魔王と勇者のPKO 2

猫絵師

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トリスタン

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親父殿から聞かされていた勇者は見当違いも甚だしい。

小さなガキだった…

「つまんねぇな…」

アーケイイックの料理は薄味だし、酒は甘い。

正直言って好きじゃない。

ヒルダは喜んでいるが、あいつの舌がバカなだけだ。

「アーケイイック、意外といい所じゃないか?」

「そうか?」

「あの獣人達を見たらあたしの背が気にならないだろ?」

ヒルダは女のくせに親父殿より背が高い。

並の男じゃ見下ろしちまう。

しかも髪を短くして側面を刈り上げてるものだから女という性別すら怪しい。

「じゃあ、あっちの列に並んでこいよ。

お似合いだぜ」

「お前の凶悪な面構えよりマシだよ!

お前に比べりゃあっちの方が紳士に見える」

口数の減らん女だ。

「そういえば」とヒルダが口を開いた。

「前列に並んでた狼男。

あれはいい男だな。

骨格も筋肉も人間離れして惚れ惚れした」

「ああ、あの強そうな奴か」

親父殿の話では魔王の王子だとか言ってたな。

確かに見栄えのする獣人だった。

薄灰色の毛並が銀色に光っていて壁に飾るにはもってこいの狼だ。

「どれ、挨拶でもしてやるか?」

外していた剣を定位置に戻した。

どうせ遊ぶなら強そうな奴がいい。

明らかに奴は別格で、つまりはいい玩具だ。

「おい!親父殿に迷惑をかけるなよ!」

「なに、ちっとばかし遊びに付き合ってもらうだけだ」

そう言ってその場を後にする。

強ぇ奴は好きだ。

奴がどんなものか知らんが、魔王の王子と言うなら大層面白い相手だろう。

最近人間相手じゃオークランドの英雄くらいしか骨のある奴は居なかった。

相手は王子様だ。

俺を楽しませてくれるよな?

✩.*˚

式典が滞り無く終了したことに胸をなで下ろした。

兵達の配置を変えて宴の用意をしている最中にマリー様が私の元にやってきた。

「ルイ、ちょっと」

「はい?何かございましたか?」

「いいから!そのぴょこぴょこ動く耳を貸しなさい!私だって暇じゃないのよ!」

マリー様に言われるがまま膝を折って顔を近づける。

彼女は口元に手を添え、周りを気にしながら私に囁いた。

「ヴェストファーレンの隣に居る、あの背の高い黒髪の男。

あれに気を付けなさい。

あんたからも近寄っちゃダメだし、向こうから来ても避けなさい。

いい?絶対よ!」

マリー様の様子から冗談などではないようだ。

「それは…予言ですか?」

マリー様は予知の能力がある。

かなり限定的ではあるが、先を見ることが出来るらしい。

「ちょっと見えただけよ」と言ってマリー様は何事もなかったように陛下と一緒に立ち去って行った。

「マリーがなんて?」

様子を見ていたミツルに訊ねられたが、私も良くは分からない。

「フィーア側と揉めるなと仰った」

「え?ルイに?」

「まあ、気を緩めるなということだ。

お前もフラフラ動き回って問題を起こすなよ」

「分かってるよ、心配症だな」

ミツルはそう言って笑っていたが、本当に脳天気な奴だ。

私なんかより、ミツルの方がよっぽど心配だ。

勇者のために護衛を数人付けてペトラ様に預けた。

ふとした瞬間にあの男と目が合った。

前髪で隠しているが、左右で青と赤茶の異なる瞳が並んでいる。

たしか虹彩異色症ヘテロクロミアという非常に稀な症状だ。

我々獣人にも時折出る症状でもある。

目が合った瞬間、男の口元がニヤリと歪んだように見えた。

気味の悪いものを感じてすぐに目を逸らしたがもう遅い。

「少し席を外す」と部下に声をかけて、王子王女達のための席に足を運んだ。

中庭に用意された一角でペトラ様とイール様と一緒にミツルが寛いでいた。

「ルイ、ご苦労さま。

貴方も少しお休みなさい」

私に気が付いたペトラ様からお声がかかる。

会釈を返して末席に座った。

「マリー様がいらっしゃらないようですが…」

私の問いにミツルが答えた。

「ああ、マリーは用事があるってアンバーと城に戻って行ったよ。

何か用事だった?」

「…いや、特には…」

「何かあったなら早めに報告しろ。

今は陛下も侯爵もヴェストファーレン殿も不在だ。

何か事が起きてからでは遅いぞ」

歯切れの悪い返事にイール様が眉を顰めた。

「特に、お前は止める側の立場だからな。
そのナリで充分目立っているんだ、それ以上目立つ行動は慎め」

「心得ております」

仕方ない…

とりあえずあの男とは距離をとってやり過ごそう…

「ヴェストファーレン殿の話では二人ほど問題児が居るらしい。

ヴェルフェル侯は余程部下に恵まれないようだな」

「そういう棘のある言い方止めようよ」

「そうよ、イール。

陛下のお留守を預かる身としてもう少し慎みなさい。

ルイはよくやってくれているわ。

貴方がいて私は心強いのよ」

イール様を諌めてペトラ様は私に微笑みかけて下さった。

「もったいないお言葉です、ペトラ様」

「貴方は謙遜ね、ルイ。

アーシャやダドリーが国境警備で長く不在になっている中、アーケイイックの軍を預かってくれる貴方は頼りになる私達の弟よ」

ペトラ様の労いの言葉に心が軽くなる。

それと同時にしっかりしなければと身の引き締まる思いが強くなる。

私も王子としてこの場を任されているのだ。

非才の身なれど、アーケイイックの為に働けることを誇りに思う。

「ペトラ様のお言葉、有難く頂戴致します」

「大袈裟ね」と笑顔を見せるペトラ様に深々と頭を下げた。

この方が女王と呼ばれる頃には、私はこの世に居ないかもしれない。

それでもいいのだ。

彼女らの中で、私はこの国に必要とされた者として記憶に残ればそれだけで報われる。

良い家族に迎えられて私は幸せ者だ。

私がそろそろ戻ろうと腰を上げると、一人の兵士が慌てた様子でやってきた。

「お話中失礼致します。

ベティ様が火急の用でペトラ様にご報告があるそうです」

「こんな時に?

何かしら、彼女をここに通して。

ルイ、まだ時間があるならこのまま同席してちょうだい」

兵士に案内されたベティは慌てた様子だった。

「ペトラ様、お忙しいところ申し訳ございません。

陛下をお探ししたのですが、どこにもいらっしゃらないのでご相談に上がりました」

「一度城に戻ったはずだけど…

そんなに慌ててどうしたの?お城の方で何か問題でも?」

「実は、グレ氏族長のディラン様が直接ご訪問されまして…

その…私の養女の件で直接陛下とお話したいとの事で…」

驚いた。

グレ氏のディラン様は、ベティの育ての親だったエドナ様の伯父上だ。

非常に頑固で厳格な方だと聞いている。

土地を守ることを優先し、王城には一度も参上されたことは無い。

そのディラン様がわざわざ足を運んでくださったのだ。

「ディラン様をお待たせしているの?」

「はい。

待つと仰ってくださいましたが、どれくらいお待たせすることになるか分からないので、ご相談に上がった次第です」

「分かったわ。

イール、この場は貴方に任せるわ。

私は陛下の名代でディラン様にお会いして来ます。

できるだけ早く戻るけど、ミツル様のことお願いね。

じゃあ、ベティ、案内してちょうだい」

「本当にお手間を取らせて申し訳ありません…」

「いいのよ。

貴方とルイにとって大切なことですもの。

私も応援してるわ」

ペトラ様は恐縮するベティの手を取って優しく微笑みかけ、彼女の背を撫でた。

そんなペトラ様に向かって私は深々と頭を下げた。

「ペトラ様、よろしくお願い致します」

「ルイも、ディラン様から良いお返事が貰えるように祈っててね」

そう言って、ペトラ様はベティを連れて広間の《転送門》へと立ち去って行った。

「こんな時に面倒な…」

「申し訳ありません、イール様」

ペトラ様を煩わせた事かと思ったが、イール様の言いたいことはそうではなかった。

「別にお前たちの結婚の事をどうこう言うつもりは無いが、残ったのがお前とミツルがというのが問題だな。

さっきからずっと嫌な気配を肌に感じてる」

イール様はそう言って自分の杖を手にした。

豪奢な装飾をされた魔法使いの杖だ。

イール様は魔獣使いと魔法使いとしての能力に長けているが、接近戦は苦手で間合いに入られるのを嫌う。

イール様の視線の先にあの男が居た。

「どういうつもりか知らんが…

あれがさっきから視界に入って仕方ない」

「あぁ、ヴェストファーレンの隣にいた」

ミツルもやっと気づいたようだ。

「あの男の人も変わった雰囲気で目立つけど、すっごい背の高い女の人居なかった?

ヴェストファーレンより背が高かったよ。

ルイと並んだらちょうどいいかな?」

「お前は能天気だな…」

お気楽なミツルに毒気を抜かれてイール様が呆れる。

言い難いが今しか言うタイミングがない。

「実はマリー様からあの男に近づかないように警告されまして…」

「それをさっさと言え!」

「怒るなよ。

イールがそんなんだから言い難いんだよ」

「マリーもマリーだ!

あいつは秘密が多すぎる!」

「マリーは大事にしたくないから言わなかったんだろ?

ルイも気を付けてるし、そんなに怒らなくていいだろ?

ここの席は貴賓席だから呼ばない限り誰も来ないし、怒らなくてもいいじゃないか?」

「いや、イール様が正しい。

ペトラ様に心配をかけるわけにいかないからと黙っていた私が悪かった。

申し訳ありません、イール様」

何かあればここで一番高位のイール様が陛下からお叱りを受けてしまう。

第一王子として、責任を負っているゆえの反応だ。

さらなる叱責を覚悟していたが、イール様はため息を吐いたのみで、それ以上は追求しなかった。

「お前が真面目で背負い込む質なのは皆知ってる。

なんにせよ、アーケイイックとしてもこんなに多くの人間を領内に招くのは初めてだ。

少なからず揉め事があってもおかしくない。

今は陛下も不在だし、向こう側の責任者も席を外しているからな…

お前達二人は絶対ここから動くなよ」

「え?僕も?」

意外といった様子のミツルにイール様は眉をひそめた。

「当たり前だ。

何で自分は除外されると思った?

ルイにちょっかいかける相手なら、勇者にちょっかい掛けないはずが無いだろう?」

「えぇ…アンバー早く戻らないかな…」

「大切な話だと言っていた。

時間はどのくらいかは仰ってなかったな…」

「とりあえず、信頼出来る者にこの場は引き継げ。

シャルルかオリヴィエなら大丈夫だろう?

姉上が戻られたらお前は先に城に戻っていろ」

「かしこまりました」

イール様の指示に従い、補佐役のシャルルと第二隊長のオリヴィエに現場を任せた。

いつの間にかあの男の姿は消えていたが、どこかで鉢合わせしても良くない。

この場はイール様にお任せしよう。

「イール、ずっと酒飲んでるけど、大丈夫?」

「こんな茶番、飲まずにやってられるか。

前回のヴェストファーレンの訪問で話し合いはほとんど終わっているようなものなのに、こんなに大規模な歓迎は無意味だ。

あと、何かあったら酔い醒ましの薬を飲むからお前は無駄な心配をしなくていい」

「便利だな」

「毒消しみたいなものだ。

原因と対処法さえ分かれば薬は如何様にでもなる。

私達の実父は薬師だったからな。

そういう知識はあるさ」

「へえ、そうなんだ」と感心するミツルにイール様は「お前は本当に何も知らんな」と苦笑いした。

ミツルは人間だが、気難しいイール様と上手くやっている。

イール様もこのユルい勇者が放っておけなくて、あれこれ世話を焼いていた。

初めの頃は一方的にイール様がミツルを拒否していたが、いつの間にか距離を縮めて、気付けば懐に入り込んでいた。

勇者としてのスキルではないだろうが、こいつは元々そういう才能があるのかもしれない。

しばらく二人の様子を眺めながら広間の様子を見ていたが、特に変わった様子もなく、時間だけが過ぎた。

しばらくしてペトラ様とベティが戻ってきた。

二人の顔が明るい。

良い報せが聞けそうな気がした。

「ディラン様は養女の件を引き受けてくださるとお約束下さいました」

嬉しそうに目を輝かせてベティは興奮した様子だ。

私も、彼女との結婚に向けようやく進展があったことに喜びを抑えきれなかった。

そんな私達の様子をペトラ様は笑顔で祝福してくれた。

「二人とも良かったわね。

陛下には私からお伝えしておくわ。

ルイも後で陛下と一緒にディラン様の元にご挨拶に伺いなさい。

思ってたより明るくてお優しい方でしたよ」

「お話ではかなり厳格な方とお聞きしていたのですが、とても愛情深い方でした。

『失われてた者が戻って嬉しい』と仰って下さいました」

「良かったね、ベティ」

ミツルからの祝福にも嬉しそうな笑顔を見せて、彼女は素直に喜んでいた。

「ルイ、お前はベティを城に送ってしばらく向こうで待機していろ」

突然のイール様の申し出に「よろしいのですか?」と問い返すと、イール様は眉間に皺を寄せて顎で早く行けと合図した。

「またあいつが戻ってくる前に行け」

その様子を見てペトラ様が怪訝そうな顔をする。

「私のいない間に何かあったの?」

「何もありません。

この男の図体がデカいからちょっかいを出そうとする輩がいるだけです。

ルイが席を外せば諦めるはずです、問題ありません」

「まぁ…それは大変ね。

そんなことになってるなら言ってくれれば良かったのに」

「申し訳ございません」

「責めるつもりはないわ。

ただ、私達にも頼ってちょうだい。

私たちは家族なんですから」

叱責を受けてもおかしくないのに、ペトラ様はお優しい。

私のような末席の王子にまで実の弟に向けるような愛情を注いでくれる。

心配をかけさせまいとしたが、それが余計な事だったらしい。

大いに反省するところだ…

「心配だから《転送門》まで送るわ」

「ペトラが行くなら僕もついて行くよ」

ペトラ様の言葉にミツルも椅子から立ち上がった。

「どうせすぐ戻るけど、ここはイールがいれば大丈夫だろ?」

ミツルの問いかけに「当然だ」と応えて、イール様はぶっきらぼうに「さっさと行け」と見送ってくださった。

私は家族に恵まれているのだと知る。

私の隣には新しく家族になる女性もいる。

彼女に手を差し出すと嬉しそうに微笑んでその手を取ってくれた。

「帰りましょう」と彼女は幸せな笑顔で言った。

その顔はとても愛くるしくて、悪いことを全部忘れられた気がした。

✩.*˚

やっと静かになった…

姉上もミツルも付いているならルイも問題は起こらないだろう。

これでゆっくり酒を楽しめる。

陛下とカストラの作った宮殿は見栄えもするし、用意されている調度品もどれも一級品でセンスがいい。

いっそここに住みたいくらいだ。

給仕役の女性にも暇を与えて寛いでいると、慌てた様子のルイの部下が現れた。

「殿下、ヴェストファーレンを名乗る方がお目通りを求めておりますか…いかが致しましょう?」

「何だ?もう戻ったのか?」

陛下が戻られたとは聞いてないが、先に彼だけ戻ったのだろうか?

せいぜい挨拶程度だろう。

「仕方ない、通せ」

私の返事を聞いて、鎧を纏った兵士は騒がしげな音を立てながら一度下がった。

あの鎧のガシャガシャいうのが無粋で嫌いだ。

鋼の擦れる音は野蛮で耳障りな感覚が残る。

あれは何とかならないものか?

忌々しげに盃を飲み干し、酔い醒ましの薬を机に用意した。

視界の端で兵士と背の高い影が過ぎった。

「失礼。

体調でも悪いのかな?出直そうか?」

不意に響いた声に驚く。

ヴェストファーレンの低い落ち着いた声ではなく、溌剌とした張りのある女の声…

慌てて視線を動かすと目の前には糸杉のように真っ直ぐ伸びた背の高い女の姿があった。

「親父殿も遅いし、弟も何処かに遊びに行ってしまったんでね。

あんたも一人だろ?お喋りしないかい?」

「誰だ?」

「おや、誰か分からずに招いたのかい?

それは感心しないね」

女は笑って名乗った。

「ヒルデガルト・フォン・ヴェストファーレンだ。

皆ヒルダって呼ぶ。

オークランドとの国境のラーチシュタットの砦を預かってる《盾の乙女シルトメイド》の二つ名の方が有名かもしれないな」

「ヴェストファーレン殿の血縁か?」

直系の子供はいないはずだが…養子か?

それにしても…

「あたしも弟も養子だよ。

おっと、口が悪くですまないね。

礼儀作法がなってないといつも親父殿に叱られるんだが、どうにもむず痒くって気持ち悪いからこのままでもいいかい?」

「…それは構わないが…」

彼女から目が離せない。

背が高く、男装だが、糸杉のように伸びた背筋は真っ直ぐで、短く切りそろえた癖のある金の髪は向日葵ひまわりのように輝いている。

オリーブ色の瞳は生命力を感じさせる力強い光を放っていた。

一気に酔いが覚める程の衝撃だった。

確かにすごい美女ではないし、上品さも無い。

姉上とは真逆な印象だ。

それでも、強い生命力を感じさせるこの女性に一目で心を奪われた…

「そこに座るといい。

私は第一王子のイール・アイビスだ」

「よろしくな、イール殿下」

彼女は腰をかがめて手を差し出した。

女なら手の甲を差し出すが、彼女は手のひらを私に差し出しているので握手だろう。

その手を取って握手を交わすと彼女は男のようにどっかりと椅子に座った。

「やばい女だと思ってるだろ?」

そう言って彼女はクスリと笑った。

「私は嫌いじゃない」素直にそう答えると彼女は驚いた顔をしたが、またすぐに笑った。

「あんたとは仲良く出来そうだ。

キレイなお顔の王子様のくせに肝が座ってるな」

「もっとデカい女も粗野な女も知っている。

アーケイイックでは珍しくない」

「へぇ…いい国だな、アーケイイック。

あたしみたいな人間には住みやすそうだ」

口元を隠そうともせずに男のように笑う。

普段なら眉を顰めるところだが、彼女にはそれが似合っていた。

咎める気すら起きない。

彼女はこのままでいい…このままが美しい…

「何故私の所に来た?

挨拶をするなら時期女王の姉上の方が先だろう?

私じゃない」

私の問いに彼女は「暇そうだから」と歯に衣着せぬ物言いだ。

「ずっと一人だけ呑んでるしな。

あたしと一緒に呑んでくれる奴が居ないから、一緒に一杯やってくれる奴を探してたらあんたが居た」

「なるほど…

おい、一番上等な酒と新しい杯を用意するように伝えろ」

私が兵士にそう命じると「いいねぇ」と彼女は嬉しそうに笑った。

「ケチケチする気は無い。

アーケイイックの酒は大した事ないと言いふらされても面白くないからな。

どうせもてなすなら一番良いものを用意しよう」

「あはっ!

あんたいい男だね!気前の良さも王子様だ!」

少女のように喜ぶ彼女は表情豊かだ。

見ていて飽きない。

用意された酒を杯に注いで彼女と乾杯した。

杯を掲げてヒルダは「アーケイイック万歳」と笑い、そのまま一気に杯を干した。

あまりの良い呑みっぷりに呆気に取られるが、何だかそれも面白い。

つい笑ってしまった。

「一人で呑むより楽しいだろ?」

「ああ、そうだな」

たまにはこういうのも良いな…

機嫌よく彼女との酒を楽しんでいたが、急に広間の方が騒がしくなった。

「何だ?楽しんでるってのに…」

ヒルダが眉を顰める。

広間から魔法の気配がした。

嫌な予感がする…

「すまない、様子を見てくる」

私が席を立つと、彼女も直ぐに席を立った。

先程までの陽気な様子とは打って変わって、凛々しい武人の様相に変わっている。

「ウチの者かもしれない、私も行く」

私も頷いて、彼女と二人で広間に向かった。

✩.*˚

「よぉ、色男」

ベティとルイを《転送門》に送って終わりだと思っていた。

何も無いところから彼は急に現れた。

門の前に立ち塞がる彼の口元には不気味な笑みが張り付いている。

「付き合いが悪いじゃねぇか?

やっと出てきたと思ったらもう帰っちまうのか?悲しいね…」

随分不遜な態度だ。

色の違う左右の瞳が獣のような光を放っている。

この人ヤバい人だ…

ルイが避けるのも頷ける。

刃物を突きつけられてるようなそんな嫌な感じ…

「アーケイイックは美女揃いだな。

一人くらい俺にも回してくれないか?

俺は小柄な女の方が好きなんだ。

女は小さい方が抱きやすいからな」

分かりやすくルイを挑発してる。

彼の言う女というワードがベティを指しているのは明らかだ…

本当に嫌な感じの人だ…

「誰か知らないけど、そこに立ってると邪魔だから退いてくれないかな?」

僕が彼らの間に入ると、彼は不快感を露わにして睨んできた。

「勇者のお前には興味はねぇよ、こんなガキだなんてガッカリだ。

王女様には手を出さねえから安心しな」

僕のことは眼中に無いんだろう。

「そういう訳にはいかない。

こんな所で騒ぎを起こしたらアンバーに会わす顔がない」

「その狼男が俺と遊んでくれるなら騒ぎにはしねえよ。

俺はその獣にしか用はねえんだ」

「いい加減になさい」

ペトラが怒りを含んだ声を放った。

彼女もまた彼の態度に怒っている。

「アーケイイック王族として弟と婚約者への無礼、勇者様への無礼は許せません。

今すぐそこを退いて謝罪なさい!

さもなくば第一王女の権限で貴方を拘束します!」

「おいおい…お姫様、穏やかじゃねえな。

俺はそれでも構わねえけど、黙って拘束されるような人間じゃないのは見てわかるだろ?

何人死ぬかな?」

彼はペトラの言葉に怯むことなくむしろ嬉しそうだ。

この人普通じゃない。

むしろ《死》という言葉にペトラの方が怯んだ。

「ペトラ、下がって」

「でも、ミツル様…」

「君達はアーケイイックの代表だ。

僕は違う、アーケイイックの居候だ」

彼らが揉めるのは問題だが、僕はアンバーの部下ではない。

苦しいがまだ言い訳は立つ。

「ルイは君の挑発に乗るような奴じゃない。

諦めてくれないかな?

これ以上はアーケイイック、フィーアどちらにとっても良くないだろ?」

「…良くない?」

僕の言葉を意外そうに呟いて、彼は首を傾げた。

少しくらい響いたかと思ったが、次に彼の口から出た言葉に驚愕する。

「国など知った事か…

俺はそいつと戦いたいだけだ。

何で他の話が出てくる?」

僕の腰に下がった剣が震えた。

《凪》と《嵐》が僕に危険を警告している。

僕は殆ど反射的に剣を抜いた。

次の瞬間襲ってきた衝撃にそのまま吹き飛ばさせる。

受身を取れずにそのまま背中を強か打った。

ペトラとベティの悲鳴とルイの怒号が飛ぶ。

何だ?今の何だったんだ?

間合いならあったはずだ。

そんなに直接剣が届くような位置じゃなかった。

「…今の見えたのか?」

男の方が意外そうな声が聞こえた。

「真っ二つになってないのは褒めてやるよ。

勇者というのは本当らしいな…

しかし、そんなんじゃもう立てないだろ?

その辺に転がってろ、役立たず」

はんっと鼻で笑って男はまたルイの方に向き直った。

両手を広げて悪役ヒールみたいに笑う男からは狂気が滲み出てる。

「どうするよ、色男?

逃がさねぇよ、俺はマジだぜ。

お前以外見えてないからな…邪魔者はあの勇者みたいになっちまうぜ」

「誰も手を出すな!離れろ!」

ルイが吠えた。

止め入ろうとした兵士達がたたらを踏む。

次の瞬間大理石の床に亀裂が走った。

剣で切り付けられたような亀裂が弧を描いた。

一瞬で皆の血の気が引いた…

「正解だ」

嘲笑するような声。

「半径三メートル以内に入るなよ?

それは俺の剣が命を奪う、絶対的な領域だ」

魔法の類なのか?

仕組みは分からないがこのまま放っておく訳にもいかない。

「それは《祝福》というやつかしら?」

「おっ!?マジで?分かっちゃうんだ!さすが姫!」

何故か嬉しそうに男が笑った。

「あんたいい女だから教えてやってもいいぜ。

ただし秘密のおしゃべりはベッドの上でだ」

「…下品な男」

ペトラが気持ち悪いものを見る目で彼を睨んだが、男は楽しそうに笑っている。

彼はまたルイに視線を向けて挑発した。その目がチラチラとベティにも向けられている。

なんかものすごく嫌な視線だ…

「なあ、俺と遊ぼうぜ狼男…

まだ嫌ってんなら、お前ら獣人が一番嫌がることするぜ」

「…何をする気だ」

「言ったろ?

お前らが一番嫌がることだ」

ベティを自分の体の後ろに隠し、唸り声を上げるルイに向かって男は踏み込んだ。

移動が物凄く早い。

ルイが彼の前に立ちはだかるが、次の瞬間、彼はその場から消えてルイの後ろに現れた。

男の手はベティのうなじを捉えていた。

「イヤーッ!!」

ベティがうなじを抑えて悲鳴をあげながら崩れ落ちた。

何だ?何が起きた?

ペトラが慌ててベティに駆け寄って抱き寄せた。

「ベティ!ベティ、大丈夫?」

彼女は答えずに体を丸めてガタガタ震えている。

「貴様!」

ルイが恐ろしい声で吠えた。

ルイの怒気で空気がビリビリと震える。

こんなに怒っている彼は初めてだ。

その場に居合わせた全員が生きた心地がしなかったことだろう。

「私の!私の妻のうなじに触れたな!!」

目の色を変えて怒り狂うルイを見て、当の本人だけは狂喜していた。

「ははっ!触ったらマジでキレやがった!」

一体どういうことだ?うなじが何だって?

何とか起き上がって這うようにベティとペトラがの元に向かった。

強か打ち付けた背中がギシギシと痛むがそんなことどうでもいい。

「ベティ、大丈夫?」

彼女に手を伸ばそうとしたらペトラに止められた。

「ミツル様!ベティに触れないで!怯えてるから危険です!」

「え?どういう…」

意味がわからないが、この世界には僕には理解できないルールが沢山ある。

言われるがまますぐに手を引いた。

ベティは首を抑えたまま身体を丸めて声を上げて泣いている。

心が裂かれるような悲しそうな声だった。

さっきまで幸せそうに笑ってたのに…

「ルイもどうしちゃったんだよ!」

さっきまで冷静だった彼が我をなくしたように暴れてる。

誰も手が出せない。

「ミツル様!ルイを止めてください!」

「ど、どうやって?!」

ゴジラみたいになってんだぞ!

ルイは魔法を使えないけど人並外れた身体能力とアンバーから預かってる鎧で戦ってる。

あの男も剣を抜いて、何度もルイに刃を振るっている。

あの間に入るとかミンチになる覚悟が要るぞ…

僕が迷っていると「どけ!」と二人が飛び出して行った。

イールと…誰?

背の高い金髪の後ろ姿しか分からなかったが、その人は両腕に魔法の大きな盾を出現させた。

「《不動の盾》」

ルイの拳を食らったのに盾はビクとも動かなかった。

「トリスタン!貴様親父殿に殺されるぞ!」

二人の間に入った盾を持った人は女性だった。

「邪魔するなヒルダ!」

「あたしまで説教食らうのはごめんだよ!

《鋼鉄の抱擁》!」

二人の攻撃を防いだ盾が形を変え、いくつもの腕が伸びて二人の身体を拘束した。

二人とも拘束されて床に投げ出されるが、ルイはまだ歯をガチガチ噛み鳴らして襲いかかろうとしてる。

そんな彼にイールが顔を覗き込んで話しかけた。

「ルイ、私の目を見ろ」

荒い息をしていたルイが大人しくなる。

イールがルイの思考を支配したのだ。

彼は魔獣などを操ることができ、ある程度の知能のあるものは思考を支配して操ることが出来るらしい。

「そうだ、そう…落ち着いたな…」

ルイの目が眠そうにトロンとしている。

直ぐに当事者同士を引き離して双方の兵士に預けた。

「すまない、イール殿下。

私の弟がバカをやらかした」

「ヒルダ殿を責める気はない。

むしろ取り押さえるのにご助力頂いた、感謝する」

いつの間に仲良くなったんだろう?

それにしてもこの人やっぱりめちゃくちゃ背が高い。

イールもバツが悪そうに眉根を寄せた。

「全く、ミツルも姉上も居たというのに…なんでこうなった?」

「あの男の人がルイを挑発したんだ。

ルイもルイで、ベティの首を触られたとかでいきなりすごい勢いで怒り出してこうなった」

「…まずいな…」

「失礼だが…ベティ殿とは?」

「第七王子ルイ・リュヴァンの婚約者だ…」

その言葉を聞いてヒルダと呼ばれた女性の顔がみるみる青ざめる。

「なんてことしたんだあいつ…

やばい…マジでトリスタンが親父殿に殺される…」

「誰?」僕がイールに尋ねると彼は「ヴェストファーレン殿の娘だそうだ」と言った。

「え?…じゃぁ…さっきのイカれてる人も?」

「恐らく息子だな」

マジかよ…

「ど、どうすんの?アンバーになんて言うのさ?!」

「どうするって…陛下がお戻りになったらありのままお伝えするしかないだろう?」

和やかだったムードがさっきの一瞬で崩れ去った。

主にトリスタンという男が悪いんだが、ルイも手を出してしまっている。

どうしたものか…

「そうだ、ベティは?」

「しばらく姉上に預けておけ。

獣人にとって最大級の侮辱受けたんだ。

しかも婚約者の前でだぞ…

ルイが怒るのも無理はない」

「そのうなじにを触るってどういうこと?」

僕が訪ねるとイールはチラリとヒルダを気にしながら「耳を貸せ」と言った。

大袈裟なと思ったが顔を寄せる。

イールが嫌々教えてくれた。

「獣人は交わる時に男が女のうなじを噛むんだ…

そうやって愛し合うんだ、分かったか?」

…あ、なんか察し…

「伴侶以外の男が触ればそれこそ殺し合いだ。

私にこんな話させるな、しかも女性の前だぞ、恥ずかしい…」

「なんかすんません…」

えぇ…どうすんのこれ…

この間のアドニスの一件が可愛く見える…

「とにかく、まずは片付けだな。

この惨状を陛下にお見せするわけにいかないからな…」

「…そうだね」

せっかく綺麗だった宮殿がボロボロになってしまった…

柱にはヒビが入ってるし、床に敷き詰められた大理石や敷物もぐちゃぐちゃだ…

長い長いため息が掃除開始の合図になった。
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