燕の軌跡

猫絵師

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誘拐

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この街に来て三ヶ月経った。

晩夏と言っても、まだ夏の暑さは収まる気配はない。鍛冶場での作業にも慣れたが、体を冷やすために用意した水もすぐに温くなってしまう。

炎の熱とは違う、夏に由来する暑さは俺の《祝福》でも消せやしない。

濡らした布も、身体を冷やすには心許なかった。

「親方、少し休憩してくれ。あとは俺がやる」

親方は「途中だ」と俺の提案を突っぱねた。

頑固な爺さんだ。赤くなった鉄を一心不乱に叩く職人の額には大粒の汗が滲んでいた。彼の身体を心配した。

「あんたが倒れたらアニタは一人になっちまうだろう?」ずるい様だが、一人娘の名を出して説得した。

親方の動きが僅かに鈍ったが、彼はまた金槌を振り上げて鉄を打った。

「お前がいる」と呟いた声が、鉄を打った甲高い音に混ざり、俺の耳に届いた。

何と答えればよいのか分からず、親方の赤い横顔を見つめた。親方は俺の視線に気付いているはずなのに、知らんふりを決め込んだ。

鉄を打つ音と、炉の中の炎のゴウゴウと鳴く音だけが鮮明になる。

結局、頑固な老人は、蹄鉄を一揃え作り終えて、やっと金槌を置いた。

「ちと、休む」と親方は立ち上がろうとして足元がふらついた。差し出した腕に支えられ、親方は既のところで炉の燃料になり損なった。

「危ないだろう?火傷じゃすまんぞ」

そう言って、以前同じ台詞を言ったのを思い出す。

そうだ…火傷ですまなかった…

大切なはずのものを、死なせてしまった…

俺は戦えなくなったから、こんな場所にいる。ここでなにもせず、ごっこ遊びのような温い日々を消化している。

親方は「ありがとうよ」と俺の肩を叩いて、疲れた足取りで工房を後にした。井戸に行くのだろう。

俺のように温くなった水を捨て、布と桶を手に取った。

井戸からポンプで水を汲んで、水を浴びる老人に手ぬぐいを差し出した。彼はそれを受け取ると、野太い声でため息を吐きながら顔を拭いた。幾分か楽になったようだ。

「ギル、お前も身体冷やしておけよ」

「あぁ」と応えて上の服を脱いだ。刺青のような模様が晒される。

親方は刺青について深くは追求しなかった。ただ一言、『そりゃやりすぎだ』と言ったのみだ。

井戸から汲んだばかりの冷たい水が、熱を持った身体に沁みた。

「お前が来てから作業が良く進む。炉の調子もいい。お前は火の神様に好かれてるんだろうな」と親方は言った。

「そんなもんじゃない」と答え、濡れた髪を搔き上げ、水気を絞った。

好かれたんじゃない、呪われたんだ、そう思った…

「もしかしたら、大きな仕事が貰えるかもしれねぇ」と親方は話を切り出した。

「冬に侯爵様のお気に入りの騎士と公女様の結婚式があるんだとよ」

「そうか…」《氷鬼》の事か…

「記念の品は大きな工房が持っていくだろうが、細々した仕事が降りてくる。俺のところは馬具の飾りや蹄鉄の発注が来るはずだ」

親方は馬具を専門にしている。頼まれれば刃物や武具等も作るが、今はその仕事は無いらしい。

小さな工房の割に、この男を頼ってくる客は多かった。職人組合ギルドからのそれなりに纏まった依頼が来るところを見ると、彼はこの街で鍛冶師として名が売れているようだ。

「お前にも手伝ってもらうからな、さっさと仕事を覚えろ」

親方はそう言って俺に課題を課した。

「そうだな…何でもやってみることが大事だ。一人でナイフを打ってみろ。失敗しても構わん、出来たら見てやる」

「一人でか?」いきなりの無茶ぶりに眉を顰めたが、親方は本気らしい。

「毎日俺の仕事を見てんだ。ちったぁできるだろうさ」と親方は楽観的な見方をして笑っていた。

「お前は火の神様に好かれてんだ」

「鉄を無駄にするぞ」

「構わんさ、この街の男は鉄を打ってから初めて一人前だ。

俺も随分無駄にした」

親方はそう言って口髭を撫でた。

深い皺の刻まれた顔に懐かしむような表情を見せ、彼はナイフを取り出して「見本だ」と俺に寄こした。

皮を巻いたシンプルな柄のナイフは手によく馴染んだ。片刃の少し反った刀身は、対象に滑らすだけでその役割を果たすように設計されている。

「親方が作ったのか?」

「いや、アニタの一番上の兄貴だ」

「業物だ」と褒めると親方は満足そうに頷いた。

「ふむ、お前は目は肥えているな」

一応傭兵の隊長として戦場に立っていた身だ。武器の善し悪しくらいは分かる。

「あとはお前次第だ、やってみろ」と親方は俺の背を押した。初めてさせるにはハードルが高いのではないか?

「親方、あんた俺に随分期待をするじゃないか?」

「するさ、アニタが惚れた男だ」

親方の言葉に驚いて、弾かれたように彼の顔を見た。俺の反応を楽しむように、親方は機嫌良さそうに笑った。

言葉を失った俺とは対照的に、親方は饒舌に語った。

「俺は仕事ばかりで良い親父じゃなかったが、それでも娘の幸せくらいは人並みに願ってんだ。

ギル、お前はなかなか男前だし、真面目な良い奴だ。火の神様にも好かれているし、きっといい職人になるだろうよ。

アニタは美人っていうには多少無理があるし、飯は不味いが、明るい働き者の良い娘だ。多少のことは目を瞑ってやってくれ」

娘をあてがうとは、随分高く買ってくれるじゃないか?

今の話を聞いたらお前はどんな反応をしたんだ?

複雑な心境を消化しようと、心の中で相棒だった男に語りかけた。

『あんたがいいなら俺もそれでいいよォ』とヘラヘラと笑う不愉快な顔が脳裏を過った…

✩.*˚

皆が寝静まってから窓から客を招き入れた。

夜風に乗って、窓枠に訪れたのは一匹のネズミだ。

「エド」と彼の名前を呼んで手のひらを差し出した。彼は迷わず私の腕を駆け上がり、肩に登って挨拶した。

『今日もウィンザーは平和だよ』とエドは嬉しい報告をした。

ネズミの持ってきた話は子守唄のように心地よく、穏やかな気持ちになれた。

ウィンザーの民が穏やかに暮らせるなら、私は満足だ…

エドの頭を指先で撫で、礼を述べた。

持っていた干した果物の欠片を彼に与えて、その姿を宵闇に見送った。

湿っぽい夏の空気に、傘を被った月が浮かんでいる。

柔らかくウィンザーの地を照らす月を眺め、窓辺にしばし佇んだ。

スペンサー様…

お喜びください。貴方の愛したウィンザーは今日も平和だそうです。

生き残った者として、私もこの土地と民を守り続けます。

各地に散ったネズミの連絡網を駆使し、人の流れや、状況を把握している。

アインホーン城内にもネズミを放っている。

何もかも私には筒抜けだ。

フィーア王国が、スペンサー様がその命をもって守ろうとしたウィンザーを食い物にするようなら、必ずその報いをくれてやる。

私はウィンザーの番人だ。そのために残りの命を捧げるつもりでいた。

エドを見送った窓を離れ、寝台に身体を預けた。

吉報を届けたネズミのおかげで、優しい気持ちで眠ることが出来た。

✩.*˚

珍しい来客があった。

「フリッツ!久しぶりだね!」

ソーリューと稽古をしていたスーが、フリッツの姿を見つけて駆け寄った。

「久しぶりだな」と握手しようと差し出したフリッツの手は空振りになった。挨拶代わりに、スーはフリッツの巨体を流すように投げた。

その姿にその場にいた全員が固まった。

「出来た!出来たよ!見た?今の!」

「あーあー…マジでやったよ…」とエルマーが苦笑いしながら呟いた。ソーリューは満足そうにスーに頷いている。

投げられたフリッツは、地面に倒れたまま、呆然と空を見上げて固まっていた。

「おいおい、くたばったか?」と煙草を手にヨナタンが彼の顔を覗き込んだ。

「ヨナタン、久しぶり」とスーはヨナタンとは普通に握手を交わした。

「まぁ、なんだ…元気そうだな、スー」握手をしながら、ヨナタンの視線は足元に転がった巨漢に注がれている。

「ごめん、フリッツ。テストだったんだよ、怒らないで」とスーはフリッツに手を差し出した。

「俺を実験台にするのは勘弁してくれ…」とボヤきながらフリッツはスーの手を取って起き上がった。

「全く、可愛い顔してとんでもないガキだよ、お前は…」

「ソーリューに一番初めに出された課題はクリアしたよ」とスーは嬉しそうに笑っていた。

どうやら何か約束があったようだ。

背中に付いた土を払い落として、フリッツは苦笑いを浮かべながら俺に歩み寄った。

「よぉ、兄弟」と挨拶を交わした。

久しぶりに握った手は相変わらず力強かった。硬い握手を交わし、再会を喜んだ。

「随分偉くなったみたいだな。立派なお屋敷じゃないか?」フリッツは大きすぎる屋敷に苦笑いした。

「仮住まいでこれってことは、本邸はどうなるんだ?」ヨナタンが同じく屋敷を見上げながら訊ねた。

「分からん。けど、これよりデカイのは勘弁して欲しいな…」

部屋にたどり着くまでが長すぎる…

シュミットの子供たちの隠れんぼに付き合うのだって一苦労だ。

「俺もビッテンフェルト邸に厄介になってるんだが、あの天井の高さはなかなか慣れんな…

なんか縮んだ気分だ」

「頭をぶつけるくらいが丁度いいらしい」とヨナタンが笑った。

全く変わらない二人の様子に安心し、屋敷に二人を招き入れた。

シュミット夫人が二人を出迎えてもてなした。彼女を見てフリッツが目の色を変えた。

「誰だ?あの美人は?」どうやらフリッツとシュミットの女性の好みは似ているようだ。一悶着が起きる前に釘を刺しておいた。

「手ぇ出すなよ?彼女がシュミット夫人だ。屋敷のことはあの夫妻に任せている」

「成程、別嬪さんだ」とフリッツは少し残念そうに頷いた。その姿を見てヨナタンが彼の肩を叩いた。

「着いて早速浮気とはお盛んな事だ」

「浮気じゃないだろ?褒めただけだ」とフリッツは慌てて否定した。

「なんだ?女でもできたのか?」とエルマーが茶化すと、フリッツが止める間もなく、ヨナタンが早々にネタばらしをした。

「こいつ、よりにもよってギュンターの元妻に惚れちまいやがった。体裁が悪いと止めたが、俺の言うことなんて聞きやしねぇ」

「お前!勝手に…」

「マジかよ…」

確かギュンターの妻って母親の遠縁に当たる騎士の娘だったはずだ。会ったことはないが、子供も二人居ると聞いていた。

フリッツは俺に「まぁ聞け」と詳細を語った。

ギュンターの戸籍はビッテンフェルト家から抹消された。それに伴い、彼の妻の家庭からは《婚姻無効》の申し立てがなされた。

元々碌でもない旦那で父親だ。

離縁話はトントン拍子に決まったが、彼女は子供を手放すのを拒んだ。

彼女の両親は、再婚できるように子供をビッテンフェルト家に残すように説得したが、彼女は頑として聞かなかった。

親父も孫を手放したくなかったのか、フリッツを連れて彼女の説得に向かったらしい。

その先で彼女と初めて対面したとの事だった。

「これが美人でな…」とフリッツは惚気けていたが、問題はそこじゃない…

「まさか…一緒になる気か?」

「まぁ、可能なら」とフリッツは彼女との未来を望んだ。

「彼女は何も悪くない。ギュンターに冷遇されて不遇だったのに、二人の子供を大事に育てていた。良い母親だ。

子供たちもいい子たちだ。

兄貴と妹でな…これが仲が良いんだ」とフリッツは複雑な顔を見せた。

父親という共通の敵が居たから、母子の絆が強くなったのだろう。

フリッツの父親は酔っては殴る人だったそうだから、兄妹に自分の過去を重ねたのかもしれない。

「彼女の返事待ちだ」と言って彼は口を閉ざした。

「親父は何て?」

「『お前らで決めろ』とさ」

「俺は反対だ」とヨナタンが険しい顔で口を挟んだ。

「ワルター、お前もこいつに何か言ってやってくれ。

他なら俺も止めねぇが、相手が相手だ。追い出された男の嫁は流石にマズい。

大御所だって、かなりの無理を通してフリッツをビッテンフェルトにしてんだ。これ以上無理を通せば今後に響く」

「ダメなの?」とスーがフリッツの肩を持った。

「好きな人と一緒になるのはいい事じゃないの?」

「大人には大人の事情があるんだ」

ヨナタンは厳しくそう言って、譲らないとでも言うように胸の前で腕を組んだ。

俺もフリッツの望みなら叶えてやりたいと思うが、ヨナタンの言うことは正しい。厄介事と分かっていて問題を抱え込むのは看過できない。

それに一つ大きな問題があった。

「脱獄したギュンターの足取りだって分かんねぇんだ」とヨナタンは苛立たしげに足を揺すった。

「まだ見つからんのか?」と訊ねると、彼は「さっぱりだ」と答えた。ヨナタンはうんざりした顔で煙草を取り出して咥えた。

「あの威張るだけでなんの取り柄もない男が、一人で脱獄して一月も逃げ切れるわけねぇ…

まだ見つからないって事はどっかでくたばってるか、もしくは誰かが手引してるってことだ。後者ならお前らだって危ねぇぞ」

ギュンターの恨みの対象は俺かフリッツのはずだ。

どちらかの前に現れる可能性は高かった。

「まぁ、うちに来たら返り討ちしてやるさ。今度は容赦しねぇよ」とエルマーは笑ってダガーを抜いて弄んだ。

「俺もソーリューも居る。お前らはお前らの心配しな」

「できるだけ生かして捕まえろよ?」とヨナタンが釘を刺した。

「えー、めんどくせぇな。いっそブスリとやっちゃダメなわけ?」

「やってもいいが、殺すなよ?」

「難しいことを言う」とボヤきながら、エルマーは肩を竦めた。

「とにかく、あいつが行きそうな所は全部抑えてる。お前らは問題ないだろうが、使用人たちにも注意するように伝えろ。用心するに越したことはない」

「あぁ、そうだな」

ヨナタンの警告に素直に応じた。彼は満足したのか煙草の火を消して席を立った。

「俺は少し野暮用がある」

「どっか行くのか?」

「ウィンザーの鍛冶屋は腕が良いと聞く。

少しシュミットシュタットで用事を済ませて、オーラフの所に寄って戻る。

二日くらいかかると思う」

「僕も行く!」とスーが手を挙げた。全く、好奇心の強いガキだ。

「仕方ねぇな、お前らだけじゃ心配だから俺も行ってやるよ」とエルマーも名乗り出た。彼も暇なのだろう。

「ミアはどうすんだ?」

「二日くらい留守したくらいでへそ曲げねぇよ。あいつはいい女だ」とエルマーは自慢げに笑った。

「なんだ、しっかり亭主面してるじゃねぇか」とフリッツがからかった。

「ぬかせ」と悪態吐いていたがエルマーは嬉しそうだ。ミアとは上手くやっているらしい。ミアもシュミット夫人に教えられながらよく働いてくれていた。

「あ、お前ら手ぇ出すなよ」と言うのを忘れていなかった。エルマーのその一言が笑いを誘った。

そこにタイミングよく、ティーワゴンを押したミアとシュミット夫人が現れた。

「お茶をご用意致しました」と慣れない手付きでお茶の用意を始めた。

一度席を立ったヨナタンだが、空気を読んで、また腰を下ろした。

紅茶を並べる順番まで夫人が一つずつ丁寧に指導している。彼女は一生懸命仕事を覚えようとしていた。

「いい子だろ?」とエルマーが皆にミアを自慢した。

自慢された彼女は、気恥しそうにそばかすの頬を赤く染め、エルマーから視線を外した。

「ずっとこんな感じだよ」とスーが二人を見て笑う。

幸せならそれで良いじゃねぇか…

そう思いながら、テレーゼ嬢の顔が頭を過ぎった。

彼女に会いに行く理由を探しながら、香る紅茶を口に運んだ。

✩.*˚

屋敷を見張って作ったスケッチを、ギュンターの前に並べた。

絵を睨んで、彼は名前と傭兵としての腕を解説した。

客観的に話す彼の情報は分かりやすく、まるで商品の説明をするかのように相手の情報を把握していた。

一応彼も傭兵隊長としての顔があった。兄貴の影に隠れて日の目を見なかっただけで、彼も全くの無能という訳では無いらしい。

無能ではないが、その性格は歪んでる…

フィーア人だが、使えるようなら仲間にしてやってもいい。

「あの子供のことは、父上も俺に教えてくれなかった。

あれは異母兄のもんだと言って譲らなかったから、部下に探らせたが、何にも出てこなかった」

「そうかい?なら仕方ないな…」

並べたスケッチを片付け、代わりに彼の憎しみの燃料になるような、最近仕入れた面白い情報を教えてやった。

「お前の元嫁、この大男と好い仲らしいぜ。

全く嫌んなるよな…」

ギュンターは驚いた顔の後に、鬼のような形相で俺を睨んだ。

分かるよ、もっと怒れよ…

あいつらを、憎んで憎んで、上手い具合に俺の手駒になれよ…

「あぁ、世話の時間だ…」とスケッチを手に席を立った。

エルフの子供を二人調教中だ。

従順な質のいい奴隷を調教するのが俺の仕事だ。

「よしよし、いい子にしてたか?」

檻の中、毛布に包まって丸くなっていた子供が顔を上げた。

二人とも人間の年齢なら12、3といったところだ。

エルフと一目で分かる耳はもう切られていた。

女の子は捕まるとすぐに耳を短く切られる。

男は残した方が見世物になる。

何が違うのか分からんが、昔からそうしてる。

一人ずつ檻から出して裸にした。健康状態は悪くない。少し痩せすぎだから、肉付きはもう少し良くしてやらないと、商品としてはやや難ありだ。

服を着せて、飴玉を口に含ませてやった。

「…おうち…」とエルフの少女はエルフの言葉で呟いた。子供らの相手をして、多少なら言葉が分かるようになっていた。

「うん、帰りたいな?分かってるよ」と優しい声で答える。子供は俺の返事に、少しだけ安堵の表情を見せた。

「おじさんお前たちの味方だからな。乱暴な奴らから守ってやるよ、安心しな」

子供なんて単純だ。常に庇護してくれる対象を探している。俺を刷り込ませてしまえば、この子らはいい奴隷になる。

「髪の毛ボサボサだな、結んでやるよ」櫛で髪を梳いて女の子らしく編んでやった。

「あ、ありがとう」少女たちは自分の髪に触れながら礼を言った。従順になる前のいい傾向だ。

攫った人間に《ありがとう》と言うなんて子供は単純だ…

「腹減ったろ?飯食うか?」

「うん」と子供たちは頷いた。

食べ物を用意して床に座らせた。床で食べさせるのは人間より下位だと覚えさせるためだ。

「ちゃんと《いただきます》って言って食べるんだぞ」と教える。

《いただきます》と言って食べ始めた少女らの頭を撫で、部屋の隅の椅子に腰掛けた。

スケッチしないとな…

紙と鉛筆を取り出して、子供たちの姿を紙に写した。

これも後で必要になる記録だ。

食べ終えた子供を檻に戻して、また後で見に来ると伝えた。

「いい子にしてたら檻から出してやるよ」と約束した。子供の表情が少しだけ明るくなる。

彼女らは従順ないい奴隷になりそうだった。

✩.*˚

スミスタウンと呼ばれていた町は、地図上ではシュミットシュタットと名を変えたが、住んでいる人間の生活は変わらない。

「職人を紹介して欲しいんだが」と鍛冶師の商業組合ツンフトを訪ねた。

「今は忙しいから、後にしてくれ」

窓口に立った応接役がそう言って出直すように求めた。

確かに、出入りする人間が慌ただしい。何か急ぎの仕事があるようで、いきなり現れた見ない顔の男に構っている暇は無さそうだ。

「紹介状ならある」とワルターに無理やり用意させた紹介状を出した。持つべきものは友人というわけだ。

ロンメル家の署名を見て、相手は態度を和らげた。

「あんたロンメル家と繋がりあるのか?」

「まぁ、一緒に仕事した仲だ」

「成程…うちも侯爵様のお気に入りの騎士様のコネは欲しい。少しくらい勉強してやるよ」

彼はそう言って態度を変えた。

「忙しいのか?」

「まぁな。そのロンメル様絡みの仕事の取り合いで、でかい工房の調整にみんな走り回ってるよ。

結婚式までに色々発注があってな。みんなてんてこ舞いだ。

小さい工房しか紹介出来ねぇが、腕のいい所見繕って紹介してやるよ」

「それでいい。

この部品を作ってくれそうな所はあるか?」

そう言って持ってきた連弩の図面を見せた。

「これあんたが描いたのかい?」

「そうだ」

「へぇ、面白いもん持ってきたな。この街の連中はこういうの大好きだ」と言いながら熱心に図面を確認していた。

「他所で作ってみたが、どうにも強度不足みたいですぐに動かなくなる。飛距離も伸びないし、詳しい人がいたら教えてくれ」

「まぁ、ちょっと複雑だな…実際はもっと部品減らしていいと思うぜ。

あと、もう少し小さくした方が持ちやすいし使いやすいだろうよ」

「そういうのも含めて、実用化できる鍛冶屋を紹介して欲しいんだが」

「了解した」と答えて、彼は図面を俺に返すと、街の地図を出して紹介先の工房の場所を教えてくれた。

「悪い人じゃねぇんだが、ちと頑固なところがある。まぁ、仲良くやってくれ」と受け付け役は紹介状を発行してくれた。

《エインズワース工房》という名前らしい。

「息子らが戦争で死んじまってから親父さん一人で細々とやってるよ。鍛治の腕はピカイチだ。

今は馬具を中心にしてるが、器用だから何でも作ってくれるよ」

「成程。いい職人を紹介してくれて感謝する」と彼に手を差し出して握手した。

「ロンメル様にはご贔屓して貰えるようによろしく伝えてくれ」

「分かった、伝えておく」と答えて、慌ただしい商業組合の建物を後にした。

「終わった?」外で待っていたスーが俺を見つけて駆け寄ってきた。

「《エインズワース工房》というのを紹介された。少し離れてるが、まぁ行ってみる」

「一人で行くのか?」と馬の手綱を引いたエルマーが訊ねた。

「お前ら来たって面白くもなんともないだろ?

その辺ブラブラして、嫁への土産でも選んでろ。終わったら宿に戻る」と言って、エルマーの手から馬の手綱を受け取った。

「変な奴に絡まれるなよ?」

「子供のお使いじゃねぇんだ。

俺だってお前らほどじゃないが護身術ぐらいはできる。お前らが異常に強すぎるんだ」

そう言って馬に跨った。

「スーから目を離すなよ?

ちょっかいならそいつの方が出されそうだ」

「分かってるよ。でも、フリッツをぶん投げるくらいだ。並のやつじゃ敵わねぇよ」と答え、エルマーはスーに「なあ?」と笑いかけた。

こっちは心配無さそうだ。

エルマーたちと別れ、《エインズワース工房》に向かった。

古い小さな工房だ。母屋の隣に工房らしい煙突の生えた小さな小屋と倉庫が並んでいる。

呼ばわると若い男がでてきた。

「何用だ?」と訊ねる声は歓迎してるようには見えない。青緑色の瞳は職人にしては攻撃的な光を孕んでいた。

随分ガラの悪い職人がいたもんだ。

服の下から覗く肩から腕にかけて刺青がチラついている。ウィンザーではこれが普通なのか?

「商業組合の紹介でここの親方に用がある」

そう言って男に紹介状を差し出した。

彼は黙ってそれを受け取ると印を確認して、「確かに」と呟いて母屋の方に案内した。

母屋には若い女がいたが、彼は「親方の娘だ」と彼女を紹介した。

「あんた、名前は?」と訊ねられたので「ヨナタン・トゥーマン」と名乗った。

「ドライファッハの傭兵団で書記と主計をしてる」

「それが何の用だ?」

「友人の墓参りのついでの個人的な訪問だ」と答えると彼は「そうか」と呟いた。心做しか、彼の警戒が少し緩んだようだった。

「親方を呼んでくる、少し待っててくれ」と俺を母屋に残して工房に戻って行った。

「ギルは愛想ないけど気にしないでくれよ」と親方の娘は冷たい井戸水を用意した。喉は乾いていたのでありがたく頂戴した。

「あんた見たことないけど、どこから来たの?」

「ドライファッハから来た」

「随分遠くから来たんだね。誰かのお使いかい?」

「いや、個人的な依頼で来た。

友人の墓参りのついでに、腕のいい職人を紹介してくれと商業組合に頼んだらここを紹介された」

「へぇ…この忙しい時期によく紹介して貰えたね」

「騎士のロンメルって分かるか?彼とは一緒に仕事してた仲だ。彼の紹介状を見せたら喜んでここを紹介してくれた」

「有名人だ。こりゃご贔屓にしてもらわないとね」と彼女は愛想良く笑った。美人ではないが愛想があって懐っこい娘だ。

「おう、待たせたな」と言う野太い声に振り返ると、がっしりとした体格の老人の姿があった。

その後ろにはギルの姿があった。

「パトリックの紹介か、珍しいな」紹介状を用意してくれた男の事だろう。親方は赤い顔で笑った。

「俺の息子の友人でな、いい仕事しか回さねぇんだ」

「そうか」

「で?あんたはどこのお大臣だ?」

「ドライファッハの《雷神の拳》で書記、主計を担当してるヨナタン・トゥーマンだ。よろしく頼む」と親方に手を差し出すと彼は「おう」と握手を返した。

娘と同じく愛想のいい親父さんだ。

「…《雷神の》…」とギルが小さく呟いた。

「あぁ。知ってるのか?」

「《氷鬼》の…」と彼はワルターの二つ名を口にした。

「そうだ、最近まで一緒に仕事していたが…

《氷鬼》はウィンザーでも有名なのか?」

「こいつは前に傭兵だったらしいから、その時知ったんだろ?」と親方は言っていたが、ギルは動揺しているようだった。

どこかでかち合ったのか?

そう思ったが、俺は主戦場には出てないから知りようもない。

まぁ、本題はそれではないから、その話はそこで終わらせた。

親方に、さっき商業組合で話した内容を伝え、図面を見せた。

「面白い兄ちゃんだ」と親方は話に乗ってくれた。

「俺も昔は色々作ったんだぜ」

「頼もしいな。これは作れそうか?」

「できると言いたいところだが、今はちと急ぎの仕事が立て込んでてな。引き受けても良いが、すぐにはできんぞ」

「構わない。どうせまた冬には顔を出す。

友人の結婚祝いに来る予定だ」

「成程、なら時間はたっぷりあるというわけだ」と親方は依頼を引き受けてくれた。

「ギル、また忙しくなるぜ」

楽しそうに笑う親方とは対照的に、ギルは仏頂面で黙って頷いた。

「これは預かっていいか?」

「もちろんだ。直しがあれば好きにしてくれ」と図面を親方に預けた。

「俺はまたドライファッハに帰らにゃならんから、何かあったらロンメルに知らせてくれ」と言って前金を残し、出ていこうとした。

入れ違うように一人の青年が現れた。

「おや?お客さんですか?」と愛想良く笑う青年は俺の好みの顔だった。

真っ白な髪と肌、赤い瞳はアルビノというやつだろう。強い日差しから守るように目深に被ったフードの下の顔は柔らかい印象だった。

「そいつはレオンだ。ギルの弟だ」と親方が彼を紹介した。

似てないな、と思ったが、まぁ、そういう兄弟もいるだろう。

無駄なことは言わずに、簡単に挨拶を交わして工房を後にした。

少し長居してしまった。

夕陽が赤く空を染め始めていた。

あいつら何してるかな?と思いながらとりあえず今夜の宿に向かった。

大通りに出ると、人混みで進めなくなったので馬を降りて歩いた。

「ヨナタン!」大声で俺を呼ぶ声が人混みの中から聞こえた。辺りを見渡すと、慌てた様子のエルマーが人混みをかき分けながら駆け寄ってきた。

「スーは?」近くに姿がない…

「悪ぃ!一瞬目を離した隙に…」

「何だ?迷子か?」この人混みだ、仕方ない。

「違う!攫われた!」

「…冗談だろ?」

「俺だって信じらんねぇよ!」取り乱した様子のエルマーを落ち着かせて、スーが消えた時の状況を確認した。

「エッダっぽい芸人が居たから見てたんだ。

そしたら物売りの子供が来て、スーから少し目を離しちまった。すまねぇ…」

「そんなの一瞬だろ?」

「だから俺が油断してたんだ…人も多かったし、まさか…」エルマーが声を詰まらせた。

「ただ単に迷子になった可能性は?」

「近くで攫われるのを見てた奴がいた。芸人がスーに近寄って何かしたらしい。悲鳴が上がった時にはもう奴ら逃げた後だった…」

随分手際が良い…

最初からスーを狙ってた?スーの素性を知っててか?それともワルター絡みの怨恨か?

「エルマー、お前はワルターの所に戻れ」

「でもよ…」

「どちらにせよ、こんな知らない土地で出来ることなんて限られてる。

スーの方は俺が探してみる。お前はワルターに伝えて、尋ね人の手配をしろ」

「分かった…頼む」

「任せろ」と答えてエルマーに馬を渡した。馬の脚ならシュタインシュタットまで一時間程で着く。

「俺は《エインズワース工房》か宿屋のどちらかにいるはずだ。伝言があればどちらかに顔を出してくれ」

エルマーを見送って元来た道を引き返した。

この街で知り合いと呼べるのはあの親方くらいだ。

今は情報が欲しい。誰か情報屋を紹介して貰えることを期待して、早足で彼の工房に戻った。

門は閉まっていたが、外で呼ばわると、あのギルという男が出てきた。

「こんな時間にすまん、話を聞いてくれ」

「明日にしてくれ」とギルは門を開けるのを拒否した。彼の声色は硬かった。

「急ぎの用なんだ、すぐに済ませるから…」

「帰ってくれ」とギルは取り付く島もない。その姿に違和感を覚えた。

彼は何をそんなにも警戒しているのだろう?

「何事です?兄さん?」なかなか戻ってこない兄の様子を見に来たのか、あのレオンという青年が母屋から出てきた。

「レオン、来るな!下がってろ!」

「その人は…」

「《雷神の拳》の人間だ」とギルがレオンに伝えた。レオンの息を飲む気配が伝わった。

この二人はお尋ね者か何かか?

「…私たちを捕まえに来たんですか?」とレオンが訊ねた。赤い双眸がこちらを睨みつけている。

どうしたものか頭を悩ませていると、母屋からあの娘の声が聞こえた。

「ちょっと!あんたたち!何してんのよ!」

フライ返しを手にしたまま彼女は母屋から出てきた。

「トゥーマンの旦那?忘れ物かい?」と言いながら門の方に歩いてくる。

「何してるんだい?入れてやんなよ?」と二人を叱って彼女は門を開けようとした。

伸びた手をギルが慌てて掴んだ。

「まて!アニタ!」

「ちょっと!何するのさギル!」

「レオン、彼女を家の中に…」

「一体なんなんだい?!あんたちょっと変だよ、ギル!」アニタの言葉にギルが怯んだ。連れて行こうとしたレオンの腕を解いて、アニタはギルに掴みかかった。

「まさか出ていくとか言わないよね!」

「…アニタ」

「嫌だよ!出てくなんて許さないよ!」彼女は必死にギルを引き止めた。二人はそういう仲なのか?

「ここに居てよ!あたしらから消えないでよ!」

「アニタ、頼む、家の中で待っててくれ…」

「嫌だ、何かする気だろ?そんな思い詰めた顔して…あたしは…二人とも消えてもらっちゃ困るんだ」

「…アニタ」必死な様子の彼女をギルが包むように抱き締めた。

「すまん、不安にさせた」と言う彼は幾分か落ち着いたようだった。

目の前でいい感じになってるところ悪いが、俺はお前らのキューピットになりに来たんじゃねぇんだ…

「…あの…お取り込み中悪いんだが…俺も急ぎの用なんだ。入れてくれんか?」

「…どうします?」とレオンが兄に訊ねた。アニタのおかげで、話くらいは聞いてくれる気になったようだ。

「連れの子供が攫われたんだ。預かってる大事な子供で、俺もあの子に助けられた。人探しに協力してくれそうな情報屋に心当たりはないか?」

「え?大変じゃないか?」とギルの腕の中でアニタが顔を上げた。

「…それは黒髪と紫の目の少年か?」とギルが訊ねたので驚いた。やっぱりこいつは俺達のことを多少なりに知ってるようだ。

「スーを知ってるのか?」

「…まぁ…一度会っている」と答え、彼はアニタから離れると門の錠を外した。

「子供を探すのを協力してやるから、俺たちの生活を乱さないと保証してくれ。

俺たちはここで静かに、人並みに暮らしたいだけなんだ…」

「分かった、恩に着る」

「いいな?レオン?」

「いいですよ。兄さんが決めたことだ」とレオンは兄の決定を支持した。

「それに人探しなら私の得意分野です。

ウィンザーで私に見つけられない物なんてありませんよ。針一本だって必ず見つけてご覧に入れます」

彼は自信たっぷりにそう言って人探しを引き受けた。
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