燕の軌跡

猫絵師

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ワルター

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「入隊希望?」

「そうだ、手続きして欲しい」

幼さを残した、少年と青年の間の顔が、大真面目に頷いた。

確かに、傭兵団 《雷神の拳》は万年人材不足だ。

そうでなきゃ、俺が隊長なんかやらねぇよ。

今も団員募集の看板を用意していたところだ。

毎回戦場に出れば、入団者と同じくらいの隊員が消える。

相手がこんなガキじゃなきゃ二つ返事で応じたろうが、好奇心や憧れなんかで入隊を許可すれば足を引っ張られるのは目に見えている。

紫の瞳と黒髪の線の細い青年は、見ようによっては女性のようにも見える程幼く、綺麗な顔をしていた。

周りの荒くれ者の傭兵達の中に立てば、その異質さに皆振り返る。

若いと言うより幼い彼の身を案じて、入隊を断って追い出そうとした。

「やめとけよ。

あんたみたいな奴の来る所じゃねぇよ」

「出自などは問わないとあるじゃないか?

僕でも雇ってもらえるはずだ」

「お前な…

悪いことは言わんから、さっさとおうち帰んな。

お前みたいな華奢で綺麗な奴、泣かされて帰るのがオチだぜ?

ほら、ケツ掘られる前に帰んな」

親切心で言ってやったつもりだ。

諦めて帰んな。

青年は眉を寄せて「…どういう意味?」と訊ねた。

ほらな、やっぱり世間もなんにも知らないボンボンだ…

傭兵なんて器じゃない。

「あー…つまりだな…」と教えてやる。

俺何でこんな話してんの?

俺の話を聞いて、青年は居心地悪そうに周りを見回した。

自分に向けられている好奇の視線にやっと気づいたらしい。

顔を赤くして俯いたガキを見て、煙草を出して火を点けた。

「ほら、さっさと帰んな」

「…帰る場所はない」と彼はさっきまでの威勢は無くして、困ったように呟いた。

「んなわけねぇだろ?家出か?」

俺の言葉に目の前の青年は小さく頷いた。

いつの時代もこういう奴は居る。

「相手は親父かお袋か知らんが、大人しく謝って帰んな。

心配してるはずだぜ」

あまり見ない格好だが、外套の下は小綺麗な服装で、割と不自由したことのなさそうななりをしている。

手を見たが綺麗なもんだ。

大事にされてたはずだ。

しばらく黙っていたが、こいつは諦める気がなかったらしい。

「魔法と精霊なら使える」と勝手に自己アピールを始めた。

「…はぁ」帰れよ…

「弓も使える。ダメかな?」

「…他は?」と質問してやると少し表情が明るくなった。

「熊や狼なら倒したことがある」

細いくせにホントかよ?そんな猟師みたいな生活してるようには見えないが…

「分かったよ、とりあえず着いてきな」

「ありがとう!」

「待てよ、まだ入れてやるって言ってないからな!

使えなさそうだったら容赦なく放り出すぞ!」

「分かった」

「俺はワルターってんだ。

この傭兵団で一応部隊長やってる」

「僕はスペース。

スーって呼ばれてる」懐っこく自己紹介をする青年は幼い顔で笑った。

「ちょっとしたテストだ、合格したら名前で呼んでやるよ」

そう言ってニヤッと笑ってみせる。

「不合格なら大人しく帰れよ?

親父かお袋と仲直りしな」

「僕は帰らないよ」と何やら自信ありげだ。

やれやれ、面倒くさい奴に懐かれたもんだ…

「俺達の傭兵団は《雷神の拳》ってんだ。

創設者は《雷光のカール》って《英雄》だ。

今仕切ってる三代目のお眼鏡に叶えば合格だ」

そう話をしながら、スーを拠点の中庭に案内しようとしていた俺の頭上に、雷みたいな怒声が降ってきた。

「おい!ワルター!何サボってやがる!」

あまりの大きな怒声に、スーが驚いて肩を震わせた。

まぁビビるわな、俺もビビったわ…

「サボってねぇよ!」と呼び止めた男に怒鳴り返した。

「何だ!女連れて遊んでるのかと思ったぜ!」

二階上の手摺から身を乗り出して、《英雄》の孫が笑った。

全く元気な爺だ…

彼は上にも横にもデカい体で、階段をゆっくり降りてくると、スーを見て「何だ、男か?」と残念そうな顔をした。

「傭兵団長のグスタフ・フォン・ビッテンフェルトだ。

一応俺の親父だ」とスーに教えた。

「入団したいんだと」と俺が伝えると、親父は露骨に嫌な顔をした。

「ガキじゃねぇか?

まだ15、6ってとこだろ?やめとけ」と取り付く島もない。

あーあ…やっぱりなー、と思ってると、スーが首を傾げてとんでもない言葉を発した。

「僕は63歳だ」

「…は?」今なんつった?

「僕は君たちが思ってるより長生きだ」

「…お前…人間じゃないな?」と親父が訊ねると、スーは頷いて髪を掻き上げて耳を見せた。

人間とは違う、少し形状の異なる耳が晒される。

「母はフィーア人だった」と彼は言った。

「マジか?驚いたな…どっから来た?」

「アーケイイックフォレストの北のアールーキナーティオの森から」と彼は澱みなく答えた。

嘘や冗談を言っているような感じではない。

「その話、他にするなよ」と親父が念を押した。

「お前は珍しい存在だ、騒ぎになる前に帰った方が身のためだぞ」と警告まで与えていた。

それでもスーは「帰らない」と答えた。

「ずっとこんな調子でよ、あんたより頑固そうだ」

そう苦笑いしながら親父に言うと、親父も困ったように眉を寄せた。

「使えんのか?」と単刀直入に親父が訊ねた。

「一応魔法が使えるってのと弓が引けると言う話だ」

「ふむ」と親父も腕を組んで思案するような顔をした。

即戦力なら欲しい気持ちは同じだ。

しかし、この青年の出自を聞いたら不問というわけにもいかない。

黙って親父の判断を待った。

結局ここを取り仕切ってるのは親父だ、俺は従うだけだ。

「あなたが此処で一番偉い人なら、僕をテストしてよ。

役に立つから…お願いだ」

「…仕方ないな…」と親父は不承不承といった体で頷いた。彼自身、この不思議な青年に興味を引かれたのだろう。

「使えなかったら帰れよ」と俺と同じ事を言っていた。

「お前、剣は握れるのか?」と訊ねると彼は「一応」と答えた。

「握ったことはあるけど、実際他の人と戦ったことがないからよく分からない。

弓の腕は自信あるよ」

「なら弓の腕の方を見せてもらうか…」

そう言って中庭に彼を案内した。

三方を回廊に囲まれた、馬を放せる位の広さの中庭だ。

此処で訓練や入団テストをしていた。

「あそこに弓の的があるだろ?」と回廊のない壁を指さした。

「大きい的だね」と彼は等身大の人形を見て笑った。

「どこに当てたらいいのさ?」と紫の瞳は自信満々だ。

「胸か頭だな」と場所を指定した。

「自分の弓でいい?」

気の早いもんで、彼はもう弓に矢を番えた。

ここいらでは見ない物だ。

白い動物の皮を巻いた弓は飾り気はないが、目をひいた。

「もっと近くでもいいんだぜ」と言ってやったが、彼は首を横に振った。

距離としては50メートル強だ。余程自信があるのだろう。

替えの矢を素早く番えるように、矢筒は背ではなく腰の辺りに下げている。

慣れてるな…

立て続きに三本矢を放った。

矢は吸い込まれるように、頭、喉元、胸に縦一列に並んだ。

「上手いもんだな」と親父が褒めた。

「魔法も乗せられるよ。

見てて!」とスーは嬉しそうにまた矢を番えた。

「《火の手》」

短い詠唱に反応し、引き絞った弦に乗った矢が炎に包まれた。

唖然とする俺たちを後目に、彼は魔法を乗せた火矢を放った。

矢は迷わず真っ直ぐに飛んで人形の頭を焼いた。

「どうだい?!」と奴はドヤ顔だが、周りはそれどころじゃない。

「ばっ、馬鹿野郎!矢場が燃えちまうだろうが!」

スーを怒鳴りつけて矢場に向かって走った。

ここは街中の拠点だ。

火事を出せば憲兵から罰金と懲罰が課せられる。

火事は失火だろうが重罪だ。

「ご、ごめん、すぐに還すよ」

慌てて火事を消そうとする俺の隣から、駆け寄ってきたスーの白い手が伸びた。

彼は水にでも浸すように、手を炎の中に入れた。

火傷すると思ったが、彼は平気な顔で炎の中の何かを掴んで手を引き抜いた。

スーは火の中から黒く炎を纏った蜥蜴を捕まえて、「《帰ってバック》」と呟いて精霊を異界に還した。

気がつくと炎は消えて、矢場には焦げ後だけが残っていた。

「こいつは凄いな」と親父も驚きながら顎髭を撫でた。

弓の腕前の話ではない。

親父は精霊使いとしての資質を褒めたのだ。

人間の域は完全に超えている。

通常、精霊を操るにも媒介は必要なはずだ。

魔法使いの杖であったり、魔法石が必要となる工程を端折ってスーは精霊を使役したように見えた。

「こいつは…」なかなかの拾いもんだ。

少なくとも此処で追い返して、他に取られてしまったら大損だ。

親父に目配せすると、親父も同じ事を考えていたらしく、俺に頷いて見せた。

俺に任せるということだ。

「スー」と彼を呼び寄せると、不採用を告げられると思ったのか、彼は意気消沈した様子で「ごめん」と俺に謝った。

「採用だ、俺が引き取ってやるよ」

「いいの?!」俺なんかよりずっと年上のガキは目を輝かせた。

「あぁ、魔法使いは欲しいからな」

そう伝えて彼の頭に手を置いた。

「治癒魔法は使えるのか?」

「苦手だけど、少しなら…」

「勉強しな。

剣も使えるようになれ、必要だ」そう言ってスーに手のひらを差し出すと、彼は不思議そうな顔をした。

「握手だよ、知らねぇのか?」

「握手?」手と俺を交互に見て、どうしたらいいのか分からないと言った体で、困ったように瞬きを繰り返している。

「出された手を握るんだよ。

友好の証だ、お前を認めてやったって事さ。

他にも仲直りとか挨拶とか色んな意味があるから、慣れる事だな」

「うん…へぇ、そうか…」

照れくさそうに笑って、彼は俺の手を取った。

女みたいな幼い顔の青年は、キラキラ光る紫の目を嬉しそうに細めた。

「よろしく、ワルター」と懐っこい表情でスーは俺の手を取った。

✩.*˚

初めて家族以外の人間と話をした。

母から教えられていたライン語と公用語は、一応ものになっていたらしい。

下手くそかもしれないが、ワルターと言う男は僕の話をよく聞いてくれた。

「泊まるところもないんだろ?」と世話を焼いてくれた。

彼の寝泊まりしてる部屋は拠点のすぐ側にあった。

狭くて散らかっていたが、路上で寝るのよりは絶対マシだ。

薄い壁でも寒さを凌げるのなら文句はない。

「此処で顔が知れるまではしばらく俺から離れるなよ?

親父は認めてくれたが、お前はまだ名前も顔も知れてない新人だ。

それに、お前は女みたいな顔してるから、変なところに連れ込まれてイタズラされるかもしれないしな」

僕の身を案じてくれているようだが、意味はよく分からなかった。

とりあえず、彼の親切に甘えた。

「金は持ってるか?

ってかそもそも金が分からんか…」

「物を交換する?」

「まぁ、そんなもんだな。

ちょこちょこ知識はあるんだな」と彼は灰色の目で僕をチラリと見た。

母がら聞いたと伝えると納得していた。

「前金は貰えるだろうが、足らなかったらしばらく貸してやるよ。

要るもんがあったら言いな」

「ありがとう」

彼の親切に礼を言うと、ワルターは困ったように頭を掻いてため息を吐いた。

「お前本当に危っかしいな…

いいか?知らない奴から金借りるなよ?

親切な奴ばっかりじゃねぇんだ。

お前のために言ってるんだからな?

ここにいるのは普通じゃ生きていけない、訳アリのゴロツキばっかだ。

気を抜くとすぐに食いもんにされるぞ」

「分かったよ」

「ホントかよ…まぁ、いいけど…

俺はお前を雇ってるから世話焼いてやってるが、役に立たなかったらすぐに見捨てるぞ」

「じゃあ君の役に立つよ」

「はいはい、そうして貰えると俺は助かるね」と彼は大して期待していない様子だ。

彼は僕に契約内容を分かりやすく教えてくれた。

知らずに門を叩いたが、ここの傭兵団は貴族からの要請に応じて部隊を送るそうだ。

とりあえず新人は一年の契約らしい。

前金で契約金の半分を受け取って、自分で装備を整え、残りは契約終了時に渡されると聞いた。

それ以外の支給は手柄しだいだという。

死んだらそれまで、怪我しても見舞金を僅かに渡されて厄介払いされる。

それでも他の傭兵団よりは割と良心的らしい。

ビッテンフェルト家は下級騎士という階級らしいが、この街の名士で、貴族からの信頼も厚い。

「いきなり激戦区に放り込まれても文句言うなよ」と彼は笑いながら僕を脅かした。

「仲間に紹介してやるよ」と彼は僕を自分の宿舎の外に連れ出した。

「腹減ったろ?うちのヤツらの行きつけの店に連れてってやるよ」

「うん」

この街には着いたばかりで何も知らない。

ただ、僅かな知識と運だけで此処にたどり着いた。

ワルターは外套のフードを被ってるようにと僕に指示した。

僕の姿は人間の国だと目立つらしい。

彼の指示に素直に従った。

黄昏に染まる広い通りは、人がごった返していてワルターの背中を見失いそうになる。

人混みに慣れてないから、人とぶつかるのが怖かった。

「着いてきてるか?」と背の高い彼が時々振り返って確認する。

ワルターは周りより少し背が高い。

彼の金髪は赤みがかっていて人混みで目立った。

「随分もみくちゃにされたな」と宿舎を出た時よりくたびれた様子の僕を見て苦笑いした。

また口に煙を含ませている。

人間がああしてるのを何人も見た。

「何だ?」と彼が僕に訊ねたので、疑問を口にした。

「何で人間は煙を吸ってるんだい?」

「煙?煙草のことか?

何でってな…嗜好品だよ。

フィーア人の男の嗜みだ」と彼はよく分からないことを言った。

「まぁ、お前もそのうち分かるだろうさ」と言って、彼は指先で煙草を摘んで煙を吐いた。

独特な匂いが鼻につく。煙たくて咳き込んだ。

咳き込む僕を意地悪く笑って、彼は煙の先を指さした。

「んな事より、あれがお目当ての《金の鴉亭》だ」

看板には料理の皿とグラスの絵が描かれていて、目を引く高い位置に金色の嘴の太い鴉の絵が掲げられていた。

ヴォルガ神の良い知らせを届けるお役目の鳥だ。

ワルターは開け放たれたドアを慣れたようにくぐった。

見失わないように、慌てて彼の背を追って中に入った。

中に入って驚く。

色んなものの入り交じった匂いが嗅覚を刺激した。

騒がしい笑い声や怒鳴り声に囲まれて固まった。

「何だ?ビビったのか?」

ワルターは苦笑いして僕の腕を掴むと、奥のテーブルに僕を案内した。

五人の男達がテーブルを囲んで談笑していた。

「よお、いい感じに揃ってんな」と彼は知り合いの並ぶテーブルに、その辺にあった椅子を持ち込んだ。

「お前の分の椅子ならあるじゃねぇか?」と一人がワルターに訊ねた。

「連れの分がない」と彼は答えて、僕を手招きした。

「何だ、そのヒョロいのは?」と赤毛の大男が訊ねた。

灰色の瞳に睨まれて怯む。

歓迎はされてないのだろう。

ワルターはヘラヘラ笑いながら「まぁ座れ」と僕を椅子に呼び寄せた。

「スー、こいつらお前の先輩だ、挨拶しな」

ワルターに促されて名乗ろうとすると、壁側に座っていた赤毛の男がいきなりワルターの襟首を掴んだ。

「ワルター!お前ふざけんなよ!ガキじゃねえか!」

あまりの怒号に周りのテーブルからも、何事かと視線を集めた。

「ガキは入れねぇって言ってただろうが!」と彼はワルターの襟首を掴んで釣り上げた。

ワルターだってしっかりとした体つきの大男だが、相手はさらに大きかった。

今にも殴られるのではと心配したが、当の本人は慣れた様子だ。

「落ち着けよ、フリッツ」

「フリッツだって怒るさ、俺も反対する」

大男の隣の席に座った男がそう言って、背もたれに体を預けた。

灰色の髪をひとつに結んだ男は他の同席者に「そうだろ?」と声をかけた。

「ワルター、あんたらしくないんじゃねぇの?

何でガキなんか連れてきた?」

「出来の悪いジョークだ。

ソーリュー、お前もなんか言えよ」

「…好きにしろ」

「おいおい、お前ら話は最後まで聞けよ!せっかちだな!」

ワルターは何事も無かったように、フリッツの手を振り払って椅子に座り直した。

「他の仕事を紹介してやれ」と苛立たしげに言ったフリッツも、腕を組んで乱暴に椅子に座り直した。

「おチビちゃん、俺たちがどういう仕事してるのか知らないのかい?」と金髪から覗くタレ目の男が僕に訊ねた。

テーブルに肘をついて、背中は猫のように曲がっている。

「手遅れになる前にさぁ、止めといた方がいいと思うぜ、俺は」と、手に持ったフォークをクルクルと回しながら、軽い感じで言った。

彼も僕に「他にも仕事なんてあるだろ?」と勧めた。

「やれやれ」とワルターはため息を吐いく。

「俺だって最初は反対したさ。

でもこいつも頑固でさ、なかなか引き下がらないんだよ。

仕方ねぇから、親父とテストしてやったらコレが即戦力でさ、他所に行く前に俺が引き取ったんだ」

ワルターの言葉に男達の顔がまた険しくなる。

「お前も、親父さんも何考えてんだ?」

「弓と魔法が使えるから役には立つはずだ。

俺も親父もそれは保証する。

それに、こんな可愛い見た目で、ほっぽり出してトラブルに巻き込まれたら目覚めが悪いだろ?」

「にしてもさぁ…なぁ?」とタレ目の男は向かいに座った灰色の髪の男に話しかけた。

彼は機嫌悪そうに眉を顰めてワルターを睨んでいる。

「お前ら、ガキガキ言ってるけどな、こいつは俺たちより歳だけは上なんだぜ」

ワルターはそう言って、席を立つと僕の外套のフードを取って彼らに見せた。

「こいつらにだけ、耳見せてやんな」

ワルターに言われるがまま、耳にかかった髪を掻き上げて見せた。

耳を見て、彼らは息を飲んで口を噤んだ。

「お前幾つだっけ?」とワルターが僕に訊ねた。

「63歳」と答えると彼らは驚いたように目を見開いた。

一人だけ何故かふふっと笑ったが、ほかの四人はほぼ同じ反応だった。

「…ろくじゅ…」

「嘘だろ?」

「半分人間なんだと」とワルターが言った。

「な?だからちゃんと話聞けよ。

ウチの期待の新人だ」

「…でもガキだ」とフリッツは不満げだ。

そんな頑固な彼にワルターは笑った。

「ガキだと思うなら面倒見てやれよ、先輩。

頑張って田舎から出てきたんだ」

「何処から来た?」と隣になった猫背の男が訊ねた。

「アーケイイックの北から」と答えると彼は「へぇ」と言って手のひらを差し出した。

「さっきスーって言ってたっけ?

俺はエルマー・クラインだ、エルマーでいい」

恐る恐る差し出された手を取って握手した。

僕の様子を見て、「噛み付きゃしねぇよ」と笑った。

「向かいの赤毛の鬼みたいなのがフリッツ・ウェーバー。

その隣の目つきの悪い陰気な髪の色した奴がヨナタン・トゥーマン。

その隣の影薄いのがソーリュー・ハフリ。

俺の向こうに座ってんのがオーラフ・マイヤーだ」

彼はワルターの代わりに仲間を紹介してくれた。

「僕はスペース」と名乗ると彼は「よろしくな」と頭を乱暴に撫でた。

彼はワルターに向かってニヤニヤ笑いながら、「お前もこっちの趣味があるのかと心配したぜ」とからかった。

「馬鹿言え、男でしかもガキだ」とワルターが苦笑いして答える。

彼は慣れた様子で料理を注文して、僕の前に並べると「入団祝いだ」とご馳走してくれた。

暖かい、ちゃんとした料理は久しぶりだった。

しばらくの間、携帯用の干し肉や、干した果物くらいしか口にしていなかったから、塩気が効いた湯気の立つ料理がご馳走に感じられた。

「誰も取りゃしねえよ、ゆっくり食いな」とワルターは楽しそうに笑っていた。

また子供扱いされた気がしたが、悪い気はしなかった。

「ワルター、ギュンターには気を付けろよ」とヨナタンがワルターに警告した。

知らない名前に首を傾げると、ワルターは眉を寄せて、「…分かってるよ」と応えた。

「あいつまたウチから引き抜いた奴を使い捨てやがった」とフリッツも苛立たしげに呟いた。

「エメリヒ達みたいに渡すなよ?」

「分かってる。

今はそんな話無しにしようぜ、スーの歓迎会だ」

「大事な事だろ?」とオーラフも口を挟んだ。

「スー、お前可愛い顔してんだ。

誰にでもホイホイ着いて行くなよ?」

「小さい子供じゃないんだ、そんな事しないよ」と僕が答えるとエルマーは「どうだかな」とため息を吐いた。

ここにいる面々は割と世話焼きだ。

一人殆ど発言しないソーリューという男は、一足先に食事を終えて一人だけ仮面を着けていた。

顔の下半分を覆う鬼のような仮面は、見たことの無い意匠だ。

僕の視線に気付いて、彼はチラリと僕を見たが、何も言わずにまた視線を外した。

「ソーリューはお前と同じで異国からの流れ者だ。

武者修行とかで海の向こうのジュホンって国から来たらしい。

ちと変わってるが、腕は立つし、悪い奴じゃないから仲良くしてやってくれ」

「ワルターがそう言うならいい人だ」

「俺を基準にするなよ」

「いや、割とこいつは人を見る目があるかもな」とフリッツが笑った。

怒ってない彼は陽気で人が良さそうだった。

「どこで知り合ったんだ?」とエルマーがワルターに訊ねた。

「拠点の正門で看板の用意してたら、こいつの方から声をかけてきたんだ。

文字も一応読めるみたいだな」

「へぇ、字が読めるの?すごいねぇ」

相変わらず緩い口調でエルマーが感心した。

「母さんが教えてくれた」

「育ちのいい親だな、俺は単語ぐらいしか読めねぇよ。

他の奴らも読み書きはそんなに得意じゃねぇんだ。

いつもワルターとヨナタンの世話になってる」

「ヨナタンは愛想は無いが頭は良いからな」とワルターが相槌を打った。

当の本人は不服そうな顔でワルターを睨んでいる。

「まぁ、ここにいるのは何かしら問題児だ。

仲良くしようぜ」とエルマーは僕の背を叩いた。

「まぁ、入っちまったもんはしゃーないから、一年は死なないように見張ってやるよ。

一年もしたら音を上げて他に行きたくなるだろうさ」

「一年ならまぁ…」とフリッツ達は渋々妥協してくれた。

エルマーはヘラヘラ笑いながら「良かったな」とまた僕の背を叩いた。

「俺も田舎の出だからさ、ここに来たばかりは苦労したんだぜ。

なんかあったら相談しろよ?」

「ありがとう」と礼を言うと彼は照れたように笑った。

「可愛いな、お前。俺の弟みたいだ」

「弟?」僕が問い返すと彼は「あぁ」と頷いた。

「もう居ねぇよ、家族は流行病でみんな死んだ。

だから俺だけこの街に出てきたんだ」

彼の身の上も複雑らしい。

僕に優しくしてくれる悲しい理由を知った。

会話を打ち切るように、ガタンと椅子を動かす音がして、ソーリューが席を立った。

「…エルマー、話はそのくらいにしておけ…」

「どうした?」

「子供を隠せ、お前の愚弟殿だ。

今そこの窓の外を通った」

ソーリューの言葉にワルターの顔色が変わる。

「スー、机の下に隠れてろ。

いいって言うまで黙って隠れてろよ、いいな?」

「何で…」

「言う通りにした方がいい」と言ってエルマーが僕の頭を抑えて机の下に押し込んだ。

ソーリューが、さっきまで僕が座ってた席に腰を下ろした。

彼の黒い外套が視界を奪った。

訳もわからずにいる僕の耳に聞こえてきたのは、あの団長みたいな大きな声だった。

「ワルター!居るんだろ!」

賑やかだった店内が水を打ったように静まり返った。

声を出しそうになって、慌てて口を両手で抑えた。

静かになった店の中に重い靴の音が複数響いた。

靴音はすぐ近くで止まった。

「父上から聞いたぞ、矢場を燃やしたって魔法使いは何処だ?」

「何の話だ?」とワルターがとぼけて見せる。

彼の足が向く方向を変えた。

その先には数人の男の足が見えていた。

前の男の足が動くとワルターの身体が椅子から引きずり上げられた。

「妾腹の生まれのくせに、偉そうにするなよ!

お前が連れていったのは知ってるんだ!

さっさと出せ!」

「坊ちゃん、何怒ってんだ?」とエルマーが鼻で笑った。

「さあな…」とヨナタンの声がした。

机の下で、彼の手が僕の襟首を捕まえて、こっそり机の端の方に寄せた。

誰かが机を叩いた。頭の上で、皿やグラスが騒がしく跳ねる。

「次期団長の俺に隠し事か?

身の程わきまえろよ!」

「なんの事かさっぱりわからんね、兄貴を人攫いみたいに言うなよ、人聞き悪ぃなぁ」

飄々とした様子のワルターに食ってかかる相手は、どうやら彼の弟らしい。

「卑しい母親から産まれたお前を、わざわざ取り立ててやったビッテンフェルト家への背信行為だ!」

「おいおい、待てよ。

確かにあんたはビッテンフェルトだが、当主でもなけりゃ俺の雇い主でも無いはずだ。

ちと勘違いしてないか、ギュンター?」

「確かにな、気の早いこった」とフリッツ達も同意した。

「俺の隊に誰入れようが、お前にはなんの影響も無いはずだ。

矢場の件も親父から聞いたんなら、親父の知るところだ。何も問題ねぇよ。

卑しい生まれの男から部下をかすめ取るなんて卑しい真似するなよ、兄弟?」

「貴様!」怒声と物がぶつかる音がしてワルターの身体が床に倒れ込んだ。

「へぇ、流石カールの曾孫だ。

痺れる拳だねぇ…」

「俺をバカにしやがって!

ぶっ殺してやる!」

弟は、床に倒れたままの兄に向かって、近くにあった椅子を振りかざした。

動いた僕の襟首を掴んでヨナタンが「待て!」と怒鳴った。

「そいつは流石に聞き捨てならんな、坊ちゃん」とフリッツが巨体を揺らして椅子から立ち上がる。

「そいつは俺らの金づるなんでね、黙って殺させる訳にはいかんよ」

「だな」エルマーの言葉にオーラフが同意し、ソーリューも席を立った。

「この狂犬共がッ!」とギュンターは怒ってる様子だが、彼の部下たちも分が悪いと見て主人を宥めようとしていた。

「立てるか、ワルター?」とエルマーの手が彼に伸びた。

「平気だ」と笑って、彼は一瞬だけ机の下の僕に視線を向けた。無事だと笑ってみせる。

「お前たち!そいつに着いて行くと後悔するぞ!

時期団長は俺なんだからな!」

「俺達は卑しいもんでね、しっぽ振る相手と牙を剥く相手を選ぶんだ」

「餌貰う相手もな」

「こいつは未払いないんでな、信用だけはある」

「俺は金払い以外にいいとこ無しかい?」とワルターが笑った。

「傭兵は捨て駒かもしれんが、それなら生き残れる方に付くだけだ。

命張るほどの忠誠心とやらもないしな。

結局信用出来んのは金だ、金」

「ヨナタンの言う通り、傭兵なんてそんなもんよ。

傭兵風情に何を期待してんのかね、このお坊ちゃまは?」

机の下でヨナタンの手が僕の襟首から離れた。彼は腕を組んで相手を睨みつけた。

「ウチから引き抜くのは抜かれた奴の問題だ。

口出しする気は無いが、あんたのやり方は目に余る。

自分の手勢なら自分の足で探すんだな、兄貴に頼るな!」

図星だったのか、ギュンターが言葉を無くした。

彼はまた「妾腹が」と兄を罵った。

ワルターに向かって唾を吐くと、踵を返し、取り巻きを連れて店を出て行った。

「従騎士のくせに行儀の悪い弟だ」とヨナタンが苛立たしげに呟いた。

「仕方ねえよ」と笑うとワルターの顔が机の下を覗き込んだ。

「ビックリしたろ?もう大丈夫だ」

「ワルター…顔…」左頬を殴られて血が出てた。

「こんなの慣れてる。

男前上がったろ?」と言って彼は鼻血を拭った。

「ああやって俺に嫌がらせに来るんだ。

あいつも暇だよな」

「動かないで、《復元レスティトゥエレ》」

父さんから教えられた回復魔法を彼にかけた。

僕のは不完全だ。父さんみたいに完璧な魔法じゃない。

それでも彼らは喜んでくれた。

「止血と応急手当にしかならないけど…」

「十分だ、ありがとな」

「魔法を使うのに杖は使わないんだな」とヨナタンが言ったので、「これがあるから」と腕輪を見せた。

魔法を媒介する、七つの魔法石が嵌められている。

それぞれの石が魔力を感知してエレメントに働きかける。

石の組み合わせで魔法の属性も変わる。

腕輪を見たヨナタンは、僕に厳しい口調で「それは人に見せたらダメだ」と叱った。

「でも…」

「スー、お前は良い子すぎる。

人を疑え、用心しろ。そうでなきゃ後でとんでもない目にあう」

「まぁ、そんなに怖い顔で言わなくてもイイだろ?

スー、お前凄い奴だな」

ヨナタンに注意された僕をエルマーが庇った。

座ってた時は気づかなかったが、彼は手足が普通の人より長かった。まるで夕日に映った長い影のようだ。

「ワルターを治してくれてありがとな。

腕輪はしまっておきな、悪い奴に見られると良い事無いからさ」と彼は僕の肩を叩きながら優しく言った。

「あの仏頂面は言い方はキツイけど、お前を心配してるのさ」

僕が頷くと彼は僕の頭を撫でて、ワルターに向き直った。

「ギュンターに渡したら、今度は俺があんたを殴るからな」

「やらねえよ。

スーだってあいつがどういう奴か分かったろ?

欲しいものは何でも手に入れようとするし、自分より弱い者は蔑むクズだ」

ワルターはそう言って僕に手を差し出した。

「心配すんな、俺の目の届く限りあいつにお前を渡したりしねぇよ。

俺がいなかったらこいつらを頼れよ?

割といい奴らだ」

彼らもワルターの言葉に頷いてくれた。

「うん」心強い彼らに頷いて、ワルターの大きな手を取った。

僕は彼の部隊に入った。

✩.*˚

『妾腹』

『卑しい子』

『どの面下げて生きてやがる』

『なぜ生まれてきた』

『産まなきゃ良かった』

過去から声がした。

耳を塞いでも、逃げようとも声は追ってくる。

夢だと知ってても、過去に受けた心の傷を抉るには十分な悪夢だ。

罵る声が俺が生きてる証拠だった。

呪う声は今でも聞こえる。

俺を呪う声は、俺を捻れた歪な形に育てるのに十分だった。

実の父さえ俺の出自を呪った。

まぁ、邪魔だったんだろうな…望まれて生まれた訳じゃない、当然だ…

ただ、愛されたいとは思ってた…

親父がどういう人間か知っていた。

無能は嫌いだ、口だけの奴も嫌いだ。

力だけが全てだ、ただそれだけだ。

俺に出来ることは、親父が無視できない男になるだけだった。

辛酸も舐めた、苦痛も味わった、屈辱も甘んじた。

いつしか親父は俺を『息子』と自慢した。

俺の復讐はそこで完成したはずだった…


部屋に差し込んだ朝日に救われて、悪夢から逃げ帰った。

汚いシミのある天井でも、何故か見ると少しだけ落ち着いた。

悪夢のせいで、早鐘を打つ心臓を宥めようと、深呼吸してふと気が付く。

寝違えたのか?左腕が重い…

腕を見ようとして視線を動かして驚いた。

目の前に、黒いサラサラした長い髪と、長いまつ毛に縁取られた瞼がある。

密着して眠る顔は俺の腕を枕にしていた。

昨日酔っ払って女でも連れ込んだのかと思った。

驚いて毛布をはね上げると、隣で寝てた奴は寒そうに震えて目を開けた。

長いまつ毛の下から、眠そうな菫色の瞳が覗く。

「…おはよう」と女みたいな顔が俺を見上げた。

「あ、あぁ…悪い、起こしたな」

昨日増えた居候の存在を忘れていた。

「…もう朝?」とスーは目を擦りながら訊ね、伸びをして眠気を追い払った。

顔にかかる黒い髪を手櫛で整えてる姿はまるで女だ。

危ねぇ…騙されるところだった…

寝床がひとつしかないから、引っ付いて寝たのを忘れてた…

机に投げ出した煙草を咥える。とにかく落ち着きたかった。

「井戸って何処かな?」とスーが訊ねた。

「外だ」と答えると、彼は行っていいか訊ねた。

「俺も行く」と言ってスーを待たせると、乾いた布と空の水瓶を手にした。

用意をしている間、スーはずっと子供みたいな視線で俺を追いかけていた。

「何だよ?」

「昨日の傷、大丈夫?」

「何だ、そんなことか?平気だよ、平気」と軽く返した。

「こんなのかすり傷にもなりゃしねぇよ」

ギュンターの暴力には慣れてる。

子供の頃から何も変わらない。

自分より弱い者には何をしても良いと思ってる嫌な奴だ。

親父に似て、異母弟は体躯に恵まれていた。

俺には無いものだ。

その代わり、俺には別のものを授かっていた。

どんなに願っても、金を積もうとも手に入ることの無い生まれ持った特別な能力。

神様という奴は、《祝福》を与える相手を俺に選んだ。

ギュンターが俺を憎む一番の理由はそれだ…

スーに害がなければ良いが、それだけは親父に約束させなければならない。

こいつを預かっている以上、こいつの安全を保証してやるのが俺の役目だ。

朝の井戸は混雑する。

だいたい毎朝見る、見知った顔が並んでいる。

同じ宿舎に入ってるエルマーとソーリューの姿を見つけて、スーが声を上げた。

「よぉ、寝れたか?」エルマーはスーを見つけると、わざわざ並んでた列を離れた。

後ろに並び直すと、ヘラヘラ笑いながらスーの頭を乱暴に撫でた。

エルマーは随分とスーを気に入ったらしい。

「飯食ったか?」とスーに訊ねた。

「まだだよ」

「なら一緒に行こうぜ、ソーリューも来るだろうさ」

「ありがとう」

「ソーリューの仏頂面と違って癒されるわー」とエルマーは馴れ馴れしくスーの肩を抱いた。

チラチラと周りの視線がスーに注がれるが、エルマーと俺が居るので、わざわざちょっかいを出しに来るやつは居なかった。

エルマーも十分ヤバい奴で名前が通っている。

わざわざ狂犬に喧嘩を売る奴は居ない。

そういう意味ではスーは守られていた。

必要な分の水を汲んで、部屋に戻った。

井戸自体はいつでも使えるから、そんなに沢山は必要ない。スーにもそう教えてやった。

「スー、俺にも弓の腕前見せてくれよ」と部屋まで着いてきたエルマーがスーに絡む。

スーは軽い感じで「良いよ」と応じた。

「鴨捕まえに行こうぜ」

「おい!勝手に連れ回すな!」

「何で?いいじゃん?」

エルマーは不満げだが、こっちはこっちでやることがある。

昨日のギュンターの件もある。

あいつがスーに手を出さないように、親父から一筆貰う必要があった。

「スー、飯食ったら親父のところに行くぞ」

「団長のところに?」

「えぇ?…俺、あの爺さん苦手なんよ…」

「別にお前に着いてこいなんて言ってないだろ」

「何だよ?俺が居ると邪魔か?二人きりにしろってか?」

こいつ、めんどくせぇな!

「親父の所行ったら、帰りにこいつの買い物済ませたいんだ!お前は荷物持ちだぞ!」

せめて毛布はもう一枚欲しい。

今朝みたいなのはゴメンだ。寝床だけは別々が良い。

何が悲しくて一枚しかない毛布を分け合って、男と抱き合って寝なきゃならんのだ?

それに服だって今のままじゃ目立って仕方ない。

目立つ要因はできる限り削ぎ落とした方がスーのためだ。

「ソーリューみたいな仮面があれば一番良いんだが…」

「俺はこのままでもいいと思うけどな」

「ダメだ、目立ちすぎる」

「僕やっぱり変かな?」とスーは自分の格好を気にした。

袖を搾った青い滑らかなシャツと、刺繍入りの皮でできた濃い茶色のベストを着ている。

ズボンも裾が絞られていて動きやすそうだが、しっかりとした仕立てのちゃんとした服だ。傭兵の格好じゃない。

「変じゃないが、ちょっと小綺麗すぎる」と教えてやった。

「その服は家に帰るまでしまっておきな。

ここでは人間の服を着た方がいい」

「《森の中では木になれ》と言う。

目立つことは慎むことだな」

「うわっ!お前はいつの間に!」急に現れたソーリューに驚いてエルマーが悲鳴を上げた。

俺の部屋に訪ねてくるのは珍しい。

ソーリューはうるさそうにエルマーを睨んで、自分の持ってた物をスーに差し出した。

「やる…俺のなら丈も合う」

そう言って着古した服を譲ってくれた。

背丈が似たような感じだったから助かる。

わざわざこれを渡すために来てくれたらしい。

「ありがとう」とスーが礼を言うと、ソーリューは黙って頷いて応えた。

何だよ、随分優しいじゃねぇか?

「着替えたら飯食いに行こうぜ」とエルマーが笑った。

ソーリューはまた黙って頷いた。

今日は朝から賑やかだな…まぁ、嫌いじゃないけどな…

✩.*˚

着替えたスーを連れて飯を食いに行った。

まぁ、少しマシになったが…

「なぁに?この子!可愛いじゃない?」

「あんたら、どこから攫ってきたのよ?」

店の給仕からやたら絡まれる。

俺たちがスーを連れてるから、彼の身を心配してるのか、面白がっているのか…

「あんた、こんなの奴らとつるむの止めときな、良いことないよ」

「うるせぇな、俺たちは客だぞ!」

「はいはい、ご贔屓にどうも」

女たちは代わる代わるテーブルにやって来て、スーに話しかけていた。

「ほっとけよ、お前も食えや」とエルマーが食事を勧めた。

「まだ背だって伸びるだろ?肉食え、肉」

そう言いながら、エルマーはスーの皿にベーコンやらソーセージを放り込んでいた。

「うん、ありがとう」

「朝からそんなに食わせるな、動けなくなるだろ?」

「こんなガリガリじゃ戦えねぇよ」とエルマーが尤もらしい事を言う。

「スーをどうやって使うかは、あんたが決めることだけどよ、ちゃんと生き残れるようにすんのもあんたの仕事だ」

「分かってるよ」

傭兵は金で雇われる。割に合わない仕事なら逃げ出すやつも多い。

気がついたら敵の中で、味方が誰も居ないなんてことも有る。

そうだとしても、それだって給料の範囲内の事だ。文句なんか言えない。

俺たちは自分の命を削って命を商売道具にしてる。

何で傭兵なんて志願したのかは聞いてないが、スーは戦う仕事というのは知っていた。

ならその先も見当がついてるはずだ…

「弓と魔法だけじゃやっぱりダメかな?」

「混戦になったら接近戦になる。

剣の扱いは教えてやるから覚えな。

自分の身が守れる程度には使えないと生き残れない」

「分かった、頑張るよ」とスーは素直に答えた。

「僕だって男だ。

君たちと並んでも恥ずかしくない戦士になるよ」

「へえ?言ったな!やっぱり無理って泣くなよ?」とエルマーが茶化した。

「剣は?」とソーリューが口をきいた。

「短剣ならある」と出てきた剣は片手で扱いやすそうな短いものだ。

ソーリューは短剣を手の中で慣れたように弄んで「良い品だ」と褒めた。

「獲物のとどめを刺すのに使ってた」

「なるほど」と短く呟いて、ソーリューはスーに短剣を返した。

「ワルター、俺がこいつに戦い方を教える」と珍しく自分から言い出した。

「こいつに長い得物は使えない。

もう少し身体が出来上がってから長い剣を教えてやれ」

「お前が世話焼くなんて珍しいじゃねぇか?」

「小さくても戦える方法を教える」とソーリューはスーに言った。

確かにソーリューは背が低い。

彼はこの子供のような体躯で、自分よりずっと背の高い奴を投げ飛ばすし、剣でも負けない。

「代わりにエルフのことを教えて欲しい」とソーリューはスーに持ちかけた。

「何で?」

「俺の国にはエルフは居ない。

知識として欲しいだけだ」と素っ気なく答えた。

「僕は父さんの事しか知らないよ」とスーはソーリューに伝えた。

ソーリューは頷いて了承した。

「構わん、お前たちの長寿と文化に興味がある。

俺はエルフの言葉までは分からないから、俺に分かる言葉が使えるお前は好都合だ」

彼はそう言って「どうする?」とスーの答えを促した。

「僕は良いよ。ワルター、良いだろ?」

俺も文句はない。

俺だって他人に教えられるほど剣の腕が立つ訳じゃない。一応先生は居たが、ほとんど自己流で、特殊な能力に依存してる。

「ソーリューが先生とはな…」

「手加減してやれよ、先生?」とエルマーは苦笑いしてる。

ソーリューはスーの返事を聞いて満足したのか、彼はまた元の無口な男に戻った。

✩.*˚

食堂の女将さんが帰りがけにスーに菓子を与えていた。

砂糖をまぶした揚げたパンの耳。

「随分親切なんだね」

「それはお前が可愛いからさ」とエルマーが笑う。

「ガキの特権だ」と彼はスーをからかった。

ソーリューも暇にしてるそうで、エルマーと一緒に俺たちに着いてきた。

拠点の門を潜って、受付役のお嬢に親父の所在を問うた。

「団長はギュンター様とお話中です」

嫌な名前を聞いた。出直した方が良さそうだ。

「おい、ちょっと出なお…」

「馬鹿野郎!」

俺の言葉を遮るほどの雷が落ちた。

こんな馬鹿でかい怒声を発するのは一人しかいない…

親父の声だ。まだ怒ってる声が広間まで聞こえてくる。

「無能め!そんなので俺の息子とよくもまぁ名乗れたもんだ!口ばかり動かしてないで、自分でなんとかして見せろ!」

「おやまぁ…」とエルマーが困ったように頭を搔きながら苦笑いした。

「なかなかすげぇ雷だ」

「団長?怒ってるの?」とビビりながらスーが訊ねた。

これはまたすげぇな…

同じ広間に居る奴らも一様に固まっている。

「…まぁ、そうだな…」とスーに返事したものの、俺にも何があったかは分からない。

中にいるのはギュンターのはずだが…今度はなんだ?

額に青筋を立てた親父が部屋から出てきた。

随分お怒りのようで、八つ当たりされたドアは悲鳴をあげて歪んでいた。

あれじゃ取り替えなきゃならんな…

「ん?何だ、ワルターか?」

広間を見渡した親父は、俺を見つけて、熊のような足取りでやって来た。

「おはよう、団長」とスーが挨拶した。

親父の怒ってた顔が少し和らいだ。

「お前馴れ馴れしいな。だがそういう奴は嫌いじゃない」と言ってスーの頭を撫でた。

「全く、あの大バカタレが…

無駄な仕事増やしやがって…」とまだブツブツ怒っている。

「昨日ギュンターに会ったか?」と親父は俺に訊ねた。

「まぁ…」と言葉を濁すとスーが不満げな顔をした。

「あいつ酷いんだ、ワルターを殴った」

「おまっ!言うな!」慌ててスーの口を塞いだが遅い。親父の顔がまた険しくなった。

「あいつ…まだそんな真似してんのか…」

問題にしたくないからいつも流していたが、耳に入っちまった…

「遠慮は要らん、弟だ、殴り返せ」と親父は言ったが、そういう訳にもいかない。

あっちは貴族出身の本妻の子で、俺は使用人の子だ。

「朝からギュンターが、昨日の魔法使いを自分の隊によこせと言ってきた。

安心しろ、もちろん突っぱねてやった。

あいつは信用ならんからな」と親父はスーの肩に手を置いた。

「ちょっとワルターを借りるぞ、話がある」

「俺もスーの事で話がある」

エルマーとソーリューが居れば大丈夫だろう。

二人にスーを預けて親父の後を追った。

「何だ、朝から連れ回して随分可愛がってるんだな」と親父は何故か嬉しそうだ。

「お前も執着するもんがあるんだな、安心したぜ」

「そんなんじゃない」

からかわれた気がしてムッとした。

親父はそんな俺を見て笑った。

「お前は無欲すぎる。俺だって心配になる。

お前ら逆だったら俺も悩まずに済んだってのに…」

親父はそう言って盛大にため息を吐くと口を閉ざした。

それが本音なのか建前なのか俺には判断できなかった。

✩.*˚

中庭でワルターが戻ってくるのを待つ間、昨日の矢場が目に入った。

燃えた人形は撤去されてたが、新しい人形を立てかけた壁は少し焦げ痕が残っていた。

「弓見せようか?」と暇そうに煙草を吸うエルマーに声をかけた。

「おっ!イイねぇ!」と彼は興味を見せた。

暇つぶしにはちょうどいい。

ソーリューも頷いていた。

「矢場使っていいかな?」と訊ねると、エルマーは、「いいさ」と軽く答えた。

「元々使う奴なんかほとんどいないんだ。

なんか言われたら、練習だって言えばいいさ。

それでもモメたら、ワルターと団長に話持ってけばなんとでもなるだろ?」

「それなら」と弓を出した。

「へぇ…珍しい弓だな」とエルマーが僕の弓に興味を持った。

「ドラゴンの骨と銀樺の木をプライチェプスの皮で強化してる。

軽くて折れにくい。

精霊も扱うから、弦は一角獣の尾の毛を使ってる」

「何か分からんが凄いなぁ…」とエルマーが感心してた。彼はなんでも褒めてくれる。

「矢も特別製か」とソーリューが訊ねた。

「矢は多分君たちのと変わらないよ」と答えた。

なんなら矢だって必要ないのだ。

魔力を消費すれば矢を代用することも可能だ。

でもそれをするとかなり疲れるし、矢があるならそっちの方が楽だ。

「どこに当てる?」と二人に訊ねた。

「んー…そうだなぁ」

「目だ、致命傷にはならなくても動きを封じれる」

「ソーリュー、お前怖すぎ…」

「一番弱くて確実に隙間のある場所だ」

ソーリューのはそう言って、自分の目を二本の指で示して見せた。

彼自身、顔の下半分を仮面で覆っていたが、目だけは確かに出ていた。

「いいよ、目だね」と答えて矢を番えた。

「遠くないか?」とエルマーは言ったが、昨日と距離は変わらない。

僕は二人に笑って見せて、引き絞った弓を放した。

すぐにもう一本放って、のっぺらぼうの人形の顔に矢の目が出来た。

驚いた顔のエルマーの口から煙が立ち上っている。

「いい腕だ」とソーリューが褒めてくれた。

同じ中庭に居た人達が手を止めてこっちを見ていた。

「確かに、これを見せられたら嫌とは言えんなぁ…」と呟いて頬を搔くエルマーに、ソーリューも頷いた。

「なんだ?楽しいことしてるじゃねぇか?」

騒ぎを聞きつけたのか、見知った顔がふらりと現れた。

「お前ら居たのか?」とエルマーが仲間と手を出して打ち合った。

オーラフとフリッツだ。

フリッツは長い柄のついた斧と槍のような武器を持っている。見た事の無い武器だ。

「ヨナタンはどうした?」

「団員集めに出てった」とエルマーにオーラフが答えた。

「えげつない腕だな」と目を細めてフリッツが矢場を見やった。

「よくそんな細腕でこの距離飛ばすよな」とオーラフも苦笑いを浮かべながら褒めてくれた。

「こいつは追い出すわけにいかんな」とフリッツが僕に手を差し出した。握手してくれるらしい。

まだ、彼とは握手してなかった。彼の手は大きくてゴツゴツしていた。

「昨日はガキ扱いして悪かった」

「いいよ」

「俺とも握手してくれよ」とオーラフも手を出した。

「無理すんなよ?」と言って彼は僕の肩を軽く叩いた。彼らにも歓迎して貰えたようで誇らしかった。

「お前運がいいよ、ワルターに拾われて」とオーラフが言った。

「変な奴に絡まれたら俺らが助けてやるよ。頼りな。

俺たちは、あんまり良い意味で名前は通ってないけどさ、仲間は大事にするんだぜ」

「うん、ありがとう」

「良かったじゃん」とエルマーが煙草を片手に笑った。

「ソーリューが戦い方教えるってよ」

エルマーの言葉に「マジか?」と二人が驚く。

「うん、本当だ」と答えると、二人は眉を顰めて苦い顔をした。

「…マジか…そりゃまた、可哀想にな…」

「他に居ないのか?」

「ソーリューから言い出したんだぜ。

流石に、ちったァ手加減するだろ?なぁ?」

三人からの視線を受けて、彼は猫のようにふいっと顔を背けた。

「何だよそれ!どっちだ!」

「ワルターから任された」

「そうだとしても!むちゃくちゃするなよ!」

抗議する仲間を無視して、「丁度いい」と呟いてソーリューがフリッツに歩み寄る。

「このくらい出来るようになれ」

「お前!また…」フリッツが何か言い終わる前に、ソーリューが彼の袖を掴んだ。

彼は流れるような体捌きで巨漢を軽く投げ飛ばした。

フリッツの身体が宙に舞い、ズンッと響く音と共に背中から地面に叩きつけられる。

「うわぁ…」とエルマーの口から声が漏れた。

何が起きたか分からずに唖然とする僕に、ソーリューは「俺は妥協しないからな」と告げた。

「身体の軸、呼吸、筋肉の使い方を知れば難しいことじゃない」

「今日は調子いいのかよく喋る」

エルマーが苦笑いしながらオーラフに話しかけた。

彼も煙草を片手にエルマーの傍に座っている。

「てめぇ!いきなり何しやがる!」

起き上がったフリッツがソーリューの頭めがけて柄の長い斧を振り下ろした。

あまりに急なことで止める間もない。

ソーリューが滑るような足運びで斧を躱したので、斧の刃が地面にくい込んだ。

「スー、離れた方がいいぞ」とオーラフが木陰に僕を呼んだ。

「でも…」

「フリッツの戦斧じゃソーリューにかすりもしねぇよ。

お前の方が巻き込まれる」とエルマーが手招きした。

フリッツが吠えて、長い柄を振るってソーリューを襲うが、彼は剣も抜かなかった。

ただ、腰の低い構えでフリッツの懐に滑り込むと、拳ではなく掌で彼の胸の辺りを突いた。

エルマーとオーラフが顔を歪めて「おっかねぇな」と呻いた。

胸を突かれたフリッツは、身体を支えられず地面に倒れ込んでしまった。

動けなくなった彼から視線を外すと、ソーリューは「…次は誰が来る?」と訊ねた。

声をかけられた二人は知らん顔を決め込む。

二人の様子を見てソーリューがため息を吐いた。

「だ、大丈夫かい?」とフリッツに駆け寄って話しかけたが、彼は苦しそうに呻くだけで、胸を抑えて起き上がれない。

「呼吸が戻るまで動けない」とソーリューは当たり前のように平然と言った。

「自分より大きな相手でも素手で戦えると分かったか?

こいつだって弱くはない」

「やりすぎじゃない?」

「これくらい出来るようにならんとワルターの足手まといだ。役には立たん」とソーリューは厳しい言葉口にした。

役に立たないという彼の言葉が、僕の心に重くのしかかった。

「役に立つって、ワルターと約束した」

そうじゃなきゃ彼の親切を無駄にする。

僕はソーリューを睨み返した。

ソーリューは僕の視線を受けて、目元だけ少しだけ笑ったように見えた。

「約束したなら守れ」

「守るよ!やるよ!」

「負けん気が強いのは良い事だ」とソーリューは僕に右手を差し出した。

握手と思ってその手を握った僕の耳に、木陰の方から制止する声が届いた。その頃はもう手遅れだ。

視界が反転する。僕の身体があっさりと宙に投げ出された。

「鍛え甲斐が有る」

と、笑った声を聞いた気がした。
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