそうだが、お前は正しいと思う。

でもよ、俺たちは人間なんだ。正しいだけじゃ割り切れねぇよ…

《烈火》とは俺が話をする。レオンともだ。

それでダメなら仕方ないが、俺はあいつらの今を壊したくない」

「…俺は警告したからな」

「あぁ、お前だけだよ。そんな事はっきり言ってくれるのは…ありがとよ」

「嫌われ役なら慣れてる」

ヨナタンはそう言って小さく「お前にだから言うんだ」と呟いた。

分かってるよ、そんな事…

お前らはずっと俺を支えてくれてる、俺の大事な仲間だ…

「スーを助けに行こう」と彼らを連れて廃城の地下室を出た。

スー、俺もお前に救われた…

お前を助ける理由なんて、仲間ってだけで十分だ。
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