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来訪者
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眠くなるような春の陽気に包まれながら、平和島満は目の前に広がる光景を眺めていた。
彼にとっては馴染みのない、洋風の石や煉瓦で出来た建物が並び、足元は石畳で舗装されている。
「凄い街並みだね」
「ここは王城の城下町だからな。
できる限り文明的に見えるように城下を整備した結果だ」
満の言葉に、傍らに立った人物が答えた。
目深にフードをかぶり、魔法使いのようなローブを身に纏っているが、その身に付けている服も装飾品も明らかに高価なものだった。
満はこの世界のことをまだあまり知らない。
彼はこの世界の人間では無かった。この世界に来て一年も経っていない、異世界から召喚された人間だ。
満を召喚したのは、彼と話をしている相手、勇者の宿敵である魔王と呼ばれる存在だった。
彼は特別な外見をしていた。
身体中の肉が全く無く、骨が剥き出しになった身体があやつり人形の様に勝手に動いている。
落窪んだ眼窩には赤い光が点っており、ハロウィンの作り物のような不気味な姿を晒していた。
錬金術師の王。
不死者である彼は、元々は人間だったが、ある時を境に怪物になってしまったらしい。
人の時の名をアンバー・ワイズマンという。
彼は元オークランド宰相まで上り詰めた、偉大な魔導師であり、錬金術師だった。
満以外にも過去に一人勇者を召喚したのだが、彼の存在が世界のパワーバランスを壊した。
勇者の存在はこの世界にとって異物であり、世界の秩序を壊す厄介な存在だと、彼は身を持って知っていた。
彼は人間を辞めて、先代の魔王と共に国の基盤を造り、すり潰されそうになってい魔族たちの最後の土地を守った。
アーケイイック連邦王国は魔族にとって最後の安住の地なのだ。
この世界は約百五十年に一度だけ異世界から一人の人間を招くことが出来る。
その異邦人こそが《勇者》と呼ばれ、世界を救う運命を背負う人物だ。
押し付けがましい制度だが、この世界ではそれが慣例となっている。
アンバーの召喚した一人目の勇者は、過度な期待をされた挙句、戦争の旗印にされてすり潰され、戦争の歴史の中に消えた。
新たな勇者もそうなるはずだったが、魔王であるアンバーが召喚したことで、勇者は本来の目的を見失っていた。
戦いの日々に身を投じるはずだった勇者はダラダラと異世界を楽しんでいる。
「市も導入している。
二十日に一度市が並ぶ。
場所代は取らないが、区画を使うのには許可が必要だ。
揉めると面倒だしな。
各地からの交易品や食べ物や嗜好品、生活用品なども購入できるし、情報も持ち寄る。
一部物々交換にはなるが、金さえあればだいたい交換してくれるから困らないな」
「物価は統一されてるの?
部族によって価値観違わないの?」
「いい質問だな。
こればかりは私が口を出す問題ではない。
穀類の価格の基準は定めているが、あとは本人達に決めさせている。
交渉も自由だ」
「それで?経済効果もあるの?」
「当然だ」とアンバーが嬉しそうに鼻で笑った。
「安定的に稼働するまで三十年程かかったが、今では随分スムーズな取引ができるようになった。
私の民は素直で勤勉だ。
誇るべきことだな」
「へえ、すごいね、頑張ったんだ」
満か心から賛辞を贈る。
魔王は心做しか嬉しそうだ。
自分を褒められたことより、自分の政策を受け入れてくれた民を思えばこそだった。
「私が人間なら挫折していただろうが、喜ばしいことに不死者とは都合がいい。
これからもこの国を際限なく成長させられる」
彼の目標はこんな所ではない。
「これからも我々は進歩する。
安定した平和な国を手に入れるなら、自給自足に根ざした国造りが必要だ。
水が高い所から行き渡るように、この国に潤いを行き渡らせるのが私の役割であり、彼らへの贖罪だ」
「真面目だなぁ…」
満は苦笑しながらまた街に視線を移した。
アンバーが勇者を召喚しなければ、多くの魔族が粛清される事はなかったかもしれない。
それでも、彼らが今こうやって暮らしているのは他の誰でもない、アンバーの功績だ。
「僕達も彼らも不思議な縁だね」
満の言葉にアンバーも頷いて返した。
「全くだ。
人生はどう転ぶか分からないものだな」
彼ほどその言葉を体現している人は存在しないだろう。
そう思って満は笑っていた。
✩.*˚
「ああ、困ったわ」
第一王女のペトラは王の執務室で書状を手にしたまま狼狽えていた。
美しい顔には困惑の表情が浮かび、眉を顰めて眉根に皺を寄せている。
彼女の風貌は少し個性的だった。
長い銀の髪とエメラルドグリーンの瞳の褐色の肌のエルフ。
大陸の南から流れてきた日に焼けた者と呼ばれる少数民族のアイビス族の出身だ。
彼女はエルフ独特の長い耳を途中で切り落とされていた。
彼女にとって不名誉な傷だが、今ではそれを恥じてはいない。
彼女は愛する人のおかげでその傷を隠さなくなっていた。
愛する人とは勇者として召喚された青年の事だった。
勇者の妻を名乗るほどの惚れこみ様だ。
その彼女にとって、今回の件は看過できないものだった。
「ねえ、イール。
この件は陛下に何と報告したらいいかしら?」
彼女はその場にいた双子の弟に相談した。
「不可侵条約を結んでいるとはいえ、人間の国の侯爵の訪問は歓迎できないわ…
こんな時期にいきなりの申し出よ。
絶対私のミツル様を狙っているのよ!」
「私のは余計でしょう…
陛下の策で人間の国にも噂を流布させたのが他国にも流れたんですね。
フィーア王国のヴェルフェル候は我が国にとっても重要人物ですから無下には出来ません。
しかも今回の訪問は奴隷にされた同胞の解放を提示されています」
ペトラは手にした紙束に目をやった。
奴隷として他国に流れたエルフ一人ずつの名前や年齢、性別、特徴などが細かく記されている。
ヴェルフェル候は魔族の奴隷解放のために協力してくれる数少ない人間の協力者だ。
彼の目的は定かではないが、ペトラもイールも奴隷にされた同胞を助けられるのなら助けたい気持ちが強い。
ペトラやイールも奴隷にされそうになった過去がある。
彼らは運良くアンバーに救われたが、そうで無かった者の事を思うと心が痛んだ。
「とにかく、陛下がお戻りになるまではお返事できないわ。
使者のヴェストファーレン様は今どうされてるの?」
「ウィオラが応対していますよ。
一緒に茶会をしているはずです」
「ウィオラ大丈夫かしら…」
ペトラは義妹を思って呟いた。
「ヴェストファーレン様は確かに魅力的な方とだけど、女性を見たらすぐに口説きにかかるから質が悪いわ」
「社交辞令が過ぎますね」
姉の言葉にイールも頷く。
ペトラと初めて面会した際、優しくだが包み込むように手を握って離さなかった。
姉がかなり引き攣った笑みを浮かべていたが、そんなことにはお構い無しに、穏やかな低い声で彼女を口説いていたのを思い出す。
確かに見るものを魅了する美丈夫だが、ペトラの言う通り質が悪い。
「私の心はミツル様のものですもの」
恥ずかしそうに頬を染める姉にイールは冷めた視線を向けた。
理解できない。
確かに人間的には良い奴なのだろうが、勇者という肩書き以外は全くの凡人だ。
むしろイールの中では中の下くらいだと辛口の採点をしている。
「そんなことはさて置き、ミツルが陛下と城に戻って、ヴェストファーレン様といきなり接触しなければいいのですか…」
「そうね!大変だわ!
私ったらミツル様をお迎えに上がらないと!」
そう言ってペトラは燕のように軽やかにバルコニーに飛び出すと、静止するイールを無視して手摺からダイブした。
城の最上階の五階から迷わず身を投げた彼女だったが、その体が地面に叩きつけられることはなかった。
大地は彼女を拒否したかもしれないが、彼女は翼でもあるかのように穏やかに着地した。
「ありがとう、アリス」
契約している風の精霊に礼を言って、何事も無かったかのように歩き出す。
以前契約してた精霊に比べれば、今の精霊は力が弱い。
だが、こうやって自分に馴染ませ、魔力を与え続けると次第に精霊の力も強力になるのだ。
荒っぽい馴染ませ方だが確実で効果のある育てかただ。
あとは彼女の多少横着な性格も反映されていることは否めない。
「アリス。
正門まで飛べるかしら?
ミツル様を驚かせてあげましょう」
ペトラが独り言のようにそう言うと精霊はそっとペトラの顔を撫でた。
アリスは了承してくれたようだ。
彼女を中心につむじ風が起こると、ペトラの体は宙に舞った。
翼に見えるのは魔力で精霊が具現化した姿だ。
この姿を見たら驚くかしら?
そう思ってペトラは楽しそうに笑った。
✩.*˚
正門に入って車を降りた僕らの前に天使が舞い降りた。
「ぺトラ?」
「お帰りなさいませ、ミツル様」
ふわりと重力を感じさせない所作でペトラが着地する。
銀の髪をなびかせ、白と黄色を基調にしたドレスを纏った姿はまさに天使か女神だ。
エメラルドグリーンの瞳がキラキラと輝いていて眩しい。
「おかえりなさいと言いたくて飛んで参りました。
城下はいかがでしたか?」
「ペトラ、私もいるのだが…」
「陛下もお帰りなさいませ」
「うむ」なんだか複雑な感情を含んだ返事を返してアンバーは頷いた。
血の繋がりがないにしても、娘が他の男に夢中というのはなんだか複雑な気分だろうな…
「城下は変わりない。
私の留守中も特に問題は無かったか?」
「それが、陛下にご相談したいことがあるのですが…」
話しながらペトラは僕の腕に華奢な腕を絡めて、僕がどこかに行かないようにキープしている。
「ヴェストファーレン様が急遽ご訪問されまして…」
「ほう?何事かな?」
名前を聞いてアンバーは不思議そうに首を傾げた。
「誰なの?」と尋ねる僕にアンバーが答えた。
「隣国のフィーア王国の南部候の部下だ。
南部候ヴェルフェル侯爵は人間の数少ない理解者の一人だ。
ただ、ちょっと底の知れない怖い相手でもあるな」
「怖いの?」
「腹の中では何を考えてるのか分からないところがある。
我々との交易特権を保証する代わりに、他国に流れて奴隷となった魔族の返還をしてくれているが、正直、それだけが目的ではないだろうな…」
「今回も名簿を持ってきてくださったのですが、近日中にヴェルフェル候自身で来訪されたいとの事で…
恐らく、勇者の存在を確認するためかと…」
「なるほど、返事はまだだな?」
「はい、私たちだけではお返事出来ないのでお待ち頂いております。
如何致しましょう?」
ペトラの腕に力が入る。
柔らかいいい香りの身体が密着する。
「そうだな…」
アンバーが困ったように天を仰いだ。
「とりあえず、ペトラはミツルから離れなさい。
娘がいちゃついている姿を父親に見せるものでは無いぞ」
「嫌です。
久しぶりにお会い出来たのに…」
悲しそうな声で言うけど、昨日の夕食にも会ってる。
「昨日も会っただろう?」
「今朝はお会い出来ませんでした!」
「久しぶりのスパンが短い!」
関西人じゃない僕でもついツッコミを入れたくなる。
なんか可愛いところもあるんだけど、だいぶ拗らせてるんだよな…
エルフだからもう二百歳超えてるらしいのに…
「分かったから、そんなに密着しないでくれ。
見せられてるこちらの方は間違いがないかヒヤヒヤする」
「ペトラ、歩きにくいから手を繋ごうか?」
僕の提案に彼女は嬉しそうに「はい」と応じた。
骨だけの姿なのにアンバーはため息を吐いている。
アンバーにこれでいいかと視線で問うと、彼は渋々小さく頷いた。
「それで?
何で僕に会いに来たの?
っていうかもうそんな他の国で知られてるの?」
「アドニスの部下を国境付近の村に放逐しただろう?
そんなことがあれば農民だって何かあったと思うさ。
奴らに噂話を流布させて、国内を揉めさせる算段だったんだが、思わぬ弊害が出たようだな」
僕がアンバーに召喚されたことをいち早く察したオークランド王国は、勇者奪還のため英雄・アドニスを送り込んできた。
アドニスは数人の騎士や魔法使いと一緒に来てたが、すぐに魔族側に見つかって捕まった。
仲間が変な欲を出したのが失敗に繋がったらしい。
それなりに被害もあり、ペトラが捕まって酷い目にあっていた所を、僕がイール達と一緒に助けたのだ。
アンバーの采配で、不要な人間は送り返したが、帰せば害になる人間だけは国内に留めているらしい。
「これはフィーアには関係の無いことですわ。
何とかお断り出来ないでしょうか?」
「まぁ、私もそうしたいところだが…
相手がなぁ…ヴェストファーレン殿を使者に立てるというのは相手もそう簡単に引き下がらないぞ…」
「どういう人なの?」
「一言で言うと、タラシだ」
「言い方悪くない?」
スッパリと言い切ったアンバーに僕が苦笑いを返すと、アンバーは肩を竦めて見せた。
「君も騙されるさ。
総合的にパーフェクトな人間だ。
外見も所作も言葉遣いも知識の幅さえ底がしれない。
武人であり文官であり、魔法使いで精霊も扱える。
四ヶ国語を駆使し、話した相手を魅了する。
ハーフエルフらしいが、エルフの方の血が濃いのだろう。
姿は初めて見た時から変わらない」
「こっわぁ…」
「全くだ。
友人としてなら頼もしいが、外交の交渉相手になった途端脅威以外の何者でもない…」
「インパクトならアンバーの方が強いよ。
なんたって骨だからね」
「褒めてないだろう?
この姿は何かと不便だが、役に立つこともある」
「陛下!そんな悠長に話している場合ではありませんよ!
本当にフィーア王国にミツル様を連れていかれてしまいます!」
ペトラに叱られてまた不死者の王は肩を竦めた。
彼は本当にペトラに甘い。
「それで?
私に彼を諦めさせろと?
面倒はさておき、難しい相談だな…」
困ったように腕を組んで唸るアンバーをペトラが睨んでいる。
僕の手を握る彼女の手に力が入る。
「ペトラ、心配するなって」
「でも…」
ペトラが一瞬口を噤んだ。
迷う素振りをして彼女は消えそうな声で呟いた。
「ミツル様は人間ですから…
人間の国に行きたくなってしまうかもしれませんわ…
もしかすると、もうアーケイイックに戻らないかも知れないですもの」
「心配症だな。
もしかしたらの話でそんなに落ち込まないでよ」
「まあ、可能性の一つとして充分ありうる話だ。
君に帰る気があっても、そう易々とは帰らせてはくれないだろう。
私だって同じことをする」
「アンバー、フォローしてくれないとペトラが泣いちゃうよ」
「ペトラが案ずるのも無理はないということだ。
君はもう少し自分が重要人物だと自覚することだ。
君の行動の一つ一つが世界から注目されているんだからな」
「うわぁ…不自由だなぁ…」
勇者って不便…
上野動物園のパンダの方が楽で楽しそうだ。
「まあ、そういう事だ。
理解したなら一番いい服に着替えて来たまえ」
「え?」
「え?じゃない。
君も一緒に来るんだよ。
ヴェストファーレン殿に隠し事は無意味だ。
下手に隠すより、ペトラの婚約者として堂々と紹介した方が良い」
「…マジで言ってる?」
「陛下!本当に?!お認めいただけるのですか?!」
ペトラの声で耳がキーンとなった。
飛び上がるほど喜んでいるペトラに、アンバーは「婚約な」と釘を刺した。
「君を他者に渡すくらいなら私はなんだってするさ。
ペトラじゃ不服かね?」
僕が首を横に振るのを見てアンバーは意地悪そうに喉の奥で笑った。
「なに、君は愛想良くして立っているだけでいい。
質問されてもはっきり答えずに濁せばいい。
君はそういうの得意だろう?」
「…善処しまぁす」
まあ、下手に隠そうとして状況が悪くなるのも困るし、後から引っ張りだされても困るけどさ…
何だか彼の手のひらの上で転がされている気分だ。
そんなに器用な性格じゃないんだけどな…
✩.*˚
「この度は拝謁賜り、恐悦至極に存じます錬金術師の王陛下」
玉座の前に恭しく膝をつき、挨拶するヴェストファーレンは確かに美丈夫にふさわしい姿だった。
アンバーの玉座の傍らにペトラと一緒に立ち、僕は玉座の前に跪く彼を眺めた。
漆黒の艶のある髪を緩やかに束ねている。
鼻筋は通っていて高く、凛々しい眉が彫りの深い顔のアクセントになっていた。
長いまつ毛は目元を縁どり、高貴な印象を受ける紫色の瞳は知性がある落ち着いた光を宿している。
一言で言うとすんごいイケメン…
ハリウッドの俳優でもここまでのイケメンは存在しないだろう。
「久しいなヴェストファーレン殿。
息災で何よりだ。
古くからの友に会えて嬉しく思う」
「ありがたきお言葉を賜り恐縮です。
陛下におかれましてもご健勝のことお慶び申し上げます」
低くよく通る声が玉座の間に反響する。
イケボ同士の会話に耳がおかしくなりそうだ。
自分の声が嫌になる…
アンバーが玉座から立ち上がり、ヴェストファーレンに歩み寄った。
王自ら、膝を着いている彼に手を差し伸べて立つように促した。
「そんなにかしこまらないでくれ、我が友よ。
こんなことをしてたら挨拶だけで今日が終わってしまう。
手紙を届けに来るだけの仕事じゃないだろう?」
「もちろんです。
悪い話も良い話も持ってきております」
「なるほど、了解した。
私も少し話があるのでね…」
そう言いながら二人でハグを交わした。
アンバーもかなり背が高いと思っていたが、ヴェストファーレンも同じくらいある。
「これで対等だ」とアンバーが声だけで笑った。
「感謝します、錬金術師の王陛下」
その場で腰を折って会釈すると、アンバーは僕に来るように合図した。
玉座の脇をすり抜け、アンバーの隣に歩み寄ると、彼は僕の肩を抱いて抱き寄せた。
その姿を見てヴェストファーレンは僅かに眉を動かした。
「新しい王子ですか?」と問うヴェストファーレンに、アンバーが僕を紹介した。
「似たようなものだ。
名前をミツルという。
私が召喚した勇者で、私の友人であり、弟子であり、我が愛娘ペトラの婚約者だ」
「んん?!」ヴェストファーレンは出かかった言葉を無理やり飲み込んだようだった。
そりゃそういう反応になるだろうさ。
大声で驚かなかっただけ凄いよ。
「失礼致しました…
少々取り乱しました」
ヴェストファーレンはすぐに持ち直したが動揺を隠せない様子だ。
勇者の存在を問いただしたかったのだろうが、こんなにあっさりポンと出されるとは思ってなかったのだろう。
「…なるほど、そう来ましたか…」
苦笑いをしながらヴェストファーレンが僕を眺めている。
品定めするような感じではなく、親戚の子供でも見るような優しい感じの視線だ。
「勇者殿、初めまして。
フィーア王国、南部侯ヴェルフェル家の家臣ワルター・フォン・ヴェストファーレンと申します。
お見知り置き下さいませ」
「平和島満です」
手を差し出すと彼は快く握手を返してくれた。
すごく感じのいい人だ。
「ペトラ王女の婚約者と伺いましたが」
「未熟者ですが」
「ご謙遜を…
確かに強い魔力は感じませんが、ミツル殿には不思議な気を感じます。
恐らく大成されれば私など足元にも及びません」
にこやかにそう言ってヴェストファーレンはアンバーに向き直った。
「ペトラ王女を与えるとなると、我々に勝ち目はありませんね」
「ほう?貴殿は諦めが良いのだな」
「ご冗談を、陛下。
私は諦めるのが嫌いなので、他のアプローチをするまでです。
ただ、ペトラ王女には心からお祝い申し上げます。
良い相手を得られましたね」
「素直に受け取っておこう」
アンバーが素直に賛辞を受け取り、ヴェストファーレンは僕に微笑みかけた。
「ミツル殿、ペトラ王女はアーケイイックの宝です。
貴殿らの未来に幸多からんことを」
「ありがとうございます」
なんだか気恥しい。
「立ち話もなんだ。
円卓を用意しているからそちらで話し合おう。
建設的な話し合いだと嬉しいのだがね」
「同感でございます、陛下」とヴェストファーレンは優雅に頷いて見せた。
四人で円卓を囲み、話し合いが始まった。
アンバーには喋らなくていいと言われていたので、黙って様子を見ていたが、半分くらい世間話だった。
あとは、最近の農業や工業の話や労働者の話に加え、どこで何が取れたとか、何が不足してるとかの話だった。
もっと踏み込んだ話をするかと思いきや、意外と終始穏やかな様子で話が進んでいく。
こうやって腹の探り合いをしてるのか…
そうこうしているうちに、話題がエルフ達の引渡しについてになった。
総勢十四名になるらしい。
「健康状態も概ね良好です。
出身地や性別、外見的特徴など、現時点で判明していることはお渡しした書類でご報告しております」
「感謝するヴェストファーレン殿。
貴殿のおかげでまた同胞を救うことが出来た」
「いいえ、陛下のお役に立てて光栄です」
「貴殿らには手間と労力をかけた。
何か必要なものがあれば何でも用立てよう」
アンバーは機嫌が良さそうだ。
それを見てヴェストファーレンはかねてより決めていたであろう要求を突きつけた。
「それでは、上級の魔法石を二百個程用立てていただきたく存じます。
あと、武器と鎧も頂戴したく存じます」
「何事かね?まるで戦争だ」
「オークランド王国の噂話をご存じですか?」
「ミツルに関するものかね?」
ヴェストファーレンは「いいえ」と首を振った。
「英雄と呼ばれていた騎士団長が急逝した件についてです。
公式発表では事故死となっておりますが、どうにもきな臭い。
その後、英雄の伯父である穏健派の副宰相が暗殺されたとか…」
アドニスの事か?
僕がアンバーに視線を移すと、アンバーは何も言わずにヴェストファーレンを見つめている。
「英雄と共に国に伝わる聖剣とやらも無くなったそうです。
詳細は不明ですが、ここのところ不祥事が立て続けに起きています。
我々はオークランドとは良い関係にはありませんから、我々にとっては良いニュースと言いたいところですが…」
「何か問題でも?」
「オークランドはどうにもプライドが高すぎるようですね。
自分たちの失策を誤魔化すために軍事行動に移るようです。
我々の間者から連絡がありました」
「また戦争か…」
アンバーの声が重く響いた。
「規模はまだ分かりませんが、行動に出るのは春夏いずれかでしょう。
南部は他国からの侵略を受けやすいですので備えをしてる次第です」
「それは我々に話していいのかね?」
「候も私もお伝えして問題ないかと…
上質な魔法石の調達が急務ですので」
魔法石って何に使うんだろう?
僕の疑問にペトラが小声で答えた。
「魔法の触媒に使われます。
魔法石を介して魔力を注ぐことにより、魔法を発動することができます。
他にも石に予め式を刻んで魔法を覚えさせ、特定の魔法を簡易的に発動させる事も可能です。
指輪や腕輪、首飾りなどの装飾品から杖や剣等にも使用されます」
「なるほど」
「アーケイイックの龍骨山脈では上質な魔法石を採取できます。
加工技術も人間ではドワーフ族には敵いません」
「へえ、そうなんだ。
じゃあ魔法石の利権はアーケイイックが握ってるんだ」
「上質なものを求めるならそうなります。
あとは少し遠いですが、ラーの谷やピロクセィニオ鉱山が有名です」
「そんな所まで買い付けには行ったらそれこそ年単位で時間が必要になってしまいます」
ペトラの話を聞いていたヴェストファーレンが苦笑混じりにそう言った。
「時間も労力も金銭も、全てにおいてこんなに良い取引相手は無いと思っております」
「おや?随分お得だと思われているようだね」
「もちろん陛下にとっても損のないように、ちゃんと我々もそれに見合った対価はお渡しするつもりです。
エルフ達の返還はきっかけということで、ちゃんと別の謝礼もご用意しております」
「ほぉ…楽しみだ」
「南海からの舶来品や知識書、希少なものばかりを取り揃えております。
必ずや陛下のお眼鏡に叶う事と存じます」
確かに聞いただけでアンバーの好きそうなものばかりだ…
このヴェストファーレンという男は曲者だ。
アンバーとの交渉も、自分から要求するのではなく、相手の方から何が欲しいかを問われてから自然な流れで要求を突きつけている。
しかもかなり用意周到だ。
「エルフ達の返還と取引につきましては後日日を改めてでよろしいでしょうか?」
「承知した。
こちらも用意するのにしばし時間がかかりそうだ。
二週間ほど時間を頂きたい」
アンバーの言葉に「もちろんです」とヴェストファーレンが頷いた。
交渉は概ねまとまったようだ。
「その際ですが、ヴェルフェル侯爵も同席させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「そういえばそのような文言も記載されていたな」
「今一度、彼の地を訪れたいと申しておりました。
侯爵は非常に楽しみにしておいでです。
見聞を広めるためにも良い事と思いましたので、ご了承頂けませんでしょうか?」
「ふむ…」
「もちろん大々的な歓迎などは頂かなくて結構です。
この取引自体非公式なものでありますので、我々も大所帯でお邪魔は致しません。
必要最低限の少数で参ります」
「なるほど…そこまでお気遣い頂いてお断りするのはしのびないな…」
「陛下!」ペトラが勢いよく立ち上がって講義の声をあげた。
「はしたないぞペトラ。
ちゃんと座っていなさい」
「ですが…」
「ペトラ王女は我々がミツル殿を誘惑して、我が国に連れ帰ると思っていらっしゃるのでしょう」
ヴェストファーレンに核心を突かれてペトラの顔が険しくなる。
何も言えずに固まっている彼女に、アンバーが「席につきなさい」と低い声で言った。
「申し訳ない。
王女としてまだ未熟ゆえ、ご勘弁願いたい」
「恋する乙女は何も見えなくなるものです。
私こそ配慮がたらぬばかりに、ペトラ王女の繊細なお心を乱してしまいました。
心よりお詫び申し上げる所存でございます」
そう言って悲しそうに頭を振った。
「勇者を我が国にお招きしたい気持ちはもちろんございますが、そのようなことになれば我が国もそれ相応の覚悟が必要になります。
フィーア王国の七大貴族に数えられる我らが主もそこまでのリスクは犯せません。
あくまでご挨拶ということで、ペトラ王女にもご了承いただければと願う所存です」
名俳優の言葉にアンバーの方が折れた。
彼の中で、この男と揉めるのは得策ではないらしい。
アンバーは素直にヴェストファーレンに謝罪した。
「ヴェストファーレン殿、娘の非礼をお詫びする。
貴殿の良いように取り計って頂きたい。
私自身はヴェルフェル候とお会い出来るのを楽しみにしているとお伝え頂きたい」
「至極恐悦にございます、陛下」
完璧な所作で恭しく頭を下げるヴェストファーレンに対し、ペトラは悔しそうに俯いた。
自分の一時の感情で交渉の場を乱してしまったことを恥じているのだろう。
「さて、随分長話をしてしまった…
ささやかだが歓迎の食事を用意させている。
続きはまた明日にしよう」
「これは失礼致しました。
時間が過ぎるのはあっという間ですね」
「口に合うか分からないが、アーケイイックの馳走を楽しんでくれ。
私は食べたこと無いので味は保証しないが」
「ユーモアの強いジョークですね」
ふふっと小さく笑うヴェストファーレンは機嫌が良さそうだ。
「せっかくのご馳走を一人で食べるのは寂しいですな。
是非どなたかご一緒させて頂けませんか?」
子供みたいなことを言う人だな…
アンバーは返事をせずに、席を立つと僕の肩を叩いて、「まあ、そういうことだから」と丸投げした。
「僕?」
「私は飲み食いできないし、イールとルイはこれから魔法石と武器の手配をしてもらう。
ウィオラはルキアの世話があるし、ペトラは書類作成を手伝ってもらわないといけない。
誰が一番暇か?そう君だ!」
黙って聞いてりゃ無茶苦茶な言い分だな…
「僕はお酒飲めませんよ」
僕の言葉にヴェストファーレンは「構わないよ」と答えた。
「飲めない人間に無理して飲ますなんて野暮なことはしないさ。
そんなことしたら楽しい食事が台無しになる」
「それならご一緒します」
マナーとか大丈夫かな…粗相しなきゃいいけど…
不安な僕の考えを他所に、ヴェストファーレンは楽しそうだ。
「ではまた後程」と待たせていた従者を伴い、部屋を出て行った。
靴音が遠ざかり、聞こえなくなった頃にアンバーが大きなため息を吐いた。
「全く…なんて豪胆な人間だ…」
「ずっと彼のペースだったんじゃないの?」
「全くだ。
ペトラ、お前ももう少し王女として冷静さを保つように努力してもらわねば困る」
「申し訳ございません」
注意されたペトラは意気消沈している。
「何とか有耶無耶にする気でいたのだが、そうさせてくれるほど軽い相手ではなかったな。
ヴェルフェル候は他国からは《南部の狂犬》やら、《傭兵貴族》等と呼ばれているそうだ。
当代の侯爵はまだ若く型破りな人物だと聞き及んでいる。
ただ、彼に関しては悪口ばかりで情報は少ない」
「もういっそ会ってみた方がいいんじゃない?」
「私もそう思わなくはないが、相手は他国の有力貴族だ。
また、肩の凝るような対応をしなくてはならない。
つまらない揉め事が起こらなければいいが…」
「ははは…ありそう…」
皆アンバーのこと大好きだもんなぁ…
イール辺りが一番危なそうだ。
今後の対応を思ってアンバーが盛大なため息を吐く。
外交って大変そうだな。
多分僕には向いてない。
「ヴェストファーレンは相手の心を読む天才だ。
駆け引きも上手い。
正直、我が国の内情をあまり知らず、権限の少ない君が喋った方が情報は守られ、変な約束をせずに済む」
「あぁ、そういうこと?」
だから忙しさにかこつけて僕を指名したのか。
「いいよ、ヴェストファーレンと喋るのも楽しそうだ。
なんかいい話があったら伝えるよ」
アンバーは「期待しておくよ」と答えて笑った。
「君もすっかりアーケイイックの一員だな」
その言葉がなんだか嬉しかった。
城に寝泊まりして、タダ飯食べてばかりの役に立たない勇者だ。
たまには役に立たないと申し訳ない。
初めてのお使いを頼まれた子供の気分だ。
「じゃあアーケイイック代表でヴェストファーレンに挑んでくるよ」
僕はアンバーにそう告げて背を向けた。
僕はこの世界をまだほとんど知らない。
だから勇者を引き受けた。
彼らの平和が護れるなら、どんな相手でも引かないって決めたんだ。
彼にとっては馴染みのない、洋風の石や煉瓦で出来た建物が並び、足元は石畳で舗装されている。
「凄い街並みだね」
「ここは王城の城下町だからな。
できる限り文明的に見えるように城下を整備した結果だ」
満の言葉に、傍らに立った人物が答えた。
目深にフードをかぶり、魔法使いのようなローブを身に纏っているが、その身に付けている服も装飾品も明らかに高価なものだった。
満はこの世界のことをまだあまり知らない。
彼はこの世界の人間では無かった。この世界に来て一年も経っていない、異世界から召喚された人間だ。
満を召喚したのは、彼と話をしている相手、勇者の宿敵である魔王と呼ばれる存在だった。
彼は特別な外見をしていた。
身体中の肉が全く無く、骨が剥き出しになった身体があやつり人形の様に勝手に動いている。
落窪んだ眼窩には赤い光が点っており、ハロウィンの作り物のような不気味な姿を晒していた。
錬金術師の王。
不死者である彼は、元々は人間だったが、ある時を境に怪物になってしまったらしい。
人の時の名をアンバー・ワイズマンという。
彼は元オークランド宰相まで上り詰めた、偉大な魔導師であり、錬金術師だった。
満以外にも過去に一人勇者を召喚したのだが、彼の存在が世界のパワーバランスを壊した。
勇者の存在はこの世界にとって異物であり、世界の秩序を壊す厄介な存在だと、彼は身を持って知っていた。
彼は人間を辞めて、先代の魔王と共に国の基盤を造り、すり潰されそうになってい魔族たちの最後の土地を守った。
アーケイイック連邦王国は魔族にとって最後の安住の地なのだ。
この世界は約百五十年に一度だけ異世界から一人の人間を招くことが出来る。
その異邦人こそが《勇者》と呼ばれ、世界を救う運命を背負う人物だ。
押し付けがましい制度だが、この世界ではそれが慣例となっている。
アンバーの召喚した一人目の勇者は、過度な期待をされた挙句、戦争の旗印にされてすり潰され、戦争の歴史の中に消えた。
新たな勇者もそうなるはずだったが、魔王であるアンバーが召喚したことで、勇者は本来の目的を見失っていた。
戦いの日々に身を投じるはずだった勇者はダラダラと異世界を楽しんでいる。
「市も導入している。
二十日に一度市が並ぶ。
場所代は取らないが、区画を使うのには許可が必要だ。
揉めると面倒だしな。
各地からの交易品や食べ物や嗜好品、生活用品なども購入できるし、情報も持ち寄る。
一部物々交換にはなるが、金さえあればだいたい交換してくれるから困らないな」
「物価は統一されてるの?
部族によって価値観違わないの?」
「いい質問だな。
こればかりは私が口を出す問題ではない。
穀類の価格の基準は定めているが、あとは本人達に決めさせている。
交渉も自由だ」
「それで?経済効果もあるの?」
「当然だ」とアンバーが嬉しそうに鼻で笑った。
「安定的に稼働するまで三十年程かかったが、今では随分スムーズな取引ができるようになった。
私の民は素直で勤勉だ。
誇るべきことだな」
「へえ、すごいね、頑張ったんだ」
満か心から賛辞を贈る。
魔王は心做しか嬉しそうだ。
自分を褒められたことより、自分の政策を受け入れてくれた民を思えばこそだった。
「私が人間なら挫折していただろうが、喜ばしいことに不死者とは都合がいい。
これからもこの国を際限なく成長させられる」
彼の目標はこんな所ではない。
「これからも我々は進歩する。
安定した平和な国を手に入れるなら、自給自足に根ざした国造りが必要だ。
水が高い所から行き渡るように、この国に潤いを行き渡らせるのが私の役割であり、彼らへの贖罪だ」
「真面目だなぁ…」
満は苦笑しながらまた街に視線を移した。
アンバーが勇者を召喚しなければ、多くの魔族が粛清される事はなかったかもしれない。
それでも、彼らが今こうやって暮らしているのは他の誰でもない、アンバーの功績だ。
「僕達も彼らも不思議な縁だね」
満の言葉にアンバーも頷いて返した。
「全くだ。
人生はどう転ぶか分からないものだな」
彼ほどその言葉を体現している人は存在しないだろう。
そう思って満は笑っていた。
✩.*˚
「ああ、困ったわ」
第一王女のペトラは王の執務室で書状を手にしたまま狼狽えていた。
美しい顔には困惑の表情が浮かび、眉を顰めて眉根に皺を寄せている。
彼女の風貌は少し個性的だった。
長い銀の髪とエメラルドグリーンの瞳の褐色の肌のエルフ。
大陸の南から流れてきた日に焼けた者と呼ばれる少数民族のアイビス族の出身だ。
彼女はエルフ独特の長い耳を途中で切り落とされていた。
彼女にとって不名誉な傷だが、今ではそれを恥じてはいない。
彼女は愛する人のおかげでその傷を隠さなくなっていた。
愛する人とは勇者として召喚された青年の事だった。
勇者の妻を名乗るほどの惚れこみ様だ。
その彼女にとって、今回の件は看過できないものだった。
「ねえ、イール。
この件は陛下に何と報告したらいいかしら?」
彼女はその場にいた双子の弟に相談した。
「不可侵条約を結んでいるとはいえ、人間の国の侯爵の訪問は歓迎できないわ…
こんな時期にいきなりの申し出よ。
絶対私のミツル様を狙っているのよ!」
「私のは余計でしょう…
陛下の策で人間の国にも噂を流布させたのが他国にも流れたんですね。
フィーア王国のヴェルフェル候は我が国にとっても重要人物ですから無下には出来ません。
しかも今回の訪問は奴隷にされた同胞の解放を提示されています」
ペトラは手にした紙束に目をやった。
奴隷として他国に流れたエルフ一人ずつの名前や年齢、性別、特徴などが細かく記されている。
ヴェルフェル候は魔族の奴隷解放のために協力してくれる数少ない人間の協力者だ。
彼の目的は定かではないが、ペトラもイールも奴隷にされた同胞を助けられるのなら助けたい気持ちが強い。
ペトラやイールも奴隷にされそうになった過去がある。
彼らは運良くアンバーに救われたが、そうで無かった者の事を思うと心が痛んだ。
「とにかく、陛下がお戻りになるまではお返事できないわ。
使者のヴェストファーレン様は今どうされてるの?」
「ウィオラが応対していますよ。
一緒に茶会をしているはずです」
「ウィオラ大丈夫かしら…」
ペトラは義妹を思って呟いた。
「ヴェストファーレン様は確かに魅力的な方とだけど、女性を見たらすぐに口説きにかかるから質が悪いわ」
「社交辞令が過ぎますね」
姉の言葉にイールも頷く。
ペトラと初めて面会した際、優しくだが包み込むように手を握って離さなかった。
姉がかなり引き攣った笑みを浮かべていたが、そんなことにはお構い無しに、穏やかな低い声で彼女を口説いていたのを思い出す。
確かに見るものを魅了する美丈夫だが、ペトラの言う通り質が悪い。
「私の心はミツル様のものですもの」
恥ずかしそうに頬を染める姉にイールは冷めた視線を向けた。
理解できない。
確かに人間的には良い奴なのだろうが、勇者という肩書き以外は全くの凡人だ。
むしろイールの中では中の下くらいだと辛口の採点をしている。
「そんなことはさて置き、ミツルが陛下と城に戻って、ヴェストファーレン様といきなり接触しなければいいのですか…」
「そうね!大変だわ!
私ったらミツル様をお迎えに上がらないと!」
そう言ってペトラは燕のように軽やかにバルコニーに飛び出すと、静止するイールを無視して手摺からダイブした。
城の最上階の五階から迷わず身を投げた彼女だったが、その体が地面に叩きつけられることはなかった。
大地は彼女を拒否したかもしれないが、彼女は翼でもあるかのように穏やかに着地した。
「ありがとう、アリス」
契約している風の精霊に礼を言って、何事も無かったかのように歩き出す。
以前契約してた精霊に比べれば、今の精霊は力が弱い。
だが、こうやって自分に馴染ませ、魔力を与え続けると次第に精霊の力も強力になるのだ。
荒っぽい馴染ませ方だが確実で効果のある育てかただ。
あとは彼女の多少横着な性格も反映されていることは否めない。
「アリス。
正門まで飛べるかしら?
ミツル様を驚かせてあげましょう」
ペトラが独り言のようにそう言うと精霊はそっとペトラの顔を撫でた。
アリスは了承してくれたようだ。
彼女を中心につむじ風が起こると、ペトラの体は宙に舞った。
翼に見えるのは魔力で精霊が具現化した姿だ。
この姿を見たら驚くかしら?
そう思ってペトラは楽しそうに笑った。
✩.*˚
正門に入って車を降りた僕らの前に天使が舞い降りた。
「ぺトラ?」
「お帰りなさいませ、ミツル様」
ふわりと重力を感じさせない所作でペトラが着地する。
銀の髪をなびかせ、白と黄色を基調にしたドレスを纏った姿はまさに天使か女神だ。
エメラルドグリーンの瞳がキラキラと輝いていて眩しい。
「おかえりなさいと言いたくて飛んで参りました。
城下はいかがでしたか?」
「ペトラ、私もいるのだが…」
「陛下もお帰りなさいませ」
「うむ」なんだか複雑な感情を含んだ返事を返してアンバーは頷いた。
血の繋がりがないにしても、娘が他の男に夢中というのはなんだか複雑な気分だろうな…
「城下は変わりない。
私の留守中も特に問題は無かったか?」
「それが、陛下にご相談したいことがあるのですが…」
話しながらペトラは僕の腕に華奢な腕を絡めて、僕がどこかに行かないようにキープしている。
「ヴェストファーレン様が急遽ご訪問されまして…」
「ほう?何事かな?」
名前を聞いてアンバーは不思議そうに首を傾げた。
「誰なの?」と尋ねる僕にアンバーが答えた。
「隣国のフィーア王国の南部候の部下だ。
南部候ヴェルフェル侯爵は人間の数少ない理解者の一人だ。
ただ、ちょっと底の知れない怖い相手でもあるな」
「怖いの?」
「腹の中では何を考えてるのか分からないところがある。
我々との交易特権を保証する代わりに、他国に流れて奴隷となった魔族の返還をしてくれているが、正直、それだけが目的ではないだろうな…」
「今回も名簿を持ってきてくださったのですが、近日中にヴェルフェル候自身で来訪されたいとの事で…
恐らく、勇者の存在を確認するためかと…」
「なるほど、返事はまだだな?」
「はい、私たちだけではお返事出来ないのでお待ち頂いております。
如何致しましょう?」
ペトラの腕に力が入る。
柔らかいいい香りの身体が密着する。
「そうだな…」
アンバーが困ったように天を仰いだ。
「とりあえず、ペトラはミツルから離れなさい。
娘がいちゃついている姿を父親に見せるものでは無いぞ」
「嫌です。
久しぶりにお会い出来たのに…」
悲しそうな声で言うけど、昨日の夕食にも会ってる。
「昨日も会っただろう?」
「今朝はお会い出来ませんでした!」
「久しぶりのスパンが短い!」
関西人じゃない僕でもついツッコミを入れたくなる。
なんか可愛いところもあるんだけど、だいぶ拗らせてるんだよな…
エルフだからもう二百歳超えてるらしいのに…
「分かったから、そんなに密着しないでくれ。
見せられてるこちらの方は間違いがないかヒヤヒヤする」
「ペトラ、歩きにくいから手を繋ごうか?」
僕の提案に彼女は嬉しそうに「はい」と応じた。
骨だけの姿なのにアンバーはため息を吐いている。
アンバーにこれでいいかと視線で問うと、彼は渋々小さく頷いた。
「それで?
何で僕に会いに来たの?
っていうかもうそんな他の国で知られてるの?」
「アドニスの部下を国境付近の村に放逐しただろう?
そんなことがあれば農民だって何かあったと思うさ。
奴らに噂話を流布させて、国内を揉めさせる算段だったんだが、思わぬ弊害が出たようだな」
僕がアンバーに召喚されたことをいち早く察したオークランド王国は、勇者奪還のため英雄・アドニスを送り込んできた。
アドニスは数人の騎士や魔法使いと一緒に来てたが、すぐに魔族側に見つかって捕まった。
仲間が変な欲を出したのが失敗に繋がったらしい。
それなりに被害もあり、ペトラが捕まって酷い目にあっていた所を、僕がイール達と一緒に助けたのだ。
アンバーの采配で、不要な人間は送り返したが、帰せば害になる人間だけは国内に留めているらしい。
「これはフィーアには関係の無いことですわ。
何とかお断り出来ないでしょうか?」
「まぁ、私もそうしたいところだが…
相手がなぁ…ヴェストファーレン殿を使者に立てるというのは相手もそう簡単に引き下がらないぞ…」
「どういう人なの?」
「一言で言うと、タラシだ」
「言い方悪くない?」
スッパリと言い切ったアンバーに僕が苦笑いを返すと、アンバーは肩を竦めて見せた。
「君も騙されるさ。
総合的にパーフェクトな人間だ。
外見も所作も言葉遣いも知識の幅さえ底がしれない。
武人であり文官であり、魔法使いで精霊も扱える。
四ヶ国語を駆使し、話した相手を魅了する。
ハーフエルフらしいが、エルフの方の血が濃いのだろう。
姿は初めて見た時から変わらない」
「こっわぁ…」
「全くだ。
友人としてなら頼もしいが、外交の交渉相手になった途端脅威以外の何者でもない…」
「インパクトならアンバーの方が強いよ。
なんたって骨だからね」
「褒めてないだろう?
この姿は何かと不便だが、役に立つこともある」
「陛下!そんな悠長に話している場合ではありませんよ!
本当にフィーア王国にミツル様を連れていかれてしまいます!」
ペトラに叱られてまた不死者の王は肩を竦めた。
彼は本当にペトラに甘い。
「それで?
私に彼を諦めさせろと?
面倒はさておき、難しい相談だな…」
困ったように腕を組んで唸るアンバーをペトラが睨んでいる。
僕の手を握る彼女の手に力が入る。
「ペトラ、心配するなって」
「でも…」
ペトラが一瞬口を噤んだ。
迷う素振りをして彼女は消えそうな声で呟いた。
「ミツル様は人間ですから…
人間の国に行きたくなってしまうかもしれませんわ…
もしかすると、もうアーケイイックに戻らないかも知れないですもの」
「心配症だな。
もしかしたらの話でそんなに落ち込まないでよ」
「まあ、可能性の一つとして充分ありうる話だ。
君に帰る気があっても、そう易々とは帰らせてはくれないだろう。
私だって同じことをする」
「アンバー、フォローしてくれないとペトラが泣いちゃうよ」
「ペトラが案ずるのも無理はないということだ。
君はもう少し自分が重要人物だと自覚することだ。
君の行動の一つ一つが世界から注目されているんだからな」
「うわぁ…不自由だなぁ…」
勇者って不便…
上野動物園のパンダの方が楽で楽しそうだ。
「まあ、そういう事だ。
理解したなら一番いい服に着替えて来たまえ」
「え?」
「え?じゃない。
君も一緒に来るんだよ。
ヴェストファーレン殿に隠し事は無意味だ。
下手に隠すより、ペトラの婚約者として堂々と紹介した方が良い」
「…マジで言ってる?」
「陛下!本当に?!お認めいただけるのですか?!」
ペトラの声で耳がキーンとなった。
飛び上がるほど喜んでいるペトラに、アンバーは「婚約な」と釘を刺した。
「君を他者に渡すくらいなら私はなんだってするさ。
ペトラじゃ不服かね?」
僕が首を横に振るのを見てアンバーは意地悪そうに喉の奥で笑った。
「なに、君は愛想良くして立っているだけでいい。
質問されてもはっきり答えずに濁せばいい。
君はそういうの得意だろう?」
「…善処しまぁす」
まあ、下手に隠そうとして状況が悪くなるのも困るし、後から引っ張りだされても困るけどさ…
何だか彼の手のひらの上で転がされている気分だ。
そんなに器用な性格じゃないんだけどな…
✩.*˚
「この度は拝謁賜り、恐悦至極に存じます錬金術師の王陛下」
玉座の前に恭しく膝をつき、挨拶するヴェストファーレンは確かに美丈夫にふさわしい姿だった。
アンバーの玉座の傍らにペトラと一緒に立ち、僕は玉座の前に跪く彼を眺めた。
漆黒の艶のある髪を緩やかに束ねている。
鼻筋は通っていて高く、凛々しい眉が彫りの深い顔のアクセントになっていた。
長いまつ毛は目元を縁どり、高貴な印象を受ける紫色の瞳は知性がある落ち着いた光を宿している。
一言で言うとすんごいイケメン…
ハリウッドの俳優でもここまでのイケメンは存在しないだろう。
「久しいなヴェストファーレン殿。
息災で何よりだ。
古くからの友に会えて嬉しく思う」
「ありがたきお言葉を賜り恐縮です。
陛下におかれましてもご健勝のことお慶び申し上げます」
低くよく通る声が玉座の間に反響する。
イケボ同士の会話に耳がおかしくなりそうだ。
自分の声が嫌になる…
アンバーが玉座から立ち上がり、ヴェストファーレンに歩み寄った。
王自ら、膝を着いている彼に手を差し伸べて立つように促した。
「そんなにかしこまらないでくれ、我が友よ。
こんなことをしてたら挨拶だけで今日が終わってしまう。
手紙を届けに来るだけの仕事じゃないだろう?」
「もちろんです。
悪い話も良い話も持ってきております」
「なるほど、了解した。
私も少し話があるのでね…」
そう言いながら二人でハグを交わした。
アンバーもかなり背が高いと思っていたが、ヴェストファーレンも同じくらいある。
「これで対等だ」とアンバーが声だけで笑った。
「感謝します、錬金術師の王陛下」
その場で腰を折って会釈すると、アンバーは僕に来るように合図した。
玉座の脇をすり抜け、アンバーの隣に歩み寄ると、彼は僕の肩を抱いて抱き寄せた。
その姿を見てヴェストファーレンは僅かに眉を動かした。
「新しい王子ですか?」と問うヴェストファーレンに、アンバーが僕を紹介した。
「似たようなものだ。
名前をミツルという。
私が召喚した勇者で、私の友人であり、弟子であり、我が愛娘ペトラの婚約者だ」
「んん?!」ヴェストファーレンは出かかった言葉を無理やり飲み込んだようだった。
そりゃそういう反応になるだろうさ。
大声で驚かなかっただけ凄いよ。
「失礼致しました…
少々取り乱しました」
ヴェストファーレンはすぐに持ち直したが動揺を隠せない様子だ。
勇者の存在を問いただしたかったのだろうが、こんなにあっさりポンと出されるとは思ってなかったのだろう。
「…なるほど、そう来ましたか…」
苦笑いをしながらヴェストファーレンが僕を眺めている。
品定めするような感じではなく、親戚の子供でも見るような優しい感じの視線だ。
「勇者殿、初めまして。
フィーア王国、南部侯ヴェルフェル家の家臣ワルター・フォン・ヴェストファーレンと申します。
お見知り置き下さいませ」
「平和島満です」
手を差し出すと彼は快く握手を返してくれた。
すごく感じのいい人だ。
「ペトラ王女の婚約者と伺いましたが」
「未熟者ですが」
「ご謙遜を…
確かに強い魔力は感じませんが、ミツル殿には不思議な気を感じます。
恐らく大成されれば私など足元にも及びません」
にこやかにそう言ってヴェストファーレンはアンバーに向き直った。
「ペトラ王女を与えるとなると、我々に勝ち目はありませんね」
「ほう?貴殿は諦めが良いのだな」
「ご冗談を、陛下。
私は諦めるのが嫌いなので、他のアプローチをするまでです。
ただ、ペトラ王女には心からお祝い申し上げます。
良い相手を得られましたね」
「素直に受け取っておこう」
アンバーが素直に賛辞を受け取り、ヴェストファーレンは僕に微笑みかけた。
「ミツル殿、ペトラ王女はアーケイイックの宝です。
貴殿らの未来に幸多からんことを」
「ありがとうございます」
なんだか気恥しい。
「立ち話もなんだ。
円卓を用意しているからそちらで話し合おう。
建設的な話し合いだと嬉しいのだがね」
「同感でございます、陛下」とヴェストファーレンは優雅に頷いて見せた。
四人で円卓を囲み、話し合いが始まった。
アンバーには喋らなくていいと言われていたので、黙って様子を見ていたが、半分くらい世間話だった。
あとは、最近の農業や工業の話や労働者の話に加え、どこで何が取れたとか、何が不足してるとかの話だった。
もっと踏み込んだ話をするかと思いきや、意外と終始穏やかな様子で話が進んでいく。
こうやって腹の探り合いをしてるのか…
そうこうしているうちに、話題がエルフ達の引渡しについてになった。
総勢十四名になるらしい。
「健康状態も概ね良好です。
出身地や性別、外見的特徴など、現時点で判明していることはお渡しした書類でご報告しております」
「感謝するヴェストファーレン殿。
貴殿のおかげでまた同胞を救うことが出来た」
「いいえ、陛下のお役に立てて光栄です」
「貴殿らには手間と労力をかけた。
何か必要なものがあれば何でも用立てよう」
アンバーは機嫌が良さそうだ。
それを見てヴェストファーレンはかねてより決めていたであろう要求を突きつけた。
「それでは、上級の魔法石を二百個程用立てていただきたく存じます。
あと、武器と鎧も頂戴したく存じます」
「何事かね?まるで戦争だ」
「オークランド王国の噂話をご存じですか?」
「ミツルに関するものかね?」
ヴェストファーレンは「いいえ」と首を振った。
「英雄と呼ばれていた騎士団長が急逝した件についてです。
公式発表では事故死となっておりますが、どうにもきな臭い。
その後、英雄の伯父である穏健派の副宰相が暗殺されたとか…」
アドニスの事か?
僕がアンバーに視線を移すと、アンバーは何も言わずにヴェストファーレンを見つめている。
「英雄と共に国に伝わる聖剣とやらも無くなったそうです。
詳細は不明ですが、ここのところ不祥事が立て続けに起きています。
我々はオークランドとは良い関係にはありませんから、我々にとっては良いニュースと言いたいところですが…」
「何か問題でも?」
「オークランドはどうにもプライドが高すぎるようですね。
自分たちの失策を誤魔化すために軍事行動に移るようです。
我々の間者から連絡がありました」
「また戦争か…」
アンバーの声が重く響いた。
「規模はまだ分かりませんが、行動に出るのは春夏いずれかでしょう。
南部は他国からの侵略を受けやすいですので備えをしてる次第です」
「それは我々に話していいのかね?」
「候も私もお伝えして問題ないかと…
上質な魔法石の調達が急務ですので」
魔法石って何に使うんだろう?
僕の疑問にペトラが小声で答えた。
「魔法の触媒に使われます。
魔法石を介して魔力を注ぐことにより、魔法を発動することができます。
他にも石に予め式を刻んで魔法を覚えさせ、特定の魔法を簡易的に発動させる事も可能です。
指輪や腕輪、首飾りなどの装飾品から杖や剣等にも使用されます」
「なるほど」
「アーケイイックの龍骨山脈では上質な魔法石を採取できます。
加工技術も人間ではドワーフ族には敵いません」
「へえ、そうなんだ。
じゃあ魔法石の利権はアーケイイックが握ってるんだ」
「上質なものを求めるならそうなります。
あとは少し遠いですが、ラーの谷やピロクセィニオ鉱山が有名です」
「そんな所まで買い付けには行ったらそれこそ年単位で時間が必要になってしまいます」
ペトラの話を聞いていたヴェストファーレンが苦笑混じりにそう言った。
「時間も労力も金銭も、全てにおいてこんなに良い取引相手は無いと思っております」
「おや?随分お得だと思われているようだね」
「もちろん陛下にとっても損のないように、ちゃんと我々もそれに見合った対価はお渡しするつもりです。
エルフ達の返還はきっかけということで、ちゃんと別の謝礼もご用意しております」
「ほぉ…楽しみだ」
「南海からの舶来品や知識書、希少なものばかりを取り揃えております。
必ずや陛下のお眼鏡に叶う事と存じます」
確かに聞いただけでアンバーの好きそうなものばかりだ…
このヴェストファーレンという男は曲者だ。
アンバーとの交渉も、自分から要求するのではなく、相手の方から何が欲しいかを問われてから自然な流れで要求を突きつけている。
しかもかなり用意周到だ。
「エルフ達の返還と取引につきましては後日日を改めてでよろしいでしょうか?」
「承知した。
こちらも用意するのにしばし時間がかかりそうだ。
二週間ほど時間を頂きたい」
アンバーの言葉に「もちろんです」とヴェストファーレンが頷いた。
交渉は概ねまとまったようだ。
「その際ですが、ヴェルフェル侯爵も同席させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「そういえばそのような文言も記載されていたな」
「今一度、彼の地を訪れたいと申しておりました。
侯爵は非常に楽しみにしておいでです。
見聞を広めるためにも良い事と思いましたので、ご了承頂けませんでしょうか?」
「ふむ…」
「もちろん大々的な歓迎などは頂かなくて結構です。
この取引自体非公式なものでありますので、我々も大所帯でお邪魔は致しません。
必要最低限の少数で参ります」
「なるほど…そこまでお気遣い頂いてお断りするのはしのびないな…」
「陛下!」ペトラが勢いよく立ち上がって講義の声をあげた。
「はしたないぞペトラ。
ちゃんと座っていなさい」
「ですが…」
「ペトラ王女は我々がミツル殿を誘惑して、我が国に連れ帰ると思っていらっしゃるのでしょう」
ヴェストファーレンに核心を突かれてペトラの顔が険しくなる。
何も言えずに固まっている彼女に、アンバーが「席につきなさい」と低い声で言った。
「申し訳ない。
王女としてまだ未熟ゆえ、ご勘弁願いたい」
「恋する乙女は何も見えなくなるものです。
私こそ配慮がたらぬばかりに、ペトラ王女の繊細なお心を乱してしまいました。
心よりお詫び申し上げる所存でございます」
そう言って悲しそうに頭を振った。
「勇者を我が国にお招きしたい気持ちはもちろんございますが、そのようなことになれば我が国もそれ相応の覚悟が必要になります。
フィーア王国の七大貴族に数えられる我らが主もそこまでのリスクは犯せません。
あくまでご挨拶ということで、ペトラ王女にもご了承いただければと願う所存です」
名俳優の言葉にアンバーの方が折れた。
彼の中で、この男と揉めるのは得策ではないらしい。
アンバーは素直にヴェストファーレンに謝罪した。
「ヴェストファーレン殿、娘の非礼をお詫びする。
貴殿の良いように取り計って頂きたい。
私自身はヴェルフェル候とお会い出来るのを楽しみにしているとお伝え頂きたい」
「至極恐悦にございます、陛下」
完璧な所作で恭しく頭を下げるヴェストファーレンに対し、ペトラは悔しそうに俯いた。
自分の一時の感情で交渉の場を乱してしまったことを恥じているのだろう。
「さて、随分長話をしてしまった…
ささやかだが歓迎の食事を用意させている。
続きはまた明日にしよう」
「これは失礼致しました。
時間が過ぎるのはあっという間ですね」
「口に合うか分からないが、アーケイイックの馳走を楽しんでくれ。
私は食べたこと無いので味は保証しないが」
「ユーモアの強いジョークですね」
ふふっと小さく笑うヴェストファーレンは機嫌が良さそうだ。
「せっかくのご馳走を一人で食べるのは寂しいですな。
是非どなたかご一緒させて頂けませんか?」
子供みたいなことを言う人だな…
アンバーは返事をせずに、席を立つと僕の肩を叩いて、「まあ、そういうことだから」と丸投げした。
「僕?」
「私は飲み食いできないし、イールとルイはこれから魔法石と武器の手配をしてもらう。
ウィオラはルキアの世話があるし、ペトラは書類作成を手伝ってもらわないといけない。
誰が一番暇か?そう君だ!」
黙って聞いてりゃ無茶苦茶な言い分だな…
「僕はお酒飲めませんよ」
僕の言葉にヴェストファーレンは「構わないよ」と答えた。
「飲めない人間に無理して飲ますなんて野暮なことはしないさ。
そんなことしたら楽しい食事が台無しになる」
「それならご一緒します」
マナーとか大丈夫かな…粗相しなきゃいいけど…
不安な僕の考えを他所に、ヴェストファーレンは楽しそうだ。
「ではまた後程」と待たせていた従者を伴い、部屋を出て行った。
靴音が遠ざかり、聞こえなくなった頃にアンバーが大きなため息を吐いた。
「全く…なんて豪胆な人間だ…」
「ずっと彼のペースだったんじゃないの?」
「全くだ。
ペトラ、お前ももう少し王女として冷静さを保つように努力してもらわねば困る」
「申し訳ございません」
注意されたペトラは意気消沈している。
「何とか有耶無耶にする気でいたのだが、そうさせてくれるほど軽い相手ではなかったな。
ヴェルフェル候は他国からは《南部の狂犬》やら、《傭兵貴族》等と呼ばれているそうだ。
当代の侯爵はまだ若く型破りな人物だと聞き及んでいる。
ただ、彼に関しては悪口ばかりで情報は少ない」
「もういっそ会ってみた方がいいんじゃない?」
「私もそう思わなくはないが、相手は他国の有力貴族だ。
また、肩の凝るような対応をしなくてはならない。
つまらない揉め事が起こらなければいいが…」
「ははは…ありそう…」
皆アンバーのこと大好きだもんなぁ…
イール辺りが一番危なそうだ。
今後の対応を思ってアンバーが盛大なため息を吐く。
外交って大変そうだな。
多分僕には向いてない。
「ヴェストファーレンは相手の心を読む天才だ。
駆け引きも上手い。
正直、我が国の内情をあまり知らず、権限の少ない君が喋った方が情報は守られ、変な約束をせずに済む」
「あぁ、そういうこと?」
だから忙しさにかこつけて僕を指名したのか。
「いいよ、ヴェストファーレンと喋るのも楽しそうだ。
なんかいい話があったら伝えるよ」
アンバーは「期待しておくよ」と答えて笑った。
「君もすっかりアーケイイックの一員だな」
その言葉がなんだか嬉しかった。
城に寝泊まりして、タダ飯食べてばかりの役に立たない勇者だ。
たまには役に立たないと申し訳ない。
初めてのお使いを頼まれた子供の気分だ。
「じゃあアーケイイック代表でヴェストファーレンに挑んでくるよ」
僕はアンバーにそう告げて背を向けた。
僕はこの世界をまだほとんど知らない。
だから勇者を引き受けた。
彼らの平和が護れるなら、どんな相手でも引かないって決めたんだ。
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