燕の軌跡

猫絵師

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ヘルゲン子爵

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目を覚ますと酷い有様だった。

身体の至る所が包帯で固定され、顔の左側も包帯で視界を失っている。

顔ごと動かして、視線を巡らそうとすると、身体に激痛が走った。

「…ぐぅ…クソ…なんだってんだ…」首の筋だか骨まで痛めたのか?最悪だ!

「ワルター?」

呻いた俺の声に反応して、人の動く気配がした。

「スーか?」と問いかけると、スーは俺の名前を呼びながら動かない身体にすがりついてきた。

「ワルター!ワルター!」

すがりついて泣くスーの涙が包帯に染みた。

「聞こえてるよ、痛いから乗るな…」

「良かった…このまま死んだらどうしようって…」

「…また死に損なったな」と呟いた。死神は俺を見逃したらしい。

「骨…いっぱい折れてたから…まだ動けないよ」

「そうか、まぁ、そんな感じだな」

他人事のようにスーの話を聞いて、テントの梁を見てた。

「ここはどこだ?俺のテントじゃないな…」

「目が覚めたようだな」と別の人間の声がした。この声聞いたことがある。

「ヘルゲン子爵?」何でお偉いさんが…

「たまたま見舞いに来たら声がしたのでな」と彼は俺の病床に立った。

スーが椅子を勧めたが、彼は断った。

子爵は相変わらず、かっちりと着込んだ軍装に、小綺麗な身なりをしている。

対して俺は満身創痍といった出で立ちで、とても貴人に会う格好ではない。

「スー、起こしてくれ」

せめて佇まいだけは正そうと、スーの手を借りようとしたが、子爵は軽く手を振ってそれを制した。

「無理するな、せっかく治療した骨が砕けるぞ」と彼は俺に警告した。

「彼は卿の息子だそうだな。シュミットは孝行な息子だと彼を褒めていた」

「…まぁ…みたいなもんですな」

釈然としない返事に、子爵は眉を寄せた。

「ごめんなさい」とスーが子爵と俺に謝った。

「どういうことかね?」

「行き先がないんで、拾ったガキですよ」と答えた。

「…では…病気の母とは?」

「ご存知の通り…嫁なんて一人も取ってませんよ。

お陰様でこの歳まで自由な独り身です」

俺の答えに彼は目を見開いた。

子爵は「あのお人好しめが…」と呟いて顔を顰めた。お人好しとは部下のシュミットのことだろう。

まぁ、このくらいの息子がいてもおかしくない年齢と言えばそうだが…

「まぁ、その嘘のお陰で私は罪を犯さずに済んだ。

子供の偽証に関しては大目に見よう」

「ありがとうございます」

「その様子ではまだ治療が必要だろう。

随分酷い有様だな。改めて詫びさせてくれ。

卿や卿の仲間への非礼の数々。全ては私の責任だ。申し訳ない」

彼は貴族らしからぬ真摯な態度で頭を下げた。

居心地の悪いむず痒い感じを覚える。

「憲兵らは、内通の咎で卿の身柄を拘束した後、傭兵団から馬や糧秣まで寄越すように圧をかけていたらしい。

傭兵団から補填しようなど、卑しいことを…

もし何も知らずにいたらと思うとゾッとする。

無法者のような真似をした憲兵らは粛清し、別の部隊と交代を命じた。近く一新させる。

パウル公子様より軍を預かる身でありながら、何とも不甲斐ない」

大真面目に謝罪する子爵は、初めて顔を会わせた時とは別人のようだ。

「自分の事はお嫌いだったのでは?」と思ったことを口にしたが、皮肉っぽい物言いになってしまった。

それでも、ヘルゲン子爵は嫌な顔をするでもなく、笑うわけでもなく、大真面目な顔で俺の質問に答えた。

「私は公平と正義を愛する人間だ。

信賞必罰、我がヘルゲン子爵家の家訓だ」

クソ真面目な人間だ…苦労も多いだろう。

「しかし、私の厳しさが憲兵らを暴挙に走らせた」と彼はため息を吐いた。

「卿は襲撃の際に、いち早く反応し、賊に追いついて戦った。その功を称えるつもりでいた。

卿らを、裏切った私を許して貰えるだろうか?」

「俺たちは貰った金に見合う仕事をするだけです」

「なるほど…実に単純でわかりやすい答えだ」

子爵はそう言って、「報奨金と酒を用意する」と約束した。

「見舞金の代わりだ」と彼は自分の身につけていた指輪を俺に寄越した。大粒の宝石が嵌った金の指輪はかなりの値打ちもんだ。

「パウル様の目に狂いはなさそうだ」と一人呟いて出ていこうとした子爵を呼び止めた。

「これはちょっと貰いすぎなんで、別の件をお願いできませんかね?」

「何だ?申してみよ」

「ロンメルの姫の件…なかったことにできませんかね?」

ダメ元で訊ねた。

「卿が願い出たのでは無いのか?」と子爵は怪訝そうに眉を寄せる。んなわけあるか!と叫びたくなるのを堪えた。

子爵は事情を察して、憐れむような視線を俺に向けた。

「…その指輪で諦めよ」

上品な口髭の下で苦笑いして、彼は病床を後にした。

「ロンメルの姫って何?」とスーが首を傾げた。

「お前は知らなくていい」と答えた。

「それより、何でお前は本営の連中と親しげなんだ?何した?」

「…何も…」と分かりきった反応をして視線を逸らした。

「アホか!他の奴からバラされる前に、何があったのか正直に言え!」

「怒らない?」

「怒るに決まってんだろ!」何だか少し見てない内に随分あざとくなったな…

「たくっ!」怒鳴って傷に響いた。

「治癒魔法かけようか?」とスーが心配そうに訊ねた。

「お前がちゃんと本当のことを言うまで治療は要らん」と治療を拒否した。

「そんな…ちゃんと治療しなきゃ困るよ!」

「あいにく俺は意地っ張りでね!

一度へそ曲げたら面倒くさいぞ」

自慢にならない事を口にして、ガキのように振舞った。

「大きな子供みたいだ」とスーが呆れたように眉を寄せて口を尖らせた。お前も子供みたいだよ。

「じゃあ怒らないって約束してよ」

「怒られることしてなきゃいいんだろ?」

「君のためにしたんだよ!」

「へー、そう?じゃあ武勇伝をお聞かせ願いたいね!」

「皮肉屋だな」

「こういう性格なんでね」と言って笑った。

スーも「変なの」と言って吹き出した。

二人で笑えない状況を笑った。

生きてるから笑えるんだ…

死地を越えた仲間のように、二人で笑って自分たちの強運を祝った。

✩.*˚

二日の療養で歩けるようになった。

雨は相変わらず降ったり止んだりを繰り返していた。

雨のおかげで大きな戦闘もなく、十分な療養ができた。

治療用のテントを後にしようとした俺たちに来客があった。本営付きの治癒魔導師のレプシウス師がわざわざ見送りに来てくれたそうだ。

「貴方を治療するのは二度目ですよ」と穏やかに笑う治癒魔導師は俺を覚えていたらしい。

「世話になりました、レプシウス殿」

「前回に比べれば楽なもんです。

もう私の世話にならないと良いですね」と穏やかな老人は皮肉っぽい言葉を口にして笑った。

「ワルター、帰ろう」とスーが俺の腕を引いた。

「クルーガー殿、この子を私の手元に残してくれませんか?」と彼はスーを欲しがった。

「君はとても珍しい治癒魔法を使いますね?

如何でしょう?私の弟子になりませんか?

君は私の見たところ、かなりの才能がおありだ」

「ごめんなさい、僕は彼と帰るから…」とスーは彼の申し出を断ったが、この魔導師は「そうですか」と優しく笑ってスーに何かを手渡した。

紋章の刻まれた指輪だ。

「また気が変わったら、この指輪を持って私のところに来てください。

私は本営に常駐しておりますので、好きな時においでなさい」とスーの出入りを許した。

こいつは本当に人たらしだな…

スーにたらしこまれた人間が、もう一人俺たちに近付いた。

「宿営までお送りいたします」とシュミットがわざわざ馬車を用意した。

歩いて帰ると言ったが、彼はその申し出を頑なに拒んだ。

「閣下のご命令ですので」と俺たちを馬車に押し込むと自分も乗り込んだ。

彼はスーの嘘を知って肩を落としたが、スーを責めたり叱ったりはしなかった。

「《病気の母さん》が嘘でよかった」と人のいいことを言って笑うと、彼はスーの頭を撫でた。

「結果的に傭兵団との摩擦を生まずに済んだのは君のおかげだ。

ヘルゲン子爵閣下の名誉が守られたのだから、私に君の嘘を責める資格などありはしないよ」と快くスーを許した。

「あんた甘いな…」

「スーが弓じゃなく、剣を持っていたら迷わず斬っていました。

それでも子供を手にかけるのは嫌なものだ。出来ればごめんこうむりたい」

シュミットはそう言って肩を竦めた。

どこまでもお人好しだ。

俺たちを乗せた馬車は、傭兵団の宿営陣地の前で止まった。

「連隊長殿をお送りした」とシュミットが先に降りて用向きを伝えた。

「二人は無事だろうな?!」と食ってかかる声が外から聞こえてくる。

聞き覚えのある声に、スーが弾かれたように顔を上げて馬車から飛び出した。

「エルマー!」

馬車から飛び出したスーが、シュミットに食ってかかっていたエルマーに飛びついた。

エルマーが長い腕でスーを受け止めた。

「スー!無事か?!」

「君も大丈夫だった?」

「俺は何もねぇよ。心配したんだぞ!」とエルマーは優しくスーを叱った。何年か振りに再会した家族みたいだ。

「ワルターは?」とエルマーが俺を呼んだので窓から顔を出して「よぉ、久しぶり」と笑った。

「お前、顔…」とエルマーが言葉を失った。

憲兵に切り裂かれた顔の傷は思った以上に深く、傷跡を残していた。笑う顔もぎこちなくなった。しばらくは慣れそうにない。

「目は見えてるから大丈夫だ」と言ったが、エルマーはまたシュミットに食ってかかった。

「てめぇらよくもワルターを!」とシュミットに掴みかかろうとしたエルマーをスーが必死に止めた。

「やめてよエルマー!」

「やめろよ、そいつがいなけりゃ、俺の首は胴体とお別れしてたんだから」

「お前がそんなふうになってるのに、『はい、そうですか』って引き下がるわけねぇだろうが!」

「その通りだ」とシュミットがエルマーに答えた。

「私は君たちから報復を受ける覚悟で来ている。暴力で気が済むなら甘んじて受けよう」

シュミットはエルマーにそう告げ、諸手を挙げて見せ、敵意が無いことを示した。彼の無防備な姿にエルマーが怯んだ。

強く握った拳は行き先を失った。

「エルマー、ハンスはいい人だよ。僕の友達だ。殴るなんて言わないでよ、お願いだ」
 
「…分かったよ、とりあえず保留だ」彼は舌打ちをして、握った拳を解くとスーの頭を撫でた。

「みんなお前らの事心配してんだ、さっさと顔出せよ」とエルマーは不貞腐れたようにそう言って自分の後ろに並ぶテントを指さした。

「分かってるよ」と答えて馬車を降りた。

霧のような雨が服を濡らした。

よく見ればエルマーは随分濡れていた。

戻ると聞いて、この雨の中、ずっと待っていたのかもしれない。

泥濘に足を取られて少しよろけたが、長い腕が俺を支えた。

「大丈夫か?」と訊ねるエルマーに、「平気だ」と強がって見せる。

随分長く留守にしてたような感覚を覚えて、久しぶりに見た自分たちのテントを、懐かしく眺めた。

「ワルター」とスーが俺を呼んだ。

視線を向けると、スーは「おかえり」と言って笑った。

あぁ、そういやそうだな…

俺、またここに帰ってきたのか…

ぼんやりそんなことを思って、滅多に使わない言葉を口にした。

「ただいま」

何でだろうな?また何度でもここに戻ってきちまうんだ…

✩.*˚

チッチ…

ネズミの声は人間にはそう聞こえるのだそうだ。

私は人間じゃないらしい。周りは私を《獣憑き》と呼んだ。

《祝福》と呼ぶには奇妙な能力だ。

動物の声が聞こえる。特にネズミの声が良く聞こえた。

『デニス』と私を呼ぶ声がした。テントを訪ねてきたのは、私が名前を与えたネズミだった。

「おかえり、エド」と手を差し出すと、エドは勢いよく肩まで駆け上がってきた。

『偉い奴、今一人だよ…守る奴減った』エドは髭をひくつかせながら私に報告した。

『ずっと居た怖い人間。あいつも居ない』

「分かった、そのまま見張っててくれるかい?」

『良いよ、デニスのためなら』とエドはお願いを快諾して、私の肩から膝に移動した。

ポケットから干した葡萄を出して差し出すと、彼は喜んで頬袋に乾いた果物をしまった。

『いいお乳が出るよ』と言って、彼は葡萄を妻と子供達に届けに行った。

エドとメリーの子供たちは、私のためによく働いてくれる。

メリーは沢山子供を産んだし、2匹の子供たちもまた増えた。一つの軍隊を持っているのと変わらない。

人間の兵隊より扱いやすく、替えがきき、役に立つ。

彼らは優秀だ。

エドを見送ってテントを後にすると、小雨の中、私よりずっと不気味な男が歩み寄って来た。

「デーニースぅ…ちょーっとお願いあんだけどぉ」

不気味な笑みを浮かべた傷だらけの傭兵は、馴れ馴れしく擦り寄ってくる。

《顔剥ぎエドガー》と呼ばれてる狂人は、不愉快なほど顔を近づけて自分勝手に話を続けた。

「そんな嫌そうな顔すんなよォ。

俺ってば、結構あんたのこと気に入ってんだぜ」

彼はニヤニヤ笑いながら、「あんたも剥ぎたくなるような顔してる」と言って、自分の顎に指を引っ掛けて顔を剥ぎ取るようなジェスチャーをして見せた。

その姿に狂気を感じ、後ずさったが、彼は不愉快な距離を保ったまま滑るように体を寄せてきた。

気持ち悪い男だ…

ケタケタ笑う悪魔のような男は「そんな怖がるなよォ…可愛いなぁ…」と呟くとハグして落ち着かせるように背中を叩いた。

「安心しなよ。俺はキチガイだけどさぁ、敵と味方くらいは区別出来んのよ。アンタは今は、み・か・た」

今は、という言葉が引っかかったが、エドガーはそう言って、身体を少し引くと「お願いきいてよォ」と手のひらを擦り合わせて見せた。

「…何です?」さっさと解放して欲しくて彼の《お願い》の内容を訊ねた。

「俺らにも情報ちょうだいよ。

と・く・に!若くて綺麗な顔した男!

どこいるか教えてよ」

「ネズミに人間の美醜は理解できませんよ」と答えると彼はガックリと肩を落とした。

「じゃぁ、敵の大将は美男子好き?」とまだ食い下がってくる。

「ヘルゲン子爵が男色家とは聞き及んでません。小姓は連れてませんが、親衛隊なら顔に自信のある方が配されてるかも知れませんね」

「へー、そう?」

「今、本陣の警備が手薄と、ネズミが教えてくれたので、スペンサー様にご報告に向かうとことです」

「なんだよ~!それ先に言ってよォ!デニス大好き!」

彼は、昔からのよく知った友のような振る舞いで、私の背を嬉しそうに叩いた。

コロコロ表情を変えるこの男に、自分のペースを乱された。

ご機嫌になった変人は「またな~」と親しげに別れを告げて帰って行った。

一体何だったんだ?

あの男の考えてることなど分からない。

彼らの隊長も不気味な人間だ。

死体が歩いているような、不自然な不気味さを感じる男だ。ネズミたちも怖がって、あの男には近付かなかった。

贅沢など言えないが、もう少しマシな傭兵をよこしてくれても良かったのではないか?

少しだけオークランドの《匿名の友人》を恨めしく思った…

✩.*˚

「ただいま戻りました」

私の名代を無事終え、シュミットは私のテントに報告に訪れた。彼は預かってきた大きめな封筒を私に差し出した。

しかし私には封筒のことより、先に訊きたいことがあった。

「その姿…どうしたのかね?」

「多少荒っぽい和解を致しまして」と彼は自分の姿を釈明した。

随分くたびれた姿で戻ってきたものだ…

酒場の乱闘にでも巻き込まれた出で立ちでは無いか?

「騎士団時代を思い出しました」と彼は嬉しそうに笑った。

「中隊長たちもなかなかな曲者揃いでして、実に良い傭兵団でした。

特にヴィンクラー殿とウェーバー殿は素晴らしい体躯の持ち主です。

背の低い外国人も実に強かった!レスリングが大いに盛り上がりました」

「卿は何をしに行ったのだ?

双方怪我人はないであろうな?」

「ハッハッハ!男の勲章が増えた程度です、ご安心を!」と彼は、私のため息混じりの追求を、豪快に笑って誤魔化した。

「ディートリヒが好きそうな連中です」

彼はそう言って懐かしい友を想った。

「…ロンメルか…」と私も失った部下を偲んだ。

ディートリヒ・フォン・ロンメルは、美しい金髪の秀麗な騎士だった。しかし容姿とは対照的に、性格は苛烈で熱を帯びた男だった。

人当たりの良いシュミットとは対象的な性格で、彼らは度々口論となっては、殴り合いの喧嘩をしていた。

そして、それが済むと二人は肩を組んで酒を飲みに行くのが通例になっていた。

奇妙な友情だ。

その友情も四年前のバード平原で散った。

彼は出陣前に、妹の忘れ形見で、溺愛していた姪っ子に会う事を許された。

『私の顔を見て、花の咲くような笑顔で『伯父様』と言うのです』と嬉しそうに話す姿を思い出した。

『騎士としてロンメルの名を上げ、テレーゼ様が良い伴侶を選べるようにしてやりたいのです』

彼は出陣前にそう語った。

どんなに美しくとも、母が下級騎士の家柄で、妾の子となれば立場はかなり弱い。

実際彼女は実に不遇だった。

幼い頃に母を亡くし、後ろ盾の無いまま寂しく、侯爵家の家の隅で慎ましやかに過ごす日々だった。

唯一の母方の肉親だった、大好きな伯父とも、半年に一度程度の面会しか許されなかった。

その伯父も亡くなり、私はパウル公子様から直々にテレーゼ様の後見人に指名された。

そして、不幸の極めつけに、父親ほど年の離れた傭兵に嫁がされる事になったのだ。

私もシュミットも、テレーゼ様に同情を禁じえなかったが、主命とあらば従うしか無かった。

机に置かれた文箱の中からテレーゼ様の手紙を取り出した。

控えめな文字で綴られた手紙は、我が身の不幸を嘆くものだ。

返事の手紙を書いては捨てた。

テレーゼ様への憐れみと同情が、侯爵家への忠誠心とせめぎ合い、返事の筆を鈍らせた。

結果、返事は未だに出せずにいたが、クルーガーという男を知ってようやく返事を書く決心がついた。

「クルーガーをどう思う?」とシュミットに率直な意見を求めた。

彼は人の良い笑顔を見せると、「良い男です」とシンプルな答えを返した。

「仲間想いで、仲間からも慕われる良きリーダーです。驕ることなく実に謙遜ですし、下の者への面倒見も良い。

欠点は、問題を抱え込んでしまう不器用な性格、といったところでしょう」とシュミットはクルーガーを評した。

「私も卿と同意見だ」と笑った。

「テレーゼ様に手紙を出す。届けてくれるか?」

「斯様な大役を頂戴するとは、光栄の極みというものです」とシュミットは喜んで引き受けた。

彼女の不安を少しでも取り除ける吉報を、手紙にしたため彼に預けた。

✩.*˚

「ワルター、包帯替えよう」と酒を飲んで寝入ってしまった彼を揺すって起こした。

彼は安心しきっているのか、深く眠って、起きる気配はまるでなかった。

ワルターが帰ってきて、みんなお祭り騒ぎだった。

僕にはオーラフのお説教が待っていた。

『一人でどうするつもりだったんだ!心配かけやがって!』とオーラフは僕の頭を拳で殴った。

生まれて初めて、拳で頭を殴られた。

彼は真剣に僕の心配をしてくれていたらしい。

『いいか!大人の言う事にはちゃんと意味があるんだ!

今回は、たまたまお前もワルターも運が良かっただけなんだからな!死人が出てもおかしくなかったんだ!

お前は無駄に行動力があり過ぎるんだ!ちったァ反省しろ!』

彼は僕を叱って、気が済んだのかしばらくするといつもの彼に戻った。

エルマーは相変わらずハンスを睨んでいたが、彼の人の良さに毒気を抜かれて、手を出せずにいた。

『あんた、そんなんで親衛隊長務まるのかよ?』とエルマーが毒づいたが、彼は怒らずに『試してみますか?』と笑顔で応じた。

『剣でも拳でも、好きな方でお相手しますよ』と自信満々だ。

『おう!イイな!』とヘンリックが名乗り出た。

『死人が出ると面倒だ、レスリングでどうだ?』

『結構ですよ』とハンスは自信ありげだ。

『止めないの?』とワルターに訊ねるが、彼は煙草を吸いながら肩を竦めた。

『ヘンリックじゃ、あの食えない従者殿には勝てねぇよ』と言って、ゲルトと顔を見合わせて笑った。

ワルターの言った通り、先に背中を着いたのはヘンリックの方だ。試合を見ていたソーリューは彼のテクニックを褒めていた。

『クルーガー殿も如何です?』と乱れた髪を撫で付けながらハンスがワルターを誘った。

『いやー…怪我人なんで』

ワルターはそういうと、また『そういうことだ』と言ってフリッツに代役を押し付けた。

『勉強させてもらえ』とゲルトにまで言われて、フリッツが嫌々といった体でハンスの前に立った。

組み合う彼らを眺めながら、『俺も若けりゃな』とゲルトは寂しそうに呟いた。

『俺も良いか?』とソーリューがハンスに訊ねた。

見てるだけでは我慢できなかったらしい。

仮面を外して上半身の服を脱ぐと、フリッツの後に並んだ。

『フリッツ、お前が負ける方にかけるわ』とオーラフが意地悪を言うと、『俺も』とヨナタンが煙草を咥えた。

『勝ったら酒奢ってやるよ、無理だろうけど』とワルターも意地悪く笑った。

『お前らふざけやがって!』

みんなに煽られて、掴みあっていたフリッツが怒鳴った。

仲の良い傭兵たちを眺めて、ハンスは楽しそうな笑顔を見せた。

『ご期待に添えるように頑張りますかね』

『ハンス!頑張って!』と声を上げると、彼は僕の声援に応えた。

『…俺の応援は無しかよ』とフリッツがボヤいた。

『なかなか面白い檄ですな』

『いや、あいつら結構マジで言ってるよ』と苦笑いして、また駆け引きが始まる。

フリッツも本気だったろうが、それでもハンスには勝てなかった。結局ソーリューも負けた。彼は自分から負けを認めたので中断したような感じだった。

『強ぇなぁ』とエルマーもハンスを褒めた。

『あんた何で騎士じゃないのさ?』

『馬丁の子です。騎士にはなれません』とハンスは苦く笑った。

騎士になれるのは、ほんのひと握りの人間だけなのだと言う。彼は、自分には騎士になる資格がないのだ、と言っていた。

『はー…それにしたって大出世だな』

『ヘルゲン子爵閣下が見出して下さらなければ、私は今でも馬房で暮らしてましたよ』

彼は服に付いた埃を払って服を整えた。

『さて、楽しい時間でした』

彼はそう言って帰り支度を始めた。

ハンスの事を気に入ったヘンリックが『また来いよ』と言って右手を差し出した。

ハンスは差し出された手を取って、ヘンリックや、フリッツらと握手を交わした。

ヨナタンが『土産だ』と握手の代わりに、分厚い封筒をハンスに差し出した。

『供出可能なリストだ。侯爵からの補填が届くまで貸してやる。

後で手の空いてるヤツらを寄越せ』

『よろしいのですか?』

『いくら霞を食ってる騎士様でも飢えは平等だ。

それに馬のいない騎士ほど滑稽なものは無い』

意地の悪い言い方だが、ヨナタンはそう言って、ハンスに封筒を握らせた。

ハンスはワルターに視線を向けた。

ワルターも『ヨナタンに任せてる』と答えると、『色付けて返してくれ』と冗談を言って笑った。

『かたじけない…必ずお返し致します』

ハンスはワルターの手を取って感謝を述べると、小雨の中、馬車で帰って行った。

『なんだよ…あの男は?』と馬車を見送ってエルマーが呟いた。

『だから言ったろ?彼はとっても良い人なんだ』

僕はエルマーにハンスを自慢した。

自慢げに話す僕を見て、彼は『かもな』と言って笑うと、僕の頭を撫でた。

『さぁて…偉い人が帰ったから、酒でも呑むか?』

『だな!』とオーラフが同意する。

『ヨナタン、酒は残してあるんだろうな?』

『お前らコレ無いと動かねぇだろ?必要物資だ』

そう言ってヨナタンが鋲を打った木箱をこじ開けると、中から藁に隠れた酒の瓶が顔を出した。

『乾杯だ』と言ってヨナタンがワインのボトルを一本ずつ投げて寄越した。

『僕のは?』と訪ねると、ヨナタンは少し驚いた顔をして、『飲めるのか?』とワルターに訊ねた。

『飲ませた事ねぇよ』

『この間温めた葡萄酒飲んだよ』

『あれは酒が飛んでるからな、酒じゃない』

『いいじゃん。ちょっと飲ませてみようぜ』とオーラフが面白半分で言って、陶器のグラスを持ち出しすと僕に手渡した。

『ほれ!乾杯だ!』

グラスに赤い葡萄酒が波打った。

それからみんなで乾杯して、お酒を飲んで、気が付いたらワルターの隣で寝ていた。

まだ酒が残っているのか頭が重い。

「ワルター…包帯替えてないだろ?」としつこく揺すると彼は眠そうに目も開けずに答えた。

「…そんなん…明日の朝にしてくれよ…」

「傷跡残るよ」

「乙女じゃねぇんだ…かまいやしねぇよ」

彼はそう言って毛布を被り直した。起きる気は更々ないらしい。

顔に残った深い傷が、左の横顔に痛々しく走っていた。優秀な治癒魔導師にも、これが限界だと言われれば諦めるしかない。

「《レスティトゥエレ》」

勝手に回復魔法をかけて、傷跡をなぞった。

父さんなら治せた…

そう思うと悔しい。

父さんはこの魔法で何でも元通りに出来た。

僕の怪我も、火傷も、割った皿も…全部無かったことにできた。

『使ううちに馴染むよ。私の場合、無駄に永く生きたから、使う機会が普通より多かっただけさ』と父さんは寂しげに笑っていた。

使うことで魔法の精度が上がるなら、毎日続けたら、もっと上手になれるかな?

でも、我儘な僕は、今すぐこの傷跡を消したかった。

✩.*˚

窓辺に差し込む陽の光は、雨を重ねるうちに、春のうたた寝を誘うものから、僅かに汗を滲ませるような熱を帯びたものに変わりつつある。

今年も南部に訪れた燕は、夏の仮宿で子育ての真っ最中だった。

賑やかに空腹を訴えるひな達が、黄色いくちばしを覗かせ、仲良く並んでいる姿は愛らしい。

「お嬢様、手が止まっておいでですよ」と侍女に指摘され、また手元に視線を落とした。

お父様から課された仕事…

刺繍は大好きだったのに、どうしても気が進まない。すぐに手が止まってしまう。

「クルーガー様にお届けする品でしょう?

間に合わなければ、お父様に恥をかかせることになりますよ」と言う侍女の厳しい言葉に俯いた。

泣くまいと唇を噛んだが、目元は熱を帯びた。

お父様に連れられて引き合わされたのは、伴侶となるべき男性だった。

未来の夫は、ヴェルフェル公子に会うというのに、身なりも整えていなかった。

無精髭に、ボサボサの金髪、汚れてくたびれた服装の冴えない人だった。

伯父様のような美丈夫でもなければ、ヘルゲン様のような礼儀正しい紳士でもない。度々使いでやってくるシュミット様のように柔和な印象でもない。

小汚くて、冴えない、父親ほど年の離れた男性…

夫になる人の印象はそれだけだ。

どんな人かも知らない。

おしゃべりしたことも無い。

後で彼が傭兵の隊長だと聞かされ、余計に恐ろしくなった。

神から《祝福》を授かった身であり、《英雄》になる男だ、とお父様は仰っていたけれど、そんな風には見えなかった。

只々、我が身の不幸を呪った。私にできることはそれしか無いのだから…

魔法が刻まれた神銀ミスリルの針は、特別な皮でできた手袋に吸い込まれるように模様を刻む。

普通の布にするのと変わらず、刺繍は綴られてゆく。

金と銀の糸で編むのは花と燕の意匠だ。お父様の指示だった。

帰ってこなくていいのに…

そんな酷いことを思いながら針を通した。

ふと刺繍に視線を落とし、意地悪を思いついた。

左右の手袋に縫い付ける、燕の意匠を引き離した。真ん中に向かい合うように縫うべき所を、小指の方を向かせて、極力離した。これで燕は出会えないはずだ。

お父様が見たら、子供じみた嫌がらせだと叱るだろうか?

刺繍を続けていると、珍しくお父様以外の来客があった。

「ご無沙汰しております、テレーゼ様」と膝を折って挨拶したのは伯父様の親友で、ヘルゲン様の親衛隊長のシュミット様だ。

刺繍を放り出してシュミット様に駆け寄った。

慌てて駆け出したので靴を片っぽ落としてしまった。

「おや、元気な靴だ。逃げられてしまいましたね」と笑いながらシュミット様は、歩きにくい私の代わりに靴を拾ってくれた。

「もう逃げるでないぞ」と靴に言い含めて、膝を折って、私の足元に差し出してくれた。

シュミット様の広い背中を借りて靴を履く。

「ありがとうございます」と彼の背から手を引いて、スカートを摘んで会釈しながら礼を述べた。

「ご無礼つかまつりました」と彼は膝を折ったまま深く頭を下げた。

シュミット様は、子供に向けるような優しい笑顔を見せると、私にお手紙を差し出した。

金箔で飾られた封筒の封印には、ヘルゲン子爵家の家紋が押されている。

お返事が遅いので、私の我儘に呆れてしまったのではと心配していた。その考えが間違っていると知れて嬉しかった。

ヘルゲン様は私などのために、わざわざお時間を裂いてお返事をしたため、シュミット様まで送って下さったのだ…

お手紙を受け取って抱きしめた。薄い紙でできた紙切れが、私の目にはとても頼もしく映った。

「今、拝見してもよろしいでしょうか?」

「もちろんです。閣下もお喜びになるでしょう」とシュミット様は嬉しい言葉を下さった。

彼は私をソファに座らせ、自身は傍らに立ち、お手紙を読む私を見守った。

ヘルゲン様のお手紙には、几帳面な文字が並び、優しい気遣いが織り込まれた文章が綴られていた。

それでも、ヘルゲン様はやっぱりお父様の家来なのだ…

「テレーゼ様、如何致しましたか?」

お手紙を読み進めるうちに、涙を零した私に、シュミット様が心配そうに声をかけた。

「…ヘルゲン様…あの方なら…分かってくださると…そう思ったのに…」

心の声が漏れた。

一度堰を切った感情は、取り留めのない濁流のように溢れた。

お手紙には、お父様が私を愛している事、相手が快い人物である事、ヘルゲン様が私の幸せを願っている事、そして結婚を祝う旨が綴られていた。

嫌だと、辛いと訴えたのに、返事は残酷だ…

良い家に嫁げるとは思って無いが、もう少し歳の近い相手か、優しく寄り添ってくれる人なら諦めがついたと思う。

「シュミット様!お願いです!どうかヘルゲン様に、テレーゼは傭兵なんかのお嫁に行きたくないとお伝えください!」

泣きながらシュミット様に訴え、彼を困らせた。

いつも優しく微笑む顔が、悲しげに見下ろしていた。

「嫌です!それなら一人寂しく部屋の片隅で暮らす事を選びます!」

「そのような…テレーゼ様、落ち着いてください」

「伯父様なら!テレーゼの気持ちを汲んで下さいました!」と叫んで、シュミット様の傍らに、亡き伯父様の姿を探してしまった…

背が高く、美しく、誇り高い、私の自慢の伯父様…

何故…テレーゼを置いて逝ってしまったのですか?

私を大きな腕で抱き締めて、暖かな体温を分けてくれたのは貴方ただ一人だったというのに…

泣きじゃくる子供になってしまった私に、シュミット様は黙って見守るのみだ。

当然だ。たとえ慰めだとしても、侯爵家の令嬢の私に触れるなど許されない。

誰も私を癒してくれない。

抱き締めて、頭を撫でて、「辛いですね」と言ってくれるだけでいいのに…それだけで少しは救われるのに…

一頻り涙を流した私の傍に跪いて、シュミット様は穏やかな低い声で口を開いた。

「…テレーゼ様、クルーガー殿とはお会いになりましたか?」

「えぇ…お父様に連れられて…」

「彼とお話はされましたか?」と訊ねられて首を横に振った。

あの時はそれどころではなかったし、相手の顔からも目を背けてしまったので印象しか残っていない。

只々、怖かったのだ…

あの場に立っているのがやっとだった。

「クルーガー殿は良い御仁ですよ」

そう言ってシュミット様も彼の肩を持った。

また悲しくなる私の気持ちを察したのか、人の良さそうな顔で苦笑いして、「大丈夫ですよ」と言った。

「我が友ロンメルも、苦い顔をしながら同じ事を申し上げたはずです。

確かに、クルーガーは特別美男子でも、生まれが良いわけでも、礼節を重んじる紳士でもありません。粗野で、気が回らなくて、生き方が不器用な男です。

しかし、その欠点を凌駕する魅力を持った御仁でもあります。

彼は仲間のために命を賭けれる男です。それゆえ仲間からの信頼も厚い。

その生き様をこの目で確認致しました。

ヘルゲン閣下ですら、彼の有能さと人柄を認めざるを得ません。お手紙はヘルゲン閣下の本心です。

ロンメルが生きていれば、我々は必ずや良い友となったことでしょう」とシュミット様は懐かしむように笑った。

真っ直ぐ見つめる真摯な瞳は嘘偽りの気配は無かった。

「会うのがお嫌ならお手紙でも良いのです。

もし返事がなければそれまでの御仁です。ヘルゲン閣下に嘆願されるのは、相手の人柄を確認してからでも遅くはないではありませんか?」と彼は提案した。

ヘルゲン様やシュミット様がそこまで仰るなら、と少しだけ譲歩する気が芽生えた。

何より、伯父様が生きていれば友になったであろうと言われ、どんな人なのか気になった。

「…もし…どうしてもクルーガー様をお好きになれなければ、どう致しましょう?」

「そうですな」とシュミットは苦笑いを浮かべて、顎にを撫でて考える素振りを見せた。

「ヘルゲン閣下と私で、命懸けでパウル公子様を説得するしかないでしょうな」

「まぁ、それは困りますわ」

私の我儘で、お二人の命を危うくするかもしれないと知って恐ろしくなった。

それでもシュミット様は、私の心配を、大きな声で笑い飛ばした。

「テレーゼ様、ご安心召されよ。

テレーゼ様はきっと彼を気に入ります。

私は我が友、ロンメルの名誉と、ヘルゲン閣下の名にかけてお誓申し上げます」

シュミット様は朗々たる声でそう宣誓された。

伯父様とヘルゲン様の名は私の心を僅かに溶かした。

「明日までにヘルゲン様へのお返事をご用意致します」

私の返答を聞いたシュミット様は、それ以上何も言わずに深々と頭を下げて部屋を後にした。

退出された、シュミット様の背中を見送って、机に投げ出されたやりかけの刺繍に視線を向けた。

手袋の持ち主になる人はどんな方なのだろう?

不安の海に一滴の希望が混ざり、心が波打った。

✩.*˚

「閣下、明日も早いのです。

もうお休みになられては?」

欠伸をかみ殺す私に、親衛隊の副隊長を任せたリッツが進言した。

馬と糧秣の被害は甚大で、補填のための書類やら手紙やらを用意して夜も更けてしまった。

「これだけ書いて終わらせよう」と答えて、手元の書類を元に、報告書をしたためた。

シュミットが預かってきた書類を見て目を疑った。

傭兵団のものとは思えない出来栄えの管理簿は、一級の会計士が書いたのではと思える出来であった。

読みやすい字で綴られ、項目も見やすく、丁寧に綴り番号まで記入されている。

一度バラしても、元に戻せるし、誤魔化しが利かないようにするためだろう。

実に良い仕事をする。本営に招きたいくらいだ。

馬に与える馬草の半分を消失していたので、供出の提案は正直助かった。

馬はあまり良い馬ではないが、居ないよりマシだ。喜んで借用した。

支援を行うユニコーン城までは、早馬を飛ばせば半日の行程だが、量が量だけに、補給物資や馬を用意して届くまで一週間から十日はかかる。

それまでの不安が一部解消された事は喜ばしいが、安心してもいられなかった。

つまらない身内の揉め事で、時間も労力も無駄にしたばかりだ。これ以上何かあれば更迭は免れないだろう。

パウル公子の期待を裏切る事だけはあってはならない。

パウル公子は高齢で伏せっているヴェルフェル侯爵に代わり、次期当主として責任を果たしておいでだ。

私は私にできることをするまでのことだ。

特段目立った才能のない私を、重用してくださった御恩に報いねばならない。

まとめた書類と手紙を伝令に預け、朝一番に届けるように言い含めた。

ようやく就寝できる…

憲兵たちの見張りで、私の親衛隊は数を減らしていた。

先に状況を報告書するために、ユニコーン城に向かわせたシュミットの代わりに、副隊長のリッツを伴い、自分の寝泊まりするテントに向かった。

普段見張りが立っているのだが、この日は何故か姿がなかった。

「不用心な」とリッツが眉を寄せたが「よい」と彼をなだめた。

リッツが先にテントに入ったが、中に踏み込んですぐに倒れる音が聞こえた。

「どうした?大丈夫か?」と半身を踏み込ませた私の視界に赤が飛び込んだ。

声を出す前に手が伸びて口を塞いだ。

「おかえりぃ、待ってたよォ」妙に間延びする声が囁いた。

床に広がる血溜まりには、三人分の亡骸が打ち捨てられていた。

彼らは一様に喉を掻っ切られて絶命していた。

「なかなか帰ってこないからさァ、ちょーっと心配したのよね。そろそろお暇しようと思ってたけど、俺ってばラッキー!ついてるわァ!」

相手は狂気じみた声で低く笑って、持っていた刃物を首筋に押し当てた。冷たく硬い感触が背筋を凍らせた。

「嬉しいなァ、顔が四つも手に入る…

あんた歳の割には男前だし気に入ったよ」

楽しそうな死神は命を刈り取る動作をした。

己が血で視界が赤く染まった…
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