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ペトラ
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アーケイックに送り込んだ弟子が失踪した。
魔物の国だ。
死んだと言えばそうなのだろう。
しかし、もし、万が一に捕まっていたら…
「…手の内がバレるのは宜しくないな」
円卓に座った若い騎士は腕を組んで呟いた。
若輩ながら騎士団の団長を拝命しているだけあり、形骸化して久しい名門貴族出身であるものの、頭の回転も剣の腕も申し分ない。
「予定変更だ。
多少情報不足だがやむを得ん。
派遣した魔術師達を呼び戻し、早急に情報を精査した上で我々は勇者奪還に動く」
「行方不明の者はいかが致しましょうか?」
「魔王側に悟られては行動が難しくなる。
可哀想だが諦めてくれ」
見ず知らずの土地での捜索は困難を極める。
今は弟子を探すことよりも、王命を実行する事が優先される。
それなりに才能のある人間だっただけに惜しい…
アレン・サッチャーはいい魔法使いだった。
魔王国に送り出していた弟子たちは八人のうち二人が行方不明になり音信不通だ。
残った弟子たちを集め、情報をまとめあげる。
僅かにわかる程度のざっくりとした地図と地点の情報を大きな紙に記録していく。
この作業だけでまる二日かかった。
さて、あの英雄様の欲しい情報はあるかな…
「老師、小生の記録致しましたこの地点ですが…」
弟子のひとりが山の中腹を指さした。
特に何の変哲もない場所だ。
「何だ?何かあったのか?」
「恐らくですが、ドラゴンの墓場である《水晶宮》という場所が見えました」
「なぜそこと分かった?」
ドラゴンの墓場は厳重に隠されている。
魔法でも透視出来ず、周りから見ても全く目印がない隠された場所だ。
古龍と呼ばれるヴォルガ神の血縁のみが最後を迎え、葬られる邪教の聖地だ。
歴代の龍神の眷属が溜め込んだ宝物と、強大な力を有したドラゴンの死骸から出た魔力を封じ込めた水晶があると言われる。
「食事を運んでいる魔物たちが話していたのを聞きました。
『大王様はご機嫌だ』、『王女様が水晶宮に訪ねて来たからね』、『大王様を看取りに来られたのだろうね』と言っていました」
「もしそうであれば例の水晶が我がものに…」
伝説のような話だが、歴代のドラゴンが溜め込んだ魔力の水晶は一体どれほどの力であろうか…
「魔王を倒すのに使える強力な武器になる…」
「さすがに小生一人では荷が重かったので、近々に戻り報告申し上げようと思っていたところでした」
「でかした、ラース」
魔法使い達全ての憧れである水晶を手に入れられるかもしれないのだ。
この老骨めの血が沸き立ち、心が踊る。
何とか王命にかこつけてこの地を訪れることはできないだろうか?
幸いなことに魔法に疎い連中を引き連れてアーケイックの地を踏むのだ。
あの若い騎士団長には悪いが、人類の英智と進歩のために貢献してもらうこととしよう…
弟子を失ったが、それ以上の僥倖をもたらす知らせだ。
すぐにでも飛んでいきたいくらいだ。
「正確な座標はこの付近までしか分かりません。
森の中に隠れて進みましたが、周りに魔物の気配がありましたので…」
「なるほど…
歩いていけない距離でも無さそうだ」
「食事を運んでいた者たちは翼がありませんでした。
恐らく、飛んで行かなくても入る場所があると思われます」
「なるほど、あの騎士達や神官を同行させることも可能というわけか…」
ますます攻略が容易に思える。
魔王の城を攻めるより楽だろう。
笑いが込み上げてくる。
話を聞く限り簡単に片付けられそうな案件だが、いくつかの問題もある。
「老いて死ぬだけのドラゴンは騎士達が喜びそうな獲物だが、《王女》が気になるな…」
王女と言うからには魔王の親族だろう。
それなりの力を持っているだろうし、死にかけのドラゴンよりかは手強いかもしれない。
「王女の情報はあるか?」
念には念を入れて確認しなければ…
弟子は「分かりません」と答えた。
まあ、当然といえば当然だ。
とりあえず私に吉報をもたらした弟子を労った。
「水晶さえ抑えれば強大な魔力を手に入れることが出来る。
魔王を倒すのに勇者が必要なくなるかもしれんな…」
「何とか無理をしても手に入れたいものですね…
重要な攻略拠点として候補にあげるのはいかがでしょうか?
王女なら人質にして使うもよし、脅して城まで案内させるということも可能では?」
この弟子は私にとって嬉しいことを囀る男だ。
ついつい肯定したくなるが、彼の言葉を鵜呑みにすれば痛い思いをするかもしれない。
ここは冷静に考えねば…
あとは水晶の存在は隠さねばならない。
下手をすれば騎士達に取り上げられて王家の宝物庫に入れられてしまう。
それでは宝の持ち腐れだ。
自分が思っていたより欲深い老人であることに自嘲した。
私は既に年老いたとはいえ、魔導師としての本質は失っていないようだ。
✩.*˚
母は優しく器用な女性だった。
母の編む花籠は私の自慢だった。
色とりどりの花を摘んで帰ると、母は嬉しそうに微笑んで上手に飾ってくれた。
子供が摘んできた不揃いな花を、しなやかな指先で魔法のように美しく飾ってくれる。
双子の弟は泣き虫でいつも母に泣きついていた。
転んだとか、ヤギに小突かれたとか、私より足が遅くて置いていかれたとか…
とにかくすぐにベソをかいていた。
私達の父は色々な植物をよく知っていた。
怪我をした時や風邪を引いた時の薬を作ったり、難しい調合でも絶対に失敗しなかった。
とても腕が良かったので、父を尊敬していた私達は薬師の真似事をして遊んだ。
苔の香りと木漏れ日に包まれた優しい空間で私は育った。
村とも呼べないような小さな集落だったが、家族のような隣人と仲良く暮らしていた。
ヤギを連れて駆け回った森。
泳いで遊んだ澄んだ湖。
木に登って眺めた星空。
のびのびとした少女時代、私は幸せだった。
あの絶望の夜が来るまでは…
当たり前の幸せな日々が炎に包まれて消えた。
『逃げて!』
母の叫び声。
あんな恐ろしい声は聞いたことなどなく、全身に鳥肌が立った。
父が炎に照らされた黒い影と組み合っている姿を見た。
『お父さ…』
『早く!先に逃げるんだ!』
いつも穏やかに笑うだけの父が、怒号を放って襲いかかってくる影と必死で戦っているのを見た。
母に手を引かれて双子の弟と逃げた。
村でいちばん古い大樹がごうごうと燃えている。
まだ生きている樹だからこんなに燃えるのはおかしい…
魔法で燃やされたんだ…
悲鳴と怒号が静寂の森に恐ろしげに響いた。
すぐに血の匂いと、何か生き物の焼ける臭いが辺りに立ち込める。
母のしなやかで優しい手にこんなに力があるとは知らなかった…
母は私達の腕を痛いほど強く掴んで、ほとんど引き摺られながら森に向かって進む。
落ちてきた水が私の手に数滴落ちた。
あれは母の涙だったのだろう…
『逃げたぞ!』と怒号が聞こえた。
少しの間の後に風を切る音が耳に届き、母が悲鳴をあげて転倒した。
矢で射られたのだ。
背中に血が滲む。それでも立ち上がろうとする母にさらに矢が飛んできた。
子供だった私達は恐怖で悲鳴をあげることしか出来なかった。
矢は容赦なく母の華奢な身体にくい込み、母は動かなくなった。
母の死を目の当たりにして恐怖がその場を支配した。
炎を背にして黒い影が私たちに向かって近づいて来るのに、私達は全く動けなかった。
男が母の亡骸を蹴り飛ばして死んだのを確認していた。
『あーあ、逃げなきゃ殺さずにいたのによ』と彼らは残念がっていた。
『なかなかいい女だったのに…殺すことは無かったじゃねえか』
『子供を産んだ母親だろう?子供二人と使い古しの女一人ならこっちの方が金になるだろ?』
恐怖で固まっている私たちを品定めするような視線で眺めて、太い腕をぬっと伸ばして髪を掴んできた。
『い、痛い!イヤ!』
『こっちはガキだが女だぞ』
『双子じゃないか?随分珍しいのが手に入ったな』
弟も同じように捕まっている。
体格のいい男達ばかりだから逃げることも出来ない。
されるがまま、家畜のように首に縄をかけられ引き摺られる。
私達の首が締まってもお構い無しだ。
『さっさと歩け、俺たちは忙しいんだ』
乱暴に縄を引っ張る男に別の男が怒鳴った。
『やめろ、商品にならなくなったらどうするんだ!
てめぇの稼ぎで払える額じゃねえぞ!』
『いうこと聞くように躾てるだけだろ?』
『足元見られて値切られるだろうが!このボケが!
いいか?!コイツらは希少種なんだ!奇跡的に見つけたんだぞ。
丁寧に扱え!死体と生体じゃ取引価格は雲泥の差なんだぞ!』
何を言っているのか分からない。
ただ分かるのは、この人間たちは私達を捕まえて売り払うつもりなんだ…
売られたら…私達どうなるの…
少し開けた広場に数人の女子供だけ集められた。
人間の見張りと、大きな獰猛そうな犬が数頭いて、私達が逃げないように見張っている。
『お姉ちゃん…僕達…どうなるの…?』
怯えた目で弟が囁いた。
大きな緑色の瞳から大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちる。
今にも気を失いそうなくらい怯えている。
『大丈夫だよ…お父さんが助けてくれるから…』
自分にも言い聞かすつもりで私はそう言って弟の手を握った。
先に行けと言ったんだ。
お父さんは絶対に私達を助けに来てくれる…
そんな私達の気持ちも知らず、人間たちは村から死体を運んで一箇所に集めて始めた。
彼らは葬るのでは無く、死体から衣服を剥ぎ取り、ロープで死体を木に吊るしていた。
恐ろしい光景に息を飲む。
一緒にいた他の仲間たちも声にならない悲鳴を上げ、顔から一気に血の気が引いて真っ青になっている。
私もそうだった…
『切り込み入れたか?
薬にするんだ、ちゃんと血抜きしないと使えないぞ!』
まるで絞めたヤギの血抜きをするかのように、手際よく高い木に吊るしていく。
地獄のような光景に、弟が大切な人を見つけた。
『お、お父さん…』
『ウソ…そんな…』
私達には一縷の望みも許されないのか…
裸にされ、血を流しながら木に吊るされ揺れているのは、父の変わり果てた姿だった。
大きくて優しい、私達を抱きしめてくれた腕は力なく垂れ下がり、赤い赤い血が流れ落ちて溜まっていく姿を見ていた。
絶望の風景に、もう涙も出ない。
これは夢なのでは…
だって、こんなこと…こんな現実などあるものか…
ただ、まだ恐怖は終わらなかった。
死体を吊るし終えた人間達は次に捕まった女子供の方に歩み寄ってきた。
手には曲がった変な形のハサミを持っている。
『おい、耳を切るぞ、用意しろ』
『何だよ?もうするのか?』
『さっさと自分達の立場ってもんを分からせてらろう。
無駄に抵抗されてもつまらないしな』
そう言いながら女性の髪を無理やり掴んで押さえつける。
悲鳴を上げて逃げようとする女性を数人がかりで押さえつけてハサミを耳に当てる。
『動くなよ、根元から耳が無くなっちまうぞ?
失敗したら、あそこの仲間入りだぜ?』
面白がって笑ってる男…
泣き叫び助けを乞う女性…
気味の悪い、枝をハサミで剪定するような音がして長く尖った耳の先端が地面に落ちた。
途端、女性は糸の切れた人形のように動かなくなった。
恐怖と痛みで気を失ったのだろう。
またもう一度あの嫌な、耳を切り落とす音が静寂に響いた。
『おら、一丁上がりだ』
ハサミを持った男が、切り落とした耳の先端を犬に向かって投げた。
途端に、おやつを貰った犬たちが飛びついて奪い合う。
狂ってる…
青ざめている私にハサミ男が視線を向けた。
『お前…お前だよ、さっさと来いよ』
彼は私を次の獲物にしたらしい…
『…いや…イヤイヤイヤァ!』
両耳を抑えて絶叫した。
私達の一族はパートナーと結ばれると耳の先端に既婚者を示す耳飾りを付ける。
私は母の耳飾りが憧れだった。
父が丹精込めて作って母に贈ったものだ。
欲しいと駄々を捏ねて「いい人がいたらね」と母にあしらわれた。
花嫁は耳飾りを送られ、生涯の伴侶を得る。
あの耳飾りは女の子の憧れだ…
『後がつっかえてるんだ、さっさと終わらせろ。ちゃんと抑えとけ』
男たちが無慈悲に私を弟から引き離し、無理やり地面に押さえつけた。
必死に抵抗したが、男達の手は振り解けない。
『誰か!誰か助けて!イヤ!イヤァー!』
喉がちぎれそうなくらいの悲鳴を上げたが、誰も応える人なんていなかった。
もうここには絶望しかない…
左耳に激痛が走った。
ついで右耳…
生暖かい血が溢れ、傷口がカッと熱くなる。
『あ…あぁ…』
痛みと悲しさが一気に押し寄せてくる。
弟の声が酷く遠くから聞こえるようだった。
もう…あの耳飾りを付けることが出来ない…
もう消えてきしまいたい…死んでしまいたい…
たった少しの時間で、多くのものを失った。
私が絶望で動けないでいると、誰かが『大変だ!』と声を上げた。
犬たちが森の中茂みに向かっていっせいに吠え始めた。
人と犬の視線の先、炎で照らされた先におぞましい者が立っていた。
『何でこんな所に?!不死者だ!』
襤褸を纏った人影のようなものは、茂みを揺らしながら進み出た。
この姿は明らかに異質であり、肉という肉がない骨だけの姿に、知性のありそうな赤い光が落窪んだ眼窩の中で光を放っている。
カタカタと骨が動き、口を開くと低い、落ち着いた男性の声がした。
『我が友、シークのために来た』
父の名だ。
もしかして…
『…《髑髏の賢者》?』
父が森に薬を取りに行った時、たまたま遭遇した不思議な骨の亡者の話をしたのを思い出した。
妙に馴れ馴れしく、薬の事や土地のことを訊いて来たので少し話をしたという。
時々出会うと話をしたが、集落まで連れてくることは無かった。
この不思議な骨も、怖がらせるといけないから、と辞退していたらしい。
『もうこれ以上、生きているものからも、死んでいるものからも何も奪うな。
お前たちは、人間の汚いところをより集めて圧縮して作ったような胸糞悪い存在だ…
吐き気を覚える…』
骨だけの口が不快感を吐露した。
『炎の魔法道具を使用しろ!
焼いて浄化しろ!』
男達は抵抗を見せた。
魔法道具を出して炎を呼び出すと、不死者に向かって火球を放った。
『やれやれ、つまらん下級魔法か…
《吸収》』
髑髏の賢者は指輪をはめた手を差し出すと、見たことの無い魔法陣が目の前に展開される。
火球は魔法陣に吸い込まれて空中で消えた。
あまりのことに人間たちもポカンとしている。
『ご覧の通り私は《不死者》だ。
君たちの敵う相手ではないが降伏するかね?』
『剣で!剣で粉々に砕いてしまえ!』
『ふぅむ…
残念だが、私もこれ以上死に近づきたくないので反撃させてもらうよ』
骨だけの腕で杖を構えると、魔法を使わずに杖を相手の脳天に振り下ろした。
受け止めようとした剣が柄を残して折れて地面に落ちた。
逃げるまもなく、頭蓋骨が割れるパキョッと言う音が響いた。
さらに襲ってくる人間の首元に杖で一突きにして殺した。
『魔法使いの杖だと思ったら大間違いだぞ。
立派な打撃武器だ。
上手に使えば熊の頭蓋骨だって割れる』
自慢げに話すが誰も聞いていないだろう。
悲鳴をあげて一人が逃げ出すと、残りの人間も『わぁっ!』と声を上げて逃げ出してしまった。
『おい待て!話は終わっちゃいないぞ!《拘束》』
骸骨が再び手をかざして魔法を発動させる。
指輪から光が放たれると人間たちを拘束した。
無様な悲鳴を上げて転げ回っている。
さっきまでと真逆の状態だ。
骨の姿をした恩人が、私の前に膝をついて手を差し出した。
『エルフのお嬢さん、大丈夫かね?
何やら火の手が上がっていたから心配で来てみたら大変なことになっていたね…
可哀想に…君も酷い目にあったね、手当しよう』
『お父さんと…お母さんが…』
『うん、無事なら探してあげよう』
恐ろしげな外見とは裏腹に、優しい口調で骸骨が語りかける。
彼はボロボロの服から革細工の巾着を取り出した。その中から見覚えのある小さな軟膏入れを出すと傷口に塗ってくれた。
出血が止まり、すっと痛みが和らぐ。
『よく効く薬だ。
薬師の友人がくれたものだが、シークというエルフの男性を知らないかね?』
『…私達のお父さんです…』
『君達がシークの子か?
可愛い双子がいるって聞いてたよ。
二人とも生きてて良かった』
私と隣で泣く弟を見て、彼は優しげな声音で話した。
『お父さん…あそこにいるの…』
弟が樹に吊るされた父の遺体を指さした。
つられるように弟の指の先を見て不死者は絶句した。
奇妙な果実のように樹から吊り下げられた多数の死体の中に、見知った顔を見つけたようだった。
『…お父さんたちの遺体を降ろすから、何か体にかける服か布を集めてくれないか?』
『分かりました』
『ありがとう、お嬢さん。
君はとても強い子だね、頼りになるよ』
『私はペトラ、こっちは弟のイール。
骨さんの名前は?』
『私かね?私はアンバー・ワイズマンだ。
随分昔に人間を辞めた不死者だよ』
変な自己紹介をする人だ。
彼はせっせと樹に吊るされた死体を集めて並べた。
全員降ろしてから家族がいるものには家族に引き渡した。
それがないものはまとめて埋葬した。
父と母が離れ離れにならなくてよかった…
二人とも、とても仲が良かったから…
『お姉ちゃん…僕達これからどうしたらいいの?』
泣いてる弟を抱き寄せて頭を撫でてやるが、私自身も途方に暮れていた。
私達はまだ成人の儀式もしていない、知識不足で庇護してくれる人がいなくてはいけない子供だった。
一度に沢山の大人が殺されたので、他の家でも似たような状態だ。
僅かに残った大人にも頼れない…
助けてくれた骨の人は僅かに生き残ったエルフたちと話し合いをして、再び私たちの前に姿を現した。
『しばらくこの集落に留まることにしたよ』
お父さんみたいな穏やかな声…
『もしかしたらまたこの土地が襲われるかもしれないからね。
そうならなければいいが、そうなった場合に私が案山子になって君達を守るよ』
確かに知らない人が見たら驚いて逃げ出すだろう。
『私が君達を守る代わりに、君達のお父さんの仕事場を貸してもらう事になった。
一緒に住んでも構わないかね?』
『アンバーさんと暮らすの?』
引きつった顔で弟が私に訊ねた。
彼の事が怖いのだろうか?
弟は私の腕を掴んだまま背中に隠れている。
アンバーは首をかしげながら訊ねた。
『嫌かね?それなら私は外で雨風さえ凌げるならそれでも構わないよ。
お父さんの薬師としての知識を少しでも学びたいんだ』
『ここに居て、アンバーさんが僕達を守ってくれるの?
人間はもう来ない?』
私が尋ねると、彼は『そのつもりだ』と答えた。
よく分からないが、彼は怖い見た目だし、強い人だから私達を守ってくれると言うなら頼るしかない。
私達には何も渡せるものがないが、不死者は何も欲しがらなかったし、必要なものがあれば何でも用意してくれた。
集落の者たち皆が彼を頼った。
弟も彼の姿に慣れると、彼の傍で勉強したり魔法を教えてもらうようになっていた。
いつの間にか私達は新しい《お父さん》を手に入れていた。
そのうちにアンバーは集落を出ていく日が来たが、その日は私達が集落から巣立つ日になった。
長い時間を共に過ごし、私達は本当の親子のようになったのだ。
この絆は誰にも切れない。
絶対に切らせない。
そんなこと、私が許さない。
たとえそれが誰であろうとも、もう二度と私は家族を失いたくない。
そのためなら、どんな方法でもいい、排除する。
それがたとえ、父の大切な人であっても…
✩.*˚
「ペトラ、大丈夫かね?随分うなされていたよ」
優しい声に目を覚ました。
嫌な汗をかいてしまっていたので髪が顔に張り付いてる。
「大丈夫です」
昔の事だ。
ずっと忘れてた振りをしてたのに…
きっとあの勇者のせいだ…
手櫛で髪を整える。
結い上げると大嫌いな耳が顕になってしまうので、耳が隠れるように髪を垂らしている。
オシャレをしたい気持ちもあるが、この耳を見られるのが我慢ならない。
哀れみの目で見られ、奴隷として嘲笑される。
「ペトラ、こんな所で寝起きするのは辛いだろう?
もうワイズマンの所に戻りなさい」
「グランス様がお父様を説得してくれるなら帰ります」
そのために来たのだ。
イールを解放してもらい、再び家族として暮らさなければ…
「ワイズマンも心配してるさ。
案外イールの件はもう解決してるかも知れないよ」
グルグルと喉を鳴らしながら巨龍はそう言った。
「ミツルは良い子だ。
人間にしては柔軟な子だし、他者を気遣う優しい心の持ち主だ」
「でも人間です。
私達にその優しさを向けるとは思えません」
グランス様こそお優しいのだ。
人間を寛容に受け入れるなんて私には無理だ。
グランス様はそんな私を「強情だね」と笑った。
「私も沢山人間と戦って殺めたが、致し方なく行った事だ。
ワイズマンやミツルのように話のできる相手なら無駄な殺生もしなくて済んだのに…嘆かわしいことだ…」
グランス様はお優しい方だ。
悪い人間を殺すことにお心を傷められるとは…
「明確な国境を作ってからは無駄に命を奪うことも無くなった。
ワイズマンのおかげだ。
彼は私にはできなかった形で多くの命を守ってくれた。
これからもそうなると信じている。
だから、ペトラ。
君には彼を支えてもらわねば困るのだよ」
「…ずるい物言いではありませんか?
そんなに私を帰らせたいのですか?」
私の言葉にグランス様は困ったように笑った。
「本音を言うと帰って欲しくないがね。
私は今でも君に恋しているのだから…」
グランス様の言葉に私は驚いた。
以前お父様がグランス様に本気で怒ったことがあった。
『ペトラを妻に迎えたい』と言ったそうだ。
グランス様の言う妻とは伴侶として付き添うことで、肉体関係が発生するものでは無い。
ただ、妻となるので、生涯をグランス様のために捧げる事となる。
終の妻として希望されたのだが、お父様は許さなかった。
『ペトラの人生だ。
あの子はまだこの先家族を作って幸せに暮らす未来がある!
あの子を寡婦にするなどとんでもない!』とはっきり断ったらしい。
「確かに彼の言った通りだ。
私はもうすぐ逝くのだから、君を縛るのは私の身勝手と言うものだ…」
「グランス様…」
「君に恋したまま逝くとするよ。
もし今度巡ってくる時は、君と愛し合いたいものだ」
光を失いつつある瞳が穏やかに私を見据えている。
私は答えられずにグランス様の硬い体を抱きしめた。
鱗の下から伝わる体温。
この温もりもあと僅かで消えてしまう。
「せめて、私に看取らせてください。
お父様のところに帰るのはそれからでも遅くないですから…」
「嬉しいね…
こんなに穏やかな気持ちで死を迎えるとは…
君達と引き逢わせてくださったヴォルガ神に感謝するよ」
グランス様はそう言って目を細めて私に顔を近づけた。
「ペトラが隣にいると心地よい風が吹く。
私も眠くなってきた…」
私が居ると良い風が吹くらしい。
私と契約している精霊の加護だ。
「君の隣で少し眠ってもいいかね?」
私が頷くと、グランス様は大きな頭をゆっくりと下ろした。
眠そうに瞼をゆっくりと閉じる。
「おやすみ、ペトラ」
「おやすみなさいませ、グランス様」
微笑んで老いたドラゴンを夢へと見送る。
グランス様。
貴方は今までずっと頑張って来たんですもの…
ゆっくり眠ることくらい誰も咎めたり致しませんわ…
グランス様の寝息が段々と小さくなる。
鼓動が止まる。
身体から何かが抜け落ちて空になるのが分かった。
力の抜けた身体に縋ると、まだ生きていた温もりが残っていた。
「…安らかにおやすみなさいませ、グランス様…」
泣いたら心配されるかもしれないけど、今だけは許してくださいね…
涙が枯れたら、ちゃんとお送り致しますから…
魔物の国だ。
死んだと言えばそうなのだろう。
しかし、もし、万が一に捕まっていたら…
「…手の内がバレるのは宜しくないな」
円卓に座った若い騎士は腕を組んで呟いた。
若輩ながら騎士団の団長を拝命しているだけあり、形骸化して久しい名門貴族出身であるものの、頭の回転も剣の腕も申し分ない。
「予定変更だ。
多少情報不足だがやむを得ん。
派遣した魔術師達を呼び戻し、早急に情報を精査した上で我々は勇者奪還に動く」
「行方不明の者はいかが致しましょうか?」
「魔王側に悟られては行動が難しくなる。
可哀想だが諦めてくれ」
見ず知らずの土地での捜索は困難を極める。
今は弟子を探すことよりも、王命を実行する事が優先される。
それなりに才能のある人間だっただけに惜しい…
アレン・サッチャーはいい魔法使いだった。
魔王国に送り出していた弟子たちは八人のうち二人が行方不明になり音信不通だ。
残った弟子たちを集め、情報をまとめあげる。
僅かにわかる程度のざっくりとした地図と地点の情報を大きな紙に記録していく。
この作業だけでまる二日かかった。
さて、あの英雄様の欲しい情報はあるかな…
「老師、小生の記録致しましたこの地点ですが…」
弟子のひとりが山の中腹を指さした。
特に何の変哲もない場所だ。
「何だ?何かあったのか?」
「恐らくですが、ドラゴンの墓場である《水晶宮》という場所が見えました」
「なぜそこと分かった?」
ドラゴンの墓場は厳重に隠されている。
魔法でも透視出来ず、周りから見ても全く目印がない隠された場所だ。
古龍と呼ばれるヴォルガ神の血縁のみが最後を迎え、葬られる邪教の聖地だ。
歴代の龍神の眷属が溜め込んだ宝物と、強大な力を有したドラゴンの死骸から出た魔力を封じ込めた水晶があると言われる。
「食事を運んでいる魔物たちが話していたのを聞きました。
『大王様はご機嫌だ』、『王女様が水晶宮に訪ねて来たからね』、『大王様を看取りに来られたのだろうね』と言っていました」
「もしそうであれば例の水晶が我がものに…」
伝説のような話だが、歴代のドラゴンが溜め込んだ魔力の水晶は一体どれほどの力であろうか…
「魔王を倒すのに使える強力な武器になる…」
「さすがに小生一人では荷が重かったので、近々に戻り報告申し上げようと思っていたところでした」
「でかした、ラース」
魔法使い達全ての憧れである水晶を手に入れられるかもしれないのだ。
この老骨めの血が沸き立ち、心が踊る。
何とか王命にかこつけてこの地を訪れることはできないだろうか?
幸いなことに魔法に疎い連中を引き連れてアーケイックの地を踏むのだ。
あの若い騎士団長には悪いが、人類の英智と進歩のために貢献してもらうこととしよう…
弟子を失ったが、それ以上の僥倖をもたらす知らせだ。
すぐにでも飛んでいきたいくらいだ。
「正確な座標はこの付近までしか分かりません。
森の中に隠れて進みましたが、周りに魔物の気配がありましたので…」
「なるほど…
歩いていけない距離でも無さそうだ」
「食事を運んでいた者たちは翼がありませんでした。
恐らく、飛んで行かなくても入る場所があると思われます」
「なるほど、あの騎士達や神官を同行させることも可能というわけか…」
ますます攻略が容易に思える。
魔王の城を攻めるより楽だろう。
笑いが込み上げてくる。
話を聞く限り簡単に片付けられそうな案件だが、いくつかの問題もある。
「老いて死ぬだけのドラゴンは騎士達が喜びそうな獲物だが、《王女》が気になるな…」
王女と言うからには魔王の親族だろう。
それなりの力を持っているだろうし、死にかけのドラゴンよりかは手強いかもしれない。
「王女の情報はあるか?」
念には念を入れて確認しなければ…
弟子は「分かりません」と答えた。
まあ、当然といえば当然だ。
とりあえず私に吉報をもたらした弟子を労った。
「水晶さえ抑えれば強大な魔力を手に入れることが出来る。
魔王を倒すのに勇者が必要なくなるかもしれんな…」
「何とか無理をしても手に入れたいものですね…
重要な攻略拠点として候補にあげるのはいかがでしょうか?
王女なら人質にして使うもよし、脅して城まで案内させるということも可能では?」
この弟子は私にとって嬉しいことを囀る男だ。
ついつい肯定したくなるが、彼の言葉を鵜呑みにすれば痛い思いをするかもしれない。
ここは冷静に考えねば…
あとは水晶の存在は隠さねばならない。
下手をすれば騎士達に取り上げられて王家の宝物庫に入れられてしまう。
それでは宝の持ち腐れだ。
自分が思っていたより欲深い老人であることに自嘲した。
私は既に年老いたとはいえ、魔導師としての本質は失っていないようだ。
✩.*˚
母は優しく器用な女性だった。
母の編む花籠は私の自慢だった。
色とりどりの花を摘んで帰ると、母は嬉しそうに微笑んで上手に飾ってくれた。
子供が摘んできた不揃いな花を、しなやかな指先で魔法のように美しく飾ってくれる。
双子の弟は泣き虫でいつも母に泣きついていた。
転んだとか、ヤギに小突かれたとか、私より足が遅くて置いていかれたとか…
とにかくすぐにベソをかいていた。
私達の父は色々な植物をよく知っていた。
怪我をした時や風邪を引いた時の薬を作ったり、難しい調合でも絶対に失敗しなかった。
とても腕が良かったので、父を尊敬していた私達は薬師の真似事をして遊んだ。
苔の香りと木漏れ日に包まれた優しい空間で私は育った。
村とも呼べないような小さな集落だったが、家族のような隣人と仲良く暮らしていた。
ヤギを連れて駆け回った森。
泳いで遊んだ澄んだ湖。
木に登って眺めた星空。
のびのびとした少女時代、私は幸せだった。
あの絶望の夜が来るまでは…
当たり前の幸せな日々が炎に包まれて消えた。
『逃げて!』
母の叫び声。
あんな恐ろしい声は聞いたことなどなく、全身に鳥肌が立った。
父が炎に照らされた黒い影と組み合っている姿を見た。
『お父さ…』
『早く!先に逃げるんだ!』
いつも穏やかに笑うだけの父が、怒号を放って襲いかかってくる影と必死で戦っているのを見た。
母に手を引かれて双子の弟と逃げた。
村でいちばん古い大樹がごうごうと燃えている。
まだ生きている樹だからこんなに燃えるのはおかしい…
魔法で燃やされたんだ…
悲鳴と怒号が静寂の森に恐ろしげに響いた。
すぐに血の匂いと、何か生き物の焼ける臭いが辺りに立ち込める。
母のしなやかで優しい手にこんなに力があるとは知らなかった…
母は私達の腕を痛いほど強く掴んで、ほとんど引き摺られながら森に向かって進む。
落ちてきた水が私の手に数滴落ちた。
あれは母の涙だったのだろう…
『逃げたぞ!』と怒号が聞こえた。
少しの間の後に風を切る音が耳に届き、母が悲鳴をあげて転倒した。
矢で射られたのだ。
背中に血が滲む。それでも立ち上がろうとする母にさらに矢が飛んできた。
子供だった私達は恐怖で悲鳴をあげることしか出来なかった。
矢は容赦なく母の華奢な身体にくい込み、母は動かなくなった。
母の死を目の当たりにして恐怖がその場を支配した。
炎を背にして黒い影が私たちに向かって近づいて来るのに、私達は全く動けなかった。
男が母の亡骸を蹴り飛ばして死んだのを確認していた。
『あーあ、逃げなきゃ殺さずにいたのによ』と彼らは残念がっていた。
『なかなかいい女だったのに…殺すことは無かったじゃねえか』
『子供を産んだ母親だろう?子供二人と使い古しの女一人ならこっちの方が金になるだろ?』
恐怖で固まっている私たちを品定めするような視線で眺めて、太い腕をぬっと伸ばして髪を掴んできた。
『い、痛い!イヤ!』
『こっちはガキだが女だぞ』
『双子じゃないか?随分珍しいのが手に入ったな』
弟も同じように捕まっている。
体格のいい男達ばかりだから逃げることも出来ない。
されるがまま、家畜のように首に縄をかけられ引き摺られる。
私達の首が締まってもお構い無しだ。
『さっさと歩け、俺たちは忙しいんだ』
乱暴に縄を引っ張る男に別の男が怒鳴った。
『やめろ、商品にならなくなったらどうするんだ!
てめぇの稼ぎで払える額じゃねえぞ!』
『いうこと聞くように躾てるだけだろ?』
『足元見られて値切られるだろうが!このボケが!
いいか?!コイツらは希少種なんだ!奇跡的に見つけたんだぞ。
丁寧に扱え!死体と生体じゃ取引価格は雲泥の差なんだぞ!』
何を言っているのか分からない。
ただ分かるのは、この人間たちは私達を捕まえて売り払うつもりなんだ…
売られたら…私達どうなるの…
少し開けた広場に数人の女子供だけ集められた。
人間の見張りと、大きな獰猛そうな犬が数頭いて、私達が逃げないように見張っている。
『お姉ちゃん…僕達…どうなるの…?』
怯えた目で弟が囁いた。
大きな緑色の瞳から大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちる。
今にも気を失いそうなくらい怯えている。
『大丈夫だよ…お父さんが助けてくれるから…』
自分にも言い聞かすつもりで私はそう言って弟の手を握った。
先に行けと言ったんだ。
お父さんは絶対に私達を助けに来てくれる…
そんな私達の気持ちも知らず、人間たちは村から死体を運んで一箇所に集めて始めた。
彼らは葬るのでは無く、死体から衣服を剥ぎ取り、ロープで死体を木に吊るしていた。
恐ろしい光景に息を飲む。
一緒にいた他の仲間たちも声にならない悲鳴を上げ、顔から一気に血の気が引いて真っ青になっている。
私もそうだった…
『切り込み入れたか?
薬にするんだ、ちゃんと血抜きしないと使えないぞ!』
まるで絞めたヤギの血抜きをするかのように、手際よく高い木に吊るしていく。
地獄のような光景に、弟が大切な人を見つけた。
『お、お父さん…』
『ウソ…そんな…』
私達には一縷の望みも許されないのか…
裸にされ、血を流しながら木に吊るされ揺れているのは、父の変わり果てた姿だった。
大きくて優しい、私達を抱きしめてくれた腕は力なく垂れ下がり、赤い赤い血が流れ落ちて溜まっていく姿を見ていた。
絶望の風景に、もう涙も出ない。
これは夢なのでは…
だって、こんなこと…こんな現実などあるものか…
ただ、まだ恐怖は終わらなかった。
死体を吊るし終えた人間達は次に捕まった女子供の方に歩み寄ってきた。
手には曲がった変な形のハサミを持っている。
『おい、耳を切るぞ、用意しろ』
『何だよ?もうするのか?』
『さっさと自分達の立場ってもんを分からせてらろう。
無駄に抵抗されてもつまらないしな』
そう言いながら女性の髪を無理やり掴んで押さえつける。
悲鳴を上げて逃げようとする女性を数人がかりで押さえつけてハサミを耳に当てる。
『動くなよ、根元から耳が無くなっちまうぞ?
失敗したら、あそこの仲間入りだぜ?』
面白がって笑ってる男…
泣き叫び助けを乞う女性…
気味の悪い、枝をハサミで剪定するような音がして長く尖った耳の先端が地面に落ちた。
途端、女性は糸の切れた人形のように動かなくなった。
恐怖と痛みで気を失ったのだろう。
またもう一度あの嫌な、耳を切り落とす音が静寂に響いた。
『おら、一丁上がりだ』
ハサミを持った男が、切り落とした耳の先端を犬に向かって投げた。
途端に、おやつを貰った犬たちが飛びついて奪い合う。
狂ってる…
青ざめている私にハサミ男が視線を向けた。
『お前…お前だよ、さっさと来いよ』
彼は私を次の獲物にしたらしい…
『…いや…イヤイヤイヤァ!』
両耳を抑えて絶叫した。
私達の一族はパートナーと結ばれると耳の先端に既婚者を示す耳飾りを付ける。
私は母の耳飾りが憧れだった。
父が丹精込めて作って母に贈ったものだ。
欲しいと駄々を捏ねて「いい人がいたらね」と母にあしらわれた。
花嫁は耳飾りを送られ、生涯の伴侶を得る。
あの耳飾りは女の子の憧れだ…
『後がつっかえてるんだ、さっさと終わらせろ。ちゃんと抑えとけ』
男たちが無慈悲に私を弟から引き離し、無理やり地面に押さえつけた。
必死に抵抗したが、男達の手は振り解けない。
『誰か!誰か助けて!イヤ!イヤァー!』
喉がちぎれそうなくらいの悲鳴を上げたが、誰も応える人なんていなかった。
もうここには絶望しかない…
左耳に激痛が走った。
ついで右耳…
生暖かい血が溢れ、傷口がカッと熱くなる。
『あ…あぁ…』
痛みと悲しさが一気に押し寄せてくる。
弟の声が酷く遠くから聞こえるようだった。
もう…あの耳飾りを付けることが出来ない…
もう消えてきしまいたい…死んでしまいたい…
たった少しの時間で、多くのものを失った。
私が絶望で動けないでいると、誰かが『大変だ!』と声を上げた。
犬たちが森の中茂みに向かっていっせいに吠え始めた。
人と犬の視線の先、炎で照らされた先におぞましい者が立っていた。
『何でこんな所に?!不死者だ!』
襤褸を纏った人影のようなものは、茂みを揺らしながら進み出た。
この姿は明らかに異質であり、肉という肉がない骨だけの姿に、知性のありそうな赤い光が落窪んだ眼窩の中で光を放っている。
カタカタと骨が動き、口を開くと低い、落ち着いた男性の声がした。
『我が友、シークのために来た』
父の名だ。
もしかして…
『…《髑髏の賢者》?』
父が森に薬を取りに行った時、たまたま遭遇した不思議な骨の亡者の話をしたのを思い出した。
妙に馴れ馴れしく、薬の事や土地のことを訊いて来たので少し話をしたという。
時々出会うと話をしたが、集落まで連れてくることは無かった。
この不思議な骨も、怖がらせるといけないから、と辞退していたらしい。
『もうこれ以上、生きているものからも、死んでいるものからも何も奪うな。
お前たちは、人間の汚いところをより集めて圧縮して作ったような胸糞悪い存在だ…
吐き気を覚える…』
骨だけの口が不快感を吐露した。
『炎の魔法道具を使用しろ!
焼いて浄化しろ!』
男達は抵抗を見せた。
魔法道具を出して炎を呼び出すと、不死者に向かって火球を放った。
『やれやれ、つまらん下級魔法か…
《吸収》』
髑髏の賢者は指輪をはめた手を差し出すと、見たことの無い魔法陣が目の前に展開される。
火球は魔法陣に吸い込まれて空中で消えた。
あまりのことに人間たちもポカンとしている。
『ご覧の通り私は《不死者》だ。
君たちの敵う相手ではないが降伏するかね?』
『剣で!剣で粉々に砕いてしまえ!』
『ふぅむ…
残念だが、私もこれ以上死に近づきたくないので反撃させてもらうよ』
骨だけの腕で杖を構えると、魔法を使わずに杖を相手の脳天に振り下ろした。
受け止めようとした剣が柄を残して折れて地面に落ちた。
逃げるまもなく、頭蓋骨が割れるパキョッと言う音が響いた。
さらに襲ってくる人間の首元に杖で一突きにして殺した。
『魔法使いの杖だと思ったら大間違いだぞ。
立派な打撃武器だ。
上手に使えば熊の頭蓋骨だって割れる』
自慢げに話すが誰も聞いていないだろう。
悲鳴をあげて一人が逃げ出すと、残りの人間も『わぁっ!』と声を上げて逃げ出してしまった。
『おい待て!話は終わっちゃいないぞ!《拘束》』
骸骨が再び手をかざして魔法を発動させる。
指輪から光が放たれると人間たちを拘束した。
無様な悲鳴を上げて転げ回っている。
さっきまでと真逆の状態だ。
骨の姿をした恩人が、私の前に膝をついて手を差し出した。
『エルフのお嬢さん、大丈夫かね?
何やら火の手が上がっていたから心配で来てみたら大変なことになっていたね…
可哀想に…君も酷い目にあったね、手当しよう』
『お父さんと…お母さんが…』
『うん、無事なら探してあげよう』
恐ろしげな外見とは裏腹に、優しい口調で骸骨が語りかける。
彼はボロボロの服から革細工の巾着を取り出した。その中から見覚えのある小さな軟膏入れを出すと傷口に塗ってくれた。
出血が止まり、すっと痛みが和らぐ。
『よく効く薬だ。
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『君達がシークの子か?
可愛い双子がいるって聞いてたよ。
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私と隣で泣く弟を見て、彼は優しげな声音で話した。
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奇妙な果実のように樹から吊り下げられた多数の死体の中に、見知った顔を見つけたようだった。
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『分かりました』
『ありがとう、お嬢さん。
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『私かね?私はアンバー・ワイズマンだ。
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変な自己紹介をする人だ。
彼はせっせと樹に吊るされた死体を集めて並べた。
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それがないものはまとめて埋葬した。
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泣いてる弟を抱き寄せて頭を撫でてやるが、私自身も途方に暮れていた。
私達はまだ成人の儀式もしていない、知識不足で庇護してくれる人がいなくてはいけない子供だった。
一度に沢山の大人が殺されたので、他の家でも似たような状態だ。
僅かに残った大人にも頼れない…
助けてくれた骨の人は僅かに生き残ったエルフたちと話し合いをして、再び私たちの前に姿を現した。
『しばらくこの集落に留まることにしたよ』
お父さんみたいな穏やかな声…
『もしかしたらまたこの土地が襲われるかもしれないからね。
そうならなければいいが、そうなった場合に私が案山子になって君達を守るよ』
確かに知らない人が見たら驚いて逃げ出すだろう。
『私が君達を守る代わりに、君達のお父さんの仕事場を貸してもらう事になった。
一緒に住んでも構わないかね?』
『アンバーさんと暮らすの?』
引きつった顔で弟が私に訊ねた。
彼の事が怖いのだろうか?
弟は私の腕を掴んだまま背中に隠れている。
アンバーは首をかしげながら訊ねた。
『嫌かね?それなら私は外で雨風さえ凌げるならそれでも構わないよ。
お父さんの薬師としての知識を少しでも学びたいんだ』
『ここに居て、アンバーさんが僕達を守ってくれるの?
人間はもう来ない?』
私が尋ねると、彼は『そのつもりだ』と答えた。
よく分からないが、彼は怖い見た目だし、強い人だから私達を守ってくれると言うなら頼るしかない。
私達には何も渡せるものがないが、不死者は何も欲しがらなかったし、必要なものがあれば何でも用意してくれた。
集落の者たち皆が彼を頼った。
弟も彼の姿に慣れると、彼の傍で勉強したり魔法を教えてもらうようになっていた。
いつの間にか私達は新しい《お父さん》を手に入れていた。
そのうちにアンバーは集落を出ていく日が来たが、その日は私達が集落から巣立つ日になった。
長い時間を共に過ごし、私達は本当の親子のようになったのだ。
この絆は誰にも切れない。
絶対に切らせない。
そんなこと、私が許さない。
たとえそれが誰であろうとも、もう二度と私は家族を失いたくない。
そのためなら、どんな方法でもいい、排除する。
それがたとえ、父の大切な人であっても…
✩.*˚
「ペトラ、大丈夫かね?随分うなされていたよ」
優しい声に目を覚ました。
嫌な汗をかいてしまっていたので髪が顔に張り付いてる。
「大丈夫です」
昔の事だ。
ずっと忘れてた振りをしてたのに…
きっとあの勇者のせいだ…
手櫛で髪を整える。
結い上げると大嫌いな耳が顕になってしまうので、耳が隠れるように髪を垂らしている。
オシャレをしたい気持ちもあるが、この耳を見られるのが我慢ならない。
哀れみの目で見られ、奴隷として嘲笑される。
「ペトラ、こんな所で寝起きするのは辛いだろう?
もうワイズマンの所に戻りなさい」
「グランス様がお父様を説得してくれるなら帰ります」
そのために来たのだ。
イールを解放してもらい、再び家族として暮らさなければ…
「ワイズマンも心配してるさ。
案外イールの件はもう解決してるかも知れないよ」
グルグルと喉を鳴らしながら巨龍はそう言った。
「ミツルは良い子だ。
人間にしては柔軟な子だし、他者を気遣う優しい心の持ち主だ」
「でも人間です。
私達にその優しさを向けるとは思えません」
グランス様こそお優しいのだ。
人間を寛容に受け入れるなんて私には無理だ。
グランス様はそんな私を「強情だね」と笑った。
「私も沢山人間と戦って殺めたが、致し方なく行った事だ。
ワイズマンやミツルのように話のできる相手なら無駄な殺生もしなくて済んだのに…嘆かわしいことだ…」
グランス様はお優しい方だ。
悪い人間を殺すことにお心を傷められるとは…
「明確な国境を作ってからは無駄に命を奪うことも無くなった。
ワイズマンのおかげだ。
彼は私にはできなかった形で多くの命を守ってくれた。
これからもそうなると信じている。
だから、ペトラ。
君には彼を支えてもらわねば困るのだよ」
「…ずるい物言いではありませんか?
そんなに私を帰らせたいのですか?」
私の言葉にグランス様は困ったように笑った。
「本音を言うと帰って欲しくないがね。
私は今でも君に恋しているのだから…」
グランス様の言葉に私は驚いた。
以前お父様がグランス様に本気で怒ったことがあった。
『ペトラを妻に迎えたい』と言ったそうだ。
グランス様の言う妻とは伴侶として付き添うことで、肉体関係が発生するものでは無い。
ただ、妻となるので、生涯をグランス様のために捧げる事となる。
終の妻として希望されたのだが、お父様は許さなかった。
『ペトラの人生だ。
あの子はまだこの先家族を作って幸せに暮らす未来がある!
あの子を寡婦にするなどとんでもない!』とはっきり断ったらしい。
「確かに彼の言った通りだ。
私はもうすぐ逝くのだから、君を縛るのは私の身勝手と言うものだ…」
「グランス様…」
「君に恋したまま逝くとするよ。
もし今度巡ってくる時は、君と愛し合いたいものだ」
光を失いつつある瞳が穏やかに私を見据えている。
私は答えられずにグランス様の硬い体を抱きしめた。
鱗の下から伝わる体温。
この温もりもあと僅かで消えてしまう。
「せめて、私に看取らせてください。
お父様のところに帰るのはそれからでも遅くないですから…」
「嬉しいね…
こんなに穏やかな気持ちで死を迎えるとは…
君達と引き逢わせてくださったヴォルガ神に感謝するよ」
グランス様はそう言って目を細めて私に顔を近づけた。
「ペトラが隣にいると心地よい風が吹く。
私も眠くなってきた…」
私が居ると良い風が吹くらしい。
私と契約している精霊の加護だ。
「君の隣で少し眠ってもいいかね?」
私が頷くと、グランス様は大きな頭をゆっくりと下ろした。
眠そうに瞼をゆっくりと閉じる。
「おやすみ、ペトラ」
「おやすみなさいませ、グランス様」
微笑んで老いたドラゴンを夢へと見送る。
グランス様。
貴方は今までずっと頑張って来たんですもの…
ゆっくり眠ることくらい誰も咎めたり致しませんわ…
グランス様の寝息が段々と小さくなる。
鼓動が止まる。
身体から何かが抜け落ちて空になるのが分かった。
力の抜けた身体に縋ると、まだ生きていた温もりが残っていた。
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