燕の軌跡

猫絵師

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烈火のアルフィー

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土と緑の匂いが乗った湿った風が、山から吹いていた。

今夜は少し風が強い。

時折、強い風にテントが煽られて揺れた。

「明日から雨だな」と俺のテントを訪ねてきたエルマーが呟いた。

彼は天候を読むのが得意だった。漁師と山賊、両方の経験から、この男の天気予報は当てになった。

「雨か…」

奇襲を警戒して、野営地は山裾ではなく、見晴らしの良い平地に展開している。

それでも雨となれば視界が奪われ、雨音で敵の接近も許してしまう可能性があった。

「スー、いるか?」と俺のテントを訪れたソーリューがスーを呼んだ。彼もまた雨の気配を感じ取ったようだ。

「天気が崩れる。

馬をテントに入れるから手伝え」とスーを連れ出した。

「分かった」と短く返事をして、スーはソーリューの後に続いてテントを出て行った。

「今日、なんかあいつ変じゃなかったか?」とスーを見送ったエルマーが俺に訊ねた。

「口数少ないし、飯だって進まないし…あいつとなんかあったのか?」

「疲れてるだけだろ?」とエルマーの指摘を流した。

昨日のことを知ってるのは、俺とソーリューとスーだけだ。

袋に入れた捕虜を運ぶのに、フリッツの手は借りたが、あいつは何を運んで、これをどうするのかなんて知らされていなかった。

何となく察してはいただろうが、あいつは知らん顔をした。

「疲れてるだけ」と言う言葉に、「ならいいけど」と応じて、エルマーは煙草を咥えた。

「まぁ、そんなこと言いに来たんじゃねぇんだ」と彼は話題を変えた。

「お偉いさんは随分悠長に構えてるじゃねぇか?」とエルマーは思ったことを口にした。

「俺には軍隊の駆け引きなんて難しいことは分からねぇがよ、随分受け身な印象だ。

こっちからはまだ責めないのか?」

「情報が無いうちに山に入るのはリスクが高い。

現にそれで随分兵を無駄にした。

敵の本営の位置が分かればいいが、相手も移動してるし、なんせ山の中だ。こっちから手を出すのは難しい」

「なんだそりゃ?じゃぁどうすんだよ?」

「つまり、指示があるまで待機ってことさ」と簡潔に教えてやった。

エルマーはあからさまに嫌な顔をした。

まぁ、言いたいことは分かるが、本営から待機を命じられてる以上勝手は出来ない。

行けと言われれば行くし、待てと言われれば待てだ。

今は待ての方だ。

まぁ、こういう何も無い時間も必要だ。

おかげで新人を訓練する時間もある。何もスーだけが新人ってわけじゃねぇんだ。

軍曹に指名したオーラフは実質的な新兵の教育係だ。

あの緩い男がちゃんとやってんのか気になったが、エルマーにさせるよりマシだ。

「見回りに行くが、お前も来るか?」とエルマーを外に誘った。

彼は暇だったのか、「お供しましょ」と軽い感じで応じてテントを後にした。

✩.*˚

スーは、朝から自分の足で俺の元に来て『鍛えて欲しい』と言った。

もっと落ち込んでいるかと思ったが、こいつは人を殺して腹を括ったのだろう。

やってしまった以上はもう後戻りはできない。

俺と同じ考えかは知る由もないが、この子供みたいな男の腹は据わっていた。

「呼吸を教えてやる」と言って、精神の昂りを抑える呼吸を教えた。

「心を乱せば手元が狂い、判断力も鈍る。

何時いかなる時も基本と初心を忘れるな。

それが出来るやつは強い」と教えた。

今、自分が教えてやれることを噛み砕いて教えた。

スーはワルターの役に立ちたいと思ってる。それは俺にとって好都合だった。

こいつが俺の期待通りに育てば、俺はワルターに《最高》の兵士を残すことが出来る。

俺がいなくなってもお釣りが来るような存在にするつもりだった。


日が落ちて、風向きが変わった。

山から吹き降ろす風に、湿った雨の匂いが混ざっていた。雨が近いのだろう。

ヨナタンに雨の気配を伝えると、彼は俺を言を入れて部下を使って糧秣を移動させた。

気候がいいので外に繋いだままだったが、馬も移動させねばならない。馬の世話はワルターから任されている。

予備のテントを用意させて、スーを呼ぶと一緒に馬をテントに誘導した。

馬たちは大人しくテントに収容された。水と飼葉を積んだ荷馬車も移動させ、テントに横付けした。

スーは馬たちに飼葉と水を用意して、落ち着かない様子の馬にはブラシをかけて甲斐甲斐しく世話をしていた。

「乗ってみたいな」と言っていたが、ここではそれは叶わない。

平時なら可能だが、戦場で馬に乗れる人物は限られる。資格のない者が乗れば、余程の理由がない限り厳罰の対象だ。

歩兵と騎兵はそれだけ役割も責任も違うのだ。

それを教えるとスーは残念そうに納得した。

「傭兵は基本馬に乗れない。例外として《親衛兵トラバンド》に選ばれれば乗れる」と教えてやった。

「隊長の盾となる護衛役だ。信頼された強い奴しかなれない」

「じゃあそれになる!」とスーは子供のように目を輝かせた。わかりやすい奴だ。

「ワルターの《親衛兵トラバンド》か…」とスーは馬を眺めながら思いを馳せていた。

まぁ、目標を持つことは良い事だ。

あとはそこに向かって精進することだ。

歳をとったせいか、スーを甘やかしたくなる気持ちが湧くが、それは他の奴らの役だ。

俺には俺の役割がある。

こいつを育てるのが俺の役目だ。

✩.*˚

「外側の傭兵たちの隊に動きがあります」

ネズミを操る魔法使いが報告した。

こいつは遠隔操作でネズミを操るから使えると、スペンサーのおっさんからアルフィーが借りてきた。

「なぁんでぇ?こっちの動きがバレちゃったの?」

「うるさい、エドガー。少し黙ってろ」

俺を睨んで黙らせると、アルフィーはネズミ男に質問した。

「デニス、連中は何してる?」

「糧秣と馬を集めて場所を変えています。警戒してるのでしょうか?」

「タイミングが良すぎるな」とアルフィーは眉を寄せて考え込んだ。

「ねー、せっかくだしさー、やっぱり本陣行こうぜー」と提案するが、アルフィーに睨まれた。

あー、この人を殺せそうな視線がたまんねぇな!

アルフィーの顔には酷い火傷の痕があるが、元々はキレイな顔をしていることを知っている。

炎に焦がれて視力を失った右目も、引き攣った傷のある顔も全部がアルフィーのいい所だ。

俺を睨む左目は、深い湖の底のような吸い込まれそうな青緑をしている。

はぁ…好き、大好きだ。

今夜もお前に特別な《贈り物プレゼント》を持って帰ってきてやるよ…今日こそ気に入ると良いな…

懐に隠した油紙と皮剥ナイフを、昂る胸と一緒に服の上から抑えた。

アルフィーはネズミ男に命じて、少し離れた本陣にネズミを走らせた。

「こちらの方が油断してます。

馬も外に繋がれたままです」と報告があった。

「分かった。本陣の裏に回り込んで、馬を殺して火を放ったら退散する」とアルフィーは計画を少し変更した。

「つまんねー」馬なんてどうでもいい。

それなら糧秣を火にくべて、特大の炎が空に昇る姿が見たかった…

慌てふためく人の姿を眺めて笑いたかったのになぁ、残念…

「つまらん遊びより作戦が優先だ、今夜は挨拶代わりだ」

「仕方ないなぁ…」

アルフィーの希望なら仕方ない。仕方なく頷いた。

「じゃぁさ、俺も火傷するくらいの、とびきり熱いやつ頼むぜ」と注文すると、アルフィーはゴミを見るような視線を俺に向けて「変態」と罵った。

ううん!その目好きぃ!

もっと睨んでくれよ!

あんたの刺すような視線がたまんねぇよ!

✩.*˚

ワルターと宿営を見廻るついでに、ヘンリックのテントに寄った。

ヘンリックはワルターの顔を見ると、人懐っこく片手を上げて挨拶した。

「明日から雨らしい」とワルターはヘンリックに教えた。

「俺のところはもう馬と糧秣を片付けた」

「確かに風が湿ってるな」とヘンリックも応じた。

「こいつの天気予報はよく当たるんだ」とワルターは俺に視線を向けた。ヘンリック俺を見て、「へぇ」と感心したように呟いた。

「分かった、部下に伝える」と彼は素直に応じたので面食らった。

「俺なんか信用するのかい?」

「何だ?嘘なのか?」

「いや…」

「隊は違うが俺たちは仲間だ。

俺はワルターを信用してるし、ワルターが信用してるならお前の言うことも信じるぜ」

ヘンリックはそう言ってワルターに視線を向けると「そうだろ?」と笑った。

何だよ、このいい男は?

スーの事がなければ、こいつとも仲良くなれそうな気がした。

「まぁ、どうせ顔出すなら、スーを連れてきてくれた方が嬉しかったがな。

今からでも良いぞ、連れて来いよ」

「その剥き出しな下心しまえよ」

苦言を呈する俺に大男は豪快に笑った。

「ハッハッハ!これが俺だから仕方ないだろ!」

開けっぴろげな性格は隠し事がなく、いっそ清々しい。この男が嫌いでは無くなったが、スーに関しては要注意だ。

ヘンリックは部下を呼んで、雨の用意をするように伝えた。

「叔父貴には俺から伝える。

それよりお前らこれからどこ行くんだ?」

「別に、ブラブラ見回ってるだけだ。ぐるっと見廻って帰るさ」

「なるほど、随分暇そうだな」

「お前だって、暇なんだろ?」

「俺は暇なんてした事ない。

暇なら酒保の姐さんでも口説きに行くさ」とヘンリックは軽口を叩いた。

ふざけた男だが、憎めない奴だ。

「暇になったら姐さん方に挨拶に行くさ、俺は忙しい身なんでな」と笑って、彼は俺たちと別れてゲルトのテントに向かった。

宿営を見て廻ったが特に問題は無さそうだ。

ワルターと踵を返して自分たちの宿営に戻ろうとした時だった。

何の前触れもなく、敵襲を伝える鐘の音が夜闇に響いた。

「何だ?!」けたたましい警鐘に、手が腰の剣に伸びた。雲が月を隠したので、視界はあまり良くない。ウィンザー側の夜襲か?

「本陣の方か?」とワルターが警鐘の音の鳴る方を睨んだ。

本陣は見えないが、何処からか灰色の煙が上がるのが見えた。

近くを通りがかった、馬を連れた傭兵から騎馬を借り、煙と立ち上る炎の明かりを目印に馬を飛ばした。

馬を走らせた先で、さっき別れたばかりのヘンリックの姿を見つけ、馬を寄せた。

「寝てるヤツらは叩き起こせ!フリッツとゲルトの隊と合流しろ!俺が戻らなければゲルトの指示に従え!」

馬の背から指示を出して、ワルターはまた馬の腹を蹴って煙の上がった方角に向かって走った。

「ボヤにしちゃデカイな」立ち昇る濃い色の煙は炎の強さを物語っていた。

何が起きているのか分からないが、ろくな事じゃ無さそうだ。

煙の匂いに混ざって、不快な匂いの便りが届く。

血と肉の焼ける戦場の匂いだ。

「ワルター!得物はあんのか?」

「ツヴァイハンダーは置いてきちまったが、ダガーなら持ってる」とワルターは答えた。

「お前もいるし大丈夫だろ?」と余裕ぶって笑っていた。

「上等だ」と俺は口端を釣り上げた。

✩.*˚

「《劫火》」

アルフィーを中心に、巨大な火柱が上がり、彼の手から火の玉が放たれる。

爆発するような熱に陽炎かげろうが揺らめき、アルフィーの姿が歪んだ。

こんな派手な夜襲が出来んのはこいつだけだろう。

有言実行。馬は炎に巻かれ、のたうち回って屍をさらした。

兵士が慌てて火を消しに現れたが、一緒に襲撃した俺たちに斬られて目的を果たせずに地面に転がった。

「欲張る?」とワクワクしながらアルフィーに訊ねた。

このまま本陣を引っ掻き回したい。

腸を引きずり出すように、こいつらをメチャクチャにしてやりたい!すっげぇ興奮する!

「もっと抉ってやろうぜ!俺とあんたならできるぜ、相棒!」

「馬鹿か?もう離脱する」とアルフィーは冷めた声で答えた。

「《祝福持ち》だっているとの事だ。

さっさと離脱しないと俺たちが囲まれる」

アルフィーは仲間に即時撤退を命じた。これからが楽しくなるってのに…

「そんなぁ…」暴れ足りない。こんなの不完全燃焼だ。もっと血が見たかった…

アルフィーは飛んできた矢を、虫でも追い払うように手を振って炎でたたき落とした。

矢は彼に届く前に消し炭になって消えた。

兵士に動揺が走り、恐怖がその場を支配した。

「《炎の壁ファイヤーウォール》」駆けつけた弓兵と襲撃者たちの間に炎の壁が立ち塞がった。

近づきすぎた兵士が炎に巻かれて悲鳴を上げた。

金属が溶けるほどの強烈な炎が行く手を阻み、誰もアルフィーの炎を越えられなかった。

「イエィツ隊長!こちらです!」退路を確保した仲間がアルフィーを呼んだ。

辺りに火の手を撒き散らしながら、混乱に乗じて十人ほどの仲間とその場を後にした。

前に立ち塞がった奴は喜んで斬り捨てた。

それでも俺が欲しいもんを持ってるやつは一人も居なかった。

今夜は不作か?

どうなってんだ?ここにはブサイクしか居ねえじゃねえかよ?

消耗の激しいアルフィーが胸を押えて、肩で息をしている。

ちょっと頑張りすぎたか?

早々に本陣をお暇するが、後ろから食い下がってくる連中がいた。

騎馬した二人が追いすがってくる。

出で立ちから騎士には見えない。

傭兵のようなバラバラな衣装を着た軽装の兵士は、剣を抜くと最後尾に襲いかかった。

馬の勢いと剣撃に負け、迎え撃とうとした仲間が二人、三人と倒れた。

殿しんがり!代われ!」

足を止めて先頭から後ろに回った。

仲間を逃がすためじゃない。こいつらは俺の獲物だ!

振り下ろされた剣撃を避けて、すれ違いざまに馬の脚を狙った。

「エルマー!」脚を切り裂かれた馬が悲鳴をあげてもんどり打った。倒れ込んだ仲間を見て、もう一人が馬を引いた。

「ははっ!いっちょう上がり!」

馬の背から投げ出された男は地面を転がったが、すぐに跳ね起きて向かってきた。

活きのいい手練だ!嬉しくて歓声を上げた。

「エドガー!早くしろ!」と焦るアルフィーの声が背中に飛ぶ。

相手も死神みたいな顔で笑っていた。

俺に勝るとも劣らない狂った相手の表情に興奮した。

「ははぁ!」と笑って迎え撃った。

背の高い男は両手に持ったクリークスメッサーを振るった。

その姿に、思い当たる傭兵の名前を確認した。

「あんたまさか《嘲笑のエルマー》か?!」

「だったらなんだ?」と男は答えた。

長い腕から繰り出される、双剣の攻撃を受け流しながら、興奮して歓喜の叫びを上げた。

この男は当たりだ!

「本物かよ!まじか!最高!興奮するぅ!」歓声を上げる俺を見て、二つ名持ちの傭兵が眉を顰めた。

「何だお前?頭おかしいのか?」

「あぁ!イカれてイカれてイカれまくってんだ!」

僅かに怯んだ相手を押し返した。

そのままどちらも引かずに剣撃の応酬が続いた。

やりにくい相手だ。腕が長い。最初は距離感が掴めず、珍しく血を流したが、何回も打ち合ううちに慣れた。

もう一人の敵は馬を回してアルフィーたちの前に立ち塞がっていた。

「随分好き勝手暴れてくれたじゃねぇか?」と馬を降りた男は、ダガーを手にアルフィーに歩み寄った。

ダガーしか持ち合わせてない男に、部下の一人が歩み出て剣を振るった。

ダガーを手にした男は、剣を前にして怯むことなく前に出た。

男は突き出された剣を躱して、左手で剣を持つ手を絡めとると、素早くダガーで胸を二突きして部下の命を奪った。

一瞬の攻防での決着に戦慄が走った。

こいつもかなりの手練だ。あっちも殺りてぇ!

男は戦利品の剣を拾って、アルフィーたちに突きつけた。

男とアルフィーが睨み合う。先に口を開いたのはアルフィーだ。

「お前ら先に戻れ」と残ってる部下に命令した。

「隊長!」

「お前らがいると邪魔だ」取り付く島もなく、ピシャリと言い放ったアルフィーの外套が、熱に煽られてはためいた。

やばいと察した部下たちが彼から離れた。巻き込まれて肺を焼かれて窒息死は笑えない。そんな奴今まで散々見てきた。

「俺は《烈火のアルフィー》だ」と名乗って「お前は?」と相手の返事を待った。

相手の男はアルフィーの二つ名に眉を顰めた。

「《烈火》が何でこんなところにいる?」

「消し炭になる前に名乗れ」

アルフィーは答えずに、相手に名乗るように促した。名前訊くなんて珍しい。

相手は「ワルター・クルーガー」と名乗った。

その名前に覚えがあった。その名を聞いて、一瞬動きが鈍った。

「チラチラ余所見しやがって!随分気が散ってんじゃねぇか!」とクリークスメッサーが俺に襲いかかってくる。

切っ先が目の前を掠めた。後ろに飛んで間一髪避ける。

「あんた気にならないのかい?」

「お前の喉を掻っ切るのが先だ」と《嘲笑のエルマー》は笑顔で威嚇した。

エルマーという男は、型は無茶苦茶だが、確実に喉や胸など急所を狙ってくる。

大振りで隙だらけのようだが、俺を釣ろうとしてる。食えない奴だ。

俺にこんなに食らいついてくる奴は久しぶりだ。

アルフィーの事が気になるが、目の前の奴を片付けるのが先だ。

「エドガー!」アルフィーが俺の名を呼んで、短く命じた。

「死ぬなよ」

「オッケー!」アルフィーの無茶ぶりを快諾する。俺の返事を確認して、アルフィーは炎を纏った。

周囲に強烈な熱風が吹き荒れ、瞬時に足元の草が枯れて燃え尽きた。

「《劫火》」

一瞬にして鉄をも溶かす炎がアルフィーの手から放たれる。

炎はダガーの男に襲いかかる。同じ直線上に俺もいるんだけど…

アルフィーの炎は一切の手加減がない。俺ごと燃やす気だ。

お前のそういう容赦ないところ大好き!興奮する!

エルマーと俺に迫る熱風が届く前に、ヒヤリとした空気が流れ込んだ。

「《凍結》」

声と共に発動した氷の魔法が炎の熱を奪った。

炎と氷が相殺され、大量の水蒸気が辺りに立ち込めた。

「貴様!《氷鬼アイスデーモン》か!?」霧の中でアルフィーが叫んだ。

辺りに満ちた霧の中、俺はアルフィーに、《氷鬼》はエルマーに駆け寄った。

「危ねぇ、助かった」とエルマーの声がした。あいつも無事か…

「アルフィー、一旦引くぞ!」と彼の腕を掴んで引いた。

炎は消えたが、かなりの熱を帯びている。

肉が焼ける痛みが走った。オーバーヒートしてる。《祝福》を使いすぎた。これ以上はまずい。

担いで逃げようとする俺の前に、逃げたはずの仲間が、繋いでいた馬を連れて戻ってきた。

「隊長!エドガーの兄貴!乗ってくれ!」と寄越した馬に、アルフィーを抱えたまま跨った。

馬の腹を蹴ってすぐに離脱する。

「逃がすかよ!」

エルマーの怒号が飛び、投げつけられたダガーが間一髪、腕を掠めて俺を追い抜いた。

「悪ぃな!また今度遊ぼうぜ!」と捨て台詞を残して馬を飛ばした。

地面を這う氷が馬を追いかけて来たが、すんでのところで逃げ切った。

誘導する仲間と一緒に雑木林に逃げ込んで、追っ手を撒いた。

「水ないか?」と仲間に訊ねる。

差し出された水筒の水をアルフィーにぶっかけた。

「まだ戦えた」とアルフィーは俺を睨んだが、その目には力がなかった。

「今日はもういいだろ?俺もあんたも、また今度の楽しみに取っとこうぜ?」

アルフィーの熱を帯びた身体を馬上で抱き直した。

《氷鬼》と《嘲笑のエルマー》を確認した。

本陣の馬もテントもこんがり焼いたし上々じゃねえか?

残念なのは、《戦利品》も無く、アルフィーへの《贈り物》を用意出来なかった事だ。

「ごめんよぉ、今日はごたついてたから《仮面マスク》が用意できなかったんだ…

俺ちゃんも残念…」

残念そうに肩を落としてみせると、アルフィーはまた俺を睨んで短く「要らん」と拒否した。

遠慮すんなよ、俺はいつもあんたのためにやってんだぜ?

「今度はちゃんと用意するからさ。

若くてキレイであんたに似合う、とびきり上等な《仮面》を用意してやるよ」

そう言ってアルフィーの顔を覗き込んだ。

歪な顔の火傷の痕に触れた。元々は綺麗だったはずなんだ…

元の顔を見てみたいがそれは叶わない。

仕方なく、《仮面》を集めて彼に贈っていた。

いつかきっとアルフィーが気に入る《顔》に出会えるはずだ。

そしたらその仏頂面が、笑ってくれる日も来るだろう?

✩.*˚

「湯を用意しろ!毛布もだ!」

エルマーの肩を借りて戻ってきたワルターの姿に、フリッツが血相を変えて仲間に指示を出した。

「ワルター!大丈夫?!」

初夏だと言うのに、まるで雪山で遭難したような様子だ。

顔色は青白く、唇も紫色になっている。

小刻みに震える体は氷のように冷たくなっていた。

それでいて、《冬の王》の眷属たちが彼の周りを忙しなく行き交う気配がする。

「《祝福》を使ったのか?」とフリッツがエルマーに訊ねた。エルマーが眉を寄せて頷いた。

「《祝福持ち》の敵とかち合った。

《烈火のアルフィー》だとよ。本営を襲った連中だ」

「待てよ、その名前覚えがある。オークランドの《金百舌鳥》の奴か?」とヨナタンが口を挟んだ。

「俺も耳を疑ったが、連れもかなりの手練で、エドガーって呼ばれてた。《烈火のアルフィー》の相棒の《顔剥ぎエドガー》だろ?決まりだ」

「…逃げ切られた…あと少しだったってのに…」と悔しそうにワルターが呟いた。

彼の冷たくなった身体を擦りながら治癒魔法をかけるが、あまり効果はなかった。

「よせ、冷たいだろ?風邪ひくぞ」とワルターは言ったが、放っておけなかった。

「毛布貸して、僕が温めるから」と毛布を受け取ると、上半身の服を脱いで、ワルターと一緒に毛布にくるまった。

ワルターの身体が触れる背中から体温が奪われる。

「悪いな」と謝る彼に、「いいよ」と笑って短く答えた。こんなことでも、彼の役に立てるなら満足だった。

ワルターは戻った時より少しだけ顔色が良くなっていた。

フリッツと話し終えたエルマーが来て「大丈夫か?」とワルターに訊ねた。

「なんて格好だよ」とエルマーが笑う。二人で毛布から顔を出してる姿が面白かったのだろうか?

「まぁ、《祝福》使った割に元気そうで良かった」と言いながら、ヨナタンが温めたワインをワルターに手渡した。

「元気そう?」と僕が首を傾げると、ヨナタンは苦笑いしながら僕にも温めた葡萄酒をくれた。

香辛料の入った葡萄酒を飲むと身体が温まった。

「以前に《英雄》とかち合った時は、《祝福》を使いすぎて心臓が三回止まった。

ヴェルフェル侯配下の治癒魔導師が居合わせなかったら危なかった。

死んでないのが不思議なくらいだ」

「あんな無理二度とゴメンだ」とワルターが苦い表情で呟きながら、葡萄酒をあおった。

ヨナタンが空になった杯に、代わりの葡萄酒を注いだ。

「しかし、《金百舌鳥》を雇う金なんてどこにある?あいつらオークランドでも一級の傭兵団だぞ…

しかも《祝福持ち》の連中だ」

「そんなこと俺が知るかよ」とヨナタンが肩を竦めた。

「そうだ、ヨナタン。

ヘンリックのところで借りた馬を一頭潰しちまった。悪いがウチから一頭回してやってくれ」

「…馬だってタダじゃないんだぞ」

「文句なら敵に言ってくれ」と肩を竦めて答えるワルターに、「俺も投げ出された時は死んだかと思ったわ」と他人事のようにエルマーが笑った。

「エルマー、君も怪我したのかい?」

「大したことねぇよ」と彼は僕の頭を撫でて笑って見せた。

「落馬と言っても打ち身と擦り傷程度さ。

この服は割と丈夫なんだ。そう簡単には刃物も通さねぇよ」

エルマーは自分の袖を摘んで僕に見せてくれた。

皮と布を重ねた構造の服の下には、螺旋状の鎖のような金具が入っていた。

彼は自慢げに「特注品だ」と笑った。

「ワルター、湯の用意が出来たぞ」とフリッツが彼を呼びに来た。

「ありがとよ、スー。おかげで少し楽になった」

礼を言って僕の頭を撫でると、ワルターは毛布を羽織ったままテントの外に出て行った。

ワルターの背を見送った僕に、「お前も服着ないと風邪引くぜ」とエルマーが声を掛けた。

彼は冷えた僕の身体を抱き寄せて、「冷たいな」と笑った。彼の手は暖かくて、冷めた身体には熱いくらいだ。

身震いした僕を見て、ヨナタンが「まだ要るか?」と火にかけていた鍋を差し出す。

彼の親切を受け取って、温かい飲み物を口に運んだ。

✩.*˚

戦場に風呂なんか持ち込めないので、空になった大きめの樽に湯を張って風呂の代わりにした。

湯に身体を浸すと、芯まで凍えた身体に熱い湯が沁みた。

簡易的な目隠しの遮蔽物の中には、護衛代わりのフリッツしかいない。こいつ相手なら気兼ねなく弱音も吐けた。

「あー…生き返る…」

「また無理したな」とフリッツが笑った。

「《烈火》は強かったのか?」

「強いも何も…俺も結構本気で《祝福》使ったが、あの男まで氷が届かなかった。

炎とぶつかって全部蒸発させられたよ」

並の魔法使いの炎なら相手にすらならんはずだ。

つまり、あいつの炎は並じゃなかったということだ…

「身体の芯まで凍えるくらいの、強烈な冷気を浴びせたのに、髪の毛一本凍らせられなかった…

《烈火》の二つ名は伊達じゃねえよ」

「そうか…お前とそいつ、どっちが強い?」とフリッツは難しい質問をした。

「分からん。相性の問題もある」

フリッツはため息を吐きながら「だよな」と頷いた。

「勝ったとしても、今度こそ生きて戻れんかもしれん」と弱音を吐いた。

《烈火》は襲撃で《祝福》を使用していたはずだ。それなりに消耗してる様子だった。

それでも、俺の《祝福》と互角に渡り合うほどの火力を見せた。

本調子ならもっと強いはずだ。

氷と炎じゃ相性が悪すぎる。それに俺の《祝福》はペナルティがえげつない…

《烈火》の《祝福》がどんなものかは、まだ表面しか知らないが、出来れば戦いたくない相手だ…

「お前は俺より先に死なせねぇよ」とフリッツは頼もしく言い放った。

「先にエマと再会するのは俺だ。

この順番だけは譲らん」とフリッツは俺に格好をつけた。

「勝手に抜かすなよ?」と真剣な顔で俺に念を押す。

嫌な約束だ。

肯定も否定も出来ずに、俺はフリッツに背を向けた。

失うばかりの人生で、大切なものは何もかも指の隙間から零れ落ちた。

昔馴染みで、親友で、恋人の兄貴で、俺の一番信頼できる部下だ。失うのは辛すぎる…

「馬鹿言え、お前まで失うのは御免だ」

そう言って、熱くなる目元を隠すように、湯を掬って顔を洗った。

こんな俺でも、命にかえて守りたいものがあった…
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ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

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